●公立の学校に行ってらっしゃったんですか? |
普通の公立ですよ。私は私立に行くのがあまり好きじゃなくて、普通の友達と普通に公立に行く方がいいなぁと思って。普通の公立に行って、校則で丸坊主頭になっちゃいましたけどね(笑)。もうありがちな中学1年生で、初めてフォーク・ギターを買って、井上陽水を弾いて、みたいな感じです(笑)。
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●大阪有線がどんな仕事なのかをはっきり認識したのはいつ頃ですか?
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たぶん小学校1年生か2年生くらいですかね。母親と一緒に“有線放送大賞”に行って、それで「あぁ、有線ってこういうことやってるんだぁ」って思ったのを覚えています。
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●でもやはり早い方ですね。そもそも中学生で事業家を目指すとは考えられないです。
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まぁ、例え中学生でも子供ながらに親の後を継ぐのか継がないのかとか、そんなことは意識しはじめますよね。親が会社をやっていて、自分は次男で、自分はどうするんだろうということは考えていました。ただ自分は二代目の経営者として後を継ぐとか、そういう選択をしたくないっていうのが強かったものですから。じゃあ自分で独立して自分で事業家にならなきゃいけないな、と思ったんでしょうね。
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●親の強制はなく、自由に選択させてくれていたんですか?
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そうですね。親はどうなれとかそういうのは一切言いませんでしたね。ただ周りが子供に対して言うじゃないですか。「大きくなったら、お父さんの会社に入って一緒に頑張んなきゃね」とか「いずれは社長よね」みたいな(笑)。そんなことを言われるのがすごい嫌で。それに対する反骨心みたいなものが強かったのかもしれないです。
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●高校は?
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大阪清風高校という男子校に行きました。
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●それは何か後悔していますか?
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もうホント後悔しましたね。ちゃんと学校を選べばよかったと思って(笑)。すごい変な高校だったんですよ。いわゆる受験勉強のためのガリ勉学校みたいな感じで、全然面白くもなんともなかったですね。校則は厳しいし、男しかいないし(笑)。非常に面白くなかったです。高校1年生の時に受け直そうかなって真剣に考えてたくらい、学校へ行くのが嫌でしたね。学校へ行っても授業中は毎日ずっと寝てるだけで(笑)。
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●心ここにあらずの状態ですね。でも事業家になる道はさらに模索して行ったわけですよね?
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そうですね。
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●その目標が途中で変わったことは一度もないのでしょうか?
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いえ、高校時代には他に対する興味もいろいろと出始めてましたね。私は映画が好きなので、高校2年生の時には「事業家になるのもいいけど、映画監督になるのもいいなぁ」と思ってみたり…ありがちですけどね(笑)。唯一勉強で興味をすごく持っていたのが生物だったので、生物学者になって研究したいなぁとも考えましたね。高校2年生の時にはいろいろと悩んでいましたが、結論としてやっぱり「事業家になるんだ」と。
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●ちなみに生物というのは具体的には何ですか?
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DNAの研究をしたかったんですよ。今でもしたいんですけど(笑)。
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●勉強家な部分もあるわけなんですね。
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“勉強”というか“好奇心”ですよね。生命の不思議って未だに不思議じゃないですか。DNAの研究をしていくと、それが解明されてくるんじゃないかって思うんですよ。
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●今の事業家としての姿に繋がるような学生時代のエピソードはありますか?
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中学生ぐらいからいろんな経営者の人の本を読み始めましたね。「どういう経営者像を目指そうか」と考えたり…。松下幸之助さん(松下電器創業者)とか、とにかくそういう経営者の人の本を読みあさるというのが多かったですかね。
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●それは両親に言われてではなくて自発的にですか?
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そうです。ただ当然ながら家の親父の本棚にそういった本がありましたから、それを読んだことがきっかけだったのかもしれませんけどね。
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●他にそのころ影響を受けたインパクトのある人物や本などはありますか?
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藤田田さん(元 日本マクドナルド社長)が書いた「ユダヤの商法」とかですかね。
結果的に私はリクルートに行きますが、江副浩正さん(リクルート創業者)のことを書いた「リクルートの驚異」(綱淵昭三著)といういう本があって、単純にすごいなぁと思いましたね。だから中学時代には松下幸之助さんなどの本を読んで、高校生になるとリクルートやダイエーの中内功さん(ダイエー創業者)のことを書いた本だとかを読んでいて、ひとつひとつのメッセージを自分なりに受け止めていたつもりではありますね(笑)。
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●その頃は伝記系というか、そういった書籍が中心で、いわゆるビジネス誌のようなものもご覧になっていましたか?
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基本的には“ビジネス雑誌”はさすがに買わなかったですけどね。法律の本とかはよく読んでいた記憶がありますね。
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●ごく一般の少年のように、例えば彼女が欲しいとか、映画を観に行くとか、そういった生活はなかったんですか?
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いや、それはそれで普通にありましたよ。映画も好きですし、音楽も好きですし、物真似の遊び事のようなバンド活動をやってみたりとか。男子校だったので「誰か紹介してよ」って、合コンみたいなこともやりましたし(笑)。
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●その時は坊主じゃなかったんですか(笑)?
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坊主じゃないんですけどね、校則が厳しくて刈り上げしなければいけなくて。まだロングが全盛の時代なんで、短く切ってるのは格好悪かったんですよ。その時にちょうどYMOが出てきて「あ、これだ!俺もテクノカットだ!」って内心思いましたね(笑)。
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●なるほど(笑)。
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