小学6年生のときの全国少年柔道大会。康生(左端)は個人戦2連覇、団体戦初優勝を果たした
小学4年生だった康生(30)が明(62)を背負って156段の階段を3往復した「平和台石段登り」。この直後、明は初めて康生の「夢」を聞いた。
「全国少年柔道大会というのが、東京であるんやろ。そこで優勝したい」
その夜、明と妻かず子は話し合い、ひとつの決断をする。
「家庭では今まで通り『お父さん』でいくが、道場では『先生』と呼ばせる。ただ、康生には『先生と呼べ』とは言わない」
道場での明は柔道の師。父親ではない。そのけじめを、康生自身が悟らなければ意味がない。明はそう考えたのだ。
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翌日から康生は、道場で殴られ続ける。「お父さん、お願いします」と声をかけただけで、明はバシバシと殴る。かず子が「口で言ってあげて」と頼んでも、明は聞かなかった。
康生は何がなんだかわからない。今まで通り接しているのに叩(たた)かれる。姿勢が悪いのかな。柔道着が乱れているのかな。それを直しても、また殴られる。
康生が明を「先生」と呼んだのは、実に6カ月後、全国少年柔道大会の2カ月前のことである。
康生によると、きっかけは次兄智和(31)だった。兄は道場で父を「先生」と呼んでいた。それまで康生はまったく気づかなかったが、その日はなぜか、その声が天啓のように耳に入ってきた。
康生が明に近づき、蚊の鳴くような声で「せ、せんせい、お願いします」と言う。とたんに、明は大泣きした。同僚が「井上さん、どげんしたと」といって練習を中断するくらい、泣きに泣いた。
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「理不尽な6カ月でした。本当に。でも私自身、これを越えられれば、理想的な師弟関係になると直感したんです」
康生は1989年、最初の「夢」の全国少年柔道大会で優勝する。翌年も制して2連覇。連覇は史上初の快挙だった。
「先生とお父さんとを使い分ける生活になって、毎日の稽古(けいこ)に緊張感が出ました。私の予感は当たりました」
中学、高校時代、康生は出る大会のほとんどで優勝する。そんな康生を初心に引き戻す出来事が、高校3年に起こる。(敬称略・石川雅彦)