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第七章 社会科学の解体
社会科学的思考法とは何か わたくしは、これまでしばしば、日本人には社会科学的思考法が欠けていることを論じた。 では、社会科学的思考法とはいかなるものであろうか。そうして、なにゆえに日本人はそれは欠如しているのであろうか。次に、これらのことについて、若干詳論してみたい。 まず、社会科学的思考法とは何か。これを理解するために、まず端的に非社会科学的な思考法の例について考えてみよう。 いわゆる苦労人、世間師などは、社会のことならなんでも知っていると思い込んでいる。はたしてそうであろうか。読者諸君がまだ若い青年なら、一度や二度は年長者に「お説教」を食らったことがあるだろう。お説教のタイプは大体こんなものである。「世の中というものは、そんなもんじゃねえぞ。・・・・・お前の心掛けは間違っている」。この際、次のような反論をしてみたらどうだろう。「世の中はそういうものかもしれないが、それは正しくありません」。あるいは、「現在のところは、世の中はそうなっているかもしれませんが、これは努力して変革されるべきです・・・・・」。こんな反論は、苦労人のおじさんの全く予想しないことであり、ひとがお前のためを思って情理を尽くして一時間も説教してやったのになんたることだ、と反駁されるだろう。 つまり、この苦労人の論理においては、存在(つまり、現在あるがままの世間)と当為(つまり、是非善悪)とは全く同一視されており、存在そのものの当否が問われることはないのである。「世間ではそうなっているが、それは正しくないことかもしれない」という認識は、この苦労人の思考には全く入り込む余地はない。彼にとっては、社会(世間)は、自然現象のごとく所与であり、これが人間の作為によって変革されうるとは夢にも思えないのである。つまり、彼にとっては、社会の習慣、風俗、規範、制度、権力装置などは、神聖不可侵か、あるいはそれほどでなくても、太陽や月の運行法則と同様の自然の鉄則であって、これを人間の意志によって合目的的に変えるなどということは、全くもってのほかなのである。 このような心的傾向(これを「社会を所与とみる心的傾向」という)は、苦労人の認識ばかりではあるまい。未開人はいうまでもなく、前近代的社会に住む人びとの社会に対する態度は、おしなべてこのようなものである。この意味においてそれは、一種の自然的な心的傾向であるとさえいえよう。 だが、このような心的傾向を有し、このような考え方に立つ以上、社会科学的思考法は、決して起こりえないのである。社会科学的思考法はすぐれて近代的な所産であり、かかる心的傾向、考え方とは正反対に、次のように社会をみることから発する。すなわち、社会構造も社会組織も、すべて人間作為の結果であり、合目的的に制御されうるものである、と、このように考える。つまり、社会の習慣も風俗も規範も制度も権力装置さえも、すべて人間作為の所産なのであるから、それらは必要に応じてつくり変えることができる。このように考えるところから、社会科学的思考法はスタートするのである。 それはそうだろう。習慣にせよ規範にせよ、それが所与であって人間の力によって動かせないものだとすれば、その法則性(つまり、それが社会現象としていかなる法則にもとづいて動くか、ということ)を研究することは全く無益なことであろう。人間がなすべきことは、それを解釈することだけである。この理由によって、中世、古代あるいは未開社会などの非近代社会においては、社会科学が発生し進歩する素地は全くなかった。これらの非近代的社会に住む人びとにとっては、社会は、その中に生まれ、黙ってその中で生活し、やがてそこで死んでゆくべき天然自然現象の一部であって、はじめから分析や批判の対象とはなりえないのである。非近代社会においては、人びとがそれぞれの分に安んずることが要請されるのは、まさにこの理由による。 危機の構造 日本社会崩壊のモデル(小室直樹) 復刊リクエスト投票 http://www.fukkan.com/vote.php3?no=15753
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