死の鉄路―。第二次世界大戦中、旧日本軍がタイ・ミャンマー(ビルマ)間に連合軍捕虜やアジア人労働者を使って建設した軍用鉄道・泰緬(たいめん)鉄道はそう呼ばれています。
六月下旬、この鉄道が通り、捕虜収容所があったタイ中西部・カンチャナブリを取材で訪れました。現地の博物館に入ると、そこには捕虜への拷問の様子を描いた絵、やせ細った捕虜らの写真…。いたたまれない気持ちになりました。
鉄道建設に従事したというタイ人にも会いました。サーコーン・パンナワンさん(78)は「数年間、木材運びなどをしたが日本人は優しかった。虐待は見たことがない」と話してくれましたが、病気で多くの人が亡くなるのを目撃したそうです。
険しい山岳地帯があり、英国も建設計画を調査段階で断念したという約四百十五キロのルート。旧日本軍はそこに着工からわずか一年数カ月で鉄道を建設し、「鉄道史上世紀の記録」といわれる一方、劣悪な環境と重労働などで多数の犠牲者を出したとされています。その歴史を思うと、犠牲者の冥福を祈らずにはいられません。
戦後、泰緬鉄道は建設にまつわる人間模様などを描いた映画「戦場にかける橋」で世界に知られるようになり、舞台となったカンチャナブリは観光地となりました。しかし観光客の大半は欧米人や中国人。日本人は少ないそうです。
悲劇の鉄道を日本人としてどう受けとめ、どう子孫に伝えていくか。多くの人に現地を訪れ、考えてもらいたいです。
(総社支局・新田真浩)