CONTENTS

滝沢隆一郎 内部告発の防ぎ方教えます
宮台真司 「人格システム」とは何か
池井戸潤 中小企業には「内なる再編」が必要だ

エッセイ

坂本政道 門川義彦 キャバクラ独眼鉄

連 載

川勝平太 若田部昌澄  妹尾堅一郎 安土 敏 佐和隆光 飯田泰之 かづきれいこ 池内ひろ美 泉ゆきを 編集後記

◎――――【巻頭エッセイ】

滝沢隆一郎

Takizawa Ryuichiro
1966年生まれ。弁護士。『内部告発者』で第1回ダイヤモンド経済小説大賞受賞。

内部告発の防ぎ方教えます

 このたび第一回ダイヤモンド経済小説大賞を受賞させていただきました。内部告発という今日的テーマに正面から取り組んだことが受賞の大きな理由だと思っています。
 今まさに、三菱自動車のさらなるリコール隠しが発覚し、死者を出した交通事故や相次ぐ発火事件との関係の有無が検討されています。消費者も敏感に反応し、同社の月別売上げが前年比六割減になったと報じられました。
 この事件に限らず、電力会社による原発ひび割れ隠し、食品会社の牛肉偽装事件など、近年判明した不祥事のほとんどが内部告発を端緒としています。
 このため、企業はこれまでも、告発者を裏切り者と敵視し、徹底的に排除してきました。
 それで企業の利益は守られたのでしょうか。
 不祥事を起こした組織には、意外な共通点があることに気付いたことがあります。それは、社内でしか通じない用語・省略語・隠語が多用されていることです。
 リコール隠し事件では、オープン情報をP、秘密情報をHと区分し、H情報を隠すコンピュータ・システムまで開発していたと言います。
 行員は否定していましたが、日銀違法接待事件の際、タダ飯の値段に応じて「ざぶん」「ちゃぽん」などと一部で言い合っていたと聞きました。
 あるいは、消費者(カスタマー)をCTM、取引先(クライアント)をCLTなどと略記していると、相手が顔を持った人間であることを忘れてしまいがちです。
 あなたの会社は、いかがでしょうか。
 部外者にわからない言葉を使うと身内意識を醸成できるメリットがありますが、外部から見た異常さに鈍感になり、組織の硬直化や別の見方の排除を招くリスクがあります。
 内部の風通しが悪ければ、室内の空気は臭くなり、臭い物には蓋がされます。しかし、永久にばれない違法・不正はありません。それが内部告発というかたちで噴き出すとも言えます。
 人も会社も行政も誤りを犯します。問われるべきは誤りの程度とその後の対応の適否でしょう。
 内部告発を防ぐには、告発する個人をつぶすのではなく、告発されない会社に変わることが必要です。社内語の多用をやめてみることは、変革の第一歩かも知れません。
 そんな簡単な話ではないと思われた方は、ぜひ『内部告発者』をお読みください。

◎――――エッセイ

池井戸潤

Ikeido Jun
一九六三年生まれ。慶應義塾大学卒業後、旧三菱銀行入行。九五年、ビジネスコンサルタントとして独立。九八年、『果つる底なき』で第四十四回江戸川乱歩賞受賞。主な作品に『M1』『銀行総務特命』『最終退行』など。

中小企業には「内なる再編」が必要だ

最終局面を迎えた銀行再編

 UFJと三菱東京の経営統合が実現することで、バブル崩壊後長く続いた金融機関の再編もようやく最終コーナーを回ったように見える。従来、大銀行四つは多すぎるという論調があって、ならば三つなら、というのがその根拠だ。
 この間、私は主に中小企業の資金調達という切り口で銀行融資の現場を見てきたが、その変わりぶりはバブル以前には考えられないほど急で、かつて盤石と思われた銀行の経営基盤がかくも弱いものであったかと驚かされることもしばしばだった。

「これで君は一生安泰だ」

 私はそのバブルの蠕動期ともいえる昭和六十三年に旧三菱銀行に入行したのだが、人事面接でその入行が決まったとき、「これで君は一生安泰だ」と、祝いの酒をおごってくれた先輩行員に真顔で言われたのを覚えている。
 いま自分が一生安泰だと思っている銀行員が何人いるだろうか。それほど当時の銀行というのは、危機感の欠片もない組織であり、いわゆる世間でいうエリート意識の塊のような組織であった。
 それから十数年。
 まさに銀行という産業の一部門が、それまで自他共に認めていた華々しい地位から滑りおち、凋落というにふさわしい赤字にまみれ、世間の批判を浴びた歳月だった。
 それは同時に、中小企業にとっても銀行取引の再考を促された、いわば試練の時代といってもいい。
 銀行が貸してくれない「貸し渋り」、さらにエスカレートして「貸し剥がし」。公的資金を注入して助けてやっているのに、恩を徒で返すのか、といわんばかりに銀行批判が噴き出したのもこの時代である。
 いったい、中小企業と二人三脚で産業の成長期を乗り切ってきたはずの銀行はどうなってしまったのか?

銀行は変わった、だが中小企業は……

 経営者にしてみれば釈然としない思いは募っただろうが、実際に融資は難しくなったのだから、それはそれでなんとかしなくてはならない。銀行が変わった以上、中小企業の側も変わらなければならないのだが、どう変わっていいかがわからない、そんな暗中模索はいまも続いている。
 だが、こうした混乱期というか調整期間も、くだんの大型経営統合でようやく終焉を迎える。
 銀行が貸してくれないという批判は徐々に沈静化してきて、景気も上向き。貸してくれないばかりではなく、貸してくれすぎて困るような会社も一方で出てきた。
 銀行融資の潮目は明らかに変わってきており、ここ数年で中小企業の金融環境も大きな変貌を遂げることが予想される。
 「貸し渋り」に始まる銀行批判は、ある意味、銀行に対する期待というか、貸してくれないのは銀行が悪い、という企業の甘えの構造から出てきた一面があったように思う。
 だが、これからの中小企業は、そうした銀行依存の思考から脱しなければならない。そうでなければ新たな金融環境の中でも同じように銀行に振り回されてしまう可能性が高いからだ。
 では、どうすればいいのか。これからの時代、どうすれば中小企業は、円滑な資金調達を行うことができるのか。そのためになにをしなければならないか。

中小企業は甘えの構造から脱却せよ

 そんな思いに突き動かされて、この七月に上梓した、『10億円借りたいなら決算書はこうつくれ!』は、四大メガバンクを始めとする様々な金融機関から資金調達を行ってきた経験とノウハウをまとめたものだ。これから中小企業が円滑な資金調達を行うためのキーワードは、信用格付けと財務改善だが、そのための最新スキームをいくつか紹介した。
 金融機関の再編が終わり、次は中小企業の側が「内なる再編」をする時代だ。それができる企業とできない企業で資金調達の結果に差が出る。
 本のタイトルは多少大げさだが、必要なお金を必要なとき借りられる、そんな資金調達のために、少しでもお役に立てたらうれしい。

『10億円借りたいなら決算書はこうつくれ!』
定価 一四七〇円(税込)

◎――――連載2

歴史が教えるマネーの理論

飯田泰之 VIida Yasuyuki
一九七五年東京生まれ。駒澤大学経済学部専任講師、内閣府経済社会総合研究所客員研究員。著書に『経済学思考の技術――論理・経済理論・データで考える』(ダイヤモンド社)などがある。

●貨幣数量説…?

原始的な数量説と相対価格―――新大陸の発見と16世紀の価格革命

 前回は、マネーと物価に関する理論的関係として、最も原始的な貨幣数量説を紹介しました。「(一般)物価水準とはマネーの価値の逆数であり、マネーが増加するとその価値は減少する――したがって物価はマネーの量に比例する」というのがその命題です。
 金・銀などの貴金属がマネーである時代に、マネーの量が増減する理由は次の2つです。

 ?金・銀の増産、流出入
 ?貨幣の改鋳

 今回は、理由の?、「金銀の流入が物価を変化させたケース」について考えます。
 金・銀の流入による価格変化の中でスケールが大きいのは大航海時代(15世紀半ば〜16世紀)にアメリカ大陸や日本からヨーロッパへの銀流入で生じたインフレーション(価格革命)でしょう。スペインでは当時の中心的なマネーであった銀の価値は4分の1まで下がり、それにしたがって銀表示での価格は4倍になったと言われます。100年以上の時間をかけて物価が4倍ということは、年率1%未満のインフレということ。これは今日ではむしろ「低インフレ」といってよい水準です。しかし、ヨーロッパ中世の物価は極めて安定していたため、一方向への継続的な変化、つまりは継続的なインフレーション自体が稀です。その意味で、これは「革命的」な現象であったのです。

価格革命のマネタリーな説明

 価格革命に関する前出のような理解は、17世紀にはその萌芽がみられ、1930年代にアメリカの経済史家・ハミルトン(*1)によって今日のような形に整理されました。これは現在、高校の教科書にも載っている古典的な学説です。
 このハミルトンの主張自体は二段階に分割できます。
 その第一段階では、アメリカ産の貴金属がスペインに流入したことによって、インフレが生じました。
 そして第二の段階では、価格上昇スピードの違いによる、富の移転問題が生じました。財の価格上昇に比べ、

 ?地代の上昇が遅れたことにより地主・封建領主から資本家へ、
 ?賃金の上昇が遅れたことにより、労働者から資本家へ――

と富の移転が生じ、その後の工業の発展の原因となりました。
 第二段階については、アーヴィング・フィッシャー[1867-1947]のデット・デフレーション理論、名目賃金の硬直性を重視する古典的なケインズ理論などに近い理解であり、大変興味深いのですが、これらの論点は後に別の歴史的事例を使って再論しましょう。
 さらに、後の研究では地代・賃金は他の財と同様に上昇しているため、このような「富の移転」があったかどうか自体が疑わしい(*2)と考えられています。そこで、ここでは第一の論点――貴金属流入とインフレのみに話題を絞ります。
 ヨーロッパへの貴金属の流入がインフレの原因となったというアイデアを裏付けるのが、同時期のヨーロッパ各国間での価格上昇幅の違いです。
 現在のボリビアに位置するポトシは、当時の代表的な銀山でした。その所有国であるスペインでは先に説明したとおり、16世紀中に300%の物価水準の上昇を経験しました。商業を通じその波及効果を大きく受けたイギリスでは、食料品で400%以上、工業製品でも150%の価格上昇を経験しています。フランスでは、食料品を中心にイギリス以上の価格上昇が生じています。
 一方、銀の流出が少なかったイタリアでは物価騰貴は小さく、16世紀の100年間で100%ほどの物価上昇を経験したに過ぎず、その上昇も「継続的かつ一方向」とは言い難いものでした。
 このように、16世紀のヨーロッパは、金銀のストック量の増大に伴いインフレが発生するという、「原始的な貨幣数量説」の説明力が高い時代であったと考えられます。

相対価格は物価水準を決定しない

 ただし、以上のような貨幣要因による価格革命の説明は、しばしば批判にさらされます。当時のインフレ局面では、農産物価格の急騰に比べ、工業製品の価格上昇は緩慢であったという事実があります。ここから生じるのが、「貨幣数量説は(原始的なものであれ、現代的なものであれ)このような相対的な価格変化を説明せず、したがって当時のインフレを説明する仮説として妥当ではない」との指摘です。
 しかし、これは貨幣数量説への誤解に基づいた指摘です。貨幣数量説は「マネーの量が物価水準を決定する」という理論であり、相対価格を説明することは意図されていません。むしろ、相対価格の変化は長期的な物価水準を決定することができないというのが、貨幣数量説やその類似モデルの重要な主張のひとつであることを忘れてはいけません。今後展開していく貨幣数量説の批判的検討のためにも、数量説の基本的性質を説明したいと思います。

仙人の治める孤島にて

 2人の消費者からなる経済モデルを想定しましょう。
 この2人の住む島では、毎年米2俵と魚2尾が収穫され、それは島の仙人の元に集められます。仙人は毎年2人に300円ずつマネーを配り、2人はそれを手元に置くことなくその300円を仙人に支払って米・魚を受け取ります。翌年仙人は、昨年2人から回収した600円を2人にまた配ります。つまり、この島のマネーの量は常に600円で、これは変化することがないというわけです。仙人は何も食べることなく、2人のうち、より高い値段を支払う者に米・魚を渡します。
 実は、この「マネーは使い切られる」「マネーの量の変化はない(または予想できない)」という仮定こそが貨幣数量説の特徴であり、問題点なのですが、ここではひとまず認めておきましょう。
 当初、2人とも米・魚両方を同じぐらい好きで、米・魚に対して同額の支出をするつもりであるとします。このとき、2人ともに米に150円、魚に150円支払い、それぞれ米・魚を1つずつ購入することになります(*3)。
 ある日、米が突然変異を起こし、その品質が急に上昇したとしましょう。その結果、2人とも「米に対して魚の倍の支出をするつもりがある」という状態に至ったとします。さて、このとき米・魚の価格、そして「その平均値としての物価水準」はそれぞれいくらになるでしょうか?
 このとき「魚が150円のまま米は300円になる――したがって物価水準は150から225へ上昇する」といった事態が生じることはありません。消費者は300円しか持っていないのですから、米に300円支出し、その上で魚に150円支出するというような消費行動は不可能なのです。
 手持ちのマネーの範囲で、米に対して魚の2倍の支出をするつもりがあるならば、米は200円となる一方で、魚は100円へと値下がりし、その平均値である物価水準は150と不変にとどまるはずです。この島のマネーが一定であるならば、技術や需要状況の変化は相対価格を変化させるのみで、平均価格としての物価水準に変化は生じないはずなのです。

再び価格革命

 相対価格変化を理由に、「価格革命へのマネタリーな説明を批判する」というのは以上に述べたような誤りを含んでいます。
 16世紀当時、人口の急増にしたがって、農作物への需要が急増しました。人間は何よりもまず食べないと生きていけませんから、工業製品や奢侈品に比べて農作物の「相対価格」が上昇するのは至極もっともな話です。しかし、同時期のマネー量に変化がないならば、農作物の価格が上昇する一方で、その他の財の価格は低下し、結果として平均的な物価水準は変わらないという結果になったでしょう。ちなみに、実際には他の財の価格水準も(農作物に比べるとゆっくりではありますが)上昇しています。背後にマネーの拡大がない限り、このような現象を説明することは困難です。
 もちろん現実の経済では、「仙人の島」での仮定は成り立っていないため、「相対価格の変化によって物価水準が変化する」ことも十分考えられます。
 例えば、中東で大規模な戦争が始まり、他財に比べ石油製品の相対価格が上昇せざるを得ないような状況が生じたとします。このとき、例えば食料品やサービスの価格が何らかの理由で硬直的であり、即座に変化できないとしたならば、このようなショックを吸収するために石油製品の価格は上昇するということになります。他の財の値段は変わらず石油製品価格のみが上昇するわけですから、その平均としての物価水準は当然上昇します。
 しかし、より長期になると、人々は手持ちのマネー以上の消費活動はできないという仮定が現実味を帯びてくるため、他の財の価格が低下し、物価は元の水準に戻ると考えられます。
 一橋大学の渡辺努氏らの国際比較研究では、現代経済において相対価格ショックが物価水準に影響を与えるのは長くても5年程度であるという結論を得ています(*4)。つまり、5年以上であればサービスなど短期的には変化しづらい財の価格も変化するため、相対価格ショックから物価水準への影響は消えてしまうというわけです。確かに16世紀のヨーロッパ市場の調整スピードは現代に比べると、はるかに緩慢なものであろうとは思われます。しかし、1世紀にわたって、そのような調整が行われないと考えるのは非常に困難でしょう。

原始的数量説の問題点

 このように、マネー量の増大は、物価水準を押し上げる傾向があるということは、実証的にもうなずける部分が多く、その結果多くの人に知られるところであったと考えられます。
 しかし、当時は現在のような「一般物価水準」を計測する方法はなく、その正確な検証はできていなかったという点には注意が必要です。さらに、原始的な数量説に問題があることもすでに17世紀には(理論的に)指摘されていました。
 そして何にもまして「物価はマネーの量に比例する」という単純な命題は19世紀のイギリス(ビクトリア時代)を説明する際に大きな壁にぶつかってしまいます。ビクトリア時代は長期的なマネーの拡大とデフレが共存した時代です。このように原始的貨幣数量説と完全に矛盾する状態が生じたのはなぜなのでしょうか?
 次回はビクトリア時代のマネーと物価を説明する新古典派の貨幣数量説について考えてみましょう。

*1 Hamilton, Earl J. (1934), American treasure and the price revolution in Spain, 1500-1650, Harvard University Press.
*2 竹岡敬温(1974)『近代フランス物価史序説』第3章 創文社
*3 コブ・ダグラス型効用関数で両財の指数部分が0・5のケースです
*4 渡辺努/細野薫/横手麻理子(2003)「供給ショックと短期の物価変動」『経済研究』54巻3号 p206-p222

◎――――連載13

球域の文明史

川勝平太

Kawakatsu Heita
一九四八年生まれ。早稲田大学大学院経済学研究科修了。英国オックスフォード大学大学院博士課程修了後、早稲田大学政治経済学部教授を経て、国際日本文化研究センター教授。著書に『経済学入門シリーズ 経済史入門』『日本文明と近代西洋』『文明の海へ』『文明の海洋史観』など

シュンペーターから日本への手紙

 ここで再び経済史の理論に立ち戻りたい。
 先にマルクスの理論に触れたが、マルクスが近代資本主義の運命を人類史(最近の言葉では「グローバル・ヒストリー」)の視点からトータルにとらえようとした姿勢は高く評価できる。その姿勢を引き継いだ代表はマクス・ウェーバーだが、彼は社会学者である。その理論において、経済学者としてマルクスの体系に遜色のない体系を打ち立てたのはジョセフ・アロイス・シュンペーターである。
 シュンペーターの代表作は『経済発展の理論』である(一九一二年出版)。これは、出版当初は経済史についての本だと早とちりされたほど歴史的洞察に裏打ちされた作品である。一九二六年に出版された改訂第二版にもとづいて東畑精一・中山伊知郎両氏による邦訳がなされ、シュンペーターが序文をよせた。日付は一九三七年六月。邦訳書では英文のまま掲載されているが、きわめて重要な内容と判断されるので、ここに全文を訳出する。

『経済発展の理論』日本語版への序文

 〈わたくしは日本の国と文化に心酔しています。それだけに、日本語訳の出現は喜びにたえません。そして、この日本語訳が、躍動する日本における経済理論の分野に寄与し、少なくとも議論が起きることによって、経済理論が一歩前進する一助になればと念じています。
 わたくしが喜びの念の高まりを抑えられないのは、この訳業が素晴らしい経済学者の手でなされたという事実によります。とはいえ、もし彼らから相談されていれば、あえて邦訳刊行を勧めはしなかったでしょう。といいますのも、一〇年ばかり前、当時わたくしが教鞭(きょうべん)をとっていたボン大学に東畑教授と中山教授をお迎えした際に両教授から受けた印象から、おふたりは経済学に相当の学問的寄与のできる学者だという見解を抱きましたので、両氏があたらその才能を他人の作品の翻訳のために使うなどということは、とてもわたくしには正当化できることではなかったからです。しかし、両教授がこころよく自分の仕事を犠牲にしてまで翻訳に取り組み、訳業を完成された以上は、心からの感謝を捧げたいと思います。

ワルラス理論の誤り

 日本の読者が本書をひもとかれる前に、わたくしが今から四半世紀以上も前に本書を執筆したとき、いったい何を狙っていたかを尋ねられたならば、こうお答えするでしょう。わたくしの試みたのは、経済の変化する過程の理論モデルをつくりあげることでした。もう少し明確にいえば、いかにして経済システムが変革する力を絶え間なく生み出すのかという問いに答えることでした。
 この点については、ふたりの偉大な人物に触れて説明すると分かりやすいでしょう。レオン・ワルラスとカール・マルクスです。ワルラスはふたつの点で貢献をしました。一つは経済システムという概念です。もう一つは、経済学の歴史において初めて、その理論装置が経済量の相互依存関係の純粋論理を手際よく取り込んだことです。
 しかし、わたくしが当初その概念とその理論装置を学習して発見したのは(経済学者として、何にもまさる影響をワルラスの理論装置から受けたということを強調したうえで申し上げるのですが)、その理論の性格が堅固な静態性をもっていることと(もとよりそれは自明のことで、ワルラス自身、そのことを再三強調しています)、その理論装置が定常的過程にしか適用できないということです。
 静態理論は均衡条件について述べるにとどまり、均衡を乱す働きが仮にあったとしても、その都度、均衡がおのずから回復される仕組みを述べるにとどまるものです。この理論は、現実が不均衡に満ちたものであっても、それにとらわれずに洞察するという有用性があります。しかしながら定常過程とは、実際上、内部からは変わりようのない過程であり、たとえば実質所得にしても時間が経過しても同率で変化しつづけるだけなのです。もし、何がしかの変化が起こるとすれば、自然災害や戦争など、経済システムの外部にある出来事によってもたらされる、ということなのです。これをワルラスはあえて認めるのです。
 この点について質されたならば、ワルラスはこう答えたでしょう(いや、実のところ、わたくしは彼と一度だけながら会話をする機会があったのですが、そのときに、はっきりつぎのように答えたのです)――『経済生活とはその基本的な流れに身をゆだねるものであることはいうまでもなく、経済生活におよぼす自然や社会の影響に対しては、それに適応するだけのものである。それゆえ、経済理論の全体は定常過程の理論でつくりあげるものであって、理論経済学者が歴史変化の原因になる要素について論じる余地はあまりなく、記録にとどめるのが筋である』と。
 ただ人口増加や貯蓄増加については例外として、ワルラスは古典派経済学にならって経済システムに組み込むことに異存はなかったようですが、経済システムのデータ上の変化を書き込む程度のもので新しい現象でない、とみなしていました。わたくしは、ワルラスの考えは誤りである、と強く確信しており、均衡に達するかどうかは別にして、経済システムの内部に均衡を打ち破る動因があると強く信じています。そうであるとすれば、経済システムを一つの均衡から別の均衡へと動かす外部要因に依拠しない、経済変化についての純粋な経済理論をもたなければなりません。
 わたくしが打ち立てようとしてきたのは、そのような理論です。本書を執筆した当時も、そして現在も、本書が資本主義世界の闘争や変遷を理解するうえで貢献をし、さまざまな現象とりわけ景気循環については、ワルラスやマーシャルの理論装置よりもすぐれた説明を与えるものであると確信しています。

「本書の狙いはマルクスと同じである」

 執筆当初は明確に意識していたわけではありませんが、本書のアイデアや狙いは、カール・マルクスの経済学説のそれと寸分>違(たが)わぬものです。
 実際、マルクスの経済学を彼と同時代の経済学者やそれに先立つ経済学者と峻別(しゅんべつ)しているのは、経済発展は経済システム自体の内部から生まれるというビジョンにほかなりません。このビジョンをのぞきますと、マルクスの活用した概念や命題はことごとくリカードの経済学のものです。マルクスはそれほど本質的ではないヘーゲル流の展望のもとに据えているのですが、経済発展の概念は彼独自のものです。この事実があるからこそ、経済学者の世代が代わり、マルクスに多くの批判点を見出しつつも、言及する経済学者がたえないのでしょう。
 だからといって、本書で論じた内容を偉大なマルクスの名前と結びつけるつもりはありません。本書の意図も結論もマルクスのそれとはあまりに異なっているので、結びつける権利もありません。結果的に存在することになった類似点(たとえば、完全均衡のもとでは利子率はゼロになるという本書の命題と、不変資本は剰余価値を生まないというマルクスの命題との類似)は、マルクスと本書では全体像が著しく違い、しかもきわめて異なる方法で達したものであって、マルクスとの類似を強調することはマルクス主義者にとっては不快極まりないことであるといえます。とはいえ、やはり類似性は消し去ることができません。
 あえて類似性に言及したのは、マルクス経済学の素養のある読者には、そのことを知っていれば本書の理解に資するでしょうし、両者を比較してみるのも興味深いことのように思うからです。
 最後に、簡略ながら、ワルラスならびにワルラスを原点とする経済学の発達に言及することをお許しねがいます。ワルラス以後の経済学説に少し触れて、本書との位置関係を指摘しておきます。
 第一に、ワルラスの直接の後継者としての地位はパレートが第一人者です。一例ですが、一般均衡の体系から効用概念を除外したことを指摘しておきます。そのことによって、経済学は間違いなく洗練され厳密になりました。本書で展開した学説を体系的にするには、新学説としての生産関数、費用、その他多くの点での理論的進歩を取り入れるべきですが、しかし、そうしたからといって、本書の議論の骨格には影響を与えるものではありません。
 第二に、不完全競争という新理論をどう扱うかという問題があります。それに対する答えは、本書が記述しようとした過程を一段と詳細にするのにとりわけ有用であるということです。実際上、あらゆる革新は、ことに新商品が導入されると、最初は「独占的競争」という用語で表されるような事態を生み出します。企業者の行動や企業者に対する経済システムの対応もこの新理論できわめてうまく説明できます。
 この文脈と関連して、第三に、不完全競争論には「動態的」な特徴があるので高い関心を寄せています。
 経済学者はつねに摩擦や時間的ずれに触れる癖がありますが、それは実業界の人々が「所与の経済量」だけではなく経済量の変化の割合に反応し、また、「現在値」だけでなく期待値に反応することに経済学者は気づいているからです。しかし、ここ一〇年ほどの間に、ずれのある適応過程、期待にもとづく行動などの影響について理論的な精緻化がおこっています。新しい理論武装が考案されたり、他の分野から適用されたりしています。
 後者のなかで、際立った一例をあげると、微積分学の経済学への適用であり、ヴィト・ヴォテラが五〇年前に開発したものです。本書ではそのことに触れていないので読者自身に確かめてもらう以外にありませんが、それが本書の内容にどう影響するのか、この新しい方法が経済生活にみられる各種の波のありようを説明することができ、もはや革新の原則に立ち返ることなく景気循環を説明できるのか、特に本書の最終章で扱った景気循環論にどのような影響があるのか、検討に値します。
 繰り返しますが、不完全競争の理論の場合と同じく、この新しい分析用具は異なる現実のパターンを扱うわれわれの分析力を大きく引き上げるものであり、本書で論じた経済変化の過程に活用できるでしょう。
 しかし、見失うべきでないのは、これら新しい方法論にもとづく帰結がいかなるものにせよ(この点については、ティンバーゲン教授の「数量的景気循環論への提言」『エコノメトリカ』三巻三号が有用)、本書と異なる景気循環論なり経済変化の一般理論たりえているわけではありません。経済変化における揺り戻しや拡散についての議論であって、そのような変化をもたらす諸力や原因について語るところはありません。
 原因が何であるにせよ、それの作用の仕方なり、それへの経済システムの反応の仕方なりについては、新理論の語るところは皆無なのです。現実に作用している諸力が革新の原理で正しく説明できているかどうかという問いに触れていないのです。
 一九三七年六月     ハーヴァード大学にて
             ジョセフ・シュンペーター〉

◎――――エッセイ

キャバクラ独眼鉄

Cabaret Club DokuGanTetsu
一九七五年生まれ。フリーの映像制作、ライターとして活動中。キャバクラ戦歴四六六戦四六六敗を誇る。ウェブサイト「キャバクラ独眼鉄」(http://www.kyabadoku.com)を運営中。

僕がキャバクラに通う理由

 「なぜキャバクラに通い続けるのか」と聞かれると、あるキャバクラ嬢のことを必ず思い出す。彼女は僕がキャバクラに通うきっかけとなった女性だ。
 彼女と出逢ったのは、もう三年以上も前のこと。どこか薄幸そうに見える彼女の明るく振る舞う姿に僕は惹かれた。彼女も僕にはずいぶん気を許してくれたようで、仕事とは関係なく店の外で逢うこともあった。
 外で逢う彼女は、とても物静かな女性だった。いつも店で誰かにいわれた小さな言葉に傷つき、時には泣きながら、ポツポツと自分の想いを話してくれた。
 「実はね……」
 ある日、彼女は自分が鬱病であること、そしてその原因が、彼女が中学生だったときの母親の自殺であることを打ち明けてくれた。彼女は一番多感な時期に、愛する母親を失った。しかも首吊りで亡くなった死体の第一発見者が彼女だったのだ。僕は、何も言えず、黙って彼女の言葉ひとつひとつに耳を傾けた。
 それから何日かたったある日、僕は彼女からの電話で目が覚めた。時間は朝の五時。眠い目をこすりながら電話に出ると彼女が呟いた。
 「あたし、どうしちゃったんだろう……」
 そのか細い声に、言いようのない不安に襲われた僕は、彼女の言葉に頷きながら、いつものように他愛のないことを淡々と話し続けた。すると、しばらく黙っていた彼女が、突然声を上げて泣き出したのだ。
 やがて彼女は少し落ち着いたらしく、鼻を啜りながら「ゴメンね」と言って電話を切った。
 彼女が店を辞めて実家に帰ったのは、それからしばらくしてのことだった。
 彼女が僕に何を求めていたのか、知る由もないが、僕は決して彼女に同情していたわけではない。もちろん、恋心もなかったとはいわないが、ただそれよりも、僕自身、仕事や恋愛や将来に色んな不安を抱えて悩んでいたからだと思う。彼女の悩みを聞くことで、自分自身も助けられているように感じていたのだ。
 一年半ほどたったある日の深夜、僕は彼女とばったり再会した。
 彼女はまだ鬱と闘いながらも、もう一度東京で生活することを決意して、仕事に復帰したのだという。
 別れ際、彼女はこう言った。
 「変わらないでいてくれて、ありがとう」
 もちろん、僕らの関係は恋人ではない。かといって、友達とは少し違うし、今やお客さんでもない。
 たかがキャバクラと言えば、その通りかもしれない。ただ、そこで出逢った二人が、確かにお互い必要な存在だったときがあった。僕にとって、その時間はかけがえもなく貴重で、とても愛おしく思うのだ。

◎――――エッセイ

自著紹介 『売上げがぐんぐん伸びる「笑顔」の法則』

門川義彦

Kadokawa Yoshihiko
株式会社笑顔アメニティ研究所代表取締役。一九五二年生まれ。明治学院大学経済学部商学科卒。株式会社鈴屋営業本部販売ディレクターなどを経て笑顔コンサルタントとして独立。著書に『笑顔のチカラ』『新 笑顔の出会い』など。

「笑顔」はビジネスのキーワード


 一五年前、笑顔のコンサルティングで売上げを伸ばすお手伝いをしようと「笑顔アメニティ研究所」を立ち上げました。「笑顔」を冠した社名を珍しがられるのは当時も今も変わっていません。僕が以前調べたところ、「笑顔堂(しょうがんどう)」さんという会社があるようですが、さすがに「笑顔〜」はありませんでした。
 これまでコンサルした企業は約六〇〇社、約五万人の方々に笑顔を伝授してきました。その間、新聞やテレビでもたびたび紹介していただいたのですが、「割り箸ストレッチ」など、見た目が面白いものばかりが取り上げられがちで、内心では非常に残念な思いを抱いていました。
 というのも、僕は何よりも、笑顔の本当のチカラをたくさんの方に知ってほしい、「笑顔」をビジネスのキーワードとして浸透させたいという思いが根強くあったからです。
 本書ではそうした長年の無念鬱憤(?!)を払拭すべく、販売現場での笑顔のチカラを伝えることができたと思います。また、笑顔の効果が決して“偶然”や“気のせい”ではない証明として、笑顔と売上げの関係を「数字」で示すこともできました。
 その中からいくつか例を挙げると、
 ●入店客数が二倍に(レディスファッション)。
 ●お客さまからのクレームが三分の一に激減(大型書店)。
 ●月三万円出ていたレジ誤差が一〇〇円に激減(スーパーマーケット)。
 ●購入単価が一二〇〇円から一五〇〇円にアップ(化粧品店)。
 ●半年で売上げが二・五倍に(レディスファッション)。
 これらは僕が笑顔指導したお店の実例です。そう、売上げを伸ばすのに難しい理論やテクニックなんていらないのです。販売スタッフがお客さまに笑顔を向けるだけでいい。
 「笑顔」が儲かるんです。
 僕は仕事柄、日本じゅうのありとあらゆるお店を見て歩いています。この不景気のなか、どこも頑張っています。だけど“頑張るポイント”がかなりずれてしまっています。
 そして、僕が「笑顔が大事ですよ」と言うと、みんな口を揃えて言います。「儲かればだれだって笑顔になるよ」。うーん、それはそうですが……根本的には違うんですよ。「勝たなきゃ笑顔になれない。だけど笑顔じゃないと勝てない」んです。そして、これからは「笑顔なき企業は滅びる時代」になると、僕は心の底から信じています。

◎――――連載10

経済を読むキーワード 【コミットメント】

若田部昌澄

Wakatabe Masazumi
1965年生まれ。早稲田大学大学院経済学研究科、トロント大学経済学大学院博士課程修了。早稲田大学政治経済学部助教授。著書に『経済学者たちの闘い』『昭和恐慌の研究』(共著)など。

インフレ参照値論議に欠けているものは何か?

カルロス・ゴーンと日銀のコミットメント

 今の日本でもっとも尊敬されている経営者といえば、カルロス・ゴーンの名前があがることはまず間違いないところだろう。その高い評価の理由は「ワンダフルライフ〜私の履歴ショウ〜」(NHK総合テレビ二〇〇三年八月一八日)に出演したときの彼の発言に垣間見ることができる。そこでゴーン氏が強調したのはコミットメント、すなわち「絶対に達成すると約束した目標」の重要性である。このとき司会を務めた石田ゆり子氏は「日本では、『目標』という言葉を曖昧に使うときがあるが、そうではなく、この言葉の意味するところは、明確で具体的な目標を持ち責任を持って達成すること、それがとても大切なのである」(http://webmagazine.gentosha.co.jp/ishidayuriko/vol75_ishidayuriko.html)とまとめている。ちなみに石田ゆり子氏が私のコミットメントとして「コメディもシリアスも出来る本物の女優になりたい」と述べたところ、ゴーン氏に「それはコミットメントではない」といわれたという。さらに「期限は?」と問われ「二〇年」といったら、「長すぎる」と。
 ところで、最近の順調すぎるほどの景気回復に伴って、デフレ脱却への期待も高まっている。前々回でとりあげた出口戦略論議というのもその一環と考えることもできるが、もう一つ注目を浴びているのはインフレ参照値導入論議である。
 インフレ参照値という表現自体は、昨年あたりから使われ始めていたようである。しかしそれが注目を浴びるようになったのは福井俊彦日銀総裁をはじめ、中原眞氏、春英彦氏といった日銀政策審議委員が相次いで言及し始めた五月ごろである。
 私自身は、デフレ脱却を確実にするための明確なリフレ政策こそ出口戦略であり、日銀は物価水準目標ないしはインフレ目標を掲げるべきと考えている(デフレ不況脱却を確実にしたい現状では物価水準目標が望ましいと思う)。この意味では、日銀内部から物価上昇率に明示的にコミットする動きが出てきたことは歓迎すべきである。
 しかし、手放しには喜べない。インフレ参照値をめぐる議論にはいくつかの誤解がみられるからだ。その典型は中原審議委員の次のような発言である。「日銀が今コミットしている生鮮食料品を除くCPI[消費者物価指数]について、日銀として望ましいCPI上昇率を明示すべきであり、個人的には一%〜二%が適当ではないかと思う」という氏は、続けて「インフレ参照値という言葉でよくリファーされているが、参照値というものがどういうものを指すのかと言えば、欧州中央銀行でマネーサプライの増加率に参照値を設定している例があるものの、CPIに参照値を設けている中央銀行の例は具体的に存じていない」という。けれども、氏は「私の考え方がインフレ目標とは違うのは確かである」と断言する。なぜならば「インフレ目標というのはインフレの数字を掲げて、それに向けて政策を傾斜的に行うものであるが、――これは、一定期限内にあらゆる政策を動員しつつその期間内に目標のインフレ率を達成するというものであると思うが――やはり私は金融政策の自由度、機動性は確保しておく必要があり、最後は金融政策というのは総合判断によるところが大きく、厳格かつ非常に厳重な意味でのインフレ目標というのは適当ではないと思う」からだ。「政策のアンカーとして、中長期的に達成する目標として望ましいインフレ率を示していくのが適当だ」(二〇〇四年五月一二日、秋田県金融経済懇談会終了後の記者会見要旨)。

誤解? インフレ目標は硬直的である

 最初の誤解はインフレ目標に関わる。インフレ目標について語る場合に誰もが読んでおくべき本、ベン・バーナンキ他著『インフレ目標』(Princeton University Press, 1999)や、スヴェンソンといった本来のインフレ・ターゲットの推進者がことあるごとに強調するように、インフレ目標とは厳格なルールではなく、柔軟なフレームワーク、政策枠組みである。その理由はまさに中原氏がいうように「金融政策の自由度、機動性は確保しておく必要があり、最後は金融政策というのは総合判断によるところが大き」いからだ。
 金融政策についてはルールか裁量かという文脈で語られることが多い。経済を船にたとえるならば、それがあらぬところに漂流しないために錨(アンカー)が必要である。しかし、あまりに錨が重すぎると、大波(経済へのショック)が押し寄せてきたときに船自体が沈む危険性がある。このために、錨には安定性と同時に、ある程度の柔軟性が必要である。
 いうまでもなく、このような仕組みとして歴史上もっとも長く利用されてきたのは金本位制であった。通貨を一定量の金と固定的に結びつけるルールは、確かに錨の役割を果たした。けれども、現実には金本位制といえども裁量の要素が不可欠だった。たとえば、第一次世界大戦前には、戦争や経済恐慌のときに金本位制を一時的に離脱することは広く認められていた。
 とはいえ、第一次世界大戦後に再建しようとした金本位制は失敗に終わる。それはあまりにきつすぎるルール自体の失敗だけでなく、その硬直的な運営という裁量の失敗でもあった。政策のルールを重視するミルトン・フリードマンが、大恐慌当時のFRBの金融政策失敗の責任を問うたゆえんである。当時のFRBは金保有量の制約に直面していなかったのである。
 第二次世界大戦後の世界は金本位制なくしていかに錨を構築するかの歴史だった。最初に試みられたのはブレトン・ウッズ体制に代表されるドル本位制をもとにした固定相場制であった。しかし、それが一九七一年ごろに崩壊し、変動相場制に移行してからは各国の試行錯誤が続く。結局、厳格なルールがうまくいったわけではない。マネタリストの影響の下、七〇年代後半から試されたマネタリー・ターゲットなども、厳密なものは失敗し、成功したのはドイツのような柔軟なものであった(これが中原委員の言及する欧州中央銀行の政策枠組みにつながっている。なお『インフレ目標』はドイツをインフレ目標と類似の仕組みとみなしている)。
 しかし、この試行錯誤を通じて学んだ教訓も多い。それは、期待の重要性である。七〇年代の高インフレの原因となったのはインフレ期待であり、インフレ鎮圧はインフレ期待鎮圧によってもたらされた。金融政策運営の鍵は期待への働きかけにある。そのために中央銀行は人々のインフレ期待を見定めながら、目標値を提示することでその期待に働きかけていく。インフレ目標とは、二〇世紀マクロ経済政策の試行錯誤の歴史的教訓から編み出されてきた政策枠組みなのである。

誤解? コミットメントには明確で具体的な目標は不要である

 第二の誤解は、日銀は物価の継続的上昇に「コミット」しているにもかかわらず、「目標」値ではなくて「参照」値を目指すという言葉の選択である。この選択は単なる表現の問題ではなく、本質的な問題である。そもそもインフレ参照値導入論議の出発点は、将来のインフレをいかに制御するかにある。そのときに要になるのは、今後インフレがどのように進むかについて人々が抱く予想、インフレ期待である。すでに見たようにインフレ目標は、この期待への働きかけをとくに重視している。
 ここでカルロス・ゴーン氏のいう意味でのコミットメント――目標と期限の明示――が決定的に重要になる。まず中央銀行は、「明確で具体的な目標」として、たとえばCPI上昇率一%〜三%というレンジでの物価上昇率目標を示す。重要なのは、この目標を信じてもらうことである。だから目標を公開し、市場に中央銀行の意思を明確に示さなければならない。その場合、通常は常識的な範囲での政策達成期限を設ける。この期限自体はまったく変更できないものではなく、レンジともども一定の柔軟性が認められている。したがって、物価だけをみて運営するわけではなく、そこには総合判断の余地がある。けれども、その達成が口約束で終わらないためには、この政策に責任が伴うことをさらに明示する必要がある。中央銀行のコミットメントこそが錨の役割を果たすのである。
 もちろん、あらゆる政策同様、インフレ目標は絶対的なものではない。現状でのベスト・プラクティスと考えるべきであろう。そしてこのプラクティスという意味で、インフレ目標こそは学者の空論どころか、実務家の要請に即したものである。
 ところで、この政策枠組みにコストはないのだろうか? 通常、インフレを押さえ込むためにはコストがかかる。産出や雇用の減少がそれである。だからインフレ目標は魔法ではない。けれどもデフレの場合、このコストはほとんどない。それどころか、デフレ不況からの脱却は産出と雇用を増加させるという利益がある。前回の連載でも強調したように、経済問題の基本は「ただのランチはない」である。だからこそ経済問題の解決には通常、厳しい選択を迫られる。しかし、デフレ不況の場合は事情が異なる。その場合には、ただとはいわないまでも、きわめて少ないコストで大きな利益を得ることができる。このような絶好の機会を、前例がないからといってみすみす逃してきたのが現代の日本であった。

コミットメントを確実にするために

 六月に入ってから福井総裁をはじめとして執行部はインフレ参照値導入論議自体をけん制している。「インフレ参照値、インフレ・ターゲット、こういったものを目先の課題として検討対象に挙げるという発言をした覚えはない」のだという(六月一五日の総裁定例記者会見)。
 せっかく盛り上がった議論も立ち消えになるのだろうか? インフレ期待に安定的に働きかけるためには、突然別の政策枠組みを導入するのは望ましくない(岩田規久男「経済を見る目」『週刊東洋経済』二〇〇四年七月二四日号)。もしも日銀が緩やかなインフレ率にコミットしているのだとすれば(それが福井総裁下の日銀の公式見解である)、インフレ目標はそのコミットメントをよい方向で強化する政策枠組みであり、それによってその後の政策運営を円滑に進めることができるだろう。インフレ目標導入の検討が望ましい。

◎――――連載7

ガンバレ!男たち

池内ひろ美

Ikeuchi Hiromi
1961年岡山県生まれ。一女を連れて離婚後、96年にみずからの体験をベースに『リストラ離婚』を著し話題となる。97年、夫婦・家族問題を考える「東京家族ラボ」を設立、主宰する。近著『勝てる!? 離婚調停』日本評論社刊(町村泰貴民事訴訟法教授と共著)。

お父さん、読書してますか?

 子どもの成績は親次第。進学塾の市進学院が中学生を対象に実施した調査結果からそう感じる。調査では、父親が本をよく読むか? との質問に対して、中学三年生成績上位者の四三%がイエスと答える。対して成績下位者は三三%と一割もの開きがある。逆に読まないという回答は、上位者七%。中位者八%。下位者一一%。また、母親と学校のことなどを話すか? の質問にイエスは上位四八%、中位四四%、下位四一%。子どもの成績と家庭の文化には見事な相関関係がある。

 「なんだかダラダラしちゃって。昔は元気でハキハキした子どもだったんですが、最近はとにかくダラダラ。生きる力がどんどん失われているように思えるんです」
 彼は大手電機メーカーに勤める営業マン。長く不況で苦しんだが、最近のデジタル家電ブームで会社の業績も上向き、仕事にも張りが出てきた。息子は中学三年生。娘は小学六年生。妻は専業主婦。悩みは息子の最近の生活態度である。
 中学二年の秋頃から生活が乱れてきた。といっても非行に走っているわけではない。勉強をするわけでもない。スポーツや音楽に打ち込むわけでもない。放課後は友だちとダラダラと繁華街をうろつき、自宅ではダラダラとTVゲームをやり、夕食後はTVを見ながら携帯メールを打つ。マンガ以外の本を読んでいるところを見たこともない。最近はマンガすら見ていない。学校の成績も急降下を続けている。
 「無理とは知りながら、つい勉強しろと叱ってしまうんです。でも、面倒臭そうな顔をするだけでなんの反応もない。反発でもしてくれたらいいのに、なんだか糠に釘状態です」
 担任の教師に相談もしてみたが、最近、そういう子が増えてるんですよと、評論家みたいなことを言われただけで、何の解決にもならなかった。
 「どうすればいいんでしょう? 僕も仕事が忙しくて息子ときちんと話す機会もないし、妻は娘の中学受験にかかりっきりで、息子にはあまり話しかけていなくて、今ではほとんど無視状態です。まあ、今の息子を見れば、積極的に関わることができないのを責めることもできませんが」
 父親も息子に対してほとんど無視状態になりかけている。
 そもそも、日本の若者がダラダラしている問題は、非常に根が深い問題だ。これについて語りだすと、それこそ戦後教育の問題、戦後民主主義の問題、言い訳が何でもまかり通る社会風土の問題、傷つくことだけが上手になった日本人の心根の問題など、広範で複雑な論議になってしまうが、相談者の彼にとって重要なのは、戦後六〇年の総括ではなく自分の息子の現在のことである。しかし、これには特効薬はない。それぞれの家族の歴史が深く関わっているからだ。歴史を修復するには時間がかかる。
 まず学習意欲についてだが、勉強が好きな子どもは例外なく読書好きだ。そして、本を読まない親の子どもが読書好きになることはまれである。父親は「読書」をしているか?
 「ああ、そう言われると恥ずかしいですね、僕も週刊誌かマンガくらいしか買いませんからねえ」
 彼は笑顔のまま顔を赤らめ、頭をぼりぼりかく。
 次に大切なことは親子の会話だ。それも、学校で何があったとかの日常的なことよりも、社会的なテーマの会話だ。たとえば、ニュースやドラマを一緒に見て親子でプチ議論したり、社会的な背景や意味を子どもに解説するというような会話である。そのような会話が成立する文化が、家庭内に存在しているか、どうか。
 「うーん。ニュースとか見ていて息子が質問してきても、いい加減に答えていました。説明すると長くなりそうだし。アメリカのイラク攻撃とか女子高生コンクリート詰殺人事件の犯人のこととか、僕の仕事に関係ないですもん」
 家庭での会話に社会性がないのに、子どもに社会性を持てと言っても無理な話である。かくして、子どもはどんどん自分自身にひきこもる。これがダラダラの主な原因だ。
 家族の文化をすぐに変えることはできないが、家族の中に社会性を導き入れるのは父親の役目だと私は信じている。生きる力とは、社会に向かって進む力のことであり、それを導くことができるのは父親だ。子どもを救うことができるのは、お父さんです。この夏休みは、子どもと並んで座って「読書」しましょう。頑張れ、お父さん!

◎――――連載20

“知的技術本”の古典を読む
『「知」のソフトウェア』立花隆(4)

妹尾堅一郎

Senoh Kenichiro
東京大学先端科学技術研究センター特任教授(知識創造マネジメント、知財ビジネス専門職育成ユニットプロジェクトリーダー)。研究領域は問題学・リスク論、コンセプトワーク論、ヴィジョン論、社会探索法他。著書に『考える力をつけるための「読む」技術』『研究計画書の考え方』など。

「ユーレカ」という「知的快楽の瞬間」

〜良い素材を集める取材術と、素材を構成して“分かる”こと〜


立花隆(たちばな・たかし)
1940年長崎県生まれ。東京大学仏文科卒業。フリーのジャーナリストとして幅広い執筆活動を展開。著書に『日本共産党の研究』『宇宙からの帰還』『サル学の現在』『臨死体験』(上下)『精神と物質』などがある。

料理の腕は、素材集めの腕だ

 知的生産にとって、素材の収集という活動は最重要なことの一つである。学術的な調査にせよ、ジャーナリスティックな取材にせよ、知的生産において、しっかりした素材なくして意味あるアウトプットを作り出すことはできない。
 とはいうものの、とかく多くの知的技術本は素材があることを前提にして、その素材をどう加工すべきかという料理法に焦点を当てがちだ。しかし、良い料理を作るためには、良い素材を選び集めなければならない。いくら加工のために良い包丁を揃えたとしても、それで捌く素材が貧弱であれば、自ずと限界が出ることになろう。
 料理の名人とはいかなる素材でもうまい料理を作る人であるかもしれないが、名人には何より素材そのものを見分ける目とそれを入手する腕が求められるだろう。料理を修業するとき、まず河岸の買い出しから始めるのはそのためだ。知的生産も同様である。例えば、高級な統計処理の技法をいくら駆使しようが、それによって処理する基データがいい加減なものであったら、アウトプットは貧弱にならざるを得ない。しっかりした資料を集め、それを読み込んでいなければ、議論も中途半端な食い散らかしになってしまうだろう。
 要するに、知的生産にとって、素材の入手は基礎の基礎なのである。我々も、いかにして素材を効果的・効率的に入手していくか、その点の修業を怠ってはならないのである。

取材は事前準備が決め手

 立花隆は、ジャーナリストの基本として、インタビューを例に取材法の王道を示す。その要点は三つに整理できるだろう。
 第一に、まず自分のテーマをしっかり自覚しろ、ということだ。これは極めて重要だ。なぜなら、知的生産をする者には、まず「知りたいという欲求を激しく持つこと」(p.126)が求められるからである。その熱意なくして、知的探求はなしえない。そして、この欲求は、インタビューの相手に対する「質問の形」をとる。このとき、重要なことは、「自分がその相手から聞くべきことを知っておくこと」(p.122)だ。相手に聞きたいのが、「事実」なのか、それとも「意見や判断」なのか。「それによって、問いのたて方がちがってくる」(p.126)のである。
 立花は、事実を「客観的事実」と「主観的、内的事実(心境、心情)」に区別し、さらに前者を「歴史的、経験的事実」と「普遍的、抽象的事実」に分ける。これは、「記憶」か「知識」かの区別だという。取材法にとって実践的に重要なのは、これらは「具体的な質問の仕方、メモの取り方、相手の答えの評価の仕方、問いの重ね方といったことが全部ちがってくる」(p.127)からに他ならない。
 第二に、「質問」の準備を軽んじてはならない。なぜなら、適切でない質問をいくらしても、テーマに沿った核心に触れることはできないからだ。聞きたいこと、聞いて意味のあること、これをしっかり自分で事前に把握しておくことは、極めて大切な準備となる。要するに、「いい質問ができるかどうかでインタビューの成否は半分以上きまる」(p.132)のだ。
 これは何もジャーナリズムのインタビューに限った話ではない。研究においても、いかに自分の“問題意識”を具体的な質問形式にできるかが重要となる。私も、よく指導している学生や社会人に“適切なる質問”を要求する。そのときの「質問」を聞けば、その者が自分で調べたいこと・研究したいことを明快に認識できているかどうかがよく分かる。「問題を正しくたてられたら、答えを半分見い出したも同然」(p.122)というのは、私の専門である問題学が教えるところと同じである。要するに、解決策をあれこれ議論する以前に、まず問題そのものの吟味をしっかり行なうべきなのである。
 さて、準備と共に重要なのは「想像力」だと立花は指摘する。一つは、事実はこうでないかという「絵を描く」力である。絵の中で描き切れない部分とか、曖昧なところを質問によって埋めていこうというのである(私の専門のソフトシステムズ方法論では、これを“リッチピクチャー”と呼ぶ)。
 また、「論理的想像力」というものを立花は重視する。これは、「事実をつなぐ論理を発見する能力」、「人の推論をきいて、そこに論理的欠落を発見する能力」(p.137)であるという。つまり、筋道をたてて考える能力である。これは、他人の議論を精査するときに非常に役立つものだ。この能力がないと、他人の議論で論理が欠落していても、それを見分けられない。論理を緻密にすると面倒なので、意識的にそれを飛ばしている場合は「省略話法」と呼ぶが、欠落している場合は「悪意なら詭弁、善意なら誤謬」(p.138)ということになってしまうだろう。
 第三に、良い質問を用意できていないと、相手はそれに応えてくれない、ということが挙げられる。「問うことは問われること」(p.125)、つまり、インタビューの相手は、取材側の準備によって答えることを変えるものなのだ。ちゃんと準備した相手にはしっかりと答え、そうでない場合はそれなりに“足下を見て”あしらうものだ。また、インタビュー相手は、基本的に暇ではないはずだ。忙しい時間を割いて応じてくれる以上、しっかり下準備をしておくのは礼儀でもあるはずだろう。
 「問われる者は問う者に敏感に反応する」(p.143)。本書でも、準備せずにインタビューを申し込んでくる素人もどきのマスコミの例が出てくるが、私も実際いらだつような取材を受けることが少なからずある。先日も、ある全国紙の記者の取材が、ただ「教えてください」の一点ばりで、あきれ返ったことがあった。事前準備の時間もあったはずだし、主要な点はWebサイトに載っている。資料もすぐに官庁で入手できるはずなのに、「それ持っていたらコピーください」である。しまいには「天下の××新聞がそんなこと調べられないの?」とこっちが声を荒げてしまった。
 しかし、逆にちゃんと調べてきた上で、質問等もよく整理されている場合は、こちらも大サービスである。“のせられて”しゃべってしまうのである。何より取材の態度が真摯であれば、私などはついつい余分なことまで話をしてしまう。要するに、自助努力なしに何でも一から教わろうなどという虫の良い取材は知的生産業者として失格である。
 立花は、「聞きたいことを充分に聞くためには、相手と良好な人間関係を作ることが大切である」というが、実は逆であるかもしれない。聞きたいことを充分に聞けるように準備している者は好感を持たれるので、自然と良好な人間関係を築けるはずだ。少なくとも私は、真面目な取材をしてくれる記者とは、長い関係になるものだと実感している。

“分かったつもり”から“分かった”へ

 ところで、立花は「知的作業には、いつでもその人の全存在がかけられている」と喝破する。つまり、知的生産をする人間は、好む/好まないにかかわらず、あるいは意識する/しないにかかわらず、「その人がそれまでに蓄積してきたすべて」(p.170)を素材として活用して知的生産を行なうのである。
 自分がそれまでに集めた素材から何を選び、どう使うのか。前回議論したように、立花は無意識の効用をかなり重視する。人間の脳の持つ不思議な能力を信頼し、「記録」よりむしろ「記憶」を活用することを説いている。それは明示化された技術論議というより、むしろ例えば、「頭の中の発酵を待つ」といった議論となる。とはいえ、立花は「無意識のプロセスは、自分でもその存在を忘れていた大切な材料を想起する上で重要」であるとしつつも、その一方で「その材料を拾いあげ、材料の持つ意味を吟味し、評価し、一つの論理展開の中にはめ込むという作業、すなわち意味づけの作業はあくまで意識的作業なのである」(p.176)という。つまり、無意識な状態では、意味というものは隠されたままであるので、そのままの素材をいくら並べても意味のある文章にはならない、ということだ。
 素材に意味づけをして、それらを関連させながら文章を構成していく。それらを繰り返し推敲していくうちに、流れが形成されていく……。ここで流れというのは、文章の流れと共に、その論理の流れでもあることは言うまでもないだろう。この流れが“すっきりと”淀みないものになったとき、我々の議論は明快になる。それは他人にとってだけではない。実は、自分にとって明快になるのである。つまり、素材が巧く自然に構成されたとき、書いている自分自身に“分かる”瞬間が来るのである。
 よく、分かってはいるが良く書けない、とか、良いことを考えてはいるのだがプレゼンテーションが下手なので損している、という人がいる。本当にそうだろうか。多くの学生や社会人を指導した経験から言えば、それらは“分かった”のではなく、“分かったつもり”に過ぎない場合がほとんどだ。文章も、プレゼンテーションもうまくないのは、文才がなかったり口下手だからではない。そうではなくて、自分の言いたいことのコンセプトがしっかりしていないからである。
 逆を言えば、コンセプトが明確でしっかり内容が構成されていれば、多少の文才のなさや話術のなさはあまり関係ないものだ。私事で恐縮だが、私は講演や授業が巧いと言われる方である。しかし、「先生のようにうまくしゃべれれば良いのに」と、あたかもその巧さを話術によるものであるかのように言われると、私は反発する。「私の講演はコンセプトがしっかりしていますからね」と憎まれ口をたたくのは、そんなときだ。話術の問題ではない。それはコンセプトと構成の問題、つまりちゃんと考え抜いた上でしゃべっているかどうか、なのである。
 ところで、しゃべっていくうちに、“分かったつもり”は“分かった”になっていく。さらに、書いていくうちに、しゃべっただけでは“分かったつもり”に過ぎなかったことが一段と“分かる”ようになる。つまり理解が深まり、“昇華”していく……。私は、学生にもスタッフにも「とにかく書いてみろ」とよく言うが、その理由はここにある。
 “分かったつもり”が“分かった”に昇華する瞬間、それは快感である。この快感的瞬間こそが、知的生産の醍醐味なのだ。そしてそれを味わったものが、さらに知的生産に勤しむことになっていくのである。知的快楽。本書でも立花は、それをギリシャの故事に倣って「ユーレカ的快楽」と呼び、「おそらく人間が味わうことができる快楽のうちで、最も上質、かつ最も深い快楽の一つだろう」(p.173)と指摘する。教師として学生に味わわせたいのは、まさにこの瞬間なのである。

◎――――連載15

M式社会学入門

宮台真司

Miyadai Shinji
一九五九年生まれ。東京大学大学院博士課程修了。社会学博士。現在、東京都立大学人文学部社会学科助教授。著書に『権力の予期理論』『終わりなき日常を生きろ』『自由な新世紀・不自由なあなた』など。

「人格システム」とは何か

 社会学の基礎概念を紹介する連載の第一五回です。前回は「役割とは何か」を説明しました。「役割」とはヒトに付与されるカテゴリーのことです。例えば私は、男として、宮台真司として、都立大教員として認識されます。因みにヒトとは心を持つ存在のことです。
 心を持つ存在とは?内側から世界を分節していると想像され、?その分節がエンパシー可能だと信じられる存在です。前回を補えば、コミュニケーションの相手となりうる存在のことです。原初的社会では万物がコミュニケーション可能ですから、ヒト概念は拡がりえます。
 役割の中で最も重要なのが「個人役割」と「制度役割」です。前者は、固有名で呼ばれうる「その人」性のことで、後者は、医者や都立大教員など資格該当が制度的に決まったカテゴリーです。「制度的」とは、任意の第三者がそう認定すると、予期できることです。
 この他に行為ならびに体験を割り振られた当体のカテゴリーとして「行為役割」と「体験役割」があります。前者は、殴る人、見る人、意図する人など。後者は、殴られる人、見られる人、悲しむ人など。以上四つのどれにも属さないものを「属性役割」と言います。
 制度役割の機能は、履歴に依存しない信頼を呼び出すこと。私たちは、相手がマクドナルド店員だというだけで、コミュニケーション履歴とは無関係に信頼を寄せます。別言すると、個人役割と結合した人格的信頼を、制度役割と結合したシステム信頼が免除します。
 制度の機能は、任意の第三者の社会的反応(についての相手の知識)を期待できることで、?私の個人的反応についての相手の予期を操縦する必要を「負担免除」し、?相手のありうる違背に対し「免疫形成」することです。制度役割は制度の機能と表裏一体です。
 制度役割の出発点は原初的社会における血縁的続柄です。しかし血縁原理(血縁的続柄による資源配分原理)の支配ゆえに個人役割と制度役割が未分化な原初的社会では、人格的信頼もシステム信頼も未分化なままで、潜在的可能性をいまだ開花させてはいません。
 血縁原理が十分に縮退した近代社会になって初めて、見知らぬ者を制度役割ゆえに信頼する匿名圏(システム信頼の領域)と、コミュニケーション履歴のみで個人役割を帯びた者を信頼する親密圏(人格的信頼の領域)が同時に拡大し、そのことが社会の複雑化を可能にします。
 前回を補えば、行為に対する認知的予期も規範的予期も、「役割xを帯びた者は、状況yにおいて、行為zを為す(だろう/べきだ)」というf(x,y)=z的な函数形式を取ります。「警官は職務中は禁煙すべし」などが典型ですが、xには制度役割以外の役割も入りえます。

社会システム・人格システム・心理システム

 さて、制度役割がシステム信頼に結びついて匿名圏を形成し、個人役割が人格的信頼に結びついて親密圏を形成すると述べました。システム信頼とは社会システムの作動への信頼で、人格的信頼とは人格システムの作動への信頼ですが、そもそも人格(人格システム)とは何なのか。
 人格システムの概念は、社会システムの概念と同じく、T・パーソンズが提起しました。社会の要素は人格的な個人だと考えるのが従来の通念だったのを、彼は社会システムも人格システムも同じく行為を要素とするとした上、準拠枠の違いが両者を分けるのだとしました。
 ルーマンも同じです。観察可能なのは社会でも人格でもなく行為ですが、一群の可能的行為を、コミュニケーション的纏まりに準拠して内外差異を設定すると社会システムになり、エンパセティカル(同感的)な心理的纏まりに準拠して内外差異を設定すると人格システムになります。
 例を挙げると、私たちが日本社会と言うとき、可能な行為(コミュニケーション)総体を、日本社会に属しうるものと属しえないものとに差異化します。私たちが宮台真司と言うときも、可能な行為総体を、宮台真司に属しうるものと属しえないものとに差異化します。
 この差異化を、認識する私たちが勝手に為すものと言うより、日本社会自身が日本社会に属しうる行為とそうでない行為を境界設定し、宮台真司自身が宮台真司に属しうる行為とそうでない行為を境界設定するがゆえのものと見做すとき、システム概念が適用されます。
 宮台という人格(パーソナリティないしキャラクター)が宮台に属しうる行為の総体だとして、行為がそこに属しうるか否かを(他者や自身が)境界設定する場合にエンパセティカルに想定されるのが、「心」、すなわち、心理システムという実体です。
 社会学者の中にも人格システムと心理システムを混同する向きが多いのですが、人格システムは社会システムと同じく、行為という観察可能な要素からなる可能的な纏まりです。心理システムつまり「心」には観察可能な要素が皆無で、完全に想像的なものです。
 内側からそこに属するか否かを境界設定する働きを示すのがシステムです。私たちが日本社会と言うときにそういう働きが想定されているので、社会システム概念が適用されます。宮台真司と言うときにも同じ働きが想定されるので、人格システム概念が適用されます。
 その意味で人格概念(ないし人格システム概念の適用対象の存在)は普遍的ですが、しかし「心」の概念(ないし心理システム概念の適用対象の存在)は普遍的ではありません。コミュニケーションの中で「心」なるものが一切主題化されない社会がありうるわけです。
 例えば臨床心理学や精神医学が取り扱う「心」という概念はさして自明ではありません。部族共同体からなる原初的社会では、一つのものを誰もが同じように体験し、同じように体験するがゆえに同じように行為する、という慣れ親しみ的な信頼(第一一回)があります。
 そうした社会では、たまに予想外の振舞いをする輩が現れると、狐が憑いた・神が降りた等と理解され、儀式的な共同行為を行って、俗なる時空から聖なる時空へと切り離す形で無害化します。この段階では人それぞれに「心」があるという観念はありえません。
 ところが社会が複雑になると、コミュニケーションの相手が予想外の振舞いをしがちになります。期待外れの頻度が高まると、一方で「宗教からの法の分出」が起こり(「法とは何か」で詳述)、他方で「人それぞれに違った心がある」という帰属処理が始まります。
 かくして「心」という概念が生まれます。社会の複雑化がさらに進むと、コミュニケーションは一層不透明になって期待外れの頻度が上昇し、他人ばかりか自分の行動も自分自身の期待から外れがちになります。こうした段階で歴史的に誕生するのが「個人性」です。

個人性・個体性・個人主義

 個人性とは「各人には入替え不能な内面がある」「各人には固有に一貫した心がある」という意味論です。とりわけプラトン化されたキリスト教の伝統が、救済を、善行ないし戒律遵守から切り離して、信仰内容に結びつけたことで、一挙に個人性が一般化しました。
 単なる心に比べて、個人性には更なる賦課があります。心の概念は、期待外れの帰属先に過ぎません。すなわち「与えられた状況で各人が異なる心を持っていたので振舞いがバラバラになった」といった了解であって、シチュエイショナル(状況主義的)です。
 ところが、個人性が一般化すると、与えられた状況云々とは無関連に「状況貫通的な固有性」が想像されるようになり、それゆえに「他者理解の不可能性」という観念が一般化して、この「他者理解の不可能性」が「状況貫通的な固有性」から説明されるようになります。
 私たちの近代社会で「心」というときは、既にこうした個人性が前提とされています。私たちは「心があるから予想外の振舞いをする」との了解に留まらず、「心の入替え不可能性」や「心の不透明性」を前提にしています。こうした段階で精神医学や心理学が生まれます。
 こうした個人性は、個体性と同じではありません。前々回述べたように、個人行為には物理的レベルでの自己推進的な有機体が見つかります。このレベルにおいて、ある有機体の死は別の有機体の死ではないという意味で、物理的行為者の個体性は普遍的なものです。
 これに対し、個人性は「心の深淵など他の誰にも分からない」といった内容の特殊な観念です。近代社会では、ロマンチック・ラブの営みにおいてこうした困難を逆手にとった奇跡が一般的に愛でられることもあって、個人性が一般的だと錯覚されますが、あくまで歴史的生成物です。
 また、こうした個人性individualityの一般化は、個人主義individualismの前提になりえても、個人主義の一般化と同じではありません。個人主義は全ての人格を自己決定=自己責任原則を担うべき主体だと見做す価値観です。すなわち後者には更なる賦課があります。
 個人主義は日常の話題になりえても、個人主義に歴史的前提を与えた個人性は話題になりません。社会学ではこれが大きな桎梏になります。なぜなら近代社会(機能的に分化した社会)は、個人主義(価値観)ではなく個人性(了解傾向)を必須条件とするからです。

社会学と精神医学の協調体制の必要

 社会学も心理学も一九世紀以降の歴史しかなく、コントの人類教やメスマーの動物磁気学を持ち出すまでもなく、出自には宗教や呪術と混じり合ったいかがわしさがあります。しかし両者は対称ではありません。社会学には心理学そのものが対象として表れるからです。
 社会学の発想では社会学も心理学も社会のあり方に徹底的に拘束されています。例えば、かつては狐憑きや神降ろしの媒体として珍重されていた心的喪失者が、近代初期には犯罪者や涜神者と同様なノイズとして隔離され、一九世紀以降は治療対象として見出されます。
 この段階で生まれるのが心理学。心理学の目標は、目に見えない心を記述することで、とりわけ実践目標(臨床)は、心に問題を抱えるとされる人間を、問題を抱えないとされる状態にすることです。本人や周囲が問題ないと考える状態に導くことを「治す」と言います。
 社会学の目標は、不透明な動きを示す社会を記述することで、とりわけ実践目標(政策)は、問題を抱えるとされる人たちを生み出す社会的メカニズムを描き出し、かつ、制度や文化をどう変えればこうした社会的メカニズムを解除できるかという処方箋を考えることです。
 心理学は、現行の制度や文化を「前提にする」学問です。社会学は、現行の制度や文化を「疑う」学問です。社会学によれば、「社会」とは私たちのコミュニケーションを浸す暗黙の非自然的前提の総体で、非自然的前提の総体を明るみに出すのが社会学の目標です。
 ゆえに「個人が治ればいい」という心理学と、社会学の対立は避けがたいのです。現行の制度や文化を前提とする限りで「こうしたらいい」という心理学の提言が理に適っていたとしても、そもそも現行の制度や文化を維持するべきかどうかに疑問を呈するのが社会学です。
 例えば、家族の中に居場所が見つからない人に、なぜそうなるのか、どうすれば見つかるかを心理学者は語ります。でも社会学者から言えば、家族の中に居場所を見つけなければならない理由はないし、そもそも家族を営むべきなのかどうかさえ疑わしいのです。
 同じく、精神医学(広義の心理学の一部に数えます)は最近“病気(神経症や精神病)ではないが変な人”を「人格障害」と呼び、矯正教育の対象とするようになりました。しかし社会学は、治すべきが人の心なのか社会のあり方なのかは、自明ではないと考えます。
 社会学の立場では「人格障害」は郊外化現象への合理的適応です。だから「人格障害」はむしろ正常性の証です。これを矯正教育の対象とすることで、合理的適応として「人格障害」を生み出すような社会そのものの矯正が、埒外に置かれる可能性を社会学者は危惧します。
 前述のように、社会システム理論から見ると、心理学が対象とする心理システムなるものは、人格システムに比しても極めて特殊な社会形象です。心理学とりわけ精神医学には、社会学者の政策的観点と協調体制をとりつつ臨床的観点をとっていただく必要があります。(この問題については、精神科医の高岡健氏との対談「小六殺人とネット社会」(『創』二〇〇四年八月号)で詳しく論じています)

◎――――エッセイ

坂本政道

Sakamoto Masamichi
一九五四年生まれ。東京大学理学部物理学科卒、トロント大学電子工学科修士課程修了。ソニー、米国SDL社にて半導体レーザーの開発に従事。二〇〇〇年より超意識の研究に専心する。著書に『体外離脱体験』『「臨死体験」を超える死後体験』『「臨死体験」を超える死後体験?』がある。最新情報については著者のウェブサイト「体外離脱の世界」(http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/1869/wofobes_001.htm)に常時アップ。

死の恐怖は克服できる

 人生とは死の問題をごまかすためのさまざまな行為の連続である。
 こう認識する人は少ない。
 養老孟司氏の『死の壁』に、「生きがいとは何か」ということで悩む人の話が出てくる。そういう人たちへ彼は、「そういう問いは、暇の産物だ」と答えるそうだ。喰うに困っているときには考えないし、トイレに行きたくて切羽詰っているときにも考えないからだという。
 私が同じ質問をされたら、こう答える。「そんな暇があったら、死の問題を悩んだら」と。
 私たちは死という人生でもっとも肝心な問題に目をつぶり、どうでもいいことに時間と体力のすべてをつぎ込んでいないだろうか。生きがいがわからないと悩む人は、末期がんで日々死の恐怖にさらされている人たちの話でも聞いてみたらいいと思う。
 人は生きがいがないと生きられない。それは、生きがいで忙しくすることが、死の恐怖を忘れさせるからである。
 それは余命一カ月と宣告されたと想像してみればわかる。あなたは何をするだろうか。
 死が眼前に迫り、それだけが心を占めるようになる。何をしても気を紛らすことは不可能になる。そのとき初めて、今までの人生、とんちんかんなことに全精力をつぎ込んでいたことを思い知らされるのである。
 そのときになって初めて、死の問題を解決しようと必死に模索するだろう。たとえ、それがむなしい努力とわかっていても、求めずにはおれなくなるのである。
 こうわかっていながら、どうして人は死の問題の解決を先送りするのだろうか。
 死の問題は解決できる。
 死を超えて、先の世界を体験することができる。そうすることで死の恐怖を克服することが可能なのだ。それを可能にするのが、ロバート・モンローの開発したヘミシンクと呼ばれる音響技法である。
 これは右耳と左耳に若干異なる周波数の音を聞かせ、その周波数の差に相当する脳波を意図的に作り出すことで、人の意識をその脳波に対応する状態へもっていく手法である。
 聞く人を眠らせたり、覚醒させたり、坐禅と同等の瞑想状態に至らせることが可能である。また死者のとる意識状態、つまり死後世界を体験することも可能になる。さらに、ガイド(指導霊)と呼ばれる高次の精神存在と交信することで、さまざまな英知を授かり、霊的な成長を得ることが可能となる。その過程で死の恐怖は消失するのである。

◎――――連載8

メイクのカリスマが教える男前になる「ヒケツ」

かづきれいこ

Kazki Reiko
フェイシャルセラピスト。スタジオKAZKI主宰。傷ややけど痕などをカバーすることで心を癒す「リハビリメイク」の第一人者。知的障害者や老人ホームの方へのボランティア活動にも力を注ぐ。
ILLUSTRAION BY ASAMO

そのひと言が女性を傷つけている!

 私のライフワークである「リハビリメイク」は、顔や体の傷やあざ、やけどの痕などをカバーし気にならなくすることで、前向きに生きられるようにするためのメイクです。
 先日、ある大学病院で、顔にやけどの痕がある女性のメイクをしたとき、印象的なことがありました。その女性は理容師さんだったのですが、私にこんなことを言ったのです。
 「かづき先生がいつもおっしゃっているように、外観にトラブルがあると、心が辛くなりますよね。私みたいに顔に傷がある人ももちろんですけど、髪の薄い男性も同じなんですよ。男の人だって見た目を気にしています。中でも“ハゲ”と言われるのが、男の人にとっていちばん辛いんです。私、ずっとこの仕事をしてきて、そのことがよくわかりました」
 毎日、たくさんの男性たちの髪の毛をカットして整えていると、薄毛や脱毛に悩む男性たちの辛い気持ちが伝わってくるのだそうです。
 なるほどなあ、と思いました。私は若い頃、心臓病のために冬になると顔が真っ赤になっていたのですが、そのことを他人から指摘されたり、からかわれたりするのが死ぬほど悲しかった思い出があります。
 女の人が顔のことをあれこれ言われると傷つくように、男の人だって、薄毛や脱毛のことを言われると傷つくのです。考えてみたら当たり前のことですよね。人間にとって“見た目”は大切だと言い続けてきた私ですが、あらためて、男性のデリケートな心に触れたような気持ちになりました。
 人間は、自分の心の傷には敏感ですが、他人の心の傷には鈍感だったりします。
 私は、外観のコンプレックスに悩み、ときにはそのために心を病んでしまう女の人をたくさん見てきました。そのため、軽い気持ちで女性に「ブス!」とか「厚化粧!」なんて言ったりする男性を見るとほんとうに腹が立ちます。でも、男性の外観のコンプレックスに対しては、あまり敏感でなかったかもしれないと反省しました。
 相手が冗談のつもりでも、女の人は「ブス」と言われたら絶対に笑えません。同じように男の人も「ハゲ」と言われると、深く傷つくんですね。
 もうひとつ、私が気がついたのは、“毛が抜ける=老化する、衰える”というイメージがあるため、男性はなおさら傷つくのではないかということです。
 「リハビリメイク」では、アンチエイジング、つまり若返りのテクニックを駆使します。傷やあざが完全に隠れないときでも、顔が若く見えるメイクを行うと、満足度がとても高いからです。また、傷がなくても、顔が老けてきたというだけで落ち込んだり精神を病んでしまう女性もいます。それほど、女性にとって“老ける”ということは試練なんです。
 それはきっと男性でも同じなんですね。そう考えると、薄毛の人の気持ちの切実さが理解できる気がします。
 男性も、女性が外観を気にする気持ちをぜひわかってください。みなさんにとって「禿げる」ことが恐怖であるのと同じように、女性にとって「老ける」ことは恐怖なんです。
 スキンケアに時間をかけたり、エステに行ったり……。そんな彼女や奥さんに批判的な目を向ける男性は多いかと思いますが、抜け毛防止効果の高いシャンプーを使ったり、育毛剤をつけたりするのと同じだと考えれば、寛容な気持ちになれるのではないでしょうか。

◎――――連載4

小説 「後継者」

安土 敏

Azuchi Satoshi<
◆前回までのあらすじ
食品スーパー・フジシロの創業者社長・藤代浩二郎が、提携先である大手スーパー・プログレスを訪問した帰りの車中で謎の言葉を残し急逝した。新社長に守田哲夫の決断力の無さを批判する声が大きくなりつつある最中に、開発担当役員である堀越はスーパー・プログレスとの共同出店店舗に絡み、プログレスが行ってきた数々の悪辣な乗っ取り話を知る。そのあくどい手口と、前社長の最期の言葉「欲惚け」「悪魔」は関わっているのだろうか。そしてスーパー・フジシロは、どうなってしまうのか。

第3章社長の変身



 堀越充三取締役からプログレスの動きに注意が必要だという話を聞いたとき、社長の守田哲夫は言葉の意味を十分に理解していないような目になった。
 「堀越さん、あなたは何を言っているんですか」
 守田の言葉遣いはていねいである。社内のすべての人を「さん付け」で呼ぶ。語尾も常にデス、マス調である。
 「まあ、座ってください」
 守田は、社長室のソファを堀越に勧めた。
 「プログレスが当社の乗っ取りに動き出したという証拠でもあるんですか?」
 「別に証拠はありませんが、何となく変なんです。上町サイトの話をプログレスに持って行ってから、もう数ヶ月経つのに何も言ってきていませんし、プログレス訪問の帰りに浩二郎社長があんなふうに急死されたのも気に掛かります。そこで、私はプログレスの開発部と連絡をとろうとしたのですが、何だかんだと理由をつけて、担当常務が会おうとしません。いろいろなことから考えてみて、ちょっと危ない感じがするんです。浩二郎社長の最期の言葉も気になります」
 「また、その話ですか。『ボケた』とか『悪魔』とか、今際に浩二郎社長が言った言葉を取り立てて、社内で皆がいろいろ言っているようですが、そんなことを役員であるあなたまでまじめに取り上げては困ります。開発部は、よほど暇なのでしょうか」
 言葉遣いはていねいだが、内容がきつくなった。
 「しかし、山田会長は、過去いくつかのかなりあくどい乗っ取りをやったという実績というか、前科というか、があるんです」
 堀越は、重成大五郎から聞いた話を簡単に要約して話した。
 守田は、一瞬、目を丸くしていたが、「そんな話を、堀越さんは、一体、だれから聞いたのですか」と尋ねた。
 「このふたつの事件については、うちの部の重成君からです」
 言いつつ堀越は、社外の情報源だと言っておけばよかったと反省したが、遅かった。
 「重成? あんな人の言うことを真に受けてはいけません。あれは変な人です。管理職であることさえ問題の人物です。やたらに他人に虫の名前を付けて喜んでいるでしょう。あなたはテントウムシだそうですね」
 知っていた。
 当然、自分がカゲロウと呼ばれていることも知っていて、かねてから、それを不快に思っていたに違いない。
 「もちろん、彼の言うことをすべて真に受けたわけではありません。ただ、念のためと思って、中央店の共同出店の賃貸借契約書をチェックしてみたのです。そうしたら何と、プログレスは6ヶ月の予告で、いつでも賃貸借契約を解約できることになっているんです。しかも、保証金の『期限の利益』も当社にはないような文言になっています」
 『期限の利益』とは、建物の賃貸借契約で、借り主が預けた保証金の預かり期間(例えば20年)について、契約期間中に借り主の都合で撤退した場合にも、『建物の貸し主は、それを最初の契約通り20年がかりで返していけばいい』ということで、この条項を付けることによって貸し主の権利は非常に強くなる。解約されても保証金を返さなくて済むという意味もあるが、それ以上に、この条項があるので、相手方は簡単に解約をしなくなる。
 「それは、あのとき、30キロ圏内の共同出店をプログレスが提案してくれたことでもあり、中央店はその試金石である大切な1号店として、撤退というような『絶対にあり得ない出来事』については、特に決めておく必要はないという判断から敢えて文言にしなかっただけです。共同出店の提案をしたのは我が社ではなく、プログレスのほうですからね。我々が何か裏切り行為をしない限り、プログレスから提携関係にひびをいれるようなことはするはずがない。互いに共同出店していくことさえしっかり合意されていれば、そんな一つ一つの契約文言など瑣末なことです」
 「ところが、その共同出店の提携基本契約自体が、契約として、ほとんど意味を持たないと言うのです」
 「言うって、だれが言うんですか?」
 「顧問弁護士の中村先生です」
 重成との話の後、堀越は緊急に顧問弁護士を訪ねて、契約関係書類を見せた。
 「ひどいなあ。これ、契約として意味をなしていませんよ。こんな契約、どうして結んだんですか」というのが、開口一番の中村の意見だった。
 「というと?」と守田の目が険しくなった。
 「罰則規定がないから、どちらかが共同出店の約束を破っても、相手方はどうしようもないんです」
 「しかし、創業者であり、かつ現役の代表取締役である山田会長の自筆の署名がある契約書ですよ。そこに堂々と共同出店をすると書いてあるじゃないですか。これが何の意味も持たないなんてことありますか。人間と人間との、男と男の、しかも社会的に責任のある経営者同士の、堅い約束じゃないですか」
 「約束を破れば道徳的には責められます。でも、法的にはいかなる救済手段もないんです。これを根拠に提携の履行を迫ることはできません」
 「プログレスは従業員を何万人もかかえる一流の大企業です。山田会長は、その創業者であり、業界の指導的立場にある人物です。そのような人が、そんなつまらない妙なことをするはずがありません」
 「とは思うのですが、気になるんです。それで、ぜひ社長にお出ましいただきたいんです。山田会長をお訪ねいただいて、契約の履行を確認していただきたいのです」
 「ふーむ」と言ったきり、守田は黙った。
 肘掛けに両手を置いて、背筋を伸ばし、穏やかな顔でじっと堀越を見て、それから目を逸らし、また目を戻す。何かを考えているというよりも、まるで肖像画のモデルになっているかのようだ。
 堀越は守田の次の言葉を待った。しかし、守田は口を開かない。
 1分が経ち、2分が経った。それでも、守田は何も言わない。 
 「社長、どうされたんですか」
 たまりかねて、堀越が尋ねたが、それでも守田は黙っている。穏やかな表情をまったく変えない。
 こいつ、わざと黙っているな、と堀越は思った。それなら、こっちにも考えがある。だんまり比べをしてやる。
 こうして社長デスクを挟んで向き合ったふたりは、穏やかな顔で黙り込んだ。
 異様な時間が流れた。
 どちらもが黙って座っている。ときどき互いの顔をみたり、目を逸らせたりするが、そのときも穏やかな表情を崩さない。守田がそうするから、堀越も真似をするのである。
 20分も経っただろうか。
 たまりかねて口を開いたのは、堀越のほうである。
 「分かりました。このままにしておきます。それで社長はご異存ないんですね」
 守田は、それでも沈黙したままだった。
 堀越は立ち上がり、念のため、守田がまだ沈黙を続けていることを確認したあと、「失礼します」と軽く頭を下げてから社長室を出た。
 何かの理由で山田会長を訪ねることがいやなのか、それとも、単に出不精なのか。いずれにせよ、だんまり作戦とはひどい。
 これで何か具合の悪いことが起こったら、自分は同意しなかったとでも言うのか。浩二郎社長だったら、「よし分かった」と自分から進んで山田会長に電話を掛けるぐらいのことはしたに違いない。
 何という違いか。守田哲夫とはあんな人物だったのか。やはり、カゲロウは所詮、陰郎なのか。
 自席に戻ろうとしていた堀越は考え直して、その足で浩介専務室に行くことにした。社長がだめなら専務がある。それが会社というものだと思ったからである。 (つづく)

◎――――連載32

●連載エッセイ ハードヘッド&ソフトハート

佐和隆光
Sawa Takamitsu
一九四二年生まれ。京都大学経済研究所所長。専攻は計量経済学、環境経済学。著書に『市場主義の終焉』等。

義務教育の地域格差は国を滅ぼす(下)

廃止された国立学校特別会計

 今年度から、国立大学は「法人化」された。法人化されるまでは、国立学校特別会計というのがあって、大学の運営に要する費用の大方は、一般会計から特別会計への繰り入れ金一兆五〇〇〇億円弱によりまかなわれていた。授業料、入学検定料、附属病院の診療収入、受託研究費などの事業収入の約一兆円とあわせて、約二兆五〇〇〇億円を使って、国立大学とその附属小中高等学校が運営されていた。国立大学が「法人化」されたからといって、独立採算で運営できるはずはない。授業料などの収入でまかない切れない分は「運営費交付金」という形で国から支給されるのだから、これまでと特段の変化はなさそうである。
 しかし、これはあくまでも当面の話。これからは、研究費などの大学間格差を徐々に拡大してゆくと同時に、国立大学法人の運営のために投じる資金を削減してゆこうというのが、財務省の基本的な考え方である。「競争的資金」という言葉が充てられる、文部科学省の科学研究費、他府省庁や企業からの受託研究費、企業からの寄付金を、それぞれの教員の実力で取ってこいというわけである。総じて言えば、企業にとって「役に立つ」分野の教員は競争的資金の獲得によって潤い、逆に、役に立たない分野の教員は研究費不足に悩まされることになる。
 ともあれ、これまでずっと、国立大学の人件費や研究費は「特別会計」として「保護」されてきた。これを「過保護」と見る人が、多数派を占めるようになったのである。たしかに、国際的専門誌にじゃんじゃん論文を発表する仕事熱心な教員にも、過去三年間に印刷したのは名刺と年賀状だけという怠け者の教員にも、大学の卒業年次が同じなら同額の給与と研究費が支給されるというのは、「悪平等」といわれても仕方があるまい。とはいえ、大学の教員にとって、お金が研究のインセンティブを駆り立てるわけでは決してない。何が研究のインセンティブなのかというと、一つは自らの知的好奇心を満たすこと、もう一つは、学界内での高い評価に浴し、自分の論文を参考文献に掲げて、それを発展させる論文を著す同業者のいることである。だとすれば、国立大学を法人化して、諸々のお金の面で格差をつける「仕組み」を設けたからといって、研究のインセンティブがいささかたりとも高まるとは思えないのである。
 しかも、一県に一国立大学という従来の路線にも修正が加えられる可能性が高い。目下のところ、同一県内の単科大学を総合大学に併合させるという段階にとどまっているが、今後は、県境を越えての国立大学法人の合併が本格化するであろう。財政逼迫の折から、地方大学の統廃合により、国立大学の運営に要する歳出を削減する。これが財務省官僚と小泉政権の狙うところである。

義務教育の国庫負担は世界の「常識」

 さて、前置きが長くなったが、小中学校の義務教育の運営は基礎的自治体(市町村)に委ねられているのだが、それに要する費用のうち、教職員の給与などの二分の一を国が負担することが、長きにわたり「制度化」されてきた。国庫負担金の総額は約三兆円である。義務教育の国庫負担は八五年以上の長い歴史を持つのだが、戦後まもない一九五〇年度、シャウプ勧告に従い、一時的に、義務教育費が地方財政に委ねられたことがある。その結果、何が起きたかというと、小学生一人当たりの教育費の地域格差が拡大(最高が東京都の一万四四二一円、最低が茨城県の七六六一円)し、それまで無料であった保護者の教育費負担が急増したため、三年後の五三年度にもとに戻された。
 小泉内閣の構造改革の一つに「三位一体改革」というのがある。その要点の一つは「税源の一部を都道府県に移譲したうえで、地方のことは地方にやらせる」ことにある。地方分権自体は結構なことなのだが、義務教育の国庫負担をやめて、個人住民税の定率増税または定率の地方消費税の導入と引き換えに、義務教育費を都道府県に自己負担させるというのでは、義務教育の地域格差の拡大が避けがたいのは自明の理である。
 都道府県間には、県民所得に大きな格差がある。その結果、住民税にせよ地方消費税にせよ、地域間の税収格差にはまことに大きなものがある。(税収増の総額が国庫負担金に等しくなるように算定された定率の)住民税増収を義務教育費に充てるとすれば、東京圏、名古屋圏、大阪圏の九つの都府県では、義務教育費は増額になるのに対し、その他三八道県では減額になる。また、義務教育費にいくら使うのかは、自治体の裁量に委ねられるため――すなわち義務教育費が一般財源化されるため――知事が代われば、生徒一人当たりの義務教育費も変わることになりかねない。貧しい道県が豊かな都府県並みの義務教育費を確保しようとすると、他の何らかの費目を減額せざるを得なくなり、貧しい道県民の福利を損なうことになる。
 義務教育費の地域格差が、義務教育そのものの地域格差を生むことは避けがたい。その結果、前回にも述べたとおり、人材の浪費、すなわち、貧しい道県に生まれ育った子どもを良質な教育から排除することによる、人材の無駄遣いが結果することになる。ひいてはそれが、日本経済の潜在的成長力を低下させることにもなる。つまり、義務教育の整備・充実は経済の発展・成長にとって必要不可欠なのである。
 義務教育を軽視している先進国は一つとしてない。フランスの小中学校の教員は国家公務員であり、給与の全額を国が負担している。イギリスでは、教員の給与基準や勤務条件などを国が決めている。ドイツでは、教員は州の公務員であるが、その給与は連邦法が定めており、州の間に大幅な給与格差が生じないよう配慮が施されている。アメリカでは、教育の機会均等を図るため、連邦政府が州政府に補助金を交付している。
 以上の諸国のいずれもが、義務教育の授業料を無料とし、一学級の生徒数を三〇人以下に制限している。その結果、同一学級内で個人間の進度の違いを許容することができる。ついでに言えば、ロシアは初等中等学校の一学級の生徒数の上限を二五名と定めており、中国は四五人と定めている。どうやら、日本と中国だけが四〇人学級で画一的教育を維持しているようである。

「学力」よりも「知力」の増進を

 義務教育の国庫負担は絶やすべきではないが、国による画一的な規制は廃することが望ましい。教科書検定などはもっと緩やかなものにして、義務教育の運営における自治体の創意工夫を督励しなければならない。これ以上の学力・知力の低下を防ぐために、各自治体は自らが設置する小中学校の「教育」を改善する努力を怠ってはならない。改革の成功事例があれば、国は同様の改革を他の自治体にも広めるべく、そのために必要な補助金を捻出することを惜しんではならない。
 大学受験を競う力を「学力」と呼び、大学受験には役立たないけれど、読書や討論で培われる思考力や知識のことを「知力」と呼ぶならば、日本の子どもたちの「学力」は決して低くない。OECD加盟二八カ国、非加盟四カ国の一五歳児を対象にして、学習到達度を調査した結果(二〇〇〇年)によると、日本の成績は次のとおりであった。読解リテラシー八位、数学リテラシー一位、科学リテラシー二位。順位は平均点によるものだが、標準偏差も総じて低い。近時、日本の子どもたちの学力が低下したといわれるが、まだまだ捨てたものではない。「学力」の高さは、義務教育の画一性が依然として維持されていることと、大部分の一五歳児が大学受験を目指しているからであろう。
 「知力」のほうはどうかというと、そのレベルを測る物差しはない。しかし、かつて立花隆が「文藝春秋」誌に書いて物議をかもしたとおり、「国際会議に出席する日本の官僚は昼間の会議は無難にこなしても、夜のパーティになると、とたんに寡黙になる、欧州の同業者たちの知的会話についてゆけないから」という状況なのである。たしかに、イギリスの大学入試の最難関は、オックスフォードやケンブリッジの歴史学科だそうである。イギリスの外交官をはじめとする政府官僚には、歴史学科出身者がだんぜん多い。二〇〇三年二月、イラクの大量破壊兵器の査察問題を審議する国連安全保障理事会で、ランボーの詩を引用しつつ名演説をぶったドビルパン仏外相(当時)は、ひとかどの詩人であると同時に、ナポレオンの研究者としても名高い外交官出身の政治家である。官僚たるもの、大学では歴史学をはじめとする人文科学を徹底的に学習し、法律や経済のことはオン・ザ・ジョブ・トレーニングで学習すればよいというのが、ヨーロッパ流のものの考え方なのである。
 私は、日本人の学力低下もさることながら、知力低下を大いに懸念している。国立大学の法人化も「無用」の学を大学の片隅に追いやりかねない。だが、「無用」の学の修得こそが知力の源泉なのである。戦前の旧制高校の学生たちは「栄華の巷を低く見て」知力の陶冶にいそしんだ。私は、一九七〇年代前半期が戦後日本の知的高揚期だったと考える。サルトル、ボーボワール、フーコー、モノー、クーンらの翻訳書が飛ぶように売れた。知的であることが「格好いい」時代だったのだ。以来三十余年を経た今日、状況は一変した。政府の学術政策自体が反知性主義的と化しつつある。
 義務教育の国庫負担の廃止に伴う地域格差の拡大は、現在進行中の日本人の知力低下を加速することになる。その結果、政治、経済そして科学の分野でも、国際舞台で活躍する日本人は稀有になるだろう。明治以来一貫して「法科万能」の官僚制度を温存してきたこの国には、ドビルパンのような外務大臣は登場しそうもないし、経済界の主役を担う人にしてからが、ヨーロッパにおける同業者と比肩しうるだけの「知性」を有しているとは言いがたいからだ。
 繰り返して言おう。私は、いまの日本で優先すべき政策は何かと問われれば、ブレアにならって「一にも、二にも、三にも教育だ」と言いたい。初等中等教育から始まって高等教育に至るまで、政府は教育費・研究費の拠出を惜しんではならない。義務教育のみならず高等教育にかける費用の対GDP(国内総生産)比率を、欧米先進国並みに引き上げることが、中長期視点から、国の繁栄のために必要にして不可欠なのだから。

◎――――連載7

泉ゆきを

Izumi yukio
1938年生まれ。コミックモーニングに「宅配猫の寅次郎」を掲載し注目を集める。第25回日本漫画家協会賞先行委員特別賞、第19回読売国際漫画大賞近藤日出造賞ほか多数受賞

疲れる前に休もう 7

編集後記

ダイヤモンド経済小説大賞受賞作を出版

▼第一回ダイヤモンド経済小説大賞の大賞受賞作『内部告発者』(滝沢隆一郎著)、そして優秀賞『謀略銀行』(大塚将司著)と『白い手の残像』(汐見薫著)を単行本化し、三冊同時に発売いたしました。読者のみなさまに好評をもって迎えられています。ありがとうございました。経済小説に主題を限定していますが、ダイヤモンド社が創業九〇年を経て初めて本格的に新人作家発掘に力を入れるものです。まずは三作品をご購読いただけますようお願いいたします。
 第二回公募もスタートしています。制限字数を緩和し、より応募しやすくしました。経済小説の枠組みを大幅に逸脱するような新しい発想の作品を期待しています。多数の方の応募をお待ちします。第一回に応募し、残念ながら選外となった方も、またぜひ挑戦してください。私たちはみなさまを応援しています。(坪井)

マーケティング局より………

▼我と来て 遊べや親の 無い雀
 一茶の句と共に、法衣をまとった僧侶と子供らが楽しそうに輪になって遊ぶ傍らに、一羽の小雀がポツンと淋しそうに描かれていました。
 それは、私の記憶の内、最初に出会った本の、最もお気に入りのページであり、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。
 上製の表紙には『良寛』とありました。
 幼い私は、この絵の穏やかな良寛さまに、大好きであった祖父の面影を見いだしていたのです。
 この夏、その祖父の法事があることもあってか、フッと、良寛さまと再会してみたくなったのです。が、困った事に良寛さまは『蔵』の何処かにおられるのだと、田舎の母が言います。齢五十を超えた今でも、蔵と聞いて尻込みしている私を「おしおき」の怖さを知らない二人の息子達は笑います。さて、果して期待どおり会えるでしょうか。(前)

編集室より………

▼出版事業局に引っ越してきました。
 ある著者の方とご挨拶した際、「これは第三編集部向きの企画かもしれませんが」と言われ、「はて」と思いました。ちなみに私が配属されたのは、第一編集部です。
 なるほど、弊社は、ドラッカー、ガルブレイスといった経営学、経済学の泰斗から、メルマガNO1「セクシー心理学」のゆうきゆう氏まで、さまざまなジャンルの書籍を発行しています。「編集部ごとの棲み分けがあるはず」と、思われるのでしょうが、実は多分に編集者の個性に委ねられているようです。
 今回、私を含めて五名が第一編集部に加わり、編集部内はさながら新学期のクラス替え直後のようにざわついています。創造が混沌から生まれるのだとすれば、このざわつきがいつまでも続くことが健全なのかもしれません。(石田)

「Kei」について

「Kei」はダイヤモンド社の広報誌として全国主要書店でお配りしている小冊子「Kei」の電子版です。

論文の投稿を歓迎します

「Kei」では、経済・経営に関する論文の投稿を受け付けております。字数は1000〜4000字。受け付けは電子メールのみです。冒頭に概要、氏名、略歴、住所、電話番号、電子メール・アドレスを添えてください。採否についてのお問い合わせには応じられません。採用の場合は編集室より電子メールでご連絡します。受け付けのアドレスは以下のとおり。

kei@diamond.co.jp