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『萬雅堂』便り

2005-11-19 後日談

東映動画 不採用通知

え〜…_ 11:15

わざわざメールを下さった方にはこの場でお礼を申し上げて、と。

昨夜は久しぶりに旧友2人と地元で痛飲してしまった!(普段は飲まないんですけど)

まだちょっと頭が痛い…

と、いうことで、恥ずかしながらこれが東映動画の不採用通知です。自虐ではありませんぞ(笑)。何でこんなものをいまだに…とお思いでしょうが、実をいうとこの書類は、6年前に亡くなった親父の机の中から出てきたのです。(いやー、こんときゃ泣けた!しかしなんでとっとく?いずれの脅しか・笑)親父は昔、映画関係の仕事(興行系)をやってたので、つてを頼ってなんとか私に試験を受けさせようと奔走してくれていたのです。(応えられなくてゴメン)

「白蛇伝」「少年猿飛佐助」「西遊記」「安寿と厨子王丸」なんていう東映の漫画映画を観て育った少年が、それを作ってる会社への入社を目指したのですから、まさに正面突破を図って玉砕したというわけです。

…でも天は我を見放さず、時は手塚治虫の「鉄腕アトム」放映開始(’63・1・1)によりTVアニメの創成期に突入していました。この当時、手塚治虫に負けじとアニメ作りに参入した吉田竜夫九里一平さん兄弟の竜の子プロダクションが、すっかり自信喪失の私を拾ってくれました。「宇宙エース」という番組の製作が始まったばかりの頃です。人手が足りない!多少下手でも使ってやろう、ってとこだったんでしょうね。昭和40(’65)年4月に入社。現場のリーダーは社の意向で東映動画に技術習得のため派遣されていた笹川ひろしさんと原征太郎さん。研修もそこそこにさっそく本番の動画を描かされます。望んでいた仕事ですから毎日が楽しく充実していましたが、残念なことに人材不足はなかなか解消されません。(窪詔之さんというムチャクチャ上手い人もいましたが)驚いたことに半年後には私に原画を描くよう指令が…。とんでもないことです。まだ何も判らないのに…もっと基礎から勉強したい。このままではダメだ…結局、私はその年の暮れで退社してしまうことになります。今にして思えば「何で?」ですけどね。(ごめんなさい竜の子さん!)

当てがあったわけではありません。ただ悩むだけの私。そんなときにまたしても救いの手が差し伸べられました。高校時代の友人、坂口尚三(のちのマンガ家、坂口尚)です。或るマンガ同人誌で知り合い、同学年ということで意気投合。個人的に手紙やカット交換などをする間柄でした。彼は高校在学中に虫プロに入って、そのまま学校やめちゃってた(笑)。その坂口くんが「だったら虫プロにおいでよ」というのです。おいでよ…って、そんな気軽に、そりゃ憧れの手塚治虫のもとで働けるなら、こんな嬉しいことはありません。

高校1年の時、私はSFマガジン主催(?)の「鉄腕アトム」の試写会に行って、その楽屋で先生から生徒手帳にサインを貰ってます。舞い上がった私はこのときに「絶対アニメーターになる!」って決めたんだった。

とにかく、一度訪ねてみるか。

(で、明日につづく)

って、なんだか自分史になってきちゃった。雪室さんの自伝に影響されたかな。ま、いいやね。