兵庫県明石市の人工海浜で二〇〇一年十二月、陥没が起きて散歩中の女児が生き埋めになり、五カ月後に亡くなった。業務上過失致死罪に問われた当時の国と市の担当者四人に対する控訴審判決で、大阪高裁は一審の無罪判決を破棄し、審理を神戸地裁に差し戻した。
陥没は、護岸に設置されたゴム製の防砂板が破れ、砂が流出し地中に空洞ができたのが原因とされている。裁判では事故が予測可能かどうかをめぐって争われた。高裁は、四人全員について「砂浜の管理者として陥没は十分予見可能だった」とし、一審の「事故は予測できなかった」とした判断を覆した。
高裁は、〇一年一月以降、砂浜の別の複数の場所で陥没が断続的に発生し、補修工事で陥没原因は防砂板の破損が関係していることを認識していたとしたうえで、「事故現場周辺も構造は同じ」であることから予見は可能とした。一審は「現場は事故前に陥没が発生した区域の外だった」とし、予見可能性は認められないとしていたが、高裁は予見の幅を広げた。
一審が「砂層内に空洞が発生しているのに砂浜表面には異常がないという現象は、土木工学上よく知られていない」として、砂浜の表面に異常がなかった状態での今回のような大きな陥没を予測できなくても仕方ないと無罪を導いたことに対しても、高裁は「被告らが砂の吸い出しがあれば直ちに砂浜表面に異常が出現するはずだと考えていたなら、砂浜の管理を担当する被告らの情報や知見からすると安易過ぎる」と指弾した。
現場の人工海浜は事故の後に防砂シートを設置したり、砂の層を薄くしたりするなどの対策工事が実施された。事故の教訓を生かし、再発防止策も取られている。
だが、今回の高裁判決は、多くの人が集う人工海浜の安全は万全でなければならないと、責任者の過失責任を厳しく問う内容である。安全を過信せず、高度の注意義務が求められていることを忘れてはなるまい。
日本の海岸工学は波浪などから国土を守る防災中心に発展したとされる。各地で取り組むようになった人工海浜など自然を取り戻す技術の進歩には不安が残る。波や潮流、高潮など自然の大きな力を前に、人工の砂浜は十分耐えられるのか、安全面での謙虚な研究が必要だろう。
美しい海辺が回復し、楽しめる場としての人工海浜への期待はますます高まろう。快適な海辺空間の確保は喜ばしいが、安全第一が基本だ。
最大震度6強の揺れが襲い、死者・行方不明者二十三人を出した岩手・宮城内陸地震は、十四日で発生から一カ月を迎える。被災地の受けた傷は深く、依然として避難生活を余儀なくされている住民たちは疲労の色を濃くしている。
今回の地震は、高齢化と過疎化が進む一方で温泉など観光地を抱える山間部の自然災害に対する問題点を浮き彫りにした。荒廃で保水機能が弱まったことが土砂崩れを誘発し、生命線である道路の寸断による集落の孤立が相次いだ。土砂が河川をせき止めてできた「土砂ダム」も十数カ所を数える。温泉や山菜採り、渓流釣りなどで県外から訪れる人たちの状況を把握する難しさも救助活動に影響を及ぼしたといえよう。
被災地では復旧への取り組みが進んでいる。被害を受けて閉ざしていた温泉施設の一部が再開したり、仮設住宅への入居も始まった。政府は、十日に復旧・復興対策に関する関係省庁会議を設置し、「応急対策のめどがついた」として今後は被災者の生活再建を主眼とする支援に軸足を移す考えを示した。
とはいえ、道路の寸断や「土砂ダム」の決壊、二次災害の懸念もあって避難住民が自宅に戻れる見通しは立っていない。高齢者ら約四百四十人が気の休まらない避難生活を続けている。不安とあせりを抱えての長引く不自由な生活は、心身の健康を損ないかねない。早急な復旧とともに、きめ細かな心のケアと支援が求められる。
国土面積の約七割を中山間地域が占める日本では、いつ身近に被害が及ぶか分からない。今回の震災では、高齢者ら災害弱者の連絡先などを記した名簿を作成して迅速な安否の確認に役立った地域もあったという。教訓を備えに生かしたい。
(2008年7月13日掲載)