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Gross National Cool
きのうの記事は、わかる人にわかるようにしか書かなかったのだが、意外にも今月最大のアクセスを記録した。アクセス元をみると、京大をトップとして大学からのアクセスが多いので、少しわかりやすく解説しよう(長文失礼)。
きのうの図2は、学部の教科書に出てくる「独占価格」の説明だ。つまり著作権とは、国家公認の独占なのだ。こういう政策は有害であり、例外的に許されるのは電力やガスなどの「自然独占」の場合だけで、これも競争的にすべきだという議論がある。デジタルコンテンツの場合には、価格が限界費用=複製費用と均等化するスピードが速いので、独占を作り出さないと投資のインセンティブが失われる、という理由がつけられるが、こういう費用構造はコンテンツだけではない。
たとえば新しいファッションが発表されると、似たような服が同じシーズンに大量に出回るが、デザイナーは「著作権」なんか主張しない。ブランドの価値を守ることで利潤を上げるのだ。コンテンツの場合も、NHKですらJoostを使い始めたように、レコード会社もP2Pで安全なファイルを配信して製品差別化すれば、料金をとれるだろう。
さらに本質的なのは、経済にとって最大化すべき目的関数は、企業の利潤ではなく消費者余剰(効用−価格の積分)だということである。これは図2でいうと、D(x)からpx*を引いた三角形の面積だ。よく福祉の代理変数としてGDPが使われるが、これは正確ではない。GDPは貨幣ベースの統計なので、この図でいうとpx*を集計したものにすぎない。もちろん効用そのものは測定できないので、価格で近似するのだが、情報財の場合にはD(x)がpx*と大きく乖離しているので、消費者余剰は貨幣で表現できない。
たとえば私が論文を書くとき、昔は図書館へ行ってコピーをとったり有料データベースを検索したが、今は新しい論文はほとんどウェブでDPとして入手できる。これによって私の効用は大きく増加したが、オンラインデータベース業界はほとんど壊滅したので、GDP統計ではマイナスだろう。つまり市場を通さないで流通する情報が増えると、GDPはしばしば逆指標になるのだ。エイベックスのような衰退産業を守ることがプラスで、P2Pや検索エンジンのようなイノベーションはマイナスと評価されてしまう。
さらに新古典派経済学の教えるように、財・サービスの価値を貨幣で表現する必要はない。貨幣というのは取引のマッチングコストを節約する媒体にすぎず、情報のように(排他性がないため)価値を厳密にマッチングしなくてもいい場合には必要ない。したがって情報の価値は、貨幣ではなく情報の流通量と質で評価すべきだ。Romerの試算によれば、P2Pで消費者の得る効用は、レコード業界の全世界の売り上げをはるかに上回るので、著作権法を廃止して音楽がすべて無料になれば、福祉水準は向上する。
もちろん作品をつくるための投資は必要だが、ハリウッドのように巨大な資本を投じて「マトリックス」とか「チャーリーズ・エンジェル」のような安っぽい漫画を量産することは、本質的な情報生産ではなく、鍋釜と同じようなものだ。長編映画や長編小説の誕生が資本主義と軌を一にしているしていることで明らかなように、それは大量消費社会で情報に一定のボリュームを出して数千円の価格をつけるための奇形的な作品形態にすぎない。それはもちろん今後も残るが、衰退してゆくだろう。
すでに音楽の固定費は、YouTubeのビデオクリップとそう変わらない。CD1枚の制作費は100万円以下で、販売コストの大部分は宣伝費である。浜崎あゆみのCDが100万枚売れても1枚しか売れなくても、情報の価値(新しさ)は同じだ。情報社会では、同じものがたくさん売れることには意味がないのだ。それは若者たちが気づき始めている。彼らがケータイで見る「コンテンツ」の圧倒的多数は、お仕着せのマス情報ではなく、自分たちのつくったパーソナルな情報だ。
本来、情報とはパーソナルなものである。日本の和歌も日記も、すべて個人的なメッセージだった。それが大量生産されるようになったのは、個人の嗜好に合わせて情報を生産することが困難だという20世紀までの技術的制約によるものだ。そうした制約がなくなって情報の個人化が可能になった今、下らないJ-POPや民放のワイドショーより、ブログやSNSのほうが好まれるのは当たり前だ。拙著(p.77)で書いたように
新規性×娯楽性
情報の価値=―――――――――
自分との距離
という関係が成り立つとすると、多額の宣伝費をかけて「メガヒット」で分子を大きくするビジネスは、もう限界がみえており、ウェブとともに滅亡する恐竜だ。今後のコンテンツ産業のフロンティアは、iグーグルやアマゾンの「おすすめ」のように分母を小さくし、個人化することだろう。こうした産業を発展させるには、個人情報保護法を廃止する必要がある。
「コンテンツ産業」を次世代の基幹産業に育てようという政府のもくろみは、GDPベースでは失敗確実だ。コンテンツの価値を貨幣で計測することがナンセンスだからである。かつて国民所得統計がなかった時代には、「国力」は人口や領土の面積で比較されたが、今そんな尺度には意味がないように、あと20年もすれば、GDPを基準にして経済政策を語ることが時代錯誤になるだろう。
だから政府にできることがあるとすれば、アニメ映画をアジアに商業ベースで売り込むことではなく、キャラクターやゲームや音楽をYouTubeなどでばらまいて――かつて流行した言葉でいうと――Gross National Coolを高め、日本をアジアから多くの若者が集まってくる魅力的な国にすることだろう。そのためにはベルヌ条約を脱退して著作権を廃止し、契約ベースで多様な情報の流通形態を創造する実験を、日本が世界に率先して始めてはどうか。
きのうの図2は、学部の教科書に出てくる「独占価格」の説明だ。つまり著作権とは、国家公認の独占なのだ。こういう政策は有害であり、例外的に許されるのは電力やガスなどの「自然独占」の場合だけで、これも競争的にすべきだという議論がある。デジタルコンテンツの場合には、価格が限界費用=複製費用と均等化するスピードが速いので、独占を作り出さないと投資のインセンティブが失われる、という理由がつけられるが、こういう費用構造はコンテンツだけではない。
たとえば新しいファッションが発表されると、似たような服が同じシーズンに大量に出回るが、デザイナーは「著作権」なんか主張しない。ブランドの価値を守ることで利潤を上げるのだ。コンテンツの場合も、NHKですらJoostを使い始めたように、レコード会社もP2Pで安全なファイルを配信して製品差別化すれば、料金をとれるだろう。
さらに本質的なのは、経済にとって最大化すべき目的関数は、企業の利潤ではなく消費者余剰(効用−価格の積分)だということである。これは図2でいうと、D(x)からpx*を引いた三角形の面積だ。よく福祉の代理変数としてGDPが使われるが、これは正確ではない。GDPは貨幣ベースの統計なので、この図でいうとpx*を集計したものにすぎない。もちろん効用そのものは測定できないので、価格で近似するのだが、情報財の場合にはD(x)がpx*と大きく乖離しているので、消費者余剰は貨幣で表現できない。
たとえば私が論文を書くとき、昔は図書館へ行ってコピーをとったり有料データベースを検索したが、今は新しい論文はほとんどウェブでDPとして入手できる。これによって私の効用は大きく増加したが、オンラインデータベース業界はほとんど壊滅したので、GDP統計ではマイナスだろう。つまり市場を通さないで流通する情報が増えると、GDPはしばしば逆指標になるのだ。エイベックスのような衰退産業を守ることがプラスで、P2Pや検索エンジンのようなイノベーションはマイナスと評価されてしまう。
さらに新古典派経済学の教えるように、財・サービスの価値を貨幣で表現する必要はない。貨幣というのは取引のマッチングコストを節約する媒体にすぎず、情報のように(排他性がないため)価値を厳密にマッチングしなくてもいい場合には必要ない。したがって情報の価値は、貨幣ではなく情報の流通量と質で評価すべきだ。Romerの試算によれば、P2Pで消費者の得る効用は、レコード業界の全世界の売り上げをはるかに上回るので、著作権法を廃止して音楽がすべて無料になれば、福祉水準は向上する。
もちろん作品をつくるための投資は必要だが、ハリウッドのように巨大な資本を投じて「マトリックス」とか「チャーリーズ・エンジェル」のような安っぽい漫画を量産することは、本質的な情報生産ではなく、鍋釜と同じようなものだ。長編映画や長編小説の誕生が資本主義と軌を一にしているしていることで明らかなように、それは大量消費社会で情報に一定のボリュームを出して数千円の価格をつけるための奇形的な作品形態にすぎない。それはもちろん今後も残るが、衰退してゆくだろう。
すでに音楽の固定費は、YouTubeのビデオクリップとそう変わらない。CD1枚の制作費は100万円以下で、販売コストの大部分は宣伝費である。浜崎あゆみのCDが100万枚売れても1枚しか売れなくても、情報の価値(新しさ)は同じだ。情報社会では、同じものがたくさん売れることには意味がないのだ。それは若者たちが気づき始めている。彼らがケータイで見る「コンテンツ」の圧倒的多数は、お仕着せのマス情報ではなく、自分たちのつくったパーソナルな情報だ。
本来、情報とはパーソナルなものである。日本の和歌も日記も、すべて個人的なメッセージだった。それが大量生産されるようになったのは、個人の嗜好に合わせて情報を生産することが困難だという20世紀までの技術的制約によるものだ。そうした制約がなくなって情報の個人化が可能になった今、下らないJ-POPや民放のワイドショーより、ブログやSNSのほうが好まれるのは当たり前だ。拙著(p.77)で書いたように
新規性×娯楽性
情報の価値=―――――――――
自分との距離
という関係が成り立つとすると、多額の宣伝費をかけて「メガヒット」で分子を大きくするビジネスは、もう限界がみえており、ウェブとともに滅亡する恐竜だ。今後のコンテンツ産業のフロンティアは、iグーグルやアマゾンの「おすすめ」のように分母を小さくし、個人化することだろう。こうした産業を発展させるには、個人情報保護法を廃止する必要がある。
「コンテンツ産業」を次世代の基幹産業に育てようという政府のもくろみは、GDPベースでは失敗確実だ。コンテンツの価値を貨幣で計測することがナンセンスだからである。かつて国民所得統計がなかった時代には、「国力」は人口や領土の面積で比較されたが、今そんな尺度には意味がないように、あと20年もすれば、GDPを基準にして経済政策を語ることが時代錯誤になるだろう。
だから政府にできることがあるとすれば、アニメ映画をアジアに商業ベースで売り込むことではなく、キャラクターやゲームや音楽をYouTubeなどでばらまいて――かつて流行した言葉でいうと――Gross National Coolを高め、日本をアジアから多くの若者が集まってくる魅力的な国にすることだろう。そのためにはベルヌ条約を脱退して著作権を廃止し、契約ベースで多様な情報の流通形態を創造する実験を、日本が世界に率先して始めてはどうか。
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実力のあるアーティストはむしろ情報流通の活性化には反対しておらず、DRMなどを「ネガティブ・テクノロジ」と揶揄しております。しかし、今のところ、圧倒的な経済力と政治力を持っているのが、前者の方ですからまだまだしばらくは衝突や摩擦が続きそうです。デジタルコンテンツの進化が幾ら速くても、人間の方が追いついていけません。日本のデジタル放送みたいに、何とかして障壁を構築しようという動きは今後も出続けそうです。
個人情報保護法はご指摘の問題もありますが、そもそも「情報の保護」にまるでなっていないのが根本的な欠陥です。洩れないように努力する事を求めているだけで、洩れた物には関せずですから。
これを何度説明しても理解できないで当ブログを追い出されたmohnoが、まだ執拗にイヤミを繰り返しているが、小倉氏も高木氏も、君のストーキングには迷惑してるよ。MSって、日本語が読めなくてもつとまるのかね(笑)
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