CONTENTS

エッセイ

本田桂子(マッキンゼー・アンド・カンパニー プリンシパル)だれが企業価値を高めるか
相場英雄 小説を凌駕する「現実」
伊藤雅俊(セブン&アイ・ホールディングス名誉会長)『人間としてどうあるべきか、を問われ続けた』
水永政志 会社をつくって公開する そのために必要なこと
経沢香保子 いま、女性たちが強く求めているのは「現代版 女性ロールモデル」なのです
石田高聖 株トレードの実践力を、実例問題を解きながら身につけるワークブック
朝日心月 デジタル時代のアナログ“お礼状”のすすめ
大原敬子 「一豊の妻」千代から学ぶ幸せをつかむ法則
門田安弘 著者が語る『トヨタ プロダクションシステム』

連 載

川勝平太 球域の文明史(32)所変われば、品変わる
田中秀征 判断力と決断力(6)イラク戦争に見る「ヒラメキ」の限界
池内ひろ美 ガンバレ!男たち(26)子どもをたくさん作る男はカッコいい
松井宏夫 ビジネスマンのための健康ラボ【花粉症とポリフェノール】(7)
西村ヤスロウ 美人のもと(7)
安土 敏 連載小説(23)小説「後継者」
佐和隆光 ハードヘッド&ソフトハート(51)「豊かさ」より「幸せ」を目指す社会へ
武田双雲 瞬間の贅沢(13)
編集後記

◎――――巻頭エッセイ

だれが企業価値を高めるか

本田 桂子

Keiko Honda
マッキンゼー・アンド・カンパニー プリンシパル。

“企業価値”--五〜六年前まで耳慣れないと言われたこの言葉が、今やお茶の間の用語とも言えるほど、多くの人が聞く言葉となった。
 しかし、「企業価値とは何か?」という問いに明確に答えられるビジネスマンは少ないのではないか。“Value”という英語を“価値”と訳した結果、価値という日本語の語感から多くの方が定性的なものを思い浮かべるようだ。だが、企業価値は定量化できる。企業価値とは、ある企業が事業を行うことによって、将来どれだけ儲けられるか(これをキャッシュフローという)を現在の価値に直して足し合わせたものである。したがって、将来の業績を予想できれば、それを基に企業価値は算定可能である。
 重要なことは、どのような経営をするかによって企業価値が変わってくる、ということだ。今日、企業価値が広く注視されるようになった背景には、経営いかんで企業価値を創造できるという可能性をとらえ、行動を起こした二つのグループの台頭がある。
 一つ目のグループは、一九九九年の株式交換解禁を受けて、自社の株主価値を活用し、M&Aによって成長を指向する企業である。これらの企業が、他社に対して必ずしも友好的とは言えないM&Aの提案することを、「失礼だ」などと受けとめる時代はもはや終わった。提案された側でもきちんと“提案に対する検討”がなされるようになっている。
 二つ目のグループは、アクティビスト・ファンドである。アクティビスト・ファンドとは、投資先企業の経営について積極的に提案をしていく投資家である。提案は、増配や自社株の買い戻しといった財務的な内容が多いが、中には戦略的な提案もあり、実際そのようなファンドが台頭してきている。
 こうした動きを懸念し、ポイズンピルといった買収防衛策の検討に余念のない企業が多い。しかし、ポイズンピルを導入しても、経営陣にとっては有事の際に必ずしも有効でなく、かつ必ずしも株主の利益にかなうものではない。
 企業に期待したいのは、現在の経営陣のもとで他のだれが経営するよりも企業価値を最大化することだ。それができれば敵対的なM&Aも恐れるに足りない。資本市場において企業価値に関心が集まっている今こそ、業務改善、事業戦略の見直し、事業ポートフォリオの再構築策を考え、企業価値へのインパクトを検証して、その最大化を目指すべきではないだろうか。

◎――――エッセイ

小説を凌駕する「現実」

相場英雄

Aiba Hideo
作家/経済ジャーナリスト

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 現代社会は、作家泣かせである。特に、経済ネタを小説に加工することを生業とし始めた私には、ほとんど拷問のような日々が続いている。
『事実は小説より奇なり』とは使い古された言葉だが、証券取引法違反容疑で堀江貴文元社長らが逮捕されたライブドア事件などは、それぞれにキャラクターが立った人物、複雑怪奇なカネと人のつながりが連日連夜、新聞、テレビ、雑誌を賑わしている。
 最近は、ブログで事件の核心めいた情報を流す人まで現われ、「下手な小説を読むよりよほど面白い」(筆者の妻、談)。

ライブドア事件の波紋
 一連のライブドア問題に際しては、「第二のリクルート事件に発展する公算が大」との声が金融筋や連日連夜取材に駆け回っている友人の記者たちの間から漏れてくる。
『第二のリクルート』たるゆえんは、「粉飾決算や株価操縦もどきの錬金術で得たカネが、政界のみならず反社会的勢力、すなわちウラ社会に流れたのは間違いない」との見方が背景にあるからだ。
 大型疑獄に発展すれば、政権基盤をも揺るがしかねない一大ショックが日本全体を覆うことになろう。ライブドア事件は、それだけのインパクトを十分に持っていると確信している。
 東京地検特捜部と証券取引等監視委員会は、昨年初秋の段階でライブドア問題を立件する腹づもりだったと聞いている。奇しくも、私が拙著『株価操縦(マニピュレーション/Manipulation)』の執筆に取りかかったタイミングと重なる(全くの偶然だが)。
 ライブドアを巡っては、本業のIT(情報技術)の収益が向上しない一方で、買収を通じて吸収した金融業などが業績を支える構図があり、「虚業」との声が早い段階から指摘されてきた。
 また、背後には怪しげなカネの動きがあると、私自身が証券業界を中心としたネタ元から取材していた。
 同社だけでなく、新興企業のいくつかが怪しい増資話に揺れ、あるいは、不可解な企業買収に絡んで、株価が乱高下した結果、巨額のマネーが株式市場を経由して多方面に流れた。ライブドア問題は氷山の一角にすぎないのだ。
 折しも、企業業績とマクロ景気が本格的に回復し、ネット証券を通じた個人投資家の株式投資が一種のブームとなっていた時期である。様々な意図を持った輩が、株価を歪め、そして操縦することで、不当な利益を上げるのは許しがたい。
 極めて単純な発想だが、この思いが私を『株価操縦』の執筆に駆り立てた原動力だった。「昨今の株式投資ブームは、『貯蓄から投資へ』というフェーズを超えて、『貯蓄から投機へ』という段階に一足飛びに跳ねた。ライブドアショックを契機に、真っ当な投資へと個人が回帰することを願う」との声があるのも事実だ。
 だが、ライブドアをはじめ、いくつかの新興企業の経営戦略を信じた結果、大きな損失を被った投資家も少なくないはずだ。おこがましいかもしれないが、拙著『株価操縦』を通じ、どのような悪辣な行為が行われてきたかの実態を垣間見てもらいたい、これが作者としての切なる願いだ。

広がるマネー犯罪の闇
 逮捕された堀江容疑者を筆頭に、最近株式市場を賑わしている人物たちは、アクの強い、いわゆる「キャラが立った」人たちが多い。「カネが全て」の堀江容疑者はもとより、企業再生や株主への利益還元を強く求める複数の投資ファンドの主宰者たちは、舌鋒鋭く、メディア対応にも長けている。小説を凌駕する実在のキャラクターを超えるため、執筆開始当初は「キャラ立て」の作業に苦しみ、のたうち回った。
 今年一月末、ようやくストーリーが完成した。拙著は、いわゆる暴露本の体裁を取っていない。また、デビュー作『デフォルト(債務不履行)』と同様に、先輩作家の皆さんが確立された「経済小説」のスタイルも踏襲しておらず、エンターテイメント色が強い創りとなっている。が、取り扱ったエピソードの大半は、実際に起きた事件・事案を筆者が独自の解釈を交えて加工を施した。つたない文章から、「何が起こっていたのか」を想像していただけたらと思う。
 また専門用語の乱立や、数値情報の羅列を避ける意味合いから、「プロレス」という経済とは全く畑の違う要素も盛り込んだ(ある経済事件に絡んだプロレスネタではあるが)。経済ネタ満載のエンターテイメント小説として拙著をとらえていただけたら幸いである。
 拙著では、「株価操縦」というタイトルを掲げ、詳細にその手口を紹介した。が、結末は新たなマネー犯罪の萌芽に触れた。現実が小説に追いついてきたとしたら悲劇だが、現実はかぎりなく拙著の結末に近づいている。そう筆者自身は確信している。

『株価操縦』

株価操縦

◎――――エッセイ

ドラッカーと私 第2回

『人間としてどうあるべきか、を
問われ続けた』

伊藤雅俊

Ito Masatoshi
セブン&アイ・ホールディングス名誉会長

 ドラッカー先生と初めてお会いしたのは、一九七二年、米国ペブルビーチで開催されたマネジメント研修会の会場だった。当時、イトーヨーカ堂は東証二部に上場したばかりで、翌七三年には一部上場、米国サウスランド社のセブン‐イレブンとライセンス契約を結び、レストランチェーンのデニーズジャパンを設立する頃だった。
 私は、もうじき五〇歳になるというときで、すでにドラッカー先生と親交を結ばれていた経済界の諸先輩方に比べれば、海のものとも山のものとも分からない若造に映っていたことだろう。
 にもかかわらず、ドラッカー先生は初対面のときからとても優しく接してくださり、すぐに家族ぐるみの親しいお付き合いが始まった。お互いの自宅に招いたり、招かれたり、ドラッカー先生ご夫妻を日本でご案内したりと親交を深めていった。たまたまご自宅を訪ねた際に、私に孫ができたことをお話しすると、「これをどうぞ」と古ぼけた乳母車を差し出してくれた。ご自身のお子さんのときに使っていたもののようで、まさに年代モノであったが、先生らしい飾らないお心遣いであったと思う。
 クレアモントにある先生のご自宅はごく質素な造りで、お訪ねすると先生自ら玄関に現れる。会社の規模や社会的な地位には関係なく誰に対しても気さくで、気取ったところなど微塵もなかったが、逆に、高圧的な人や、地位が上がるととたんに偉そうにする人はあまり信用されていないようだと、後年になって分かった。
 ドラッカー先生は、日本文化に造詣が深く、特に京都がお好きで、日本画、特に墨絵がお気に入りだった。お会いするときは、いつも二時間くらいの時間をとってくださって、世界の歴史や社会の変化などをていねいにお話ししてくださった。高齢化社会、少子化、年金問題など、常に問題の核心をずばり指摘される。
 私たちがコンビニに進出した直後には「それは日本の小売業にとってはすばらしいチャレンジだ。でも苦労するよ」とおっしゃった。九〇年代の半ばにIT革命が起こったときには「ITはいずれ問題を起こすよ」と指摘された。いずれもその通りになった。
 先生と過ごした時間を振り返ると、総じて「経営者としてよりも、人間としてどうあるべきか」を常に問われていたような気がする。先生の言葉が頭に残っていたからこそ、バブルのときも判断を過たなかったのだと、今にして思う。
 ドラッカー先生はいつでも歴史的な視点で物事をとらえ、世界を鳥瞰的に見ていた。そして何よりも、人間中心に物事を見ることによる問題意識の確かさがあった。あのような人はもう二度と現れないだろうと思う気持ちと、今のような時代にこそ、経済にかかわるすべての人がドラッカー先生の思想を心に留めて欲しいという気持ちが複雑に交差している。

◎――――エッセイ

会社をつくって公開する
そのために必要なこと


入門ベンチャーファイナンス

水永政志著
●2520円(税5%)●4-478-47081-2
●A5版・上製・320ページ

水永政志

Mizunaga Masashi
スター・マイカ株式会社代表取締役社長
一九六四年生まれ。東京大学卒業後、三井物産に入社、UCLA経営大学院で経営学修士(MBA)修得。その後、ボストン・コンサルティング・グループで経営コンサルティング、ゴールドマン・サックス証券でプライベートバンク業務を担当、先端金融商品の開発や資産運用に携わる。ゴールドマン・サックス証券退社後二〇〇〇年にピーアイテクノロジー(後のアセット・マネジャーズ)を設立。二〇〇二年に不動産投資を主要業務とするスター・マイカを設立し、現在に至る。学習院大学経済学部講師(ファイナンス論)を兼務。

 よくも悪くも「ヒルズ族」などという言葉が喧伝されることによって、若者にとって、ベンチャーや起業がずいぶん身近なものになってきているようだ。
 私が教えている大学の学生たちも、ビジネスの仕組みや会社設立のルール、金融機関との付きあい方などについて、興味津々、かなり突っ込んだ質問をしてくる。彼らにとって、すでにベンチャー起業は就職と並ぶほどの、将来の選択肢となっているのだ。
 これは、私が学生の頃には考えられなかったことだ。

バブル時代の学生ベンチャー

 私のベンチャー起業初体験はさかのぼること二〇年前の話になる。ITバブルの真っ盛り、当時大学生だった私はある日、新聞の求人広告でコンピューターのプログラマーを募集しているのを発見した。そのソフトハウスに電話をして友人と二人で面接に行くと、その場で、いきなり「君たちは使えそうだね。早速明日から背広着て出社してね」と言われた。
 翌日出社すると、「ところで君たちシステム設計したことある?」と聞かれ、さらに驚いた。もちろん経験などあるわけがなかったが、ソフトハウスは「じゃあ、プロを一人つけるから三人でXX銀行に行ってくれ」という。
 というわけで、仕事としてはプログラムを一度も書いたことがないまま、XX銀行の大きなシステムの一部である貿易管理システムの設計を、プロのSEと三人で三カ月のプロジェクトとして請け負うことになった。
 約束の報酬は一人三カ月三〇万円。「こんなにもらえるのか!」と内心思いながら、私たちは顔を見合わせて、「では三カ月で一〇〇万円にしていただければすぐにお引き受けします」と交渉をしてみた。するとソフトハウスがすぐさま了解したので、私たちは、一〇〇万円は嬉しいが、きっとソフトハウスはもっとたくさん利益が上がるから簡単に了承したのだろうと考えた。
 ソフトハウス業界が下請けでいかに大儲けしているのかを知ってしまった私たちは、次のプロジェクトからはもっと大きく請求しようと考えをめぐらせた。そこで、二人で会社を作って、会社が下請けとしてソフトハウスと契約しようと考え、さっそく最初のバイト代を資本金にして、二人で資本金一〇〇万円(当時最低資本金は一〇〇万円)の有限会社を設立した。
 私たちは自分たちでプログラムの下請けをする一方で、大学生たちをアルバイトに雇いながら「事業」を拡大していった。ピーク時は二〇人くらいの学生がマンションの一室に集まってわいわい仕事をしていた。
 しかし、楽しいことばかりではなかった。コンピューターソフトの仕事には、期日がある。大きなシステムを細かいモジュールに分けてプログラミングしていくので、その一部が期日に間に合わなければ全体のシステムに大きな影響が出る。場合によっては下請けの会社は報酬をもらい損ねたり、ペナルティを払う羽目になる。
 学生アルバイトの問題点は、どうしてもできないとなったときに放り出して消えてしまうということだった。「すみません。どうしてもできませんでした」という置き手紙を残してスキーに行ってしまったアルバイト学生の代わりに、私たちが徹夜でシステムを完成させるというようなことが何度か起きるうちに、学生ベンチャーの限界を感じ、プロの社員をキチンと雇う方向に転換した。
 私にとって初めてのベンチャー起業は、紆余曲折を経て、最後には会社を売却し大企業に就職して幕を閉じた。

気合と根性だけでは経営できない

 この私の初めてのベンチャー体験から学んだ教訓がいくつかある。
 第一に、財務も経理も知らないで効率的な経営ができないということ。つまり、それぞれのプロジェクトは利益が出ているはずなのに、いつも月末になると「あれ、お金が足りないんだよなあ。儲かっているのにおかしいなあ」ということがよく起った。通帳のお金と会計上の利益とはまったく連動しない。このことは、あとあとになってキャッシュフローステートメントを勉強したときに初めて「意味」がわかった。
 第二に、資金調達をキチンと知らないと会社が十分に成長しないこと。つまり、お金が足りなくなったとき、どのような資金調達方法があるのか知らなかったので、取引先に支払いのサイトを早めてもらうくらいしか思いつかず、結局、資金の範囲内でしか成長ができなかったのだ。
 第三に、資本政策を知らないと経営権の維持または売却が効率的に行えないこと。これは、この事業を売却するときに痛いほどよくわかった。
 その後、商社に勤め、海外でビジネススクールに学び、日本へ戻ってきてから外資系コンサルティング会社を経て、外資系投資銀行でプライベートバンクの仕事に携わった。そのとき、上場企業のオーナーをはじめ、優れた創業経営者の方々から、起業家としての情熱、事業に対する考え方、そしてファイナンス理論について直接話を聞くたくさんの機会に恵まれた。
 当時得た知識や経験が、その後ふたたびベンチャーを起業する際に大いに役立ち、学生時代のやり方とはまったく違うものになった。
 ベンチャーを起業し、きちんと経営していくためには、それ相応に勉強して知識とノウハウを学んでおかなくてはならない。気合と根性だけでは、成功はおぼつかない。私が自らの経験から学んだことを、これから会社をつくってみようと考えている方々に伝え、新たな価値を創造する志のある経営者が一人でも多く生まれるきっかけとなれば、これに勝る幸せはない。

◎――――連載

球域の文明史 第32回

所変われば、品変わる

川勝平太

Kawakatsu Heita
1948年生まれ。早稲田大学大学院経済学研究科修了。英国オックスフォード大学大学院博士課程修了後、早稲田大学政治経済学部教授を経て、国際日本文化研究センター教授。著書に『経済学入門シリーズ 経済史入門』『日本文明と近代西洋』『文明の海へ』『文明の海洋史観』など

 本稿では、唯物史観や生態史観とは異なる、格物史観に触れてみたい。格物史観を立てた一つの理由は、唯物史観も生態史観もいかにもマクロ的な歴史観のように見えながら、その実、とうていグローバルとはいえず、ミクロ的には不思議なことに日本をその対象から外しているからである。
 唯物史観の妥当する地域は、その創始者であるマルクスが「西ヨーロッパに限定される」(ヴェラ・ザスーリッチへの手紙)と明言した。生態史観の妥当する地域は、ユーラシア大陸に限られている。しかも、乾燥地帯の遊牧民の影響を受けた地域に限定され、西ヨーロッパを除外し、日本を含んでいないのである。唯物史観も生態史観も、日本もアメリカ大陸も射程に入っていない。グローカル(地球地域的)な観点から近代西洋文明や日本文明を論じるには、両者の歴史観は狭すぎる。
「格物」とは、物に格り、物を格すことである。その作業をとおして人を知り、地域を知り、世界の変遷を見るのが格物史観である。それは物・人・環境の望ましい調和を考え実現するためのものである。その立脚点は日常の経験的事実である。この点を、すこし説明したい。
 前回は、東大アカデミズムの唯物史観、京都学派の生態史観の違いについて、土地柄の違いから説明してみた。場所が変わると、学問の雰囲気がまるで違う。ケンブリッジ学派、シカゴ学派といわれるものも、そのたぐいであろう。
 一九八〇年代のイギリスのサッチャー時代に、シカゴ学派経済学の旗手でマネタリストのミルトン・フリードマンが訪英し、イギリスの経済学者のインタビューに応じた。最初は穏やかなやりとりであったが、政府規制を極端に嫌うフリードマンの経済的自由主義の原理を聞いていたインタビュアーが「あなたの経済学はAレベルにも達しない」と酷評した。Aレベルとは大学受験の資格で、高校卒業程度という意味である。フリードマンも負けておらず「イギリスのAレベルの経済学が誤っているのだ」と応じていた。
 イギリスは「自由」という価値を何よりも大切にする国柄であり、ケンブリッジには自由闊達な雰囲気がみなぎっている。それでも、厚生経済学のピグーや政府による失業救済の方策を説いたケインズは出ても、シカゴ学派のような筋金入りの経済的自由主義は育たなかった。シカゴは商品取引のメッカであり、各国通貨の先物市場のある金融の中心でもある。あえていえば、一九世紀からの歴史しかない新興の大都市シカゴの風土が「規制を嫌う自由」を生んだとすれば、一三世紀からの伝統をもつケンブリッジの風土は「規律と両立する自由」を育てたのである。

格物史観の立脚点、「所が変われば品が変わる」

「所ところ変われば、品変わる」という諺がある。誰しも、旅をすれば、そのとおりだと実感するだろう。古くから知られた経験的事実である。どこで生まれたか、どこで育ったか、どこで学んだか、どこで働いたかなどを自問すれば、「どこ」のもつ意味がいかに重要で、「所」のもつ影響がいかに大きいかは、各自の経験に照らして納得されるに違いない。山を越えれば別天地であり、海を渡れば別世界である。たとえ隣町への引越でも、居所を変えればそれまでとは勝手の違う世間との付き合いになる。「所が変われば品が変わる」という経験的事実は、格物史観の一つの立脚点である。
 もう一つの立脚点がある。というのは、「品が変わる」のは「所が変わる」ときにのみ見られるものではないからである。同じ所でも、時が経つと前にあった品が次第に使われなくなり、別の品に変わる。古い物がそのまま残ることはめったにない。古い物は時が経つにつれて稀少になり、世の中から消えるか骨董品として貴重品あつかいされるようになる。それゆえ、「時移れば、品移る」というのも世の中のもう一つの事実である。この経験的事実もまた格物史観の立脚点である。
 ここでいう「品」とは、物品ないし物産のことに限定しておきたい。もっとも、使う品が変わると、人の品も変わる。箸で食事をする国民とナイフ・フォークで食事をする国民では人のマナーがおのずと異なるように、使う品が異なると人の品も違うのである。また、人の品ができあがっていくと使う品が定まってくる。人が物を使う限り、人品と物品とは切っても切れない関係にあるということである。
 つまり物を見れば人が分かるので両方を見る必要はない、と言うこともできるのである。たとえば、犯行現場に残された物的証拠から犯罪者を割り出すのは、テレビでサスペンスを見慣れた人には常識に属するだろう。たった一つの物から、人物を特定することができる。人と物との関係は相即不離であるが、それについて七面倒くさい理屈はいわず、諺にある「品」とは、人の品ではなく、物の品と解釈するということにしておきたい。
 実は、物の品に焦点を当てるのは人を知るためである。物を見ることによってこそ人が分かるからである。といえば、人を優先しないで物を優先する物神崇拝のたぐいだと批判する人がいるかもしれない。その批判には、こう答えておこう。物は正直で裏切らないが、人はそうとは限らない。物については、客観的、自然科学的な正確さで分析できる。だが、人についてはそうはいかない。ある人間が自分をどう思っているかという主観的判断と、その人がどういう人物であるかについて、親・兄弟姉妹・妻・子供などの判断、恋人・友人・ライバル・敵対者の判断、また第三者の客観的判断はそれぞれ異なるのが常である。人が人について言うこと、書いたことには当てにならない面がある。それはたとえば『藪の中』を読んだ(あるいは映画『羅生門』を見た)人なら納得するだろう。
 人は正直でなければならない。これは規範である。だが、ウソも方便であり、正直は往々にして破られる。だが、学問する人はどこまでも正直でなければならない。そのために、正直な物を相手にするということである。
「所」については、村のような小さい空間にとろうが、大きい都市にとろうが、あるいは日本といった国全体にとろうが、さらに国より大きい地域をとろうが、「所変われば、品変わる」も「時移れば、品移る」ということも事実である。世の中のものはすべて無常であることに変わりはない。
 ところで、「所」とか「品」という言葉は、大和言葉としてなかなか味わいがある。特に「品」という言葉には、「しな」と訓読しようが「ひん」と音読しようが、一〇〇〇年以上の風説に耐えてきただけに、滋味がある。だが、残念なことに、「所」も「品」も社会科学の世界ではあまり使われない。そこで便宜上(学界との浅からぬ付き合いもあるので)、別の言葉に置き換える必要がある。
「所」というのは、人がおり、物があり、事が起こり、事を行なう場のことであるが、社会科学の用語では「土地」と言い換えるのが一番適切であろう。他の科学用語では「場」「時空間」「地域」「圏」などにも置き換えうる。
「品」というのは「物産」に置き換えたい。この点については、少し説明がいるだろう。「品」は英語ではプロダクト(products)である。ただ、プロダクトという言葉が舶来した経済学の英語文献に出てきたとき、日本の社会科学者はそれを「品」とは訳さなかった。いろいろな訳があるが、最終的に「生産物」という訳語が定着した。
 生産物とは人間の手のかかった物のことである。生産物は自家消費される場合と販売に出される場合とがある。販売される生産物は「商品」といわれる。こうして生産物は自家消費用と商品用に分かれるのだが、たとえば宇野弘蔵氏がそうであったように、経済学者のなかには自家消費用の生産物だけを「生産物」といい、売買される生産物を「商品」と言って、両者を厳密に区別する人がいる。
 そこで、もともとは両者をあわせた「品」、すなわちプロダクトにふさわしい言葉を改めて探さねばならない。「物品」や「物産」が候補になる。「物品」は「人品」と対語であり、両者の関係を論じやすいため使いたいと思うのだが、自家消費用というよりも売買用のニュアンスが強く、実際、「物品税」のように商品化された物をさして使う傾向が強い。一方、「物産」は「ある土地の物産」として売買とは無関係に使われる場合もあり、総合商社の三井物産などは世界の物産を商品として売買している。つまり「物産」は「生産物」と「商品」の両方を含む言葉である。そこで「品」は「物産」と言い換えることにする。
「所変われば品変わる」とは、「どの土地にも、その土地特有の物産がある」ということである。そして「時移れば、品移る」とは、「どの土地でも、土地の物産は歴史の流れのなかで変化する」ということである。
 といえば、土地はあたかも変わらないかのような印象を与えたかもしれない。もとより、土地も同じままではない。台風、津波、噴火などの天変地異で急激に土地の様相が変わることもあれば、気候の変化で間氷期、氷期のような変容をこうむる。土地そのものの歴史は、地質学だけでなく、最近では環境考古学の発達によって、かなり詳しく知られるようになっている。ただ、土地そのものの変化の時間スケールは天変地異をのぞけば超長期にわたって変わる性質のものであり、人間の営為からはかなりの程度独立している面があるので、ひとまずここでは所与としよう。
 ここでは土地で営まれる人間の営為に着目するのであるが、人間そのものではなく、同じ土地ながら人間の営みがあるところには「品」すなわち「物」があることに着目し、その移り変わりに着目するのである。
「品変わる」「品移る」という表現にあるように、「品(物産)」は同じ「所(土地)」のうえを流れる川のようなものである。一見、同じ水が同じように流れているように見えながら、元のままではない。「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまるためしなし。世の中にある人と栖と、又かくのごとし」と『方丈記』にあるが、文中の「人と栖」とは「暮らし」と言い換えられる。人が変わり、人の暮らしが変わり、暮らしに必要な物が変わる。無常がこの世のならいである。物の流れは絶えずして、しかも元の物にあらず。
 人の使う物の変容に、その土地の歴史を見て取ることができるのである。

物産複合の変容で歴史を見る

「品」を「物産」と言い換えたが、品については「一揃えの品」というように、品はまとまりをもっている。そのような物産のまとまりを表現したのが「物産複合」という概念である。ある時代の暮らしに必要な一揃えの品が、別の時代の暮らしには合わなくなり、それとは異なる一揃えの品となる。物産複合が変わるのである。物産複合の変容で歴史を見るのが、格物史観である。

◎――――エッセイ

いま、女性たちが強く求めているのは
「現代版 女性ロールモデル」なのです

経沢香保子

tsunezawa kahoko
トレンダーズ株式会社 女性起業塾 代表取締役社長。1973年千葉県生まれ。2000年26歳でトレンダーズ株式会社を設立。流行を生み出す年齢層である20〜34歳のF1女性を2500人ネットワーク化し、マーケティングを行う。2001年に始めた女性起業塾の卒業生はすでに800名を数える。2005年には日本初の女性限定SNS「Only 1.be」を立ちあげる。著者に、『自分の会社をつくるということ』(小社刊)などがある。

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他人の選ばない人生を選ぶ
勇気ある女性たち

 いま、女性の生き方、働き方の選択肢が増えてきています。そんな中で、私が多くの女性にこうなってもらえたらいいなと願っているのは「自分が信じた道を突き進む」生き方、働き方をすること。
 確かに他人の選ぶ道は楽だし、他人が共感してくれたほうが、安心して歩むことができます。
 でも、自分の人生は他の誰でもなく、自分で決めて、創り出していける、全部の権利を自分自身が持っているのです。「自分らしく輝きたい」と思う人は、自ら進む道を決め、目標を決め、結果を得るためにどんな努力をするかも、すべて自分で決めることができるのです。
 私が今回『夢を実現した わたしの仕事・わたしの方法』という本を出版しようと思った理由は、そんな悩みに打ち勝って、自分なりの生き方を追及し、自分なりにキラキラ輝いている女性たちの姿勢や考え方から、私たちは、たくさんのことを学べると思ったからです。
 この本に登場する女性たちは、私が経営する女性マーケティング及び女性のキャリア支援をするトレンダーズ株式会社で、マーケティングリサーチに協力してくれる「トレンドリーダー」というメンバーのなかから、今回、ご協力頂いた50人です。

「トレンドリーダー」という
現代版ロールモデルの女性たち

 いま、女性たちが強く求めているのは「現代版 女性ロールモデル」であると私たちは結論付けています。
 高度経済成長期から右肩成長を続けてきた日本は、いま、新しい経済動向、トレンドに変化しているものの、仕組みは過去のものの上に成り立っています。それは、女性の生き方に関してもいえます。今までとは違った選択肢が増えた分、どうあるべきなのか、女性としての幸せ、キャリアウーマンとしての幸せ、妻としての幸せ、母としての幸せ、また、それらをどう調合していくのか?
 いろいろと選べてワクワクする分、迷ってしまうのも事実・自分にはどのような生き方が幸せなのか、自分にとって見本となる女性、いわゆる「ロールモデル」を求めているのだと思います。

運などではなく
努力して進んできた人だけが
手に入れることのできる仕事とは?

 好きなことを仕事にしたい、憧れの花形職業に就きたい――こう願う人はとても多いと思います。本書には、その願いを叶えることのできた女性も、たくさん掲載されています。
 たとえば、レポーターや芸能人などといった職業は、想像しえないほど遠い世界だと感じている方も多いかと思います。そういった仕事を手に入れた女性たちのことを「彼女たちは運がいいだけだ」とか、「キレイだから、望みを叶えることができただけなんだ」というように思われがちなのではないでしょうか。ですが、私はたくさんの女性に接してきて、決してそうではないということがわかりました。
 なぜなら、それぞれ、職業は違えど、好きなことを仕事にしたり、憧れの仕事に就くことができたりした女性たちには、そうなれた理由、それから、そうなるためのコツやノウハウになりうるものがあったのです。それも、万人に共通する、読者のみなさんも参考にできうるような。
 本書に載っている、女性たちの共通項のひとつは、「自分は人に恵まれている」と考えていること。そして「周りにいつも感謝している」こと。とても人を大事にしているんですね。
 そうして、その感謝の気持ちが広がって、また自分自身へと、何らかのかたちで返ってくる。無意識にも、好循環を生み出しているんですね。

女性リーダーを目指すあなたへ

「自分らしく生きること」は、とても楽しいものです。でも、同時に、すべて自分で決めて生きていくということでもあります。なので、時には孤独に感じることもあるかもしれません。また、時には結果が出るかわからない道なき道を自分を信じて突き進んでいかなくてはいけないかもしれません。
 でも、自分で自分のチャンスを掴みながら、生きて行く行き方は、この上なく気持ちのいい、潔い、生き方だと思います。そして、強くなった自分を誇らしく思ったり、強くなった分周囲の人にやさしくでき、人生がよりすばらしいものになるでしょう。
 たくさんの女性たちが先輩たちの姿に励まされ、後続し、新しい日本の未来が開けていくのだと思います。この本が少しでもそんなきっかけになればうれしいと思います。
 今後、未来の女性リーダーたちが、この社会において、あらゆるかたちで活躍すること。そして、多くの女性たちが、本当に望んでいる働き方、生き方を実現していくことをこころから応援しています。今後も私たちトレンダーズは、「女性」と「働く」が本当の意味でHAPPYな世の中を実現していくべく、私たちも頑張って楽しんでエキサイティングな日々を送って生きたいと思っています。

『夢を実現した わたしの仕事 わたしの方法』経沢香保子[監修]トレンダーズ株式会社[編]は弊社より好評発売中です。

◎――――連載

判断力と決断力 第6回

イラク戦争に見る「ヒラメキ」の限界

田中秀征

Tanaka Shusei
1940年生まれ。東京大学文学部、北海道大学法学部卒業。93年、新党さきがけを結成、代表代行。首相特別補佐、経済企画庁長官等を歴任。現在、福山大学教授。著書に『日本リベラルと石橋湛山』など多数ある。

政治家にとって不可欠な“判断力”と“決断力”。本連載は、この二つの能力の有無が運命を変えた事例を取り上げ、政治家に必要な資質を探る『判断力と決断力』〈二〇〇六年刊行予定〉の一部を先行してご紹介するものです。各回のつづきは同書に収録されます。

 小泉純一郎首相は、自らその判断の多くが「ヒラメキ」や「直感」によることを認めている。選挙状況や政局を「ヒラメキ」や「直感」によって判断すると言っても、その背景にはあり余る判断材料がある。経験の浅い人たちが直感に頼るのとはわけが違って、膨大にインプットされた資料に基づいて、瞬時の直感によって対応策を判断できる。
 しかし、政策判断はそれとは異質なものである。「ヒラメキ」や「直感」に頼るとすれば、全知全能であることを必要とする。多少の知識や経験があると言っても、重要な案件の判断材料としては十分なものではない。
 小泉首相が郵政改革という単一の政策目標に関心を集中していれば、当然、他の分野、他の政策課題が手薄になる。手薄になるということは、その分官僚の判断や決断の度合いが深まるということだ。実際、その弊害は“外交”の分野に集中的に現れた。
 小泉首相の政策決定過程を見ていると、「判断は官僚、決断は政治家」という伝統的な自民党の政策決定方式の域を出ていないように思われる。郵政改革や靖国参拝などいくつかの問題では自らの判断と決断で対応しているとしても、他の問題では総じて政策判断を官僚に依存し、決断のみを自分が分担しているように見える。官僚がこだわる省益含みの判断については、その決断さえ動かされているという印象を受ける。
 官僚の本来の仕事は、政治家に判断材料を示すこと。その問題に関する事実関係、さまざまな情報を提供し、提案、意見があれば、それらも参考資料として示すこと。いかに官僚の不利益になるものでも、包み隠さず首相に示して的確な判断に資することだ。かつて日本の官僚は現在よりもその本務をわきまえていた。しかし最近は、まず省益を優先した政策判断を、あたかもそれ以外に選択肢がないように示すことが多くなっている。それは待ったなしの緊急事態において、判断ばかりか実質的に決断の権限をも握ることになる。

外務省の情報操作

 二〇〇三年三月のイラク戦争に際して、小泉首相はいち早くアメリカの“支持”を表明した。当時の報道を検証しても、この“支持”の判断と決断は、外務当局によって巧妙に誘導されたものと思われる。
 三月二〇日に開戦された後、同月二九日の毎日新聞にこのような検証記事があった。
「二月一八日午後八時。小泉純一郎首相は、フランスのシラク大統領から電話を受けた。一七日の欧州連合(EU)首脳会議の内容を説明する大統領。話題はイラク攻撃をめぐる国連安保理の動向に移った。
 米英が新決議を断念して攻撃するのか、決議採択で安保理が結束できるのか。国際協調と日米同盟の両立こそ国益と信じた首相は『米と仏の問題ではない。イラクと国際社会の問題だ』と説き、歩み寄りを必死に求めた。だが、大統領は『フランスにはフランスの国益がある。査察強化・継続による武装解除が必要だ』と耳を貸さなかった。
 電話を切った首相の口調が一変した。『シラクの態度はとても硬い。話が違う。外務省はまだ変わることがあり得ると言っていたじゃないか』。外務省の西田恒夫総合外交政策局長や安藤裕康中東アフリカ局長らに声を荒げる首相。首相は読み違いを悟り、日本と仏の距離を肌で感じた。」
 この報道でわかることがいくつかある。
 (1)外務省は、首相に対して、フランスなどが最後には折れて、アメリカに同調すると吹き込んでいたこと。
 (2)首相は、その判断を信じて、外務省が誘導する流れを容認してきたこと。
 (3)首相は、フランスを含めた国際協調路線を貫きたかったし、そうなると信じていたこと。
 しかし、「話が違う」と首相が激怒したときにはもう遅かった。アメリカはその後、国連決議を経ずしてイラク攻撃に踏み切るという首相の想定外の方向に突っ走ったのである。
 外務省が本当にフランスの動向を見誤ったのかどうかは不明である。しかし、もしもフランスの対応について本当にそう認識していたとしたら、外交当局の判断力の水準の低さは論外である。
 また、本心ではフランスが最後までアメリカに同調しないと見通していたとしたら、その逆の認識を示すことによって、外務省は最初から“国連決議なしのイラク攻撃”を容認し、首相をだましてその方向に誘導したことになる。国や国民の意思より、外務省の意思を優先して、首相や国民を情報操作していたことになる。
 どちらにしても、この時点での外務省の動きは徹底検証する必要があろう。

なぜ「判断」と「決断」ができなかったのか

 既に開戦当時のイラクに大量破壊兵器が存在しなかったことが確認され、アメリカもそれを認めるに至っている。そればかりか、アメリカの世論もまたイラク戦争の開戦が間違いであったと悔やんでいる。残ったのは、破壊されたイラク、より不安定化した中東、拡大を続けるテロ、そして超大国アメリカの著しい威信の低下であった。
 ブッシュ大統領のイラク戦争の開戦は“歴史的間違い”であり、それを支持した日本の決断も“歴史的間違い”であった。
 一体、小泉首相の判断と決断のどこに問題があったのか。
 それは、「判断材料が限定されていたこと」と「外交原則があいまいであったこと」の二つに帰せられる。
 小泉首相は、北朝鮮問題については妥当な判断と決断をしていると言ってよい。それは判断材料が豊富だからである。北朝鮮問題では外務省情報だけでなく、さまざまな情報が別のルートから寄せられる。拉致議連、拉致被害者家族の会などから強固な意見も出る。だから外務省情報は、首相の判断材料のごく一部を占めるに過ぎない。これらを総合して首相は判断し決断することができる。首相が弱腰だと責め、経済制裁を発動すべしとする強硬意見も、むしろ首相の外交交渉力を強化することに寄与してもいる。
 だが、イラク問題では、情報はきわめて限定的だ。首相の判断材料は、ほとんどアメリカ経由の外務省情報に限られていた。その外務省が、当初から「国連決議なしのイラク攻撃も支持」の姿勢でいたとしたら、その方向に沿う情報がより多く首相に示されたことだろう。それでは正しい判断と決断がなされるわけがない。一方的な外務省情報によって、小泉首相の判断が形成され、決断がもたらされたからである。いかに「ヒラメキ」や「直感」に優れていても、判断材料が乏しかったり、一方的であれば、判断の正確さを期すことはできない。

揺るぎない外交原則を持て

 さらに致命的だったのは、小泉首相が、あの修羅場のような開戦の局面に対応するにして、強固な外交原則を持っていなかったこと。そのことが“歴史的間違い”を招来したとも言えるだろう。
 首相の外交に関する大原則は、「国際協調と日米同盟の両立」であった。しかし、この原則は、二つが両立しがたい局面では判断基準とはならないという基本的な欠陥がある。原則に見えて、実は原則ではないのである。むしろ、国民向けの耳障りのよいスローガンに過ぎない。
 イラク戦争“支持”の決断は、実質的に外務省によってなされたと言ってよい。「何が何でも日米同盟」という外務省が、「できれば国際協調と日米同盟の両立」という小泉首相を押し切ったのである。それは両者の思い入れの強さの勝負だったように見える。
 国際協調と日米同盟は本来対立するものではない。同盟の正当性は、国連憲章五一条の「集団的自衛権」の条項に依拠している。国連による平和と安全を補完する役割を期待されているのが、個別的自衛権であり、集団的自衛権である。すなわち、国連という警察が駆けつける前、あるいはその機能の不十分さを補うために認められているのである。したがって、国連決議を経ないで“単独行動”“先制攻撃”によって武力行使に踏み切ったアメリカに対して、アナン事務総長が国際法違反、国連憲章違反と非難したのは当然だ。
 国際協調か日米同盟かの二者択一は、日本の立場から見れば、国連の意思とアメリカの意思とが異なる場合、そのどちらを選ぶかということだ。その大原則を小泉首相、また日本政府は明確にしてこなかった。
「国際協調と日米同盟の両立」という原則は、一見妥当なように思われるが、両者が両立しがたくなったときには無意味である。その原則が通用するのは、緊急事態においても日本がそのどちらかを説得できる力を保有していることが絶対的な条件だ。その説得の一環が前述のシラク大統領との電話会談だろう。自らの力によって、一方を説き伏せるか、両者を妥協させることができなければ、「国際協調と日米同盟の両立」という原則は、究極的な局面では判断と決断の基準とはなり得ないのである。小泉首相は、ブッシュ大統領との会談で再三にわたって“国際協調”の必要性を訴えているが、日本の賛否を賭けた強い説得ではなかった。
 確かに小泉首相は、前年からの発言を辿ると、「できれば国際協調」と考えていた。しかし、この姿勢の弱さは、「何が何でも日米同盟」と考えているような外務省にかなうわけがない。“米国支持”以外に「選択肢はない」という外務省のOBまで巻き込んだ大合唱によって、「国際協調と日米同盟」という甘い原則はもろくも吹き飛んでしまったのである。

◎――――連載

ガンバレ!男たち 第26回

子どもをたくさん作る男はカッコいい

池内ひろ美

Ikeuchi Hiromi
1961年岡山県生まれ。一女を連れて離婚後、96年にみずからの体験をベースに『リストラ離婚』を著し話題となる。97年、夫婦・家族問題を考える「東京家族ラボ」を設立、主宰する。hiromi@ikeuchi.com
ブログ「池内ひろ美の考察の日々」
http://ikeuchihiromi.cocolog-nifty.com/
サイト「東京家族ラボ」 http://www.ikeuchi.com/

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 厚生労働省が昨年末に発表した、平成一七年人口動態統計の年間推計によれば、出生数は一一〇万人を下回り過去最低。死亡数は増加し、明治三二年以来初めて自然増加数がマイナスになった。婚姻率、離婚率も減少している。同じく、厚生労働省が実施した第四回二一世紀出生児縦断調査によれば、子育てに負担や悩みがあるとする親は約八八%。最多の理由は、自分の自由な時間が持てない五七%。また、子どもを育てて良かったとする親は九九%。

「母親がうるさいんですよ。男の子が欲しいから子どもをもう一人作れって言うんです。うちは娘二人で楽しく暮らしていますし、ずっと共働きで子育てをしていたのですが、下の子がこの春で小学校で少し手が離れるので、妻も仕事を増やしたいと張り切っています。三人目の子どもは正直言って負担です。そもそも、妻も今年で四〇歳ですし」
 そう語る彼は、四〇代前半のサラリーマン。若いころはさぞ美少年だっただろうと思わせる色白で整った顔立ち。さらに一流国立大卒一流企業勤務、この若さで部長というエリートである。母親が溺愛して育てた割には、自分の母親を客観視することもできる精神的にも成熟したナイス・ミドルだといえる。この完璧な息子を産み育てた母親からすれば、優秀な遺伝子を、なんとか子孫として残したい。つまり、男の孫が欲しいと思う気持ちも分からないではない。
「母は、やっぱり『跡継ぎ』が必要だからと言いますが、うちの家系は別に名家でも資産家でもないですから。残すほどの名前でもないですからねえ。それに、自慢じゃないですが、妻は僕よりずっと優秀で、最初の子どもができたときも、僕が産休を取って彼女には十分に仕事をしてもらおうと思ったくらいですから。取引先のメーカーに勤めているのですが、入社二年目で経営企画室に抜擢されたくらいなんです。美人だし仕事もできてカッコいい女性なんです。最初のデートのときは、本当に嬉しくて舞い上がっちゃいました」
 と、ここからしばらく妻の自慢話が続く。いまどき珍しいほどうまくいっている夫婦である。そして、そんな優秀な妻だからこそ、仕事を頑張ることのできる環境を作ってやりたいと彼は思うわけである。
 さて、少子化が問題視される昨今だが、多くの人は誤解をしている。環境さえ整えば人は子どもを作る、という誤解である。だから、自治体は第三子出産に補助金を出したり、有識者は保育所や産休制度の充実を叫ぶ。しかし、人は環境で子どもを産むわけではなく、文化で産むのである。
 それが証拠に、戦前の日本は、農作物が不作になると、娘を売り飛ばすくらい劣悪な環境だったにもかかわらず多産だった。これは、農家では子も労働力という事情もあったし、富国強兵で産めよ増やせよの時代でもあった。つまり、子どもを産むことが当たり前という文化の中で生きていたわけだ。
 現在でも、経済援助どころか、食料援助、医療品援助をしなければ人が生きていけないような劣悪な地域でも、子どもはどんどん生まれている。男の子は一〇歳になれば、山からゲリラがやってきて拉致され、少年兵に仕立て上げられるというような紛争地帯でも子どもは生まれるのだ。
 世界的に見ても、出生率が低いのは、ほとんどが環境に恵まれた先進国である。
 先進国とは、比較的人権が守られている国のことでもあるので、女性が子どもを産まなくても自分の人生を生きる権利も守られている。そのため、晩婚化と少子化が進むわけだが、もちろん私はそのことに異を唱えているわけではない。
 ただ、昨今のように少子化をなんとかしなければ、というのであれば、福祉関係の充実はベースとして大切だが、子どもを作る気になる新しい文化の創造が必要だ。
 それは、子どもをたくさん作る男はカッコいい、という文化である。かつて、子作りは女性の義務であったが、いまどき、そんな文化が復活するわけもない。だから、男性の意識を変えるわけだ。自らの優秀な遺伝子をたくさん残すという意識を持つ。もちろん、その優秀な遺伝子には説得力がなければならないため、万人に認められるよう、頑張って立派な大人になり、多くの女性に憧れられるような男性を目指す。
「あなたの子どもを産みたいわ」女性にそう言わせてこそ一流の遺伝子を持つ男である。

◎――――エッセイ

株トレードの実践力を、
実例問題を解きながら
身につけるワークブック

石田高聖

Ishida Kosei
早稲田大学政治経済学部政治学科卒業のカリスマトレーダー。パソコンを15台使って「ビビッ!」とストップ高になりそうな銘柄を見つけるのが得意。その的中率には定評がある。「KOSEI式トレード」を確立して投資コンサルタントとして会員向けに情報の配信と株式投資初心者向けにデイトレ塾及び講演を行っている。趣味はゴルフとスノーボード。

短期トレーダーは株式市場の一大勢力に

「会計士だったら頑張れば受かるかもしれないぞ」
 株式投資のやり方にいくつかありますが、大きく分けると2つあります。それは、長期投資と短期トレードです。
 長期投資というのは、その会社の将来性や割安さに目をつけて、企業実態を反映して株価が上昇していくことを期待しつつ株を保有する方法です。まさに“投資”の名に値する方法であり、これが株本来の取り組み方だといえるでしょう。
 しかし、それだけが株式投資の手法ではありません。短期トレードという、短期で株を売買して利ざやを狙う手法があります。これは長期投資とは対照的に、ファンダメンタルズよりも、株価の値動きの習性や勢いなどに目をつけて、短期間で株価変動をすくいとることを主眼としたものです。最近、よく耳にするデイトレードはその手法の一種であり、1日の間に売買を完了させてしまう取引方法です。
 正直なところ、短期トレードは株式投資本来のやり方とはいえないかもしれません。しかし、ネット取引の普及によって、安い手数料で手軽に株を売買することが可能になり、ここ数年は株の短期トレードが大ブームとなっています。最近では、短期トレーダーは株式市場の一大勢力となり、その存在感を大いに増しています。
 そして、株式市場の上昇トレンドが続いていることも追い風になって、株の短期トレードによって、数千万円、あるいは1億円を超える資産を作ったという投資家たちが続出しており、そのような成功者たちが、数多くの指南本を出版する流れとなっています。私自身もそうしたトレーダーの1人であり、これまで数冊の出版に関わってきました。
 しかし、私としては、これらの本に「どうも、しっくりこないな」という思いを持ち続けていました。そうした本には確かに短期トレードに必要な知識などは書いてあるのですが、「これだけでは儲からないだろうな」と感じていたからです。実際に、インターネットなどで初心者トレーダーの人たちの声を聞いてみると、「短期トレードの本を読んで理屈は分かったけど、失敗が続いて……」というケースが多いようです。
 一方で、私が直接指導しているトレーダーがいるのですが、彼らは着実にトレードの腕前と実績を上げています。

実例問題を解いて実践力を身につける

 では、書籍と直接指導の差とは何でしょうか……。これを考えた時に出てきた結論は、実際の相場を相手にした実地トレーニングの有無でした。そこで、書籍の中でも、実例を使って実地トレーニングさながらの内容を提供したらどうだろうと考えました。そうして完成したのが本書です。
 この本は、実例を使った48の問題を解きながら、基本的な株の知識とトレーニングの両方を提供しようと試みたものです。いわば、自動車の教習所やゴルフの練習場のような役割を果たす本だと思っています。
 先ほどもいいましたが、株の短期トレードが本格的に市民権を得る流れになってきており、若者からお年寄りまでそれを楽しむ時代が到来しています。そういう人たちが、株の短期トレードを安全に楽しみながら、ある程度のパフォーマンスを得るために、この本が大いに役立つのではないかと思っています。
 知識を“学ぶ”だけでなく、それを技術として“身につける”。『5時間でわかる! KOSEI式 ネット株 デイトレ&スイング 必勝法』は、そうした新しいコンセプトの株の指南書です。


写真

このような実例を使った問題が48題掲載されている。問題の次のページには解説と解答が書かれているが、「問題を考える→解説・解答を読む」という作業を繰り返すことで、自然とトレードの技術が身につく構成となっている。


KOSEI式ネット「株」デイトレ&スイング必勝法

◎――――連載

気になるキーワードを徹底研究
ビジネスマンのための健康ラボ 第7回

【花粉症とポリフェノール】

話し手 松井宏夫

 今年のスギ花粉飛散量は、昨年と比較してかなり少ないという予測が出ている。花粉症患者にとっては嬉しいニュースだが、昨年が記録的な大量飛散だったため、実際には今年の花粉量も平年並みというエリアもある。  花粉症は、体内に入り込んだ異物から体を防御しようとする「免疫」のバランスが乱れることで起きる。花粉に対して免疫が過剰反応を示すと、免疫細胞は花粉のアレルゲンに対抗する抗体を作り出す。この抗体は刺激物質をたくさん抱えた「肥満細胞」に取り付き、アレルゲンを捉えては刺激物質の「ヒスタミン」などを放出させる。こうして現われるアレルギー反応が、クシャミや鼻水、鼻づまり、目の痒みとなるわけだ。  これらの症状を緩和させるためには、免疫のバランスを整えて、花粉への過剰な反応を抑える対策を講じなければならない。ヨーグルトなどに含まれる「乳酸菌」の腸内免疫調整効果は広く知られているが、もうひとつ注目したい成分が「ポリフェノール」だ。  ポリフェノールは、植物が光合成を行うときにできる色素や苦味の成分で、ほとんどの植物に含まれている。カテキン、イソフラボンなど、その種類は五〇〇〇種以上にも及び、人間の体の中に入ると、抗酸化物質として有効に働くことが明らかになっている。そしてある種のポリフェノールには、鼻水や目の痒みなどの原因となる、ヒスタミンの生成を抑える効果があることが分かっている。  キッコーマンは、トマトの果皮に多く含まれるポリフェノール“ナリンゲニンカルコン”に高い抗アレルギー活性があり、花粉症の症状を緩和する効果があることを発表している。  ただし、このポリフェノールは、一般に食べられているトマトにはほとんど含まれず、ケチャップやジュースなど加工用の品種に多い成分だという。そこでナリンゲニンカルコンを手軽に摂れるサプリメントも現在発売されている。

*取材協力:株式会社キッコーマン
http://www.kikkoman.co.jp/

●ご意見・ご感想はこちらまで…healthy@diamond.co.jp


イラスト

◎――――連載

美人のもと 第7回

美人のもと

西村ヤスロウ

Nishimura Yasuro
1962年生まれ。株式会社博報堂 プランナー。趣味は人間観察。著書に『Are You Yellow Monkey?』『しぐさの解読 彼女はなぜフグになるのか』など。

*ランチ

 お昼になると、あちこちで「今日のランチどうする?」という会話が飛び交う。メールが行ったり来たりする。電話があちこちで鳴る。「お昼ごはん」という言葉が「ランチ」と言われるようになってお昼は重要なコミュニケーションタイムとなった。朝ごはんも晩ごはんも日本語で言われることが多いのに、ランチという言葉はすっかり定着している。
 さて、ランチでレストランへ行く。ここでメニューを見る。「何にする?」。この時間が結構長い。時間が長かったわりには、結局「私も同じ」となることが多い。本当は別のものに興味があるのに、流されてしまう。なぜか。それはタイミングのことを気にしているのだ。女性は一斉に食べ始め、同時に食べ終えることを目指す。一人で食べ始めたり、一人だけいつまでも食べ続けていたりすることを避ける。だから、「同時に運ばれてくること」と「量が同じこと」が極めて重要なこととなり、「同じもの」を注文したくなる。自分だけ違うものではずれてしまう可能性が高い。特に自分だけ頼んだものが来なくて皆を待たせてしまったり、一人だけ食べてしまって待つという状態には耐えられなかったりする。
 そこまで合わせるな。着ているものも違えば、ライフスタイルも違う。体調も違うのだから、自分が本当に食べたいものを食べればいいのである。タイミングなんてずれるのが当たり前だと思えばいいのだ。
 美人はその点で「わが道を行く」パターンが多い。自分が欲しいものを素直に表明する。タイミングのずれもあまりに気にしない。食事と会話を思いっきり楽しむことを考えているからだ。たかがタイミングである。自分が注文したものだけが来なくても焦ったりしない。気になる場合はさりげなく聞いてみることが上手にできる。
 一方、合わせることに注力している人は、なかなか楽しめない。同じタイミングで届いても、他の人の食べるスピードをチェックしながら食べるので大変だ。自分だけ早く食べてしまうのが嫌なのでゆっくり食べる。それを見た人が自分も遅らせる。またそれを見た人がさらに遅らせる。チラチラ他人のお皿の上をチェックしながら食べるので、瞳が頻繁に上下してヘンな顔になっていくのだ。「美人のもと」が消えていく瞬間だ。食べるスピードが遅いテーブルには美人が少ない。
 さらにタイミングが命なので、同じものを注文してもタイミングがずれたりすると大騒ぎ。お店に確認する前に、自分たちだけで「おかしくない?」とか「材料が足りなくなったから買いに行っているんじゃないの」などと話していて、店に確認することが遅れてさらに大変なことになり、結局、大声で文句を言うことになる。
「まだなんですけど」と大声で叫んでいるテーブル。そのテーブルには美人はいない。おいしいものもおいしくなくなっている。  せっかくのランチ。美しく楽しんでいただきたい。

*時計

 時計でヒトを判断するというヒトは結構多い。しかし、その大半はその時計のブランドであったり、デザインであったりする。もちろん、そういうことも大切なのかもしれないが、私は時計そのものではなく、時計との付き合い方に注目したい。
 時計をきちんと使いこなそう。当たり前のようだが、できている女性は多くはない。時計が泣いている風景をよく見かける。
 時間がずれていても平気であったり、カレンダーの日付が違っていても気にしなかったり。それがとても「だらしなく」見えるのだ。時計がきちんとしていないと、時間を大切にしていないように見える。それは生活がだらしないことを暗示しているように思えるのだ。キミ、パンツ汚いだろとさえ思えるのだ。
 なぜ、時間のずれを直さないのか。日付を直さないのか。それを聞くと「面倒だ」という答えと同数くらい「直し方がよくわからない」という回答が来る。せっかく手に入れたのだから、マニュアルくらい読もう。女性がマニュアルを一生懸命読む姿は実にかわいいのだから。モノときちんと付き合わない人にはプレゼントもなかなかやって来ないものだ。
 時計に限らず小さなものも大切に使う。一生懸命使う。そういう姿は美しい。「美人のもと」が増えていくはずだ。モノというのは不思議と正直で、大切にされるとその主人に対していい「気」のようなものをくれるのだ。それは「美人のもと」と仲がいい。
 さて、自宅のビデオを見てみよう。まさか、お宅のビデオの時計、ずっと0時00分が点滅していないですよね。停電直後のように。そうだったら、すぐ時間を合わせよう。ビデオに「美人のもと」を吸い取られないように。

◎――――エッセイ

デジタル時代のアナログ“お礼状”のすすめ

朝日心月

Asahi Shiduki
お礼状ブログ主催者・経営コンサルタント。『お礼状ブログ』は、アメーバブログ・ランキング2004年年間総合5位、ビジネスジャンルで年間一位となり、メール時代におけるアナログコミュニケーションに悩む多くの人の反響を呼ぶ。

「何でもメール」の時代だからこそ、
手書きが効くのです!

 今は何かにつけてメールや携帯電話でのコミュニケーションが多くなりました。
 たしかにメールは便利で私も頻繁に活用していますが、どうも味気なかったり、文章をコピーして使いまわしていたり、コミュニケーションとして何か物足りないものを感じるのも事実です。
 このたび私は『1枚のお礼状で利益を3倍にする方法』という本を書きました。これは「手紙の書き方」の本ではありません。「お礼状」というツールを使って、効率よく、利益を上げるためのアイデアをまとめた本です。
 とある保険会社のトップセールスの方は、「出会った人全員」にお礼状を出しています。また、別の会社の営業マン・ウーマンへのアンケートでは、一〇〇人中お礼状を出しているのはたった二人。その二人がトップセールス一、二位を争っているとのことです。
 そう、トップセールスの人たちは、全ての人へ感謝の気持ちを一枚のハガキに託し、お礼状という地道な営業活動で、確実に数字を上げているのです。
「メールは早くて便利」な時代だからこそ、一枚のハガキが効く。そのことをトップセールスの人たちはよく分かっていて、すでに実践しているというわけです。

お礼状は、お手紙というより
「営業状」です

 お礼状が効きますよ! という話を、経営者の方や営業の方に申し上げると、次のような言葉が返ってきます。
「お礼状なんて事務の仕事だろう」
「字が汚いし文才もないから無理」

 本当にそうでしょうか?

 そこで、お礼状という言葉をこう置き換えて考えてみましょう。
 利益に即つながる「営業状」。

 こう書くと、経営者や営業の方たちも「自分の仕事」としてとらえます。
 お礼状は単なる「お手紙」ではなく、営業活動の一環としてとらえることから始めましょう。
 字や文章力に自信のない方も多くいらっしゃいます。実は私もその一人です。
 しかし改めて考えました。お礼状は営業活動であり、お客様に感謝の気持ちを伝えるもの。気持ちが先にあってのお礼状なのだから、形にとらわれすぎてはいけないのではないかと。
 試行錯誤の末、字が下手でも、文章力に自信がなくても、誰でも簡単にパパッとお礼状が書けるアイデアを多数生み出しました。例えば季節感溢れるイラストの入ったハガキに一言添えるだけのお礼状や、自分の書いた字をフォントにするサービスを利用するなど。
 本書には、他にもたくさんの手軽にお礼状を出すためのアイデアと、すぐに使えるお礼状の文例を多数盛り込んでいます。

かといってお礼状は、DMではありません

 お礼状にはもう一つ誤解があります。それは、営業活動といっても販促物ではないということ。つまり、お礼状はDMではないということです。
 よく、初めて名刺交換をした方から「先日はお目にかかり、ありがとうございました」というお手紙をいただきます。ここまでは嬉しいのですが、そこに「ところで弊社の新サービス案内です」などと、お願いしていないのにパンフレットや申込書が同封されていたら……。受け取り手は一気に気持ちが冷めますよね。これでは感謝の気持ちが台なしになってしまいます。
 目先の利益を追求するあまり、お礼状=広告宣伝の場と勘違いしている人が本当に多いのです。
 お礼状は、コミュニケーションの道具でもあります。円滑なコミュニケーションが信頼関係を築き、信頼関係の上に数字がついてくるのです。

感謝の気持ちをハガキに託し、
利益というお返しをいだだく

 本書には、経営コンサルタントとしての経験はもちろんのこと、お客様やブログ(『お礼状ブログ』というブログを運営していますhttp://letters.ameblo.jp/)読者とのやりとりから生まれたアイデアを私なりにまとめてみました。
 日々数字に追われる小さな会社の経営者やビジネスマン・ウーマンの皆さんの活力になれば、これ以上の喜びはありません!
 感謝の気持ち、「ありがとう」の思いを一枚のハガキに託し、そこから利益という数字が返ってくる。これほど素敵なことはありません。
 今すぐ「お礼状」をはじめませんか?

『1枚のお礼状で利益を3倍にする方法』

書籍

朝日心月 著
●1429円(税5%)●4-478-54075-6

◎――――エッセイ

「一豊の妻」千代から学ぶ
幸せをつかむ法則

大原敬子

Ohara Keiko
「大原敬子の遊育会」代表。母と子のコミュニケーション・五感教育による才能開花を理念に掲げ、曾祖母・大原とめが創始した新しい幼児教育を継承し、幼児教育、女性教育の実践にあたっている。著書に『大原式遊育ごっこ』『必要な人になる!』『なぜか愛される美人の法則』『「今のままではイヤ」と思ったとき読む本』『言葉のクセで人生が変わる』ほか多数。

自由なあまり生きにくい時代に

 古代の思想にこんな言葉があります。
「人の見えないものを見ようと思ったら、人の気づかないものを見ること。
 人のできないことをやろうと思ったら、人のやろうとしないことをやること」

 艶やかさをかもし出す桜は桜として、松は松の風貌に、また彩り鮮やかな楓は楓だから、美しいのです。
 桜は桜であって、楓にはなれません。自然の世界では、桜は桜、楓は楓であるから価値があるのです。
 しかし、人間社会はその自然の法則を破り、自己を忘れ、他人のなかで他人と比べながら生きているうちに自分を見失ってしまいました。個性を追い求めながら、「みんなと同じ」でないと不安になる。自由と言いながら、けじめなく自堕落になっていく……。
 自由と責任の境界線が見えなくなると、それは自由ではなく、奔放と無関心の社会になります。自由を求めるあまりに、その自由のなかで迷走し、夢や希望の光を自ら失ってしまいました。豊かな社会は築けたけれど、心の貧困をつくってしまいました。
 とくに現代の女性は自由を求めすぎて、かえって自分の首を絞めるような狭い世界をつくってしまっています。
 私はラジオの人生相談で、聴取者の方たちの相談相手をさせていただいていますが、今、女性の生き方が混沌としていることを、日々感じます。

自分が楽しむ生き方

 女性が生きやすくなるためには、どうすればよいのか。
 自由な社会に生きる女性が真の自由をつかむためにはどうすればいいのか。
 これをテーマに、幸せをつかむ女性の知恵を書いてみました。
「幸せをつかむ女性の生き方」の土台は、司馬遼太郎の『功名が辻』の主人公である、山内一豊の妻、千代です。
 一般には「内助の功」の典型、古いタイプの妻の理想像ととらえられていますが、私は異なるとらえ方をしています。自分を信じて何事にも屈しなかった、強く美しく生きた賢い女性であったと思います。
 千代の素晴らしさは、戦国時代という男の社会にありながら、自立した女性として生き抜いたことです。
 その根底には、「人の見えないものを見ようと思ったら、人の気づかないものを見る。人のできないことをやろうと思ったら、人のやろうとしないことをやる」という考え方があったと思います。
 だからこそ、自分が楽しむこと、自分が納得すること、自分の意思を持つこと、自分を信じることができたのです。
 ここから、千代の人生哲学が築かれています。
「今を楽しく生きる」には、どうすればいいのか。
「幸せも不幸も原因となる種は同じ」だとしたら、その原因の分析は?
 千代がよき人間関係を結ぶことに卓越していたのは、「心のひだ」を読めたからです。
 男性の心理も、怜悧な観察と繊細さで読み解き、夫のプライドを傷つけずに自分の考えを受け入れさせるよう、作戦を立てました。「あやす、なだめる」等の方法を、自然に明るく、天真爛漫に用いました。
 私は「妻の鏡」と言われる千代像ではなく、なまなましい裸の人間、千代に関心を持っていました。
 普通の女性とまったく変わらない千代が、戦国の世、自由を許されない時代に、生涯、自分の意思を貫いて生きたことに、私は崇高さを感じています。
 自由や幸せは自分の心がつくるものであって、他人が与えてくれるものではないことを、この本を書き終えて、改めて感じました。
 時空を超えていつの世も、幸せも不幸も自分次第ではないかと思うのです。

千代の誇り

 千代は、夫、一豊亡き後の晩年、京都で尼として過ごしました。
 夫と築いた高知城に残らず、京都に戻ってきたのです。
 広大な妙心寺の一角に、千代が一豊とともに埋葬された墓のある大通院があります。
 その隣には、三大将軍家光の乳母である春日局の墓。道なりにいくと石田三成の墓といったそうそうたる人物が安置されています。
 そこを訪れ、いつも感じるのは、千代が夫とともに広大な夢を実現させたという誇りなのです。
 人生をかけ上って勝利を手にしても、晩年が哀れであったら、決して幸せな人生だとはいえません。
 千代は理想を描き、その道を一歩一歩、歩き続けて「なりたい自分」に近づき、見事に実現させたのです。
 晩年の生活を見るととくに、女性の理想的な生き方として、千代の哲学をぜひ学びとってほしいと思うのです。

『「一豊の妻」が教えてくれた幸せな生き方』

書籍

大原敬子 著
●1260円(税5%)●4-478-70345-0

◎……著者が語る

トヨタ生産方式と私の歩み

『トヨタ プロダクションシステム』

書籍

門田安弘 著
●4935円(税5%)●4-478-46008-6

目白大学教授・経営学部長。筑波大学名誉教授・学術博士(筑波大学)。門田経営会計研究所理事長(http://mondeninst.hp.infoseek.co.jp/)。専門分野は、生産管理論、管理会計論、経営財務論、企業経済学。主な著書に、Toyota Production System, 1st edition,(第二七回「日経・経済図書文化賞」受賞)がある。

 日本の製造業の国際競争力は、なんといってもその生産プロセスの実力にあります。それを導いてきたのが「トヨタ生産方式」です。トヨタは、トヨタ生産方式を原動力のひとつとして、一九九〇年代からさらに今日に至るまで毎年、過去最高利益を更新し続け、一兆円を超える純利益を上げています。
 しかし、今回私が出した『トヨタ プロダクション システム』の特に新しいテーマは「第W部 人間化の生産方式」にあります。トヨタ生産方式に欠けているとして従来ともすれば批判されていた「人間性尊重」の観点が、九〇年代以降の新しいトヨタ生産方式ではどのように取り入れられてきたか、またどのように発展すべきかについて、詳しく述べました。少子化によって人口減に突入した日本が、今後の深刻な労働力不足に対応するには、日本の生産方式は人々が年齢の違いや男女の違いなく働ける体制でなければならないからです。
 この一文では、本書の中身よりも、私がトヨタ プロダクション システムを勉強し始め、最後にヒューマニゼーションの生産システムに邂逅するまでの道筋を述べたいと思います。

「トヨタ生産方式」との出会い

 私は、もともと会計学の研究者でしたが、トヨタ生産方式の主目的が原価低減にあるということで、この生産方式に着目しました。同生産方式の実際を初めて見たのは、一九七九年に日本経営工学会の研究部会が大阪のダイハツ工業(株)であったときでした。その工場見学で同社の言う「ヨーイドン方式」というチーム作業を見たときは、その厳しさにぞっとする戦慄が身体を走り抜けたほどでした。見学に引き続き、大阪市内で当時のトヨタ副社長でトヨタ生産方式の生みの親である大野耐一氏の講演を聴いて感激しました。
 私は、このトヨタ生産方式に関する英文原稿を携えながら、一九八〇年七月にニューヨーク州立大学バッファロー校(SUNY Buffalo)の経営学部に客員準教授として招かれ、授業を担当することになります。トヨタ生産方式の米国での論文発表は、当時、日本生産性本部の米国本部長だった新井浄冶氏のお世話によるものでした。論文がアメリカIE協会のIndustrial Engineering誌(一九八一年一月号)に掲載されて以来、八月に帰国するまでに、授業の合間をぬって講演を全米で繰り返すとともに、GMやフォードの工場現場を見学しました。
 帰国した八一年九月からは、トヨタ生産方式をより深く多くの企業で調査し、大野耐一氏とも知り合って協力を得ることができました。八三年三月には筑波大学社会工学系教授に着任し、同年、私の初の英文書Toyota Production SystemがアメリカIE協会から出版されたのです。大野氏には同書の序文を書いていただきましたが、氏は私の理論化・体系化に期待されていました。私もそうした点でささやかな仕事をしようと努めたのです。

研究の深化と今回の本への結実

 実用的な分野では、八〇〜九〇年代にトヨタ生産方式を世界中に伝道して歩きました。この間に私は、主として海外の企業において、(座学の講義ではなく)トヨタ生産方式の実務指導も数多く行なっています。JICAや国連の途上国援助プロジェクト、外国政府その他の要請によって、シンガポール、タイ、台湾、中国、米国、アルゼンチン、スウェーデン、オーストリアなどの企業で現場のコンサルティングを行なったのです。特に社会経済生産性本部の鈴木甫氏にはシンガポールとタイでお世話になりました。実地指導では、日本の優良企業の現場をよく見ていたので、問題のある箇所はすぐにわかり、改善策も論理的に導き出せました。
 九六年四月下旬から九月下旬まで、今度はスウェーデンのストックホルム経済大学に客員教授として迎えられ、ボルボ生産方式を現地で研究しました。ボルボ自動車や北欧のいくつかの企業(ABB、ノキア、バルメット自動車など)では、女性や技能員と職員を差別せず、自然の緑を現場に取り入れていました。このような人間的な生産方式は、トヨタ流のいわば効率至上主義の生産方式をよく見てきた私にとってショッキングなものでした。
 少子化が進む日本では、高齢者や女性も工場で生き生きと働いてもらわねばなりません。「ヒューマニゼーションの生産方式」は二一世紀の生産方式として極めて重要なテーマです。私は、ITを使った効率的で収益性を追求する生産方式と、人間性に配慮した生産方式との融合を次の課題として見つけ、それが今回の書物の重点となるに至ったのです。
 九〇年代後半からは筑波大学の若い院生たち(主として留学生)と一緒に、この生産方式の理論的研究にも没頭しました。また、近年のトヨタ生産方式についても調査を続けました。研究の道は、ある意味で孤独なものですが、若い門下生の人たちとの共同研究の場を通じて、私の研究生活はずいぶん慰められました。彼らも今では全世界に羽ばたいています。
 以上のような調査研究の成果が、このたびの『トヨタ プロダクション システム』に結実したのです。本書により、今日のトヨタ生産方式はけっして過酷なものではなく、人間性を尊重して人々を動機付けながら、労働生産性を高める仕組みのイノベーションであることをご理解いただければ幸いです。

◎――――連載

小説「後継者」第23回

第9章 疑心暗鬼(3)

安土 敏

Azuchi Satoshi
◆前回までのあらすじ
スーパー・フジシロの創業者社長・藤代浩二郎が、提携先の大手スーパー・プログレスを訪問した帰り、車中で謎の言葉を残し急逝した。プログレスの裏切りに続き、山田会長から持ち出されたプログレス傘下にフジシロが入るという提案に対して専務の浩介は、独自路線を貫くことを改めて山田会長を目の前にして決意した。それに伴い太一伯父と相談し、浩介が社長に就任することに。当然、守田社長に一線を引いてもらうことにしたのだが、太一伯父は退職金も守田が持つ株式の買い取り額も値切ろうという。さらに浩介は守田より年齢が下だろうから自分に全て任せろ、とも。守田はこのままフジシロを退社してしまうのか。追い出される守田が次にとる行動とは。



 フジシロの社長になった藤代浩介に、藤代リリース社長の太一伯父から再度電話があったのは、3日後の午後3時だった。その間、浩介は、社内で、何回か守田を見かけたが、互いに会釈し合うだけで言葉は交わさなかった。
「話した」
 太一は、いきなりそう言った。守田に対する退職金やフジシロ株式買い取りについての話だと、浩介はすぐに分かった。 「どういう内容ですか」
「株も退職金も守田が社長になる前の水準で計算することにした。退職金のほうは、社長の在任期間が短かったので、それほどの減額にはならないが、それでも1000万ほどは減る。株の評価のほうの差額は8000万よりちょっと多いぐらいだ。合計して約1億だ」
「1億円、かなりの額ですね。守田さんは、何と言いましたか」
「何も言わなかった。黙っていた」
「黙っていたって、どういうことですか」
「うちの会社に呼んで話したのだが、この話を始めたとたんに口をきかなくなって、それから帰るまで二言しか言わなかった」
「二言?」
「そう、二言だ。あまり長く黙っているので、『分かったか』と尋ねたら、『分かりました』と言った。最後に、帰るときに『失礼します』と言って頭を下げた。それだけだ」
「それは納得していませんね」
「まあ、そうだろう。納得しようがするまいが、これでも十分過ぎるほどだよ。普通のサラリーマンで、会社の辞め際にこれほどもらえる奴はいない。守田だって馬鹿じゃない。訴訟したりはせんだろう」
 太一が心配しているのはそういうことだと浩介は知った。
「まあ、大丈夫だろうと思います」
「小笠原常務にいろいろ尋ねたのだが、彼にも少し危ないところがある」
「危ない?」
「随分、守田の肩を持つようなことを言っていた」
「と言いますと?」
「退職金は満額払わないといけないとか、約束だから、株価は時価で計算しないとまずいとか、そんなことだ」
「でも、伯父さん、それは当然の意見のように思いますけど」
「お前までそんなことを言ってはいかん。私が言っているほうが当然のことだ。とにかく、小笠原が具体的な内容を知っているから、詳しくは小笠原に聞いてくれ」
「分かりました」
「そろそろ帰るころだ」
 太一のところを辞した守田がフジシロの本部に戻ってくるという意味である。
 浩介はデスクのうえに置かれている役員出退表示ランプを見たが、守田の番号はまだ点灯していなかった。
 電話を終えた浩介は、すぐに総務人事担当の小笠原常務を呼んだ。電話中とのことだったが、5分ほどするとやってきた。
「たったいま、私のところにも、太一社長から電話がありました」と、開口一番、小笠原は言った。「でも、本当にこれでいいのでしょうか」
「いいも悪いも、もう本人に話したようだ」
「そうですか」
 小笠原は、万事休すという顔をした。
 この数日、太一からは、小笠原のところに、守田の退職金と株式買取りについて何度も照会があり、説明のために二度、太一のオフィスにも行ってきたという。かなり無茶なことを言うので、小笠原としては懸命に説得して、ようやくその線に収まったのである。
「守田さんが訴訟に訴えるなんてことはないだろうね」
「それはないと思います。ただ、非常に困られるのではないでしょうか」
「困る? 減額されても4億近い金が残るのだろう。それでも困るとは、何かよほど金が要る状況でもあるのか」
「よく分かりませんが、守田さんは、退職金とフジシロの株価について、私のところに、始終、問い合わせてきました」
「えっ、最近の話か?」
「いいえ、ずっとです。20年も前からです」
「20年」
「毎年、年末の押し詰まったころでした。そのほかにも、株価が下がったり、上がったりすると、その都度、聞いてきました」
「何だい、それはどういうことだ」
「自分の資産を、常時、正確に計算し把握しておくことが守田さんの趣味なのだろうと私は思っていました。まあ、几帳面と言うか、吝いと言うか」
「そのことを太一社長には言ったか?」
「いいえ、そういう話題にはなりませんでした。太一社長から私が尋ねられたのは、退職金の額の計算、フジシロの株価、それに、持ち株の金額についてです」
「そうか」
 公開していないフジシロ株の時価評価と退職金の額を、いつも計算して知っていた守田は、太一からの一方的な減額の話を聞いて、どう感じたのだろう。始終数えて中身をそらんじていたであろう守田にとって、ショックが大きかったのではなかろうか。
 何か使い道を考えて、そのための計算だったのか。あるいは、守田は、溜まった金を数えて密かに喜ぶ守銭奴なのか。
 そのとき、役員出退表示ランプの守田の番号が点灯した。
「分かった。守田さんが戻ったようだから、私が行って話してみる」
 浩介は立ち上がった。



 守田は沈黙したままだった。
 応接セットに座って浩介と向き合ったまま口をきかない。
 社長室だった部屋をそのまま顧問室として使っていたから、部屋は以前のままである。浩介は部屋に入るや、「太一社長から電話がありました」と切り出して守田の反応を待ったのだが、答えはなかった。
「太一社長からお話ししたとおりですが」と浩介がさらに言って様子を見ても、守田は黙っている。以前にもダンマリを決め込まれたことがあったが、そのときは、かすかな微笑を浮かべていた。今回は顔面蒼白である。そして、かたくなに口を開かない。
「ご不満の点もおありでしょうが」「何か、具体的にお困りのことでもありましたら」などと、守田の関心をそそるようなことを言って、浩介は、何とか守田の口を開かせようとしたが、効果がない。
「いずれまた伺います」
 浩介は、やむなく、そう言って部屋を出た。
 10分後、事務所内の人々の何人かと言葉を交わしたあと、自室に戻った浩介が見ると、役員出退表示板の守田の番号のランプは消えていた。

 2時間ほど経ってから、ふと思い立って、浩介は3階の経理担当常務の葦原修作のところに行った。
「ああ、社長、私もちょうど伺おうかと思っていたところでした。実は守田さんが」と葦原が大声で言い出したのを浩介は手で制して、近くの応接室に誘った。社員たちの前で、大声でフジシロの株価について話されては困る。
「いま東西銀行の支店長から電話がありまして、守田さんがいきなり借金を返したいと言ってきたが何かあったのかと問い合わせてきました」
「そうか。守田さんは、東西銀行から借金をしていたのか」
「1億弱だと思います。5年ほど前に、フジシロの株を担保にして借りられないかと訊かれて、私が東西を紹介しました」
「家でも建てたのか」
「いいえ、何でも文庫を作るんだと言っていました」
「文庫? 何だね、文庫って?」
「資料館とでも言うのでしょうか。小さなマンションを買って、そこに何かの資料とか本とかを置いておくんだそうです。あの人は、歴史の研究みたいなことをやっているんです。ものすごい読書家でもあるらしいですよ」
「ああ、そういうことか」
「退職金で借金を返すと言っていたようですよ。その確認もしたかったんでしょう」
「分かった」
 ぼんやりとではあるが、浩介には事態が読めた。資料館は、詠美が守田から聞いてきた話と結びつく。守田はアジア現代史を書くために膨大な資料や本を持っている。その収納場所が必要だったのだ。そのためにマンションを買い、借金をした。
 退職金と株式売却金の合計は、東西銀行からの借金を大幅に上回るから、守田は、たとえ資金的な予定が狂ったとしても、経済的に破綻するようなことはなさそうだ。
 大事には至るまい。
 今後の動きをよく見なければいけないが、当面は静観するしかないと、浩介は思った。
 守田は、その1週間後に会社を去った。
 浩介をはじめ、役員のだれにも挨拶をせず、忽然と消えるようにいなくなった。それを聞いた浩介は、何ということなく守田の部屋を見に行った。いつもきちんと整理整頓されていた部屋だったが、いまは、デスクとロッカー以外だけがある。カゲロウと渾名された守田が、名だけの社長になってひっそり住んでいた場所にふさわしい寂しさが残っていた。



 プログレスが、子会社アドバンスを設立して、関東一円にスーパーマーケット(食品スーパー)を展開するという新聞発表があったのは、守田哲夫がフジシロを辞めてから1ヶ月後のことだった。フジシロの社員たちにとって衝撃的だったのは、アドバンスの社長に守田哲夫が就任することになっていたことである。社内は、その話で持ちきりになった。
 朝刊でそれを知り、まだ頭の整理もつかない浩介のところに、早速、日本商業新聞から取材の依頼がきた。どうしてもその日のうちに会いたいという。午後には予定が入っていると告げると、あらかじめ読んでいたらしく、「実は、いま本部の前にいるので、これからすぐに伺います」と言う。それ以上断れなくて、浩介は記者に会った。
「守田さんが社長になることをご存じではなかったのですか」と言った若い記者は、丁寧な言葉ながら、薄ら笑いを浮かべている。
「まったく知りませんでした。でも、守田さんが、また社会の役に立つ立派なお仕事を持つことができて、私は本当によかったと思います」
「そんな暢気なことを言っていていいんですか?」と記者は言った。「アドバンスはフジシロの店舗展開している地域を狙って出店してくるでしょう。全面衝突ですよ。はっきり言って、勝てるんですかね」
「勝てるかどうかではない。勝たねば生き残れないと承知しています。もちろん相手はアドバンスに限ったことではない。我々はどこと戦っても勝ち抜く決意です」
「でも、前社長ですよ。守田さんを慕って、多数の社員が移籍するという噂もあります」
「そういうことはないでしょう」
「どうして、そんなことが言えるのですか」
 浩介の胸のなかをかき乱すような質問を連発して記者は帰っていった。
 翌日の朝刊には、その記事が大きく出た。
『追い詰められたローカルSMの名門フジシロ』と大見出しが出て、サブタイトルには『プログレス、SMに本腰』とある。記事のなかの小見出しには、『ローカルSMを追い詰める新方式』『困惑するフジシロ』などとある。
 よく読んでみれば、内容は、プログレスがスーパーマーケットに本格進出するために、アドバンスを設立したというだけのことだが、新会社の社長がフジシロ前社長の守田哲夫であることを挙げて刺激的に書いている。記事の最後には、『大手GMSからの提携を拒否したことの持つ意味を、フジシロは苦い思いとともに噛み締めている。この新提携方式が、流通再編時代において、日本全土で、これからどのように活用されるかが注目される』とあり、流通評論家が『ローカルSMのサラリーマン経営者が狙い撃ちになるだろう』というコメントを寄せたうえ、ご丁寧にもトップがサラリーマン経営者であるローカルスーパーマーケットの一覧表がついている。
 9時半に、朝刊を読んで心配した堀越取締役が、浩介の部屋にやってきた。
「問題は、わが社の役員や管理職がスカウトされるということです。守田さんひとりでは、何もできない以上、新会社の要員は、結局すべてプログレスからのスカウト人事に頼らざるを得ないでしょう」と堀越が言ったとき、ドアにノックの音が聞こえて、総務人事担当の小笠原常務が、慌てた様子で入ってきた。
「青果部の岸原君が、守田さんに勧誘されたそうです。岸原君は、父親が守田さんの学生時代の友人で、その縁で当社に入社した人間です。青果部ではもっとも将来を嘱望されているバイヤーです。岸原君は断ったそうで、本人から青果部長に報告がありました。ほかにも手当たり次第に誘いがかかっているのではないかと言っています」
「岸原君とは、さすがにいいところに目をつけていますね」と堀越が唸ったとき、浩介の携帯のアイネクライネナハトムジークが鳴った。
「ややこしいことになりましたね」と、いきなり詠美の声がした。「守田さんは、なぜ辞めたのですか。私は海外に行ったりしていたので、まったく知りませんでした。何か急に辞めるような事情があったのではないですか」
「そのとおりです」と浩介が言ったが、詠美の声を聞いた瞬間に、心のなかにかすかな安らぎがあった。地獄で仏に会ったというのはこんな感じか。「私が断固としていれば、避けられたことだと反省しています。でも、いまさらそんなことを言っても始まらない。先生、相談があります。できるだけ早くこちらにお越しいただけませんか」
「承知しました。今日の夕方、お伺いします。大至急、対策を立てなければなりません。山田会長は、こうなったら絶対に手を緩めませんから、余程の覚悟が必要です」
「分かりました。先生、知恵を貸してください」
 浩介は携帯をポケットに戻した。
「プログレス側に行きそうな人間をリストアップします」と小笠原が言った。
「私もリスト作りを手伝います」と言う堀越の目が釣りあがっている。
「うーむ」と浩介は唸り声を上げた。そんなことをしてはいけないという本能的な声が頭のなかで響いた。

◎――――連載

連載エッセイ ハードヘッド&ソフトハート 第51回

「豊かさ」より「幸せ」を目指す社会へ

佐和隆光

Sawa Takamitsu
1942年生まれ。京都大学経済研究所所長。専攻は計量経済学、環境経済学。著書に『市場主義の終焉』等。

人びとは「合理的な愚か者」ではない

 ジョン・ケネス・ガルブレイスに言わせれば、市場経済システムの「良さ」は、消費者が主権を持っているという「欺瞞」を前提としている。たしかに、新古典派経済学のテキストには次のように書かれている。「需要と供給を均衡させるよう、市場で決まる価格を所与として、これまた所与の所得制約のもとで、各家計が主体的な選好を行う(効用関数を最大化するよう行動する)結果として、消費する財・サービスの組み合わせが決まる」と。また、「個々の家計や企業の行動が価格に対して影響を及ぼすことはない」と。しかし、実際問題として、財・サービスを供給する企業の販売戦略と宣伝・広告などにより、消費者の「選好」は企業により支配されているのだ、とガルブレイスは説くのである。
 たしかに、私たち消費者は、流行やファッションに惑わされやすいし、ブランド物の価値を過大に評価しがちである。かつてソースタイン・ヴェブレンが言ったように、ともすれば人は「見せびらかし」のために消費をする。ブランド物を身につけること、高級レストランで食事をすること、高級車に乗ること、そして高価な装飾品で身を飾ることが、自らが高額所得者ないしその妻であることの「見せびらかし」である、とのヴェブレンの指摘には一理も二理もある。ただし、質素倹約・質実剛健を旨とする大金持ちもいれば、高級車に乗り、ブランド物の衣服、バッグ、時計、ベルトなどを身にまといながらも、家族四人で2LDKの狭い家に住んでいる人も少なくない。「そうした生き様の違いは各人の効用関数の差異に由来するのだ」と新古典派経済学者はいともあっさりと片付ける。しかし、生き様の違いは個々人の価値観の差異に由来すると考えるほうが自然ではないだろうか。
 アマルティア・センが言うように、家計にせよ企業にせよ、新古典派経済学のテキストに登場するような「合理的な愚か者」ではない。家計や企業は、自らの効用や利潤に勝るとも劣らず、コミットメント(使命感)とシンパシー(他人への思いやり)を満たそうと努める。企業の社会的責任(CSR)が重要視されるようになったのも、また質素倹約な生活をしながら福祉施設などに巨額の寄付をするお金持ちがいるのも、人間が「合理的な愚か者」でないことを示唆する証だと受け取れる。
 のみならず、新製品の開発は、かつてのようなニーズ・プル型ではなくなり、テクノロジー・プッシュ型と化しつつある。つまり、消費者の欲求が先にあって、生産者がそれに応えるというよりも、先に技術があって、それが思いもかけない新製品を生み出し、宣伝・広告によって消費者の購買意欲が煽られ、やがては、それなしには生活できなくなってしまう。思いがけない新製品の登場は、生活の利便性を高める効果があることはもとより言うまでもないが、ネガティブな影響がほぼ必然的につきまとうことを指摘しておかねばなるまい。
 たとえば携帯電話は、電話、メール、辞書、新聞、カメラ、インターネット等々とじつに多機能である。言い換えれば、携帯電話の多機能化と普及は、他の電子機器や書籍の市場に対し少なからぬ悪影響を及ぼす。パソコンの機能の九〇%を携帯電話が果たせる。大学生がリポートを書くときも、キーワードを入力してインターネットで検索した情報を切り貼りすればそれですむ。となると、たんに本が売れなくなるだけではなく、大学生の知的水準の著しい劣化という由々しき事態が引き起こされるのだ。

GDPの欺瞞

 ガルブレイスはさらに次のように言う。国内総生産(GDP=財・サービスの生産に伴う付加価値の総額)が社会全体の「進歩」ないし「発展」の尺度だとされるのは、技術革新はもとより、財・サービスの製造・販売に関わる権限のすべてが「生産者に委譲」されたためである、と。もちろん、国内総生産は、国内総所得に、そして国内総支出に等しい。総生産の増加は総所得の増加につながる。その意味では、生産の増加は、所得と支出の増加をもたらすから、GDPは必ずしも生産者の利得のみを表す指標ではない。とはいえ、問題なのは次の点である。
 GDPの大きさやその中身のあり方を、社会全体で決めるのではなく、生産者が決めることが問題である。言い換えれば、資本主義経済の主権は消費者が握っているというのは、あくまでも絵空事であり、事実上、今日の資本主義の主権は生産者の手中にある、とガルブレイスは言うのである。
 私自身は次のように考える。GDPが経済のパフォーマンスの良し悪しを測る物差しにとどまる限り問題はないのだが、GDPが「社会全体の達成度を測る近代的な物差し」であるかのように言われるのが問題なのだ。
 社会全体の達成度がGDPによって測られるという考え方は、日本において、ことのほか根強いようである。GDPの成長率の速報値の公表が新聞の一面トップになるというのは、日本ならではのことであろう。欧米では、失業率や物価上昇率のほうが、経済のパフォーマンスの良し悪しを測る指標として、より重視されている。もうひとつ付け加えておかねばならないのは、GDPの成長率の高低が、すべての国民をベターオフにするかのように錯覚されているという点である。
 たとえば、化石燃料に炭素含有量に応じて課税する炭素税(環境税、温暖化対策税とも言う)の導入は、GDPの成長率を低下させるから差し控えるべきである、と主張する論者が少なからずいる。炭素税の導入により、得をする産業(ウイナー・インダストリー)と損をする産業(ルーザー・インダストリー)とに分かれる。また、同じ産業のなかでも、ウイナー・カンパニーとルーザー・カンパニーに分かれる。であれば、炭素税に反対すべき立場にあるのは、ルーザーの側の産業なり会社なりであって、そのロスをできるだけ小さくするよう、政府に要求するべきなのである。にもかかわらず、被害が国民全体に及ぶかのような「錯覚」に人びとを陥らせんがために、事あるたびに、GDPの成長率が持ち出されるのである。

「豊かさ」と「幸せ」

「豊かさ」という言葉の意味は必ずしも明らかではないが、それを測る物差しのひとつが一人当たりGDPであることだけは確かである。GDPが成長することは、経済が量的に拡大することを意味する。ただし、GDPの大きさは「社会全体の達成度」の物差しでないばかりか、その国に住む人びとの「幸せ度」の物差しでもあり得ない。
 一九四〇年代後半から六〇年代にかけてのころ、日本の一人当たり実質GDPは、今日のそれのたかだか五分の一程度でしかなかった。とはいえ、「貧しい」社会のなかを人びとは懸命に生きていた。学び甲斐と働き甲斐、そして生き甲斐を実感できるという意味で、だれもが「幸せ」を実感していた。一九五〇年代後半から六〇年代前半にかけて、「三種の神器」(白黒テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機)を手に入れたときに味わった「幸福」感、そして六〇年代後半以降に、3C(カラーテレビ、自動車、クーラー)を手に入れたときに味わった「幸福」感は、いかほどのものだったのだろうか。今日、私たちが実感する「幸福」感に比べれば、想像を絶するばかりの大きな「幸福」感の味わいだったに違いない。
 昨今、ニートやフリーターが増加しているのは、学び甲斐と働き甲斐の喪失を物語って余りある。もともと経済的な豊かさへの日本人の欲求は、存外、淡白なのかもしれない。実際、アメリカのお金持ちのように、週日はニューヨークで働き、自家用機で駆けつけたコロラドの別荘で週末を過ごすといった生活は、日本人の趣味に合わないせいか、もしくは、それだけの空間的余地がないせいか、日本ではほとんどあり得ないお金持ちのライフスタイルである。所得や消費と「幸福」の相関はきわめて希薄なのである。贅沢の限りを尽くしたからといって「幸福」を実感できようはずがない。

排除される者のいない社会づくり

「幸福」の源泉は、「参加」の意識、コミットメントとシンパシーである。参加、使命感、思いやりのいずれもが、他者との関わりにほかならない。言い換えれば、社会のなかにおける人間としての存在感を実感することこそが、幸福の源泉なのである。幸福のもうひとつの源泉は、目標を達成するまでのプロセスである。確固たる目標があって、それへ向かって一歩一歩前進してゆくプロセスは緊張感に富み、人びとに生き甲斐を感じさせる。目標へ向かっての階段を一段ずつ上るプロセスにおいて、人びとは幸福を実感するのだ。
 一人当たりGDPを物差しとする「豊かさ」の追求に、もはや私たちは疲れ果て、そして飽き果てたのではないだろうか。飽食の時代である二一世紀に、私たちが目指すべき次なる目標は「幸せ」である。とはいえ、「幸せ」の尺度とは何なのかはわかりにくい。少なくとも、「豊かさ」は「幸せ」の十分条件はおろか、必要条件ですらない。であれば「幸せ」とは何かよりも、「不幸せ」とは何かのほうが考えやすい。
 何らかの意味で「排除」されることが「不幸せ」の源泉である。このことの裏を返せば、「参加」することが「幸せ」の源泉である。排除の典型例は失業である。働きたいという意欲のある人が、働く場から排除されているのが失業だからである。また、アメリカ人の一七%が健康保険に加入していない。ということは、一七%ものアメリカ人が、医療サービスから「排除」されているという意味で「不幸せ」である。排除される者のいない社会をつくること。これが二一世紀に私たちが目指すべき課題ではないだろうか。

◎――――連載

瞬間の贅沢 第13回

武田双雲

Takeda Souun
1975年熊本県生まれ。書道家。
http://www.fudemojiya.com/futaba-mori/souun.htm


書




真心鉄砲 数うちゃ当たる

◎――――編集後記

編集室より………

▼この一月三一日は第3回「ダイヤモンド経済小説大賞」の締め切りでした。
 この賞は、経済小説分野で日本で初めての文学賞として二〇〇四年に創設されました。スタート時は、「経済小説」と分野を限っての賞にどのくらいの応募があるのだろうかと、期待と不安を抱きながらでしたが、おかげさまで期待以上の数と水準の作品の応募をいただいております。
 昨年の第2回大賞を『デフォルト』で受賞された相場英雄さんは早くも第二作目の『株価操縦』をこの三月九日、弊社より刊行されますし、同じく昨年優秀賞を受賞され一二月に『覇権の標的』として出版された阿川大樹さんも、この四月にソニーマガジンズから第二作目を刊行予定と、受賞者の方たちが作家として着々と地歩を築いてゆかれるのを見るのは、事務局としてかかわった者にとっても嬉しいことです。
 さて、今年はどんな新しい才能に出会えるだろうか――第一次選考に携わる社内のプロジェクトチームメンバーは、仕事の合間の時間を見つけるのに苦労しつつも、楽しく真剣に応募作を読み込んでおります。
 二月末にまず一次選考会、次に一次選考を通過した作品を一〇名ほどの社内選考メンバー全員が読んで三月末に二次選考会を行います。ここで最終選考にかける三〜五作品が決まり、選考委員の四人の先生によって、五月末に大賞が選出されるという運びです。
 経済小説というジャンルも徐々に認知度が高まっているようです。選考委員である安土敏先生、幸田真音先生、佐高信先生、高杉良先生のあとに続くような、すばらしい経済小説作家を輩出する賞に育てていきたい――それが、この賞を主宰する弊社社長をはじめ携わる者たちの夢なのです。
(佐藤)

▼小社発行のマネジメント誌『ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー』はその内容の専門性ばかりが注目され、読者の皆さんには「難しそう」「実践的ではない」という印象を持たれているようです。ところが、使い方、読み方次第では、日々の仕事にも即座に活用できるものになるのです。そのギャップを埋めるべく、編集部ではこの度ブログを立ち上げました。
 内容としては、各論文のポイントや関連書の紹介はもちろんのこと、企業の施策と論文がいかに関連しているかといったことも紹介していきますので、これまで縁のなかった論文にも、興味が湧いてくるはずです。
 出版社のブログとしては(弱気)、高頻度の更新を約束します。本誌を読まれている方も、読まれていない方も是非アクセスしてみてください。DHBRブログ(http://dhbr.hontsuna.net/

「Kei」について

「Kei」はダイヤモンド社の広報誌として全国主要書店でお配りしている小冊子「Kei」の電子版です。

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「Kei」では、経済・経営に関する論文の投稿を受け付けております。字数は1000〜4000字。受け付けは電子メールのみです。冒頭に概要、氏名、略歴、住所、電話番号、電子メール・アドレスを添えてください。採否についてのお問い合わせには応じられません。採用の場合は編集室より電子メールでご連絡します。受け付けのアドレスは以下のとおり。

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