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このところイベントの告知ばかりだけど、もう一つあらたに決まったのでご案内。8月2日に法政大学で開催される、『界遊』という学生がつくっている雑誌*1の創刊イベントで、文芸評論家の田中和生さんと対談します。
■インディーズ文芸誌「界遊」創刊イベント■ kai-you vol.1 ―「ゼロから始める『文学』、あるいは『小説』」
日時:2008年8月2日 会場:法政大学市ヶ谷キャンパス外堀校舎B1多目的室3
開場:16:30 開演:17:00(19:00終了予定)
入場料:500円(入退場自由)
これに先だって、7月22日から、前から告知している、朝日カルチャーセンターでの『現代小説を考える』 http://www.asahiculture-shinjuku.com/LES/detail.asp?CNO=27781&userflg=0の初回が始まる。まだギリギリ申込み可能だと思うので、興味のある方はぜひご参加ください。
また今週末は、高田馬場で土田祐介さんの写真展「display」のオープニングイベントに出演(展覧会場とイベント会場は離れているので注意。詳細はhttp://photalk.web.fc2.com/event/09.htmlを参照)した後、企画に少しかかわった、渋谷フライングブックスでの、大竹昭子さんと小林エリカさんのカタリココをのぞく予定。
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このあいだ、始めてフライングブックスに行ってきた。前から、渋谷の古書センターにはよく通っていたのだが、フライングブックスができてからは、なぜか足が遠のいていた。じつはフライングブックスを経営しているのは、古書センターのオーナーと同じ「山路」さんで、ようするに親子二代の古本屋が、同じビルに収まっているというわけだ*2。山岳関係の本が多かった渋谷古書センターのオーナーが「山路」さんで、息子さんのやっているフライングブックスのほうは「路上」系(?)*3 *4というのは好対照で、かつ、親子二代で一貫したつながりがあり、面白いと思った。
今回のゲストである小林エリカさんは、アメリカ横断の旅をして来たらしい。きっと「ガールズ・オン・ザ・ロード」の体験を話してもらえるんじゃないだろうか。アメリカではエミリー・ディキンソンにも会ってきたとのこと。サイモンとガーファンクルの曲に出てくるので、アメリカを代表する詩人としてのディキンソンの名は、ロバート・フロストなどとともに記憶に残っているが、まだお元気とは。
じつは小林さんの『終わりとはじまり』asin:4838716516という本を、このあいだフライングブックスに行ったときに買って、始めて読んだ。詩をマンガにした、という話だけ聞いていて、それは難しいんじゃないかと先入観をもっていたが、マンガとしても素晴らしく、また詩の扱いもたくみで、ひさしぶりに「詩」について考えたくなった。じつは私が十代の頃、唯一、投稿した経験のある文芸関係の雑誌は、『現代詩手帖』なのである。詩人になることイコール格好いいことであり、「文学といえば詩」という思いこみが、私が18歳くらいの時にはまだあったし、実際、『現代詩手帖』もそれなりに面白かった。
私が「小説」と「文学」という言葉をわりと厳しく使い分けているのは、「詩はあきらかに芸術といえるだろうけど、小説はそうじゃないだろう」と思っているからだ。というより、詩はいつまでも芸術(=文学)であってほしいと思っているからだ。同じように、絵画に対しても(写真に対してとは違って)、私にはいまだに、芸術であってほしいという気持ちが残っている。そのあたりは田中氏との対談でも話をしてみたい。
小林さんの作品で引用されているのは、中井久夫訳によるヤニス・リッツォス「単純性の意味」、沼野充義訳によるヴォスワヴァ・シンボルスカの「奇跡の市」、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」、木島始訳によるマフムード・アル・ブライカーンの「静かな恐れの歌」、そして最後は長谷川四郎訳によるロベール・デスノス「最後の詩」。宮沢賢治をのぞくと、デスノスの名をなんとなく聴いたことがあるほかは、知らなかった詩人ばかりだが、訳者がすばらしい(これらがどんなふうにマンガになっているのかは、読んでのお楽しみ)。
小説を「文学」の名のもとに語るかどうかは別として、ことばによる芸術が現にあり、また、将来もありうることを私は少しも否定しないし、そういうものがずっとあり続けて欲しいと思っている。また詩人と小説家と批評家がどの順番に偉いかということで言えば、私はあいかわらず、中原中也がいったとおり、「詩人>小説家>批評家」だと思っている(ただし、書かれたことばとしての「詩」と「小説」と「批評」が、この順で並ぶとは思わない。これらはそもそも、同一の平面には並ばないのである)。
文学のことを考えるなら、まず、「いま詩はどこにあるか」を考えなくちゃならないと思う。小説のなかにも「詩」はあるだろう。たとえば古川日出男の小説のなかには、詩が含まれている。でもだからといって、古川日出男の小説を、私は「文学」だと思わない。「詩」をもそのなかに包み込むことの出来る、別の種類の表現だと思っている。
だとしたら、小林エリカの『終わりとはじまり』は文学だろうか、マンガだろうか。私は彼女のこの作品を、なんだか「小説」みたいだな、と思って読んだのだった。
*1:『界遊』については http://d.hatena.ne.jp/inamo-dereda/も参照。
*2:http://www.flying-books.com/map.htmを参照。
*3:そういえばフライングブックスで、1950年代にカリフォルニアで発行されていた「Westways」という雑誌が売っていたので落手。ツーリズムと自動車についての雑誌。westwayが本当にロンドンからカリフォルニアまで繋がっていたなんて! せっかくのwestwayつながりなので、この雑誌についてもう少し調べてみたくなった。
*4:……と力むまでもなく、westways magazineはいまなお発行されている様子。アメリカ自動車協会(AAA)というところが現在のオーナーのよう。私が買ったのと近い年に出たヴィンテージエディションがeBayなどでも売られている。同誌に載った旧い写真がこのサイトにあり。http://members.cox.net/mkpl2/hist/lahist.html
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