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2008年07月05日

主観と客観について

テーマ:考えてみました

申し訳ないのですがはじめに私信を書かせて頂きます。

先月メッセンジャーで登録して頂いた方へです。

できる限り21時台にログインしていましたが

お会いできませんでした。

毎日とはいきませんでしたのですれ違っているのだと思います。

もしこちらをご覧になり、曜日などご希望がございましたら、

コメント欄に匿名でかまいませんので書きこんで頂けると

大変ありがたいです。よろしくお願いいたします。

(アメーバのメールが使用可能でしたらそちらでも構いません)


では本編にまいります。

-------------------------------------------


前回のコメント欄で、「主観と客観」について

いろいろ話されました。

この事はこの間歴史と日本人―明日へのとびら― さんで

書かれた記事、嗜好と尺度 にありました


大事なのは主観を磨くことである。(略)
物事を正確に判断することなど、不完全な人間にはどうせ出来やしない。


というのを読んで考えていた項目でもありましたので

今回こちらでも考えてみようと思います。


例えば、政治をどう行ったらよいかというときに

主観だけで行ってはすべての国民のためにはなりません。

しかし、客観だけで物事が見れる人間はなかなかいません。

客観的と思っていても主観が常に中にあります。


世論、客観とは主観の集まり、無数の主観の中の多数派(が世論)


農民さん が前回のコメントで書かれています。

本当にその通りと思います。


選挙で誰に投票するかを選ぶ時、

自分の考えに合わない人に投票する人はいません。

みな主観で選ぶと言う事です。


例えば、私は以前、共産党の候補者に投票した事があります。

政治の事をほとんど知らなかった頃です。

知らなくても興味無くても選挙には毎回必ず行っていました。

選挙公報をじっくり読んで、教育、医療の問題を

重点的にとりくんでくれそうだと思っての選択でした。


今は皇室制度(日本の核の部分)を大切にするかしないかで

選んでいるので、共産党に投票する事は無いですが、

私の主観が変わったと言う事で、選び方は同じとなります。

自分の価値が基準です。


私の親せきに、労働組合での活動や生協の立ち上げを

熱心にやっていたおじさんがいます。

共産党支持でした。

おじさんが会社でも重要な地位になってきた頃に退社し、

友人と一緒に企業しました。


従業員を雇い、会社を経営していくのはとても大変だったようで、

何度も危機に遭いながらなんとか持ちこたえ

取引先を確保していったそうです。

今では身を引き、ボランティアなどしています。

共産主義一色だったおじさんが、経営側に回ってからは

そういう話を一切しなくなったそうです。


私や私のおじさんがぶれている人間と言われてしまったら

それまでなのですが・・・(^^;;


自分自身、私情で意見を変えることはよくないけれど

そうなってしまうということに悩んでもいました。そんな時に

左翼というのはプライドたりえるのだろうか さんの

テロと戦うということ という記事を読ませて頂いて

これでいいんだ、と思うことが出来ました。

引用させて頂きます。


今の所、僕はテロとの戦いに賛成でも反対でもない。

別に自分の命がテロリストの命より大切だなんて思っていないし、

テロとの戦いが正義なんて言ってるハゲどもにはあきれているし。

でも、カミさんもらって、子供ができたら、テロとの戦いに大賛成すると思う。

まだ分かんないけど、たぶん、カミさんもらって子供できたら、どんなことがあってもカミさんと子供を守りたいと思うと思う。

テロリストの正義なんかより、アメリカの傲慢さに対する反抗心なんかより、ずっとカミさんと子供の方が大事だね。

例え全世界を敵に回そうが、人殺ししようが、自らのプライドを全て捨てようが、何がどうあろうとカミさんと子供を守りたいと思う。

絶対に。

それが全世界を敵に回さなくても、人殺ししなくてもいいのだから、僕は絶対にそっちを選ぶね。

ただ、「テロとの戦いは正義との戦いです」なんていう偽善者になるだけでいいのだから。

嫁さんと子供のためなら偽善者になることくらい屁でもない。

偽善者になることを拒否して嫁さんがテロで死んでしまうよりずっとましだ。


最後の結論に、


そうだ。大人は偽善者だ。

それを承知で偽善者になるもののみ、大人になれる。

おとぎ話を作り話だと知りつつ信じるもののみ、社会人になれる。

偽善者になることを拒否して子供のままでいたいのなら、ずっとそうしてろ。


とあります。

私はずっと何事も公平にできるのがいいと思って

そういう人間になるのを目指していましたが、

心のどこかで無理とは思っていました。

それを綺麗事抜きで語ってくれたと思った記事でした。


私は娘2人の為に生きる存在です。

だからといって、なんでも娘の得になるようにする

というわけではありません。

相手の心を思いやるきもちは誰でもありますよね。

けれど全てを選ぶ事はできませんから

どちらかとなった時に何が基準になるかと言えば

こういうことになる、というお話です。


娘が生まれていないときは、

宮沢賢治さんのグスコーブドリの最後のお仕事のような

役目になってもいい、なんて真面目に思っていましたが

今はそういうわけには行かないです。

これも主観によって考えが変わったという事です。


それから、農民さんが前にすすめて下さった小説にも

こんな言葉がありました。


「せやから個人の主義主張なんか、あんまり意味がない。

自分の立っている地面がどういう色をしてるかによって、

その人間の色も決められてしまう」


これは主観どころか立場が優先されるという事です。

ますます客観的に判断するという事から離れますが

それも真実だと思います。


この矛盾というか、不公平な自分というものを

念頭に置きながら、


己の人間を極める作業から、学問は始まる。

それが己の嗜好と尺度を磨くことになる

歴史と日本人 さん)


を目指していったらいいのかもしれません。


なんかいろいろと私には難しいショック!あせるのですが、

自己弁護含む結論となりました。


いろんな立場のブログを読むことも

違う意見を聞き話し合う事も

尺度を磨くことになってるといいなと思います。





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コメント

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■娘さんは親の遺伝子を半分受け継いでいますから・・・

きょーちゃんが
娘さんを愛しているのは「自分の遺伝子を持っているから」です。
きょ-ちゃんの方が先に死んでしまうので・その先の人生を娘さんに託しているのです。
結局・きょーちゃんは娘さんを愛しているようで自分自身を愛しているのです。
 
群れを作る猿は
猛獣が近づくとわが身の危険を忘れて群れに危険を知らせます。
(音を立てれば猛獣に見つかる!)
これも群れが遺伝子の共有によって成り立っているからであって、自分が殺されても親戚猿が生き残れば「自分の遺伝子が生き続けることになる」からです。
これがナショナリズムの起源でしょう。

■家族愛の数学

長女の遺伝子(0.5)+次女の遺伝子(0.5)=きょーちゃんの遺伝子(1)
という計算ですね。

■無題

チベット国旗をはずしたいい口実が見つかったねw

■無題

田んぼの水周りの見回りで夜中におきだしたpipiですこんばんは^^

ま、子どもも持たない馬鹿が子の愛情を説くなぞ
嘲笑にしかなりません、気になさらずに
愚者は弁舌を好み、賢者は聴聞を好む、日々之勉学

愛情の何たるかなど、人それぞれです。
おしきせ、押し付け、なぞ気になさらず御自由な立場でどうぞ
^^
それでこその法治国家です。

■無題

先ほどのコメントあまりにも馴れ馴れしい書き込みでしたね
不躾な文章を載せてしまいたね

調子に乗るとこれだから私は駄目ですね
駄文失礼しました<(_"_)>

■無題

きょーちゃん、失礼します。

>「チベット国旗をはずしたいい口実が見つかったねw」
と発言されたけんぶつさん

あなたは今、美しい人間ですか?
それとも醜い人間でしょうか?

■こんばんは

けんぶつさんへ 

失礼ながら険のある言い方をしているようですが、
自分にはけんぶつさんの真意がはかりかねます。
他の方もその意味ありげな言葉だけでは理解しかねているかと思います。
差し支えなければ詳しく教えていただけないでしょうか?
よろしくお願いします。

■柳生昴さんへ

>長女の遺伝子(0.5)+次女の遺伝子(0.5)=きょーちゃんの遺伝子(1)
>という計算ですね。

さ、さすがにそれは強引すぎますw
きょーちゃん娘(姉)が引き継がなかった情報をすべて娘(妹)が引き継ぐとは限らないのですから。
子供を産めば産むほど限りなく1には近づくとは思いますが・・・・きょーちゃん、がんばってください。

■無題

御厨さん
きょーちゃんの遺伝子(0.5)+旦那さんの遺伝子(0.5)=娘さんの遺伝子(0.5+0.5=1)
となるのですから
必ず受け継いでいます。
性格が出ないとしたら「遺伝子がOFF」になっているからで・隔世遺伝では出てきます。

■まぁ、屁理屈だと思って聞いてください。

自分の考えはこうです。

卵子には母親のDNA情報の半分だけが入ってます。
父親のDNA半分と結びついて子供(A)ができます。
次に生まれる子供(B)となる卵子のDNAも母親のDNAの半分だけ入っている。
もしこの妹に受け継がれる情報と姉が引き継いだ情報が全く重ならなければ
A+B=母親のDNA情報となります。

しかし母親のDNAのどの半分が卵子に入るかなんて確率で決まるはずでしょう。
Aの卵子に入らなかったDNAの残りすべてがBの卵子に入る確率はかなり低いと思います。
人為的にカッターか何かで切って二つに分けない限り無理でしょう。
もし生成される卵子がAかBの2タイプしかないのならの別ですが・・・。
この場合3人目Cが生まれる場合・・・A、Bの2パターンしかないことに?

>長女の遺伝子(0.5)+次女の遺伝子(0.5)=きょーちゃんの遺伝子(1)

総量で見るなら確かに1ですけど、
その中身を考えるとその限りではないです。
DNA情報は確率的に重なる。

自分は遺伝子=DNAと認識して書いてたので、以上のようになりました。
厳密には遺伝子=DNAではありませんでしたね。
それで会話が噛み合わなかったのでしょう。

それでは失礼します。

きょーちゃん、レス違いですいません。

■自分がセンターだと考えられるかどうかで良いのでは?

 結局どんな人でも自らの環境と立場から離れて物を考えることは出来ず、主管によってしか考えられない物だと私も思っています。
 最終的には、「自分がセンターだと思うことが出来るかどうか?」ということで、ある時期から皆がどう考えているかが気にならなくなりました。

 客観視をしようと努力するよりも、様々な意見に触れ勉強もして、字便の主管を磨くこと名も考えればよいと思うのですが...。

■「特徴がある遺伝があると」似ていることにしてしまう

御厨さん
私は集団遺伝学で名高いJ・B・S・ホールデンの
「2人の兄弟か?8人の従兄弟のためなら、私はいつでも命を投げ出す用意がある」
(血縁が近いほど我々は利他的行動が取れる)
という言葉から引用しました。
 
あなたの言うことも間違いではありませんが
「人間の行動は遺伝によって決まるのか?環境か?」
という論争は学会でも決着がいまだについていません。
X染色体も対等ではなく
「ターナー症候群」も母親由来の方が症状が重いのです。
私の場合も
下の弟と”父”は足が速く(リレーの選手)
私と上の弟と”母”は脚が遅い(ビリか?後ろから2番目)
のです。
その代わり私は
「他人のケンカの仲裁に入るほどお節介な性格」が「実家のお祖父さんに良く似ている」と母に笑われていました。
弟2人は無口ですが・・・
 
結局・きょーちゃんも
浮気をしていない限り(失礼しました・・・(^o^;)
娘さんは「きょーちゃん(と旦那さん)の遺伝子(DNA)を受け継いでいる」ことは100%間違いが無い のです。
(2人以外の遺伝子は入っていない。2人の直系の子孫)
だから2人の娘さんを愛するのです。

■突然変異しようが何しようが・子は親から遺伝子を受け継ぐ

「先祖伝来の宝物」は
カビが生えようが・色があせようが
”ご先祖さまから受け継いでいる”
ことには変わりが無い のです。

■コメントありがとうございます

>柳生昴さん
私が子供に比較的甘いのも、自分に甘いからなのかもしれないですね。
遺伝子の事はなんとなくしかわからないのですが、上の娘を出産した時に思ったのは「これで自分の人生の一番の役目を果たせた、自分がいなくなった後も、この命が未来へ繋がっている」という事でした。ですから、やはり自分を守るため、基準が子供になるのかもしれないですね。
ずっと前、柳生さんのブログで子殺しの母親について書かれていたのを興味深く読ませて頂きましたが、浮気をしていない親が子供を殺してしまうのはなぜかな、と今疑問に思ってきました。
いろいろなお話ありがとうございます。

>けんぶつさん
そう受け取られましたのは残念に思いますが仕方ないと思っています。
けれどもわざわざ嫌味(と私は感じました)を書き込まれるのはなぜなのでしょうか。
他の方も不快に思われますので、ご遠慮頂きたく思います。
私への批判はできましたら直接お願いします。
アメーバに登録して私宛に批判メールを送ってこられる方も実際にいらっしゃいますから、お手数ですがそちらかメッセンジャーでお願い致します。

>pipiさん
田んぼが豊作になることを願っています。雨が少なく、水不足が少し心配ですが大丈夫でしょうか。
他の方のご批判、馬鹿、などのお言葉はご遠慮くださいませ。
pipiさんは調子に乗るのでは無くて、すごく真面目に考えてしまう方なのだと思いますよ。

>織原さん
私なども美しい行動をとれるよう頑張りたいですがなかなか難しく、誤解を受けてしまうように思っています。

>御厨さん
子供が多いほど、ひとりに対して注げる愛情が減ってしまうような気がします。ですから、私が十分に手がかけられるのが2人ということで、これ以上は難しいです。(笑)

>山本大成さん
結局自分の主観を中心に動いているのに、まわりの事も考えているかどうかを気にしてしまい、悩んだりの繰り返しです。
まずは自分が良い人間に近づくよう努力することが大事なんですね。

■動物のメスには発情期があるが人間の女性には無い理由

きょーちゃん
「秋田児童連続殺人事件」のことでしょうか?
鈴香被告に限らず・あらゆる生物は「自分の子孫を最大限作ろうとする」のです。
だから母親であっても新たな出産にジャマとなるのならば自分の子供にでも殺意が芽生えます。
なぜなら
自分自身は「血縁度(血の濃さ)は1」ですが
自分の子供でも「血縁度は1/2(50%)」に過ぎないからです。
これは巣立つときの親鳥などにも見られますよ。
(虐めて追い出す!)
 
ライオンなどの子殺しは
群れのリーダー(のオス)が交代したときに起きます。
人間以外は「授乳しているメスは発情しない」ので新リーダーは旧リーダーの授乳中の子どもを殺して自分の子どもをメスに産ませるのです。
この場合は血縁関係が無い子殺しです。
これは日本人の杉山幸丸が発見しました。
155種類の霊長類で20種類で子殺しが確認されていますから”全部が全部”ではないのです。
だから
人間の女性に「発情期が無くなった」(1年中セックス出来る)のは
「子殺しを防ぐため」
と言われています。
女性(メス)にとっては
旧リーダーの子どもにせよ・新リーダーの子どもにせよ
どちらも大事な自分の子どもだからです。

■無題

しかたないんですよね。さすがに、ロケットはよくてテロは嫌いなあなたは日本民族を捨てる可能性大と認定いたしました。私はテロも辞さない人間以外は信用いたしません。

チベット青年会万歳!!

■無題

私は日本人でテロを肯定する者は似非だと思ってます。
あれは、どうしようもない弱者の魂の叫びですよ

日本人で有る時点で、その資格はありえません
甘え以外の何物でもないこの国のかたちの成り立ちをもう少し学ばれてはいかがでしょうか?

■無題

嗚呼すいません、言葉が通じなかったですね
議論になりませんでした、では失礼<(_"_)>

■簡単に言える言葉ではない

テロ肯定の意見をお持ちになることも大変結構なことですが、本当にテロをする気があるならばこのようなだれの目にも触れる場所で「自分はテロをする気がある」とは言わないものです。テロの対象や警察に警戒されてしまうからですね。成功の確率が下がります。本当のテロリストは計画を常に心の底に秘めているものです。
そうでなく簡単にテロを広言する人間はただハッタリかましているだけです。
口先だけ大言壮語しても、薄っぺらな根性は隠せませんね。
あと、おせっかいをもうしあげれば、ブログを続ける忍耐力もない方がテロの計画を立案実行できるかは疑問です。そこから始められては如何。

■無題

テロでも何でも、犯罪や他人の死を巻き込み私を守ってくれる、親や旦那はイヤかな。
他人を犠牲にしてまでと、激しく責めたてると思いました。
でも、小さい事では私を守って欲しいと思うし、そうだと嬉しい。
そのラインはきっちり引きたいし、絶対ブレたくないライン。

ブレの無い思想は怖い。
自分の意見が変わったら、その団体に疑問を感じたら、即撤退できる勇気は大事です。
疑問に思いながら初志貫徹してしまう人って、怖いです。
思想というより意地ですから。

■無題

>柳生昴氏
>母親であっても新たな出産にジャマとなるのならば自分の子供にでも殺意が芽生えます。

人間を動物と同列に考えるのはどうかと。
世の中には養子でも実子同様にに愛情を注ぐ方もいるということをお忘れなく。

■ブレることは悪いことでもないのでは?

きょーちゃん、こんにちは。
とても考えさせられるエントリですね。
主観は移ろいやすく不安定なもの、時として強い自己嫌悪に陥るほどに「ブレ」ます。
客観も農民さんのおっしゃるように多数の主観の集まりに過ぎないのであれば、また然り。
ならば主観に固執せず客観に迎合せず、日々自らの考えを改め続けられる柔軟で強い頭と心を持ち続けたいと思いました。

■無題

自己都合に合わせてぶれることを正当化する。
左翼のテロはいいけど、左翼に反対するテロはマイホーム主義で否定する。そんな左翼の誘導に乗っかっていく。主観といいつつ実は自己弁護。日々これよき日かな。
>宣言せずにテロ???
それって誰に向かって言っているの?意味不明です。
>ブログ続けろ
忠告うけたまわりました。屁とも思わないよ。学生はご飯を最低4人に食わせてから物を言え、これがおかえしねw

■コメントありがとうございます

>柳生昴さん
生き物はそういう不思議な仕組みになっているのですね。自分の子供を殺したオスの子を産むなんて人間としては理解できませんが、ライオンはこわいですね。
「授乳しているメスは発情しない」は人間もそうだと思います。私はそうでしたし他の方も多いです。それで、だんなさんが不機嫌になり子供に奥さんをとられたと言って子供を可愛がらなかったりします。
人間も複雑ですね。

>けんぶつさん
私は日本民族を捨てるとか、左翼のテロはいいとかは思っていないです。
主観や自己弁護で動く自分に悩んで考えていたというのを今回書きました。
耕さんへのご返信と思いますが、
>学生はご飯を最低4人に食わせてから物を言え

こういう事はおっしゃらない方がいいと思うのです。
私も高校生大学生の頃、大人からそう言われてすごく嫌だった事がありますが、勉強に専念する時期にどうやって稼げというのでしょうか。不可能な事を言われてもどうしようも無いのです。
(就職してからは、一家の収入になるくらいちゃんと稼ぎました。)
私自身がその言葉に悔しい思いをした事がありましたので書かせて頂きました。
それからブログですが、長らく更新されていませんでしたので、アメブロは表示の数に制限があるため、いったん外させて頂いてしまったのがとても申し訳なく思っています。

>pipiさん
テロよりも、選挙や、良い議員さんを応援する事で日本を良くしていく方法を私も選びます。

>耕さん
本当のテロリストは計画を常に心の底に秘めているもの、と同じですが、私がもしスパイとかどこかの組織を撹乱するような目的があれば、これだけネット上でのお付き合いを公言する事はないです。それなのにそう見る方がいらっしゃるのは不思議なのです。そういう目的があれば、ネットに書き込むことすら、警戒し、もっと上手く立ち回らなければならないですね。

■コメントありがとうございます2


>わたりさん
私も他人を蹴落とす形で守られるのは嫌ですね。そこまでして自分の範囲を優遇するから回りとぶつかります。相手のことももちろん考えつつ、自分の主軸を基本に行きたいです。

>自分の意見が変わったら、その団体に疑問を感じたら、即撤退できる勇気は大事です。
>思想というより意地

もやもやしていた思いがすっきりしました。
お言葉ありがとうございます。

>なたさん
実子でも赤ちゃんポストへ置く人もいれば、養子を大切にする人もいますね。どういう大人に育ったかで、こういう優しい気持ちが変わってきますね。

>ROM太郎さん
いろいろな考えを聞き、自分に取り入れてみて消化して出てきた結論をさらに良く考え・・・の繰り返しです。そういうことも子供へ話していきたいななんて思っています。

■アルカイダは予告・警告してテロを行う!

「客観とは主観の集まり、無数の主観の中の多数派」
↑これは大きな間違いです。
四角柱の切り方によって
正方形・長方形・ひし形・台形
などが出来ますが
これは”構造”であって”多数派”ではありません。
「(四角柱を切った形ということは)全部に共通」していますから。
(共通なのであって多数派ではない)
 
またアルカイダは
「テロを行う!」とずっと前から宣言していますし・実際にテロを行ってもいます。
山口二矢も1年ほど愛国党で政治活動を行っています。
血盟団に至っては
一人一殺を決意してから10年以上経ってから実行しています。
およそ
理論も無しにテロなど出来ませんよ!

■いつの間にか

テロを肯定すべきか否かの論争になっていますね。
過激な人がテロに走るのは世の常かもしれませんね、幕末の池田屋事件を思い出します。
テロに求めずとも、流れは変わるものです。

■無題

米欄のテロの表記の意味が各人でかなり差があるようですね
テロの是非を争点にするならそこから歩み寄らないと、そもそも議論として成り立たないかな?
どちらにしろブログ記事とずれた話なのでこれ以上テロの話題で広げても意味無いと思うなぁ
もともと、意思疎通そのものが適当に行なわれているのか怪しいし。

■テロで世界は動く!

第一次世界大戦は
オーストリア皇太子夫妻・暗殺という
”テロ”から始まりましたよ。
9・11同時多発テロも
イラク戦争を支持するか?支持しないか?
にかかわらず・それによって現実に世界は動いていますね。

■無題

おかえしとか言ってますが反論になっていないのが笑えますね。
ご飯を四人に食わすことと意見を述べることには何の因果関係もないです。よしんば因果関係があったとしても、学生に限定される意味がわかりませんし、学生のほとんどは当たり前ながら家族を養っていません。学生に限定していないとも読めます。しかしそうなると小泉さん(離婚)も安倍さん(子供いない)もダメということになり、珍説奇説の類となるでしょうね。
いずれにしても言い返したつもりが己の馬鹿さ加減を露呈することになって滑稽ですね。座布団一枚進呈したいくらいです。

■無題

>柳生さん

つまり戦争がしたいのですか?
戦争が好きで好きでたまらない、柳生さんはそういう反人類的人間なんですね?

わかりました。

■武士道とは死ぬことと見付けたり!

戦争?
そんなことは言っていないでしょう?
私は「皇室を守るためにはいつでも死ぬ覚悟がある」
「皇室の廃止を企む者とは徹底的に闘う!」
ついでに
「名誉と富もほしい」
(これも葉隠にちゃんと書いてあります)
ただそれだけですよ。

■無題

なら今すぐ皇室反対者の居所調べてハラキリでも何でもしてくれ
死ぬ覚悟が合ると簡単に書き込む物じゃないよ
では聞くが
毎日死を覚悟して生きているのなら何故其処まで粘着質なんかね?
市制の中で常に死を覚悟して生きておられる方はそんな生き方はしないよ
貴方のは言ってるだけで覚悟なぞしてないんじゃ無いのか?
いつ死に際して考えているのなら、自己の遺産や残す者の事を考えてるだろう。
どんな対策対応をしているのか、いますぐ、応えて見なさい、出来もしないこと言うもんじゃないよ。
柳生先生、貴方は人の死を軽んじすぎている。
その言葉は看過出来ないね、撤回しなさい。

■柳生様に質問です。

はじめまして。横レス失礼します。

柳生様に質問よろしいでしょうか?


>「客観とは主観の集まり、無数の主観の中の多数派」
>↑これは大きな間違いです。


「客観とは主観の集まり、無数の主観の中の多数派」

の中には2つのロジック
1.客観とは主観の集まりである
2.無数の主観の中の多数派が客観である

があると思うのですが、柳生様のご指摘は上記2つのどちらを否定、またはどちらも否定しているのでしょうか?

私見を述べさせていただきますと、

「四角柱を切った形」が切り方でそれぞれ違ってみえる、という御説明からは、2.を否定しているだけのように思われます。

四角柱のたとえを使わせていただければ、おそらく

きょーちゃん様は、四角柱が、それぞれ色の異なった、小さな主観の小片で構成されており、その中で、最も数の多い色の主観の小片を「客観」と呼んでいるであろうと推察されるのに対して、

柳生様は、四角柱の切り口は切り方で違ってみえるのは、構造の問題であって、多数派ではない、と仰っているのですが、

A) 四角柱の定義が不明
B) 四角柱を切る切り方と主観または客観の関係性が不明

という2つの理由により、私には何を仰りたいのか理解できません。

仮にA)をきょーちゃん様と同じく、四角柱は色の異なった、小さな主観の小片で構成されていると定義した場合、その四角柱をどう切れば客観で、どう切れば主観になるのか、要はB)の定義のことですが。ご教授願います。

■横レス失礼いたします

けんぶつさん、柳生さん。
テロリズムについての議論そのものを否定するつもりは毛頭ございませんが、此処でそれを展開されるのは聊か「場違い」ではないでしょうか。
新風連ブロガーといえども、その思想言論活動については自由であり、新風はこれに対して何の制限も設けていないというのは十分に承知しております。
ならば、それぞれにご自分のブログを持っておられるのですから、是非ともそちらで続行していただきたく思います。
瀬戸弘幸氏を尊敬しておられる管理人様(と私が勝手に思っているだけかも知れませんが)のブログで、若者に対する度を越えた罵声や、執拗にテロ容認を強調されるコメントを繰り返されるのは、同じく瀬戸氏を尊敬する者の一人として、とても悲しく思います。

(以下「せと弘幸ブログより」
<活動報告>名古屋・移民社会を許すな!10人の若手弁士が次々に訴え。
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/51969160.html
「テロ絶縁・非暴力宣言」
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/51451777.html

■無題

私は被抑圧民族の解放闘争は基本的に支持いたします。

日本民族の自立と解放に暴力が必要であれば行うことを支持いたします。

世界諸民族の自立解放に暴力が必要であれば行うことを支持いたします。

被支配を助長する非暴力主義を拒否いたします。

不法占領を継続されている北方・竹島への国家による暴力的奪還闘争を支持いたします。

尖閣諸島への自衛隊派遣と武断的な開発行動を支持いたします。

国家は暴力装置であるというトロツキーの国家論を肯定し、非暴力主義の根底に国家否定があるという三島理論を肯定します。その上で民族による国家の獲得を方法論の限定を解除して支持いたします。

テロは貧者の戦争であるという側面に深く傾倒いたします。その上で支那中共などへのテロ行為を肯定いたします。

最後に、せと氏の見解と私個人の見解は無関係です。平和的な手段によって民族の安寧が得られるならばそれにこしたことはなく、議会制民主主義により、それが行われるならばそれでいいのです。ただし、議会制民主主義が民族の破壊を企図した場合は破壊阻止や、民族権獲得のためにクーデターであれ、暴力主義的な革命であれ、容認肯定します。民主・独裁・寡占・専制政治など政治体制は問いません、政治体制は小林秀雄の自由論を肯定します。直接民主主義的な行為による政権打倒や獲得も当然です。方法論による日本民族への手かせ足かせは拒否いたします。日本民族文化の豊饒の海から平和的な側面のみを取り出し、被支配や統制に都合の良い道徳的誘導を拒否します。逆に日本民族の武断的な側面のみの切り出しも拒否いたします。未来へ向かって自らの行動に過去の持ち出しは自由です。必要なことを行うための文化の全体性を容認いたします。

■絵の具の色を全部混ぜると黒・黒は多数派で客観か?

正方形・長方形・ひし形・台形 の多数派なんて・そもそも存在しません。
 
私は「皇室を実際に廃止する者」に対しては”テロ”でも切腹でも抗議の手段は選びません。
ただ無闇には行いませんよ。
山本常朝も畳の上で死にましたからね。
 
私がここにコメントするのは
「主観の多数派が客観」
「テロリストは無言で行動するのみ」
などとデタラメが書かれているからであって
それさえなければ・おさらばしますよ。

■”おバカたち”には疲れるね・・・苦笑

客観とはたとえば
私は7階建てのマンションに住んでいますが
1階・2階・・・7階からの見晴らしは全部違います。
しかし誰でも4階から外を見れば「同じ景色」が見られます。
これが”客観”です。
多数派ではありません!
同じ4階から「別の景色」が見える人はいませんからね・・・

■無題

>ただ無闇には行いませんよ。
>山本常朝も畳の上で死にましたからね。

はぁ呆れるね
山本氏と自己を同列におくかね?
逃走の言い訳でわないかね?

柳生先生、私は貴方の行動力には敬意を抱いていますが
軽はずみな行動は~及ばざるが~ですよ?
死の覚悟を示しそれを論の根拠に記したのですから
その覚悟がどんなものか、書き記せといったのです
「言い訳」を書き表せと書き込んだわけでは有りません
覚悟があるのなら早くお得意の行動に移行するなりなんなりしてください
柳生先生、その言は、情けないですよ?
見栄を張って「死の覚悟」を勢いで書き込んだのなら撤回すればよい
間違いは誰にでもありますよ?
言い訳の末遁走は大人のすることではない

死の覚悟を早く見せてください
普段からどういう対応を取られるのか?
残された方々にはどうするのか
死を覚悟しておられる方は、皆須くその対応をしておられます。

柳生先生も死の覚悟があるのならしておられるでしょう?

何故書き込めないのですか?
言い訳だけはみっもないです。
男を見せてください

PSきょうちゃん
コメント記事と筋違いの文書き込みしてすいません、ですが、国の将来を憂うと言っておられる方の「死の覚悟」です、是非とも知りたいものじゅあありませんか!!
男の格に関わる話ですので、柳生氏が満足のいく答え出すまでもう少しだけ御容赦戴きたくお願いいたします。<(_"_)>

■”けんぶつ”さんに全面的に賛成!

「1階・2階・・・7階からの見晴らしは全部違います」
↑これが「主観」です。
”けんぶつ”さんのご意見は全部正論と私も納得いたします。

■ミミズか?田螺?がお似合い!

pipiよ
お前は田んぼで「タガメでも追って」いればいいんじゃ!

■無題

僕の言葉から引用された事で揉めてるみたいなんで一言。

この7階建てのマンションからは富士山が見えます、が客観。
1、2階は見えません。
3、4階はビルの隙間から少し見えます。
5~7階は綺麗に見えます。
これが主観です。

また、それぞれの階の部屋にはそれぞれの住人がいますから、そう簡単にはその部屋からの景色は覗けない物です。

言ってる意味分かりますかね?

後、人のブログのコメント欄なんですから明らかな罵詈雑言の類いは自重すべきです。
更に言えば、テロの容認なんて理解出来ない人間には理解出来ないんですから、無理に押しつける事は出来ないと思いますよ。

■サミットのゴミ掃除でもやっておれ!

農民氏
君がノータリンであることは良く分かるよ。

■無題

>pipiよ
>お前は田んぼで「タガメでも追って」いればい>いんじゃ!

はい

柳生先生は相変わらず頭の中も御壮健でなによりですね。

この嘘付き

さて、私の追及は止まりませんよ?

嘘付くのは結構ですが「嘘は突き通せません」
責任感有る男なら論の質として命の文字を使う意味がお分かりですね?



御見解よろしゅうお願いしたします。

命賭けておるのでしょう?
逃げないでお答えください

それともやはり、嘘吐きなのですか?
あ~あ^残念な男だね
貴方は苦しくなるとすぐ逃げる

このまま答えないままなら
貴方は嘘吐きの煽動者ですよ?
いや。それですらない巷の・・・・ですね。

■無題

あら、速攻でレス?下さりましたか。

僕は貴方と話す気はありませんので悪しからず(笑)
と言うか、反論も無しにそんな事言われても返す言葉が見当たりませんので。

ですから僕なんかより、カールさんの質問に答えてあげて下さい。僕なんか相手にするより有意義でしょうから。

■無題

柳生先生
残念だね
之が先生のブログなら米即削除で
先生の罵詈雑言のみ残っていい気分なのにね

さ、逃げないで早く私の質問に答えなさい
ちゃんと「質問は2つまで」でしょ?

自分のルールーも守れないのですか?

■無題

誰が「清廉会の下司野郎ども」のために死ぬか!?

■無題


柳生先生「私は皇室を守るためにはいつでも死ぬ覚悟がある」
pipi[嘘付け」「証拠出せ」「死に際しての対応考えとってるのか?答えてください」
柳生先生「pipiよ
お前は田んぼで「タガメでも追って」いればいいんじゃ!」

これが、貴方が此処で残した事です。

■無題

柳生先生は嘘吐き確定ですね

私は行動に際し死んだあとの事の対応を考えてるでしょ?
答えなさい

と書き込んだ、はずですが?

そもそも「天皇の為に行動を起こす」のでしょう?

それと清廉会とは、どなたの事ですか?

逃げないで早く自分のしたことの尻拭いしてね

■無題

>誰が「清廉会の下司野郎ども」のために死ぬか!?
相変わらず貴方は○○によると、とか
○○はなんたら~と己を他の権で補強しますね?
そんなに、自分に自信がないのですか?

だから「死」という言葉を使いたがる
其れはその文字に力があるから・・・
死を賛美する先導者はある意味人殺しですよ
その人が死を賭してまでとった行動を己の言論の為に使用する。
そんな柳生先生には寒心しますね

はやくお答えください
質問内容はお分かりですよね?

読まずに罵詈雑言だけ書き込めばそれは
気違いというものでしょうから

柳生先生はいい大人なんですから、自己責任で出来ますよね?

■無題

それとも「また」自分のブログで自慰行為の罵倒記事かくのですか?

楽しみにしていますよ

■柳生様へ ①

柳生様

お返事ありがとうございます。しかし残念ながら、完全にお答え戴けてはいないようです。

私の質問は

2つのロジックである、

1.客観とは主観の集まりである
2.無数の主観の中の多数派が客観である

のそれぞれの是非と2.を否定される理由をお尋ねしています。


まず、1.についてですが、

柳生様は、マンションからの景色に例えての「客観の定義」をコメントされていらっしゃいますが、そのコメントのように、「誰でも4階から外を見れば「同じ景色」が見られる」ということが「客観である」と云えるためには、

a)マンションの全住人が4階の同じ部屋に集って、一斉に外を見ていること
b)1階でも7階でもなく「4階」からみた景色が客観であるということ

の2つの事が証明されていなければなりません。

柳生様は「1階・2階・・・7階からの見晴らしは全部違います」これが主観です、とコメントされていますが、4階からの景色が客観というのであれば、4階だけ主観ではない、という証明がなされなけばなりません。(これは1階を客観にしようが7階を客観にしようが、同じことが言えます。)

その意味においては、農民様のご説明のほうがより適切かと思われます。農民様の客観の定義では、マンションの階数および部屋の位置は問題としておらず、「富士山という対象物が見える」ということを客観と定義されているからです。

柳生様のご説明では、マンションの各階、各部屋それぞれの住民がそれぞれに見る「主観」という景色の集まりの中で、4階の特定の部屋からの眺めだけが客観であることの説明が欠落しているように思われます。

■テロ以外にやることあるとは思うんですけどね。

佐藤優「自壊する帝国」にはソ連末期にモスクワ大の学生がバルト三国の独立とソ連の共産主義体制の解体を目論む青年が登場します。
彼はテロで目的を成そうとはしていませんでした。
命をかける気合いも結構ですが、手段も大事なのです。
市民が蜂起するのと無差別テロを起こすのとでは同じ暴力でも質が違います。

■柳生様へ ②

次に2.についてですが、柳生様は出鱈目と明確に否定されました。その理由として、そもそも多数派など存在しないと答えておられます。

しかしながら、この御回答が理由になるためには、

「無数の主観の中の多数派が客観である」という2.のロジックを正しいと認めた上で、その多数派が[存在しない]から、客観には成りえないというロジックでなければ成立しません。

といいますのも、厳密にいえば、柳生様が仰る出鱈目なるものが、「主観の多数派が客観」という定義そのものなのか、定義の中の各要素のどれかが成立しないのかが判然としないために、あえて、このような指摘をさせていただいた次第です。

もし出鱈目であるのが、「主観の多数派が客観」であれば、1.で述べさせていただいたとおり、「4階から見た景色がなぜ客観といえるのか」という論証をしていただく必要がありますし、出鱈目なのが、定義の中の各要素の不成立性、すなわち(主観),(多数派),(客観)のいずれかが成立しないという意味であれば、「この定義においていかなる場合でも、これらの要素のどれかは成立し得ない。」ということを論証していただかなくては説得力に欠けます。

柳生様の仰る「多数派なるものは存在しないから」という理由は、後者に依拠したロジックなのでないかと推察いたしますが、その場合は(細かいことですが)「主観の多数派が客観というのは出鱈目」と一概に切って捨てるのは少々乱暴な発言かと思われます。

今回の文脈では、政治および投票行動における主観と客観についての議論ですから、この場合は「政治および投票行動において、多数派は有り得ない」という意味において出鱈目である、と云うべきなのではないでしょうか?

■清廉会→羞恥心♪羞恥心♪

世論、客観とは主観の集まり、無数の主観の中の多数派(が世論)・・・農民さん
 
↑これはデタラメだよ!
いくらTVでは「おバカタレント」が流行っているからっていってもねぇ・・・((>д<))
 
たとえばさ・・・
「地球の周りを太陽が回る(地球は動かない)」
という(主観的な)考えが多数派になれば
それが「客観(的な真実)」になるのかい?
そんなことありえないだろう・・・
「多数派」と「客観」とはまったく別々の概念だよ。
こんなことも分からないとは・・・・
♪羞恥心~♪羞恥心~♪
 
あとさぁ・・・農民チャン
北海道から「富士山が見える?」のかい!?
100階建てのマンションでも無理だろうなぁ・・・苦笑
マジッすか?(DAIGO)

■無題

柳生先生にはブログ米欄の最後が自己米なら
その米欄論破の法則でもあるのですか?

其れはさておき

早く、宿題提出しなさい

命かけてるんでしょう?

なら対策取るでしょう?

逃げんな、遁走男

■無題

どうやら柳生先生におかれましては
恥の概念がないようですね

■無題

議論も出来ずに
己が意見を他人に押し付け
具合が悪けりゃ遁走三昧

間を空けて恥の上塗り
男としてこれほどの器の小ささを自ら表す方もめづらしい

実名と違うからHNだからと此処まで子供じみた
醜文を書きさらす、先生はくるううたんですか?

私は柳生先生の行動力には敬意を持っておりますが
そういうところは、人としてとうかなと、思います。

■無題

>柳生さん
先にカールさんのご質問にお答えをお願いします。
主観と客観についての議論であればエントリに沿っており、管理人様もお許し下さると思いますので、私もひと言。
主観と客観を「虚偽と事実(真実)」の関係と見ることには異議があります。
柳生さんが喩えに引かれている、
>「地球の周りを太陽が回る(地球は動かない)」という(主観的な)考えが多数派になればそれが「客観(的な真実)」になるのかい?
の部分に対しては、西欧においては天動説が昔の多数派であり「客観(的な真実)」とされていたことで反論できます。
そして現代では客観的な真実とされている地動説も、天動説(客観)に疑いを持つというコペルニクスの「主観」からはじまったものに過ぎません。
数学の公式や定理、物理の法則もあくまで「その時代の客観」に過ぎず、いずれ後世にくつがえされる可能性があるもの。
むしろ「絶対的な真実」とされていること、すなわち「客観」を疑い続けるという謙虚な姿勢こそが、真の科学的態度と言えるのではないでしょうか。

■客観論争に関して

単純に
「客観」という言葉自体があいまいというか、幅広い意味を包含しているというだけのことではないでしょうか。
客観的=普遍的というとらえ方をするならば、柳生さんの言い分にも一理あるわけですが、一方ででは現実的(理念的ではなく、という意味です)に「客観的な意見」というものはあるのか、ということを考えますと、ほとんどの場合「多くの人が言っている=客観的」ということになってしまっているとも思うわけです。

まさに「世論」と「客観」を同時に語っているあたり、人によってそもそも「客観」という言葉で考える理念に違いが生じているわけです。

この問題における私の結論はこのコメント欄のどの方とも違います。人は「客観」という言葉を「客観的」に見ることすらできない。したがって「客観的」ということはありえず、すべての見解は主観的である、ということです。

いずれにしてもこのままではきょーちゃんに迷惑ですね(私も人のことは言えませんが…)。

■追記

私がコメントを打ち込んでいる間にROM太郎さんがいらしてました。私のよりROM太郎さんのほうがはるかにわかりやすく説明できております。
いちおう私は拙いながらもROM太郎さんのようなことを言いたかったわけです(恥)。

■科学を否定したらカルトになってしまうぞ!

耕さんとその他の方
広辞苑(電子版)にはこう書いてある。
「客観」
① 主観の認識および行動の対象となるもの。
② 主観の作用とは”独立”に存在すると考えられたもの。客体。(反対語・主観)
 
”独立”に存在する
のだから「主観がいくら集まっても客観にはならない」よ。
第一
農民や耕さんROMさんの言うとおりなら
2001年の郵政選挙で小泉さんが大勝利したのだから
「郵政民営化は客観的に正しい!」
ということになる。
これを認めるのかね?
 
「したがって”客観的”ということはありえず、すべての見解は主観的である」(耕さん)
↑これもおかしいよ?
それなら
「主観の多数派が客観である」(農民)
というのも間違いということになる。
耕さんが「ない!」と言っていることを
農民は「ある!」と言っているのだからね。

耕さん・こんな認識でよく大学院に行けたねぇ・・・
まぁ、文句があるなら広辞苑の編者と岩波書店に言うんだねぇ・・・
私は「カルトの信者」とは付き合えないよ・・・
ヽ( )`ε´( )ノ

■みなさまへ

たくさんのコメントをありがとうございます。

でも、できましたら、相手を罵るような単語、煽るような文体は避けて投稿頂けますよう、お願い申し上げます。

今回、おひとりおひとりへの返信がちょっと難しいので読ませて頂きましたという事だけお伝えします。

それから、今回コメントされているみなさん日本人で元々ネットで新風関係で知り合った方が多いと思いますが、それでもこれだけ違う考えを持つものなのだなとよくわかった事も勉強になりました。

議論はこのまま続けられても構いません。
よろしくお願いします。

■無題

柳生先生

質問に答えられないようですね
どうやら、本当に口先だけで
コメントを書かれてるのですね

その場の気分で政治を騙り
都合が悪いと遁走の末
違うブログで他人に八つ当たりの
「早く答えなさい」の米ですか?

先生こそ、答えなさい
柳生先生は皇室を守るためにはいつでも死ぬ覚悟があるのでしょう?
口だけで死を語る、卑怯者臆病者ですね
あと
客観と主観の理論
最初に先生が書き込まれたものとあとか反論コメント入れられた時とで、理論にブレがあるんですが?
ひょっとして、「自分が何を書き込んだのか覚えておられないまま、反論コメントに反論」
していませんか?
もう少し勉強しましょうよ
書物を読んでも身にならなければ
「○○を読んだ小生凄い」で終わりますよ?
先生の行動力には敬意を持つ私ですが
無駄に行動すれば、唯の空回りではないでしょうか?

■地球は太陽の周りを回っている

きょーちゃん
「世論、客観とは主観の集まり、無数の主観の中の多数派(が世論)」・・・農民
 
↑これは明らかな間違いです。
それなら
「地球は動かず・太陽の方が地球を回る」(天動説)
が多数派となれば「これが客観(的事実)」となってしまいます。
ご存知のように
現在日本の学校教育では
「天動説は否定され・地動説が教えられ」ています。
 
「わたしはこれはおかしいと思います」
と追加するだけでよいですから
至急・修正願います。

■一言

厳然たる事実、正しい答え≠多数派、世論、客観。

言わずもがな。

■ごまかすな!

多数派・世論≠客観
だよ!

■四季の変化と逆行が説明できない

ROM太郎さん
地球は”23.5°傾いて”います。
これによって四季の変化があります。
ところが「天動説」ですと
単純計算で”1年周期で太陽の軌道も23.5°移動を繰り返す”ことになります。
そのエネルギーはどこから生まれるのでしょうか?
「連星」(太陽が2つあること)なら
可能ですが
いくら空を見ても”太陽が2つ”などありません!
 
それと天動説ですと
「(星の)逆行」(夜空の星が左右に揺れて運動すること)
の説明ができません。
つまり合理的説明は
「地動説のみ」可能なのです。

■無題

柳生先生には何故か私のコメントは見えないようですね
心理的盲目状態ですか?
先生は都合が悪い事柄から目をそむける癖がおありのようですね。
(この文章は、pipiの文章をたぶん読んでいないであろう柳生先生に宛てて書き込んでいます)
男として、それはどうかな?
おそらく、小物の言う事など、語るに~とお考えなのでしょうが、
それ、遁走の言い訳ですから。
よく考えなさい、私の言葉が荒くなってるのは
柳生氏が自分で吐き出した見栄の死ということばの、責を取られないからですよ。
簡単なことでしょう?
普段から「いざ」に備えて「死を問わぬ覚悟」
なのでしょう?
>私は「皇室を守るためにはいつでも死ぬ覚悟がある」
これ、書き込んだの先生でしょうが
自分の書き込み覚えていないのですか?
ボケたのかな?
なら、仕方が無いですね
でも思い出したでしょ?
今書き込みましたから。
早く宿題提出してください。
子供ですか貴方は?

■無題

あとね、話の筋をコロコロ変えるのは
自論が論破された側の行動ですよ
皆さんの質問に答えられないのなら
謝罪しなさい

■小学生にでも分かる柳生せんせいへの質問

柳生先生「私は皇室を守るためにはいつでも死ぬ覚悟がある」

Qどんな覚悟ですか?

A柳生先生「pipiよ
お前は田んぼで「タガメでも追って」いればいいんじゃ!」

添削
答えがむちゃくちゃです
やぎゅうくんはぴぴさんのしつもんに
きちんと、答えましょう

採点零点
やり直し

■柳生様へ 0711-①

柳生様

>広辞苑(電子版)にはこう書いてある。
>「客観」
>① 主観の認識および行動の対象となるもの。
>② 主観の作用とは”独立”に存在すると考えられたもの。
> 
>”独立”に存在する
>のだから「主観がいくら集まっても客観にはならない」よ。

②に依拠して論じられておりますが、客観は主観の「作用」から独立しているのであって、主観と独立しているわけではありません。

繰り返しになりますが、②で述べられているのは、あくまで主観を働かせる主体(往々にして人間ですが)が主観を働かせたことによる「作用」から独立しているという定義です。

たとえば、誰かが「富士山などない」という主観を持ったとしても、それで富士山がなくなる訳ではないという意味において独立しているということです。

もし、柳生様の仰るように「主観がいくら集まっても客観にはならない」、即ち、主観と客観が互いに完全に独立しているのであれば、主観はいくら集まっても客観になれないどころか、主観は客観を「認識する」ことすらできません。これはマンションの何階のどの部屋から外を眺めたところで、その眼にうつる景色は決して「客観」では有り得ないということを意味します。

これは、以前柳生様がコメントされた、「4階から眺めた景色が客観である」ということと矛盾しているように思われます。

■柳生様へ 0711-②

話がそれました。

柳生様が引用・提示されております、広辞苑の、①の定義では、客観とは"「(主観の認識)および(主観の行動の)」対象"となっております。

これは、主観の認識領域又は行動範囲内に「客観」が含まれている、ということを意味します。よって、柳生様の仰る「主観がいくら集まっても客観にはならない」という解釈は成り立たないものと思われます。

主観が客観を認識することは可能です。難しいのは主観が「今、自分(彼)は客観を認識している」と識ることなのです。

主観が「今、自分(彼)は客観を認識している」と認識できないとき、その主観は主観のままで留まるしかありません。耕様のコメントにあります「すべての見解は主観"的"である」というのはこのことを指しているものと思われます。

※"主観"ではなく"主観的"とわざわざ"的"を付けられておりますので、客観ではあるがそれと認識できないところの主観をも含んでいると解釈しても差し支えないと思います。

よって、柳生様の仰る"客観"は広辞苑の云うところの「客観」とは、①においても、②においても該当しないように思われます。「柳生様の客観」の定義をお聞かせ願えれば幸いに存じます。

もしも、以前述べられた「4階から眺めた景色が客観である」が客観の定義であるということであれば、"何故4階からの景色が客観であるのか"という質問にお答えいただけますようお願い致します。

■無題

皆さん
形勢が悪いので何とか”論点をずらそう”としていますね。卑怯ですよ。
(o(^▽^)o
問題は
「世論、客観とは主観の集まり、無数の主観の中の多数派(が世論)」・・・農民
↑の解釈なのであってそれだけです。
「客観=主観の集まり」
「客観=主観の中の多数派」
↑解釈はこれでしょう?
 
どう考えても・これは間違いでしょう!
ちなみに広辞苑(電子版)には
客観的:
特定の個人的主観の考えや評価から独立して、”普遍性”をもっていること。
 
耕さんは「普遍的という意味なら柳生は正しい」と言っているが
広辞苑では「客観=普遍性もつ」と限定しているのだから・私が正しいということになるね。
もちろん
主観に普遍性はありません。
客観は主観から独立しているのだから・多数派でもありません。
”関係性がある”のは当たり前じゃありませんか?
小泉さんは郵政選挙で誰に勝ったと言うのです?抵抗勢力が最初から居なければ・選挙にもなりませんから。
抵抗勢力がいくら集まっても小泉さんにはなりませんよ!
 
「逆行:夜空の星が左右に運動・・・」
↑太陽系の惑星 でした。
恒星は遠すぎて逆行は起きません。
 
田吾作は野良が似合いだよ・・・ヽ(゜▽、゜)ノ

■無題

先生は相変わらず現状認識から逃避するのが
お得意ですね
いくら自分の世界に浸りきっても現実は変わりませんが?

いつになられれば、夢の世界から現実に戻るのですか?

あなたのお年はいくつでしょうか?

其れはさておき、早く宿題提出してね
あまり酷いとお知りぺんぺんしますよ?

■無題

ああ、もしも、ですが。
炎上さして多数から質問来るのが人気者とか
お思いなら、勘違いですよ

先生は普通の人が考えられない思考に至るときがありますが、大概、現実逃避してるときです

いい大人なんですから、お遊びは辞めて、大人の対応してください。

このままでは、柳生昴のHNは地に墜ちます。

・・・・でもまた別HNで同じことするんでしょうね貴方は。

■無題

さて、今までの流れから
柳生先生におかれましては

議論に負けそうになると遁走する(そもそも勝ち負けあるのか?)
遁走したあと、別論たてて話ずらしをする。(議論がまとまりません)

グダグダになって、周囲の論陣が呆れて放置、レス滞る。
誰も居ない言論の野で一人勝利宣言

が流のようですね。

それ、何て韓国人?とどこかから突っ込み入りそうですね?

此処まで覚悟の出来ない方とは思いませんでした。
其れが死を語るね、笑わせてくれますね
貴方は知人のどなたが死をとして行動されていたら、其れを自分の力と混同するタイプですね。

死を賭して行動しておられる方はその方で、柳生先生ではありませんよ、例えその方が貴方を庇っても、貴方の性格上庇護しないと、何をしだすか分からないからそうしてるだけにすぎませんよ。

余りにも物事を表面だけで取りすぎです。

■柳生様 0712-①

柳生様

>「客観=主観の集まり」
>「客観=主観の中の多数派」
>↑解釈はこれでしょう?
> 
>どう考えても・これは間違いでしょう!

ようやく、私の最初の質問の1.および2.にお答えくださり、ありがとうございます。

どちらも間違いであるというご見解の由。その理由として、広辞苑(電子版)から


客観的:特定の個人的主観の考えや評価から独立して、”普遍性”をもっていること。


を引用され、

1.客観は普遍性もつが、主観に普遍性はない。故に客観は主観の集まりではない。
2.客観は主観から独立しているから、多数派でもない。故に客観は主観の中の多数派ではない。

というロジックを展開されておられます。これはこれでロジックとしては、筋が通っているかと思われます。


ただし「主観に普遍性はない」および「客観は主観から独立している」と言い切るためには、

a)ありとあらゆるすべての主観に普遍性はない。
b)ありとあらゆるすべての主観は客観から独立している

いうことが証明されなければなりません。

しかしながら、御引用されている当の広辞苑(電子版)に、独立している客観は「特定の」個人的主観、と限定条件が付加されております。よって、b)のありとあらゆるすべての主観は客観から独立しているとは断定できず、必然的に2.の「客観は主観から独立しているから、客観は主観の中の多数派ではない。」というロジックは成立しません。

■柳生様 0712-②

次に、a)の「ありとあらゆるすべての主観には、普遍性はない」という点を考えてみたいと思います。

まず、主観の定義ですが、YAHOO辞書(大辞林)からで申し訳ないのですが、


しゅかん[―くわん] 0 【主観】

[1] 対象について認識・行為・評価などを行う意識のはたらき、またそのはたらきをなす者。通例、個別的な心理学的自我と同一視されるが、カントの認識論では個別的内容を超えた超個人的な形式としての主観(超越論的主観)を考え、これが客観的認識を可能にするとする。
→主体

[2] 自分ひとりだけの考え。


とあります。

[1]の定義にあるカントの認識論によれば、超越論的主観が客観的認識を可能にする、とありますから、b)の「すべての主観は客観から独立している」とはここでも成立しないように思われます。

また同時に「客観は普遍性を持つ」という広辞苑(電子版)の定義に従えば、「客観的認識を可能にする超越論的主観は普遍性を持つ」ということになりますから、a)のありとあらゆるすべての主観に普遍性はない、ということは証明できず、必然的に1.の「主観に普遍性はないから、客観は主観の集まりではない。」というロジックもまた成立しません。

よって、柳生様の「客観=主観の集まり」および「客観=主観の中の多数派」が間違いである、と結論づけるためには、カントの認識論でいう「超越論的主観」は存在しない、ということを、まず証明する必要があるように思われます。

■小学校からやり直しては・・・

カールさん
「客観的:特定の個人的主観の考えや評価から独立して、”普遍性”をもっていること」
 
↑これは
「・・・独立している客観は”特定の”個人的主観、と限定条件が付加されております」
というあなたの解釈
↑これは間違いです!
客観=特定の個人的主観
となってしまいます。
独立=限定条件
ではありません。
普遍性を持っているからです。
”特定の”は「個人的主観」にかかる形容詞であって
”客観的”を形容しているのではありません。
 
こんな小学生にも分かることが分からないとは情けないですね。
もう一度小学校でやり直すか?塾で勉強し直してください。

■不毛な揚げ足取りはお止めなさい

柳生様、

独立している客観は、「特定の」個人的主観から(独立している)と書いたつもりでしたが、抜けていましたね。失礼しました。

もっとも、その後のロジックをきちんと追っていただければ、私の主意が「”特定の”は「個人的主観」にかかる形容詞」であって、個人的主観が限定された条件であることは明白です。

論旨は何ひとつ変わっておりません。

私は、柳生様のロジックが成立しないことと、それを成立させるためには、カントの「超越論的主観」は存在しない、ということを、まず証明する必要があると申し述べました。

これらに対する回答をお願いいたします。

■書き直してください!

カールさん
「抜け落ちている」なら
もう1度書き直してください。
「抜け落ちている」のを私が修正しながら読み直すのは誤読を招きますから・・・

■無題

柳生先生は相変わらず
心理的盲目状態ですね

現実逃避しても先生の環境は変わりません
行動の人かと思ってましたが。
疑問に思いますね。

>私は「皇室を守るためにはいつでも死ぬ覚悟がある」

どうやら嘘確定ですね
アーアー聞こえないでいてなさい
此処は貴方のブログで無いので、削除できませんからね
柳生先生の醜悪さはずっと残りますよ

言論の野で一人狂信じみた言い訳書き込んでいなさい。

それと、宿題は早く提出してください、簡単でしょう
「小生嘘吐きです覚悟がないまま勢いで書き込みました」
こう書けばイインデスヨ。

■謝罪である!!

嘘吐きは許せんな!!
このムサシさまが成敗してくれるわっ!!
ここになおれぃつ!!

■無題

上みたいに
題目と内容がバラバラは駄目ですよ

■そろそろ

pipiさん

そろそろ埒が開かないんで自重しましょう。もうそちらの答えは明らかでしょう。
カールさんとの議論に集中させてあげましょう。

カールさんには少々手間かもしれませんが、先ほどの文をコピペして一文を挿入するだけで柳生さんは答えてくれるみたいなので答えを待ちましょうよ。

柳生さんと僕との議論より遥かに学術的ですから(笑)

■無題

解りました気違いじみた書き込みは之にて終了します。
皆様御迷惑おかけしました<(_"_)>

■カールさん・言っておきますが・・・

カールさん
 
a)ありとあらゆるすべての主観に普遍性はない。
b)ありとあらゆるすべての主観は客観から独立している
 
私は1言も”すべての”とか”あらゆる”なんて言っていませんよ!勝手に付け加えないでください。
どちらにしても
農民氏の言う”主観”は
「超越論的主観」とは違いますよ!
一緒にしないで下さい。
超越論的主観は、「一般に言う主観とは概念が異なる」のです(ML Wiki)
からね・・・

■農民さまへ


はじめまして。コメントありがとうございます。

失礼ながら、私のコメントは学術的でもなんでもなく、しかも私に学などありません。(笑)

今回のテーマについて、非常な興味を持っておりますが、私自身は、確たる見解を持っているわけではなく、議論を通じて「主観と客観について」の発見をしたいとただ思っているだけです。

というわけで、あまり買いかぶらないでおいていただきますようお願いいたします。(後で農民様を御失望させることにもなりかねませんので)

■これでよろしいでしょうか? 柳生様 0712-①’(修正版)

柳生様

>「客観=主観の集まり」
>「客観=主観の中の多数派」
>↑解釈はこれでしょう?
> 
>どう考えても・これは間違いでしょう!

ようやく、私の最初の質問の1.および2.にお答えくださり、ありがとうございます。

どちらも間違いであるというご見解の由。その理由として、広辞苑(電子版)から


客観的:特定の個人的主観の考えや評価から独立して、”普遍性”をもっていること。


を引用され、

1.客観は普遍性もつが、主観に普遍性はない。故に客観は主観の集まりではない。
2.客観は主観から独立しているから、多数派でもない。故に客観は主観の中の多数派ではない。

というロジックを展開されておられます。これはこれでロジックとしては、筋が通っているかと思われます。


ただし「主観に普遍性はない」および「客観は主観から独立している」と言い切るためには、

a)ありとあらゆるすべての主観に普遍性はない。
b)ありとあらゆるすべての主観は客観から独立している

いうことが証明されなければなりません。

しかしながら、御引用されている当の広辞苑(電子版)に、

客観は、「特定の」個人的主観から独立して、と個人的主観そのものに限定条件が付加されております。 <--差し替え訂正

よって、b)のありとあらゆるすべての主観は客観から独立しているとは断定できず、必然的に2.の「客観は主観から独立しているから、客観は主観の中の多数派ではない。」というロジックは成立しません。

■コメントが入力できません。

コメントがアップされませんでしたので、テストコメントを入れさせていただきます。

■柳生様 0712-③-a


柳生様、

まず、"ありとあらゆるすべての主観"について、回答させていただきます。

数学的命題において、A=B という式があったとしましょう。しかしながら、これが公理としても通用するためには、きちんと証明される必要があり、反例がひとつでもあっては証明とはなりません。

今回の議論は、主観の「集まり」または主観の「多数派」を論じていますから、少なくとも2つ以上の主観についての議論のはずです。

柳生様の御説明においては、主観についての限定条件など、一切提示されておりませんでしたから、そのロジックが成り立つためには、2つ以上の"ありとあらゆるすべての主観"を含んだ主観において、「主観に普遍性はない」および「客観は主観から独立している」と言えなければならなかったはずです。

■柳生様 0712-③-b


私の文章中には、”ただし「主観に普遍性はない」および「客観は主観から独立している」と《言い切る》ためには”、とわざわざ「言い切る」と修飾させていただいたのもこの理由からです。

私としましては、論証の前提条件を整理する意味で

a)ありとあらゆるすべての主観に普遍性はない。
b)ありとあらゆるすべての主観は客観から独立している

と、明示させていただいたつもりだったのですが、それを柳生様が「勝手に付け加えないでください。」と仰るのであれば、少なくとも、数学的・客観的論証を望んではおられないのだ、と思わざるを得ません。

そういう議論で得られる結論は、論理的整合性のないただのタワゴトであり、私にとっては時間の無駄で、望むところではありません。

■柳生様 0712-④-a

次に

>超越論的主観は、「一般に言う主観とは概念が異なる」のですからね、

というお言葉ですが、これは柳生様、又は、どなたかの「主観的」ご意見でしょうか? それとも一般的に認知され、普遍性を持っていると認められているところの「客観的」見解でしょうか?

(ML Wiki)と書かれていましたので、ちょっと検索してみたのですが、

http://wiki.livedoor.jp/minatetu/d/%C4%B6%B1%DB%CF%C0%C5%AA%BC%E7%B4%D1 より

>超越論的主観
>
> そもそも、超越論的主観は、一般に言う、主観という観念とは異なります。
> たしかに、同じ主観という言葉を用いてはいます。
> しかしながら、異質のものだというのが私の見解です。

となっておりました。

■柳生様 0712-④-b


ML-Wikiの該当記事では、

"一般にいう主観とは異質のものだというのが「私の」見解です。" とありますから、この記事の筆者はご自身で、この見解は「主観」であると宣言されております。

議論を行う際に、一般的に広く普及し、認められている思想や、国語辞典等から定義を引用したり、議論の土台とすることは理解できるにしても、評価の固まっていない「主観的」意見を土台にする議論は、取扱に注意しないと少々危険であって、仮の土台にいくら議論の建物を立てたところで、その建物はやはり"仮"にしかすぎません。得られた結論の客観性を疑ってかかり、時には再度検証する必要さえあります。

ましてや、主観と客観の議論を行っているのに、"主観的意見"を土台に使用するのは、如何なものかと存じます。議論そのものが不毛になりかねませんので、今回は避けたほうが無難かと思われます。

■柳生様 0712-⑤-a


とはいうものの、百歩譲って、農民様の主観が、超越論的主観ではない(これは農民様ご本人に伺うべきでしょうが)ということにしましょう。

しかしながら、この時点で扱う「主観」は少なくとも「(超越論的主観ではない)主観」であり、限定条件が付加されております。

これは、広辞苑(電子版)による普遍性の定義


"客観的:特定の個人的主観の考えや評価から独立して、”普遍性”をもっていること。"


で述べられているところの、「特定の個人的主観」の領域に踏み込む(場合によってはイコールかもしれませんが)ことになりますので、この前提での議論において、柳生様のかねてからご説明されているように

「客観は普遍性もつが、主観に普遍性はない。故に客観は主観の集まりではない。」

と主張されましても、そうかもしれませんね、とお答えする他ありません。

■柳生様 0712-⑤-b


既に、一連の議論の中で、主観の定義(もしかすると客観の定義も)が変転し、限定条件が付加されてきております。

柳生様の御言葉を御借りすれば、

「勝手に議論の戦線を縮小しないで下さい」(笑)


あとは、「(超越論的主観ではない)主観」=「特定の個人的主観」であるのかどうか、更には、農民様の定義される「主観」が客観性を持ちうるのかどうか、という検討をしてみるくらいしかやれることは残っておりません。この時点で私の議論のモチベーションはかなり下がってしまいました。もっと深い議論を期待していたのですが、残念です。

愚痴っていても仕方がありませんので、再度ご質問させていただきたいのですが、

柳生様の、今回の議論で使われております、「主観」と「客観」の再定義を今一度お願いいたします。(限定条件も含めて)

■きょーちゃん様へ

コメントがアップできなかったのは、一文が長すぎたようです。分割すればアップできました。
今日は私用でモバイル環境ですので、コメントのアップに四苦八苦しております・・・(苦笑)

■ごまかしはやめてもらいたい!

カールさん
単に「主観」と言ったら「(一般的な)主観」です。
「超越論的主観は、一般的な主観とは概念が異なります」(MLWiki)と言っているでしょう?
 
「(客観的認識を可能にする)超越論的主観」
なら”超越論的”と修飾語を付けなければなりません!
農民氏は付けていない!
 
第一
「超越論的主観」なら
全部の主観に共通にあるはずですから
”多数派”であり得ようがありません!
では
その場合”少数派”は何なんでしょうか?

■柳生様 0712-⑥-a


仰っていることが理解できません。といいますか、私の0712-④-bを読まれておりますでしょうか?

>「超越論的主観は、一般的な主観とは概念が異なります」(MLWiki)と言っているでしょう?

私は、これ自身が「主観的」見解ではないのですか? とお聞きしているのです。

概念が異なるのであれば異なるで、何が、どう異なっており、いついかなる場合でも(一般的な)主観と異なることを立証することから始めないと間違いを犯しますよ、と言っているのです。

たとえ、概念が異なっていたとしても、(一般的)主観が、ある条件下において、超越論的主観に成り得るたとしたら、どうなりますか?

主観が客観を認識して、普遍性を持つことになるのではないですか?

■柳生様 0712-⑥-b


今、柳生様がなすべきことは、

a) 超越論的主観なるものは、もともと存在しない。

または

b) (一般的)主観は、いついかなる条件下でも超越論的主観になることはない。=全く別の概念であり、無関係であることの論証

のどちらか、または両方を論証すべきことのはずです。


もともと違う概念同士が結びつくことなどありえず、論証する意味がないと仰るかもしれませんので、先に述べておきます。

超越論的主観によって直観される「客観」がもつ性質である「普遍性」とは、いつ、誰が、いかなる方法でどう決定する、または発見されるのか、を論じてくださいということです。

その内容が、主観から、まったく無関係であると確認できて初めて、主観(この場合は限定条件付きですが)から、客観は独立していると言えます。

これ以上、どこどこにこう書いてあったからこうだ、というのは止めてくださいませんか?

御自身で理解されていないことを述べられても、聞くほうはもっと理解できません。

■農民は修飾語は付けていない!

「超越論的主観は、一般的な主観とは概念が異なります」(MLWiki)と言っているでしょう?

私は、これ自身が「主観的」見解ではないのですか?」???
 
他でも同じようなことが書いてありますよ。
「主観=超越論的主観」なんて1つもありませんでしたよ。
 
話を逸らさないでください!
農民氏の言葉の解釈以外に飛んでいる暇はありません。
拡大でも縮小でもなく
「農民氏の言葉のみ」で
論争しましょう。

■これのみ!

「世論、客観とは主観の集まり、無数の主観の中の多数派(が世論)」・・・農民
 
↑これが正しいか?否か?
それだけで宜しい!

■何も申し上げることはございません


柳生様 

言葉の定義が曖昧なままの議論からは、得られる結論もまた曖昧であり、私の望むところではありません。

柳生様が「農民氏の言葉のみ」で議論したいということであれば、私は謹んで辞退させていただきます。

なお、一点だけ

>他でも同じようなことが書いてありますよ。
>「主観=超越論的主観」なんて1つもありませんでしたよ。

これこそ「主観の多数派=客観」と認識しているということではありませんか?

これが私にとっての、今回の収穫といえば収穫でしょうか。

では、失礼いたします。

■私の勝利で宜しいでしょうね?

カールさん
 
”これこそ「主観の多数派=客観」と認識しているということではありませんか?”???
 
あなたが少数意見を出さなければ”単なる多数派”とはなりませんよ!
実質的(客観的な)正論です。
 
あなたが言っているのは「カントの主観」なのであって
広辞苑の「主観・客観」は100%完璧では無いとあなたは言われるでしょうが
現時点では「この土俵」で論じるしかありません。
別の土俵に誘導しようというのは卑怯です。

■血縁度

>長女の遺伝子(0.5)+次女の遺伝子(0.5)=きょーちゃんの遺伝子(1)
>という計算ですね。

>柳生昴 2008-07-05 23:11:25

柳生さんは血縁淘汰理論で言うところの「血縁度」を
「同じ遺伝子をどれだけもっているかということだ」という誤解をしているようですね
もちろん,正解は「祖先からくる遺伝子を共有する確率」ですから,御厨さんの理解の方が正しいのですよ

>ここでrとは同じ遺伝子をどれだけもっているかではなく,「祖先からくる遺伝子を
>共有する確率」であることに注意してほしい.たとえば目の黒い父と目の青い母の子
>たちが目を黒くする遺伝子を兄弟で共有する確率である.「人間とチンパンジーで
>さえ90%以上の共通の遺伝子をもっているから血縁度などとはナンセンスだ」と
>いう俗論は間違っている.
(「動物の社会  社会生物学・行動生態学入門 」 伊藤 嘉昭著 東海大学出版会 より)
http://www.bk1.jp/product/00490989

「血縁度」という概念は,遺伝子を次世代に残す方法として「血縁度の高い個体」
というバイパスを想定したところが新しかったのですが,
もし,自分と遺伝子を共有する確率の高い個体がいるなら,
必ずしも「血縁」ということにこだわらなくても良いということでもあります

例えば,ハミルトンは膜翅目についても3/4仮説では説明が困難な事例(永久的多女王制など)については,
「個体群粘度」という概念を持ち出して,
「複数のメスが産卵する場合でも,限られた地域個体群に由来するならば遺伝的に近縁である」と考えたようですね
(「アシナガバチ一億年のドラマ—カリバチの社会はいかに進化したか」のp234-あたりに出てきます)
http://www.hup.gr.jp/details/ISBN4-8329-7311-8.htm

■血縁淘汰がナショナリズムの起源?

>自分が殺されても親戚猿が生き残れば「自分の遺伝子が生き続けることになる」からです。
>これがナショナリズムの起源でしょう。

>柳生昴 2008-07-05 22:38:28

国家というのは血縁者だけで構成されるわけではありませんから,
血縁淘汰が「ナショナリズムの起源」というのは論理の飛躍がありますね

一応,血縁者以外のコロニー全体の利益を考慮したマルチレベル淘汰というのは
社会生物学者によってすでに提唱されているんですが,
それにしても「近代国家」というのはマルチレベル淘汰で扱う集団としては大きすぎますよね

>2007年05月02日 マルチレベル選択の攻防メモ

>(rbk + be) > c
>in which bk is the benefit to kin (b in the original equation) and be is the
>benefit accruing to the group as a whole. He then argues that, in the
>present state of the evidence in relation to social insects, it appears
>that be>>rbk, so that altruism needs to be explained in terms of selection
>at the colony level rather than at the kin level.
ここで、bkは血縁個体の利益(Hamilton式のb)、beは群全体の利益、cは利他行動のコスト
>である。そして、EO Wilsonは、社会的昆虫に関する現状の証拠から、be>>rbkだと
>論じる。そして、利他行動は血縁レベルではなく、コロニーレベルの選択として説明
>される必要があると論じた。
http://transact.seesaa.net/article/40480504.html

そもそも,人間の行動の多くは文化的に決定されていると考えた方が合理的で
「ナショナリズム」などその際たるものだと思いますよ

■他人の家で騒ぐな!自分のblogで言え!

shinok30さん
私はDNA論ではなく
「実際に母親はそう考える」
という意味で書いているのです。
DNA云々は補助的に示したに過ぎません。
 
知識をひけらかしたいのなら
ご自分のblogを立ててやりなさい。
他人のblogを汚すのは無礼です。
どうせ誰も読まないからここで”揚げ足取り”をしているのでしょう?
あなたは
科学云々以前に「人間失格」ですね。

■無題

>他人のblogを汚すのは無礼です。
どうせ誰も読まないからここで”揚げ足取り”をしているのでしょう?
あなたは
科学云々以前に「人間失格」ですね。
柳生昴

↑これは柳生氏本人が書いたのですか?なりすましですよね?

■一昨日来い!

君のblogは何処だ?
”なりすまし”が「なりすましを非難」出来まいが!

■無題

>■他人の家で騒ぐな!自分のblogで言え!

私は自分のページもブログも持たないフリーのコメンテーターなんですよ

>私はDNA論ではなく
>「実際に母親はそう考える」
>という意味で書いているのです。
>DNA云々は補助的に示したに過ぎません。

間違いを指摘されても素直に認めずに「補助的」だの「比喩」だの言い訳するのは止めた方がいいですね
あと,ここは他人のブログなんて自分勝手なルールでコメント削除はできませんよ

>集団遺伝学では1万年ぐらいかかるでしょう。
>私は比喩的な意味で使っただけです。
>投稿 柳生すばる | 2007年10月29日 (月) 00:04
http://s02.megalodon.jp/2007-1030-2119-21/empire.cocolog-nifty.com/sun/2007/10/post_1e9e.html
>私は
>集団遺伝学がすべてに当てはまるとは言っておりません。
>「比喩を使った」と言っているはずです。
>投稿 柳生すばる | 2007年10月31日 (水) 00:28
http://empire.cocolog-nifty.com/sun/2007/10/post_1e9e.html

■ネット乞食:shinok30・死NO苦?へ

shinok30さん
blogはblog同士が理論を立てて討論するのが基本です。
コメントは本文記事に関するもののみです。
「コメントへのコメント」は許されません。
管理人にとっては迷惑ですからね。
あなたのように
野良犬のようにうろついて・ヤクザのように因縁を付け・揚げ足を取りたいなら
”2ちゃんねる”に行ってください!
あそこには・あなたのような「ネット・亡者」がいっぱい居ますからね。
 
あなたの難癖は
「πは3.14ではなく 3.14159265・・・と言わなければならない!」
という類の屁理屈です。
 
あなたの知識など
水虫のように役に立たない黴菌論理です。
とにかくblogを立てて
科学なら10位以内・政治なら100位以内になりなさい。
それまでは直答不許可です。
これは相撲に準ずるルールですよ。

■あいかわずですね

>コメントは本文記事に関するもののみです。
>「コメントへのコメント」は許されません。

>とにかくblogを立てて
>科学なら10位以内・政治なら100位以内になりなさい。
>それまでは直答不許可です。
>これは相撲に準ずるルールですよ。

柳生さんは他人のブログでも自分勝手なルールを当てはめようとするんですね

■初めまして

shinok30さん

初めまして(笑)
御活躍は目にしております。

一度ご挨拶してみたかったので(笑)

柳生さんの言葉は関係無しに『流し』では無く、貴方の話しを探さなくても聞ける場所が欲しいな…なんて。

気が向いたらお願いします(笑)

■オレがルールだ!残飯漁りは退場だ!

管理人は君に代わってお金を払っているのだからね。無法は許されないよ!
「天下のルール」は”相互主義”だよ。
批判することのみに専念し
批判されることを拒否する
↑これでは「ネットの寄生虫」だよ!
だから私はコメンテーターなど認めないのだ。
乞食のようにうろついて
残飯を漁るのは男の風上にも置けない!
 
ただし
上位力士が下位の力士に稽古を付けるのは構わない。

■さすらいの寄生虫

>柳生さんの言葉は関係無しに『流し』では無く、貴方の話しを探さなくても
>聞ける場所が欲しいな…なんて。
>気が向いたらお願いします(笑)

気が向いた時に好きなところにコメントする方が気楽なんで
今のところ自分のブログやページを持つ予定はありません

「オレがルールだ」とかいう変なアラシに一々対応するのも面倒ですしね
(『ネットの寄生虫』というのも彼なりの最大限の賛辞だと受け取っておきますけど……)

まあ,気が向いたら農民さんのブログにもコメントするかもしれませんので
その時はよろしくお願いしますね

■blogは本とは違うのでね

shinok30さん
blogというものは本と違い・長く書けないのです。
あなたが満足するように「痒いところにまで手が届く」まで書くとA4・200pぐらいになってしまうでしょう。
ネットの読者は気が短いですからね。
それで・あなたには「フォローが足りない」と感じられるのでしょう。
それと大人しく書くとランクが上がらないのです。
それでつい過激に書くことになります。
TV芸人のようなものですよ。
 
あなたのことも
熱が篭らないようになら嫌ではありません。
まぁ、農民氏のところでコメントでもしてください。
その様子を見てから考えましょう。
しかし
あそこはかなりレベルが落ちるから
物足りないですよ。
(アクセス
私のところは1日 約1,000人
農民 1日約40人)

■無題

TB先
>「その記事に対するコメント」であり
>「コメントに対するコメント」は許されない!

2008-07-11 13:08:54のコメントを読んでください。
>議論はこのまま続けられても構いません。

と、きょーちゃん自身が許可を出しています。

それと

>できましたら、相手を罵るような単語、煽るような文体は避けて投稿頂けますよう、お願い申し上げます。

このお願いも守った方がよいですよ。

■フォローが足りないのではなく

>それで・あなたには「フォローが足りない」と感じられるのでしょう。

柳生さんは「フォローが足りない」のではなく,
「明らかに間違ったことを書いて」いて,
しかも「間違いを指摘されても認めない」んですよ

例えば,チンギスのY染色体を受け継いだ1600万人をモンゴル人に違いないと思い込んで
「120万人の中に1600万人をどうやって押し込めるのであろうか?」と書くのは
完全に間違いなんですけど,指摘されても即効で削除しましたよね
(ついでに「無限集合の代表はπである」とかも書いてますし……)


>>「チンギス・ハーンのY染色体を受け継いだ男性が、現在1600万人ほどいる」
>>と紹介しているが、
>>現在のモンゴルの人口は240万人程度である。半分は女性であるから、男性は120万人ぐらいであろう。
>>この120万人の中に1600万人をどうやって押し込めるのであろうか?
>
>チンギス・ハーンのY染色体を受け継いだ男性はモンゴル人とは限りませんよ
>
>ブライアン サイクスの研究によれば,
>チンギスは自らの遺伝子を広めることに成功した優位雄(アルファ雄)で,
>チンギスのY染色体を受け継いだ男性は
>少なくとも世界で1600万人に及ぶと推定されています
>
>アフガニスタンとパキスタンの国境周辺で暮らすハザラ族の約1/3が
>彼のY染色体を保有しており,
>他のアジア16地域の男性のDNAを分析でも,
>人口の約8%が保有していることが明らかになっていて,
>おそらくヨーロッパにも相当数の保有者がいると推測されています
>
>>アダムの呪い 著者名 ブライアン・サイクス/著 大野晶子/訳
>http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31382246
http://s01.megalodon.jp/2008-0605-1754-24/empire.cocolog-nifty.com/sun/2006/09/post_6f92.html

■コンサートで屁をするが如し

shinok30さん
そんなことは分かっていますよ。
しかし
神武天皇のY染色体が朝鮮や中国にあっても日本の皇位は継げないでしょう?
これも日本限定であることが問題にされるのです。
あなたの誤解は「Y染色体のみ」と勝手に思い込んでいることです。
別に記紀という添え書きもあるのですからね。
 
私も”きょーちゃん”も政治を語っているのです。
科学は入り口に過ぎません。添え物です。
「方向性・立ち位置」こそが大事なのです。
それと政治というものは
職業や社会的地位によって主張も違います。
だから討論するには・それが「ある程度明らかにする」のでなければ不毛なものになります。
ですから
政治的立場を明らかにしないあなたは
そもそも部外者なのです。
工務店に本を買いに行っても迷惑がられます。
コンサートで平気で屁をこく者はつまみ出すべきです。

■自分の間違いを認めることができない人は

>神武天皇のY染色体が朝鮮や中国にあっても日本の皇位は継げないでしょう?

私は神武天皇のY染色体のことなど話題にしていませんよ
指摘したのは「チンギスのY染色体を受け継ぐ人はモンゴル人に違いない」という誤解ですね
トンチンカンな話題を持ち出して逃げるのは止めましょう
論理的に反論できない人だと笑われますよ


>私も”きょーちゃん”も政治を語っているのです。
>科学は入り口に過ぎません。添え物です。
>「方向性・立ち位置」こそが大事なのです。
>それと政治というものは
>職業や社会的地位によって主張も違います。

政治的な「立ち位置」がどうであろうが間違ったことを書けば間違いを指摘されるんですよ
自分の間違いを素直に認めることができない人は成長しませんよね

柳生さんにとって「チンパンジーの行動は解釈不能」なのは生物学を誤解しているからであって,
常識的には
「チンパンジーのような乱婚であっても
 より多くの交尾期会を得ることができるという点で有利なので,『求愛給餌』は進化しうる」のです
http://s04.megalodon.jp/2008-0715-2326-00/empire.cocolog-nifty.com/sun/2007/09/post_2557.html
また,「~帰納法」という紛らわしい名前はついていますが,
「数学的帰納法」は「完全な帰納法」などではなく「演繹法」なんですね
http://s01.megalodon.jp/2008-0715-2321-29/empire.cocolog-nifty.com/sun/2008/03/post_4525.html

■精神病院に帰られたら如何?

shinok30さん
あなたは私の影を間違えて妄想を働かせているに過ぎないのです。
 
私は人から「変わり身が早い」と言われていて
昔の記事を今も信じているわけでもありません。
政治とはそういうものですよ。
 
1人相撲で「幽霊に勝った!勝った!」と言うことでは
もはや病気でしょう。
ここでは迷惑になりますから
病院にお帰りになられたら如何?
”きょーちゃん”は看護婦さんではありませんよ!

■無題

>私は人から「変わり身が早い」と言われていて
>昔の記事を今も信じているわけでもありません。

そうやってその場しのぎの発言ばかりしているから進歩がないんですよ
上記エントリーのチンパンジーの行動に関して補足しておくと,

>京都大学人類学研究室で学んだ滋賀大学の黒田教授も
>http://www.shc.usp.ac.jp/kuroda/reconsider.html
>「類人猿の食物分配は、独立個体間にも頻繁に生じしかも<惜しみ>が見られる
>ことで、多くの動物に見られる親から子への給餌行動や求愛行動の一環としての
>食餌行動と区別できるし、しなければならない」
>と言っていますよ。
http://s04.megalodon.jp/2008-0715-2326-00/empire.cocolog-nifty.com/sun/2007/09/post_2557.html

黒田さんが「区別しなければならない」と言っているのは,
食物分配行動における[自己の客観視]や[他者理解]といった行動の近接(至近)要因のお話です

>たとえば、食物を保持している個体の欲求の断念過程を分析的に追うことによって、
>欲求する自己の抑制が生じていること、欲求と分配行為の乖離から、チンパンジー・
>ボノボなりの自己の客観視や他者理解のありようを推測することができる。
http://www.shc.usp.ac.jp/kuroda/reconsider.html

昆虫とチンパンジーで行動の近接要因が異なることは当然ですが,
進化の究極要因には共通性があります
黒田さんと私の説明の間に特に矛盾はないのですよ

■無題

>※至近(近接)要因と究極要因
>・至近要因:ある種の特有な現象(反応・行動など)に直接関係する要因
>・究極要因:ある種の特有な現象を起こすことの進化的(適応的)な要因(意味)
>個体レベル以下の生物学では主として近接要因を解明してきたが,生態学のような
>集団レベルの生物学では両方の要因を解明する.
http://www.geocities.jp/henmiy21/1hajimeni.pdf
>ある生物種に特有な現象(反応・行動)を考えた場合、その現象を起こすことに直接
>関係する近接要因と、そのような現象を持つ種がなぜ進化の中で栄えたかに関する
>究極要因が考えられる。生物学の中で、この究極要因の解明をも目的とするのが集団
>の生物学である生態学である。基礎生態学では主に個体群と生活史の変異、競争や
>捕食などの種間の相互作用、生物多様性の創出と維持機構などについて、自然選択
>や適応度などの進化の概念に基づいて理解することを目的とする。
http://www.b.s.osakafu-u.ac.jp/~mishiha/classes.html

>「精子間競争とプレゼント競争は別に相反するものではない」
>なら何故
>人間もゴリラも精子間競争をやらないんですか?
http://s04.megalodon.jp/2008-0715-2326-00/empire.cocolog-nifty.com/sun/2007/09/post_2557.html

人間もゴリラも精子間競争をやらないわけではありませんが,
チンパンジーは婚姻形態が乱婚なので,それだけ「精子間競争」が激しいということですよ

■フォローじゃないね?病院への片道切符だった!

shinok30さん
私の「チンパンジーの記事」少しもおかしくないですよ!
「政治blog記事」と「学術論文」とは記述が違うだけです。
政治的方向性と合理性があれば良いのであって・揚げ足取りは人間性を疑われますよ。
 
Y染色体も
チンギスハーン王朝の正統性???が争われるとすれば・現在のモンゴル国だけなのであって
元代だけが中国史に取り入られている中国では「チンギスY染色体の継承者が中国皇帝」とは見做されません。
ゆえに「モンゴル250万人限定の問題」です。
 
たしかに
”私のフォロー”は必要ないですね。
「paranoiaは救急車で精神病院へ!」でした。

■柳生さんの生物学に関する理解はデタラメ

>私の「チンパンジーの記事」少しもおかしくないですよ!

まじめに生物学を学んだ人なら
柳生さんの「社会生物学」に対する理解が間違っていることが分かるハズです
柳生さんが生物学について語ると,たいてい「おかしなこと」になっていますよ

>Y染色体も
>チンギスハーン王朝の正統性???が争われるとすれば・
>現在のモンゴル国だけなのであって
>元代だけが中国史に取り入られている中国では
>「チンギスY染色体の継承者が中国皇帝」とは見做されません。
>ゆえに「モンゴル250万人限定の問題」です。

チンギスのY染色体についてのサイクス博士の研究は
「チンギスハーン王朝の正統性」なんかとは無関係ですよ
「ゆえに『モンゴル250万人限定の問題』」とか言っても恥の上塗りするだけです

■blogでも間違ったことを書けば批判されます

>「政治blog記事」と「学術論文」とは記述が違うだけです。

「数学は完全帰納法」の時も「blogは学術論文じゃない」という同じ言い訳をしていましたね

>しかしここは一般読者のためのblogなのであって
>専門的な理屈を述べる場ではありません。
>だからここでは
>「数学は完全帰納法」と言っても良いのです。
>学術論文じゃないんですからね。
>投稿 柳生昴 | 2008年4月 4日 (金) 12:37
http://s01.megalodon.jp/2008-0715-2321-29/empire.cocolog-nifty.com/sun/2008/03/post_4525.html

しかし,学術的な定義に基づく正当な批判を受け付けないような人は一般読者にも受け入れられませんよ

>マイペディア百科事典には
>帰納:幾つかの特殊な事例(前提)から一般的結論を導き出す蓋然的推理
>とあります。

「数学的帰納法」は「幾つかの特殊な事例(前提)から一般的結論を導き出す蓋然的推理」ではないので「帰納法」ではありません
結局,柳生さんは辞書的な説明も理解できていないのですよ

■科学的な説明がトンデモばかりだと

ちなみに「数学的帰納法は完全帰納法」という
柳生さんと同じことを言っていた「よう」さんという進化論否定のトンデモさんの主張は
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board060430.html
「果物にはヒトに必要な全ての栄養素が含まれている
 生の果物を食べれば『食物酵素』を取り入れることができるので,
 体内の消化酵素や代謝酵素を節約できて健康に良い(自身の糖尿病も治った)」
という,いわゆる『酵素栄養学』でした

そう言えば,瀬戸さんも同じような『酵素栄養学』健康法を紹介していましたね
>2007年11月10日
>1,乳酸菌+酵素  消化吸収  健康の基本
>体で働く酵素は大きく消化酵素と代謝酵素に分けられます。
>人が一生に間に作ることができる酵素の量は限界があります。
>ですから,できるだけ生きた酵素を食事から取ることが望ましいのです。
>
>消化酵素も代謝酵素も出所は同じなので,消化酵素ばかり作っていると,代謝酵素の方が不足してしまうのです。
http://blog.livedoor.jp/yu_kenbi/archives/229998.html

科学的な説明がトンデモばかりだと政治的な主張の説得力も著しく失われますね

■ウンチク乞食・誰も聞いていないよ!

shinok30ちゃん
誰も読んでも聞いてもいないんですけど・・・
ここは専業主婦のblogです。
染色体とか・代謝酵素とかのお話・眠くなるんですが・・・
チンパンジーなら動物園に行きます。
 
いい加減で”KY”なこと悟ったらどうです?
誰も読まないことをダラダラ書いても時間のムダでしょうに?
実社会でも役に立たないからこんなとこで油を売っているんでしょうけど・・・
あなたには文才が無いから
blogを書いても誰も読まないんですよ。
あ~ぁ・・・あくびが出るワイ・・・(* ̄Oノ ̄*)

■一夫一妻制は1番進化した婚姻形態?

>誰も読んでも聞いてもいないんですけど・・・
>ここは専業主婦のblogです。
>染色体とか・代謝酵素とかのお話・眠くなるんですが・・・

そもそも生物学の話をはじめたのは柳生さんなんですけどね
その後,まともに反論することもなく,間違いも認めないという不誠実な対応に終始しましたけど……

真面目に勉強する気のある人は最初に紹介した教科書を読んでみて下さい
>「動物の社会  社会生物学・行動生態学入門 」 伊藤 嘉昭著 東海大学出版会
http://www.bk1.jp/product/00490989


柳生さんのエントリー内容のうち,
>チンパンジー 乱婚
> ↓
> 人類      一夫一妻(ときどき浮気!笑)
> ↓
> ゴリラ     一夫多妻
> ということになる。
> ただし
> 人類は、ややゴリラの一夫多妻制に近い。
ここまでは(表現は非常に稚拙ですが)まあいいでしょう

でも,何度も言うようにコレ↓は間違い
>今回のチンパンジーの行動の新しい発見は解釈不可能なのである!

さらに,コレ↓は酷いトンデモです
>強いて拙者が推論すれば
> 乱婚 → 一夫一妻
> への過程にあるのであろうか?チンパンジーも・・・?
> と言うことは
> 「一夫一妻制の家族は1番進化した婚姻形態」
> ということが出来るのではないのか?!

■ヒトの繁殖戦略

ちなみに,「ヒトの繁殖戦略は一夫多妻的な傾向を持った一夫一婦制だろう」というは
よく言われる話で,まあ一般的な解釈だと言って良いでしょう
でも,「一夫多妻的な傾向がどの程度か」を評価するのは,かなり難しいんですよ

哺乳類の一般的な傾向として,
一夫多妻的な配偶行動を取る種では雄が大型化することが知られています
例えば,鰭脚類では,
最大90ー150頭の雌と交尾するハレムを作る
キタオットセイやゾウアザラシでは雄が著しく大きく,
ペア型社会を作るゴマフアザラシやタテゴトアザラシでは性差はほとんどみられません

これは他の雄との物理的な戦いやディスプレイに勝利して多くの雌と交尾できるように,
サイズの大型化が選択されてきた結果だと解釈されています
鰭脚類においては,ハレムの平均サイズと
♂/♀の体長比の間には強い相関があることが分かっています

この法則は霊長類でも基本的に当てはまるものの
鰭脚類よりも例外が多いのです
この理由の一つは,
身を隠すことで捕食者を回避することが多い樹上性や森林性の種では
大型化に制限がかかるということですが,
最大の理由は,形態の進化と行動や社会の進化には
時間的なズレがあるということです

つまり,形態は系統発生的制約を受けつつゆっくりと進化するのに対して,
行動や配偶システムは棲息環境の変化によって短期間に変わりうるということです

例えば,オランウータンは森林性で一夫一婦制ですから,
本来なら性的二型は発達しないはずですが,
実際には雄は雌よりもはるかに大きい
これはオランウータンの祖先種が獲得していた形態の残存だと言われています

ヒトも雄は雌よりも十分に大きく,
このことを『一夫多妻的な傾向』の根拠とする見方もあるんですが,
オランウータンの場合と同様の「祖先種の残存形質」の可能性もあるんですよ

■お話中失礼致します。

一夫多妻というお話が出ておりますが、これについて教えて頂けませんでしょうか。

男女比というのは、例えば日本で出生時105:100と聞いたことがあります。成人する頃には1:1になるようです。
ゴリラでもそれほど雄雌の比率が変わらないと思うのですが、一夫多妻な場合、雌の数がかなり必要になると思うのですが、雌も多くの雄の妻になっているという事でしょうか。
または子孫を全く残せない雄がいるという事でしょうか。

初歩的なことかもしれませんが、疑問に思いましたのでお教くださるとありがたいです。
よろしくお願いします。

■人間は「おバカ男」でもモテる!

きょーちゃん
基本的に動物界の一夫多妻制では
1匹(ゴリラ)あるいは少数(ライオン)の”優位のオス”以外はモテません!
メスは優秀な遺伝子のみを取り入れたいからです。
だから他のテリトリーの重なる外延部で「レイプが起こる」のです。
犯人は当然・劣位のオスですから
女性はレイプされることを非常に嫌うのです。
 
ただし
オットセイの劣位のオス(体が小さい)などは
その小ささを利用してハレム(メスの群れ)に紛れ込み”ちょこちょこっと”エッチしてしまうのです。
日本の芸能界でも
おバカタレントである「羞恥心3人組」が大ブレークしていますから
人間社会にも多様性があり・単純には言えません。
「人を笑わせる」というのは
”左脳と右脳をうまく使う”ことなので
ある意味・彼らは優秀なのです。
 
ウンチク乞食は無視!(^O^)/

■女性は油断してオカマに近づく!

つまり
人間界でも「オカマ」は男性度では・もともとかなわないので
わざと女性のフリをして女性を安心させて近づき「エッチのチャンス」を狙っているのです。
よくTVなどでもやっていますが
彼らは大抵・結婚しています。
つまり
オカマ(同性愛者)は”両刀遣い”なのです。
男と女の性を両方とも楽しみたい。
(つまり  スケベ !('-^*)/)

■ゴリラの性比

>男女比というのは、例えば日本で出生時105:100と聞いたことがあります。
>成人する頃には1:1になるようです。
>ゴリラでもそれほど雄雌の比率が変わらないと思うのですが、

理論的には,交尾がランダムに起こっているとすると,
性比は1:1に近づくとされています
しかし,条件によって性比が偏る例はいくつもあって
哺乳類でも雌が自分の順位によって出生性比をコントロールしている事例が報告されています
有名なアカシカの例は私が紹介した伊藤嘉昭の「動物の社会 」のp85-87に載っていますし,
NATROMさんのブログでも引用されています
>ヒトの出生性比はコントロールされているか?
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20080430#p1

ゴリラの出生性比は動物園のデータはあるのでしょうが,
野外におけるデータはまだ不足していると思います
脱落体毛や糞のDNA解析によって野外群の性比を推定する研究が
松原幹や山極寿一らによってすすめられているようですね

>1.野生・飼育ゴリラにおける遺伝学的、生態学および行動学的研究
>1)非侵襲的サンプル(自然脱落毛や糞)を用いたアメロジェニン遺伝子によるゴリラ
>の性別判定の方法を開発した。さらにこのPCR産物を用いて塩基配列解読を行い、
>RFLP-PCR法によるヒトとゴリラの種判定の手法を開発した。この手法を応用して、
>アフリカ・コンゴ民主共和国東部カフジ・ビエガ国立公園のヒガシローランドゴリラ
>を対象に性別判定を行った。この研究で群内性比および熱帯山地林域における孤立
>個体群の性比の推定が可能となった(京都大・山極寿一教授らとの共同研究)。

>Miki Matsubara, A. Kanyunyi Basabose, Ilambo Omari, Kiswele Kaleme. Byamana
>Kizungu, Kiyego Sikubwabo, Kahindo Muzusangabo, Juichi Yamagiwa, Osamu Takenaka.
>Genetic analysis of sex ratio of eastern lowland gorillas in Kahuzi-Biega
>National Park, D. R. C. The 19th Congress of the international Primatological
>Society (2002年8月、北京、中華人民共和国)
http://paeonia.jugem.jp/?page=1

■ゴリラの複雄群

>一夫多妻な場合、雌の数がかなり必要になると思うのですが、
>雌も多くの雄の妻になっているという事でしょうか。
>または子孫を全く残せない雄がいるという事でしょうか。

「雌も多くの雄の妻になっている」場合はチンパンジーと同様に
「乱婚型」に分類されます
「一夫多妻型」の場合,あぶれ雄がリーダーの隙をみて交尾できる確率はかなり低くなるでしょうね

実は,山極寿一らの研究によれば,
ニシローランドゴリラやヒガシローランドゴリラでは複雄群は稀なのですが,
マウンテンゴリラでは珍しくないようです
山極寿一らはマウンテンゴリラの雌は「幼児殺しの脅威」から
「信頼できる保護」を求めて親戚雄が共同体を形成する複雄群に移動するのではないかと考察しています
逆に,「幼児殺し」がないヒガシローランドゴリラでは
雌が移動の際に幼児や他の雌を伴うことや,雄が「自分が出生した群れから雌を連れていくこと」や
「隣接した群れから雌を誘い出すこと」や「リーダー雄の死後の未亡人群を接収すること」によって
短期間に大きな群れを確立することが促進されているのだろう
と推測しています
http://www.springerlink.com/content/0vkkypdwevjcjyxl/

■哺乳類の一夫一妻の進化

そもそも,鳥類において一夫一妻が多いことと対照的に,
哺乳類の大部分は場合は乱婚または一夫多妻ですね
D.G.クライマンの推定では一夫一妻の哺乳類は全体の3%以下だそうです

哺乳類に一夫一妻が少ない原因は雌雄間の子への投資の差で説明されています
哺乳類の受精から出産,授乳の期間は長く,鳥類よりも長い間,雌は子に縛りつけられますが,
雄はその間,他の雌と交尾することが可能ですね
また,鳥類の給餌による育児は危険性が高く,雄の手助けが必要であるのに対して,
授乳による保育は安全で,雄の手助けは必ずしも必要でないことも関係しているのでしょう

したがって「哺乳類の一部でなぜ一夫一妻が進化したのか?」
というのは研究テーマになります
(柳生さんの「一夫一妻制の家族は1番進化した婚姻形態」というのは論外ですけどね)
例えば,オランウータンの場合,
一夫多妻と推測される祖先種から,どのように一夫一妻に進化したのか?
という点が興味深いですね

伊藤は「子にとって餌の得にくい」環境が雄親の育児協力や一夫一妻を進化させたといい,
霊長類の場合には孤独性や一夫一妻の種は熱帯多雨林上層で棲息し,
大きな群れを作る種は草原や半地上的生活を営むとも主張しています

この説にはいろいろ異論もあるようですが,
私は伊藤の説に説得力を感じていて,
オランウータンの祖先種は林縁部で半地上性の現生ゴリラ類に近い一夫多妻生活をしていて
テナガザル類に近い樹上性の生活になる過程で一夫一妻になったのではないかと考えています

一方,ヒトの場合は,孤独性のオランウータンと違って,
地上性の生活で何個体もの雄と雌を含む集団内で,一夫一妻を維持しています
これは社会構造的には,
テナガザル類やタマリン類などにもみられる霊長類型の一夫一妻よりは
オオカミ類などのイヌ科の一夫一妻に近いのではないでしょうか?

■鳥類の乱婚や一夫多妻の進化

逆に,鳥類の場合は「鳥類の一部でなぜ乱婚や一夫多妻が進化したのか?」
というのが研究テーマになりますね

乱婚や一夫多妻は地上性のダチョウやキジやライチョウなどで,
樹上性や崖上に巣を作る鳥は一夫一妻の割合が高いようです
前者のヒナが早成で生まれてすぐに自分で餌がとれるので給餌の必要がないのに対して,
後者のヒナは晩成で餌がとれない状態で孵化するので親が給餌する必要があります
おそらく,給餌の必要がないことで雄の協力が必要なくなった結果,
哺乳類のような乱婚や一夫多妻が進化したのでしょう

しかし,ガンカモ類のように,
ヒナが早成であっても一夫一妻が基本であるグループもあるので,
他の要因も考えた方が良いのかもしれませんね

■ご解説ありがとうございました

>柳生昴さん
優秀な男性を好きになる事と、強姦を死ぬほど嫌う事は、優秀な子孫を残したいという本能から来ているのですね。
優秀でなくてもいろんな方法で子孫を残そうという工夫も確かに努力であり、才能でもありますね。
男性は複数の女性を好きになれて、女性はひとりしか好きになれませんけれども、そういう心の状態も生まれつき組み込まれているのがふしぎと思っていました。
でもそうだからといって、男性の浮気は許せないですけどね。(笑)

>shinok30さん
栄養状態でコントロールと言うお話興味深いですね。男女の産み分けを望む方は多いですから解明されたらすごいことになりそうです。
好きな性を産めるようになると、それこそ比率が変わる懸念がありますが、全体的に見ればどちらも欲しがる人がいて、結局は1:1くらいになると言われてる産婦人科医もいると聞いたことがあります。
同じゴリラでも、鳥類でも、そして人間もですが、夫婦の形がいろいろあることは、まだどれが一番いいのか試していて進化の途中という感じがしました。ご紹介頂いた山極寿一さんですが、偶然今読み始めている本が「暴力はどこからきたか 人間性の起源を探る」山極寿一さん著です。
ゴリラの話が載っているので、コメントを読ませて頂いて余計に興味がわきました。日本では経済力を男性が子供に注いでくれないと困りますから、今の制度が一番いいのでしょうね。
それにしても、一夫多妻制は感情的な問題として、私はすごく嫌ですね。(笑)
多夫一妻というのは無いようですが、一度にいろんな雄の子を産める猫と違いますから、現実的では無い制度は意味が無いのでしょうね。

■一妻多夫か一夫多妻か

>多夫一妻というのは無いようですが、一度にいろんな雄の子を産める猫と違いますから、
>現実的では無い制度は意味が無いのでしょうね。

伝統的な一妻多夫としては,チベットの例が知られていますね

>一妻多夫
http://www.tabichina.com/Tibet/issaitafu_2.htm
>チベットのほうに一夫多妻ではなく、一妻多夫の地域があると聞きました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q145672474

しかし,
>進化と人間行動 長谷川 寿一著  長谷川 真理子著
>東京大学出版会
http://www.bk1.jp/product/00017315
によると,これは限られた耕作地を分轄しないで家を維持するという
社会的な制約によって生まれた制度で,
その家の子が娘ばかりの場合は姉妹で一人の夫を共有する「一夫多妻」になる場合もあるそうです


>日本では経済力を男性が子供に注いでくれないと困りますから、
>今の制度が一番いいのでしょうね。
>それにしても、一夫多妻制は感情的な問題として、私はすごく嫌ですね。(笑)

現代の日本においては,ほとんど人にとって「一夫多妻」は現実的ではないでしょうね
仮に法的に認められたとしても「一夫多妻」を選択する人ほそれほどいないと思いますよ

イスラム教徒は妻を4人まで持つことが認められていますが,
現在のマレーシアのイスラム教徒の場合,
実際に2人以上の妻を持っている男性は10%程度しかいないようです
>マレーシアでは一夫多妻者は1割程度
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200509070006303

マレー映画にMadu tiga(三つの月)という3人の妻を持った男を描いた
ドタバタコメディがあるのですが,
>Madu tiga (1964)
http://www.imdb.com/title/tt0277810/
この映画を見ると,1960年代のマレー社会においても
庶民が3人の妻を持つというのはコメディのネタなるような話だったことが分かりますよ

■行動の進化

>同じゴリラでも、鳥類でも、そして人間もですが、夫婦の形がいろいろあることは、
>まだどれが一番いいのか試していて進化の途中という感じがしました。

進化の到達点としての一般的な「一番いい」状態というのはありませんよ
棲息環境によって選択される最適値は変わりますから,
2008-07-17 00:31:22のコメントで書いたように,
>行動や配偶システムは棲息環境の変化によって短期間に変わりうるということです

例えば,ヒトの生活圏を離れ,森林や草原で狩りだけで生活しているネコ<i>Felis catus</i>は,
他の野生種の小型ネコ類と同様に,単独性で同性間に排他的であり,棲息密度は低くなります
それに対して,都市部のネコは餌をヒトに依存しているので,狩りはほとんどしなくなり,
餌場グループと呼ばれるグループを形成し,高密度で安定するようになります
また,餌資源の量によっては餌場グループ性と単独性のネコがモザイク状に分布する場合もあります
(『哺乳類の生態学』(東京大学出版会)の『第6章 社会システム─ネコ科の研究を中心にして』より)
http://www.bk1.jp/product/01427875
このような「生活形」の違いは,ネコという動物の習性の可塑性を示している可能性が高く,
遺伝的な変化を伴わないので,これ自体は「進化」とは言えないかもしれません

しかし,単独性のネコと餌場グループ性のネコに働く淘汰圧は異なりますよね
また,餌場グループ内のネコは近親交配が多いことも観察されています
つまり,餌場グループは一つのサブ個体群とみなすこともできますし,
行動的な生殖隔離が発達すれば,種分化の単位となる可能性もあります
また,餌場グループごとの『遺伝する表現型』に対する淘汰圧の違いは,
集団の『形質』を変化させていきますから,これらの現象は「進化」と言えるでしょう

■優秀な者が生き残るとは限らない

きょーちゃん
地球上に最初に誕生した単細胞生物は「メス(女)」でした。
オスは遺伝子を混ぜ合わせて病原菌から守るためにメスのずっと後に誕生しました。
だから生物の原型は女性であって・男はボディ・ガードに過ぎません。
それと女性は
産まれた子どもは必ず自分の子どもですが
男性はそうとは限りません!
「妻が浮気をしたのではないか?」
という疑いが常に脳裏をよぎるので・何かと女性を支配したがります。
男というのは常に自分の存在が確認できない哀れな生物ですね。
 
男も女も
優秀な異性の遺伝子を取り入れたいのですが
(ケンカが強いことや寄生虫に強いことなど)
この世界は
偶然や運不運によって左右されるので
必ずしも優秀な個体が生き残るわけではありません。
たとえば
ライオンなどは足の遅い獲物を襲うのではなく
たまたま手近の”運の悪い獲物”を襲からです。
 
ですから
人間の女性も基本的には
ケンカが強い(狩猟時代や古代社会などで)
頭が良い・お金を持っている
ミュージシャンやスポーツマン(現代)
の男性が好きなのですが
ヤクザのように恐い男性
けちな男性が好きな女性も
少数派ながら居ます。
「この世は何があるか分からない」
からです。
株で言う「分散投資」ですね。
 
また
耕さんのような”石部金吉”は見合い結婚があったので昔は楽に結婚できましたが
「女性へのアプローチを要求される」現代ではなかなか苦労するでしょう。
しかし
プレイボーイに騙された女性は却って”真面目で信頼できる男性”に見えるかもしれません?
人生さまざまです。
(政治もいろいろ・・・小泉さん)
確かにぃ~(DAIGO)

■男心と秋の風

きょーちゃん
エッチした後
男は別の女性とエッチしたがり
女は同じ男としたがる。
知っていましたか?
 
男の精子は一回の射精で「5億個」も出ますが
女性の卵子は生涯で排卵されるのは「たったの400~450個に過ぎない」からです。
(生まれたときには200万個だが・思春期までに30万個にまで減る・・・)
男性は”ばら撒き戦略”
女性は「少なく産んで大事に育てる戦略」
とならざるを得ないのです。
 
男の浮気は仕方が無いのです。
(許してね?)

■「男心と秋の空」でした~♪

「秋の風」ではなく
「男心と秋の空」
でした。

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