東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社説・コラム > 社説一覧 > 記事

ここから本文

【社説】

バスジャック この短絡さはどこから

2008年7月18日

 十四歳の少年がなぜバスジャックだったのか。腹いせというには極端すぎる。家族も友人も地域社会も、歯止めにはなり得なかった。夏休みを前に、現代社会は重い「宿題」を突きつけられた。

 あまりにも行き当たりばったりだ。少なくとも大人の目には、そう映る。

 家出して北九州に向かったのも、新幹線に乗ったのも、名古屋にたどり着いたのも、ナイフを買ったのも、東京行きの高速バスに乗り込んだのも、そして愛知県内でバスジャックを起こしたことも−。

 少年は、男女交際をとがめられ「親の人生をめちゃくちゃにしたかった」と供述している。

 バスジャックは重大な犯罪だ。高速道路を走行中にバスの運転手を傷つければ、多くの人命を危険にさらす大事故になりかねない。他人の「生命」や「人生」に対する配慮はまったくない。身勝手な動機とそれがもたらす重大な結果との落差の大きさに、大人たちは戸惑うしかない。

 冗談が得意なクラスの人気者、クラブ活動にも熱心だが、感情を表に出しやすく激高するタイプ。

事件解明には、少年の資質や成育歴、親子関係や交友関係をまずきちんと調べてみるしかない。

 東京・秋葉原の無差別殺傷事件で、容疑者は「彼女がいない、ただこの一点で人生崩壊」などと携帯サイトに書き込み、凶行に及んだ。二つの事件の間には、人間関係の渇望と親への強い反感という共通の背景が横たわる。

 若さは「暴走」を招きやすい。それは今も昔も変わらない。しかし以前は、親や学校、地域社会が歯止めとしての一定の役割を果たしていた。今度の事件も、少年が親しい友人に交際の悩みを打ち明け、適切な忠告を受けてさえいれば、大事に至らなかったのではないか。「お前なんか死んでしまえ」と言ったという親も、しかり方を知らないのではないか。

 情報通信が高度に発達した一方で、社会の手触りや生身の人間の体温が伝わりにくくなっている。共同体の人間関係が希薄になり、歯止めどころか、短絡や暴走を助長するケースがしばしばある。そんなところに社会の病理が潜んでいるのかもしれない。

 若者が短絡に走るのを防ぐには、家族や地域社会との緊密な関係が欠かせない。夏休みは、家族や友人との対話を取り戻し、緊密な関係を築き直すチャンスである。

 

この記事を印刷する