社説

文字サイズ変更
ブックマーク
Yahoo!ブックマークに登録
はてなブックマークに登録
Buzzurlブックマークに登録
livedoor Clipに登録
この記事を印刷
印刷

社説:長銀無罪判決 行政の責任はどうなったのか

 元頭取らは逆転無罪を勝ち取った。では、「健全経営」だったはずの大銀行が、あっという間に「破綻(はたん)」となった最大の責任は、誰にあったのだろう。

 日本長期信用銀行(現新生銀行)の粉飾決算事件で、最高裁は1、2審の有罪判決を破棄し、大野木克信元頭取ら3人の刑事責任は問えないとの判決を下した。「大手行はつぶさない」を大原則とした大蔵省の裁量行政から、「金融機関の自己責任」を重視した新しい金融行政への転換がまだ過渡期で混乱していた中での決算処理だった。明確なルールも破綻の処理策もなかった当時の状況を考慮した最高裁は、長銀の決算を違法とするのは「著しく正義に反する」と結論付けた。極めて妥当な判断である。

 最大の焦点は、97年3月に当時の大蔵省が出した資産査定通達だった。各銀行に貸出先の健全性などに応じて債権を分類させ、分類ごとに将来の損失に備える引き当てを促すものだった。この通達が、当時、唯一の公正な会計基準だったか否かが争われた。

 粉飾が指摘された長銀の98年3月期決算は、この通達後、最初の決算だった。しかし、自己査定による債権分類は、同じ貸出先であっても銀行間で違いが生じうるものだ。制度導入直後ならなおさらだった。会計処理を巡る見解は統一されておらず、最高裁は、問題視された関連ノンバンクの不良債権処理についても、当時は一般的だったと指摘し、違法性を否定した。

 もちろん長銀の不良債権処理に甘さはあった。だが「日本発の金融恐慌は起こさせない」という政治や行政の号令のもとで、不良債権は各行の体力に応じて処理していけばよいとの認識がまだ一般的だったころだ。大手各行への公的資金投入を決めた審査委員会で長銀の経営健全性が問われた際、当時の蔵相と日銀総裁は「債務超過ではなく、不良債権は今後の収益で十分対応可能」と答えていた。破綻銀行の国有化などを定めた金融再生法もまだ存在しなかった。

 長銀の元経営者に、バブル期の乱脈融資で不良債権の山を築き、その処理を遅らせた責任は当然ある。だが、「護送船団式」の保護行政により、長きにわたって銀行の甘い自己管理を許してきた行政と、行政任せにしてきた政治の責任こそ、最も問われるべきだ。

 長銀は、破綻銀行の経営陣に対する刑事、民事両面からの責任追及を求めた金融再生法の適用第1号だった。巨額の公的資金を投入する以上、誰かを罰しなければならないといった空気はあっただろう。しかし、元頭取ら3人の責任に焦点が当たる中、解明すべき行政責任はあいまいなまま放置された。逆転無罪の判決と10年の歳月が、あの破綻は何だったのだろう、ともう一度問いかけている。

毎日新聞 2008年7月19日 東京朝刊

社説 アーカイブ一覧

 

おすすめ情報