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【社説】

芥川賞 新しい物語の始まりだ

2008年7月17日

 芥川賞に中国人、楊逸さんの作品が選ばれた。中国人の受賞はもちろん、外国語として学んだ日本語で書かれた作品の受賞は初めて。異文化の背景を持つ新しい日本語文学が生まれる時代を開いた。

 芥川賞は、在日韓国・朝鮮人では李恢成氏ら四氏が受賞し、外国語として学んだ日本語の作品が候補に挙げられたことはある。

 楊さんは日本語で初めて書いた作品「ワンちゃん」が前回の芥川賞候補になり二作目の「時が滲(にじ)む朝」で受賞した。

 受賞作は天安門広場の学生、市民による民主化運動を中国軍が弾圧した「天安門事件」(一九八九年)に参加した中国の青年が主人公。事件後、日本に渡った青年が、青春時代に抱いた理想と遠くの祖国を見つめ直す物語だ。

 作品には中国の地方都市で暮らす若者の北京と外国を見る目や西側文化に触れた新鮮な感動、日本の生活が生き生きと描かれる。

 天安門事件と民主化運動という中国政治でもっとも敏感な問題に正面から取り組み、それにかけた青年の理想と挫折を伝える。

 中国の社会や中国人の内面は日本人には、なかなか、うかがい知ることはできない。違和感や反発を持つ人も少なくない。

 作品は彼らが、さまざまな制約の中で夢や希望を抱いても、果たされず悩む姿を日本語で等身大に紹介している。この作品によって日本人は初めて普通の中国人を発見することになろう。

 作品中には「西北風を飲む暮らし」「田舎色の歯」など中国語風の表現が見られる。前回選考では日本語の未熟さが受賞を逃す理由になったというが、この作品では、かえって新鮮に感じられる。

 グローバル化が進展する中で、経済や人の国境が低くなり、文化の相互浸透も進んでいる。日本の文学作品も数多く海外に紹介されているが、今回の受賞で外国人が学んだ日本語による独特の表現で世界や日本への見方を示す新たな可能性が開かれたといえる。

 それにしても受賞作が中国の世界史的事件や日中関係という大きなテーマを取り込んでいることに驚かされる。

 最近の新人作家の文学賞受賞作は身の回りの動きに揺れる心をテーマにしたものが多い。こうした中で楊さんの「大きな物語」が受賞したことは格差や貧困など過酷さを増す日本と世界の現実の中に、文学のテーマが満ちていることを新人作家に教え、文学賞の選考にも一石を投じたのではないか。

 

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