●私たちのイメージでは、有線放送は月々の使用料が売り上げになっていく会社で、それ以上でもそれ以下でもないと思っていたのですが、事業内容が一気に光ファイバーの方向に行ったのは、全て宇野さんのアイデアなんですか?それとも前からそういった計画があったのでしょうか?
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会社としてはそういうアイデアはなかったので、基本的には私がやったということになりますね。
先程の7年前の話に戻るんですが、私がたまたま正月に実家へ行った際に「インターネットを有線でやったらいいんじゃないか」と父親に話したんです。当時父は60何歳だったと思うんですが、パソコンも使ったことがないのに本屋さんに行って、岩波の“インターネット”っていう本を買って読み始めたんです。それで、実際に見たこともないのに「インターネットっていうのはすごいぞ」って言い始めたんですよ。「これは世の中変わるぞ。有線のケーブルを使ってインターネットをやろう」って言い始めたんですね。
ですが、有線は当時まだ合法状態ではなかったので、通信部門を無許可でやると大変な問題になりますから、実現しなかったんです。なので、この事業は私の考えではありますが、どこかで「自分がどうなろうと、世の中のためになるんだったらやる」と言っていた父親の意志を継承しているつもりもありますね。
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●一代でそこまでの企業を作られたお父様はどのような方だったのですか?
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強烈でしたね(笑)。その時代の創業経営者というのは、かなり独特のキャラクターで強烈な方が多いじゃないですか。まさにそういう感じでしたね。人の言うことは聞かないで自分が正しいと思っていて、言うことが鋭いとか。怖い人でしたが、ただ見た目に迫力がある感じじゃないんです。見た目は普通のおっちゃんなんですけど、何か怖いんです。不気味な怖さでしたね。
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●子供時代は遊んでくれたりもしたのですか?
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全くなかったですね。実は僕もあまり子供と遊ぶほうではないんですけど、父よりはマシですかね(笑)。いつも家内にはそう言っています(笑)。
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●それでは“お父さん”というより、事業家であるというような、“仕事の虫”といった感じのお父さんだったのでしょうか?
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そうですね。それ以外の虫もあったみたいですけどね(笑)。家にはいなかったです。強烈な父ですよ(笑)。会社に行ってるか、別宅に行ってるか、みたいなそんな感じだったんじゃないですか(笑)。
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●なるほど、たしかに強烈ですね(笑)。有線という事業を始めたきっかけをお聞きになったことはありますか?
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それは直接ではなく、間接的には聞いてました。ただ何が真実かっていうのはわからないですね(笑)。
3つくらい説があるんですよ。父は大阪大学を出て、伊藤忠の関連会社に就職をするんですけど、性格が強烈ですから数ヶ月でクビになって、自分で何か仕事をしなきゃと思いながら飲み明け暮れていたそうなんです。それで、いわゆるお姉ちゃんがいるクラブみたいなところに行くと、当時はレコードしかなかったですから、30分に1回お姉ちゃんが席を立ってLP盤をひっくり返している。何でお姉ちゃんがいちいちひっくり返しに行くんだろう、これはどこかで一括して流してあげれば、レコードをひっくり返しに行かなくてすむじゃないか、と思ったらしいんですね。ここからまとめて先端化をすると発想したのが今の有線放送の始まりだ、ということを父は言っていたらしいです。歴史的に見るとその当時はもう既に北海道とかにいくつか同業が出ているんですね。ですから誰が思いついたのか「元祖は誰だ?」みたいな話で真実が分からないんですよ(笑)。
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●鉄道会社をやろうと小学校の時に思われた血筋ですね。宇野さんもお父様も流行り廃りのないインフラ商売が事業として努力する甲斐があると思ってらっしゃるんですね。
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そうですね。
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●音楽業界には当てることしか考えていない人も多いですけどね…(笑)。
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ずっと産業商売をやっていたので、当てたい願望はあるんですけどね。気持ちいいだろうなぁとは思いますよね(笑)。「当たった〜!」という意味で(笑)。
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