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独島:江戸時代の地図も「朝鮮領」と表記

李相泰・国際文化大学院大教授が新たに発見された古地図「朝鮮国図」を説明している。この地図は収集家のモ・ギョングクさん所蔵で、17世紀に原本が作られたとみられる。子山島(独島)をはっきりと朝鮮領として描いている。/兪碩在(ユ・ソクジェ)記者

 独島(日本名竹島)が朝鮮固有の領土だったことを示す日本の古地図「朝鮮国図」が、地図収集家のモ・ギョングクさんによって発見された。

 地図は縦26.5センチ、横31.5センチの紙に印刷されており、上が東の方向を示している。それによると、韓半島(朝鮮半島)の東側には「爵陵」という島があり、その北側には「子山島」という島が描かれている。古地図専門家の李相泰・国際文化大学院大学碩座教授(元国史編さん委員会史料調査室長)は「爵陵は『鬱陵』を誤記したもので、子山島は『于山島』とともに当時の独島の名称の一つだ」と指摘した。朝鮮王朝の粛宗(在位1661-1720)の時期に日本の漁民の侵犯に抗議した漁民の安竜福(アン・ヨンボク)も独島を「子山島」と呼んでいた。李教授は「当時は正確な地理的知識がなかったため、独島が鬱陵島の北西に描かれていることが多い」と話した。

 地図の左右の版心部分には、「江戸大節用」という文字が書かれている。これは江戸時代に日本で出版された百科事典に当たる書物で、当時の日本で常識とされた情報が収録されている。

 李教授は「印刷本そのものは19世紀のものと推定されるが、全体的に不正確に描かれていることからみて、まだ朝鮮に対する情報が少なかった17世紀に地図の原本が作られたとみられる。その当時の状況でも独島が朝鮮の領土だということに疑いの余地がなかったことを示している」と説明した。

 日本の地図で独島を朝鮮の領土と表記しているのは、朝鮮国地理図(1592)、三国接壌地図(1785)、大日本分県地図(1878)などこれまでに約10種類が発見されている。

兪碩在(ユ・ソクジェ)記者

【ニュース特集】独島問題

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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