「KY」という言葉を「空気が読めない」とは、どうしても読むことができなかった。雑誌『文芸春秋』六月号の鼎談(ていだん)で<こうした言葉が生まれて、大勢が使っているような社会は、言葉にとって危機的な状況だと思います>と憂えている▼ベストセラー『日本語練習帳』の著者としても知られる国語学者の大野晋さんのことである。「美しい日本語」だけを大事にしていたのではない。むしろ<正確な日本語、的確な日本語、文意の明瞭(めいりょう)に分る日本語>を日本人は心掛けるべきだと考えていた▼若いころ「多力」「少力」という言葉を生み出した。地位や資産、健康、能力などの要素をどれほど持っているかを表す言葉である。自分自身は少力だと思っていた。だから一つの道を歩み続けたのだろう▼鼎談では<少し長生きをしすぎたと感じることもあります>と語っている。三日前、八十八歳で帰らぬ人となったが、日本語のためにもっと長生きをしてほしかった▼翌日、中国人の楊逸(ヤンイー)さん(44)が『時が滲(にじ)む朝』(文学界六月号)で、芥川賞に選ばれた。一九三五年の創設以来、日本語を母語としていない人の受賞は初めてになる▼本紙の記事には<母語でなく、学んだ外国語で書く作家の活躍は世界のすう勢になっている>とある。大野さんに聞いてみたかった。日本語にも新しい可能性が出てきたのではないか、と。