2008年 7月17日(木) ■One More Cup of Shotyu. ■午前二時半に目覚める。流石にアカンなと思い、寝る努力をする。 ■薄明に目覚める。まあ、良しとしよう。窓を開け、深呼吸をする。 ■内観する。水路の水音が聞こえるくらい静かな朝の空気のなかで。 ■珈琲を淹れ、飲む。今日はパンを焼き、齧った。夏バテ防止策だ。 ■自転車を漕ぎ、会社を目指す。いつもより早めに家を出たつもり。 ■何故なら、今日は山車が街を駆け巡る日だからである。しかして。 ■生まれて初めて動く長刀鉾を見た。コイツ、本当に動くんだなぁ。 ■感心している場合ではない。路地を抜けて、少しでも南下を図る。 ■だが、気が付けば、前に山車、後ろにも山車。挟まれて仕舞った。 ■どうやら無理に入ってきた車と、小競り合いをしているらしいな。 ■まごまごしていると、町のおいちゃんが、有り難き助言をくれた。 ■「こっちから抜けられんで」と細い路地を指し示してくれたのだ。 ■「おおきに」と告げ、何とか遅刻を回避することができた。ふ〜。 ■仕事の席に着く。知らぬ間に、巡行に参加していた格好だったな。 ■或る種の阿呆らしさを感じつつも、電話応対し、校正作業をする。 ■悪文を直す役割を、この私が担っている逆説的状況を嗤うか否か。 ■お昼休み。今日もまたチベット仏教研究者さんとお昼御飯に行く。 ■一子相伝の教えとか、神人の原関係について話しをする。ほほー。 ■仕事の席に戻る。すると或る先生に関する質問電話が廻ってきた。 ■はて、直接存じ上げている方なので、私が答えることになったか。 ■「はい お生まれは19××年です」 幾つかのご質問に答えた。 ■すると相手は深く感慨の声を漏らされた。「やはりそうでしたか」 ■「実はですね そのお方は私の中学校での一つ上の先輩なのです」 ■「今 あなたが教えして下さったおかげで ようやく判りました」 ■何度も礼を告げられ、恐縮して仕舞う。こんなこともあるのだな。 ■定時となり、皆と「お疲れさま」と言い合って、会社を後にする。 ■剥き身となったデカイ鉾を尻目に、自転車を疾駆させる。お終い。 ■文字通り滝のような汗を掻く。痩せた尻が痛い。骨が剥き出しだ。 ■帰宅して、汗を湯で流す。それから夕餉の支度をし、晩酌をする。 ■明日は満月。今宵はその一日前。生者死者の交感を想い、呑むか。 ■感応し合う仏と衆生たち。人人、仏仏の交感は、有りや、無しや。 ■Sed omnia praeclara tam difficilia, quam rara sunt.(E5P42S) ■放蕩や淫逸を好む魂は是を読めぬ。また読めぬとも生きて行ける。 ■これは高卒とか、学の深浅の問題では無い、魂の問題なのである。 ■杖で跛を曳き乍ら、野戦に打って出る。暗愚な聖職者を駆逐せん。 ■それは無知蒙昧な私に向けて下された仕事だ。テメーは関係無い。 ■Bob Dylanの『Desire』を聴く。 『One More Cup of Coffee (Valley Below)』 written by Bob Dylan
自分が理解できないものを神秘と崇めたり、貶したり、人はする。 それは自分を中心とした地図しか思い描けぬから。これも自然か。 自然に生まれ、自然に生活し、自然に人を傷つけ、傷つけられる。 夢幻の如き人世に一撃を喰らわし、眠りを覚ます言葉を吐きたい。 ゲロはもういいだろう。我も汝も、もう沢山なのだからな、だろ? などと「背後世界」と対話しつつ、土竜のように深まって行くか。 最早、同士と言っても、過言では無いのか、「背後世界」と私は。 当の現実を受け容れるべきか否か考えさせる、この歌が大好きだ。 ■浴びるほど、焼酎を呑んで、おやすみなさい。 2008年 7月16日(水) ■animi acquiescentia. ■薄明に目覚める。東方に博士を求め、曙色に埋没しようとする。 ■内観する。ボレロ的な饒舌症は睡眠時にも発症していたようだ。 ■私語するざわめきは私は突き動かし、精神的な記述を多くする。 ■珈琲を淹れ、飲む。ゲロを吐く。派手に吐いた。久し振りだな。 ■自転車を漕ぎ、会社を目指す。祭りの朝は、心做しか人が多い。 ■仕事の席に着く。午前中は、電話の応対と校正作業に追われた。 ■お昼休み。チベット仏教研究者さんに、またも御飯に誘われる。 ■炎天下、二人して、えっちらおっちらと、御飯屋さんまで歩く。 ■変に俗な金のハナシなんかをして、妙に納得した。なんどいや。 ■仕事の席に戻る。「一寸お伺いしますけど」が一番曲者である。 ■空気が緩くなった頃、何とは無しに音楽のことが話頭に登った。 ■私は、「この秋、The Who のライヴに行くんです」と告白した。 ■案の定、誰もご存じない。だが、私は平気だ。いつものことだ。 ■定時となり、皆さんと「お疲れさま」と言い合って帰路に就く。 ■「コンコンチキチン」の祭囃子を「チリンチリン」で横断する。 ■途中、量販店に立ち寄り、だいたい一週間分の食料を買い込む。 ■帰宅する。荷を降ろし、湯を浴びる。そして夕餉の支度をする。 ■パラパラと学術誌を捲りながら晩酌をする。へ〜、そうかいな。 ■マングローブに棲む鋏付きの生き物から、Platon's choraまで。 ■田邊の実存協同から、Spinozaさんのanimi acquiescentiaまで。 ■さまざまな文献を巡って逍遥していると、書きたくなってくる。 ■こんな私の愚考でも、幾許かなりとも、学会に寄与できるなら。 ■でも、余りにも醜いものを晒せば、人世に対して失礼であろう。 ■だから、もっとテクストに沈潜して、考を練り直そうと思った。 ■Nalanda, Meister Eckhart, Baruch de Spinoza, 御師匠様よ。 ■ボレロ的饒舌症は沈黙時ほど峻烈さを帯び、筆舌に尽くし難い。 ■Bob Dylanの『Another side of Bob Dylan』を聴く。 『My Back Pages』 written by Bob Dylan
敢えて問う、何故私を呪う? 何故私を嗤う? 何故私を虚仮にする? 「背後世界」「背後世界」「背後世界」「背後世界」「背後世界」.... neglect されてきた我が来歴が、反動でそれらを喚起するのであるか。 「私の哨兵は護りを固めた」 否、武装解除して可成りの月日が経つ。 防塁を廃し、防人を帰郷させ、庵を結ぶ覚悟である、今日この頃の境。 だが私は国王では無く、一介の学徒にしか過ぎぬ。自惚れては居ない。 「Ah, but I was so much older then, I'm younger than that now.」 病魔と闘い、明日をも知れぬ我が身を省みつつも、この歌が大好きだ。 ■浴びるほど、焼酎を呑んで、おやすみなさい。 2008年 7月15日(火) ■And show you the wooden tits on the goddess with a pole out full sail that tempted away your peg-leg father. ■暁に目覚める。ひんやりとした空気のうちで、深く息をする。 ■内観する。〈棄て去った〉という意識さえも棄て去らんとす。 ■珈琲を淹れ、飲む。大砲に跨って、鞭を揮う鬼軍曹を想起す。 ■自転車を漕ぎ、社を目指す。途中、鹿と遭遇する。ナダレだ。 ■木の芽を無心に食んでいた。私はその直ぐ傍の坂を下り行く。 ■雑踏に差し掛かる。決して其処には紛れない。嘘だらけの街。 ■早い時間なのに、もう蒸し暑い。一雨来そうに思われる、空。 ■仕事に席に着く。今日も今日とて、電話の応対と校正作業と。 ■お昼休み。チベット仏教研究者さんに誘われるがまま、外食。 ■「肉も野菜も米も喰わなきゃ、打っ倒れちまうよ、上海さん」 ■ご尤も。この三ヶ月の私の推移を見ていた人に言われればな。 ■豚の生姜焼き定食を注文する。何だ! この豪華絢爛たるは! ■恰も喰い溜めするかの如く、大盛りの飯を二杯も掻き込んだ。 ■金五百八十円の値打ち有り。噫、喰った喰ったと、肋骨笑う。 ■重い腹を摩りつつ、仕事の席に戻る。逆に目がクラクラする。 ■それでも電話を取り、ゲラに赤を加え、同僚たちと前に進む。 ■禍禍しき問いの一切に答えつつ、知らぬ間に定時と相成った。 ■外は土砂降り。同僚たちは軒下でどうしようかと逡巡してる。 ■私は頭をタオルでハリマオ巻きにして、徐にサドルに跨った。 ■途中までチベット仏教研究者さんと鉾町を行く、団扇を手に。 ■割と出鱈目なことを喋りながら、そして別れる。さようなら。 ■研究の基盤作り、シノギは、皆苦労しているのだなと思った。 ■圧し折られた首骨は寛解し、雲の行く先を読むようになった。 ■カーボン製の義足は支点、ケプラーの法則を唱えるは作用点。 ■それでは力点は、やはりconatusだということになろう。御意。 ケプラーの法則 第一法則:惑星は太陽を一つの焦点とする楕円軌道上を運動する(楕円軌道の法則) 第二法則:太陽と惑星を結ぶ線分が単位時間に描く面積は一定である(面積速度一定の法則) 第三法則:惑星の公転周期の二乗は軌道の半長径の三乗に比例する(調和の法則) ■それがどうした、「あのねー、オッサン、ワシャかなわんよ」 ■大量の汗を掻きつつ帰宅する。すぐさま湯で汗を流し去った。 ■夕陽に染められた名峰を眺めつつ、夕餉の支度、そして晩酌。 ■生き延びている感じがする。嬉しくも哀しくも何とも無いが。 ■防塁を廃し、防人を帰郷させつつある我が心は、平穏なりや? ■敢えて問う、〈弱さ〉とは罪なりや?〈愛智〉とは罪なりや? ■Captain Beefheart & The Magic Bandの『Grow Fins: Rarities 1965-1982』を聴く。 『Orange Claw Hammer』 written by Don Van Vliet
人世上の苦を背負いつつ、焼酎を呷る。何でも無いことではあるが。 人世上の苦を背負う人々のことを想う。祈ろうかとすら思いながら。 「涙を浮かべて俺を素通りした」「格子柄の少女は」何処へ去った。 祈り無き生活のうちに呻吟し、祈りを取り上げられた生を歎きつつ。 何ものにも当らないような気がしてならない、不可思議なことだが。 一なるものと出会いて二つなるものとなり、また他と遭遇するのか。 地下深くへと潜行し、土竜の懈怠と精進を下賜されたらどうしよう。 また何でも無いことではあるが、〈さあ喰え、遠慮するな〉は枕詞。 「我が娘よ」 此処にまた、摩訶衍の驚異的な拡がりがある、乗れ。 触れるものすべて壊し、棄てんとし、ソドムとゴモラを掘り当てん。 「そうすればお前に桜ん坊の炭酸ジュースを買ってやる」 嘘やん。 以上の如く私の魂を震撼させ、浄い道へと導く、この歌が大好きだ。 ■浴びるほど、焼酎を呑んで、おやすみなさい。 2008年 7月14日(月) ■Gimme Some Truth. ■暁に目覚める。朝の空気は本当に清々しい。何度も深呼吸する。 ■内観する。自己を含めた諸々の個物は実体に非ず、様態である。 ■諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三法印に貫かれたいと願望す。 ■珈琲を淹れ、飲む。己をパロディー化し、またそれをも棄てる。 ■自転車に乗って、会社を目指す。祭囃子の都大路を横断しつつ。 ■仕事の席に着く。相も変わらず電話応対と「図書目録」の校正。 ■お昼休み。軽食の後、内観する。また涼しい場所で読書をする。 ■仕事の席に戻る。偶偶手が空いたので、こっそり資料を集める。 ■今の研究課題に関する先行研究は、どうやら皆無のようである。 ■これは幸なのか不幸なのか、直ちには判断仕兼ねる事態である。 ■ま、それはいつものことだ。何れによ、気にしないでおこうか。 ■編集部の方と新刊について軽く打ち合わせ。要は連絡会である。 ■定時となり、皆さんと「お疲れさま」と言い合う。蒸し暑いな。 ■ま、サウナ代が浮いたと思って、自転車を漕ぎ、汗を拭おうか。 ■篠突く雨を遣り過ごし、またコンコンチキチンを尻目に物思う。 ■斯くも青臭く、泥臭く、また汗臭く。研究心と信仰心について。 ■どんな逆境にあっても研究だけは継続するだろう、死なぬ限り。 ■信仰心の内奥に躍動する研究心、また研究心を鼓舞する信仰心。 ■んなこたぁ兎も角、自転車を漕いで、仕事をして、本を読もう。 ■帰宅する。湯を浴び、夕餉の支度をする。暫し確認作業をする。 ■プロットを組み立て、ストーリーを練り直す。楽あれば苦あり。 ■それから、晩酌に入る。音楽を聴きながら、世事の垢を流すか。 ■John Lennonの『Imagine』を聴く。 『Gimme Some Truth』 written by John Ono Lennon
*Tricky Dicky…ウォーターゲート事件で失脚したRichard Nixon(1913-1994)米国の第37代大統領(1969-1974)の渾名。狡猾なディッキー〔弱虫〕。 「money for dope, money for rope(クスリのためのゼニ ロープのためのゼニ)」 麻薬で酩酊情態に陥るか、それとも縄で首括って人世にオサラバするか。 あるいは山奥へと分け入って隠棲し、街からの更なる遁走を画策するか。 何れにせよ、capriccioな生活ではなく、minimum possibleな生活を望む。 山川草木に在りて巷間を想い、場末に在りて山紫水明を想う、私の生活。 馬鹿馬鹿しきものを馬鹿馬鹿しきものとせず、悲惨を悲惨とせず生きる。 「私が欲しいのは真実だけだ」 確かに私はそう思っている、時時刻刻。 父母未生以前本来面目如何。内観夜話。酔髭は幽明界を異とせず生きる。 この歌が大好きだ。 ■浴びるほど、焼酎を呑んで、おやすみなさい。 2008年 7月13日(日) ■He came dancing across the water with his galleons and guns. ■薄明に目覚める。昨夜、恐らくは見たであろう夢境を反芻する。 ……………………………………………………………………………… ■私は或る聖堂の告解室に居る。跪き、自身の咎を告白している。 ■私の前には黒衣の聖職者が在った。私たちは二人きりであった。 ■彼は不憫そうな顔をして、私の口から罪の言葉を引き摺り出す。 ■「そうか そうか そうであったか さぞや辛かったであろう」 ■「もっと喋りなさい 汝の気が休まるのであれば 喋りなさい」 ■その言葉に促され、私は己の罪深き過去を明かし、喋り続けた。 ■遡れるだけ遡り、思い出せる限り思い出し、吐き出して行った。 ■臓物に刻まれている、判別し難きものまで、曝け出して行った。 ■「斯くも穢れた私は、決して天国に往ける者ではございません」 ■最後の力を振り絞り、私は慙愧の念を口にした。事態は急変す。 ■「よく知ってんじゃん 怖ぇ野郎だな テメーは! 死ねよ!」 ■「だがな 死んでも楽園には往けねぇ テメーは地獄往きだ!」 ■「こりゃ間違ぇ無ぇ!テメーは神の法を誹謗する者だからな!」 ■「オレ様が言うんだから、これ以上確かなことは無ぇんだよ!」 ■私は驚いた。何がどうなったのか判らない。痛罵を浴びるのみ。 ■今まで神妙な面持ちで耳を傾けていた者の言葉とは到底思えぬ。 ■罪を告白し、何の見返りも要求せぬ私に、一体何がしたいのか。 ■だが、私を貶める彼の音声は、億劫に亘って鳴り響く…………… ……………………………………………………………………………… ■ガバリと起き上がる。嫌な汗が纏わりついている。夢だったか。 ■すぐさま私は、その聖職者が属している会派の教義を確かめる。 ■しかし、聖典の何処にも衆生を悪し様に罵る言葉など無かった。 ■私は安堵した。私の命は私のものでなく、神の賜物なのだから。 ■世人には無価値のものだとしても、其処には何ぞの意義がある。 ■〈その刹那その刹那の私〉にしか果たせぬ仕事がある筈だから。 ■己の命の行き詰まりに在って、その先の虚しき深淵を恐れるな。 ■死は私にとって何ものでも無い、そう聖典は教えてくれている。 ■当たり前と言えば当たり前だが、そうで無かった私の方が悪い。 ■魔を聖と思い、煩悩に燃え盛る凡夫を、僧と見紛うたのだから。 ■だが私は、似非聖職者を恨まず。加えてその世襲の弊を歎かず。 ■ただ私は、慈悲の眼を以てして彼を眺むるのみ。内観するのみ。 ■彼の内にもまた永遠の命が貫流し、刹那に彼は生かされている。 (以上は若干の事実に基づき拵えた、当たり前だが全くの虚構だ) (然し乍ら、敢えて〈聖職者〉が酷薄であったことだけは記そう) (この全てが事実であるなら、私は救い難い自己陶酔者だろうな) (私の創作意図は事実を表すことでは無い。それは不可能な事だ) (事実や因果律とは観測者である私から見られた相対的なものだ) (例えば私が「彼に殺された」と書き、因果性を主張するとする) (だがそれは必然性ではあり得ず、其処には既に任意性が存する) (それは連続的な事象のうちから二つの項を抽出することである) (任意に一方の項は〈私〉であり、もう一方の項は〈彼〉である) (微分的に連続的な事象は往往にしてこのように捉えられ勝ちだ) (そしてこの関係性に我性の臭いを薫習し、一般であると看做す) (無論、それは恣意的なものであり、公理とは呼び得ないものだ) (したがってそうした記述は、立ち所にして無根拠の偶然となる) (だが世人は、平生にこれを事実と称し、繋縛されるを知らずや) (これらのことを理解できぬのなら、黒澤明の『羅生門』を観よ) (現実の人々と私との連関の一切は、藪の中に投げ入れられたか) (此処では私を脅かす「背後世界」観念の一端さえ伝われば良い) (表と言えば必ずや裏があり、引き剥がすことなど私には叶わぬ) (表とは日常、裏とは意識上には確と現れぬ、得体の知れぬ者だ) (だが敢えて言語化すれば、以上の如き悪夢のイマージュとなる) (私の実存を揺さ振り、その転覆を図らんとする「背後世界」よ) ■さて、それは兎も角とし、文献に当たり、ノートをつけて行く。 ■団扇で熱身を扇ぎ、汗を拭いつつ、考察を重ね行くのみである。 ■幽明界を異とせず、私はとんだOtantine Palaeologusであろう。 ■Neil Young & Crazy Horseの『Zuma』を聴く 『Cortez The killer』 written by Neil Young
「なんという殺し屋だろう!」 人は何故殺される、その実際の生き死にに関わらず、である。 座して死を甘んじて受け容れるよりも、野戦に打って出よう。 修羅場に在って、敵の放てる矢に斃れようとも、我は闘わん。 人世中の敵、殺し屋とは、必ずしも人間であるとは限らない。 大概は人の形をした人で無しである。raison d'être 無しだ。 だがこの私も raison d'être 無しだ、déracinéだ。変わらぬ。 イエスは姦淫したとされる女について問われ、次の如く答う。 「なんぢらの中、罪なき者まづ石を擲て」(ヨハネ傳福音書八章七節) だが人は、自己を磐石なる基準として、他に石を擲たんとす。 「イエス答へて言ひ給ふ『われ自ら己につきて證すとも、我が證は眞なり、我は何處より來り何處に往くを知る故なり。汝らは我が何處より來り、何處に往くを知らず、なんぢらは肉によりて審く、我は誰をも審かず。されど我もし審かば、我が審判は眞なり、我は一人ならず、我と我を遣し給ひし者と偕なるに因る。また汝らの律法に、二人の證は眞なりと録されたり。我みづから己につきて證をなし、我を遣し給ひし父も我につきて證をなし給ふ』」(ヨハネ傳福音書八章一四節‐一八節) 裁きと私刑は違う。私刑とは己の穢れた欲望に屈することだ。 人倫の秩序を振り翳す者は己の欲望を省みぬお目出度き人だ。 言えば更なり。言うも更なり。ただただ、この歌が大好きだ。 ■浴びるほど、焼酎を呑んで、おやすみなさい。 2008年 7月12日(土) ■God gave me grace, but He gave me a sweet, sweet, sweet love. ■暁に目覚める。薄明のうちに、自分の掌のうちをじっと見詰める。 ■内観する。何方よりも艶書来たらず、太平の夏を謳歌せんと欲す。 ■幾つか学術論文を読む。思い掛けぬ所で御師匠様の名を見出した。 ■御師匠様はこんな角度からも読まれているのか、などと愚考する。 ■其処で携帯電話がブーブーと揺れる。メールが入ったようである。 ■開いて見ると、久方振りに御師匠様からのものであった。ははー! ■何々、貴君の論文を改めて読みました、とある。恐悦至極である。 ■加えて、過度の飲酒を窘めんとする文言有り。胸に突き刺さった。 ■焼酎は呑んでも呑まれるなと有る。研究と仕事に精進せよと有る。 ■読了後、暫し両の手で顔を覆い、項垂れる。時間の経過を忘れる。 ■どれほどの時間が経過したことだろう。自己嫌悪の砌、一撃有り。 ■返信をするも、何を書いても空しいものだと感じて、悲しくなる。 ■急ぎ登りて書を引っ張り出す。徒手空手の儘、それを只管読むか。 ■Spinoza さんについての論考の主題を決めなければならないのだ。 ■「自殺の問題」改め、「生死の問題」。そうだ、これで行かねば。 ■気がつけば、夕刻だ。自転車を漕いで洗濯場に向かう。蒸し暑い。 ■待っているあいだ、御師匠様の玉稿を拝読する。泣きそうになる。 ■或る程度のプロットを考え、ストーリーを練り直し、書き進める。 ■帰宅する。洗濯物を畳み、湯を浴びる。蔵書を引っ繰り返し捲る。 ■「背後世界」に怯えつつ、御師匠様に叱咤激励されつつ、書くか。 ■祖母亡き今、私が慕い、恐れるものは、御師匠様のみであるのだ。 ■音楽一切無し。 2008年 7月11日(金) ■The Gunner's Dream. ■薄明に目覚める。夜が明き切る前のひんやりとした空気が心地良い。 ■内観する。砲兵の夢を追憶しているような気がしてきた。止めよう。 ■珈琲を淹れ、飲む。パンを焼き、齧る。自転車に乗り、社を目指す。 ■比較的に涼しい時間帯に、暑苦しくなるであろう街を、走り抜ける。 ■仕事の席に着く。また別の「図書目録」の校正を二件も依頼された。 ■嬉々として作業を進める。「背後世界」が動き出さぬか心配である。 ■お昼休み。軽食の後、内観する。それから涼しい場所で読書をする。 ■仕事の席に戻る。校正作業、一件終了。もう一件目に取り掛かろう。 ■並行して、もう一つの校正作業も進める。電話の応対をしながらだ。 ■編集長に「論文読んだよ」と言われる。世間は狭いし、そして怖い。 ■同僚さんから、実家から送って貰ったという野菜を頂く。有り難い。 ■調理器具の無き故、始めはお断りしたが、社長の一声で頂くことに。 ■「冷やして塩揉みして齧ったらエエやん 貰ときぃさ」 ご尤もだ。 ■定時と相成り、社を後にする。チベット仏教研究者さんと暫し歩く。 ■道にデンと居座る古の人造物を見上げ、あれが厄除けなんだと思う。 ■空に風穴を開け、この人世から抜け出したい無茶な欲求に駆られる。 ■彼と別れた後、半分になっているお月様を仰ぎ見る。何も思わない。 ■帰宅して、湯を浴びる。それから夕餉の支度をし、焼酎を浴びよう。 ■「上海さんはいつも元気ですね」と何人かから言われた。冗談だろ。 ■屈託し、鬱屈し、精神的複雑骨折を負う我が身を、人世は嗤うのか。 ■人の善意や何気無い言動をepocheし、ただ自転車を漕ぐ日々である。 ■Pink Floydの『the final cut』を聴く。 『The Gunner's Dream』 written by Roger Waters
*standard issue…米軍特殊部隊の長靴 砲兵の夢が、私を追い掛けている。「背後世界」が、私を嗤っている。 教誨師に嘲笑われ、ペシャンコに踏み潰されて、それでも生きている。 己の身の醜さを、学の浅きことを、世に晒して、それでも生きている。 それでも生きなければならぬ積極的な理由など一切見当たらないのに。 花山信勝師のような人は稀である。御師匠様のような御方も稀である。 「願わくは Spinoza 研究栄え行き 我が名蔑む人の多きを」と思う。 この歌が大好きだ。 ■浴びるほど、焼酎を呑んで、おやすみなさい。 2008年 7月10日(木) ■We won't get fooled again! ■暁に目覚める。未だひんやりとした空気を、部屋のなかに取り込む。 ■深呼吸をして、冷たい水を飲んでから、内観する。静かな朝である。 ■珈琲を淹れ、飲む。少しだけ空腹感を覚えるが、何も食べなかった。 ■自転車を漕ぎ、会社を目指す。山里から都心部への道程は、嶮しい。 ■仕事の席に着く。容赦の無い電話攻勢に、ペン一本で立ち向かうか。 ■上役より命ぜられた、Excelによるデータ作成を並行して行いながら。 ■お昼休み。軽食の後、内観する。それから涼しい場所で読書をする。 ■仕事の席に戻る。新たな「書誌データ」作りに取り掛かる。またか。 ■不意に社長が「切りのエエとこで、こっち来てくれるかな」と言う。 ■社内の会議室に私を呼び、「三ヶ月経って、どや?」と訊いてきた。 ■問われるがまま、私の所感を申し述べる。少しだけ暗黒面も晒した。 ■社長もまた暗黒面を晒し、二人して不敵な笑いを浮かべる。フフフ。 ■何点か向後について提案をし、そして自己評価、他者評価も試みる。 ■ま、兎も角、賃上げ交渉は妥結した。後はまた、九月以降の話だな。 ■「図書目録」の校正作業に手をつけられなかったことが、心残りだ。 ■そんな感情も振り切って、仕事を遂行する。私は一切を回顧しない。 ■定時と相成り、皆と「お疲れさま」と言い合って、会社を後にする。 ■自転車を漕ぎつつ、頭のなかではHard Rock Soundが鳴り響いている。 ■ドデカイ音が、ガツンと胸に響く。We won't get fooled againやで。 ■我輩の技術的な拙劣点により、取得が危ぶまれたThe Whoのチケット。 ■無事、某氏のご尽力により叶った。有り難や、有り難や。嬉しいな。 ■The Whoと、Spinozaさんと、御師匠様と、幾つかの優れた文学作品。 ■それらによって形成された我が精神は、此処から能動に転ずるのみ。 ■四の五の言わんと、楽しもう、The Who の単独来日決定なんやから。 ■帰宅する。湯を浴び、夕餉の支度をする。それから、晩酌を始める。 ■時折、酔いではなく、或る種の瞑想情態へと陥ることに、気づいた。 ■グラスを手に音楽を聴いているようで、実は心の働きを止めている。 ■気分が良い訳では無く、かと言って悪い訳でも無い、不思議な感覚。 ■少なくともmaraからの囁きによる捕囚では無い筈だ。あり得ないな。 ■さ、秋を目処として、Spinozaさんにおける自殺の問題を考察しよう。 ■古式床しいガチガチの学術論文に仕上げて、人の世に晒そうと思う。 ■ま、取り敢えず、窓から上弦の月を眺めつつ、グラスを傾けようか。 ■The Whoの『Who's Next (Deluxe Edition)』を聴く。 『Won't Get Fooled Again』(邦題:『無法の世界』) written by Peter Dennis Blandford Townshend
一瞬の気の緩みも許されはしない、見所満載の演奏である。素晴らしい。 私に「The Who は良いバンドなんですか?」と訊くことなど野暮である。 それはキリスト教徒に「聖書は良い本ですか?」と訊くに等しいことだ。 彼らと、Spinozaさんと、御師匠様と、幾つかの優れた文学作品群を想う。 人世には、憂愁だけでなく、美しきものも存在する。この歌が大好きだ。 ■浴びるほど、焼酎を呑んで、おやすみなさい。 2008年 7月9日(水) ■There ain't no room for the hopeless sinner who would hurt all mankind just to save his own. Have pity on those whose chances are thinner. 'cause there's no hiding place from the Kingdom's Throne. ■東雲に目覚める。昨日よりも穏やかな空気を感ずる。湿度が低い。 ■内観する。骰子一擲、いかで偶然を廃棄すべき。私には解からぬ。 ■珈琲を淹れ、飲む。清々しき風を、窓からうちに取り入れながら。 ■自転車に跨り、社を目指す。決まったルートを、決まった速度で。 ■仕事の席に着く。電話がじゃんじゃんと鳴る。校正作業も進める。 ■お昼休み。軽食の後、内観する。そして涼しい場所で読書をする。 ■仕事の席に戻る。妙な質問や無礼な抗議に対応する。鍛えられる。 ■「図書目録」の校正、一向に捗らず。それでも前を向いて歩もう。 ■同僚さんたちと〈動物トーク〉で盛り上がる。動物園に行きたい。 ■今度の週末、缶ビール片手に、動物園にでも行こうかなと思った。 ■炎天下の下、猿山、右往左往する白熊、ひんやりとした爬虫類館。 ■何故か鶏に鴉、それから羊にフラミンゴ。博物館にも行こうかな。 ■定時となり、片付けをして、社を後にする。「お疲れさまです」。 ■鞍上にあって、ふと或る仏書のうちの一節が頭のなかを過ぎった。 「帰去来、魔郷には停まるべからず。曠劫よりこのかた六道に流転して、尽くみな径たり。至る処に余の楽なし、ただ愁歎の声を聞く。この生平を畢えて後、かの涅槃の城に入らん。」(沙門善導集記『観無量寿経疏』「定善義」より) 私訳 「さあ、帰ろうではないか、最早、私たちは、魔郷には留まるべきではないのだ。無始の過去からこれまで、私たちは、殺し、殺され、呪い、呪われ、欲し、欲され、蔑視し、蔑視され、驕り、驕られ、追い込み、追い込まれ続けて来たではないか。何処にも幸せの地など無く、ただ愁い歎く声を聞くばかりだ。だから、こうした日常の生活を超越し、あの安らぎの王国へと往こうではないか。」 ■世に呻吟する者たちに向けられた釈迦牟尼仏の慈悲の御心である。 ■だからどうということでも無いのだが、一応覚書を記しておこう。 ■帰宅する。湯を浴び、夕餉の支度を整える。粗衣麁食の生活だな。 ■だが焼酎だけは潤沢な在庫を保持し、生活に減り張りを持たせる。 ■緩められた心に染み入る麦焼酎。釈尊の御心には中中満たされぬ。 ■Jeff Beckの『Flash』を聴く。 『People Get Ready』 written by Curtis Mayfield
中学生の頃、この曲を、当時のMTVで視聴して、ヤラレタ記憶が鮮やかに蘇る。 少々クサイと思わせる設定を吹っ飛ばす、Curtis Mayfieldの詞が素晴らしい。 乗り物のイマージュはMahayanaを想起させ、仏性、または如来蔵を呼び起こす。 唯信心のみ。唯報恩のみ。無所有、無在所、無制約。格好良過ぎるクリップだ。 場所的論理などを持ち出さなくても、この歌は私の穢れた心に染み渡って来る。 この曲が大好きだ。 ■浴びるほど、焼酎を呑んで、おやすみなさい。 2008年 7月8日(火) ■We can be Heroes, just for one day. ■暁に目覚める。雨が激しく降っていた。霹靂する閃電光に驚く。 ■内観する。恰も深海の底に沈潜するが如く、呼吸を止めて行く。 ■珈琲を淹れ、飲む。雨も上がったようだ。これで大丈夫だろう。 ■自転車を漕ぎ、社を目指す。雨上がりでの走行は気持ちが良い。 ■仕事の席に着く。午前中は、電話の応対と伝票整理に追われた。 ■お昼休み。軽食の後、内観する。棄てんとする心を棄てられず。 ■仕事の席に戻る。今日も人員が少ないので、てんやわんやだな。 ■業務上、上役や同僚さんたちに、感謝したり感謝されたりした。 ■勿論、麗しいことばかりで無く、貶される面も有るには有った。 ■しかし、己の心を虚しゅうさえすれば、別に反感も湧いて来ず。 ■決して己を偽るのではなく、己を虚しゅうすれば、万事良しだ。 ■帰りにはその人とも、笑顔で別れることさえできるようになる。 ■終業時間と相成る。同僚さんたちと「お疲れさま」と言い合う。 ■自転車に跨り、帰路に就く。今日の蒸し暑さは、未だマシだな。 ■東の空に、落日に照らされた巨大な雲を見つつ、ペダルを漕ぐ。 ■優れて立体的な雲に敬意を表し、魂を奪われている我を感ずる。 ■家に近付くにつれて、気温と湿度が下がって行くことを認める。 ■帰宅する。湯を浴び、夕餉の支度をする。そうして晩酌をする。 ■ふと思う。凶僧ドルジェタクは死せず。現代に生きている筈だ。 ■多分あそこに住んでいる筈だ。だが私は今となっては恐れない。 ■最早、時熟する私を恐れさせるものなど何も無い。さ、呑もう。 ■David Bowieの『Heroes』を聴く。 『Heroes』 Lyrics by David Bowie, Music by David Bowie and Brian Eno
ヒーローになりたいだなんて思ったことなど一度も無い。 第一面倒臭いし、その概念自体も、自分とは関係が無い。 でもこの曲は、高校生のとき以来、繰り返し聴いている。 凶暴性を内に秘めた退屈さを紛らわせる楽曲であったな。 今は油抜きした厚揚げのような気持ちで聴いているけど。 己のうちの物差しは変われど、曲自体は変わらないから。 己の尺度なんて、エエ加減なもんやと思うてるからなぁ。 私の尺度と神の尺度のあいだには、無限の差異が存する。 まあ、ねぇ、そんなこたぁ兎も角も、この歌が大好きだ。 ■浴びるほど、焼酎を呑んで、おやすみなさい。 2008年 7月7日(月) ■Don't give up, 'cause I believe there's a place where we belong. ■暁に目覚める。既に東の空は真夏を孕んでいた。暑くなりそうだ。 ■寝汗を掻いた分だけ、冷たい水を飲む。それから、只管内観する。 ■珈琲を淹れ、飲む。私は飲み物に対する執着心が強いように思う。 ■自転車に跨り、ペダルを漕ぐ。首にタオルを巻いて、社に向かう。 ■仕事の席に着く。電話応対と伝票整理に午前の時間は費やされた。 ■お昼休み。軽食の後、内観する。それから涼しい場所で本を読む。 ■仕事の席の戻る。上役から、或るデータのチェックを命ぜられた。 ■打ち出しされた細かい数字の羅列に定規を当て、確認作業をする。 ■思いの外、早く済んだので、「図書目録」の文言を精査して行く。 ■気がつけば上役たちは方々へと散って、同僚さんと二人であった。 ■電話の応対の合間に、解説文に赤を入れて行くが、全然捗らない。 ■あっと言う間に終業時間。同僚さんと「お疲れさま」と言い合う。 ■蒸し暑き街中を、祭り前夜の東西の道を越え、自転車で北上する。 ■途中、量販店に立ち寄って、食料品とともに、焼酎を買い求める。 ■帰宅する。そういえば此処二日ばかり「背後世界」の声を聞かず。 ■棄ててこそ。棄てられた者は、棄てるしかないということなのか。 ■記憶を棄て、知識を棄て、感情を棄て、夢を棄て、今日を拾うか。 ■棄てられぬと思う心をも棄て、その捨て去ろうとする心をも棄て。 ■棄ててこそ。正に、棄ててこそ。ペダルの一漕ぎ毎に捨て去ろう。 ■Peter Gabrielの『So / Peter Gabriel V』を聴く。 『Don't Give Up』 written by Peter Gabriel, a duet with Kate Bush
私は別に誇り高き地に生まれた訳では無いと思っている。 極普通の地方城下町に、お祭りのある土地に、生まれた。 其処で愛想を尽かされたり、尽いたりして、逃げ出した。 やがて此処でも、色々なことに愛想も小想も尽き果てた。 そして、今に至る。毎日、焼酎を呑むようになっている。 寓居も悪くは無いが、引き越したい念が強くなってきた。 「諦めないで だって私は信じているのだから 私たちに相応しい土地が在ることを」 此処で、何の脈略も無く、古の大君のことを想い起こす。 崇徳天皇。災厄の一切合財を、自身の所為にせられた君。 君は人を恨んだに違いないが、呪い主の衣を掛けられた。 だが君は四国の守り神でも在らせられた。私はそう思う。 君は諦めなかっただけだとも言えるのではないだろうか。 この歌が大好きだ。 ■浴びるほど、焼酎を呑んで、おやすみなさい。 2008年 7月6日(日) ■瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢わんとぞ思う ■気がつけば、東雲を見詰めていた。覚醒の時刻は判然としない。 ■コップ一杯の水を飲み干し、内観する。丸裸となる勇気は何処。 ■書を遠ざけ、音曲から身を躱し、人世に背を向ける、猛暑の日。 ■軽食を摂り、内観する。軽々に「悪人だ」と口にするべからず。 ■行水をする。汗は止め処無く吹き出て来る。猛暑襲来であるか。 ■禁を解き、読書をする。引き続き大正時代の宗教哲学書である。 ■Mea culpa, mea culpa, mea maxima culpa と唱え、胸を三度。 ■内観する。自己の一切の咎を荷うて、この人世に果てるか否か。 ■〈がたろ〉になりたい。〈がたろ〉になれば、内観は必要無い。 ■だが今のところ、人間であるらしいから、内観は必要であろう。 ■夕刻、自転車を漕いで洗濯に出掛ける。日の暮れる有り難さよ。 ■其処は民家の軒先に設置された洗濯場である。本を読み、待つ。 ■すると赤い自動車が前に止まった。郵便車のような赤色である。 ■そのなかから、一人の小父さんが降りて来て、話し掛けてきた。 ■「大工さん?」 「いや、ちゃいます、publisher 勤めですわ」 ■「へぇ、頭にタオル巻いてるから、てっきり大工さんやと思た」 ■エライ偏見であるが、祖父が大工であったので悪い気はしない。 ■小父さんは其処の家主さんであった。道具商を営んでるという。 ■車から荷物を降ろし、家のなかに運び込んで片付けをしていた。 ■「今日はね、East-Temple で、我楽多市に出店してたんですわ」 ■「そらお疲れさんでした」等と会話が始まった。徒然の話しだ。 ■政治から不動産物件に至るまで、話しをした、煙草を吸い吸い。 ■「今度また、知り合いの不動産屋さん紹介しますわ、近所のね」 ■「おおきに、また宜しゅう」 小一時間ほどで知り合いとなる。 ■二人して西の茜雲を見上げ、「ホンマに綺麗やなぁ」と呟いた。 ■今年中に、この洗濯場を閉めると言われた。淋しい限りである。 ■原因は、コソ泥に狙われることに、飽き飽きしたからだという。 ■「五千円位で、小マシな洗濯機、探しとこか?」 「有り難う」 ■小父さんと別れ、帰宅する。洗濯物を畳んでから、湯を浴びる。 ■夕餉の支度をして、晩酌を始める。牛乳の買い忘れに気づいた。 ■まぁ、朝でもエエわい。水さえあれば何とでも生きていられる。 ■細野晴臣の『HOSONO HOUSE』を聴く。 『僕は一寸』 writen by Haruomi Hosono
海は無いが、鎌倉のような今の在所に、住み着こうかと思っている。 高田渡さんのようにGuitarは弾けないから、哲学書を読みながらだ。 自転車を漕ぎながら、考え、論文を仕上げて行く生活も良いだろう。 〈住み着く〉ということを、本気になって考えている、故郷を離れ。 この歌が大好きだ。 ■浴びるほど、焼酎を呑んで、おやすみなさい。 2008年 7月5日(土) ■You Can't Always Get What You Want. ■暁に目覚める。梅雨は何処に行った? 寝汗を拭って、内観する。 ■珈琲を淹れ、飲む。汗が噴出す。もう一度、汗を拭い、内観する。 ■P先生の訳本を読む。今更ながら、この二つの取り合わせに唸る。 ■死とエロースの組み合わせの妙に唸る。そうして、文に没入する。 ■行水をし、身支度を整え、自転車に跨って、我が母校を目指した。 ■H先生を囲む勉強会に参加する。退屈な発表を面白く聞かんとす。 ■閉会後、不遜にも、H先生に拙論の抜き刷りを謹呈する。ヘコむ。 ■それから、懇親会にも参加する。楽しくも有り、苦笑いも有りだ。 ■T先輩から「酒呑みの喰い方やなぁ」と揶揄される。ご尤もです。 ■I女史から初めて話し掛けられた。剽軽な側面を垣間見たようだ。 ■悪いが群れから逸れた振りをして、旧友W君とバーに潜り込んだ。 ■誰かさんの顔色を伺いながら呑むことに、もう厭きたんだと思う。 ■二時間弱に亘り、グズグズのトークを繰り広げて、お開きとする。 ■自転車を漕ぎ、帰路に就く。North-Wide-St.辺りで酔いも醒めた。 ■帰宅する。水浴びをし、焼酎を呑む。夜になれば、とても涼しい。 ■内観主義とは何か 無始無終の永遠の只中に、〈私〉は在る。其処には言い訳も根拠も基盤も無い。在るのはただ〈私〉のみである。だが、〈私〉は啻に存在するのではなく、思考しつつ存在している。加えて「存在する」とは、空間のうちに位置を占めるというだけでなく、時間のうちにも在るということである。思考し、手足を動かし、口から言葉を発し、絶対の否定である〈他〉と対峙しつつ「存在する」というのが、〈私〉が「存在する」ということの有り様である。それはまた、「絶対に無限なる実有」たる神の様態として「存在する」という意味をも担う。翻って見れば、神は個物の次元において初めて自己を顕現するものであり、それと同時に絶対の無でもある。 そして、この「絶対にして無限なる実有」と〈相対にして有限なる私〉との関係性を自覚化せんとすることこそが内観主義である。主題は一つ、言い訳も根拠も基盤も無い〈私〉が「存在する」ということは、一体どういったことであるのか。無論これは、〈他〉と対すること、人世上の歩みへの思索でもある。またこの問いは、〈自己は如何にして確立されなければならないのか〉という問いへと繋がる。 言い訳も根拠も基盤も無い〈私〉が「存在する」とうことは、其処に磐石な基礎など一切無いということであり、それは身も蓋も無い〈弱さ〉の表白である。俗に言う「弱さの克服」であるとか「自己を成長させる」といった道徳的言表は、此処に忽ち意味を失わされる。もし、〈自他〉の〈弱さ〉を醜悪なるものと非難しつつ、唾棄しつつ、そうした所謂〈道徳的なこと〉を信条とし、克己して前進せんと試みる者が居るとすれば、その者は〈自己責任〉、ないし〈他への応答責任〉について、微塵も思いを致してはいない。有言実行や行為の重要性を説いたところで、それは通俗に過ぎる一過性のものであり、真の自己確立に何ら寄与するものでは無い、単なる無駄吠えである。Nietzscheの決定的な瑕疵もまた、此処にある。 〈他〉に〈私〉の責任を転嫁せず、総てを己の肩に背負う。人世に恨みを抱かず、一切の咎を〈私〉のものと看做す。一見、これは麗しい態度であるように思う、道徳的に優れた人格であるようにすら思える。だが、これほど無責任な姿勢は外に無い。なぜなら、こうした思想信条には〈相対にして有限なる私〉という自覚が決定的に欠落しており、それと同時に「絶対にして無限なる実有」の働きを無視するものだからである。〈相対にして有限なる私〉は、無限の責任を負うことなどできない。〈相対にして有限なる私〉には、絶対の否定である〈他〉の権能を奪うことなどできないのである。〈私〉に永遠のNonを告げる〈他〉の働きから、〈私〉は逃れることなどできないのである。 仮にそう思う者が居るとすれば、その者は神の無限を盗用せんと試みる者であり、そうした態度は七慢の一つである増上慢の極みである。したがって、〈すべての責任を私が担う〉といった態度は不遜なものであり、実に外見上だけは有責任であることを示す、卑劣なる無責任の極みである、どれほど〈私のことは私が受けて立つ〉と自他に言明し、口だけでは無い麗しき有言実行を標榜しようとも。 ではどうすべきか。〈私〉の真の自己確立の途は奈辺に在りしか。一切の咎は本来的には〈私〉のものでありながら、しかし〈私〉はその咎を負い切れる者ではない。一切の咎を背負って居られるのは、忝くも「絶対に無限なる実有」たる神である。この一点において、〈私〉は徹頭徹尾、無責任者である。 〈私〉の背負い切れぬ咎を神が荷うて下さっている。この〈一切の咎を背負い切れぬ私〉という自覚は「神において存在する」という様態の自覚であり、神の前に赤裸にされることへの勇気である。内観のうちには、こうした無限と有限とのあいだで繰り広げられる、本当の本当の本当のところは筆舌に尽くし難い、厳しい〈弱さ〉の追窮がある。通俗的な〈弱さ〉の表白が唾棄すべきものであることは論を俟たぬが、内観主義における〈弱さ〉の己事究明には、絶対の否定である〈他〉、無限、神の、〈広さと深さを湛えた慈悲と叡智〉の自証への欲望が存するのである。そこで初めて、次の文句は、真の有用性を現す。 Mea culpa, mea culpa, mea maxima culpa. 我が咎、我が咎、我がいと大いなる咎。 Caute! 人世には通俗に過ぎる〈弱さ〉へと転落する虚が至る所に穿たれている。人世のそうした虚に躓き、転び、翻筋斗打って倒れ、手非道く傷を負ったとしても、またそうした経験から自己に猛省を促したとしても、直ちに救済が得られるとは限らない。You can't always get what you want. 内観せよ、内観せよ、内観せよ。 ■懲りねぇヤローだなぁ、よく飽きねぇなー、ほとほと感心するぜ! ■酒呑んで何になるってんだよ! 好きにしろよ、それしか言えん! ■いっそ死ねば楽になるんじゃないの? オレは知らんけれどもな! ■死んで呪おうが、オレたちゃカンケーネェーってことで、宜しく! ■死ね! 死んじまえよ! この〈強さ〉の人世で生きられぬのなら! ………………………………………………………………………………… ■静けさの底は限り無く私に開かれている。其を受け容れるべきか。 ■The Rolling Stonesの『Let It Bleed』を聴く。 『You Can't Always Get What You Want』 written by Mick Jagger - Keith Richard
Al Kooper が八面六臂の大活躍の曲である。特に出出しの Horn が美しい。 「欲しいものがいつも手に入るとは限らない」としても、私は賭けようか。 賭けのうちに、エロースとタナトスの駈け引きを感じつつ、骰子一擲する。 この歌が大好きだ。 ■浴びるほど、焼酎を呑んで、おやすみなさい。 2008年 7月4日(金) ■団雪の扇。 ■曙に目覚める。雨は降っていない。夏のお日様が顔を擡げている。 ■内観する。陽とともに私は覚醒し、この人世へと戻って来るのか。 ■珈琲を淹れ、飲む。汗を掻く。シャワーを浴びて、汗と涙を流す。 ■自転車を漕いで社を目指す。「書誌データ」作業の環境を整える。 ■故有って、事務所で一人限りとなる。電話の応対だけに追われる。 ■入社以来、未だ三ヶ月しか経ってないが、長いこと居る気がした。 ■「書誌データ」一応完成。後は店のおっちゃんとの改良作業のみ。 ■お昼御飯を食べ損ね掛けたが、上役が「食べ!」と言ってくれた。 ■有り難く時間外休みを頂戴し、軽食を摂った。その後、内観する。 ■約三十分ほどで切り上げ、仕事の席に戻る。Excel さんと戯れる。 ■「図書目録」改訂の前任者からレクチャーを受ける。なるほどね。 ■私は遣り方を変えて、自分一人でトコトン遣ってみようと思った。 ■デスク向かいの年下の先輩さんから、よく揶揄される。困ったな。 ■パンダの判子を押されてもねぇ。惑乱を避け、平常心を心懸ける。 ■終業時間と相成る。皆と「お疲れさま、良い週末を」と言い合う。 ■自転車を走らせる。鍋底の地形には、湿気だけしか見当たらない。 ■途中、店に立ち寄り、最低限の食料品だけを買う。重荷を厭うて。 ■私の重荷は、私だけが荷い、また私のみが知り得る事柄であろう。 ■人様に悟られてはならぬことが、私には多くあるような気がした。 ■一方で、それは蒸気のようなもので、雲散霧消するものでもある。 ■病葉(わくらば)や 我の病か 光明か 慈悲と智慧を荷うか。 ■邂逅(わくらば)に 私は人で在る者か 恩寵と叡智を担うか。 ■ハンドルを握り、ペダルを漕ぎ、前を見据えながら、想いを抱く。 ■帰宅する。荷を降ろし、湯を浴びる。それから夕餉の支度をする。 ■団扇で湯上りの身を扇ぎながら、昭和四十年代様式の晩酌をする。 ■扇と手拭いさえあれば、この夏を過ごすことができそうに思えた。 ■静寂のうちに晩酌をする。涼風が身体を洗う。ふと、耳を澄ます。 ■……自己の本性と対立する外部の諸原因によって凌駕されるのでなければ、何人も自己の利益を欲求すること、すなわち自己の有を保持することを放棄しない。繰り返すが、自己の本性の必然性に従って、食料を拒絶したり、自己自身を殺したりすることを、何人もなさない、それは外部の諸原因によって強制される(coactus)からこそのことである。……(E4P20S) ■おっかねぇヤローだな、オメーは。人で無したぁテメーのことだ! ■オレはカンケーねぇよ。第一すぴのざなんざ読んだこともねぇよ! ■だからテメーはさ、幼少の砌、家慈に遺棄されたんだ、このタコ! ■あ〜あ、やってらんねぇぜ。だから酒呑みは信用ならねぇんだよ! ■生き恥とはこれをいうのですね。初めて知りましたわ、アタクシ! ■おっと、アブねぇアブねぇ。屁ぇこいて、ゲームして、寝よっと! ………………………………………………………………………………… ■秋扇は忌忌しとも、夏扇は友。さ、夜の底の底へと落ちて行こう。 ■Led Zeppelinの『(Led Zeppelin IV)』を聴く。 『Stairway to Heaven』 written by Jimmy Page - Robert Plant
つい先日、聴いたところであるが、今日もまた、繰り返し繰り返し、聴いている。 爆音の筈なのに、何処か静謐で、何処か涼しげな John Bonhan の Drums が好い。 ケルトの大地は今、如何なる有り様であるか。私は焼酎を呑んでいる唯の男だが。 それでも尚、五月祭が済んだであろう地を想い、仕事をし、書を読む日々に在る。 人世に死ねと言われても、音楽を聴き、少ないながらも眠りを得て、仕事をする。 この歌が大好きだ。 ■浴びるほど、焼酎を呑んで、おやすみなさい。 2008年 7月3日(木) ■I Put A Spell On You. ■薄明に目覚める。可成りの睡眠不足だが、もう眠れそうに無い。 ■灯りを灯し、崇敬する先師の書を紐解く。大正時代の本である。 ■この本にも、一度真面目に取り組まねばならないと思っている。 ■内観する。多くのfileをuninstalしたため、脳内はガタガタだ。 ■よってdefragmentationを試みる。精神的なdefragmentationだ。 ■珈琲を淹れ、飲む。軽く眩暈がする。身体を厭うべきかどうか。 ■だが、自転車を漕いで社に向かう。ぱらぱらと雨が降っていた。 ■仕事の席に着く。Status Quoの保守点検に勤しむ。業務命令だ。 ■お昼休み。眩暈が治まらないので、今日だけ定食屋さんに行く。 ■真面な食事を、ここ最近一ヶ月は摂っていなかったように思う。 ■なのでガッツリと定食を喰った。肉も野菜も身体に取り込んだ。 ■私としては珍しく、御飯をお代わりした。大盛りの飯であった。 ■仕事の席に戻る。Excel によって「書誌データ」を拵えて行く。 ■正式に上役から「図書目録」の改訂作業を仰せつかる。嬉しい。 ■切りの良い所まで仕事をした。ほんの少しだけの残業であった。 ■皆よりも少しだけ遅く事務所を出た。自転車のペダルを漕いだ。 ■大量に汗を掻いた。「南無妙法蓮華経」の石柱の前で内観する。 ■帰宅する。荷を降ろし、湯を浴びる。そして夕餉の支度をする。 ■静けさのなかで晩酌をする。雨が降り出してきた。耳を澄ます。 ■我々のうちには誰一人として宗教的でない者など居ない。何故なら、〈私〉が〈私〉である限り、それは「〈他〉あっての〈私〉」という存在だからである。そして〈他〉と〈私〉とのあいだには、知覚の表層には確と現れては来ないが、無限の深淵が横たわっており、実にこの無限を隔てて〈我〉は〈他〉と相対しているからである。この深淵に我々は耳を澄まし、過去の記憶を嗅ぎ、未来に思いを馳せ、そうしてまた声なき声である宇宙の呟きを感受しているのである。この無限の深淵は、諸々の事物や現象の実在性の源泉であり、其処から我々は生命のエネルギーを汲み取っている。而してその境域は可視的な世界よりも高次の世界、言い換えれば、真実在の世界と言わねばならぬであろう。この故に、我々は須く宗教的な者である。或る特定の宗教を指すのではなく、我々はより広い意味において、宗教的な真実在に日々刻々触れなむとする者である。 ■コエーよ、エエ加減に止めたらどうや。この人世不適合者めが! ■maraの囁きに翻弄され、一人苦しむ浅はかな男だな、オメーは! ■俺たちはガッチリ結束してな、陰でテメーを嘲け嗤っているぜ! ■テメー以外は絆を深め合い、支え合い、余力でテメーを潰すぜ! ■世の人々の嘲弄を浴びて、汚辱に塗れて、テメーは果てて死ね! ……………………………………………………………………………… ■さあ、今宵も静けさの底の底の底で、酒を酌み交わそう、vale。 ■Nina Simoneの『The Best of Nina Simone』を聴く。 『I Put A Spell On You』 written by Screamin' Jay Hawkins
呪いの歌というものは、有りそうで無さそうで、どうだろうか、結局の所、聴く者の耳によるのか。 Nina Simone はこうしたことを、一度や二度は言われたことがあるのだろう、つまり呪いの言葉を。 吐いたことも、あるかも知れない。呪詛の受け手であり担い手であった筈だろう、声を聴く限りは。 特に加持祈祷を知らぬ、あるいは侮っている宗派には、この特徴は著しい、阿呆らしいことだがな。 「おん、かかか、びさんまえい、そわか」 私は幼少の頃よりmantra(真言)に親しんできた者だ。 呪文には呪文で対立すべきか。否、そんな阿呆らしいこと、ようしまへんがな。私は人を蔑まない。 雨がきつく振り出して来たな。あ、もう止んだかな。どちらでも好いと思える、夜の底の底ではな。 静けさの底には、未だ未だ底がありそうだな。Nina Simone は歌っている。私は焼酎を呑んでいる。 この歌が大好きだ。 ■浴びるほど、焼酎を呑んで、おやすみなさい。 2008年 7月2日(水) ■The world isn't fair. ■暁に目覚める。脳の調子が良くない。筋違いの組み方をしている。 ■矢庭に足長蜂が部屋に飛び込んで来た。放っていたら出てくれた。 ■内観する。直ぐに諦め、珈琲を淹れ、飲む。駄目なものは駄目だ。 ■自転車を漕いで、会社を目指す。仕事の席に着く。電話だらけだ。 ■駄目な日なのだから、ミスの無いよう消極的な仕事振りであった。 ■お昼休みが吹っ飛ぶくらいの仕事が舞い込んで来る。睨めっ児だ。 ■細かい字を定規で捉え、一文字も漏らさぬように追い掛けて行く。 ■飯抜きは回避されたが空虚感は残された。これは善くない兆候だ。 ■冗談も言わず、俯いて仕事をしていたら、同僚たちに質問された。 ■「体調悪いの?」 上役もそれに同調した。「いえ、大丈夫です」 ■本当は一刻も早く家に帰りたいのだが、それを言っちゃお終いよ。 ■定時を迎える。明るく笑ってさようなら。皆様また明日、である。 ■曇天の下で、美しい歌を想いかべることもできず、ペダルを漕ぐ。 ■朝は雨か、それとも風の日か。明日のことを思い煩ぬようにする。 ■「まづ神の國と神の義とを求めよ、されば凡てこれらの物は汝らに加へらるべし。この故に明日のことを思ひ煩ふな、明日は明日みづから思ひ煩はん。一日の苦勞は一日にて足れり。」(マタイ傳福音書第六章三三‐三四節) ■こんなもの苦労のうちに入らぬと言い、一方でまた塞ぎ込んでいる。 ■面の皮一枚の世間不適合者として、私は余生を送らねばならぬのか。 ■世間が牢獄なのでは無く、寧ろ私自身が牢獄であり、世間であるか。 ■これを知ることさえできれば、私はどれだけ救われることだろうか。 ■Caute! 世の一切の被造物は神への道であるとともに、暗黒でもある。 ■おっと、アブねぇアブねぇ。仕事と研究を妨げるものよ、立ち去れ。 ■Randy Newmanの『Bad Love』を聴く。 『The World Isn't Fair』 written by Randy Newman
威勢良く、「世界が不公平であると思う気持ちこそが、世界にある差別を生んでいるのだ」と言おうか。 言えない。だからといって、穏やかに世間に合わせ、文字通り穏当に生きることも、また難しいことだ。 蝙蝠傘とミシンの取り合わせは、最早私を慰めはしない。今の私の慰謝とは、人の世の悲惨を嘆く心だ。 往相回向と還相回向 ―己の悪の自覚は本当か― T. 「人間に向かう人間」、「人間の為の人間」(homme pour homme)の論理的基礎
精神の自由とは、何も好き勝手することではない。況や人を呪うことでは無い。 Despite all the amputation, you could dance to a Rock 'N' Roll Station. 全ての手足が切断されているとしても 君は躍ることが出来る ロックン・ロール・ラジオ局に合わせて 此処に他と自とが一つの場を形成し、〈踊り〉を証示させていることを、聖職者たちは知らない。 聖職者たちは、結局のところ、自分以外は拒絶するのみだ。知るのはただ、衆生のみ。 知るのはただ、衆生のみ。聖職者たちはただ、矛盾を矛盾として受け容れられ無いだけだ。 この歌が大好きだ。 ■浴びるほど、焼酎を呑んで、おやすみなさい。
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