Tony Laszlo
トニー・ラズロ
「一緒企画ISSHO」代表。フリー・ジャーナリストとして英語と日本語で記事を書く傍ら、女子栄養大学、清泉女子大学で非常勤講師を務める。政府や民間セクターのコンサルタントとしても活動中。
トニー・ラズロ さん(フリー・ジャーナリスト)
トニーさんは92年、非営利団体「一緒企画」を設立した。日本の多文化社会の研究を主な目的とするこの団体は、多くの在日外国人が日本人とともにさまざまな共同研究を行い、主張や政策提言を日本社会へ向けて発信している。そうした取り組みからわかるように、もはや日本社会は日本人だけで成立しているわけではない。しかし、外国人に十分な市民権がないのも現実だ。同じ生活者である在日外国人の置かれている現状とはどういったものなのだろうか。
日本は70年代から人権関係の条約を批准してきましたが、これはひとつには先進国クラブにおいての地位を保つためですね。
自己決定権や教育を受けられる権利、差別されない権利。こういった権利を守る条約に入り、それにどう具体的に取り組んでいるか。国際社会の仲間入りにはそうした努力が必要です。
そのためさまざまな条約に批准はしてきましたが、国内法の変化は遅い。つまり、国内法を国際法に合わせるための法整備は遅れがちです。さらに一般社会の意識となると、条約の条文とだいぶ離れているところがあります。
大都市に住む住民同士のつながりは薄いです。そういう文明だから事実として受け入れるしかないでしょう。しかし、どこの国でも共同体はありますよ。
ただし、それはすべての国民をつなぐ共通したものではなく、喫茶店の常連だとか、町内会とか必要に応じて存在し、生活を助け合うレベルのものです。地域社会にはそれが自然に生まれてくるものですね。共同体そのものはないよりはあったほうがいいのですが、それはむりやり作るものではないと思います。
排除と一口に言っても理由はふたつあります。まず法的に排除される場合。例えば、いま消防団員が高齢化や希望者の減少のため、毎年6,000人ぐらい減ってきています。
政府は地域社会に呼びかけて団員を増やそうとし、地域社会は外国人を含めて呼びかけます。ところが法的には、政府の見解によれば、団員は公務員に値するので、ボランティアであっても外国人はなれない。消火活動は場合によっては、燃えている物件を壊したり、住居に入ったりしますが、政府はこれを「公権力の行使」だと言っています。そうである以上、国家への忠誠心が問われるので、外国人は望ましくないという。
今年1月、東京で地域の消防団員を増やそうと外国人にも声をかけ、5人が希望しました。ぜひとも彼らを入団させたいと思ってがんばった消防団の方や東京都の職員もいたのですが、結局最後はだめでした。地域社会は外国人を共同体に入れたいのに、法の見解で外国人の参加が阻まれているというケースですね。
一方、セクハラと同じように、問題であっても人々に問題として意識されてこなかった場合があります。セクハラの場合、法律が厳しくなったおかげで、「セクハラはいけない」という考えが浸透してきましたね。横山ノックの事件も10年前なら彼は辞任しなくてすんだかもしれません。
外国人の場合、就職や結婚、移動の自由などの権利が国籍や人種で阻まれることがあります。そういう差別に対する法的な罰則が欠如していることに大きな原因があります。これらがセクハラと同じように、法律が変われば、意識が高まり、排除されることもぐんと少なくなってくるのでしょう。
日本は「外国人に国籍取得させ市民権を行使してもらおう」というスタンスを取ってきたわけではありません。だからこそ3世、4世の在日コリアンが外国人として存在し続けています。
私は85年に日本に来ましたが、いまだに永住許可は降りない。簡単に取れるものではなく、「日本人と結婚しているかどうか。日本人との間で、子どもはいるかどうか、子供は1人なのか、2人なのか」などと、人生の中で自分が決めるべきことが永住許可の判断材料になっています。
国籍取得の条件も同じく、合理的とは言えません。何年か定住していれば必ず取れるわけではなく、政府の裁量権がとても大きい。「日本人らしさ」を求める審査官は申請した人の冷蔵庫の中身まで見て、判断していますからね。
日本にいる外国人は、登録者でいえば総人口の約1.23%を占めています。これからの高齢化・少子化社会によって起こる労働人口の不足を補うには年間何十万人と受け入れなければならない。国力を維持し、社会を発展させるには人が必要なわけで、そういうニーズがとても高いからこそ、違法でも外国人が入ってくる。社会の活力のために外国人は必要です。これまで日本は経済大国を実現するために人権を尊重するスタンスを示してきたわけで、そういう道を外れる選択をすることはできないでしょう。
その上で自己決定権ということが大事です。外国人でも、自分の運命を自分で決めることが保証されるべきです。そういう社会を作ることが国際社会の約束です。市民権を行使するにも帰化という選択はあるでしょう。だけど、たとえ多くの外国人は国籍取得ができても、それでも外国人は必ず残るわけですから、そうした人たちの自己決定権をどう保証するかは問題として必ず残る。だから「国籍を取らないなら帰れ」という意見はいまさら相手にする必要のない議論だと思いますね。
日本人には他民族と比べて差別主義者が多いとは思っていません。いま不景気ですが、歴史的に不景気になるとどこの国でも、ある人を問題のスケープゴートにするという動きが発生します。
好景気だと、政治家にとって裕福になる選択肢で迷うことはあっても、社会を導いていくことは比較的簡単です。不況になると、明るい未来があると言うためには、いろいろ手を考えないといけない。もっとも簡単なのは「何ものかに脅かされている我々」という集団意識を作り、敵意を持たせることです。外国人、または少数民族などをスケープゴートにします。これは日本だけではありません。
たとえば、アメリカも戦前、日本人を排斥し、移民を締め出した例がありますね。いまの日本に足りないのは、「これは、そういう手口なんだな」という自覚です。だまされて、人種差別に走ることが多いのです。いまの時代だからこそ、いろいろと注意して考えてほしいと思います。
注1)新しい歴史教科書をつくる会:96年12月、西尾幹二氏や藤岡信勝氏らを中心に発足した会。従軍慰安婦は強制連行された事実はなく、性奴隷ではなかった主張し、教科書から慰安婦についての記述の削除を求めて運動。また「自虐史観脱却」を唱え独自の教科書を作成し、2001年4月、文部省の検定に合格した。
多文化社会になっていきます。そうした変化を認め、必要な情報を発信していかないといけません。そういうテーマであれば知識人や教育者、政府、芸術家、みんなアイデアを持っています。それらをいまの社会にどう伝えていくか。洗練されたやり方を考えないといけない。
たとえば、「外国人は不況になるとスケープゴートになりやすい」といった情報をどうやって多くの人に知ってもらうかという問題ですね。本に書いてあったりしますが、若者はあまりそういう本を最近読んでいないとなると、彼らが使っている携帯やインターネットなど、情報媒体を通して、対話する必要があります。彼らは一日それらを何時間使っているか。またどれだけの時間テレビを見、仲間と話し、親と話しているか。
これらを調べて「これだけの人間がこういう生活様式を持っている」という結果を素直に受け入れ、それをもとにコミュニケーションをはかるしかないのでしょう。「若者は渋谷でたまっていてはいけないよ」と言うよりも、そうした大きな流れを利用したほうがいいですね。若い人たちの日常生活のあり方は簡単に変えられないので、そういうことを理解した上で新しい方法を考えないといけない。
いまの外国人の地方参政権についての法案の最大の問題は、永住者に限って選挙権を与えるということです。これはあまり話題になっていないが、永住者になること自体が、人によって、難しいのです。
在日外国人のうち4割強が戦前から日本にいる在日コリアンで、永住者の8割は彼らが占めている。何世代にも渡って日本に住んでいない外国人はどれだけ永住者になりにくいか、だいたいわかるでしょう。他の国では5年、10年といろいろあるが、住んだ年数で参政権を与える。そのほうがフェアで望ましいと思います。
永住者とそうでない人の間でギャップがあります。たとえば、かつて公明党が地域振興券(注2)の構想を明らかにしたとき、「これで消費税を返しているんだ」と説明しました。私を含め外国人も消費税は払っています。ところが法案では、外国人は対象外で、あくまで国民に返しましょうということだった。
そこで在日コリアンの団体である民団が抗議しました。「そういえばそうだった」ということになり、永住者に限って振興券を発行することになった。なぜ永住者で線引きするのか?「観光客にあげるわけにはいかないからだ」と公明党は説明しました。
もちろん外国人の中でも、在日コリアンに真っ先に参政権を与えたほうがいいと思っています。しかし、「外国人への参政権」というのが法案名ですから、その内容に忠実でないといけませんね。
注2)地域振興券:99年前半に実施された経済対策。若い世代の子育てを支援し、所得の低い高齢者への経済的負担を軽くすることで個人消費の活性をはかろうとした。15歳以下の児童と65歳以上の老齢福祉基金の受給者に、ひとりあたり2万円が支給された。
トニー・ラズロさん 石原慎太郎都知事もそう言っています。が、そうした反対論者の中には「地方分権が進めば賛成だよ」と言う人もいます。いまは中央省庁がやるべき国家の仕事の一部を地方に押しつけている。中央がその仕事をすればいいんだけど、中央と地方との間の力関係もあって、なかなかそうならない。
本格的な地方分権がいつできるかわからないので、何を決めるかを制限して行う地方選挙にすればいいのではないかと思います。簡単に言えば、地方は住民のもので、国家は国民のものですね。地方参政権を外国人に与えるべきなのは、彼らも住民であるからです。 トニー・ラズロさん
いま、日本には、日本人に加え数多くの外国人が住むようになっています。その数はこれからもますます増えるでしょう。その現実をぜひとも積極的に受け止めていただきたいと思います。外国人を仲間として考え、手を組んで生活していけば、彼らが持つ力を発揮できます。反対に、一部の人が排除されている社会は、とても弱い社会になります。かしこい選択をしてほしいと思います。
Tony Laszlo
トニー・ラズロ
「一緒企画ISSHO」代表。フリー・ジャーナリストとして英語と日本語で記事を書く傍ら、女子栄養大学、清泉女子大学で非常勤講師を務める。
政府や民間セクターのコンサルタントとしても活動中:
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