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10年前に破綻(はたん)した日本長期信用銀行の決算に大きな問題はあったが、罪にまでは問えない、ということか。頭取ら当時の首脳陣3人に対する粉飾決算事件について、最高裁の下した判決は逆転無罪だった。
破綻直前の決算は、旧大蔵省が前年出した新しい資産査定基準に従わず、処理すべき不良債権を約3100億円も新基準より少なく見積もって、配当まで出した。これが違法な粉飾決算に当たるかどうかが焦点だった。
最高裁の判断は「新査定基準は当時の金融界には定着しておらず、そのようなあいまいな基準から逸脱したからといって、ただちに違法とはいえない」というものだ。
破綻後に債務の穴埋めなどのため、7.8兆円もの公的資金がつぎ込まれた。それを受け、経営者の刑事上の責任を追及するための捜査だったが、最終的には空振りに終わった。
刑事裁判とは別に、長銀の債権を引き継いだ整理回収機構は経営陣に損害賠償を求めたが、これについても最高裁は請求を退けた。
これによって、長銀事件は司法の場ではすべて終わった。だが、刑事も民事も経営者が責任を問われなかったのは、ツケを負担した国民としてなんとも釈然としない。
長銀の破綻は、バブルに踊って転落した日本の金融界を象徴する事件である。それを生んだ問題の構図は政官業にまたがっているが、政官のだれもバブルから金融破綻までの責任をとっていない。腹立たしいことだ。
せめてその教訓をくみとり、今後に生かさなければなるまい。
まず政治でいえば、問題先送りの体質である。92年に宮沢首相が銀行への公的支援に言及したものの、税金投入へ世論の猛反発を受けて封印してしまい、対策を手遅れにした。いま少子高齢化を支える財源確保が必要なのに、増税の議論を選挙対策で先送りしているのも、これと同根ではなかろうか。時代の転換点にあっては、痛みを伴う改革でも、国民を説得して断行するのが政治の使命のはずである。
行政は、旧大蔵省から金融庁が分離独立し破綻処理制度が整備されて、形のうえでは様変わりした。ただし、サブプライム問題で揺れる米国を見れば明らかなように、巨大銀行に経営危機が起きたとき、果断に対策を打ち出すのは容易なことではない。バブルを生まない金融政策も大前提だ。
そして業界。長銀の決算はじつは、経営危機を表面化させずに先送りしたい大蔵省の意向に沿ったものだった。要するに経営不在。業界のこのような「お上頼み」の性癖は今日も根強く、金融革新が遅々として進まない原因になっている。危機から10年、この意識からもう脱皮しなければならない。
腕っぷし自慢の大リーガーをきりきり舞いさせたトルネード(竜巻)投法はもう見られないのか。多くの人がそんな感慨にひたったに違いない。
太平洋をはさんで日米の野球界を席巻した野茂英雄投手が、現役引退を表明した。
野茂投手が海を渡ったのは95年だった。胸元に食い込む速球と大きな落差のあるフォークボールで旋風を巻き起こし、並み居る米国の剛腕を抑えて球宴で先発した。13勝6敗で新人王、奪三振王のタイトルまでさらった。
日本ではこの年、阪神大震災に始まり、オウム真理教による地下鉄サリン事件やバブル経済の崩壊による金融機関の破綻(はたん)が相次いだ。
そんな中で、衛星放送で生中継された野茂投手の活躍は、人々の心をなごませ、励ました。「暗い世相に沈む日本人の心に唯一明るい灯を点じた」との理由で菊池寛賞を受賞したのもうなずける。
見逃せないのは、野茂投手の活躍が米国での日本人のイメージを大きく変えたことである。
野茂投手は「日本」を背負って米国へ向かったわけではない。むしろ、日本の伝統的な根性野球と管理主義に疑問を投げかけ、追われるように日本球界を去った。
マイナーリーガーの扱いで、何のつても持たず、徒手空拳での挑戦だった。味方チームの打撃が振るわず敗れても、寡黙で謙虚さを失わない。そうした姿勢が、一度見たら忘れられない独特の豪快なフォームと合わせて米国の人々の心を揺さぶった。
米国人からすれば、意外だったのではないか。80年代後半に金にあかせてニューヨークやハワイの不動産を買いあさり、集団的な行動を好む従来の日本人像とはまったく違ったからだ。
当時のクリントン大統領は「日本の最高の輸出品」と呼んだ。それだけ野茂投手の姿が鮮烈だったのだろう。
野茂投手は日米合わせて20年近いプロ生活で、計201勝を挙げた。引退は一つの時代の終わりだが、彼は記録以上のものを残した。
イチロー、松井秀喜、松坂大輔らスター選手が後に続いた。日本のプロ野球が空洞化したとの見方もあるが、大リーグが身近になって、中学生や高校生の野球人気は盛り返している。
米国からは選手だけでなく、監督も続々とやって来るようになった。そうした活発な人材交流も、野茂投手の開いた道があったからだろう。
野茂投手はこれまでに米国でマイナー球団に出資し、日本ではクラブチームをつくっている。自らを超える個性派を育て、大リーグに対抗できるような魅力あるリーグを日本に再構築する。そんな夢に向かって、さらに歩みを続けてもらいたい。