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 ジャイアン(自己正当化型ADHD)には「一廉の者であらなければならない」「自分を下に見られるのは腹が立つ」という中心志向と、非常に合理的な志向との両方がある、この矛盾がジャイアンのさまざまな行動パターンを形成している。

 この二つを「うまくマイナスを少なく使いこなして乗り切る」方法の一つが、(表面上はきれいではないけれども)「見下す」という方法である。

 私自身はうまく出来ないが、実は「この相手はどうせ低レベルだ」と見下して、「それから合理的に理解する方向に行動できる」ということが可能になるのだ。

 「見下す」ことで自分の中の中心志向から来る「お前が何を偉そうなことを言うか」といった醜い感情の動きを一旦抑えると、あと残るのは合理的な部分なので、逆に合理的に理解の努力が出来てむしろ冷静で平等なADHDらしい関わりが可能となる。

 ASの非言語的な表現の中にある「自分のほうが世界の中心だ」という前提に反応しないジャイアンの人にはこういう認知の方法が出来ているのかもしれない。

 世の中の現象をすべて学歴で説明する浅はかこの上ない私の母親ジャイアンが、昔「負けるが勝ち負けるが勝ち」と自分に言い聞かせるように繰り返し言いつづけていたことを思い出す。

 表面的に見れば「なんて偉そうな」ということになるが、そうでもしないと感情的に反応して心穏やかに生きていけないのがジャイアンの現実である。

 私自身はこの「見下す」ということ自体への合理的な自己突っ込みが非常に強いので、合理的に理解するところまでたどり着けないというところだろう。

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・・・最近、これ減ったと思っていたのですが、私なんかの中には、確かにあるかも知れない、この「見下す」という防衛システム・・・(特に、援助職相手には。)

AS彼が、なんで5年も平穏に続いた「のだめ」彼女との仲をいきなり取りやめにして、「佐々木律子」の私に乗り換えたのかよく分からないんだけど、

(一つには、アルコール依存性依存、おまけにヤの字の元彼と深入りしそうになって、診察室に駆け込んで泣いている私を、どうにかせにゃならん、と使命感を持ったらしい、)

しかし、私とは1年しか続かなかったというのは、律子私が常に彼を「尊敬しつつも見下している面があった」からのような気がします・・・

私は、昔「砂漠のライオン」ならぬ「北極のペンギン」と友人に言われたことがあります・・・北極のペンギンは白くまだって怖くない。しかし、その代わり、砂粒ならぬブリザードは始終体に吹付ける・・・という訳で、随分、損して生きてきたような気もするなぁ。

私が、あまり見下すのが得意でなかったのは、成功者であるAS父ですね。しかし、その’尊敬’も彼のAC教育のおかげでどこへやら。世の中、箱入り娘もいつか外に出るように出来てます。(ハクション)
written by むーん / 2008.07.15 00:30
わたしはこれまでもあまりASの方の非言語的な表現にあまり反応することがなかったのですが、「見下す」ですか。
うーーーん。。。

以前、ジャイアンの高学歴やホワイトカラーのような「メジャー」への中心志向、というエントリーがありましたが、わたしはジャイアンですが「自分が満足すればマイナーでもok」というようなところが多い気がします。
メジャーへの中心志向もなくはないのですが、母親がたいした理由もなく、ただメジャーであることを重んじる人だったので、わたしはそれを嫌悪してマイノリティーであることのよさを見つけてきた(現在も続行中)、というところがあるからかもしれません。

ジャイアンなのに中心志向があまりない(ジャイアン母の反面教師で?)ため、メジャーよりマイナーという考え方をしていて、ASもジャイアンと同じようにマイノリティーであるというとらえ方をしているため、そんなに反応しないのかな、というような気がします。
が、どうなんでしょう。。。

ASの非言語的表現は自分中心の発言が隠れていておもしろいと感じることが多く(自分と違うので)、分裂したものを一気に含めてくるので分かりやすい、と感じます。

逆に一番反応してしまうのは、多数派の方がよく使う「普通」とか「空気を読め」とか、その他そういった言葉を連想させるような些細な会話に、一々憤慨したり、飽きれたり、落胆したりしてしまいます。

ASの方を「見下す」というよりは中心志向のメジャーとマイナーが逆になっている・・・という気がコメントを書いていてしたのですが、どうでしょうか?
自分でもあまりわからないので、どういう回路を辿っているのか知りたいです。
written by mmm(ジャイアン) / 2008.07.15 01:07
>ASの方を「見下す」というよりは中心志向のメジャーとマイナーが逆になっている・・・という気がコメントを書いていてしたのですが、どうでしょうか?

私がAS彼と、最大の大ゲンカになったのは、私が、「アメリカの生んだ最大の芸術家はヘンリー・ダーガーだ」(注・ヘンリー・ダーガーとは、知的障害者で引きこもりで皿洗いをしながらのコラージュ製作者で、死後爆発的に有名になったいわくつきの人です)と、言ったことですね。

AS彼の怒ること怒鳴る事。あれが一番のケンカでした。

私の家もいわゆる高学歴、高収入だったんですが、
>わたしはそれを嫌悪してマイノリティーであることのよさを見つけてきた(現在も続行中)、

というところがmmm(ジャイアン)さんと同じくあるので、こうゆう発言になってしまったのかも。これがせめて「アメリカで一番偉大なのはジョージ・ルーカスだ」にしとけば、彼もそんなに怒らなかったかも。<m(__)m>
written by むーん / 2008.07.15 02:05
ジャイアンは、自己評価を低く抑える必要があると思っていたので、今回の内容は新鮮でした(が、まだ良く分かっていません)。

私はジャイアンから見下されても(多分)平気ですが、是非とも見下している部分を口に出して言って欲しい。何も言わずに見下されてたら、それと分かった時に信用出来なくなりそうです。一部分ではなく全面的に見下されてたら、どうだろう?無理かな?良く分かりません。

私は、自分の山の頂にいます。自己評価を高めることで、「そっちの山も高いね」と他人を評価できます。自分の山の欠陥にも、人の山の欠陥にも目を瞑れます。そして、ASにはこの方法が良さそうな気がするけど、どうでしょう?山頂のジャイアンとも共存できそうです。
(ただ、一番の問題はパートナーをつい自分の山に連れて来てしまう事なんですが…)
written by mario (AS) / 2008.07.15 06:19
先生の仰る「見下す」は、多数派は日常的にやっているような気がします。
具体的には「見下す」とはちょっと違うのですが、
『なんかこの人変わってるな』『なんか違和感あるな』⇒でも人それぞれだからそこはスルー⇒合理的な部分で話をする
という感じだと思います。
特に売られた理不尽な喧嘩を買わない場合などは心の中で「何言ってんだこいつ?」と思ったりします。

むーんさん、

>私がAS彼と、最大の大ゲンカになったのは、私が、「アメリカの生んだ最大の芸術家はヘンリー・ダーガーだ」と言ったこと

なぜ彼氏さんが激怒したのかどうしても判りません。
「事実と違う」ということなのでしょうか?
「むーんさんにとってはそうである」と納得できないという事なのでしょうか?
こういうことでも喧嘩になるのだと難しいですね。

marioさんの
>パートナーをつい自分の山に連れて来てしまう事なんですが…
も気になりました。
私にはこの深層心理は「俺の山の方が良いから」⇒「押し付け」ということのように思えます。
本人にその自覚がなくコントロールできていない場合は、
その人との距離の近いお付き合いは難しくなりそうです。
written by まり / 2008.07.15 11:17
まりさんの言う通りかもしれません
多数派はなんか違うと思っても「見下す」 というよりは「あの人かわってるししょーがないじゃん」でスルー。

私自身は中心志向はあるものの個性を伸ばすことに主眼を置いているので日常生活では露骨に出すことは少ないかも。
私に実害が及ばなければ別にいいのです
けれどもここでASに反応するのは発達障害の理解のために正直に書いて良い所だと思うから

そんな訳でMarioさん
人に見下すことがあったら言ってほしい
と頼む前にジャイアンからの質問に答えるのが筋でしょう?
わからない
なら
わからない
でいいのです。そのことでMarioさんの価値が下がる訳でも何もない
人の質問に対して何もなかったかのような態度をとって頼むも何もないはずですが?
ASはADHDと違いパラレルで物を見ず一つのチャンネルに集中してみているようですが、あなたが見なくなっただけで、終わってない物事って実生活にもありそうな気がします
私はそんなASの後始末に最近追われてて、見下し半分、あきれ半分、自分に腹立ち半分という感じですね
written by くらら / 2008.07.15 14:45
まりさん

>なぜ彼氏さんが激怒したのかどうしても判りません。

単純に「オレ様の考えている事と違う」からだと思います・・・(ひっく。)
当時、彼は主に引きこもりの治療に当たっていて、家で詩や評論ばかり書いている私への、叱咤激励と言うのもあったと思いますが、要はそういう事だと思う・・・

「佐々木夫妻の仁義なき戦い」で、律子さんが「私のルールではこうなるのよ!」とか何とか夫に喚くシーンがあって、それはそれで滅茶なんだけど、

ASには「自分の考え=事実」で、「相手にとってはそうである」とゆう事が、基本的に理解できないし、スルーできないんだと思う・・・

(もっとも、そういう人だとある程度理解した上で、喧嘩売ってしまうのは、ジャイアンのKYところなんですが。)
written by むーん / 2008.07.15 15:05
>marioさんの
>>パートナーをつい自分の山に連れて来てしまう事なんですが…
も気になりました。
私にはこの深層心理は「俺の山の方が良いから」⇒「押し付け」ということのように思えます。
本人にその自覚がなくコントロールできていない場合は、
その人との距離の近いお付き合いは難しくなりそうです。

これが「正常な認知」というものだと思います・・・まりさん。
何故、こういう人(AS)に限って、ほいほいついていくかジャイアン。と思わず自己突っ込み。
私の場合、ジャイアンACで自己評価が低いせいかも知れないけど、それでも、ごり押しをしない多数派には、なんでか「磁石のように」は惹かれませんね。
当然モラハラも起きる。私の場合、最終的にAS父(この人もやっかいな人なんですが)が、「こいつはその内、本当に暴力を振るうぞ」と乗り出してきて、診察室でドクター、彼、私、父との4人で怒鳴りあい。

(「どらえもん」のようなキャラクターのドクターは、怒鳴ってはいませんでしたが、心底困っていました。)

話が「見下す」からずれてますが、ASに対しては、ジャイアンはジャイアンらしく、くらら嬢の言うように「見下し半分」くらいの方が、あとあと面倒なことにならないのかも。
「見下し」ていないと、喧嘩は起きない代わりに、どこまでもジャイアンに増長するのがASだから。(ー_ー)!!
written by むーん / 2008.07.15 19:13
>ASの非言語的な表現の中にある「自分のほうが世界の中心だ」という前提に反応しないジャイアンの人
確かに、ここ最近、ジャイアンのツボには、全くはまらなくなっている私ですが、「見下す」ができているかどうかは、よくわからないですねぇ。

>>>パートナーをつい自分の山に連れて来てしまう事なんですが…

のコメントも、寂しいからなのかなぁ・・・なんて、呑気な考えしか浮かばなかったですし(笑)。

多数派の「見下す」は、見下しても、見下さなくても、それによって、自身の足場は崩れもしないし、固まりもしないけれど、ジャイアンの「見下す」は、そうすれば足元がしっかり固まったような安定感が得られ、もし、しなければ、足元が崩れて、お山から転げ落ちてしまいそうになる・・・というイメージでしょうか・・。

お互いに心地いい状態でいて、その結果が双方の利益に繋がっていけば、お山が1つでも2つでも、それほど問題はない気もするのですが・・・。

多数派の間の似たような関係で、「持ちつ持たれつ」というのがありますが、協力しあうとなるとジャイアンには無理があるので、結果として、協力したのと同じような感じ(相手の利益も生んでいるというところ)におさまると、スッキリできそう・・・??
written by kei_ / 2008.07.15 21:53
むかし定型友人によく「負け惜しみ言わないの」ってたしなめられましたが同じようなものでしょうか。

負けず嫌いなので何か一言言わないと素直に認められない事が多いのです。納得できないというか。

「お前が何を偉そうなことを言うか」というのは醜い感情なのですか?私はニュースの政治家の発言などには常にこれ言います(独り言ですが)

marioさん
>是非とも見下している部分を口に出して言って欲しい。

と言う部分は、上のコメントに対して、と言うことではなく
「世のジャイアンさんへ、そういうこと(見下すべき)がある時には言ってもらったほうが信用できる。」という意味に思えましたがいかがですか?あっていますか?

文字コミニュケーションも不得意な私は行間が読めないことを克服するにはやはり一々お聞きするしかないかと思いまして。

山頂のジャイアンと共存できるのはいいですね。
私は山頂のASと今後どうやって上手く付き合えるかと思案中です。そちら側から見たコツは何でしょうか。

あと、山頂に素直に来てくれるパートナーさんはやはり定型の方なのでしょうか?
ジャイアンの方なら反発されませんでしょうか。(私は居心地の良い間はちゃっかりいますが)


written by 銀の三角 / 2008.07.16 00:00
> くららさん

ここでは、個人vs個人のやり取りは推奨されていないと認識しています。それに、質問された事に一つ一つ答えたい気持ちもありますが、それに答えたとしても結論に達しないのがASとADHDじゃないでしょうか?答えることにメリットがないと思ったので、ワザとスルーしていますよ。

個人的には、ADHDに対して説得を試みないと言う事で、自分が成長したなぁとも思ってるんですが、どうでしょうかね?

 :

「パートナーを自分の山に連れて来てしまう」ってくだりも、私が思ったようには余り読んでもらえてないようですね。“問題だ”と書いているのは、それが結果として押し付けになるって分かってるからです。ASにとっては分かり合えると感じる相手が必要で、分かり合えると感じた結果(そうと認識せずに)自分の考えを押し付けてしまう傾向があります。結局、誰とも分かり合えないと認識して寂しさを味わいながら一人で生きて行くかないと思っています(正直言って絶望的な結論で、絶望的に寂しいです)。

分かり合えないと分かっていると言っても、それをパートナーなり愛着の対象にそれを求めないのは、かなりの努力を要すると自分自身で感じています。身近な異性などに対して心の中で「あなたはあなた、私は私、分かり合えない」と念仏のように唱えて、愛着を持たないように努力している毎日です。
written by mario (AS) / 2008.07.16 00:23
>見下すとうまくいく


心当たりがあります。
話しているときに「何言ってるんじゃぁ~!!」と腹が立ってきたら、この人は病気なんだとか障害者なんだとかあるいは未熟なんだとか思うと怒りを抑えて相手の気持ちをくむことが出来るようになります。

 それはとっても効果的な方法なんですが、相手が自分のことを理解してくれる優しい人と勘違いしてしまいます。
それで要求が増えたりとか 馴れ馴れしくされたりとか 「信頼しています」なんて言われた日には「勘違いしないでくれ」と言いたくなります。

 それはやっぱり相手を見下しているからなんでしょうね。
written by ねね / 2008.07.16 00:32
marioさん

上の私のコメント、夜に書いたためか文章がわかりにくいので改めて質問させてくださいね。

私が書いた>世のジャイアン というのは誤解をまねく表現でした。

正しくは「marioさんが関わる中のジャイアンさんに、そういうこと(見下すような)がある時には口に出して言ってもらったほうがその人を信用できる。」(と書くべきでした。)
このような意味で書かれたと私は受け取りましたがいかがですか?

まさか「このコメントについて今試してみて」という意味のわけはないでしょうが、ADHDな私は常に早合点・思い込みで失敗してきたので教えていただけたら助かります。

そして特にASタイプの人とのコミュニケーションの必要が個人的にあるものですから、
行間を読めなかったり、読みすぎて間違える失敗が減るといいなと思いまして。
written by 銀の三角 / 2008.07.16 08:05
>ASにとっては分かり合えると感じる相手が必要で、分かり合えると感じた結果(そうと認識せずに)自分の考えを押し付けてしまう傾向があります。結局、誰とも分かり合えないと認識して寂しさを味わいながら一人で生きて行くかないと思っています(正直言って絶望的な結論で、絶望的に寂しいです)。

ここでの私からは想像つかないかも知れないけど
リアルの私はASの話を良く聞きます
AS父の夕食後毎日1時間の演説も
AS経済学者(70過ぎてますが)の会う度の喫茶店での3時間にわたる講義も
AS弟のくどいメールも電話も全て「うんうん」と受けます
否定は一切しません
なんでかとゆうとそうしないと激怒するし
そうしとけば後で危なっかしいADHDに優しいから

しかし、AS彼の場合は、愛着が完全に私に向いてしまったので
(他のケースと違って奥さんいない、いたら不倫だ)
そういう訳でいくら話を聞いてあげても底なし沼に満足せず彼のお山のミーテイングに修行だと思っていくら通ってもまだ足りんと言う
で、とうとう喧嘩になってしまいました

>身近な異性などに対して心の中で「あなたはあなた、私は私、分かり合えない」と念仏のように唱えて、愛着を持たないように努力している毎日です。

とありますが、これはジャイアンには無言の前提です
「話し合う」楽しさと言うのはASには脳の働きからしてそもそもないのかな?
ちょっち’不満’というより’不思議’だったので、投稿させてもらいました。(^_^;)
written by むーん / 2008.07.16 09:32
そうか~!わかりました。私は「自己突っ込み」で底なし沼にハマることはあるけど、ASは「自分の要求や満足」そのものが底なし沼なんですね。
ありがとうむーんさん!!説明よくわかりました。
(私は得体が知れないASの生態には興味があるので・・)

>パートナーを自分の山に連れていってしまう
marioさんにとってはそれは本能だから仕方ないのですね。連れて行きたい要求は止められないのですね。
それに加えてそれがどうして、どういうふうに駄目なのかパートナーの立場にたった見方が全くできていませんから。自分の心を解説するだけですから。
相手のことにまで想像がおよばないのですね。だから要求が底なし沼なんですね。
ここでのやりとりもmarioさんの理屈で通したいみたいだし。

私はmarioさんを見下していないから本当のことを言います。この場でいろいろなジャイアンとうまくコミュニケーションをとる訓練をすることはmarioさんの将来にプラスになりますよ。特に将来のジャイアン女性と末永くいい関係をたもつうえでは良い影響があると思う。
それなのにもったいないですよ。自分ひとりじゃ不安で解決できないからここに来ているのですよね?
それとも本能だからと諦めます?諦めるならジャイアンに質問などして絡んでこないよう重々お願いします。

私ですか?やっぱりうまく見下せなくて、理解に到達する前に切り離すパターンが現実では多いですね。
何故すぐに直球投げちゃうのか?こどものころから散々家族に指摘、いや馬鹿にされて来ました。だからその意味とか結果とか自覚は完璧です。ここが私とmarioさんの違いかな・・

私のジャイアン家族はうまくまわりを見下して生きていたのだな~と先生のこのテーマで理解できました。見下せるジャイアン家族と私は気があわないということも再確認です。
同じジャイアンでもステージ?ポジション?が違う気がします。
written by エイト / 2008.07.16 11:57
銀の三角さん

正確に表現すると

世の中のジャイアンさんは、身近なASを見下すような事がある時には、それを口に出して言ってもらったほうがAS的にあなたを信用できるんじゃないかなぁ。少なくとも私自身に関してはそうだろうと感じてます。

でしょうか?
written by mario (AS) / 2008.07.16 12:41
むーんさん

> 「話し合う」楽しさと言うのはASには脳の働きからしてそもそもないのかな?

話し合いは楽しいですよ。
幾らでも議論します。

ジャイアンの方々と違うのは多分、共通の一つの真実に到達しようとしてしまう事ではないかなー。自分の居る山に自信がありますが(自信がないとその山に居られない)、説得されれば自信を持てそっちの山に行きます。その意味で、やっぱりASの山は一つなんですよ。ASにとって分かり合うとは一つの山に共に居ること、ジャイアンにとって分かり合うとは「その山もありだ!」と思うこと、じゃないのかな?

ので、何とかしようと思うなら、AS側からは上記の欲求を抑え寂しさに耐えて、ジャイアンの山を尊重して、自分と同じ山に来る事を求めない。で、どうでしょうか?

ジャイアン側からどうしたら良いかはよく分かりませんが…例えば内容ごとに判断するとかどうでしょう?ASの山が許容できる事に関しては寄り添ってあげて、寄り添えない事に関してはとことん突き放す。突き放した事を受け入れられるAS(合理的なAS?)も居るんじゃないかと思ったりしますが、どうでしょうかね?
written by mario (AS) / 2008.07.16 13:02
なんだかほんのちょっと分かってきたような気がします。

多数派はスルーするし、スルーされた事もスルーする、という事をよくやります。
その「スルー」にはむーんさんが仰ってるように「人は人、同じであることは在り得ない」というのが無言の前提になっています。

多数派でも「オレ様に同意しろ」と怒る人がいますが、
「オレ様AS」との違いは『違って良いという当然』を知っている、違っても不安にならない、
「ジャイアン」との違いは『スルー&スルーのスルー』をするので諦めが早い。
なのかなと。
こう考えると『最悪の相性』も理解できそうです。

marioさん、
ASでない人も『分かり合える相手』を必要としています。
ただ『分かり合える』の意味は同じではなさそうです。
私にとっては「あなたはあなた、私は私」と違いを知ることが、『分かり合えた』事になります。
「そっちの山もいいね」と言われたのに違う山に移されたら「いいねと言ったのは嘘だったの?」と疑い、分かり合えてなかったことになります。

『同じ=分かり合えた』ならば、相手方の山に自分が行くという選択肢もあると思うのですが、それではダメなのでしょうか?
written by まり / 2008.07.16 13:49
>>パートナーを自分の山に連れていってしまう
>marioさんにとってはそれは本能だから仕方ないのですね。連れて行きたい要求は止められないのですね。

すみません、エイトさん、これ笑いました。(^。^)y-.。o○そうなんですね、AS男性(女性もかも)にとっては、「分かっちゃいるけどやめられない」なんですね。まぁ、それがジャイアン女性には「男らしさ」として映ることもありだから、

あとの「寄り添えない事」の議論に関しては、「ごめん、あたし頭悪いからわっかんないぃ~」で通すしかなさそうです。もっとも私には、なかなか出来ないことなんですが、いるからそういうすっとぼけられる人。

marioさん

実は、私のAS元彼が今上手く行ってる(私の後釜)女性は英国留学帰り。彼女は、どんな山でも「行けないものは行けない」とNOと言う。で、彼はそこが「手ごたえあるぜコイツ」と気に入ったらしい。

彼女が、ジャイアンかどうかはよく分からないんですが、彼はますます「自分の山」を主張して夢中になっている。たまには、そういう頑固つかマイペースの塊みたいな女性と、付き合ってみたらどうでしょうか・・・。何か発見があるかも。(・_・;)
written by むーん / 2008.07.16 15:09
まりさん

「説得されれば自信を持てそっちの山に行きます。」と書きましたが、表現が曖昧でした。「説得され、それに納得すればそちらの山に行きます。」です。つまり、相手の山に行くこともあるんですよ。

ただ… 相手の山に行く事も簡単ではない(信念を持っているAS者を説得するにはかなりの根気が必要)のと、相手の意見に納得して相手の山に行った場合でも微妙なズレの修正を試みてしまいそうだと(過去の自分を振り返って)思います。

ジャイアンからすれば、いや全ての人がそれを辛いと感じるだろうと自分でも思いますもん。

そんな訳で、どの位上手く行くかどうか分かりませんが、自覚のないAS者に対しては「あなたが正しい。でも私は違う。」ってのが現実的な対処方法かなぁ… 自分で内省していても扱いにくい代物です、ASって。
written by mario (AS) / 2008.07.16 15:32
やはりASのキーは「納得」なんですね。
『どっちの山も良い』と表面上は言っていても、最終的には『どっちの山が良いか』で白黒つける必要があって、
納得するも行って見たら思っていたのと違うと『豪に入って間違いを探せ』になる。。。と

「殆どの物事は白黒でなくてグレーであり実はそれが正解で最もバランスが良い」と納得できたとしても、他者も同じ考えのはずだという無意識の信念は変らなさそうですね(それこそがASというか...)。その信念が、ノンASからは『底なしの欲求』と見えるのだと思うのですが。

>ジャイアンからすれば、いや全ての人がそれを辛いと感じるだろうと自分でも思いますもん。

これは、自分がそうされたら辛いと思うから ということでしょうか?

written by まり / 2008.07.16 16:14
連投になりますが、

多くの人は、
『今日そっちの山に行っていい?』『いいよ~』
『今日はこっちの山にしない?』『それもいいね』
『今日は一人で山にいたいの、来ないで!』『じゃ、向こうでおとなしくしてる』
という感じで、コミュニケーション交わして山の行き来をしてると思うのですが、

ASの方はこれが苦手でどっちかに『決めたい』というのはなんとなく分かりました。

ADHDの方はどうですか?
「人を必要としない」というのは「あまり自分の山に長居してほしくない」という感じなのでしょうか?
「依存したい」部分では「山を支えてほしい」のでしょうか?

written by まり / 2008.07.16 16:36

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