2008/07/17
皆さん、こんにちは。
今週の月曜日(7/14)は大安で、一つの計画がスタートしました。
私はこの春に66を通過しました。一般的には仕事の一線を去る年頃ですが、たまたまこの時期になって、今までで最大のテーマに取り組むことになりました。私は資本家でなく番頭社長なのですが、オーナーがやりたければやれというので、やらせて貰う方向でスタートした訳です。
そんなことがあって気分がそっちに集中していたので、昨夕になって靖国の「みたま祭り」へ行きました。最終日でしたね。
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凄い人数でした。若い人が多いですね。それに「外国人」。年ごとに増えていく気がします。
盆踊りにも、若者が飛び入りして楽しそうに踊ります。
本当に稀有な場所ではないですか、戦死者の慰霊の場として。
類する場所としては、私は、韓国の「国立墓地」を思い浮かべますが、あそこで鐘や太鼓で踊るとは、考えられませんね。アーリントンでも、おそらくそうでしょう。
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雪洞を見るのが「みたま祭り」の楽しみの一つです。今年はこれを推薦しましょう。
崇敬者総代・古河潤之助氏の揮毫です。これが靖国の心であると、私は思っています。
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外国の人も、踊っていますね。
これが軍国主義施設という。カトリックの一部聖職者も覗いたらいいですよ。“敵状”を知ることは、必須でしょう。
腰を抜かすかも知れませんが。その人の多さに。若さに。明るさに。
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これらの提灯の前で、私は静かに頭を下げます。
国家というものは、これほどの苦しみを、人に要求するものなのか。そうだ、という人はいるでしょう。
私は、そうだと、確信をもって発言できない。しかし、そうでないという気もない。
その苦しみを厭うたら、その苦しみから逃れることができるのか。できる、という人がいる。しかし歴史は、それができた、ただ一つの実証例も残していない。
“悪魔の証明”
「無かった」ということは、「あり得ない」の証明にはならない。
神州が不滅でないことは、滅亡によってしか証明できなかった。
だからローマ人が言ったように、戦いを覚悟したものだけが、戦いを避けることができる、のだろう。
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