東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社説・コラム > 社説一覧 > 記事

ここから本文

【社説】

野茂投手引退 挑む勇気、受け継ごう

2008年7月19日

 困難に立ち向かうのをためらわない野球人生だった。米メジャーリーグへの先駆者、野茂英雄。引退を表明した鉄腕の軌跡は、新たな道を切り開く勇気の大切さを雄弁に語っている。

 通算二百一勝百五十五敗。日本で七十八勝、米国で百二十三勝という成績が、日本のプロ野球から米メジャーへの道を拓(ひら)いた足跡の大きさを示している。その野茂英雄投手が、三十九歳にしてついに現役引退を決断した。太平洋を渡って十四年、力の最後の一滴までも絞り出すようにして燃え尽きた終幕だった。

 一九九五年の渡米まで、メジャーリーグでプレーした日本選手は六〇年代に二年在籍した村上雅則投手だけだった。実質的なパイオニアとしての挑戦であり、当時は日本選手が通用するかどうかにまだ疑問符がつけられていた。ところが、野茂投手はその独特なトルネード投法で文字通り旋風を巻き起こしてみせたのだ。ノーヒットノーラン二度、三度の開幕投手をはじめとする大活躍は全米の注目と人気を呼び、米球界に日本野球の実力をあらためて認めさせる役も果たした。後に続いたイチロー、松井秀喜、松坂大輔ら日本人メジャーリーガーの成功も、開拓者・野茂英雄の存在あってこそと言っていい。

 また、「ノモマニア」の言葉が生まれるほど米国民をひきつけたことは、日米交流、相互理解へのはかりしれない貢献ともなったといえる。「百人の外交官に匹敵する」との評価も当然だ。日米の懸け橋役をたくまずして果たした奮闘は、野球の枠を超えて長く歴史に残るだろう。

 そして、その最大の功績は、困難をものともせず未踏の荒野に挑戦する気概の大切さを、明快に示してみせたことではないか。

 その決断を下すのはけっして簡単ではなかったに違いない。が、思い切って一歩を踏み出したことによって、幅広く豊かな未来が開けたのだ。しかも、何度も挫折しながら、けっしてあきらめずに前進し続けたからこそ、さらに道が広がっていったのである。前を向いてチャレンジする勇気からすべてが始まっていくのだという古くて新しい真理を、不屈のトルネードから学んだ者たちは少なくあるまい。

 力投は終わった。ヒーローはマウンドを降りた。ただ、その心はどこでも誰でも引き継いでいける。さまざまな分野でのノモ二世の挑戦を待ちたい。

 

この記事を印刷する