2005年02月
2005年02月27日
今月の介護者の集い「ノロウイルスと風邪の予防」
今月の介護者の集い
前回のヘルパーの業務範囲について介護者の集いを開催したんですが
あっという間に一ヶ月が過ぎてしまいました。
今回は、「ノロウイルスと風邪の予防」
というテーマで開催しました。
高齢者関係の施設では今年1月に入ってノロウイルスで
多くの方が感染し亡くなってしまうという出来事がありました。
2月に入ってインフルエンザの影に隠れて
もうすでに過去の出来事になりつつありますが大切な事なので
今回のテーマとして開催致しました。
っていうかノロウイルスって最近流行りだしたんですか?
というのがはじめの印象。
実は、昔から存在していて、
特によく聞くのが生カキをたべて
嘔吐や下痢、発熱といった症状が出てしまうといった腸炎等
がノロウイルスの仕業だというのだ。
では、高齢者施設では生カキを食べて感染したのかというと
そうではなく、ノロウイルスに感染した方の嘔吐物や便等にウイルスが
混ざっていてなんらかの形で同じ入居者に感染したとの事である。
ノロウイルスは食物連鎖によって起こる自然界の常在菌である。
生カキは海中に存在するバクテリアを取り込むと同時にノロウイルスも吸収
してしまう。その後、カキはノロウイルスの菌をどんどん貯めていく事になる。
そのカキを人間が捕食し感染に至る。
捕食後、人間の胃腸の中で増殖し毒性の強いウイルスへと変わる。
なんとノロウイルスは人間の胃腸のみ増殖する事が可能なのである。
しかも、もともとノロウイルスは大昔から人間の胃腸に存在するウイルスだという。
それが、糞便となり川や海中に流され、カキが吸収し
また人間が食べ、今度は毒性の強いものへと変わっているという。
で、その嘔吐物や糞便が川へ海へ・・
じゃあ一体、ノロウイルスはどこからやってきたんだ?
という質問を隣の部屋の訪問看護の看護師さんに聞いてみると
「卵が先かニワトリが先かの違いやな」
と自信満々で言われたんだけどさっぱり分からん。
ウイルスというぐらいなので、抗体を持っている方がほとんどであるが
高齢者や子供などの抵抗力の弱い者は感染に至る。
特に高齢者施設では、ずさんな衛生管理が多く
感染しやすいのだと思う。
特養で働いていた時、素手でオムツ交換をしていた。
便が手につく事なんていつのまにか、慣れていた。
当たり前に思えていた事は、当たり前ではなく
その便のついた手でいろんな物を触る訳で
その手で次の利用者のオムツ交換もする。
自分は平気かもしれないが、他人を傷つけている
他人から見た時
その行為は、普通ではない。
オムツ交換やトイレ介助の時の介護用の手袋は絶対なのかもしれない。
利用者に失礼な感じもあるが、それ以上に大切な事があると今更
ながら思うのでした。
前回のヘルパーの業務範囲について介護者の集いを開催したんですが
あっという間に一ヶ月が過ぎてしまいました。
今回は、「ノロウイルスと風邪の予防」
というテーマで開催しました。
高齢者関係の施設では今年1月に入ってノロウイルスで
多くの方が感染し亡くなってしまうという出来事がありました。
2月に入ってインフルエンザの影に隠れて
もうすでに過去の出来事になりつつありますが大切な事なので
今回のテーマとして開催致しました。
っていうかノロウイルスって最近流行りだしたんですか?
というのがはじめの印象。
実は、昔から存在していて、
特によく聞くのが生カキをたべて
嘔吐や下痢、発熱といった症状が出てしまうといった腸炎等
がノロウイルスの仕業だというのだ。
では、高齢者施設では生カキを食べて感染したのかというと
そうではなく、ノロウイルスに感染した方の嘔吐物や便等にウイルスが
混ざっていてなんらかの形で同じ入居者に感染したとの事である。
ノロウイルスは食物連鎖によって起こる自然界の常在菌である。
生カキは海中に存在するバクテリアを取り込むと同時にノロウイルスも吸収
してしまう。その後、カキはノロウイルスの菌をどんどん貯めていく事になる。
そのカキを人間が捕食し感染に至る。
捕食後、人間の胃腸の中で増殖し毒性の強いウイルスへと変わる。
なんとノロウイルスは人間の胃腸のみ増殖する事が可能なのである。
しかも、もともとノロウイルスは大昔から人間の胃腸に存在するウイルスだという。
それが、糞便となり川や海中に流され、カキが吸収し
また人間が食べ、今度は毒性の強いものへと変わっているという。
で、その嘔吐物や糞便が川へ海へ・・
じゃあ一体、ノロウイルスはどこからやってきたんだ?
という質問を隣の部屋の訪問看護の看護師さんに聞いてみると
「卵が先かニワトリが先かの違いやな」
と自信満々で言われたんだけどさっぱり分からん。
ウイルスというぐらいなので、抗体を持っている方がほとんどであるが
高齢者や子供などの抵抗力の弱い者は感染に至る。
特に高齢者施設では、ずさんな衛生管理が多く
感染しやすいのだと思う。
特養で働いていた時、素手でオムツ交換をしていた。
便が手につく事なんていつのまにか、慣れていた。
当たり前に思えていた事は、当たり前ではなく
その便のついた手でいろんな物を触る訳で
その手で次の利用者のオムツ交換もする。
自分は平気かもしれないが、他人を傷つけている
他人から見た時
その行為は、普通ではない。
オムツ交換やトイレ介助の時の介護用の手袋は絶対なのかもしれない。
利用者に失礼な感じもあるが、それ以上に大切な事があると今更
ながら思うのでした。
2005年02月20日
たまにはこんな話も良いよね
やられた・・・
完全にやられた・・・
今日は休みだったんで、買い物に出かけて
ついでにたまった洗濯物をコインランドリーに持っていった
身ぐるみ全部、洗濯したのでジャージ姿で帰ってくる途中
近くの楽器屋さんにちょっと用事があったんで入ってみると
「おおう!!」
メチャクチャかわいい店員さんがいた!!
しいて言うならば、歌手のフェイレイと白石美帆を足して
中世のヨーロッパの音楽家(髪型がクルクル)で割った感じ。
年は自分と同じか年下とみた!!
その店員を見た瞬間
ある感覚に襲われた
こ・・この感覚は・・
普段、仕事場で歴戦のアマゾネスと一緒に働いていて
すっかり忘れ去られたこの感覚・・
くわばら、くわばら・・
ど・・どうしちまったんだ俺・・
まるで生まれたての子馬のごとく膝がガクガクだ
普段、もっと過酷な状況を乗り越えて来てるじゃないか!!
一目惚れ?
いやいや・・
生まれてこのかた一目惚れなんていう現象は経験した事がない
アンチ一目惚れである
すると店員さんが
「今日は、お寒いですね」
フォオオ!!
今日び、「お寒いですね」
なんて言葉を使うなんて
きっとどこかの良家のお嬢さんで
2階の音楽教室でピアノの先生をしながら(髪型で判断)
楽器屋の仕事を手伝っているんだ
普段は子供達に先生!!って呼ばれてたりするんだ・・
くわばら、くわばら・・
等と訳の分からん想像を一瞬の内に妄想してしまう
ぐらいおかしな状態であった
力一杯
「メチャクチャ寒いです!!」
と返事をしたら笑ってた
と・・
冷静に自分の姿を良くみると
全身、芋ジャージではないか!!
しかも、フル装備じゃないか!!
さらに、片手に買い物袋
もう片手には、洗濯物の入ったゴミ袋。
アカン!!アカンでえ!!
変態やでえ!!
もしかして、俺のいでたちに笑い?
そりゃ確かに寒そうです(笑)
よりによって芋ジャージかよ!!
きっと鼻毛もそよいでたんじゃないのか?
等とネガティブな念にかられて
その場を去った。
もう、26歳なんだから、ヨッサンしっかり!!
う〜ん
たまにはこんな話もないとね。
完全にやられた・・・
今日は休みだったんで、買い物に出かけて
ついでにたまった洗濯物をコインランドリーに持っていった
身ぐるみ全部、洗濯したのでジャージ姿で帰ってくる途中
近くの楽器屋さんにちょっと用事があったんで入ってみると
「おおう!!」
メチャクチャかわいい店員さんがいた!!
しいて言うならば、歌手のフェイレイと白石美帆を足して
中世のヨーロッパの音楽家(髪型がクルクル)で割った感じ。
年は自分と同じか年下とみた!!
その店員を見た瞬間
ある感覚に襲われた
こ・・この感覚は・・
普段、仕事場で歴戦のアマゾネスと一緒に働いていて
すっかり忘れ去られたこの感覚・・
くわばら、くわばら・・
ど・・どうしちまったんだ俺・・
まるで生まれたての子馬のごとく膝がガクガクだ
普段、もっと過酷な状況を乗り越えて来てるじゃないか!!
一目惚れ?
いやいや・・
生まれてこのかた一目惚れなんていう現象は経験した事がない
アンチ一目惚れである
すると店員さんが
「今日は、お寒いですね」
フォオオ!!
今日び、「お寒いですね」
なんて言葉を使うなんて
きっとどこかの良家のお嬢さんで
2階の音楽教室でピアノの先生をしながら(髪型で判断)
楽器屋の仕事を手伝っているんだ
普段は子供達に先生!!って呼ばれてたりするんだ・・
くわばら、くわばら・・
等と訳の分からん想像を一瞬の内に妄想してしまう
ぐらいおかしな状態であった
力一杯
「メチャクチャ寒いです!!」
と返事をしたら笑ってた
と・・
冷静に自分の姿を良くみると
全身、芋ジャージではないか!!
しかも、フル装備じゃないか!!
さらに、片手に買い物袋
もう片手には、洗濯物の入ったゴミ袋。
アカン!!アカンでえ!!
変態やでえ!!
もしかして、俺のいでたちに笑い?
そりゃ確かに寒そうです(笑)
よりによって芋ジャージかよ!!
きっと鼻毛もそよいでたんじゃないのか?
等とネガティブな念にかられて
その場を去った。
もう、26歳なんだから、ヨッサンしっかり!!
う〜ん
たまにはこんな話もないとね。
2005年02月16日
地域の劇団
いやあ〜
完全にやられた・・
何にやられたかって
いよいよ在宅介護支援センターのタイムリミットも一年ちょい
になってきたんですが、そこで最期まであきらめない為の
支援センター職員研修が行われたんです。
最期の一年、一体何をするべきか・・
もちろん地域へGO!!
なんですが
具体的な策が無かったり
複雑な地域の人間関係等
地域に出るという難しさ感じていました。
そんな中、今回の職員研修でとある支援センターの
実践報告がありました。
その実践報告が自分が目指すべき地域との関わりの姿だったのです。
どのような活動をしていたかというと
まず、地域に存在しているボランティアや民生委員、町内会長
医師、医療施設、福祉施設、老人会、婦人会、地域住民等のインフォーマルなものから
既存の施設、事業所まで、幅広い層の関係者を一同に集めた
会議を支援センターが中心となり運営している事。
この会議から生まれた、疑問や提案を行政の力を借りながらも
自分たち地域の住民が中心として行っている事。
そうやって生まれた活動が
「地域劇(仮称)」
という劇団なのです!!
これには、面食らいました。
劇ですよ!!劇!!
多方面の専門職はもとより、地域住民が中心となって参加し
自らが、企画運営して行われる劇。
シナリオは勿論のこと、出演者もすべて地域住民である会議のメンバーや
その関係者。
内容は、地域の活性化や、介護、認知症、障害の正しい知識を促すといった
啓発的なものや、失われつつある良き時代のご近所付き合いや
児童と高齢者が協力しながら、これから10年、20年先の未来を見据えた
スケールのでかい内容でありました。
その活動は、町の名医や、地の有力者等も巻き込み
実際に劇に出てもらう事で、一体感を感じてもらう
同じ境遇や経験をする事で共感できるものが芽生えるのかもしれません。
そして、この劇団は1000人収容可能となる地域の大ホールでの講演を
実現した。その講演では市長までもが参加、出演するという
本当の意味での一体感、すべての横の繋がりを実現したといっても過言ではない。
僕はこの支援センターの活動に本来のあるべき姿を見た。
日々の相談業務とこのような地域に出るという活動は二つで一つ
のような気がします。
どちらもおろそかにしてはいけないし、お互いがリンクしている関係なんだと思う。
地域に出るという事は、おのずと浮き上がってこない
要支援者、要援護者の発見に繋がっていく・・
僕は、このような活動をしている支援センターの存在を知って
羨ましくも恥ずかしくも思えるのです。
完全にやられた・・
何にやられたかって
いよいよ在宅介護支援センターのタイムリミットも一年ちょい
になってきたんですが、そこで最期まであきらめない為の
支援センター職員研修が行われたんです。
最期の一年、一体何をするべきか・・
もちろん地域へGO!!
なんですが
具体的な策が無かったり
複雑な地域の人間関係等
地域に出るという難しさ感じていました。
そんな中、今回の職員研修でとある支援センターの
実践報告がありました。
その実践報告が自分が目指すべき地域との関わりの姿だったのです。
どのような活動をしていたかというと
まず、地域に存在しているボランティアや民生委員、町内会長
医師、医療施設、福祉施設、老人会、婦人会、地域住民等のインフォーマルなものから
既存の施設、事業所まで、幅広い層の関係者を一同に集めた
会議を支援センターが中心となり運営している事。
この会議から生まれた、疑問や提案を行政の力を借りながらも
自分たち地域の住民が中心として行っている事。
そうやって生まれた活動が
「地域劇(仮称)」
という劇団なのです!!
これには、面食らいました。
劇ですよ!!劇!!
多方面の専門職はもとより、地域住民が中心となって参加し
自らが、企画運営して行われる劇。
シナリオは勿論のこと、出演者もすべて地域住民である会議のメンバーや
その関係者。
内容は、地域の活性化や、介護、認知症、障害の正しい知識を促すといった
啓発的なものや、失われつつある良き時代のご近所付き合いや
児童と高齢者が協力しながら、これから10年、20年先の未来を見据えた
スケールのでかい内容でありました。
その活動は、町の名医や、地の有力者等も巻き込み
実際に劇に出てもらう事で、一体感を感じてもらう
同じ境遇や経験をする事で共感できるものが芽生えるのかもしれません。
そして、この劇団は1000人収容可能となる地域の大ホールでの講演を
実現した。その講演では市長までもが参加、出演するという
本当の意味での一体感、すべての横の繋がりを実現したといっても過言ではない。
僕はこの支援センターの活動に本来のあるべき姿を見た。
日々の相談業務とこのような地域に出るという活動は二つで一つ
のような気がします。
どちらもおろそかにしてはいけないし、お互いがリンクしている関係なんだと思う。
地域に出るという事は、おのずと浮き上がってこない
要支援者、要援護者の発見に繋がっていく・・
僕は、このような活動をしている支援センターの存在を知って
羨ましくも恥ずかしくも思えるのです。
2005年02月15日
AED(自動体外式除細動器)
行いました。
AED(自動体外式除細動器)とは電気ショックが必要な心臓の状態を判断できる
心臓電気ショックの器械です。
しかも、医療職ではなく一般の人にも使用が可能という
画期的なものなのです。
※一般の人にも利用可能なのは、研修や講習を受けた方に限ります。
そもそも何故、このような医療の分野である研修を行ったかというと
心肺停止状態に陥った利用者を前にしたヘルパーのとった行動の話がきっかけです。
普段から飲み込みが悪い利用者に、あるヘルパーが訪問した時である。
ギャッジアップせずに飲み込んだ為呼吸困難となり、その後心肺停止状態に陥った。
その時ヘルパーがとった行動は、人工呼吸や心臓マッサージではなく、
事業所に連絡し指示を待った。その後、この方は助からなかったという出来事があったのです。
救急車が到着までにかかる時間はウチの市内では平均5分30秒であり、
この心肺停止してから救急車を待つ5分間にCPR(心肺蘇生法)を行った場合、
助かる確立は50パーセントにもなる。
いつ上記のヘルパーのような現場に遭遇するかわからない。
特に医療・介護の現場で働いている専門職の方々には遭遇する確立が高いと思う。
今回の研修では、救急処置の必要がある方を前にした時に、適切な救急処置と、
そのサポートをするAEDについて実技を交えながら行いました。
AED(自動体外式除細動器)とは。
自動体外式除細動器は、心肺停止患者の蘇生に劇的な効果をもたらす可能性を秘めた機器である。除細動までに要する時間が救命を決める最も重要な要因であり、新しいガイドラインでは病院外での心停止に対しても5分以内に除細動を行える体制の確立を求めている。AEDは、迅速な除細動を実現するため、訓練や教育を受けた市民に除細動を委ねること前提として開発されたものであり、コンピュータ化され、確実で操作しやすい機器である。また小型・軽量化され、運搬も容易である。使用頻度が高くない場所でも管理しやすいよう5年間はメンテナンスフリー(充電も含めまったく管理不要)であるなどの工夫も凝らされている。心室細動に対する感度・特異度は非常に高く安全に使用できることは実証されている。
AEDの登場により、除細動は一次救命処置の中に組み込まれることになった。欧米では市民による除細動プログラムが、実際に動き出している。日本においても(欧米と比較し、心室細動の頻度は低いと思われるが)、AEDを効果的に配置し活用することにより、心停止患者の予後が改善することが期待される。現在は、救急医療サービスを要請して5分以内にショックを与え、迅速な除細動を行うことが最終目標である。
このAEDは電源を入れると、電極パッドの貼付、心電図解析、通電までの除細動を自動音声で導いてくれる。しかし、万能ではなくあくまでもCPRの補助的な役割をする機器であり、声かけ、119番通報や連絡、気道確保・人工呼吸、循環サインの確認、心臓マッサージ等の行為は必要不可欠である。その上で、より生存の可能性を高める上でのサポート的な役割であると認識して欲しい。例え、AEDが心電図解析後「除細動の必要なし」と音声が流れたとしても、実際は電極パッドの貼付位置が悪かったり、一時的な心拍の安定かもしれない。最終的には、循環サインや体の微妙な変化を「見て、聞いて、感じる」が大事になってくる。
日本光電さんのAEDの説明HP
※ちなみに研修の実技で使ったものと一緒のタイプです。
簡単なCPR(心肺蘇生法)の説明
まず、倒れている方を発見→
声かけし意識の確認→
意識がない場合、周辺の人を呼び119番通報と、AEDを持ってきて欲しいと依頼する→
呼吸がなく、脈・循環サインがないことを確認した後、人工呼吸と心臓マッサージを15:2の割合で行う→
AED到着後電源を入れ音声にそって電極パッドの貼付、心電図解析、必要に応じ、周囲にいる方、自分が充分に離れている事を確認した後、通電を行う→
CPRを行い、再び音声に従いAED施行
AEDの必要がないと音声があった後も心臓マッサージ、人工呼吸を15:2の割合で
救急車到着まで行う。意識が戻った場合は回復体位をとり救急車到着まで観察を続ける。
AEDの使い方の応用として、プールで溺れた方が心肺停止状態に陥った時や、
体毛が多い方・鉄板の上で倒れている方・ペースメーカーを埋め込んでいる方等
AEDの使い方の状況を想定した実技も行いました。
平成16年7月1日から、医療専門職は、AEDを使用しなければならないという
義務化や、一般の市民も今回のような講習会の受講者は使用可能になることが
伝えられ、今回研修に参加した看護師の皆さんも
初めて知った方もいた様子である。
今回、自分自身もこのような研修を受けたのも車の教習所以来で
実技ではまったく対応できず、おろおろするばかりだった。
しかも、今回実技講習を受けたかといって、実際の緊急な場面で
とっさの判断が自分に出来るかどうか・・・
CPR等の救急実技は何度も繰り返し練習することにより
とっさの適切な対処が可能となるのだと思う。
今回をきっかけに、今後も実技の練習を繰り返し重ねて行きたいと思うのでした。
2005年02月14日
サッカー日本代表
ワールドカップ予選、日本対北朝鮮
日本代表勝ちましたね!!
ぼく自身、サッカーをするのも観るのも大好きなんですけど
最高に盛り上がった試合内容だったと思います。
※写真は中村俊輔 ヤフーより
ただでさえ盛り上がる予選。
しかも相手は北朝鮮で
試合の始まる数日前から異様な雰囲気・・
マスコミも大々的に取り上げてましたもんね
いろんな意味でこの試合は負けられない一戦!!
そう思うと見る方も熱くなってしまった。
「わが青春の追憶」 柴田芳三
の時代は戦争という国と国の争いであったが
今はスポーツという己の肉体を駆使し、決められたルールの中で
国同士がしのぎを削る。
良い時代ですね。これも先人の方々に感謝するばかりです。
と・・
思いきや
北朝鮮の核保有のニュース
マジかよ!!
しかし、試合に負けた次の日にこのニュースを流すなんて
あまりにもタイミング良すぎじゃないか?
まさかとは思うけど負けた腹いせとか・・・
んなこたーないよね、書記長!!
2005年02月02日
「わが青春の追憶」 柴田芳三
わが青春の追憶
柴田芳三
弟に前々からおもしろいから読むようにと
言われていたので読んでみると
これがホントにおもしろかったので謝罪の電話をした(笑)
「本日天気晴朗なれども浪高し!」
内容は、柴田芳三という方の一水兵がとらえた太平洋戦争
なのだが、単なる「大日本帝国万歳!!」
という感じの物語ではなく
本当に柴田芳三という一水兵から見た戦争であり
いわゆる自伝なのである。
広島の呉の話もあったので
大学が広島だった自分にとって
知ってる地名だったりが出てきてイメージがしやすかった。
自ら志願し海軍に入隊してから
終戦までのお話
戦争の悲惨さは勿論なんだけど
当時の軍隊の規律や、生活全体を
こと細かに書かれています。
現代の18歳の若者が当時の軍の規律や訓練に
耐え得るだろうかと考えれば
私を含めてまず無理なんじゃないかと思います。
そういう時代だからこそ耐えれたというのなら
今の時代は、耐える事が出来ない時代なんだと思います。
あまりにも普段の厳しい訓練と上官からの
執拗なしごきにより
戦闘中のほうが生きた心地がしたぐらいだという
この時代の方はきっと
柴田芳三さんを筆頭に
有り余るバイタリティと判断力、忍耐
そして、一瞬一瞬を人生の最後の時のように大切にし、
一日を完全に生き尽くすという気持ちを兼ね備えているのでは
と思う。
日本の高度経済成長は勿論の事、戦争後のベビーブーム等
も頷けます。
この方達がいなかったら文字どおり僕らはいなかったし
今の日本の豊かな暮らしは無かった
ありきたりのような言葉だが、心底そう思うのです。
現代は現代なりに違った意味で命の危険を感じる事がある。
がしかし、すぐそこにある日常的な死を感じる事はない。
「明日があるさ」
今日の失敗は明日取り戻そう!!なんて余裕はなく、
今死ぬかもしれないの連続!!
失敗=死 みたいな
だからこそ、一瞬一瞬を人生の最後の時のように大切にし、
一日を完全に生き尽くすという事が今でも出来ているのだと
思う。
戦争は確かに起きてはならない事だと思う。
でも、何も知らずに戦争に行った人をとやかく言うのは
お門違いだし、今の僕らには一日を完全に生き尽くすという
真の意味を知らない。
そんな、とんでもない激動の時代を生き抜いた
尊敬すべき方々は
高齢者になり、おじいさん、おばあさんになっています。
ウチのじいちゃんも戦争に行ってたんですが
寡黙で、当時の事はあまり話す事はないです。
今度、実家に帰った時、いろいろ話たいと思うのです。
柴田芳三氏のあとがきの一節
「若い人たちにお願いしたい、
暗く深い海の底で、
遠い南の島のジヤングルの奥で、
大陸の乾いた土の下で、
さらに日本の各地で、
祖国の永遠の平和を願い犠牲となった人々のこころを、
いつまでも忘れないでくれと。」
本気で涙が出た。
柴田芳三
弟に前々からおもしろいから読むようにと
言われていたので読んでみると
これがホントにおもしろかったので謝罪の電話をした(笑)
「本日天気晴朗なれども浪高し!」
内容は、柴田芳三という方の一水兵がとらえた太平洋戦争
なのだが、単なる「大日本帝国万歳!!」
という感じの物語ではなく
本当に柴田芳三という一水兵から見た戦争であり
いわゆる自伝なのである。
広島の呉の話もあったので
大学が広島だった自分にとって
知ってる地名だったりが出てきてイメージがしやすかった。
自ら志願し海軍に入隊してから
終戦までのお話
戦争の悲惨さは勿論なんだけど
当時の軍隊の規律や、生活全体を
こと細かに書かれています。
現代の18歳の若者が当時の軍の規律や訓練に
耐え得るだろうかと考えれば
私を含めてまず無理なんじゃないかと思います。
そういう時代だからこそ耐えれたというのなら
今の時代は、耐える事が出来ない時代なんだと思います。
あまりにも普段の厳しい訓練と上官からの
執拗なしごきにより
戦闘中のほうが生きた心地がしたぐらいだという
この時代の方はきっと
柴田芳三さんを筆頭に
有り余るバイタリティと判断力、忍耐
そして、一瞬一瞬を人生の最後の時のように大切にし、
一日を完全に生き尽くすという気持ちを兼ね備えているのでは
と思う。
日本の高度経済成長は勿論の事、戦争後のベビーブーム等
も頷けます。
この方達がいなかったら文字どおり僕らはいなかったし
今の日本の豊かな暮らしは無かった
ありきたりのような言葉だが、心底そう思うのです。
現代は現代なりに違った意味で命の危険を感じる事がある。
がしかし、すぐそこにある日常的な死を感じる事はない。
「明日があるさ」
今日の失敗は明日取り戻そう!!なんて余裕はなく、
今死ぬかもしれないの連続!!
失敗=死 みたいな
だからこそ、一瞬一瞬を人生の最後の時のように大切にし、
一日を完全に生き尽くすという事が今でも出来ているのだと
思う。
戦争は確かに起きてはならない事だと思う。
でも、何も知らずに戦争に行った人をとやかく言うのは
お門違いだし、今の僕らには一日を完全に生き尽くすという
真の意味を知らない。
そんな、とんでもない激動の時代を生き抜いた
尊敬すべき方々は
高齢者になり、おじいさん、おばあさんになっています。
ウチのじいちゃんも戦争に行ってたんですが
寡黙で、当時の事はあまり話す事はないです。
今度、実家に帰った時、いろいろ話たいと思うのです。
柴田芳三氏のあとがきの一節
「若い人たちにお願いしたい、
暗く深い海の底で、
遠い南の島のジヤングルの奥で、
大陸の乾いた土の下で、
さらに日本の各地で、
祖国の永遠の平和を願い犠牲となった人々のこころを、
いつまでも忘れないでくれと。」
本気で涙が出た。