岡山市郊外に住む父は七十九歳、母は七十五歳になる。最近、九十八歳になる母方の祖母が一緒に暮らし始めた。認知症気味なので五十一歳の孫の私が分かっているようで分かっていない。
小学生のころ面倒を見てもらっていたため、名前は記憶にある感じだった。だが、別の孫と勘違いしているようでもある。自力で用をたすことはできず母が毎回付き添う。「自転車にも乗っとる。ゲートボールもしとるぞな」と昔のことを今のように言っていた。
世話することになったのには理由があった。祖母は、自分の娘である母の妹(65)夫婦と一緒に暮らしていたが、妹の夫が病気で倒れてしまったのだ。このため、父と母が預かることになった。
実は八十七歳になる父の姉も一緒に暮らしている。身の回りのことは自分でできる。認知症でもない。だが、リウマチがあるので体調が悪くなれば父母が車で診療所へ連れて行く。実家に高齢者四人。気づけば「老老介護」ではないかと驚く。
私は家族と倉敷市で暮らす。近くに住む妻の母(73)は五年前に夫を病気で亡くし、二年前には同居していた実父を百六歳で見送り一人暮らしだ。
実家の近所を見ても高齢者が高齢者を支えている。もっと厳しい介護の実態に直面している人も多い。転勤で県内を転々としてきたが、そろそろ帰らねばと考えている。古里に戻れるだけありがたいと思う。親や祖父母を支え、どうすればみんな生き生きと暮らせるのか。子育てが一段落した私の世代は考え、悩んでいるのではないか。
(地域活動部・赤田貞治)