海外で働きたいとの希望を持っていた彼は、高校卒業時から海外生活を選び、カナダのヨーク大学に入学した。卒業するとそのまま現地のアメックスに入社する。そこには、「日本人だから」 という甘えはなかった。就職を希望する地元のカナダ人たちと同じ土俵に立ち、その中から選ばれたのだ。 100%英語の世界で彼は2年間働く。そしてある日、日本の企業に入り直す決意をした。福利厚生を考えた場合、日本の会社に入って海外に出たほうが、すべての面で有利だろうと考えたのだ。 それで選んだのが日系のホテル・チェーン、パン・パシフィック。もともと人間が好きで、ホテル経営にも興味を持っていた彼は、この国際ホテル・グループに迷わず入社した。 「将来はホテルの開発部門を手がけたいんです。企画・立案・建設・運営のすべてをプランニングしてみたい。そのための勉強がしたかった」 入社すると彼はすぐにバンコクへ送り込まれた。そこには建設中の支店があり、オープニング・スタッフの一員として現地社員の教育段階から開業に携わる。ホテルは予定通りオープンし、今では常時95%以上の稼働率を誇るほどの人気。しかも、その半数以上が日本人客というから、日本マーケットを担当する彼のハードな仕事ぶりがうかがえる。 「ビジネスでは数字がすべてなんです。いくら性格がよくても、成績を上げられない人は会社に必要ありません。この厳しさが日本人には足りない」 バンコクに赴任してきて驚いたのが、厳しさの足りない日本人の多さだったという。熱帯の気候とルーズなタイ社会に甘えて、まともに仕事しない人間ばかりが目立つのだ。職場で日本人アシスタントを募集したとき、彼はその現実を痛感した。 「仕事に対する熱意が全然伝わってこないんです。ただタイでのんびり暮らしたいから職を探しているような人たちばかりで、面接してもなんの印象も残らない。時間の無駄でした」 結局、30人以上を面接したが誰も残らず、やむなくタイ人女性を雇ったが、彼女は期待以上の働きをみせ、業績を押し上げた。 「日本で使いものにならない人は、海外でも使えない。『日本人だから仕事をくれ』 なんていう考え方は甘いし、なによりタイ人をバカにしてますよ。彼らはあなたたちより仕事ができる、だから働いてもらってるんです」 環境が変わろうとも仕事の内容はどこでも同じ。海外だから甘くなるという話はないのである。 |
MOTONORI SAKUMA 1964年、東京都世田谷区生まれ。 |
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