07/18
Fri
2008
わたしは・・・その、表で発言がけなされることも多い人間だけど、まぁ人並みには言葉は「通じてます」。いつもここに書いているようなことも、普通に、傲慢とか馬鹿とか思われることなく、受け入れてもらえてます。・・・だから、本当に言いたいことがあったら、ここじゃなくて、それこそ本当にわたしの言葉が通じる場所で言うほうがいいっていうのは、まぁ実に効率的ではあるよなぁと思う。
でも、それって「人を選ぶ」ってことだよね。それは、どうなのかなぁ、と思うわけよ。
まぁあっちこっちに貼り付けられてますが、原因は、私の書いてることが面白いからあざ笑いたいんじゃなくて、私の書いてることを読んで理解できずに真剣に勘違いしちゃった人、もしくは私を気にくわないと本気で思ってしまう人が、
すごい厄介な嫌がらせをしかけてきて、それによってわたしが右往左往する様を、あざ笑いたい、ってことなんですよね。
わたしを笑いたい人っていうのは。基本的には。
わたしの書いてることだけじゃ、笑うおかずにすらならないと思う。あまり面白いことは書いてないと思うから。もし、あざ笑うに値することを私が書いてるとすれば、わたしの文章には才能があるのかもね(笑)。
わたし、自分には才能ないって思ってたし、うちのサイトの通常コメント数からみても、拍手とか入ってない日もけっこうあるし、自分の文章が人の心を留めることは少ないなぁと思っていた。から、初めてだったよ、わたしの才能が、人の手によって認められたの(笑)。それは「名誉」なことではないけど、わたしの個人的な自信にはなる。
五月の終わりにある本を読んで、わたしの考え方はがらっと変わった。はっきりと。批判は勇気を出して。人の目を気にせずに、より強く、直接的に、ときには恐ろしいまでに凄まじく、言いたい。言葉を使うことを恐れたくない。たどり着ける境地まで、論理が向かうように。辿り着く先が怖くて考えないようにしていたことも、自分が考える文というもののことも書こう。
って、思うようになってね・・・大事なのは、ここが「日記」であって、あくまで「私」というものを紹介する場所だから、そういうことをしていたってことなんだけど・・・。
まず、日記の記事の反応は、私に理解のある方からしか来ないことが多かったのに、六月のはじめだねぇ・・・すぐに反響があった。はじめてだったかもしれない、敵意のメールってやつは・・・決心して本当にすぐだった、から、そうか、言葉って、使い方によっては何らかの形で「気を引くんだな」、っていうのが、その時に、意図せず分かったというか・・・わたしは、自分の作りたい世界っていうのを形成するために書いてたんだけど、はじめて、「人に届く」っていうことね。↑←これが、→←こうなった、みたいなかんじ?左側がわたしで、右が読んでくださる方。はじめて、「うったえるかたち」に少し近づいたんだって、思って。そっからはっつけられーの、っていうのもすぐだったな・・・。
あと、案内ページに一回「挑発するようなことを書くのは禁止です」って書いてみたのに、守ってくれなかった(笑)人の一人が、「挑発するなってこっちのことは挑発しといて何なの!」的なコメントを入れてきて、ああ、わたしは一回も挑発のために文章描いたことなかったけど、人は「読んでくれて」、「挑発」、されちゃうんだな、と思った。
これをね、ネガティブ要因じゃなくて、ポジティブにしたら、きっと自分の文章は何らかの形で味を持つのかもしれない、って思い始めたんですけど、ただまぁ「気になっちゃう」のも「挑発されちゃう」のもごく一部の人なんだろうなぁとは思うんですけれども。ただ、文章の挑戦っていうのは決して悪いことばっかりじゃないなぁって思った。わたしの文章も、人を惹きつけうる。何より、やっぱりわたしを応援してくれたり、いいなって思ってくれたり、好きでいてくれる人のことをいつでも胸に留めていたいし、そういうひとのために書きたい。これも、そういう人に近況をつたえるために書いてるんだよ。元気をくれるひと。うん、いつか必ず語らおう、って、そう思って。頑張るよ。いえ、頑張らせていただきますよ。
でも三日後くらいには消えてるかも(笑)。
明らかにおかしいとも、思うけどね、私は。自分に才能あるなんてとても思えないけど、でも他人がそう思うならそうなんでしょう(笑)。そう思ったら、なんかある意味解放された気がする。うん、気にしてたのよ、人を傷つけてる、とかって。一概にそうではないと思って良かったんだね。 あざ笑えるなら、その人は余裕だよ。もっとせっぱつまってる人のほうを気にしてたの、わたしは。
でも基本的に、貼り付けるっていうのは・・・何らかの嫉妬心からそうなってる場合が多いから、
そこにつどう人たちはただ馬鹿にして楽しいだけかもしれないけど、貼り付けた本人っていうのは、その、何らかの心理状況がそこで明らかになるから、ちょっと面白い。
それでも私が諦めたくないのは、あざ笑ってくる人と向き合うことではない訳よ。彼等はほっときゃ自分らで何とかするし飽きたらうちのサイトには来なくなっちゃうもん。本物のわたしのファンではない。いっときのアクセス稼ぎの貢献者・・・もう三十万ヒットですよ(爆笑)。一周年から半年たって三十万のればいいなぁ、なんて思ってたら。もう三十一万ですよ。どんな経緯あれ、同じ人が何度も押しているのであれ、それはわたしのことを気にしてくれたお客様なんだなぁと思うと・・・そうだね、真剣に向き合わなきゃと思う訳なんですが、その瞬間はね?ただ、純粋に小説のアクセスだけみたいとすれば、日記は切り離したほうがいいのかな・・・参ったな。アンケートであっていい、って言ってもらったからこれからもあるとは思いますけど。
でも、これはそれこそいよいよ忙しくなった五月の半ばから考えてたことなんだけどね、9月の1日から半年間、サイト休止状態にしようと思います。いろいろ充電ってことで。あと、勉強したいんだ。いかんせん忙しい。だけど絶対戻ってくるから、半年後。だから八月は、今持ってる連載は全部終わらせようと思ってる。
本当は書きたいこといっぱいあるから、そうだな・・・やなんだけどね。たまに短編がーっと書いたり、連載ちょこちょこやるかもしれないけどねぇ・・・、あと、サイト一周年と獄寺の誕生日とザンザスの誕生日とかには戻ってくると思います。でも9月1日いっぺん消えるわ。そいつは決めた。
真剣な人と向き合いたいわけなのよ。苦しいなら、ここを見なきゃ良いし、勘違いしてるなら、それを教えてあげたい。でも、これはわたしのへたくそな部分で、多分、「誰に何を言っているのか」というのを理解出来ない人がたくさんいた。それはわたしのミスだと思う。
受け入れられるわけ無いし、実際めんどい、って思っていたのも私。だけど、確かに勘違いされるならそれを取り除く文章を書きたい。迎合するんじゃなく、屈服するんじゃないけど、人に気持ちよく読んでもらえ、でも自分の独特さとか一種の傲慢さも曲げないような書き方を、諦めたくない。通じる場所で通じ、まっとうな場所で通じ、難しい内容だから外では通じ・・・・・・それはやっぱりやだな。誰にでも通じるはず。それは難易度の話ではないと思う。読みたくなきゃ、それこそ読まなければいいと思う。でもそれも、もうちょっと気持ちよく、そうできるように、書けなければいけないんだなぁと、思って。もちろんそれでも好みはどうしようもないからね。
五月の終わりに戻そう。脇目振らずに、でももう少し楽しく書けるように。
エルレの「金星」・・・いいですね・・・・・・なんか、びっくりするほど、元気付けられてる気がした。
私も、そう思う。大事なことっていくつもないと思う。
「死ぬ気」で走ると遅刻しない!っていうのが、リボーンに出会ってからの私のジンクスなんです。あ、でも、そのためには恥かくのは覚悟でいかなきゃいけないんですよ。「すいません!」とか叫びながらドアにダイブ。・・・いや、別に大分しなくても間に合うんですが。でも、ぜいぜいやってると、確かに踵の高いサンダル履いてるお上品な姉ちゃんたちは「何なのあの子」みたいな感じだったし、走ってる途中だって、イケメンさんがうーわ、なんかキモイの来たよ、みたいな感じなの。
ただ、目的は「遅刻しないこと」なんですよ。「格好悪くしないことではないんですよ」。
目標のために手段を選ばない、ってそういうことだと思う。ある意味えげつないのかもね(笑)。でも、正直な奴が最後笑うっていうのは本当だと思うよ。正直なんて自己満だから、傍から見て馬鹿みてても、目標達成できればそれが一番大事なことで、だから大事なことっていくつもないからいざというとき頑張れるんだろうなぁと思って。
でも、出し抜いたり立ち回ったことないから、それはそれで面白いなぁって思うんだけどね(笑)。
で、どっちかというと私は鈍感なので(笑)、まぁ誰かが恥かくことになったとき、私が真っ先にかいたら、次の人はそんなに恥が目立たないじゃないですか。悪いけど、学校の先生にもそうやって利用されてきた(笑)、というか一芝居打ってた。うん、分かる。こういうところが「傲慢」なんだよね。でもね、一刻を争うくらい繊細なんですよ。人の、心が。それは、でも一種のその人の才能につながっているかもしれない。そんなに敏感、というのもまた苦しいことではあるでしょうが、それを身ぃ一個で抱えて生きてるんだもんなぁ・・・。
すっげ、話が合わないというか「何だこいつ」みたいな子がいて、その子は、常に人を弄びたがるっつかあざ笑いたがるっつか、そういう感じであった。「甘やかされすぎなんじゃないの」、とむしろわたしは思った。けど、その子は大切な・・・ひと?大切な存在を失ってしまった子だった、ということがあった。
それは、一回ぽっきり夢を失うことなんかより、思い出に戻れなくなることなんかより、何倍も苦しいんだろうなぁ、と思って、そしたら確かに、その柔らかい心を支えることが、それこそわたしがここでぐーだぐだぐーだぐだ打ってるよりは何倍も大変なことだと思う。わたしの心と来たら情が薄いから、とにっかく情が薄いから、どっちかというとマスカット最中と比べたら、「柿」って感じのかたさである。でも、まぁ柿は柿でね、向き合わなきゃいけないこともあるし、出来ることもあるんだよ。
ヒバリさんは一人一人っつってるけど、風紀委員がいるから結局独りじゃない。でも、一人で何でもやりたがる。「一人が好き」。
別にヒバリさんが自分に似てるとは全く思わないが、しかし彼の思考回路はすっごいよく分かるから、最近あの彼のまんま恋愛をさせる方法について真剣に考えているが・・・「一人」って、寂しいことではないと思うよ。ただ彼の場合は、常に「誰かがあってこその」一人なので、と、いうか「群れるのが嫌い」なだけなので、そういうかっこよさ、書いてけたらいいなぁ、と思うけど・・・ただ、むずいね(笑)。わたしの中で、ヒバリさんはあれだな、脇役でいるほうがよっぽど格好良く見える人だな。
そうだな・・・そういう助け合いって必要なのか・・・面白いな、やっぱ学校って。そう、発言した子がいたよ。わたしは自分の拍手とかはきだめにしてやるの嫌だなって思っていたけど、「あまりに可哀相だと、思わず自分も『利用して下さい』って感じな心境になる」と、言っている子がいた。すごいよね・・・(笑)。「利用して下さい」、だよ?
というか、あんまり恥とか、誰かに笑われることとか、ひそひそ話とか、まぁ気にしても、そんなたいしたことじゃないんだって、誰にでも思って欲しいの。恥かいたって何したっていいんですよ、一生懸命やったら。あと、これはしぶってたけど、はっきり言うのって、どうかなぁって思ってたんだけど、はっきり言わない奴みたいになりたくない、ってエルレがメッセージをくれたので元気付けられた気がします。勇気のいることだよなぁ・・・自分の声が、予期せぬひとに聞かれてるって。どんな気分だろう。それでもステージの上は爽快ですか?
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