CONTENTS

巻頭エッセイ

堀田 力 自分を活かせる社会へ

エッセイ

武田双雲 私がNTT社員から書家になったわけ
小島寛之 「働きアリ」のモデルで、成果主義を考える
アレックス 初めての部下。うまく能力を引き出すには
渋井真帆 「稼ぎ力」ルネッサンス プロジェクト
牧野・M・美枝 「決してあきらめないこと」――オグ・マンディーノの人生法則

連 載

宮台真司 「下位システム」とは何か
川勝平太 シュンペーターが見定めていたウェーバーの限界
若田部昌澄 構造問題の解決に必要なものは何か?
安土 敏 小説 「後継者」
佐和隆光 J・K・ガルブレイスの新著 『悪意なき欺瞞』
飯田泰之 ハイパーインフレーションとその終焉
かづきれいこ 元
池内ひろ美 人間関係に悩む男たちへ
泉ゆきを 疲れる前に休もう 9
編集後記

対談

荒井寿光/岸 宣仁 「ゲノム敗北」の歴史は「壮大な失敗学」のテキスト

◎――――【巻頭エッセイ】

自分を活かせる社会へ

堀田 力

Hotta Tsutomu
1934年生まれ。京都大学法学部卒業。弁護士、さわやか福祉財団理事長。著書に『否認』『堀田力の「おごるな上司!」』など。

 いまの日本人は不幸だ。
 これまでは完全に会社に依存する生活を送り、定年を迎えると依存するものがなくなって、極端な例では引きこもり老人になる人もいる。
 かつては物質的に豊かではなく、高度経済成長とともに一所懸命働くことが幸せな時代であったが、いまは時代が変わって、必要なものはたいてい揃っている。もはや、がむしゃらに働くことだけが幸せだとは限らない。
 しかし、仕事以外に、自分に幸せな場面を見つけているかというと、決してそうではない。それまで仕事を離れて、自分のやりたいことを考える機会がなかったから、新しい幸せの尺度が何かわからないのだ。
 いま日本が迎えようとしている市民社会・高齢化社会では、自分の能力を活かして、社会の中でやりたいことを自由に行えることが基本にならねばならない。つまり、自分を活かす社会である。
 もし仕事が生き甲斐だというのを変えられないのであれば、その人の能力に合った仕事を見つけられる社会にしていく必要がある。そのためには、企業も、年齢などではなく個人の能力ややり甲斐を基準に採用するように意識を変えねばならない。
 仕事以外に楽しみを見出した人でも、やりたいことが自由にできるわけではない。年を取って体の自由がきかなくなってくると、好きなコンサートに行くのもままならない。
 自分を活かす社会とは、他人に対してもやりたいことを認めることでもある。自分は自由にやって、まわりは知らないというのでは単なるエゴだ。自分の立場が強い人であればいいが、そうでない多くの人は、まわりの協力なしに自由に生きることはできない。お互いに助け合って、それぞれの人生を築いていく「共助」が必要になってくる。
 これまでのように働くことが絶対の時代には、働くことは「自助」であり、働けなくなった後は年金などの「公助」を頼りにする。「自助」と「公助」だけの社会であった。これは人を働くか否かのみで分類する、あまりに経済偏重のギスギスした社会だ。
 これからは、そうした線引きをしないで、誰もが助け、助けられる市民社会を考えなければいけない。もちろん自分のことは自分でやるのが基本だが、自分でやれないことがあったら、それをすべて政府に頼るのではなく、ボランティア活動のように助け合う「共助」の部分が必要だろう。

◎――――エッセイ

私がNTT社員から
書家になったわけ

武田双雲

Takeda Souun
一九七五年、熊本生まれ。母である武田双葉に師事し、三歳から書を叩き込まれる。二〇〇三年上海美術館より「龍華翠褒賞」を授与。イタリア・フィレンツェ「コスタンツァ・メディチ家芸術褒章」受章。フジロックフェスティバルなどでのパフォーマンス書道&筆文字ワークショップほか、様々なアーティストとのコラボレーションを行なっている。主宰する書道教室(ふたば書道会師範)は門下生約一〇〇名。
HP:http://www.fudemojiya.com/

 私がNTTで法人営業マンとして働いていた時、世はITブーム真っ盛りで、その勢いを日々体感していました。私にとってインターネットやシステムの普及は、世の中をひっくり返すのではないかと思うくらいの衝撃でした。でも、世の中が一気にシステム化の方向へ進んでいく中で、一つの疑問が湧いてきたのです。そして、仕事とはどこまでいっても人間同士の感情の交換だと思っていた私は、機械が苦手とする人間くさいアナログの部分に意識が向いていきました。
 そんな頃、熊本の実家に帰った時に社会人としてはじめて、母の書道家としての姿を真正面から受け止める機会を得ました。私自身、母親が書道家だったということもあり、幼い頃から書道を始め趣味としてただ書を続けていましたが、母の作品に対して人々が様々な反応をしている光景を目にして、書に対する新たな視点が生まれたのです。書に興味を持つ人は予想以上に多いのではないかと。
 そこで、書をインターネット上でビジネスとして展開できないかと考えました。ホームページを立ち上げたりしていくうちに、私は独立を決意したのです。そして、これからのビジネス展開に向けて鼻息荒く活動している時、運命を変える出逢いがありました。
 横浜駅の路上で、あるサックスプレイヤー、坪山氏のストリート演奏に出くわしたのです。彼の演奏を聴いて多くの観客が優しい顔をしたり、涙したりする光景を目にして衝撃を受けました。ビジネスのことで頭がいっぱいだった私は、完全に打ち砕かれました。「何のために独立するのか」「何のために自分が存在しているのか」。そういうことを一から考え直すきっかけになりました。よい書を追求し、多くの人々が感動してくれる姿をイメージした瞬間、鳥肌が立ったのです。
 その時から、「感動」を主軸においた私の書活動が始まりました。
 それから一年後、一つの夢であった彼とのコラボレーションも実現しました。恵比寿ガーデンホールにて約一〇〇〇人の前で、彼の音楽が流れる中、大筆で七メートルの「夢」という字を書き上げました。このコラボレーションをきっかけにして、パフォーマンス書道家としての活動も始まりました。
 今は、パフォーマンス書道、作品制作、書道教室の三つを軸にした活動をしています。いずれも、形は違えど「感動」をテーマにした活動です。これからも自分が感動できるような書を追求し、多くの人に感動を与える書活動を世界へ向けて展開していきたいと思います。

書

◎――――連載

歴史が教えるマネーの理論 第4回

●貨幣数量説…III

ハイパーインフレーションとその終焉
―――静学モデルから動学モデルへの転換

飯田泰之

Iida Yasuyuki
一九七五年東京生まれ。駒澤大学経済学部専任講師、内閣府経済社会総合研究所客員研究員。著書に『経済学思考の技術――論理・経済理論・データで考える』(ダイヤモンド社)などがある。

  本連載では、開始以来マネーと物価の関係について考えてきました。そして、両者の関係についての最も基礎的な理論として、「貨幣量が増大すると物価は上昇する」という原始的な貨幣数量説を解説しました。しかし、この原始的な貨幣数量説は、貨幣と物価以外の「他の事情を一定として」という前提なしには成立しません。

新古典派の数量説とその限界

 近世後期、または産業革命以降には、原始的な数量説の説明力は非常に低いものとなります。これは近代的な産業が芽生え、それに対し農業から工業への人口移動が始まると経済成長率(実質的な産出量の増加率)が上昇し、「他の事情」が一定でなくなってしまったからです。このような状況に対応して、産出量の変化(経済成長率)を考慮した形での貨幣数量説――新古典派的な貨幣数量説が誕生します。
「マネーと経済成長率からインフレを説明できる」という新古典派的な貨幣数量説の命題、これがマネーの流通速度が変化するときには説明力が低下することには、新古典派的な貨幣数量説の主唱者自身がすでに気づいていました。しかしこの点は、その後の応用研究の文脈では次第に意識されなくなっていきます。それは、当時の金融制度の下では、「特殊な状況」を除き、「マネーの流通速度の変化が大きくなかった」ことに由来します。
 そこで今回のテーマとして「マネーの流通速度(の変化の大きさ)こそが重要となる?特殊な状況?」について説明します。その代表が「ハイパーインフレーション」です。ハイパーインフレの定義としては「月率50%を超える価格上昇」ですが、今回取り扱う1920年代ヨーロッパのハイパーインフレは、それをはるかに上回る高率インフレです。ドイツでは瞬間最大風速で月率3万%超えを記録しました。

ハイパーインフレーションとマネー

 「貨幣数量説で説明できない典型例としてのハイパーインフレ」と書くと奇異に感じる人もいるかもしれません。というのも、解説書などには「ハイパーインフレ状況は貨幣数量説が妥当する典型ケース」だと書かれているものが少なくないためです。
 しかし、1920年代に限らずその後のハイパーインフレ局面においてもこれは半分正しく、半分は誤りです。また、「一度ハイパーインフレになると、それを人為的に止めることはできない」との解説が加わることも多いようです。これもまた誤りなのですが、まずは貨幣量とハイパーインフレについて考えていきましょう。
 最も有名なのは、第一次世界大戦後のドイツのインフレーションでしょう。高額紙幣の束でコーヒー1杯すら買えなかったというのはあまりに有名なエピソードです。同時期にはオーストリア、ハンガリー、ポーランドでもそれに劣らない規模の高率のインフレが発生していて、これらはまとめて「四大インフレーション」と呼ばれます。同時期のインフレーションとその終焉に関し、きわめて明快な回答を導いているサージェントの論考に従って同時期の経済について考えていきましょう。ドイツでは1923年に紙幣の切り替えが行われ、同時期のマネーの動きが見えにくくなっていますので、ここでは「四大インフレーション」のひとつであるオーストリアを例に説明します。
 オーストリアは、第一次世界大戦前にはオーストリア=ハンガリー二重帝国と呼ばれ、中部ヨーロッパからバルカン半島に至る広大な国土を有していました。しかし、敗戦後のサンジェルマン条約(連合国の対オーストリア休戦条約、1919年)において、その領土は現在のオーストリアとほぼ同程度、世界有数の巨大帝国から、中欧の一小国にまで縮小しました。当然ながらウィーンとその近郊の人口は、新生オーストリアの首都としては過大な規模となります。その結果、失業者が急激に増加しました。
 さらに、それまで食糧供給の多くを頼っていたハンガリー地域・バルカン半島との交易は、これらの地域が「外国」となったことにより、貿易障壁に阻まれ、深刻な食糧不足に陥りました。
 このような失業対策と食糧危機への対応のため、オーストリア政府は巨額の財政的支援を余儀なくされました。これに対して、支持基盤の脆弱だった当時のオーストリア政府は、増税ではなく「国債(正確には大蔵省証券)の中央銀行直接引き受け」という手段で資金調達を行いました。途中の制度的なプロセスを省略すると、要するに「お札を刷ってばらまいた」のです。
 ここで、当時のオーストリアの物価と紙幣流通高に関するグラフを見てみましょう。紙幣のみが「マネー」というわけではありませんが、発行される紙幣と貨幣総額の間には密接な関係があります。1921年から次第に紙幣の量は増加し、多少の時間的前後はあるもののほぼ同じペースで、物価も上昇していきます。これが、「典型的な貨幣数量説的状況としてのハイパーインフレ」という理解が生まれた理由であると考えられます。
 しかし、注目すべきは1922年10月以降の物価とマネーの関係です。1922年9月をピークとしてオーストリアの物価は「突然に!」安定します。一方、マネーの伸びは同年末までハイパーインフレの絶頂期と大差ないペースで増加を続け、その後も年率40%の高率な成長を続けます。1923年以降、オーストリア経済が急激な経済成長を経験したわけではありません。この終焉は、単純な貨幣数量説では全く説明のつかない状態です。

「現在」を決めるのは「将来」。動学的に考える

 この「突然の終焉」は、四大インフレーションというよりも、全てのハイパーインフレーションに共通する特徴です。突然の終焉の理由を考えるには、まず加速段階から考えていく必要があります。
 本連載でマネーと物価の関係を考えるときに何度か言及してきたのが「仙人の島」の寓話です。そこでは「貨幣は常に使い切る」という設定をおき、新古典派的な数量説では「貨幣の流通速度は急激には動かない」と考えることが多いとも説明しました。しかし今回のケースを考えると、「貨幣をどの程度の期間保有するか」も、経済的動機によって決定されざるを得ません。
 さて、ここで当時のオーストリア国民になったつもりで考えてみましょう。敗戦、そして失業・食糧危機対策のために莫大な財政赤字が続いています。当然、この財政赤字を埋めるための支出削減はできません。ましてや、増税は現政権の崩壊を招くこととなるでしょう。すると、このような財政赤字のファイナンスは、紙幣発行によって調達されることに思い至ります。
 政権交代など大きな変化のないオーストリアでは、今後相当の期間にわたって大幅な財政赤字が続き、同時に急速な貨幣の追加供給が行われるということがわかります。
 貨幣の増加がその価値を低下させる(インフレ圧力である)ことは、どの時代であっても変わらない事実です。今後価値の低下が予想される貨幣を一生懸命保有しようとする人はいません。すると、貨幣を手にしたら一刻も早く貨幣以外のものに換えようとのインセンティブが働きます。みなが必死で貨幣を手放そう(そして値上がりが予想される商品の形で保有しよう)とするのですから、貨幣の流通速度は急速に上昇します。
 さらに、このようなインフレ予想が実際に実現してしまったのを目の当たりにしたならば、さらなるインフレが予想され物価は上昇します。すると政府の失業・食糧危機対策費は(当然生活費が上昇しますから)さらに拡大し、そのためにさらなる紙幣乱発へ……その結果……と事態は無限ループへと向かいます。
 以上をまとめると、「将来のインフレが予想される経済状態では現時点もインフレになる」のです。これまで言及してきた原始的数量説、そして新古典派的貨幣数量説では、「将来どうなるから……」という視点はそれほど重視してきませんでした。しかし、経済が大きな変化に直面しているとき、「現在」を決めるのは「将来」、そして「将来見込み」なのです。
 なお、経済学ではこのような「将来見込み」は「期待」と呼び、現在・将来を同時に考えることを「動学的」と呼びます。

ハイパーインフレの終焉

 動学的に考えると、「ハイパーインフレの突然の終焉」について、理解できます。財政赤字の継続、それによる紙幣の増発がインフレ「期待(将来見込み)」をつくり、それが実際にマネーの加速的な増大、そしてハイパーインフレを生んでいたのです。では、このような期待が消失すればどうでしょう? 「マネーが増大し続けるとしても、それを加速するような事態には至らないだろう」と考えられたなら……ハイパーインフレを支える条件は消滅します。
 第一次世界大戦後の四大インフレに関しては、戦勝国の敗戦国支援が真剣に論じられ始めたときに、この「ハイパーインフレ条件」が消滅しました。オーストリアの場合、1922年8月に国際連盟評議会が、オーストリアの救済と財政・金融改革について拘束(コミットメント)力のある協定を交渉し始めたのがきっかけでした。実際の救済はおろか、その議定書の内容公開(同年10月)を前に事態は収束し、ハイパーインフレは終焉を迎えたのです。
「拘束力のある、または信頼される政策立案による物価動向の変化」という命題は、次回以降の日本の昭和恐慌を考える上でも重要なファクターになります。そこで、次回はコミットメントと政策の効果についてやや理論的な解説をすることにしましょう。

(1)Marshall (1871), ‘Money’では人々が手元に置くマネー量の変化が物価水準に影響を与えることを指摘しています
(2)Sargent, Thomas J. (1986), Rational Expectation and Inflation, Harper & Low, Publishers, Inc.(国府田他訳『合理的期待とインフレーション』東洋経済新報社)

◎――――連載

球域の文明史 第15回

シュンペーターが見定めていた
ウェーバーの限界

川勝平太

Kawakatsu Heita
一九四八年生まれ。早稲田大学大学院経済学研究科修了。英国オックスフォード大学大学院博士課程修了後、早稲田大学政治経済学部教授を経て、国際日本文化研究センター教授。著書に『経済学入門シリーズ 経済史入門』『日本文明と近代西洋』『文明の海へ』『文明の海洋史観』など

両巨匠の限界を見定めていたシュンペーター

 前回はシュンペーターの『経済発展の理論』を取り上げながらマルクスとのかかわりについて指摘した。しかし本書の注目すべきところは、マルクスだけではなく、ウェーバーともかかわっていることである。今回はこの点について述べたい。
 同書第一版が一九一二年に出版されたとき、この書物を「経済史に関する本」と受けとめる読者があり、シュンペーターは「誤解だ」とそれに強く反発した。その「誤解」をとくために、最終章におかれた「国民経済の全体像」が第二版から省かれた。そのため第一版では七章構成であったのが、第二版では六章構成に変わっている。
『経済発展の理論』が「経済史に関する書物」であるという誤解を与えたことに、私は改めて注目しておきたい。
 ただ、シュンペーターは第二版の序文で「あらゆる他の経済理論と同じように、経済史とはなんの関係もない」と断り、「この書物(『経済発展の理論』)の内容を問題にしようとする専門家に対しては、今後この新版(第二版)のみを利用されることを希望する」と述べたことで、経済史家の関心を不当にそらせたのは残念である。
 今日では、『経済発展の理論』を経済史の本と誤解する経済学者はいないだろう。それと同時に、経済史を理解する鍵を提供する内容をもっていることを否定する者もいないであろう。
 経済史家にもっとも利用されてきた書物を一冊挙げるとすれば、日本では『資本論』であろう。さらにもう一冊挙げるとすれば、経済学の本ではないが、マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』であろう。
 ウェーバーがマルクスを意識していたことは疑いない。前回紹介したように、シュンペーターもまたマルクスを意識していた。では、「シュンペーターはウェーバーを意識していたのか」と問えば、答えは「イエス」である。
 シュンペーターはマルクスが死んだ一八八三年に生まれた。マックス・ウェーバー(一八六四―一九二〇)はマルクスより四六歳年下だが、シュンペーターよりは一九歳年長である。そして、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』が出版されたのは、シュンペーターが二〇歳になってまもなくであった。
 ウェーバーとシュンペーターが会見し火花を散らしたエピソードは紹介されることがあるが、シュンペーターは『経済発展の理論』では直接、ウェーバーに触れていない。しかし、注意深い読者ならば、シュンペーターがウェーバーとの方法論的相違について明確に意識した記述を探し出すことができる。それは同書の第二章におかれた注三(岩波文庫本、上巻、一七〇ページ)であろう。少し長いが引用しておこう。
「本書の第一版が受けた最も腹立たしい誤解の一つは、私の発展理論がただ一つの要因、すなわち企業者人格を除いて他のすべての歴史的変動要因を無視していることは非難すべきであるとされたことである。もし私の叙述が、このような批判において想定されているようなものを意図しているとすれば、それはたしかに無意味であろう。しかし、私の叙述はそもそも変動の要因を問題としたのではなくて、これらの要因がいかにして実現するか、すなわち変動の機構を取り扱ったのである。私の示した『企業者』というものですら、ここではけっして変動の要因ではなく、変動機構の担当者なのである。しかも私は単に一個の変動要因を考慮したのではなく、むしろいかなる要因をも考慮しなかったのである。そのうえ、われわれはここで、とくに経済組織、経済様式などの変動を説明する要因を問題としたのではない。これもまた別個の問題である」

シュンペーターは変動のメカニズムに注目した

 ウェーバーが問題にしたのは、まさに、資本主義という経済様式を生む変動の要因であった。それを「プロテスタンティズムの倫理」とし、また資本主義という経済組織を変動させる要因を「資本主義の精神」とした。一言でいえば、ウェーバーは「エートス」をもって変動要因としたのである。
 それに対して、シュンペーターは、自分の理論対象が、変動の要因ではなく、メカニズムを問題にした、と述べてウェーバーとの対比を明言したのである。
 経済にかかわる変動のメカニズムを説明する核心が「企業者」という範疇である。今日でこそ「企業者」「経営者」などは経済活動を論じる際に誰もが当然のように使う概念であるが、シュンペーター以前に、この範疇を経済過程の説明に用いた人はいない。
 シュンペーターは、ウェーバーとの方法論的差異を意識し、かつウェーバーをも自己の体系の中に取り込む意図をもっていた。それを示す論述が第一版にある。それが第二版で全部削除された第一版の最終章(第七章)であるが、この第七章は邦訳されている。佐瀬昌盛訳「国民経済の全体像」がそれであり、『シュンペーター 社会科学の過去と未来』(ダイヤモンド社、一九七二年)に所収(同書の三一三ページから四〇三ページの九〇ページの長さであり、佐瀬氏が訳注を含め一六ページの解説を付している)されている。
 シュンペーターがそこで論じているのは「国民経済の全体像」そのものではなく、それをどう説明するか、という方法論である。
 ここでは、国民経済を「静態」でなく「動態」という脈絡で捉えるというスタンスが、くどいばかりに力説される。だが、経済が均衡状態に向かうという新古典派の理論が普及しつつある中で、その主流派の理論を均衡理論、循環理論として一括し、静態や均衡の「攪乱」を正面から取り上げて国民経済を論じるのが自分の理論だと、宣言しているのである。
 シュンペーターは時代の潮流に真っ向から挑戦している。均衡の攪乱とはいわば「変化」そのものであり、「変化の一般理論」を構築する意気込みである。

「移行期」こそが時代変化そのもの

 それがいかに常識と異なる接近法であるかは、次の例からもお分かりいただけるであろう。
 日本の歴史の変化を見るとき、奈良、平安、鎌倉、室町、江戸、明治時代などと時代区分される。しかし、この時代区分論は変化を語っているようで、実は変化した後の安定した時代の名称を並べているだけである。各時代の合間の時期こそが時代変化そのものであるが、通常の時代区分は、時代の合間の移行期で歴史を通観していない。移行し終わった前後の安定した時期の名称で歴史を通観しているだけである。ここには移行期は短く、移行後に社会は安定する、という暗黙の了解がある。
 こういう常識に挑戦したのがシュンペーターである。経済の変化が、何によって生じ、どのような産業が盛衰したか、なども変化についての主題になりうる。しかし、彼はそのような変化の原因や具体的な変化の事例を論じているのではない。変化そのものを論じているのである。
 経済社会を動態の相貌のもとに捉えるのである。それは経済学者が経済を静態で捉えているという批判的総括に立ってのことであった。静態と区別される動態を、シュンペーターは方法論として、もっとも強く意識した。静態を論じる理論は「静学」であり、動態を論じる理論を「動学」とし、国民経済を動態のもとに捉え、自己の経済理論を動学と宣言したのである。これは画期的なことであった。

「『企業者』は経済変動の担当者である」

 経済動学の軸に据えられたのが「企業者」である。企業者とは「新結合を遂行する機能」をもつ人間である。「結合」という概念もきわめてユニークである。経済では生産、消費という概念がある。それに対して、彼はあえて「結合」という概念を提起した。生産も消費も「物と力(エネルギー)の結合」である、という理解に立っているのである。では、なぜシュンペーターはあえて結合という概念を出したのであろうか。
 明言されていないが、資源は有限だという認識がある。エネルギーは形をかえても総量は変わらない。物も地球にあるだけの総量しかない。物もエネルギーも利用できる総量は限られている。その一定総量のもとで物と力(エネルギー)が結合されて物が生産され消費されている、とみる。
 このような全体観は哲学的である。世界を無限と考えるか、有限と考えるかについて、基本的スタンスがはっきりしているのである。そうした全体観に立ってこれまでの物と力の結合の仕方を変えることを、彼は「新結合」と呼んだ。新結合は新しい原料の獲得、新しい生産方法、新しい生産組織、新しい商品、新しい市場という五つの項目が挙げられている。しかし、彼はこのような結合をできるのが人間であり、それを行なう主体を「企業者」と呼んだ。
 経済活動における企業者は、社会活動、文化活動においては別の範疇で捉えうる。彼は、そのような一群の指導的立場に立つ人間が、個人であれ集団であれ、立ち現れるという理解に立っていた。
「国民経済の全体像」の末尾では、経済以外の領域におけるそういう変化の類比物や社会的現象について述べられている。そして「区別された諸領域に対しては、現実にまた一般的に、やはり相互に差異をもつ人間集団が対応している」(三九一ページ)という理解のもとに経済発展との類比において、社会発展、文化発展というものを考えていた。
 シュンペーターは経済発展における「企業者人格」に対して、社会発展や文化発展については「指導者人格」という概念も用意していた。つまり、経済領域における変化の一般理論を、社会の諸領域における変化の一般理論に通用するものとして構想していたのである。
 マルクスとウェーバーという両巨匠を念頭におきつつ、変化の一般理論を構想していたシュンペーターの体系は、マルクスのみならずウェーバーの貢献とともに、限界をはっきり見定めていたのである。それはマルクスの体系とウェーバーの学説を批判的に総合する試みでもあった。

◎――――エッセイ

「働きアリ」のモデルで、
成果主義を考える

小島寛之

Kojima Hiroyuki
一九五八年東京生まれ。東京大学理学部数学科卒業、同大学院経済学研究科博士課程修了。帝京大学講師を経て、現在は同大学経済学部助教授。著書に『サイバー経済学』『確率的発想法』『MBAミクロ経済学』などがある。

 成果主義の問題点を告発する本があちこちで話題だ。現在、日本の七割の企業が成果主義を導入しているそうだが、当初は、これでやっと日本もタダシイ競争社会になる、と考えられていたのだろう。しかし、いざ施行されてみると、オカシイ、何か違う、そんな風に経営者も社員もいら立ってきているに違いない。
 そこで、筆者の専門である数理経済学の立場から、この「成果主義」へ批判的な視線を向けてみることにする。
 ゲーム理論に「働きアリ・怠けアリゲーム」という面白いモデルがある。生物学での観察から、アリの集団が働きアリと怠けアリに一定比率で分かれていることが報告されている。これをゲーム理論の立場から数理的に説明したものである。
 説明にはこんな寓話が使われる。アリたちの集団において、たまたま出会った二匹のアリがペアを組んで仕事をするとせよ。そのときアリの戦略は二つ、「熱心」か「怠け」である。もしも二匹とも「熱心」の戦略を取れば互いに3点ずつの得点を得る。二匹とも「怠け」なら0点ずつである。さらに一方が「熱心」で他方が「怠け」の場合には、「熱心」が1点、「怠け」が4点となる(労力に対するエサの量という意味から、この配分となる)。このとき、アリたちの選ぶ戦略はどうなるだろうか。
 幸いにも、全部のアリが怠けることは生じない。そうなったらすべてのアリがエサにありつけないからだ。しかし、ほとんどのアリが「熱心」戦略を取る世界も実現されない。なぜだろう。それは、自分とペアを組む相手が高確率で「熱心」戦略だとわかるのなら、自分は「怠け」の方がオイシイからだ。こう気付いたアリが続々と自分の戦略を「怠け」に変えていき、やがてアリの集団が「熱心五割、怠け五割」の比率に分かれることで、つり合いが実現されることになる。
 このとき、個々のアリがどちらの戦略に属すかは、偶然によって決まるにすぎない。個々のアリの性向が生来から二種類に分別されているわけではないのだ。  その証拠に、両タイプのアリがいる集団から働きアリだけを抜き出して精鋭部隊を作っても、五割は怠け出す。逆に怠けアリだけを取り出しても、五割がバリバリ働き始める。
 さて、あるタイプの人間の職場も、アリの職場と似たゲーム構造を持っているとせよ。その場合、つり合いとして実現される社員の「実力」や「努力」は、個人にそもそも本来的に備わっていたものではなく、職場のゲーム構造下での経済合理性から、確率的に決まったものにすぎないだろう。
 このような職場においては、「成果主義」は明らかに、その前提と根拠を失うはずである。

◎――――エッセイ

自著紹介 主人公は語る
『駆け出しマネジャーアレックス コーチングに燃える』

初めての部下。うまく能力を引き出すには

アレックス

 みなさん、こんにちは。ボクが本書の主人公、アレックスです。九月に発売された『駆け出しマネジャー アレックス リーダーシップを学ぶ』では、ご声援ありがとうございました。お蔭様で大好評につき、第二弾として再びお目にかかれることになりました。
 今回の『コーチングに燃える』は、食品メーカーが舞台です。この会社に転職してきた当初は一介の平社員だったんですが、提案した企画が採用されたのを機に、プロジェクトのリーダー役を務めることになりました。初めて、部下を持つことになったんです。
 最初の部下は、大学を出たてのゴードン。数字の分析が得意で筋は悪くない。でも、仕事の無駄が多いんです。どう助言していいのか悩みました。次の部下、トムとディックは犬猿の仲でチームの雰囲気は悪くなるばかり。これも手が焼けました。一番弱ったのが、採用
したばかりのアンガス。ボクが何をいっても馬耳東風で話を聞いてくれないんです。  いやはや、教えるのって、そう簡単じゃないんですね。でも、あと一歩が足りない部下も、少々問題のある部下も、ちゃんとコーチングすれば、うまく能力を引き出すことができるんです。本人にとってもチームにとっても、それが一番ハッピーだと思いました。
 一方、ボク自身も教わる側としていろんな人のお世話になりました。直属の上司のボブ、マーケティング担当のシニア・マネジャーのサラ、CFO(最高財務責任者)のマイケル。効果的な助言の仕方など、コーチングの好例を我が身で受けて「目からウロコ」でした。
 どうやら、コーチングにもツボがあるようです。本書ではボクの体験した物語を軸に、コーチングの秘訣をあますことなく紹介します。ぜひ、ご覧ください。
(主人公アレックス談)

イラスト

 世界一四カ国で人気のアレックスが帰ってきた! わかりやすく的確な「物語+ポイント」形式は健在です。
 第一弾『リーダーシップに学ぶ』は発売直後にたちまち増刷! 絶賛発売中です。そして一一月には第三弾「モチベーション編」を刊行予定。ご期待ください。

書籍

『駆け出しマネジャーアレックス コーチングに燃える』
定価 一四七〇円(税込)

◎――――連載

経済を読むキーワード 第12回

構造問題の解決に必要なものは何か?

若田部昌澄

Wakatabe Masazumi
1965年生まれ。早稲田大学大学院経済学研究科、トロント大学経済学大学院博士課程修了。早稲田大学政治経済学部助教授。著書に『経済学者たちの闘い』『昭和恐慌の研究』(共著)など。

オリンピックの経済学

 今回の夏季オリンピックは、予想を上回る日本人選手の活躍で日本人の大きな関心をひきつけた。深夜に及ぶ放映がもたらした生産性への影響(?)はともかくとして、エンターテインメントとしての価値は最高だったといえよう。
 日本選手団の「成功」を論じる議論がこれまた面白い。いわく北島選手、泉選手といった一九八〇年代生まれの新世代台頭論、いわく前回のシドニー大会での「敗戦」を受けて組織が見直された成果とする組織改革論などなど、あたかも日本経済の復活論議をほうふつとさせる。あるいは納税者ならば、財政支出が全体として削減されているなか、オリンピックの全メダル総数における獲得率を一〇年間で三・五%まで倍増させるというJOCゴールドプランに対して予算増額があったことには注意を払うべきかもしれない(もちろん、このようなメダル獲得政策の正当性は別途考えなければならないだろう)。
 ところで、オリンピックのメダル数といえば、大竹文雄教授は興味深い国際比較研究を紹介している。それによると前回大会までのメダル数の予測には人口、一人当たりGDPの両者がほとんど同じ程度に影響を与えるという。けれども、これだけではどちらの面でもドイツやフランスよりも大きい日本の低調さが説明できない。次にオリンピック開催国、旧・現共産圏といった要素を加えてみたものの、まだ日本の低調さは説明できない。そこで考慮したのが一つ前の大会のメダル数である。これでも日本の低調さは説明しきれないのだが、この変数は他の変数よりも説明力が高いという(「オリンピックの国別メダル予測」『産政研フォーラム』六三号、二〇〇四年七月三〇日、三九〜四一頁。http://www.iser.osaka-u.ac.jp/~ohtake/paper/sanseiken040731.pdf)。このような知見はオリンピックだけでなく日本経済の構造問題を考える上でも役に立つというのが今回の主題である。

日本の生産性は低下したのか?

 浜田宏一・堀内昭義・内閣府経済社会総合研究所編『論争日本の経済危機』(日本経済新聞社、二〇〇四年)は、現代日本経済の論点を整理するための格好の本である。出版までに二年以上の時間をかけたためか、いささか時機を失した感がなくはない。しかし、なぜこれだけの時間がかかったかは本書を一読するとわかる。著者たちの徹底的な議論の積み重ねは類をみない。
 もちろん、二人の編者が同意できないほど異論は残っている。しかし、注意深く読めば興味深い事実が浮かび上がるし、同意点も意外なほどある。
 たとえば、日本の構造問題がどれだけ深刻なのかについて、この本の第I部で宮川努教授、野口旭教授が論じている。この問題について著名なのは、林文夫教授とエドワード・プレスコット教授の論文である(Hayashi, Fumio and Edward C. Prescott (2002), メThe 1990s in Japan: A Lost Decade,モReview of Economic Dynamics, Vol.5)。構造問題というといったい何をさしているのか曖昧な議論が多いなかで、この論文はまったく違う。日本経済の成長経路の低下には労働時間の減少と、全要素生産性(TFP)上昇率の低下という二つの要因があったと指摘している。
 しかし、大まかに技術進歩の指標とみなされているTFPという概念は注意が必要である。これはたとえば稼働率の影響を受ける。そこでその影響を除去してみた計算がいくつかある。宮川教授によると、日本のTFP上昇率は、一九八一〜八五年には〇・七五%、八六〜九〇年には二・五一%、九〇年代に入ると、九一〜九五年が〇・五六%、そして九六〜九九年が一・一八%となる。
 これは実に興味深い事実である。第一に、九〇年代後半の数字は、八〇年代の前半を上回ってさえいる。第二に、例外的に高い八〇年代後半はいわゆるバブル景気の時代であり、九〇年代の後半は景気が回復した時期をはさんでいる。このことは野口氏が指摘しているように、他の研究からも裏付けられている。
 もう少しミクロの視点から日本の技術革新能力について検討したのは、リー・ブランステッター教授と中村良明氏の論文である(Lee Branstetter and Yoshiaki Nakamura(2003), メIs Japan's Innovative Capacity in Decline?モin Structural Impediments to Growth in Japan, University of Chicago Press, この本の編者の一人は林教授である)。
 彼らによると九〇年代において、日本企業の技術革新能力そのものの低下は見られないし、ましてやそれは長期停滞の原因ではないともいう。しかし、九〇年代以降、技術革新の成長率が鈍化していることは事実であるとして、著者らは不況によるR&D支出削減の効果だけでなく別の要因もあげている。すなわち日本のR&Dが高度化し、最先端に近接するにつれ、大学からの科学知識の実用化が重要になるにもかかわらず、それに対応しきれていない状況を指摘している。具体的には、日本の大学の科学水準とそこからの技術移転が不十分なこと、縮小する研究予算のなかで雇用を確保するために、多くの研究者が現場を離れてしまうといった組織上の問題が指摘されている。

短期と長期の関係が重要

 問題が複合的な場合、重要なのは問題を適切に切り分けるべきだということは、何度も主張してきた。この場合、重要なのは、組織の問題といったいわゆる「構造問題」と、それ以外の問題を適切に切り分けることである。
 このことを経済学でいう短期と長期の関係として考えてみたい。経済学で用いる短期とか長期というのは、現実の時間的な長さとは直接には関係がない。このあたりが経済学のわかりにくさの一因となっているかもしれない。たとえば長期的な成長経路への回帰に、現実には一〇年以上の時間がかかることも十分にありうる(大恐慌のころのアメリカではそれくらいの時間がかかっている)。現代日本の経済停滞とは、デフレによって長きにわたって、経済学でいう短期に閉じ込められている状況と考えられなくはない。
 短期と長期の関係は、しかしもう少し丁寧な考察が必要だろう。たとえば、現実の時間で長きにわたる日本経済の停滞は、長期的な成長経路にどのように影響を与えるだろうか?
 そのような影響をもたらす一つの経路は、R&D支出の変化である。ブランステッター教授らが指摘するように、不況によるR&D支出の削減は技術革新のスピードに影響を与えるだろう。また労働市場へ影響を与える経路もある。失業によって失われた人的資本をさらに蓄積するのには時間がかかるかもしれない。
 このような効果を履歴効果という。さらに、円高のように名目為替レートが一時的に(何らかの均衡為替レートに対して)過大評価されるとき(為替のミスアラインメントという)、それが産業構造に長期的な影響を及ぼす可能性がある。この履歴効果の可能性を認める点においては、先の浜田・堀内本の宮川、野口両教授はともに同意しているのである。

ただすべきは短期的な政策の失敗

 短期的なマクロ政策の失敗は長期的にも悪影響をもたらす。だとしたら、まず政府が行うべきは短期的な政策についての失敗をただすことだ(浜田・堀内編『論争日本の経済危機』七六頁。なお、宮川氏がこの点に異論を唱えているのは理解に苦しむところである)。
 履歴効果が働くときには、短期的にはこれまで以上に経済を拡大する必要があるという考えもある。構造問題を強調する論者のなかには、短期的なマクロ政策は「付け焼刃」にすぎないと考える傾向があるが、これは誤りである。実際、構造問題を重視する論者でインフレ・ターゲットに賛成する人々もいる。インフレ・ターゲットの導入を唱えるリフレ派が経済改革に反対しているというのが誤解にすぎないことは、すでに連載第6回で強調した。
 それだけではない。林文夫教授は「たとえ、緩やかなデフレであってもそれが継続すれば、金融再生は不可能であり、経済への悪影響もきわめて大きい」と警鐘をならしデフレ脱却のためのインフレ・ターゲット採用を説く「金融システム再建緊急提言」に賛同したことがある(「経済学者七氏の『金融システム再建緊急提言』、日銀にインフレ目標の導入要請」『日経金融新聞』二〇〇一年一〇月五日)。
 またブランステッター、中村両氏も、マクロ経済政策の必要性を次のように説く。確かに政府はこれまでにも大学での科学振興や新規事業振興といった数々の政策を実施している。「しかしそうした政策は、日本の全体的なマクロ経済的状況が改善されない限り、十分な正の効果を生むにはいたらないだろう。日本の貧弱なマクロ経済的成果の原因を革新活動の減退に求めることはできないのだが、反面、日本経済の停滞が続くと、日本企業の研究活動には長期にわたる負の影響がもたらされるかもしれない。したがって、短期的に日本の革新の実績を強化する方策は経済成長を回復することである」(Branstetter and Nakamura (2003) ,p.219)。そのような観点から、彼らは日銀によるインフレ目標政策採用を含むマクロ経済政策の採用を求めている。

過去の失敗に学べ

 オリンピックの話に戻って、一つ前の大会の成績は他の変数よりもメダル獲得数に説明力があるという知見は、選手の育成には時間がかかること、一度育成した選手が何回かにわたって活躍できることを意味している。これまでの日本の低調ぶりは、日本が東京オリンピックの遺産を食い潰し、過去に選手を育成した歴史がないことだと大竹氏は示唆している。
 他方、オリンピックとは異なり日本企業はこれまで着実に力を蓄えてきた。日本の生産性上昇率は九〇年代の後半ですらそれほど低いわけではない。もちろん、技術革新などについて今後解決すべき問題は多々あるだろう。その解決の主たる担い手は民間である。しかし、そのような問題の存在は、マクロ経済政策における政府の役割を否定しない。むしろ反対である。政府は民間企業が着実に力を振るえるように良好な環境をつくりださなければならない。それに失敗してきたのが九〇年代以降の日本経済の歴史だった。オリンピック同様、経済についても成功ではなく、過去の失敗から学ぶべきものは多いのである。

◎――――連載

ガンバレ!男たち 第9回

人間関係に悩む男たちへ

池内ひろ美

Ikeuchi Hiromi
1961年岡山県生まれ。一女を連れて離婚後、96年にみずからの体験をベースに『リストラ離婚』を著し話題となる。97年、夫婦・家族問題を考える「東京家族ラボ」を設立、主宰する。近著『勝てる!? 離婚調停』日本評論社刊(町村泰貴民事訴訟法教授と共著)。

写真

 独立行政法人労働者健康福祉機構が、昨年四月から今年三月までに受けた、勤労者およびその関係者からの相談件数は一万二九二〇件。対前年度比五六%増。相談内容は、上司との人間関係が一二一一件、その他の人間関係一一五四件と、人間関係についての悩み相談が目立つ。将来に対する不安、落ち着かない、不眠などの相談も多く、自殺願望があるという相談も四一四件。「精神障害等」による労災請求・認定件数は五四六件(請求四三八件、認定一〇八件)で過去最高。

「上司はアホだし部下はマヌケ。正しいのはいつだって私なんですよ。なのに、会社はそれを正当に評価してくれない。会社を辞めたいんですよ。でも今のご時世、転職したっていいことないのは分かっているので辞めませんけどね。でも、会社に行くのが嫌でしょうがない。まあ、サラリーマンなんてみんな同じ。好きで会社に行ってるヤツなんていないでしょうから私も続けますよ、アホな上司の下でね」
 三〇代半ばの情報処理会社中間管理職の彼の話は、こんな調子にだらだらと続く。相談というより単なる愚痴だ。話のポイントも見えない。聞き手が心理カウンセラーであれば、こんな話が続くのを待つのも仕事だが、あいにく私はカウンセラーではなくコンサルタントだ。心を癒してあげる役割ではなく、彼が抱える問題解決の糸口や具体的な解決法を考える役割である。その結果、心が癒されることもあるだろう。まずは話のポイント整理から入るとしよう。すると彼は、それまで椅子から乗り出していた身を引きながら言う。
「池内さんって、女なのにけっこう強くてキツイですよね」
 彼にとって女とは弱くて優しいものなのだろう。その女が物事の本質を明らかにしたり、彼自身の問題点を指摘すると不快感をあらわにする。彼の予測していることと異なる対応に怯えて自身の弱さを露呈したのは少し気の毒に思う。
 いつの頃からか、日本人、特に男性は人間関係に「悩みを抱える」ようになった。人間関係に難があるというよりも、他人との関係性に非常に脆弱になった。中高生も仲間外れにされることを極端に恐れるあまり、非常に傷つきやすくなっている。引きこもりという、世界でも類を見ない日本独特の心の病も、人間関係の脆弱さが生み出したものだろう。
 余談だが、引きこもりの子どもたちを韓国など外国に連れていき、一定期間住まわせると治ってしまうというケースが報告されており、なぜ治るのかについてはまだ結論が出ていないが、とにかく治ってしまう例が多いので注目もされているし、プログラムも組まれている。
 このような話を聞くと、日本という国が、人を病むようにしてしまっているようにも思えるが、問題の責任を社会に押し付けても個人の解決にはならない。社会人は、人間関係でどれほど悩もうと、日々戦っていかなければならないからだ。上司や部下がいかにアホでマヌケであろうとも、任務は遂行しなければならないのである。では、人間関係に悩んでいる社会人はどのようにすればいいのか?
 答えは簡単だ。「悩みを抱える」ことをしなければいい。驚きの回答だが、ここでピンときた人はすでに問題は解決されています。逆に、そうではない人、悩んでいるから苦しんでるのに、なんだ、その言い草は、と怒りを感じた人へ伝えます。言い方を変えましょう。ここから先は人間関係に悩まない、と決断することによって悩みは消えます。
 あえてこんな伝え方をする理由は、今の日本男子に、強くなろうという意志が欠けているように思えるからだ。強い人間は最初から強いわけではない。望む自己イメージを高く持ち続け、いつの間にかまわりが強いと認めるだけだ。戦後女性が強くなったと言われるが、それは多くの女性がその意志を持ったからである。しかし、男性は少なくともここ二〇年ほど強くなろうとしてこなかったと思う。人の顔色を窺うのは日本人の特性だが、特に男性は人の思惑や評価ばかりに気を取られ、その結果、心がすっかり弱くなってしまった。
 心が強くなったからといって嫌な上司を好きになるわけではないが、上司や部下を嫌と思うことと悩むことはまったく別問題である。嫌いな人であっても付き合わなければならないこともある、そのことを悩まないと決めることで楽になり仕事に集中できる。なにより、決断する男はカッコいい。女子社員の味方は確実に増え、あなたの見方も変わる。

◎――――エッセイ

「稼ぎ力」ルネッサンス プロジェクト

渋井真帆

Shibui Maho
キャリア&マネーアドバイザー。一九九四年立教大学経済学部経済学科卒業。都市銀行に女性総合職として入行後、専業主婦、百貨店販売、証券会社を経て、二七歳のとき株式会社マネー・リテラシー研究所設立。さらに、新聞社、金融機関などのセミナーやコンサルティングも行う。男子禁制の「女のたしなみマネー塾」「女のたしなみ やわキャリ塾」を運営、二〇〜四〇代の女性を対象にマネー・リテラシー教育に取り組むほか、雑誌などでの執筆活動も好調。

 世の中には成功する人と失敗する人が存在します。仕事でチャンスを得て、実績をつくり、評価される人もいる一方、そうでない人もいます。両者は分けるものは一体何でしょうか? 資格の有無? 学歴? キャリア? 一般的にはそれらが分岐点だと思われていますが、どうもそうではありません。では、仕事のスキル? けれど一通り仕事の流れが分かってキチンとこなしていても、それだけでは足りません。
 一体何が足りないのでしょうか?
 足りないことがあるのは分かっているのに、それが何か見当もつきません。けれどその“何か”を手にしている人たちが存在しているのも確かで、その“何か”を持っているかいないかの差が、そのまま社会生活やビジネスにおける優位性の差になってしまっていることに、私たちはウスウス気づいています。
 その“何か”こそ、この本のテーマである“稼ぎ力”です。
 現在私は、金融機関を中心としたコンサルティング、各種執筆活動、そして男子禁制の「女のたしなみマネー塾」「女のたしなみ やわキャリ塾」の運営という三本柱で活動を行ない、おかげさまで大きな反響をいただき、忙しい毎日を送っています。もちろん収入も増え、年収は八ケタ、時給六五〇円の頃の一〇倍以上になりました。
 前回、塾で提供している「稼ぎ力ルネッサンス プログラム」のひとつ、「決算書読みこなし隊」を『あなたを変える稼ぎ力養成講座 決算書読みこなし編』として書籍化し、おかげさまでベストセラーとなりました。けれど同時に、「決算書を読みこなせるようになるだけで、本当に稼ぎがUPするのでしょうか?」といった質問も数多く寄せられました。
 答えは当然NOです。決算書が読みこなせるようになった“だけ”で、稼ぎがUPしたら、世の中にはもっとお金持ちが増えているはずです。『あなたを変える稼ぎ力養成講座 決算書読みこなし編』は、「稼ぎ力ルネッサンス プログラム」の枝の部分でしかないのです。
「ならば幹の部分が知りたい」そういった声に応えて、今回この本を書きました。  この本は、稼ぎ力をつけたい男性・女性、女性の育成に悩むマネジメント層、コーチングの実践に悩むコーチ志望者、妻に稼ぎ力をつけて家計を助けて欲しい夫、仕事とは何かについて悩む学生や転職希望者、さらには自分が社会で無力なことに心を痛めている第二の渋井真帆のために書きました。
 この本が、読者の皆さんの内に眠る“稼ぎ力の種”の存在に気づかせ、その種をビジネスの場で開花させ、稼ぎ力UPするきっかけになれば幸いです。

(二〇〇四年秋発売予定『「稼ぎ力」ルネッサンス プロジェクト』より)

◎――――連載

M式社会学入門 第17回

「下位システム」とは何か

宮台真司

Miyadai Shinji
一九五九年生まれ。東京大学大学院博士課程修了。社会学博士。現在、東京都立大学人文学部社会学科助教授。著書に『権力の予期理論』『終わりなき日常を生きろ』『自由な新世紀・不自由なあなた』など。

 社会学の基礎概念を説明する連載の第一七回です。第一部(第一回〜第五回)では、社会システム概念自体の理解に必要な説明をしました。第二部(第六回〜第一六回)では、社会システム理論が分析用具とする個別概念を説明しました。今回からは、第三部です。
 第一部は「社会とは何か」で始まり、第二部のラスト二回は「人格システムとは何か」「自由とは何か」で終わりました。慧眼な読者にはお分かりの通り、こうした順序は、社会学という学問の性質をご理解いただくために、それなりに考え抜かれた構成なのです。
 社会とは、私たちのコミュニケーションを浸す暗黙の非自然的な前提の総体だと言いました。そうした社会を考察するべき理由は、自由について考察するときに浮き彫りになります。私たちが自分たちを自由だと思うことと、社会の中にあることとは、どんな関係にあるか。
 拙著『サブカルチャー神話解体』(1993、石原英樹・大塚明子と共著)に記した通り、文学・漫画・映画・写真などの歴史を見ると、各人が能うる限り自由に表現した作品であっても、社会毎、時代毎に明確な型が刻印されます。当人は型を必ずしも意識していません。
 かかる現象が起こる理由は、各人のコミュニケーションが暗黙の非自然的な前提によって条件づけられているからだと理解できます。こうした条件づけは、デュルケームが「契約の前契約的前提」(『社会分業論』)と称した問題を拡張したものに相当しています。
 本人の目から見て端的に自由であるものが、傍目(観察者の目)から見て社会的に条件づけられていること。このことの意味を徹底的に考察し、それがどんな具体的現象を帰結するのかを徹底的に観察すること。これぞ、近代的学問としての社会学の学問目的です。
 しかしそうした学問であるがゆえに、前回紹介したような誤解が生じがちなことにも留意すべきです。「本人が如何に自由だと思っても、傍目には社会的に条件づけられてある以上、結局のところ自由はありえない」とする思考です(自由を自己決定と置き換えてもOK)。
 この種の誤解が社会学者――とりわけ共同体主義を主張する者――の間にさえも蔓延します。前回を復習すれば、カントの自由意思論(『実践理性批判』)が示すように、自由とは因果的な自己原因性ではありません。すなわち、因果帰属でなく選択帰属の問題なのです。
 自己原因的でなくとも――社会的に規定されていても――意思が妨げられていない以上は別の行為を意思できた筈だと理解される。私たちが現にそう理解しているということです。その限りで当事者に意思の自由があると見做され、帰責が――倫理が――可能になります。
 社会学を誤用して「社会的被規定性ゆえに自己決定はあり得ない」と称する自称共同体主義者がいますが、笑止千万。自己決定がありえないのなら、「自己決定はありえない」と“言論市場”で喚くのは無意味そのもの。共同体的言説もまた、“言論市場”で自己決定的に選ばれるのです。
 むろん自己決定は社会的に規定されます。共同体や伝統によって浸されます。そのことの自覚は、自己決定の意図せざる結果を免疫化する意味で重要です。であればこそ「自己決定を伝統で縛れ」の自己矛盾と「自己決定で伝統を選べ」の再帰性との差異が重要です。
 かかる差異は、「近代の限界」に対するに「近代の超克」を以てするか、「近代の徹底」を以てするかという伝統的対立をも帰結します。日本の共同体主義の嚆矢たる亜細亜主義者は大半、「近代の徹底」を以て「オルタナティブな近代」を構想する者の、謂いでした。
 日本の右翼のルーツたる玄洋社が「民権派」であると同時に「亜細亜主義」を標榜したことが象徴的です。まさに国家の強制ならざる国民の自己決定において、流動性を前提にした収益価値よりも、多様性を前提にした共生価値を選ぶことを、断固賞揚したのです。
 そのことに鑑みれば、今般目立つ「社会的被規定性を以て自己決定を否定する輩」「自己決定が共同性や伝統を破壊すると見做す輩」「自己決定が多様的近代ならざる流動的近代をのみ後押しすると看ずる輩」こそ、右翼の名に値せぬ唐変木だと断定して差支えありません。

政治にも経済にも還元できない社会システム

 さて、前回の予告通り、今後数回にわたって、宗教システム、法システム、政治システム、家族システムなど、社会システムの近代的な下位システムの幾つかを、記述していきます。それに先だって、下位システムとは如何なる概念なのかを、説明しなければなりません。
 連載初回に述べた通り、社会の概念は、仏革命期以降の社会的不透明性の増大に呼応して一九世紀半ばにかけて生まれました。一般的定義は先に紹介した通り。それ以前、社会の類似概念として「ソキエタス・キウィリス」「ビュルガーリッヘ・ゲゼルシャフト」がありました。
 それぞれ邦訳すると「市民社会」となりますが、含意はそれぞれ別物です。ソキエタス・キウィリスは、アリストテレスの倫理学や政治学に登場するギリシア語の概念です。ビュルガーリッヘ・ゲゼルシャフトは、ヘーゲルの諸著作に登場しているドイツ語の概念です。
 後に詳しく説明する通り、社会システム理論では、政治とは、共同体の全体を拘束する決定を産出する機能(集合的決定機能)を果たす装置の総体であり、経済とは、共同体の全体に資源を行き渡らせる機能(資源配分機能)を果たす装置の総体のことです。
 これらを前提にすると、ソキエタス・キウィリスの概念は「政治優位」であり、ビュルガーリッヘ・ゲゼルシャフトの概念は「経済優位」です。近代の社会概念と違い、前者は集合的決定機能において、後者は資源配分機能において、共同社会の全体性を把握します。
 前者は、血縁原理が支配する原初的社会を離脱して一定の階層分化を達成した高文化社会において、部族的範域を大きく超えた単位(コイノニア・ポリティケ)の決定に各部族的単位(オイコス)が従わなければならない理由を、主題化するところに生まれました。
 後者は、近代初期に勃興した産業ブルジョアジーが、集合的決定にそぐわないコミュニケーションの領域として市場経済を見出す(政治からの自由)と同時に、かかる自由を担保するべく市場の担い手の政治参加(政治への自由)を願望するところに、生まれました。
 前者を象徴するのがアリストテレス政治学で、共同体の営みを人体に擬えた上で政治的コミュニケーションを「頭」と見做します。後者を象徴するのがマルクス経済学で、下部構造たる経済的営み(生産関係)が、残りの営みを上部構造として支えていると考えます。
 因みにマルクスはビュルガーリッヘ・ゲゼルシャフト(市民社会)を、市場の無政府性が一人歩きする怪物だと捉え、この無政府性を克服するために社会主義革命を構想しました。この構想に従って、二〇世紀には「東側」と呼ばれる社会主義国家群が生まれました。
 社会システム理論の鼻祖パーソンズは、東側のような政治の肥大した体制(後述)が生まれたのは、古典派経済学からヘーゲルを経てマルクスに至る「経済優位」の社会把握に問題があるからだと考えました。社会システム理論の構想は実はそこから生まれたのです。

機能的に分化した社会システム

 パーソンズは、経済機能(資源配分機能)や政治機能(集合的決定機能)を含めて数多の機能的達成をせずには存続できないものとして社会システムを捉え、かつこれらの諸機能を担う下位的なシステムが、どれが優位というのでもなく相互依存する形を考えました。
 パーソンズは、ベイルズの集合行動論をヒントに、数多の機能を「適応・目標の達成・統合・潜在パタンの維持」の四つに整理しましたが(AGIL図式)、後に批判を浴びたように、さしたる根拠はありません。しかし抽象的な思考図式自体は、後に継承されました。
 抽象的な思考図式とは次のようなものです。有機体システムとしての私たちは、免疫システム、神経システム、消化器システム、循環器システムなどの下位システムに支えられています。これら下位システムの間に優劣の関係はなく、相互依存の関係があるだけです。
 同様に、近代の社会システムは、資源配分機能を担う経済システム、集合的決定機能を担う政治システム、紛争処理機能を担う法システム、根源的偶発性処理機能を担う宗教システムなどの下位システムが、相互依存する形で成り立っている――こう考えるわけです。
 むろんどんな社会システムでも、資源配分機能・集合的決定機能・紛争処理機能・真理探究機能・根源的偶発性処理機能などの遂行は不可欠です。ただ近代社会は、その他の社会と違い、これら機能的課題に従ってシステムを分化させる点が特徴的だと考えるのです。
 どんな社会システムにも見出される普遍的な機能として何が数えられるのかは、論争的な課題です。近代社会に限って専ら家族システムが担う「感情的安全機能」や、専ら教育システムが担う「選別&動機づけ機能」などは、多くの理論家が普遍的だと見做しています。
 これら普遍的な機能的課題の達成のために社会システムをどのように分化させるか(させないか)によって、社会システムごとに独自の、必ずしも普遍的とは言えない機能的課題が生じることがありえます。これらを「機能的副次問題」と呼ぶことができるでしょう。
 こうした発想に従い、社会システム理論家は、近代化を、社会システムの機能的分化だと捉えます。幾つかの普遍的な機能に従って下位システムが分化することが、近代化だということです。このことを切り口に、下位システム概念の意義を更に深く理解しましょう。

近代化と、下位システムへの機能的分化

 近代化とは何か。一つには産業化を意味する用法があります。産業化とは規模の大きな生産設備を必要とする第二次産業が発達することです。故に産業化は第一次産業を通じた資本蓄積を前提とします。この意味では東側の一部が近代化を遂げていることになります。
 こうした用法は、列強に肩を並べるための国力増強=富国強兵化に由来します。ところが、こうした用法を嫌って、「東側は産業化はしたが近代化は遂げていない」といった言い方に拘る向きもあります。この場合の近代化は、一口で言えば、市民社会化のことです。
 市民社会化とはビュルガーリッヘ・ゲゼルシャフトになること。人がゲマインシャフトリヒ(共同体的)な存在からゲゼルシャフトリヒ(市民社会的)な存在になること。つまり家族共同体や地域共同体に埋没することのない、自己決定的主体=市民になることです。
 かつての枢軸国や少し前までNIES諸国と呼ばれた後発近代化国では、例外なく「産業化は遂げたのに市民として振る舞えないこと」が問題視され、この意味での近代化が奨励されました。例えば共同体からの自立の困難が「近代的自我」の問題として議論されました。
 この用法だと日本は未だに近代化していないことになります。単なる用語法なのでそのように使っても構わないと言えますが、社会システム理論家のように近代化を「社会システムの機能的分化」として捉えれば、従来の用法にはなかった発見的な知見が得られます。
 社会システム理論家は、日本を近代社会だと見ます。すなわち機能的分化を達成した社会だと見做します。集合的決定機能(政治)、資源配分機能(経済)、紛争処理機能(法)、真理探究機能(科学)、根源的偶発性処理機能(宗教)が、癒合してはいないからです。
 これらの機能が癒合した社会の典型がかつての東側です。東側では、資源配分も紛争処理も真理探究も根源的偶発性処理も、集合的決定の対象でした。すなわち政治こそが、モノの配分を決め、何が真理かを決め、誰が裁かれるかを決め、究極の価値を決めていました。
 更に一般に中世社会と呼ばれる機能的ではなく階層的に分化した社会システムでは、社会上層の緊密なコネクションに、集合的決定機能(権力)も資源配分機能(貨幣)も紛争処理機能(正義)も真理探究機能(真理)も偶発性処理機能(究極性)も握られています。
 社会システム理論家は、近代社会、すなわち機能的に分化した社会システムを達成するのに、キリスト教的な個人性をベースに自己決定的主体化を経由する西欧先進国的ルートと、それを経由しない日本的ルートがあるのだと考えます。日本的ルートの実態は論争の的です。
 しかも、自己決定的主体化を経由せずに機能的分化を達成した社会システムにおいて、一度は歴史的に分化したシステムが、分化退行へと後戻りしない抑止メカニズムを備えうるかどうかも、セキュリティ不安を理由にした国家肥大が話題になる昨今、特に問題です。
 社会システム理論家ルーマンが述べた通り、西欧先進社会では、政治権力が介入してはならない市民の行為領域としての人権概念が、分化退行を抑止します。かかる行為領域として、貨幣や真理や信仰や参政のコミュニケーション領域が憲法に書き留められています。
 歴史的経緯ゆえに自己決定的主体観念の未成熟な日本では、国民が憲法的命令に基づいて国家を制御するという立憲政治の発想が乏しく、人権概念に基づく分化退行の抑止機能が期待できません。下位システムへの機能的分化の概念はこうした観察にも適用できます。

◎――――エッセイ

「決してあきらめないこと」
――オグ・マンディーノの人生法則

牧野・M・美枝

Makino M. Yoshie
翻訳家。現在は米国在住。訳書に、『人生の答えはいつも私の中にある』(KKベストセラーズ)、『きっと飛べると信じてた』『人生の意味を知るスピリチュアル・セルフ』『エンジェル・ヒーリング』(ダイヤモンド社)など多数がある。

 生きるとは、どういうことなのだろう……。これは誰しもが人生で一度は問う問題ではないでしょうか。わたしはなぜ生まれてきたのだろう。何のために生きているのだろう、と。
 オグ・マンディーノはこう答えます。人は与えられた可能性の最大限を生き、それを世に捧げるために生まれてきたのだと。誰しもその人生の使命でもある天賦の才能を持ってこの世に生まれ、それを最大限に使い、役立てなくてはいけない。自分がやってきたときよりも、去るときのほうがこの世が良くなるようにする義務がある。そうすることにより、人生は調和と満足と愛で満ち、「永遠の王国」での喜びが永遠に続くのだ、と。
 では、どうやってそれを実現したらよいのでしょう。どうすれば自分の天命を生ききることができるのでしょう。
 オグ・マンディーノは数多くの著作のなかで、その答えとなるいくつものきらめく宝石のような人生の法則を、心に染みる物語を通じて語ります。なかでも、ほぼどの作品にも一貫して見られる基本的な法則は、「決して、決して、決して、決して、あきらめてはいけない」というウィンストン・チャーチルの言葉に集約されています。この言葉は、とても力強く読者の心を揺さぶります。
 人生には失敗や挫折がつきものです。でも、そこであきらめてはいけない。なぜなら、『星のアカバール』(原題・The Gift of Acabar 牧野・M・美枝訳 ダイヤモンド社より一〇月に刊行予定)の中で、アカバールは主人公に、
「逆境はわざわいではない。それは祝福なのだ」
 と教えます。それは自分を鍛え、成長させる手助けとなり、さらには逆境によって「必死になることが、自分の能力を発揮するたった一つの方法」だからです。
 さらに、『きっと飛べると信じてた』(原題・Mission:Success! 牧野・M・美枝訳 ダイヤモンド社)のなかでは、老婦人ウィニーが、
「……もうこれ以上わずかでも耐えられないと思うとき、そのときが決してあきらめてはいけないときです。なぜなら、それが物事の流れが変わるときであり場所だからです」
 という言葉を引用しています。実際、あとになって状況が変わったことがわかり、あのとき、あきらめなければよかったという経験が誰にもあるのではないでしょうか。
 これは神秘的な宇宙の法則のひとつです。私たちが前進しようとするとき、それをどれだけ望んでいるか、どれだけの覚悟があるか、何を大切にしているのかを試される瞬間でもあります。ですから、そこで断念してはいけないのです。
 ところが、多くの人々はそうした逆境を迎えるとあきらめてしまいます。努力しつづけるよりやめてしまうほうが簡単だからです。そして、自分の失敗の言いわけばかりをして過ごす人のなんと多いことでしょう。マンディーノは人間のこんな状況を嘆きます。なぜなら、自らも人生をあきらめかけながら、そこから復帰した体験があるからです。

実体験で知った自らの使命

 マンディーノは、人生の敗者となり、自殺を考えるに至るぎりぎりの心の状態まですさんでいく体験をしています。財も失い、家族も失い、自らも消滅させてしまおうと考えるようなどん底の状態でした。そんな彼を救ったのは、人生の成功哲学を語る人々の言葉でした。それから彼は立ち直り、愛情豊かな妻と家族に恵まれ、天賦の才であった文筆によって大きな成功を収めます。
 この体験があったからこそマンディーノは、「決して、あきらめてはいけない」と私たちを鼓舞し、その言葉は私たちの魂に響く力を持っているのです。私にできたのだから、あなたにだってできる。だから、決して人生をあきらめ、無駄にしてはいけない――。
 こうして人々を勇気づけるオグ・マンディーノは、あのような逆境をくぐりぬけたために今の自分があり、その体験にもとづいて心から人々を叱咤激励することが自らの使命なのだと感じていたのではないでしょうか。自らが成功哲学の本によって救われたように、彼の言葉によって人々を救いたいという願いがこめられているようです。
 あきらめないでほしい。自らの天命を生きてほしい。そうすることが、自らの人生のみならず、この世をより良い世界にするのだから。

書籍

『きっと飛べると信じてた』
定価 一三六五円(税込)

◎――――対談

「ゲノム敗北」の歴史は
「壮大な失敗学」のテキスト

荒井寿光

Arai Hisamitsu
内閣官房・知的財産戦略推進事務局長。一九六六年東京大学卒業後、通商産業省に入省、特許庁長官を経て、二〇〇三年より現職。

岸 宣仁

Kishi Nobuhito
経済ジャーナリスト。一九七三年東京外国語大学卒業後、読売新聞社に入社。横浜支局を経て経済部に勤務し、大蔵省、通産省、日銀などを担当。九一年に独立。

 日本は知財立国を標榜していますが、アメリカからは大きく後れをとっていると言われます。

荒井 知財に関して、日本は「先進国ではない」という認識を持たなければならない。例えば特許が出願と同時に審査されるアメリカでは、特許が成立するまでにかかる期間は三年。それに比べて日本は出願後に審査請求が必要で、特許を取得するまでの期間は従来、平均で九年でした。だから国際競争を戦っている日本企業は「特許はアメリカで出願すればいい」と、日本の特許庁には出願しないケースも増えました。知財の「国内空洞化」現象です。ライセンスもビジネスの交渉もアメリカで完結して、アメリカン・スタンダードでビジネスゲームは進んでいるのが現実です。

 最近では中国も熱心に取り組んでいます。

荒井 中国はすでに一九九五年に大学に法人格を与えています。大学研究者の研究を事業化する素地がすでにできていたということです。日本は〇四年にようやく実現しました。また、弁護士の数で比べてみても、先進国のアメリカが一〇〇万人に対して、中国は現在約一三万人、日本は二万人と両国に比べて圧倒的に少ない。もはや「前門の虎・アメリカ」「後門の狼・中国」という状況ではなく、中国の方が進んでいる点もあります。

 発明報酬に関する議論も盛んですが、知財に関して日本企業の認識は変化していると思いますか。

荒井 いま、研究開発費が売上げの一〇%を占める企業も多いのですが、いざ研究開発で得た成果を守る知的財産に対する意識はまだまだ低い。同じお金をかけてつくった工場だったら、もっと設備効率やセキュリティに力を注ぐはずなのに、研究開発から得た技術やソフトウェアをどうやって使うか、守るかという「知恵づくり」の部分では、一層の努力が必要でしょう。

 私事になりますが、五年ほど前から知的財産権を軸に取材を続けてきました。その流れを追ううちに、二十一世紀の主役となるライフサイエンス産業の大きな転換点となったヒトゲノム解読史を、知財という視点を織り交ぜながら書き留めておきたいと思い、『ゲノム敗北』を執筆しました。

荒井 この著書は、日本の科学技術政策・知財戦略の歴史における「壮大な失敗学」のテキストだと思います。和田昭允さん(理化学研究所・前ゲノム科学総合研究センター所長)という主人公がいて、アメリカより五年も前に独創的なアイデアを生み出していたにもかかわらず、そのアイデアは生かされず、結果的にヒトゲノム解読完了(二〇〇三年四月)の時には日本の貢献度はわずか六%に終わった。この数字が国際ヒトゲノム計画における日本の敗北の象徴です。

 DNAの塩基配列を機械でいっぺんに読んでしまおうという、「DNA高速自動解読構想」は、和田さんの独創的なアイデアをうまく生かしたアメリカがシークエンサーというゲノム解読装置をつくり、国際ヒトゲノム計画の主導権を握っていきました。悲しいことに和田さんのアイデアは、日本の学界や官僚の縦割り構造の弊害と、科学技術政策や知財戦略におけるビジョンの欠如のために、潰されてしまいました。

荒井  本書では、そうした研究者たちの悲劇が縦軸にあり、横軸にはここ二〇年間の日本の科学技術政策がどう推移してきたかという政策論がある。しかもその背景として、日米貿易摩擦で日本が翻弄されてきた事実を書き込んでいる。

 荒井さんは通産省(現経済産業省)の官僚も経験されているから、貿易摩擦の件は感慨深いですか?

荒井 身につまされる思いです。貿易摩擦が研究用の機器開発にも影響を与えていて、それが日本の敗北につながっていくとは、当時は誰も想像しなかったでしょう。「バイ・アメリカン」をスローガンにして、外国の機器の購入を奨励した結果、まさかバイオの分野でこれほどまでに日本が負けるとは、私自身も思いませんでした。

 実は日本では、大学教授が発明したDNAの読取りの重要な技術が八三年に特許申請されていましたが、当時の科学技術庁(現文部科学省)が「大学の研究者たるものが国の税金で研究した成果を特許にするのはけしからん」と圧力をかけて、八四年には取り下げてしまう。惜しいことにそれがいま、世界に広がった基幹技術につながっています。

荒井 当時は大学人が産業に手を染める特許は「悪魔に魂を売り渡す行為」という雰囲気でしたから、知財というものが国家の技術や経済戦略にとって大事なものだという意識は誰も持っていなかったのでしょう。

 もっと早く手を打っていればという思いがありますか?

荒井 問題意識を持ってもっと早く政策を考えていれば、六%という負け方はしなかったでしょう。役人にも大学の研究者にも政治家にも、その問題意識がどこにもなかった。ゲノム敗北の歴史は日本の科学技術政策の遅れが如実に現れたケースだと思います。日本も総合科学技術会議ができて、ようやく国家戦略として「科学技術創造立国」を論じるようになってきました。資源のない日本の強みは、発明や創意工夫しかない。知財戦略で日本人の能力を発揮する仕組みづくりがますます重要になるでしょう。

岸/荒井

◎――――連載

メイクのカリスマが教える男前になる「ヒケツ」第10回

無意識のうちに
「部長の顔」になっていませんか?

かづきれいこ

Kazki Reiko
フェイシャルセラピスト。スタジオKAZKI主宰。傷ややけど痕などをカバーすることで心を癒す「リハビリメイク」の第一人者。知的障害者や老人ホームの方へのボランティア活動にも力を注ぐ。

 先日、オーストラリアへ行ってきました。美しい町並み、雄大な自然……。出会った人たちも、とても素朴で人なつこく、親切でした。
 ところで、オーストラリアでひとつ気がついたことがあります。それは、「どんな男の人も、堂々としていてカッコいい」ということです。
 この地でも失業率は高く、成人男性で職に就いていない人がけっこういるそうです。また、現地の人に話を聞くと、リストラにあって、金融関係や商社など典型的なホワイトカラーだった人が、ガソリンスタンドやファストフードの店で働いているということも珍しくないのだそうです。
 でも、たとえ失業中でも、身なりも態度もパリッとしていて、うちしおれた感じがありません。これは、日本と社会保障制度が違うことも関係しているのかもしれませんが、人間の「外観」と「心」の関係をテーマに研究している私にとっては、とても興味深いことでした。
 オーストラリアで気がついたことは、ここの男性たちは、日本人男性に比べて、「仕事が外観を左右する」ということがあまりないのだな、ということでした。つまり、仕事人としての顔と、個人としての顔が別なんです。だから、たとえ仕事の方が不本意な状態であっても、個人としてのプライドまでも失ってしまうことはないのではないでしょうか。
 もちろん、失業しても全く落ち込まないということはないでしょう。でも、少なくとも、それが外観に現れてしまうことはない。「どんな仕事をしていても、たとえ今は職がなくても、自分は自分」というプライドのありようが、外観(=表情やファッション、振る舞い方)にも現れているのです。
 それに対して日本人の男性は、仕事が服を着て歩いているようなものだと思います。
 職種によってファッションが決まってくる、というのはどこの国でもあることです。けれども日本ではそれだけでなく、その人の「地位」がファッションを決めてしまうように思います。もっと言うと、ファッションだけでなく、「顔つき」までも決めてしまうのです。
 年を取れば取るほど、「おれは●●会社の部長なんだ」「おれの給料で家族を養っているんだ」というところからくる自信がその人の顔を作っているのが日本です。だからそれを失ってしまったとき、顔つきまでもが別人のように自信がなくなり、しなびたキュウリのようになってしまうのです。
 仕事にしばられ、家庭にしばられ、会社帰りに飲む一杯のお酒だけが楽しみ……そんなお父さんは、家族にとっても魅力がないのではないでしょうか。「お父さんも自分の人生を後悔してほしくない、自分の人生をエンジョイしてほしい」と、家族も思っているはずです。
 その一歩は、個人としての顔を持つことではないかと私は思います。それが、失業してもお給料が下がっても、ゆるがない自信を手に入れることにつながるのではないでしょうか。
 といっても、難しいことを考えなくていいんです。背広以外に、自分の好きな服を着てみる。そこから始めたっていいと思います。「外観」は、他人に不快感を与えず、その場にふさわしくあることが確かに大切です。でも日本の男性は、そのことに重きを置きすぎているような気がします。
 自分のこころを楽しませる服。自分を変えてくれる服。そんな服を選ぶことから、「自信」のあり方が変わってくるかもしれませんよ。

イラスト

ILLUSTRAION BY ASAMO

◎――――連載

小説 「後継者」第6回

第3章 社長の変身──III

安土 敏

Azuchi Satoshi<
◆前回までのあらすじ
食品スーパー・フジシロの創業者社長・藤代浩二郎が、提携先である大手スーパー・プログレスを訪問した帰りの車中で謎の言葉を残し急逝した。浩二郎社長が残した謎の言葉と、スーパー・プログレスの数々の悪辣な乗っ取り話を聞いた開発担当役員である堀越は、プログレスがフジシロを乗っ取ろうとしているのではないかと疑う。その疑念をはらすため守田社長に動いてもらおうとするが、ダンマリを決めこみ何の判断もしないばかりか行動を起こそうともしない。浩介専務もまた責任感のない言葉を口にするばかりである。迷走するスーパー・フジシロは、どうなってしまうのか。守田社長が口にした思いがけない言葉とはなんなのか。



 スーパー・フジシロ本部管理者の月例情報交換会で話す守田社長の声に力がこもった。
「プログレスとの共同出店に社運を賭けるとすると、我が社のこれからの店作りの方向が、従来と違ってくるべきであるということは、皆さん十分お分かりのことと思います」
守田の声は、この数ヶ月でもっとも自信に満ちている。表情にも、ついこの間までのどこか怯えたような様子がない。
「第1に、これからの我が社の店は、世間にどこにでもある平凡なスーパーマーケットであることは許されません。大型店プログレスの1階もしくは地下にあるということは、町の商業の中核になるということを意味します。『プログレスとともにあるフジシロ』には、いわば『都市中核のデパ地下』としての役割が期待されているのです」
 50名ほどがロの字型に並んでいる。堀越のほぼ正面の席にいる重成が、呆れた顔をして自分を見つめているのが分かったが、あえて目を閉ざして守田のスピーチに耳を傾けていた。
「第2に、そのためにも我が社の特色、いわば『フジシロらしさ』を出さねばなりません。商品で、陳列で、従業員の制服や接客で、明らかに他店とは違う何かを提供することが大切です。全社一丸となって、そういう夢を実現しましょう」
 守田は名演説の最後の締めのつもりか、全員への呼びかけ調で話を終えた。拍手が起こらなかったのがおかしいというほどの終わり方だった。
 一瞬の静寂の後、出席者たちは、やがてひそひそと小声で話しながら会議室を出ていった。

「これを見てください。1週間前のものです」
 会議室から戻るやいなや、重成が堀越の席に走るようにやってきてデスクの上に流通業界紙を広げた。山田会長のアップ写真が大きく出ていて「プログレスの全国制覇新戦略」という活字が黒々と踊っている。
「それがどうした?」
「山田会長のインタビュー記事です。いいですか、読みますよ。『プログレスの店舗は、地方都市の商業の中核としての役割を期待されています。我が社の売り場は、お客様が、ここはプログレスだと常に感じ続けることができるような特色、いわばプログレスらしさに満ちていなければなりません』。どうです。守田社長の言葉と、まるでそっくりじゃありませんか」
「多分、その記事を読んで影響されたんだろう」
「そうじゃないと思います。そもそも3週間前に共同出店の約束を確認しに行くことさえ嫌がった人が、プログレスとの提携に社運を賭けると言い出すなんて変ですよ。何かがあったんです」
「何かって、どんなことが考えられる?」
「それにあの自信たっぷりな言い方も気になります。カゲロウがまるでオニヤンマになったようです。カゲロウは影の人。ひとりでは優柔不断で何も決められないからカゲロウなんです。だからだれかが後ろについたんです。それでないとあれほど自信満々にはなれないはずです」
「だれかがついた? だれだ?」
「もちろん山田会長です」
「そんな馬鹿なことがあるか。君が言うとおり、僅か3週間前に山田会長に会いに行くことをあれほど強情に拒絶した人だ。いつ、どこで山田会長と接触したんだ」
「そこが不思議なんです」
「分かった。私が守田社長から直に聞いてくる。山田会長と会ったのかどうか。それに、プログレスとの共同出店で我が社がデパ地下の役割を担うとは、一体どういうことなのか。浩二郎社長は、我が社はデパ地下の方向に行ってはならないと、いつも言っていたじゃないか。プログレスとの提携の際も、その点を気にして、あくまでフジシロの路線を守ることで合意したはずだ。守田社長はその大方針を転換するつもりなのか。社長には説明責任がある。どういうつもりなのかを聞いてくる」
堀越は、そう言いながら席を立とうと腰を上げかけた。
「ちょっと待ってください」と、重成が両手を広げるようにして押さえた。
「その前に、確認できることがあります。それが先です」
 重成は、何かを思いついた様子で、その場を離れ、同じフロアにある総務部の机の島に行って、折からそこにいた社長車運転手の中沢照彦と何かを話していたが、やがて中沢を伴って戻ってきた。
「予想どおりでした。守田社長は新橋の料亭で山田会長と会っています」
「料亭に行ったって、山田会長に会ったことにはならない。山田会長だと、どうして分かるんだ?」と堀越は中沢運転手に尋ねた。
「あの店では、待っている運転手に寿司を出してくれるんです。その席で、山田会長の運転手の辻村さんにはじめて会いました」
「辻村さん? 名前も知っているのか」
「何度かお会いしましたから。あの料亭に、もう一度行きましたし、プログレスの本部にも一度行きました。あそこは地下の駐車場に運転手控え室があって、私もそこで社長が出てこられるのを待ったんです。そこに辻村さんがいて、いろいろ話しました。とても話のおもしろい人なんですよ」
「信じられない」と、堀越は長嘆息した。
「それにしても守田社長は、なぜ我々に黙っているんだ。山田会長に会ったと言っても、何も問題ないじゃないか」
「問題はそこです。私たちに話すことのできない事情があるからだと考えられます」と重成は言った。謎を解いたシャーロック・ホームズもかくやと思うほど得意そうである。
「はじめに会ったときに、我々に黙って行ったから、いまさら言いにくいのかな」
「違います。守田社長は自ら進んで行ったのではありません。堀越部長が3週間前に、山田会長を訪問してくれと頼んだときには、嫌だと言った、その守田社長が出て行くには、それなりの理由があったのです」
「そうか。山田会長のほうから誘ったんだな。となると、今回の守田社長の変化の裏には、山田会長の意志が強く働いていると考えるべきだ」
「そうです。ですから守田社長と話す前に、他の役員などの態度に何か変化がないかどうかを探っておくべきです」
「君は大したものだ。そのとおりだ。すぐに調べてみる」
 堀越は、オフィスの中央にある役員の在否を示すボードを見た。各役員が数字で暗号化されていて、そこにランプが点いていれば在社である。

 商品部のフロアに下りていった堀越は、入り口の一番近くにいるグロサリー部長の花崎徹取締役の席に近づいた。だれにでも渾名をつける重成が「苦虫」と名付けた男である。実際にそんな虫がいるのかと、そのときの飲み仲間がからかったのだが、「架空の虫だが、花崎取締役を苦虫と呼ばないで、だれをそう呼ぶのか」と言って、重成は取り合わなかった。確かにこれほどおもしろくなさそうな顔はない。
 花崎は、その顔を堀越に向けて、ちょっと微笑んだ。せっかく笑っても、あまり笑っているように見えないのが苦虫たるゆえんである。
「花崎さん、さっきの守田社長の話、どう感じましたか」
「守田社長も、ようやくやる気になってくれたかっていう感じでしたね」
「しかし『デパ地下』風の売り場を作ると言っていましたよね。それでいいんですか」
「そういう時代なんじゃないの」
「でも、浩二郎社長は、デパ地下の真似は絶対に駄目だと言っていましたね」と堀越は言ったが、苦虫はそれ以上興味がないような顔だった。
 続いて、堀越は生鮮食品担当の狭山周一取締役の席に行った。
「『デパ地下』風なんて、私は好まないけど、社長がやると言うなら我々が反対するのはおかしいやね」
 重成にアメンボと名付けられた狭山は、穏やかな小声で言った。アメンボは「甘えん坊」、つまり厳しさが足りないという意味だと、命名のとき重成は解説した。
「でも、浩二郎社長だったら絶対にイエスとは言わないでしょう」
「しかし、いま社長は守田さんだよ。いろいろ考え方はあるからね」
 このふたりに対しては、すでに守田社長からの根回しが終わっている、と堀越は感じた。一体、何が起こるのか。堀越は、暗い気持ちであった。
(つづく)

◎――――連載

●連載エッセイ ハードヘッド&ソフトハート 第34回

J・K・ガルブレイスの新著 『悪意なき欺瞞』

佐和隆光

Sawa Takamitsu
一九四二年生まれ。京都大学経済研究所所長。専攻は計量経済学、環境経済学。著書に『市場主義の終焉』等。

政治経済への奥深い洞察

 今年の夏休み前半、私は、ジョン・ケネス・ガルブレイスの新著 The Economics of Innocent Fraud(邦題『悪意なき欺瞞』ダイヤモンド社刊)の翻訳に精魂こめて取り組んだ。本文わずか六二ページという小冊子の翻訳はわけないことだ、と思われる読者は少なくあるまい。そう思われる読者には、ぜひ原著をご一覧いただきたい。もともと平易で明快な文章を綴っていたはずのガルブレイスは、このたびの新著を、なぜこれほどまでと思われるほど難解な筆致で綴っている。その理由は、この新著が、四十余年来、数々の著書に表明されてきたガルブレイスの経済観、そして経済思想を凝縮した総まとめだからであろう。要するに、御年九六歳のガルブレイスが、渾身の力を振り絞って書き上げた、ガルブレイス経済思想の集大成のエッセンスが同書なのである。
 今年一月、日本経済新聞紙上に掲載された「私の履歴書」の最終回に、ガルブレイスは次のように書いている。「最近新しい本(『悪意なき欺瞞』)を書き終えたばかりだが、私がいかに経済学を学ぶようになったかについても本を書きたいと思う。とはいえ、この年ではもう多くの本を書くことはできない。米国にはそのことを喜んでいる人もいるはずだ。保守派の面々である」と。
 経済学界におけるリベラル派の泰斗ガルブレイスは、民主党の熱心な支持者である。それゆえ、二〇〇〇年の大統領選挙で共和党のジョージ・ブッシュ現大統領が僅差で民主党のアル・ゴア候補を破り、大統領に就任して後、二〇〇一年三月の京都議定書離脱に始まり、二〇〇三年三月のイラク派兵に至るまで、相次いで打ち出す一連の超保守主義(ネオコン)的政策に対して、ガルブレイスは強い憤りを感じ、いたたまれず、本書執筆にとりかかったのだろう。のみならず、エンロン、ワールドコムなどの「不正会計」の横行もまた、ガルブレイスに本書執筆を動機づけたようだ。反戦平和主義、そして公正、正義を信条とするガルブレイスにとって、今日のアメリカは空前の「危機」的状況に陥っているとの思いが募るのであろう。
 それゆえ本書は、けっしてガルブレイスの「私の経済思想の履歴書」ではなく、ガルブレイスの経済思想に基づく現代政治経済の奥深い洞察なのである。言い換えれば、ブッシュ政権下のアメリカにおいて、過去半世紀間以上にわたってガルブレイスが打ち鳴らしてきた警鐘の的││大企業による市場支配、軍産複合体の存在、投機のユーフォリア、大企業経営者の破格の高給││が、いまもって健在であると同時に、ブッシュ政権を支える基盤としての役割を演じつつあることを、著者は懇々と説くのである。こうした現代経済社会の抱える病巣の淵源は、保守派経済学者が説く「悪意なき欺瞞」に辿られる、とガルブレイスは言うのである。

学界に安住しない経済学者

 ガルブレイスは、数ある著作のほとんどが日本語に訳され、その多くがベストセラー入りしている、わが国内外で最も著名な経済学者の一人である。
 彼は、経済学の専門誌に論文を書くことに専念し、学界という「小さな世界」での王者を目指すのではなく、ときには政府の役人、ときには大使、ときにはジャーナリストとして、あえて学界の外に身を置き、ときには民主党の支持者として政治運動に参画するといった具合に、実に多彩な活動を繰り広げてきた。
 第二次大戦中、ガルブレイスは、ワシントンで物価管理局(OPA)に勤務する。第一次大戦中と戦後に起きたインフレの再燃を防ぐために設置された物価管理局には、あらゆる商品の上限価格を設定するという権限が与えられていた。「私の履歴書」によると、同局に勤務した二年間は「その後の四〇年分以上働いたのではないかと思うぐらい猛烈に働いた」そうである。そうした努力の甲斐もあって、アメリカは「戦時経済をインフレを起こすことなく乗り切る」ことができた。「私の人生で最大の業績は、このことに一行政官として貢献したことだと信じている」とガルブレイスは語っている。
 しかし、戦時中は、物価統制に反対する産業界の凄まじい抵抗に遭ったばかりか、戦後、国務省に職を得るにあたっても「物価統制の責任者」ガルブレイスを採用して産業界から反発を買うことを懸念する声があったという。また、戦後間もなくドイツと日本を訪れ、軍需産業の生産拠点をねらったはずの空襲が、実のところ、町を瓦礫の山とし、多くの婦女子の殺戮という被害をもたらした半面、軍需産業の工場は無事であったという「事実」を正直に報告したがゆえに、ガルブレイスは空軍ににらまれるようになった。その挙げ句、一九四九年にハーバード大学教授に就任する際、空軍シンパ、共和党の政治家、大企業トップらの大学評議員の反対により、教授就任が正式に決まるまで丸一年もかかったそうである。
 こうした経歴を持つガルブレイスが、日本で最も人気のある経済学者の一人であることに異論を差しはさむ人は一人としていまい。日本人のあいだでの「ガルブレイス人気」を物語る逸話が一つ「私の履歴書」に紹介されている。彼の生まれ故郷であるカナダのオンタリオ州アイオナ・ステーションという小さな町に、ガルブレイスの記念碑がつくられたそうだが、その理由が、なんとガルブレイスの生まれ故郷を見ようとやってくる、日本からの旅行者のためだという。日本人の物見高さのせいであるとはいえ、存命する経済学者で、その生まれ故郷を外国からの観光客が訪れるというのは、他に類例があるまい。

「悪意なき欺瞞」とは何か

 新著のタイトル『悪意なき欺瞞』は、大いに刺激的な響きを持つのではないだろうか。要するに、保守(新古典)派経済学の教科書に書かれていること、大学の経済学の授業で教わること、そして保守派経済学者がマスコミ等で喧伝することが、いかに「意図せざる欺瞞性」を帯びているのかを、痛烈に批判してみせたのがこの新著なのである。以下に、その内容を要約しておこう。
 経済学者が創り出す「真理のバージョン」は、現実とはなはだしく乖離しているにもかかわらず、何らかの利益団体に意図せざるサービスを提供し、人々の「信仰」の対象となりやすいという意味で、「悪意なき欺瞞」と言わざるを得ない。その具体例として次に示すような「欺瞞」が存在する。  市場経済の主権は消費者にあるとする欺瞞。国内総生産(GDP)を経済社会の達成度を測る絶対的な物差しであるとする欺瞞。企業経営そのものが悪しき官僚主義の複製であるのに、官僚主義は政府の悪しき特性であるかのように言う欺瞞。企業は経営者の意のままに管理され株主は蚊帳の外に置かれっ放しであるにもかかわらず、あたかも株主が主権を持つかのように言う欺瞞。実際には民が官をコントロールしているにもかかわらず、官と民という二つのセクターが対峙しているかのように言う欺瞞。当たるはずのない経済予測が当たるかのように言う欺瞞。金融政策が有効であった先例はないにもかかわらず、それが有効であるかのように言う欺瞞。アメリカの外交政策や軍事政策が、事実上、軍産複合体によって牛耳られているにもかかわらず、それらが政府の手中にあるとする欺瞞……。
 これらの欺瞞のおかげで、大企業とその経営者が巨富を得ているとガルブレイスは主張するのだ。

保守派に傾く政権への警鐘

 訳者の私自身もまったくそのとおりだと思う、ガルブレイスの指摘する「悪意なき欺瞞」を、日本のエコノミストの大部分は、そして日本の現政権は、あたかも「真理」であるかのように錯覚しているのではないだろうか。これは実に困ったことである。
 国内での所得格差の拡大や公的教育・医療の荒廃は、それらが修復可能であるという意味で許容範囲に収まる。しかし、イラク戦争への参戦に至っては、戦争に関与していない幼い子どもや婦女の命を無差別的に奪ったという意味で、アメリカそしてわが国の保守派が犯した取り返しのつかない罪悪である。かつて元軍人で保守派のアイゼンハワー元米大統領が「軍産複合体」に対して警鐘を打ち鳴らした。今日なお、軍産複合体は健在であるばかりか、イラク戦争を引き起こした張本人であることを、ガルブレイスは厳しく非難する。イスラム文明圏を「異端」視し、異端を「排除」するためには武力行使をも辞さないアメリカ保守派の蛮行に、なにゆえに日本政府は安易に同調したのであろうか。
 ガルブレイスは、「私の履歴書」を「人生を振り返って後悔しているのは、日本語を読むことができないということである」という一文で締めくくっている。日本の現政権がイラク戦争を容認し、派兵し、そしてアメリカの保守派政権に追従することに対して、仮にガルブレイスが日本語を読めれば、その実情の詳細を日本の新聞・雑誌等から知り、さぞかし心を痛めたことであろう。私は、白寿に近いガルブレイスの健康のために、彼が日本語を読めなかったことを「幸い」だったと思っている。
『悪意なき欺瞞』の出版が、過度に保守派に傾きつつある日本の経済学界、政界、経済界に対して、真摯な反省を促す契機となることを、私は心より念願するのである。

書籍

『悪意なき欺瞞』
定価 一六〇〇円(税込)

 

◎――――連載

疲れる前に休もう 第9回

泉ゆきを

Izumi yukio
1938年生まれ。コミックモーニングに「宅配猫の寅次郎」を掲載し注目を集める。第25回日本漫画家協会賞先行委員特別賞、第19回読売国際漫画大賞近藤日出造賞ほか多数受賞

イラスト

編集後記

問題解決&組織開発手法「アクションラーニング」

▼昨年の夏、アクションラーニング(以下AL)の権威、ジョージ・ワシントン大学、M・マーコード教授を招聘し、セミナーを開催、好評を得た。ALとは、企業の現実課題を、さまざまな視点から検討し、行動計画を実行するプロセスを通じて、解決していくための手法である。本年八月、同氏教授の著書『実践アクションラーニング入門』を上梓した。本書は、事例やチェックシートをまじえて、ALの基本事項から実践導入までを分りやすく解説している。組織開発に行詰まりを感じている方はぜひ参考にしていただきたい。なお、本書の訳者でマーコード教授の教え子でもある清宮普美代氏が代表を務めるGIAL(アクションラーニング国際機関)日本支部では、「ALコーチ養成コース」を開催している。詳しくは、案内ホームページ(http://www.dcbs.jp/gial/)または、人材開発事業部(TEL:03-5778-7229)まで。 (大迫)

マーケティング局より………

▼家の近所で、二棟の介護付き老人ホームが軒を並べるように建設中です。お互い別資本ですが、それなりに経営が成り立つ成算があるのでしょう。
 日下公人氏が、以前面白いことを書いていました。若者の人口比率の高い国家が戦争を起こす。戦前の日本しかり、ナポレオンのフランスしかり。社会的にも経済的にも、有り余る若いエナジーを抑え切れず、国外に解決を求めるという理屈です。
 気がつけば日本は、世界有数の少子国です。たしかに今の日本に、自ら戦争を起こす気力も気概も皆無でしょうから、老熟した平和国家たり得たと喜んでいいのでしょう。ただ老人国家はその分、社会の活力も失います。隣国の生硬なナショナリズムに接するにつけ、壮年国の行く末に一抹の不安を感じます。我が子の世代が社会の中核を担う頃、世の中はさてどうなるのか。もちろんそれは出版文化の行く末も含めた不安なのですが。 (田上)

編集室より………

▼マイケル・ムーア監督の映画「華氏911」のヒットもあり、今回も盛り上がっていますね、大統領選。由々しき問題については報道陣に任せるとして、ウェブ上ではブッシュやケリーのおマヌケな一面に注目する動きが出ています。
 とりわけフガフガ・ラボさん(『ブッシュ妄言録』の著者でもある)のサイトがイチオシ。前大統領選でのブッシュの失言・失態(ブッシズム)に釘付けになって以降、がっつり集められた「成果」がまとまってます。しかも、今キャンぺーンで日々量産されるブッシズムのスピードに追いつくため、ブログ(ウェブ日記)を始められた由。ブッシュのみならず、強烈キャラの娘たちまで登場し、思わず吹き出すネタが満載。
 自分たちが世界の中心だと信じて疑わない?人々が繰り広げるドタバタ・コメディ。しこたま笑った後で、背筋が寒〜くなることも……。(ま) 

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