先日、震災から1年になる街の復興と原発の耐震工事を見に新潟県柏崎市を訪れた。能登半島地震からわずか3カ月半後に起きたのが中越沖地震である。震源近くの海岸に立つと二つの教訓が思い浮かんだ 一つは、最近の震災は近い所でも連続して起きること。そう遠くない能登と新潟で連続発生したのもそれに当たるが、柏崎では3年前の中越地震の記憶がまだ生々しいうちに起きたことがショックだった 震災に遭うと「当分ここには大地震はない」と思うのが人情だが、確率論は効かない。中越地震の後、万が一にと築いた耐震装置が早々と働いて助かった工場もあった。「備えあれば憂いなし」の現実を見たのだった 2点目の教訓は「強弱の継ぎ目」が破壊されることだった。炎上した柏崎刈羽原発の変圧器は一種の外部付属品であり原子炉本体ほどの耐震性を備えていなかった。同じ揺れに、本体は耐え、弱い付属物は耐えきれなかった。その強と弱との継ぎ目が壊れたのである 心臓をいくら強くしても周辺の血管が切れては元も子もない。あらゆる組織に当てはまる教訓ではなかろうか。
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