平成16年7月号(通巻45号)より
リレー随想
桜と花嫁人形と靖国神社
アサヒビール名誉顧問 中條高徳
 一国の首相の靖国神社詣でを、近隣諸国から文句を言われその代替施設を造るという。流石、国民の声に押されて沙汰やみになったようだ。いずれの近代国家も、その国に命を捧げる行為を最も尊い価値としてきた。その価値観の無くなった瞬間にその社会は衰退する。

 59 年前、日本を精神的カルタゴ体制にしようと、GHQは靖国神社焼却さえ考えていた。ローマ法王支庁のヴィッテル神父の提言によって靖国神社は命拾いをした。

  共に散り共に語らばや靖国桜<さくら>かな

 吾々の年代の若者は祖国の危急を救おうと志願してゾルダーテン(兵隊)の途を選び、その多くが斃れていった。みな靖国神社の桜の下で再会しようと誓い合ったものだ。

 桜は大和心を語る日本を象徴する花だ。

  たたかひて果てし子ゆゑ身に沁みてことしの桜あはれ散りゆく

  釈超空が折角迎えた養子をかの硫黄島の激戦で喪った悲しみを詠んだものである。

  咲けば散る咲かねば恋し山桜思ひ絶えせぬ花の上かな

 藤原公任が撰した『三十六人撰』の中の女流歌人が詠んだもの。わが子を亡くした彼女が京都東山の清水寺に籠り、亡き子の冥福を祈った歌。

  桜を植える会で、吾々は藤村で有名な妻籠宿のある南木曽や日光など各地に桜を植え続けている。亡きわが子の名前をつけた桜を植えて、夫婦で涙しながら桜の木を抱きしめている光景に 々いきあたる。潔く散る桜を見て、みな己の運命を重ねるのであろう。戦後、陸士同期生たちで植えた靖国神社の桜も見事に育った。靖国の桜は美しい。されど切ない。

 戦争は人類に最大の不幸を招く。あってならない残酷なものである。たった一人の息子を戦場に失った母親も尠なからずあった。「軍国の母」と讃えられたとて母親の気持は癒されない。靖国神社にはたくさんの「花嫁人形」が供えられてある。あの息子にせめて人形でもいい、花嫁だけは抱かしてあげたいという母親の切ないまでの真情が伝わってくる。何回見ても滂沱と涙する。この花嫁人形を見れば平和の尊さが身に沁みる筈だ。

 国事行為たる戦争の犠牲者を祀る靖国神社に詣でる事をしない政治家に、国政に参加する資格はない。