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●数ある企業の中からリクルートをお選びになった理由というのは? | |
まさにその組織の話ですね。学生時代は様々な団体をやっていて、なんとなく大人数がまとまっていくことや、それを取りまとめる、いわゆるリーダーシップみたいなものをある程度学んだかな、という感覚でしたが、実際は「自分は企業の組織というものを何も知らないんじゃないか」と大学4年の時に思ったんですよ。だから一度は企業の組織というのを見てみたい、じゃあどこの企業が一番盗むべき組織なのかと考えると、リクルートだと思いました。当時はリクルートが組織活性みたいなこともやっていて一番のってた時代でしたから、学生ながらにいろいろな企業を見て「あぁ、ここはいい雰囲気の会社だな」と感じて、それを学びたかったんです。 | |
●入った部署は、リクルートコスモスというマンションを売っている別会社ですよね。これは宇野さんご自身が選ばれて入社されたのでしょうか? | |
そうです。リクルートの内定をもらって、どこの部署に行こうかと考えた時に、不動産をやってみたかったので「コスモスに行きたいんですけど」と言ったら、「それは別会社だからダメだ」って言われて、「だったら申し訳ないですけどリクルートを辞退します」って言って。それで希望してコスモスに行ったんです。 | |
●不動産に着目されたのはどういった理由からですか? | |
いろんなことがありますね。まず、会社組織を学びたかった。次にリクルートの事業で何が一番勉強になるのか考えたんです。それで、バカにしてるわけではありませんが、いわゆる就職情報誌などの広告の媒体営業をやって、何がどれだけ学べるのかなぁって思ったんですね。不動産なら建築基準法やいろんな法律から資金運用など、知識の幅が広くて勉強になるだろうなぁと思いました。 もうひとつは今の仕事もそうですが、何かを“つくる”っていうのが好きなんです。マンションをつくる、ガーデンをつくる、街をつくる…、そういう仕事をやりたいという希望もありましたね。 |
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●せっかくリクルート・コスモスに入社したのに、インテリジェンスをつくって、あっという間にお辞めにりましたよね。結局リクルートには何年いらっしゃったんですか? | |
1年半ですね。 | |
●今仰ったことを1年半で学んだということですか? | |
本当は3年くらいはいようかな、とは思っていたんですけどね(笑)。 | |
●リクルートを辞めて自分で起業しようとお考えになった時はおいくつですか? | |
24歳の時ですね。 | |
●遂に少年時代からの夢である事業家としての一歩を踏み出すわけですね。数あるビジネスの中から“人材派遣業”というフィールドを選んだのは、 ずっと温めていて勝算があったのでしょうか? | |
実はそうではないんです。学生時代もプロデュース研究会で活動をしながら、ビジネスのアイデアを自分なりに色々と考えていたんですよ。でもよく考えると自分の中のアイデアって、トレンドものが多いんだな、ということにも気づきまして。当時プール・バーが流行る前にそういう形態の店をやったらどうだろうとか考えましたが、それは長続きしないだろうし、本気でやっていくのであれば、トレンドものではなく、将来に渡って伸び続ける事業じゃないとだめですよね。そういう考え方に変わっていきました。 人材関係というのは、本音で言えばお金がかからなくて、わりと投資も必要なくできそうだな、っていう部分はありましたね。 もうひとつの理由は、これから18歳人口が激減していくという事実です。そうすると当然、企業が人を活用するという方法論になってきて、いろいろと変わっていくだろうと思いました。たぶん昔のように就職して、教育して、という時代ではなくなっていくと。これは10年間の中で確実に変わる確定した未来だったんですよ。 10年後の予測をした本とか、ああいうのが好きでよく読んでいたんですが、だいたい当たらないんですよ(笑)。でも10年後に18歳未満がこれだけ減るというのは、これは予想ではなくて事実なんだ、と思った時に「こういうこともあるんだ」と。将来が確実に読めるものがある。「この業界は絶対に読める」と思ったんです。 |
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●当時、人材派遣会社っていうのは他にもあったのでしょうか? | |
あるにはありましたね。ただ多少減っていて、どちらかと言うと、原型を失っていっていた時代だったんです。「何で今更人材派遣をやるんだ」って、周りから相当言われましたよ。 | |
●インテリジェンスを設立して最初に苦労されたことはどんなことでしたか?思惑が外れたとか、事業上想像していたのと違ったことなどはありましたか? | |
違ったっていうのはそんなにないですね。苦労は当然ありますけど、想像と違ったっていうのはそんなになかったような気がします。 | |
●最初は何人で始められたのでしょうか? | |
最初は4人でした。 | |
●複数の人材派遣会社がある中で、インテリジェンスが着実に業績を伸ばしていった手法というか、方法論はどの辺に着眼されていたのでしょうか? | |
まず人材派遣の業界自体が、いずれこうなるだろうと先を考えてやってきました。 それからもうひとつは、非常に生意気な言い方に聞こえるかもしれませんが、あまり工夫がされていない業界だなと思ったんです。例えば広告でも毎週同じような広告ばかり出していて、ただ一生懸命考えてよりいい人を集めたり、もっと考えてうまい形にしようだとか、そういう努力があまりなかった業界だったような気がするんです。わりと落ち着いちゃってるような感じですか。その中でいろんな努力をしながら知恵を入れていったら、とにかく絶対努力をしたところが勝つに決まっているという勝算みたいなものはありましたね。市場はある程度ありますから。 |
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●他の人材派遣会社にない特徴として、どんなことをセールスポイントにしたんですか? | |
別段どこがセールスポイントっていうのではないですね。「やることは当たり前にやる」ということでしたから。よりたくさん人を連れてきて、よりたくさんの企業から組み合わせる。それを忠実にやるしかないですよね。特に変わったことをやったわけではないと思います。 ただ正確に言えば、インテリジェンスは人材派遣からスタートしたのではなく、新卒採用のコンサルタントから始めたんです。大手の人事部に対して、人材に対する今後の活用方法論のあり方を売り込んでいくとか、そういうことから始めたんです。ただ人を使う時に「この人どうですか」というのではなくて、「派遣はどうやって使ったらいいのか」とか、いわゆるコンサルタント営業みたいなことが出来るということが、他と違うところだったかもしれませんね。それとスピーディーに就職させるということは今でこそ当たり前ですが、システムを使ってやったのはうちが初だったのではないかと思います。 |
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●若干25歳、社会経験もそれ程あるとは思えないその年代で、いろいろな企業に話を提案して、受け入れてもらえるところがすごい驚異に感じます。不思議ですよね。 | |
私もそれが一番不思議ですね(笑)。それこそリクルートコスモス時代も、リクルートの名刺を持って行ったとしても1年目だとわかると「何だこの小僧は」っていう感じで返す人もいるんですよ。自分は25歳の若僧だし、社長に名刺を持って行っても相手にされないんだろうと思っていたんですけど、意外に一生懸命やっていればアポイントは取れますし、一流の企業の人が「じゃあ会いましょう」と会ってくれるんですよね。不思議でしたね。 | |
●飛び込み営業をやってらっしゃったんですか? | |
飛び込み営業ですよ。 | |
●最初はどこか大手の社長さんと仲がよくて「お前が来るんだったら俺のとこで引き受けてやるよ」っていうようなことがあったわけではないんですか? | |
それはもうゼロですね。 | |
●いくら若いとは言え、無謀とも思える話ですね(笑)。どこか1カ所くらい、そういう得意先を決めてからスタートすることができたのかな、と想像していたのですが。 | |
まぁ一緒に始めた仲間でリクルートの営業をやっていた人間がいて、「あの辺のお客さんは狙えるんじゃないか」とか、そういう戦略は多少ありましたけどね。基本的にはそれで食えるわけじゃないですから、たくさん営業に行きました。苦労するとは思いましたけど、そこの営業力に関してはそんなに不安はなかったですね。それはやっぱり学生時代の経験が生きていたのだと思います。学生時代に学生企業のようなことをやっていて、少なくとも自分たちが食うに困ることはないっていうぐらいの絶対的な自信はありましたね。 | |
●話はインテリジェンスに戻りますが、派遣で働く人達を見つける方法というのは何か確立したものや、特別なルートがあったのでしょうか? | |
いえ。特にないですね。 | |
●普通にとらばーゆに広告出したり、というところから始めたのですか? | |
はい。 | |
●勇敢ですね。企業の方は若い人がそういうことをやっているのに興味を持ったとか、その若さも買ったのでしょうね。 | |
そうだったんでしょうね。 |
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