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小室直樹  『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』 1
どうせネタ無いし、よそのブログや報道記事の朴李ばかりでは気が引けるので、本から朴る。
でも、全部は面倒だし著作権の問題もあるだろうから(殊勝だな♪)、少し(多めに)丸写しします。得と思えば儲けもの。どんどん付け足そうかな。
中央公論新社には、こちらに連絡して頂ければ、事後処理御相手致します。


小室直樹  『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』 
1976年10月ダイヤモンド社刊 
1991年2月10日 中央公論社刊

 はしがき

「これは、ナチスや軍国主義者でも企てなかった文化破壊である」と、大学紛争の兵火にかかって烏有に帰した東大法学部の廃墟に立って、丸山真男教授はこう叫んだと言い伝えられる。戦後四半世紀を経て、デモクラシー教育は、とんでもない鬼子を生み育ててしまったようだ。大学紛争を契機として血のタブーが破られることによって、あんなにも厳重にとじこめておいたはずの暴力主義の亡霊は、幾重もの封印を食い破って、おどり出てしまった。現在、いわゆる内ゲバによって年々何十何百という人間の血が流されているが、ここで注目されなければならないことは、その人数の多さや残酷さではなく、その社会的背景である。
 最近の企業爆破や四十七年の連合赤軍を指導した若者たちは、決して社会の落伍者(デイクラツセ)や無法者(アウトロー)ではなく、社会の中枢をなすべきエリートあるいは善良な市民であった。彼らをして、ナチスや軍国主義者も遠く及ばない暴挙に走らせたのは何か。ここに、現代日本の危機の本質がひそむ。
 半年以上にもわたって国中を揺さぶりつくしているロッキード事件にしろ、だしぬけに飛来して関係者を震えあがらせたミグ25の場合にせよ、この本源的な危機の皮相的な現象形態にすぎない。宣誓にもかかわらず厚顔無恥な偽証につぐ偽証によって議会政治を重大なピンチに追い込み、天地の間に身を容れる余地をなくしたようなロッキード事件の容疑者は、犯罪常習者でもなく極悪人タイプでもない。それどころか、彼らこそ、最良の教育を受け、エリート中のエリートとして、周囲の期待を一身に担ってきた経済的繁栄のまさしく、前衛である。彼らのタイプはなんといわゆる「A級戦争犯罪人」タイプと似ていることであろう。この人をしてかかる最も悪質な犯罪に走るのやむなきにいたらしめる仕組みにこそ、現代日本の危機の深刻さがひそむ。
 現代日本社会構造の奥底において不断に拡大再生産され、社会組織の隅々にまで浸透して、着実に爆発のエネルギーを蓄積しつつある構造的アノミーこそ、この危機の本源的ジェネレーターである、とするのが本書における分析の要諦なのであるが、かかる構造的アノミーは、現在日本における構造(structure)と組織(organization)との矛盾の所産である。
 敗戦による深刻なショックと戦後における未曾有の大変革、それに引き続く「最も空想的な人の荒唐無稽な夢」をもはるかに上回る高度経済成長によって、日本は見かけ上は、すっかり異なった国になってしまった。しかも、それはあくまでも表面上の社会組織レヴェルにおけることであって、その奥底の社会構造のレヴェルになると、日本人の思考・行動様式も、集団構成の原理も、戦前と全く変わっていない。これら両者の間の矛盾に、危機の芽は発する。
 現代日本は、機能集団が同時に運命共同体としての性格を帯び、かかる共同体的機能集団の魔力が、日本人の行動を際限もなく呪縛することになる。その矛盾のダイナミズムの所産が、右に述べた構造的アノミーにほかならない。そして、この構造的アノミーの展開によって、企業爆破や連合赤軍のテロだけでなく、公害やニクソン・ショック、石油危機やロッキード汚職も必然的なコロラリーとして生み出される。
 しかし、構造的アノミーは、この程度の生易しいものではない。それは、人々が誠心誠意、真剣になって努力すればするほど、努力目標と異なった結果を生ぜしめ、日本全体をもう一度破局に向けてまっしぐらに驀進させる社会的メカニズムを生み出す。
 本書の目的は、この構造的アノミーの生成、拡大再生産およびその社会における展開過程の分析である。

昭和五十一年 秋 毛沢東死去の報に新時代激動の兆を予感しつつ

                      小室直樹  


第二章   日本型行動原理の系譜

 「平凡」の中にひそむ狂気性

 前述したように、全日空や丸紅の幹部など、ロッキード事件に関係した容疑者の思想と行動は、戦争を指導し破局に導いた戦争犯罪人のそれと構造的に同型のものであった。
つまり、彼らの共通項は、析出せられざる個人から成る集団の機能的要請にもとづく、盲目的予定調和説と構造的アノミーの所産であった。戦前戦後という時間的違いの中を縦貫する共通の行動様式が指摘される。このような行動様式は、特異現象のような面として片付けられるきらいがあるが、実はさらに多極的な部分に連なっているのである。軍事官僚、企業エリートだけには限らない。一連の「過激派」の行動にもこの典型がひそんでいる。日航機のハイジャック、アラブ・ゲリラの日本人兵士たち、最近の企業爆破、北海道庁爆破などの「犯人像」を分析すれば、この点が鮮明に浮かび上がってくる。
 昭和五十年五月に、市民生活までを恐怖に巻き込んだ連続企業爆破の犯人グループが逮捕された。この犯人グループの逮捕に接して、周囲の人々は「まさか、あの人が・・・・・・」といった風に驚嘆の声をあげた。容疑者の八名は一体どういった人物であったのか。当時の新聞報道(主として、「朝日新聞」昭和五十年五月二十日朝刊による)を要約してみるとこうだ。
 N・S(当時二六歳) 高校時代に社会科学研究会に入っていたが、地味な生徒で学生運動の活動家ではなかった。昭和四十九年五月に東京都台東区蔵前の中央倉庫に採用され、同十二月真面目な勤務ぶりが認められ正社員となる。無断欠勤もなく同僚たちは口をそろえて「口数の少ない、いい人だった」という。
 Y・K(当時27歳) 中学時代の成績は上位であり、性格的には「内向性のおとなしい」ほうであり、後に爆破グループに関係するなどとはだれしもが予想できなかった。
 K・S(当時27歳) 都立大学社会学科在学中に大学紛争の火が燃え上がったが、活動家の中に彼の名前はない。昭和四十九年末、京王線調布駅前の喫茶店「しの」に勤務。朝八時半から夕方五時までの勤務をきちんと勤めた。店に友人らしいものが訪れたこともない。
 Y・Y(当時24歳) 昭和四十八年北里大学卒業。朝日生命成人病研究所に検査技師として精勤。研究所の労組にも加わっていたが、目立った活動はしなかった。
 S・D、A・D(当時共に26歳) Sは法政大学史学科を三年で中退後、日本雑誌販売に勤務。A子は星薬科大学に推薦入学するほど高校時代から成績がよかった。大学卒業後、事件当時は製薬会社に勤めていた。五人きょうだいの末子で、スポーツ万能の性格の明るい人物だった。警官でさえ、「きれいな感じのいい奥さん」という印象を持った。
 T・K(当時26歳) 住んでいたアパートは一四世帯だが、いちばん家賃の支払いはよく、短髪のきちんとした身なりで、近所の人にも愛想がよかった。
 M・A(当時24歳) 高校時代の成績はトップグループ、クラスでの信望は厚く、性格は控えめ。両親とも高校の教員。M子が住んでいたアパートの管理人は「つつましやかな、どこにでもいる女学生」の印象を語っている。
 ――この八名の簡単な履歴を読んでいると、実に平凡な人物像が浮かび、三菱重工、間組などを次々に爆破した犯人像のこれといったデータを得るのが困難なほどだ。だが、これらのデータをさらに絞って幾つかの抽出を行ってみよう。
 (1) 彼らはいずれも落伍者(デイクラツセ)でもなく、いわゆる無法者(アウトロー)でもない。逆に彼らは模範的な中流家庭の子弟であり、社会生活態度も平均的な市民のそれと遜色がない。むしろ真面目すぎるほどである。
 (2) 彼らの多くは25歳以上であり、結婚しているのが二組ある。血気にはやる年ごろでもヤケッパチになる理由もない。普通、日本人は二三~四歳を境にして分別能力は飛躍的に上昇するものである。彼らの行動は、青春に特有な酒なしの陶酔による行動とは考えられない。彼らの行動の基準点には確固たる信念、イデオロギーがあるとみなければならない。さらに留意すべきは、大学在学中にこれというほどの活動歴がない点である。だから、彼らに学生時代の惰性ないしは発展としての活動を続ける契機をみつけるのは難しい。逆にいえば、自己批判的に平均的な市民生活を克服する理由もないように思える。彼らは社会の構成員として就職し、結婚生活を続けていたのだ。彼らを行動に駆り立てた信念、イデオロギーといったものは、平穏な市民生活を捨ててさえなお悔いのないものであるはずだ。
 (3) では、かれら平凡な市民を装った狂気の人物かあるいは精神異常者なのか。
否である。おおむねこの種の事件が突出するたびに、社会心理学者や異常心理の専門家はもっともらしい論評を加えるが、はたして彼らの指摘はいつも的を得たものであろうか。もし、彼らが精神異常者であれば、きちんとした社会生活をこれほど長期にわたって維持することが可能であろうか。彼らは狂気でも精神異常でもない。
 ――これらの結論はもっと深いところで分析されなければならない。すでに多くの政治学者や社会学者(代表的なものとしては、ノイマン)によって分析されているように、ナチスを生んだ社会的条件は社会の底辺におけるアノミーであるとされている。たとえば、「ナチ指導者はモルヒネ中毒者(ゲーリング)や男色愛好者(ヒムラー)や酒乱狂(ライ)など、凡そノーマルな社会意識から排斥される『異常者』の集りであり、いわば本来の無法者(アウトロー)であった」(丸山真男『増補版・現代政治の思想と行動』未来社、九四ページ参照)といわれている。その指導者層のみならず、底辺において運動を推進した党員、支持者の多くも零落した無法者(アウトロー)や落伍者(デイクラツセ)であった。彼らの間に蔓延するアノミー状況から巧妙にエネルギーを汲み上げてナチスは成長した。このナチスの場合と狼グループの思想と行動を比較するとき、後者がいかに戦慄すべき社会科学的意味合いを有するかが明らかになる。

 無視される「中立の権利」

 社会の底辺に蔓延し、落伍者(デイクラツセ)や無法者(アウトロー)に浸透することによってナチスを生んだアノミーが、いま、時と場所と対象をかえて忍び寄っている。つまり、日本社会の中枢となるべき善良なる市民の中に深く侵入しつつあるのだ。昭和四十七年の連合赤軍事件の犯人像(人間像)が明らかにされたとき、「やりそうにない人間に限ってやる」といって年ごろの若者を持つ親と子の間に妙な断絶感が生まれたが、現在ではその認識すらが自明の理のように思われてきている。では、いまや日本社会の中枢にまで侵入しつつあるアノミーとはいかなるものか。かつて敗戦国ドイツ社会の底辺にひそんで無法者や落伍者を汚く潤し、やがてその頂点にナチスを戴くべくふくらんだアノミーと同質なものか。否である。もっと深刻なものである。ナチスを育成したアノミーとは比較できないほどの凶暴でかつ強力なアノミーなのだ。いかなる猛毒を持つ植物も動物も、種子の時期、胎児の時期はさほどのものでない場合がある。現在、日本社会に浸透しはじめているアノミーは、その狂い咲きを許すにはあまりにも恐怖に満ちたアノミーである。それはナチスであれかつての一大破局の主人公たる軍国主義者であれ、三舎を避けしめるものである。
 戦後、G・マルチン教授のカント研究が出版された(Martin,G.,Immnnel Kant.Ontologie und Wissenschaftstheorie, Koln 1951)。完成までに十数年が費やされた学会でも最高水準をいくものである。この労作がなされた時期はいうまでもなくナチの統治下であった。カント研究はいかなる戦力に連なるものでもなく、ナチス・イデオロギーを補強するものでもない。マルチン教授以外にも書斎派の人を容認した例は多い。ナチスといえどもアンチ・イデオロギーは徹底的に弾圧したが、無関係な純粋な学問的研究を手荒く扱うことはなかった。つまり、中立の権利の尊重という規範性は維持したのである――もっとも、この点に関しては反論の余地を残すかもしれないが。
 さらに五・一五事件や二・二六事件で決起した青年将校たちは、たしかに目指す相手は斬殺、射殺した。だが、周囲の使用人や婦女子はもちろん一般の人びとに一指も触れなかった。警官ですら手向かわない者は殺害しなかった。
 カミュの小説だったと思うが、無関係な子供がいたばかりにテロ行為を諦める男の話があったが、青年将校たちが最も恐れたことの一つは、関係のない一般市民に迷惑が及ぶことであった。ましてや一般市民を殺すなどは論外であった。だから、市民側としても反乱軍を少しも恐れることがなかった。二・二六事件当時、東京の中心部は青年将校たちによって占領され、要所は武装した軍隊の制圧下にあった。だが、市民は緊張した顔の兵士たちを珍しがることはあったが、いささかも恐れてはいない。機関銃の銃口や台座に触れたりする者までいたという。記録によれば、彼らは手向かわない限り警官にも傷を負わせない方針であったが、政府高官を警護中の警官は抵抗して射殺された。殺された警官の妻は反乱軍将校の胸をつかまえてとり乱したが、将校はなされるがまま、かえってすまなそうな顔だったという。
 これらの最低の規範性、中立の権利尊重というものが狼グループなどの行動には見当たらない。彼らなりのイデオロギーからすれば、三菱重工や間組は海外侵略の元凶であり抹殺すべき存在であるかもしれない。だが、そのために仕掛けた爆弾によって、それらの企業に勤める罪のない社員や通行人までが殺傷されている。彼らは爆弾戦略をめぐって内部的意見の対立があったというが、彼らのイデオロギーのほうに立つとしても、目的と手段の連関性は全くみられない。この点は、かつて三上卓らが犬養首相を問答無用! の一言のもとに暗殺した場合よりもさらに徹底したアノミーといわざるをえない。
 このようなアノミー、つまり、完全に規範のコントロールを失ったアノミーを完全(コンプリート)アノミーという。ナチスや軍国主義者を生み出し育成したアノミーですら、完全アノミーほど凶暴なものではなかった。狼グループはこの完全アノミーの明確な典型である。そして現在の日本においては、それが、社会の底辺にうごめく無法者や落伍者の間だけでなく、社会中枢を成す善良な市民の間に浸透していることを再度ここで指摘しておきたい。
 国内だけに限らない。テルアビブ空港で乱射しながら罪なき一般乗客を殺害した岡本公三の場合もまた首をかしげざるをえない。彼の支持するアラブ側の利益と彼の玉砕をもいとわない過激行動には十分な脈略をたどるのが難しい。あれほどの暴挙に出た彼もまた、完全無規範的に行動した人間を生み出すとは想像しにくい中流家庭の真面目な青年である。過激派の行動をなす者の人間類型は驚くほど類似しているが、ではこれらの完全アノミーの源流はどこに求められるべきなのか。J・P・サルトルはかつて急激に高まった学生運動をみて、革命の担い手が労働者から学生に転換したという意味のことを発言したが、わが国においては、大学紛争の中に完全アノミーの原点が存在する。

 連合赤軍兵士の分析
 
 つまり、この「中立の権利」の尊重という態度は、全共闘運動のころから踏みにじられ始めた。「革命は銃から」という方式の修正ならぬ「封鎖は強固なバリケードから」と彼らが雄哮をあげるとき、時間をかけて集められた貴重な研究資料は紙屑同然となり、現場付近に駐車中の自動車も焼かれる羽目になった。企業爆破の原型をここにみることができる。企業爆破の際はこれが一歩エスカレートして、まるで無関係の多くの市民がただ付近の舗道を歩いているというだけで悲運に巻き込まれたが、その濫觴はすでに大学紛争に発していたのだ。それが、学園から街へ出ただけなのである。こうして、真昼の暗黒のような一連の過激派による事件が同じパターンで展開されている。過激派の行動といえば現象面にばかり眼を奪われるきらいがあるが、問題とすべきはそれが発生した意味である。一連の過激派の行動の中でも最も典型的なパターンが抽出されるのが、連合赤軍事件である。この事件の発生した年すら忘れている人も多いと思われるので、この事件の吟味を中心に、これまでの分析をさらに掘り下げる方法をとってみる。
 連合赤軍における完全アノミーを考える場合、第一に注目されなければならないのは彼らの環境である。彼らの大半はやはり中流家庭ないしは良家の子弟である。
なかには上流家庭に近いものも含まれている。崩壊家庭などはない。そして善良なる市民であり社会のエリートであった。狼グループに大学の中途退学者が多かったが、連合赤軍のメンバーは一流大学のエリートが多かった。欲すればエリートの途を進める可能性を彼らはより多く秘めていたといえる。狼グループと連合赤軍のきわめて類似した点、驚くべき社会的類似点は次のことである(ちなみに、彼らは共謀したわけでもなく、思想的連関性があるわけでもない)。まず第一に、日常の生活態度に奇行奇癖があるわけでもなく、おしなべて「真面目な青年」たちであることである。彼らを身近で個人的に知る人びとは、事件発生の中にその真面目な青年の名前が含まれているのを知ると、「まさか、あの人が!」と紋切り型の悲鳴とともに目や耳を疑った。――一体、隣人の不幸というものには、常に第三者の目を楽しませるような何かがある――その第三者がだれであってもそれに変わりはない(『悪霊』第二部)というが、この場合もそうだったろうか。事件の後で「彼らならやりそうなことだ!」という人はいないのである。
 第二に注意されなければならないこと類似点は、彼らは断じて狂気ではなく(精神病理学的な意味において)異常心理状態にあったわけでもないということである。逆に彼らはいたって正常な心理状態にあった。動機はほとんど純真であり、高い使命感に燃え、倫理的感覚も欠落してはいなかったと思われる。この点は多くの心理学者や犯罪関係の学者と意見を異にするところなので、若干の説明がいる。
 精神病理学の初歩を学んだ者であれば、狂気や精神病者の著しい特徴が、組織的自己規律の欠如であるということぐらいは知っているだろう。つまり、彼らには(自己の好みとしてではなく)合目的的な長期にわたる厳格な訓練、組織的活動の維持と裏づけがあり、皮相的な「狂気、異常精神」論議だけでは片付けられないものがある。浅間山荘における赤軍派幹部の射撃の腕前は、八時間にわたる攻防戦の中で、機動隊員の猛者が舌を巻くほどのものであったといわれる。短期間の訓練でこれほどの技術を身につけるにはよほどの自己規律が必要であろう。これは個人的な好みではなく、組織の要請にもとづくものであった。この一件だけをみても、彼らが狂気でなかったことが推測されよう。
 もし、これが狂気の沙汰でないとすれば、彼らは平凡な市民感覚とは桁違いの使命感や倫理感覚に支えられていたというべきであろう。彼らはたしかに凡庸な感覚ではなしえない行動的側面を有する。官憲の目を逃れながら極寒の山中をアジトからアジトへ移動行軍し、豊かに氾濫した社会に背を向けて、餓死寸前の窮乏生活をもいとわず、要するに生易しい使命感などなら挫折するはずの決死行をなさんとしていたのである。一時期の学生運動は「心情左派」という知識人や若者を生んだが、この連合赤軍派の行動も共感者をひきつけた。日高六郎氏や高橋徹東大教授のその後の行動などは注目されていいだろう。
 第三に注目すべき類似点は、彼らの行動からの帰結は完全アノミーであるということだ。このことこそ肝要であるので、以下このことの分析を進めよう。本書の他の部分でも、この完全アノミーに触れているが、規範が完全に制御力を失ったこの状態では、次の諸特徴が見出される。①規範的決定過程における推論過程における推論過程の完全な無視、すなわち権力の恣意性の無制限な流入、②「中立の権利」の完全否認、この二点である。彼らの無規範性はこの点においてこそ、前述したナチスの場合、さらには戦前の軍国主義者ですら遠く及ばない暴挙の色合いを濃くしている。この二点についてさらに掘り下げてみよう。
 規範(ノルム)の社会学的特徴は権力の恣意性の制御(コントロール)にある。この点、情緒(ゲミユート)とは異なる。情緒が人間行動の是非善悪の判断基準とされる場合には恣意性の流入は無制限であり、権力の横暴に対する歯止めは存在しない。もとより、規範による制御にも幾つかの段階があり、それぞれに応じてその完全さ(コンプリートネス)も異なる。これらのうちで完全に近いものとしては、各人の「権利」というものが具体的な社会状況の中から抽出され、それを権力から擁護することを要求するといった可能性が何人に対しても常に開かれているということであろう。このような制御が有効に機能しうるための条件として、規範による決定は「先例」または条文の論理的解釈からなされることがのぞましい。
 この点を理解するためには「マックス・ヴェーバーが裁判の『合理化』を照準点として分類している裁判の形態」(川島武宜)を比較考察するとよい。彼はこれによって裁判を、
①カリスマ的裁判(Charismatische Justiz)、②カーディ裁判(kadi-Justiz)、③経験的裁判(Empirische Jusriz)、④合理的裁判(Rationale Justiz)の四つに分ける。
本論の関連からとくに重要なのは③と④であり、前者は先側を基準とした裁判であり、後者は条文から特定の論理をもって判決が導かれる裁判である。これらが近代的な裁判の典型である。
 このような「規範による制御」の社会学的特徴に照らして考えるとき、森・永田「裁判」(この二人の幹部による連合赤軍兵士に対する「死刑宣告」)の完全無規範性は明白であろう。彼らは「被告」に対して、あたかも悪名高き特高が冤罪デッチアゲの「国賊」を留置場で屠殺するように「被告」を屠殺したのである。つまり、「被告」たちはいかなる「条文」(連合赤軍派は彼らなりの「刑法」は持っていた)のいかなる「解釈」にもとづくかもしらされず、「先例」との関連さえも説明されることなく、幹部(=権力者)の情緒にもとづく恣意性によって屠殺されていった。「総括」と呼ばれる人民裁判は限りなく無残な血を流した。われわれは、だが、殺された人数の多さや、殺人法の残酷さに目を奪われて、この事件が持つ社会学的な意味の重要さを見逃してはならない。右のような完全アノミーの識別(アイデンティフィケーション)こそが要求される。
 過激的行動が持つ右に述べた完全無規範性のコロラリーの一つに、彼らの「中立の権利」無視がある。
 このことについては、すでに詳論したので、ここで立ち入って論ずることは省略するが、それが社会的に持つ致命的意味については、いくら強調してもしすぎることはない。

小室直樹  『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』 2

by huttonde | 2005-06-24 07:02 | 小室・日下・曽野本 | Trackback | Comments(0)
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