●破竹の勢いでインテリジェンスという会社は大きくなったわけですよね。
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ええ、まぁ。伸び悩んだりしていた時期がなかったわけではないんですけどね。
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●上場したのは何年目だったんですか?
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結局11年目ですね。会社作った時は10年で上場しようというのを目標として掲げてたんです。それが当時の最短だったので。結果、10年目の申請が遅れて11年目の上場になりました。
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●創業から10年経った時には、どんな気持ちだったのでしょうか?事業家としては次にどこに進むか、次はこうしようとか、そういったアイデアがあったと思いますが。
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それはですね、そのはずだったんですけど、上場する半年前に有線の社長を引き継がなくてはいけなくなってしまいまして…。一時は私が両方の社長をやっていたのですが、やはり「社長が、有線の社長もやっているというのはダメだ」という話になって、私はどちらか選ばざるを得なかったわけです。親父も亡くなって、一端引き受けたのに、やっぱり今更というわけにもいきませんから。元々インテリジェンスの方はいずれ誰かがやっていく時代が来るのだろうと思っていましたから、今の社長に譲りました。ですから自分はそこで卒業した感はありましたね。本当は上場したらある種の達成感を味わうだろうと思っていたんですけど、その達成感を味わう前に「家が大変だ」ということになったものですから。
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●今インテリジェンスの社長をなさっている方は、設立に及んだ中のお一人ですか?
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そうですね、はい。
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●今のインテリジェンスは順調な業績を上げてらっしゃるんですよね。社員数はどのくらいになられたのでしょうか?
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グループで言うと500人くらいです。
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●“大阪有線”から“有線ブロードネットワークス”に変更したそのネーミングも素晴らしいと思うのですが、“インテリジェンス”という名前を考える時もかなり考えられたんですか?
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そうですね、まぁ始めはいろいろ考えていましたが、ふと「インテリジェンスっていいじゃん」って思いついたんですよ。わりと当時から使われ始めていた言葉でしたから。
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●営業に入って行く時に相手が絶対いい印象を持つような名前ですよね。
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頭の悪い若僧が遊び半分でやってるベンチャー企業だっていう風に思われがちだと思うので、名前の意味自体に少し重みを持たせようとはしました。
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●有線は宇野さんが社長になられてから、ありとあらゆるイメージがコロっと変わったと思いますが、社名変更はその時ですか?
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社名変更はそれから1年半後位ですかね。
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●それまで有線を外部から見ていて「ここをこうすれば」とか、アイデアは前々からお持ちだったのでしょうか?
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そうですねぇ。でも、別に自分の会社とは関係ない会社って冷たく言ってしまえばそういう気持ちもありましたよ。繋がるところで言えば6、7年位前にインターネットが出始めて、インテリジェンスでは既にインターネットを使い始めていたので、有線でインターネットをやったらすごいことになるのに、っていう風には思っていましたね。そんなことを親父に言ったことはありました。
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●過去の電柱の違法使用の問題などでいろいろと大変な立場に立たれたわけですよね?その辺の問題を一気に全部処理することはすごい大改革だったと思いますが、古くから有線にいらっしゃった周りの方の反応はすんなりとしたものでしたか?
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やはりそれは全く別の世界に入っていくことになりますからね。電柱の使用料も正規に払っていないとか、これを払うと当然ながら巨額のコストがかかりますし、かなりの企業改革をやっていかないと変えられないということがありましたから、急激にそういう風に変わっていくことに対しては、当然ながら必ずしもみんなが賛成ということではなかったです。
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●守旧派の抵抗勢力がいたという感じですか?その辺が一番の苦労だったのではないかと思いますが。
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それがそうでもなかったんです。正論としてどうあるべきかという問題ですので、そう言われれば「そうですね」っていうことになりますし。
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●社名の変更は1年半後ということでしたが、それは精算した後に変更したのですか?
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そうですね。就任後すぐに、社名を変えたいと一度郵政省に伺ったことがあったんですね。郵政省としてはそれを当然ノーと言える立場じゃないんですけど、「あなたの会社が本当に正常化を果たそうとしているのなら、今名前を変えるべき時じゃないと思いますよ。今やっちゃったら周囲の人も、まだ問題解決が完了していないのにごまかしているという風な理解をしてしまいますよ。本当にきれいに終わって、それで変えてもいいんじゃないですか?」みたいなことをまじめに言ってくださりました(笑)。
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●いいアドバイスを受けられたんですね(笑)。それをその通り実行なさったと。
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そうですね。
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