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このブログは、与国秀行が書いています。
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ニュース!!
6月21日 「妻日記 子ども兵たちの戦争 中編」を掲載しました。
6月20日 「妻日記 子ども兵たちの戦争 前編」を掲載しました。
6月19日 「We are the World」第二部 NO.23~NO.26を掲載しました。
6月16日 「We are the World」第二部 NO.21~NO.22を掲載しました。
6月12日 「質問からの返答」を掲載しました。
NO.1~NO.3は先日、相談して下さった「仕事と愛と奉仕」を基に、
只今、編集中です。
私、与国秀行は2008年8月15日、NGO団体「MISUMARU」を発足させます。
「ミスマル」とは、漢字では「御統」と書き、意味といたしましては、調和とか、大平和とか、そういった意味を含んでおります。
活動といたしましては、主に四つがあります。
一つ目は、貧困、病気、戦争に対する改善。
二つ目は、軍事政権、共産政権において、民主自由化の活動をしている方々への援助。
三つ目は、我々一人一人の人間としての成長を目的に、哲学を基本としての勉強。
四つ目は、人と人との触れ合い、つまり人とのコミュニケーションの場として、キャンプ、バーベキュー、スポーツ大会、あるいはお祭りの日にお神輿に参加したり、もしくはバザーでの出店を執り行っていくつもりです。
どんな小規模になろうとも、いまだ未定ではありますが、8月15日に都内のどこかで発足式を執り行う予定です。
その発足式に先立ちまして、当団体の副代表を務める大嶽信次が7月19日にディファ有明で行われる、「THE OUTSIDER第二回大会」の総合格闘技の試合に参加する予定です。
私はこの第一回目の大会に、世の中に訴えたいことがありまして出場いたしました。
それは「心とは何か」「愛とは何か」「平和とは何か」こうしたことを、私はブログを通して訴えているのですが、しかし私ごとき無名な人間の声など誰にも届くわけもありません。
そこで勝ち負けなどこだわらずに総合格闘技の素人でしたが、あえて参加させて頂いたわけです。
大嶽は幼なじみの私が、無私、無償で闘う姿に触発されたらしく、妻子ある身であり、そして職人の身であり、格闘技経験が全く無いにも関わらず、突然、周りの忠告を無視して参加を決意したのです。
当然ながら、私は驚いたと同時に、最初は猛反対しました。
しかし彼の「何か自分も闘ってみたい」、「このまま自分と家族のことだけを考えて生きていくのであるならば、確かに平安に暮らすこともできるけれども、しかし自分も何か世の中に役立つことを行って闘いたい」という情熱はやまず、遂には「一回だけ」という約束で妻からも許しを得ました。
妻子あり、職人であり、完全な素人である彼が試合に出場することを、私だけが最後まで反対しました。
しかし彼の情熱を見て、私は彼にこう言いました。
「では普通に闘ってもつまらないから、どうせ闘うのならば、私はNGOを創設する予定であるから、その副代表としてNGOの宣伝の為に闘ってくれないか?
平和へ貢献することこそ、男としての生き方ではないか?」
私の申し出に、彼は快く引き受けてくれました。
というよりも、彼自身は気付いていなかったのですが、実は彼の本心はそうしたことを行うところにあったのです。
つまり無意識とも、潜在意識とも言えますが、彼は「何か自分も世の為、人の為に闘っていきたい」という想いがやまなかったわけです。
「NGOを創設するのに、格闘技の大会に素人が出場するとは何と滑稽なことだろう」そういった感想を持たれる方は、実に多いことでしょう。
しかし今、世の中の大きな問題は、NGOとか、NPOとか、そうしたボランティア活動に携わる方々が、ごく一部のほんの僅かな少数でしかないということです。
たとえ心の中で「自分もボランティアに携わってみたいな」という想いにかられたとしても、多くの方々は足を踏み入れることまではしません。
しかしボランティアというものは、決して一部の聖人が行うものでもなければ、ほんの少数の特殊な人々が行うものではなく、誰もが自分のできる範囲の中で行えるものです。
なぜなら、誰の心の中にも他者への優しさ、すなわち愛があるからです。
その他者への優しさを形に現していく行為、それがボランティアなのです。
ですからボランティアとは、心が健やかな人間であるならば、実は誰にでも出来る行為であり、NGOとか、NPOとか、そうしたボランティアの世界に集われる人が少ないのは、多くの方々が誤解されているところに問題があります。
そしてそうした誤解を打破し、悪しき状況を打開する為には、たとえ無関係な格闘技であろうとも、宣伝を行っていくことが大切だと、私はそう考えております。
もちろん私も大嶽が副代表とはいえ、幼馴染みだけが傷つくのを見て、それを高見の見物していることなどできるわけもございません。
ですから、33歳までボクシングのライセンスが取れる様になったので、私も十代の頃に少しかじっていたボクシングの練習を再開して、32歳の最後の挑戦をして宣伝活動を行っていきたいと思います。
そして私は「NGO・MISUMARU」の代表として、是非とも皆様に伝えたいことがあります。
それは「愛を誰かに与えて、ボランティア活動に参加するということは、行う側の人間はとても苦しいのではないか?」そういった印象を持たれる方もいるかもしれませんが、実はそうではありません。
自分の出来る範囲の中でボランティアを行った時、実はそれは大きな「喜び」であり、そしてそうした愛の実践を通して学べることがたくさんあるのです。
つまりは、ボランティアは「喜び」と共に、「人間としての成長」をも、我々に与えてくれるのです。
マザー・テレサは「与えているのではありません。与えられているのです」とおっしゃられていましたが、それは揺らぐことのない真実なのです。
こういった表現は不適切かもしれませんが、しかしあえてそれを承知で言うならば、ボランティアは人間として損するのではなく、得するのです。
「損をした」と感じるのは、それは自分のできる範囲を超えた時であり、自分のできる範囲の中で愛を与えれば良いのです。
ですから是非とも、愛と勇気を持って参加して頂きたいものです。
今、世の中の大きな問題は、ボランティアに携わる人々が少数しかいないことであり、それはすなわち、自分の中に他者への愛を、行動によって現すことが少ないことなのです。
ボランティア団体を活動していくにあたって、その活動の中心となる理念がしっかりとしていなければ、 何ら平和への貢献にはなりません。
時には暴力を呼び起こしたり、あるいは消極的過ぎて、何ら平和に貢献しないことも十分に考えられるのです。
ですから活動理念はとても大切です。
ぜひとも、私たちの活動理念に耳を傾けて下さい。