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1万1000の生活保護所帯を抱える東京・足立区 |
『文藝春秋』2006年4月号で、ノンフィクション作家、佐野眞一氏の「ルポ 下層社会」を読んだ。副題には「改革に棄てられた家族を見よ」とあり、東京都足立区を舞台に、格差社会の現実が、浮き彫りにされている。
ここで言う「改革」とはもちろん、小泉純一郎首相が進めてきた構造改革のことだ。佐野氏はそれについて次のように書いている。
「戦後日本は富の分配、再分配に関して、総じて公平な社会がつづいてきた。そうしたケインズ型社会が、01年の小泉政権の誕生と構造改革路線以降、アメリカ流新自由主義を理想に掲げたハイエク社会に変わった。その小泉改革のしわ寄せを一身に受けているのが、格差社会が著しく進行し、その最底辺に叩き落とされつつある足立区だといえる」
足立区がなぜ、格差社会の下層に叩き落とされつつあると言えるのか。佐野氏はルポの中で、2006年1月3日の朝日新聞朝刊1面に掲載された記事を紹介する。
――公立の小中学校で文房具代や給食費、修学旅行費などの援助を受ける児童・生徒の数が04年度までの4年間に4割近くも増え、受給率が4割を超える自治体もあることが朝日新聞の調べで分かった――
受給率が42%にも上る自治体の一つが、足立区だったのだ。
佐野氏によれば、同区の生活保護所帯は1万1000所帯。これは、東京23区の生活保護所帯の1割以上、日本全体の約1%だという。家庭の生活苦は最終的に、子どもたちの学力低下に結びつく。東京都教育委員会が2005年1月に実施した学力テストで、「足立区の小中学校に通う児童生徒の成績は、いずれの教科でも東京都全体の平均点を下回り、都内23区中最低ラインだった」という。
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20年前から所得格差が学力格差に結びついていた事実 |
佐野氏のルポのように、格差社会の悲惨な現実を伝えるメディアが2006年に入った頃から目立ちはじめた。現在では、新聞やテレビで「格差社会」という言葉に毎日のように出合う。
しかし東京大学大学院教育学研究科教授の苅谷剛彦氏は、格差社会の記事がメディアを賑わすずっと以前から、家庭の所得格差などがもたらす不平等の再生産に警鐘を鳴らしていた。苅谷氏が1995年に出版した『大衆教育社会のゆくえ』(中公新書)によれば、「東大など有力大学への入学チャンスといったところでは、戦後一貫して特定の階層出身者に有利な構造が維持されてきた」という。家庭の所得とそれに伴う学力格差は、小泉改革のずっと以前から存在していたというわけだ。
苅谷氏の著書には、東大入学者の保護者の職業構成を、「東京大学生活実態調査」に基づき、20年にわたって調べたデータが紹介されている。これによると、保護者の職業は1970年代から90年代まで、医師、弁護士、大学教授などの専門職や、大企業・官公庁の管理職、および中小企業の経営者などの「上層ノンマニュアル」が約7割を占めている。
東大入学を有利にしているのは、「上層ノンマニュアル」の財力だけではない。先の調査で示した20年間に、公立高校から東大へ入学する者の割合は70%から50%に減少した。一方、私立高校の出身者は30%から50%へと増加した。つまり、東大入学者の出身校が教育費の安い公立から高い私立へと移行しても、保護者の職業構成は全く変わっていないのだ。これは、財力以上の文化力、すなわち、眼に見えない「階層」が、そこに存在していたことを示している。
苅谷氏によれば、「家庭の所得が高いほど、また親の学歴が高いほど、子どもの成績がいい」という事実は、学者の間では一種の「常識」だったという。しかし、そうした事実は、高度成長が始まる直前の1950年代後半から90年代後半まで、まるで存在しないかのように無視され続けてきた。苅谷氏がその背景にあったと指摘するのは、教育における一種の「平等神話」である。「試験」による選抜は常に平等で、その関門をくぐりさえすれば人は生まれ変われる。多くの人は、その神話を信じていた。だからこそ、必死で子どもに勉強をさせて、「いい大学に入り、いい会社に就職しようね」と尻を叩いた。
小泉首相が登場した2001年頃を境に、その平等神話は崩れ、家庭の所得格差が学力格差に結びついている事実も露わになってきた。メディアもその頃から、「日本は今まで平等社会だった」ということを前提に「格差」を伝えはじめたが、じつはずっと以前からこの国は平等社会などではなかったのだ。
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バブル期に拡大していった所得分配の不平等 |
経済学の分野で、いち早く日本社会の「格差拡大」を指摘したのは、京都大学大学院経済学研究科教授の橘木俊詔氏である。橘木氏は1998年の著著『日本の経済格差』(岩波新書)の第一章冒頭で、執筆の動機を次のように書いている。
「わが国は平等社会であるとされ、それを誇りにしてきた。(中略)欧米諸国と比較して所得分配は平等性が高いし、貧富の格差はさほどないと信じられてきた。しかも多くの日本人が、自分は中流階級にいると感じることができている。本書の一つの目的は、その神話が崩れつつあることと、分野によっては平等の事実までが既に崩れてしまったことを、広い視野に基づきながらまず経済的に明らかにすることである」
ここでも、「平等」は「神話」とされ、絶対的な事実だとは書かれていない。重要なのは、事実よりも、むしろ、神話のほうなのだ。
経済学的に格差を論じようとする場合、一般的に「ジニ係数」が用いられる。ジニ係数とは、所得分配の不平等度を示す指標で、0から1の間で示される。0に近いほど平等度が高く、1に近いほど不平等度が高い。
橘木氏は総務庁の家計調査を基にしてジニ係数をはじき出し、次のような事実を明らかにしている。
「1960年代の高度成長期の時期に(ジニ係数は急速に下がり:筆者注=以下同)、所得分配が相当平等化した。1973年〜95年のオイル・ショック時にやや不平等化するがすぐに持ち直した後、ほぼ10年くらい(ジニ係数は)安定した動きをしていた。ところが1980年代後期のバブル期になって(ジニ係数は再び上昇し)不平等化に向かうのである」
バブル期になぜ、不平等化が進んだのか。原因は、土地や建物など不動産の価値が上昇したことにある。資産を「持つ者」と「持たない者」の格差は、この時期に急速に拡大した。現在、多くの人が感じる格差の根っこも、実はここにある。
バブル崩壊によって、土地保有による資産格差は縮小した。しかし、バブル期に得をした人とそうでない人との格差は、その後も、金融資産保有額の差などに変わって持ち越される。さらに、バブル崩壊で資産価値が目減りしたとしても、少子化で一人あたりの相続額は大きくなる。賃金所得の伸びがかつてほど期待できないとすれば、親から資産を譲り受けることができる人とできない人の差は、個人が得られる生涯所得に、大きな影響を及ぼすことにもなる。
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高収入の女性は高収入の男性と結婚し働き続ける |
ただし、単にジニ係数を見るだけでは、格差を論じるには不十分だとも言える。その基になったデータは何で、どのように集計されているのか、という問題があるし、それが所得からはじいたデータなのか、消費からはじいたデータなのか、という問題もある。さらに、所得データだとして、それが賃金を示すのか、不動産や株などの資産所得を示すのか。また、格差を個人単位で見るべきか、世帯単位で見るべきかなど、考慮しなければならない問題はいくつもある。
だから論じられている「格差」の中には、「見せかけの格差」もあるのだが、そのことを指摘したのは、大阪大学社会経済研究所教授の大竹文雄氏である。2005年に『日本の不平等』(日本経済新聞社)を上梓、注目を浴びた。
格差を論じようとして大竹氏がぶつかった最大の壁は、「経済全体での所得不平等度には、はっきりとした上昇トレンドがあるのに、学歴間賃金格差や年齢間賃金格差、年齢内賃金・所得格差、規模間賃金格差などを分析すると、必ずしも長期的な上昇トレンドが観察されない」という事実だった。そして、その謎を解くために大竹氏が注目した切り口は「高齢化」だった。
一般的に、同年代の間の所得格差は、高齢になればなるほど大きくなる。年功賃金のもとでは、新入社員の時の年収は変わらなくても、年齢を経るごとに、出世できる人、できない人に選別されていく。さらに、そうした所得格差は定年後も退職金や年金となって跳ね返る。そのため、所得格差の大きい高齢者層の比率が高まれば高まるほど、全体の所得格差も広がっていく。これが、長期的トレンドで見た格差拡大の理由だった。
また、世帯規模の縮小も、格差を大きく見せる原因の一つになっていた。年収300万円の親と年収1000万円の子、年収500万円の孫の3世帯が同居していたと仮定する。みながこのような世帯なら、世帯所得は一律1800万円で、格差は生じない。しかし、その家族が何らかの理由でバラバラに暮らすようになれば、低所得の老人世帯と若年単身世帯、そして年収1000万円クラスの高所得世帯が誕生する。所得は二極化し、格差はあたかも拡大したかのように見える。
大竹氏は、こうした「見せかけの格差」をあぶりだした。さらに、労働供給の理論で有名な「ダグラス=有沢の法則」に関する指摘も行っている。
ダグラス=有沢の法則とは、1930年代にアメリカのダグラス氏が実証分析から導き出した経験則で、その後、有沢広巳氏がその法則が日本にも当てはまることを実証したことからその名が付いた。この法則によると、一般に所得が低い男性の妻ほど、有業率が高い。言い換えれば、お金持ち男性の妻ほど専業主婦が多いということになる。
日本に関して言えば、1980年代は明確にこの法則が成り立っていた。しかし、90年代に入ると、その関係が薄くなり、97年においては、夫の所得と妻の有業率との間に負の相関関係は見いだせなくなっている。
それだけではない。大竹氏が総務省の就業構造基本調査を基に分析したところ、最近ではむしろ、夫の収入が高いほど、妻の収入も高くなる傾向が強まっている。高学歴・高収入の女性は高学歴・高収入の男性と出会い、結婚し、働き続ける。結果、個人単位で見るよりも、世帯単位で見るほうが、所得格差は広がって見えることになるという。
一度落ちたら二度と這い上がれない社会になっていくのか |
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はたして、人々が感じるほど格差は拡大しているのか。結論を言えば、分野によっては確かに格差が広がっているとも言えるし、そうではないとも言える。いずれにせよ、問題は「今そこにある格差」ではない。いったん、格差がつたら最後、それは二度と埋められず、むしろ拡大する一方なのではないかという将来に対する不安感。それこそが、この国が抱える格差問題の本質だ。
ジャーナリストの斎藤貴男氏は、作家の林信吾氏との対談をまとめた『ニッポン不公正社会』(平凡社新書、2006年)で、こんなことを語っている。
「社会ダーウィニズムは、自由競争だとか市場原理だとかいって、努力するやつが勝ち組で、しないやつが負け組なんだという見せ方をする。だけど、スタートラインが同じならその理屈は成り立つけど、スタートラインはみんな違うじゃない? 有利な人と不利な人がいるよね。その間の調整がなされたうえで競争だというなら一応筋は通るけど、調整なんかしない。今の構造改革もそうだけど、貧しければ貧しいほど税金取られる仕組みにする。もともと有利なのがさらに有利になる。それでヨーイドンで勝ち組、負け組とやったって、こんなものは八百長でしかないわけです」
斎藤氏の指摘は、橘木氏ら一部の経済学者とも一致する。最近の税制改革は、格差をむしろ助長する方向に動いている。2003年の税制改正では、相続税・贈与税の最高税率が70%から50%へ引き下げられ、税率を刻む段階も以前より幅が広くなった。所得税・住民税の最高税率も、1986年には88%だったものが、2005年には50%に引き下げられている。「その結果、租税による不平等度の改善効果は、1986年には4.2%あったが、2001年には0.8%まで低下している」(大竹文雄『経済学的思考のセンス』中公新書)。
小泉首相も竹中平蔵大臣も、不況を脱し、経済のグローバル化を乗り切るためにはまず「富める者」をつくり、その後に、彼らが稼いだ金で「貧しい人々」を助けるしかないのだと言い続けてきた。だからこそ、改革には「痛み」が伴うし、自助努力も必要になる。レーガン政権時代のアメリカも、サッチャー時代のイギリスも、そうして不況から立ち直ったというのが、彼らの主張の根拠になっている。
ただし、忘れてはいけないことがある。アメリカがどんなに格差社会であっても、アメリカ人の多くは、自分たちの社会を「自由」と「公平性」を重んじた社会だと主張するはずだ。かつて、「平等社会」が神話であっても機能していたのと同じように、社会の安定に必要なのは、理想という名の幻想であり、その信憑性である。
日本の未来が、一度落ちたら二度と這い上がれない「格差社会」になるのか、それとも、努力した者が努力した分だけ報われる「格差社会」になるのか。それは、この国に真の理想が存在するかどうかにかかっている。
私たちは今、政治家たちの言葉に、信じるに足る理想を感じることができるだろうか。
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大竹文雄『日本の不平等』
(日本経済新聞社)
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苅谷剛彦
『大衆教育社会のゆくえ』
(中公新書)
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『文藝春秋』2006年4月号
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橘木俊詔
『日本の経済格差』
(岩波新書)
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斎藤貴男・林信吾
『ニッポン不公正社会』
(平凡社新書)
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