1944年7月、サイパンなどマリアナ群島をアメリカ軍が制圧し、ここが日本本土に対する空襲の基地となった。 この年の11月に本土の空襲が始まった。
最初の頃は軍事工場などのある地域がピンポイントで空爆されていたが、徐々に都市への攻撃へと移っていった。
そして東京、人口密集地域である、下町の城東地区の浅草、本所、深川に飛来したB29が325機、爆弾は
M 69焼夷弾 48,194発、1800トンが投下され、
死者 108,000人、
焼けた家屋 268,358軒、
罹災者 1,008,000人、
焼失した面積41平方キロ、
ほぼ東京の3分の1以上にあたると言う。
正確には9日の夜中から10日の早朝と言う事だが、その日の夜は低気圧の通過に伴って30mの強風がふいており、この風が焼夷弾による火災と重なり延焼を広げ、大きな被害をもたらした。
この日、3月10日は1999年に空襲犠牲者を追悼し平和を願うことを目的として「東京都平和の日」に定められ、永遠に記憶に留める日となった。
筆舌に尽くし難い、一般市民を狙い撃ちにした、許す事のできないアメリカによる戦争犯罪の日である。
死者のほとんどが女性、子供、老人で非戦闘員だった。 アメリカが言う、産業基盤を破壊し、戦意を喪失させるための作戦であれ、許す事の出来ない無差別の民間人殺戮である。
この後、東京は6回の攻撃を受け、名古屋、大阪、神戸と言う大都市への攻撃へと移り、その後、北海道から沖縄の離島までの地方がこの焼夷弾による絨毯爆撃を受け、殺戮された一般市民は30万人以上に及んだ。
そのどめとして広島、長崎への原子爆弾投下へとつながっていく。 なんと言う無謀、許すことの出来ない、明らかな戦争犯罪だ。
この市民殺戮を指揮したのはカーチス・E・ルメイで、後にアメリカの検証で、彼は決してモラルの高い人間ではなかった、と言われている。 つまり、殺人が趣味のような人間なのだ。 彼自身も、もしアメリカが戦争に負けていたのなら、私は戦争犯罪者になったであろう、と言っている。
その殺人確信犯に対して、佐藤栄作首相は1964年、勲一等旭日大綬章を贈っている。
おしまい
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