イエスの惑星BBS

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木邨ケンゾー  投稿者:おつる  投稿日:2008年 7月13日(日)00時37分27秒
  カトリック正平協 全国大会で

木邨けんぞー氏が プレゼンテーションするけど
「某商社の常務をやめて何故月給などはるかに少ないはずの正平協にもぐりこんだのか、理由が分らない。何か政治的目的、総連あたりとの関連があるんじゃないか」

これ 質疑応答のとき 直接 質問しよっかなー
 

彦左衛門さま  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年 7月12日(土)23時14分30秒
  酒井氏は、俗に言う「世渡り上手」の方だったのですね。
私は、てっきり中野学校で諜報員としての教育でも受けたのかと。(笑)
戦争中、あの悲惨を極めた南方戦線で、補給も絶たれ、
多くの誠実な人は、心ならずも戦死しました。
その処世術でもって 共同通信社で登りつめ、
畏れ多くも畏くも金日成主席にご対面、
見事な経歴でございます。

補給を絶たれ 次々と餓死者が出る中、
現地の人々の食料を奪いながら、生き長らえ、生還したのですから、
北朝鮮にではなく、フィリピンの方々のために熱心になさればよいものを。

木邨ケンゾー氏も活動家として摘発されることなく「世渡り上手」。

カトリックは お人よしの甘い蜜の香りを放っていたのでしょうか。
猛毒を持つ「世渡り上手」蜂がこぞって ブンブンと 群がっています。
 

海軍経理学校  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年 7月12日(土)21時14分21秒
    失礼前便で、酒井氏の海軍経理将校という経歴を怪しむ文章を書きましたが、これはヒコザの誤り。

  ウイキぺディアには下記のごとき記事がありました。

  .............(戦局の逼迫とともに)短期現役士官制(短現と略称される)が設けられた。専門学校・大学卒業の志願者から採用し、海軍経理学校入校と同時に海軍主計中尉に任ぜられ、2年間現役に服した後に予備役に編入されるようになっていた。東京帝大(現・東大)、東京商大(現・一橋大)等有名大学の卒業生の多くが(主計将校になれば最前線で死ぬ可能性が極めて低くなるため、兵役逃れの意味合いもあって)志願者として殺到し、戦後の政財官界で活躍する人物を多く輩出することなった。

  いずれにせよ酒井氏うまく生き残った事実に変わりなし。同時代の高校生、大学生、ヒコザの同級生も含めて随分死んでいるんだが。べつに死ななかったことが悪いと言うわけではないが。
 

赤子の手を捻ること  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年 7月12日(土)20時51分36秒
   >左翼活動家が表面上は信仰者として、ある目的をもって、中央協議会組織の事務局などに入り込んだのが拍車がかかった原因だと思います。牧師よりも世間知らずな、カトリック聖職者を赤く教育し、煽動することなど、赤子の手を捻るようなものだったでしょう。
                                 (ダンボさん)

   ヒコザ:  全くおっしゃるとおり。長年正平協事務局長をやっていたキムラケンゾーの前歴には不透明な部分があり、彼が、某商社の常務をやめて何故月給などはるかに少ないはずの正平協にもぐりこんだのか、理由が分らない。何か政治的目的、総連あたりとの関連があるんじゃないかと疑ってしまう。

  一方、司教たちの政治顧問として圧倒的影響と権威を保持した酒井新二元共同通信社長は、ジャーナリズムの修羅場を潜ってきた古狸。北さん賛美の左翼評論家でもあり、嘗て、訪朝二回、二回目に金日成と握手できたことを得々と語っていたっけ。

 こういう海千山千の連中から見れば、うぶな司教聖職を洗脳し、思うままに引っ張りまわすことなど全く『赤子の手を捻るようなものだった』はず。

 酒井新二は昭和17年(1942年)東大法学部卒、終戦時は、海軍経理将校としてフィリッピンにいた。これも何か分らない。普通学徒出身の軍隊入隊者は安全で特権的な経理将校なんどにはなれなかったはず。なにかコネがあったのかな。

 ヒコザは、戦後間もない時代、彼が当時のカト新に投書していた事を覚えている。中身は何か教会のあり方に文句をつけているものだった。
 

資金提供に手を貸すまじ・・  投稿者:サボテン  投稿日:2008年 7月12日(土)16時40分18秒    編集済
  >大体、私たちの献金を、そのような活動に費やされるのは心外なのです。 (ダンボさん)

 そうですよね。武者小路氏や、キムラケンゾー氏に、いったい、どこからどれくらい、資金が流れているのでしょう? 司教は、現在は「清貧」の誓願を立ててない方が多いので、彼らがポケットマネーで謝礼をしているのなら、まだいい・・・。そうではなくて、われわれの献金(浄財)を使っているのですから・・・。

 はい。献金やめましょう!
 維持費、少なくしましょう!
 確実に使途がはっきりしているもののみにしましょう。
 カリタス・・、危ない!
 ○○献金・・、危ない!
 資金が減れば、少しは危機を感じられるかしら?

 いざとなったら、家庭事情・体調理由に小教区をはなれて、「典礼難民」「小教区難民」しましょうか? (なかば、戯言、なかば、本気・・)


>エキュメニカルの名のもとプロテスタントと交流し、赤くなり、そこに左翼活動家が表面上は信仰者として、ある目的をもって、中央協議会組織の事務局などに入り込んだのが拍車がかかった原因だと思います。牧師よりも世間知らずな、カトリック聖職者を赤く教育し、煽動することなど、赤子の手を捻るようなものだったでしょう。 (ダンボさん)

 現在のエキュメニズムといわれる活動、問題ありすぎ!

 左翼運動だけでなく、聖母への信心、聖体への信心も、エキュメニズムへの配慮からなし崩し的に薄められていくのは、耐え難いです。

 また、さいたま教区など、妻帯の終身助祭群が、何人おられるか・・・。信徒の数に対しての割合は、きわだって高いでしょう。谷司教がいったい何人の妻帯終身助祭を叙階したか・・・。ルターの「万人祭司」(叙階の秘跡の否定)の主張を、そのまま遂行しておられるようです。

 妻帯終身助祭は、正平協の下働き。説教にも、正平協の主張(プロパガンダ)を、必ずおりこまれます。谷司教のロボットのよう・・・。

 終身助祭も臨時聖体奉仕者も、信者が限りなく多い地域で、深刻な状況の下、やむをえない場合に限ってのみ、任命されるべきはず・・・!ですよね? 教皇様?
 

迷える大羊さんへ  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年 7月12日(土)13時47分19秒
  有本さんが土井事務所にお願いに行った当時は、政治家にお願いに行けば良きに計らってもらえるという時代でした。特に北朝鮮との友好関係を社会党は強調していましたから、最初、拉致など考えにもなく、ただ、書類上等の行き違いか何かで、国交のない国に留め置かれている程度の理解だったようです。石岡さんから相談されて、有本さんが、神戸市長田区は土井たか子女史の実家のあるところで地元ですから、それならと相談に行ったそうです。そして命の危険に及ぶような事態となってしまったようです。その時点で社会党は自国民よりも、北朝鮮を選択したわけで、政党の資格なんてないし、方針を受け継いだ社民党には、税金から政党交付金をもらえる資格はないのです。

有本恵子さんたちが、用心することなく北朝鮮に行ったのも、日教組の影響で、北朝鮮を良い国のようにしか習わなかったのですから。真実はすべて、一般的な情報から隠されていました。

カトリックの左翼化は白柳枢機卿が実権を持たれた頃から酷くなったような気がします。里脇枢機卿が実権を持っていらっしゃった頃には、あのような左傾化はしていませんでした。
エキュメニカルの名のもとプロテスタントと交流し、赤くなり、そこに左翼活動家が表面上は信仰者として、ある目的をもって、中央協議会組織の事務局などに入り込んだのが拍車がかかった原因だと思います。牧師よりも世間知らずな、カトリック聖職者を赤く教育し、煽動することなど、赤子の手を捻るようなものだったでしょう。
でも、左傾化聖職者に賛同する信者ばかりではありません。
これらの人たち以上に、保守層が多いのです。
ですから、私たちは、聖職者の政治的発言や行動に反対する態度を公にしても、何ら問題はないのです。当然のことですから。
もう、これらのことはバチカンにも情報が行っていると思いますし、これからも どんどん 情報はいくと思います。
大体、私たちの献金を、そのような活動に費やされるのは心外なのです。
 

社民(旧社会)党ねぇ・・  投稿者:迷える大羊  投稿日:2008年 7月12日(土)09時17分59秒
   石岡さんのお便りが日本の家族に届いたのはこれまた昨日、今日の話ではなく確か1982年か83年ごろのことですよね。やはり、リアルタイムで真面目に取り上げた新聞、テレビ(少なくとも大手は)全くなかったのではないでしょうか?

 旧社会党と北朝鮮、拉致問題とのカラミは被害者家族の集会で聞きました。でもねぇ、石岡さんや有本さんの御家族には申し訳ないけれど、「どうして社会党なんかに相談したんですか!切羽詰まっている事情、気持ちは分かるけれども、あまりにも的外れですよ」とちょっとイライラした気持ちにさせられたことを告白します。集会の会場でも(多分)同様のため息が漏れていたように記憶します。

 これも、マスコミに責任あるでしょうね。北朝鮮と社会党との胡散臭い腐れ縁はこれまた、昨日今日始まった話ではないんですが、一般にはほとんど知られていなかったのではないでしょうか?この辺りを20年以上前に厳しく追及した新聞とかメディアってありましたっけ?知られていれば、大韓航空機事件の後、90年代になっての総選挙で社会党躍進なんてこと考えられないでしょう(94年には政権の座にまで就いてしまう)

 土井たか子氏が拉致問題への対応を批判され、落選するのはようやく21世紀になって、2005年のことです。批判された拉致事件への対応(有本さんなどへの)そのものはかなり昔(少なくとも十数年から20年近くも前)のことで、今まで何の追及もお咎めもなかった方がよほど不思議でそこら辺の「事情」にもメスを入れてもらいたかったんですけどね、私としては。

 現実に拉致被害者が帰国し、被害者が続々と名乗りを上げている現在ではさすがに、左翼とか社民党関係者といえども拉致事件そのものを否定するような者はいません。代わって彼らが最近よく口にするのが贖罪論。つまり、簡単にいうと昔、日本も植民地支配において韓国・朝鮮の人々を強制連行した、ひどいことした、だから仕方ない、との論法。
 カトリックの白柳枢機卿までが同様の論法の談話をしてるんで、ため息が出てしまいました。キリスト教の聖職者の世界には左翼的言動=正義という方程式があるんでしょうか?

 だけど、これもおかしいですよね。日本と因縁浅からぬ関係にある国々は別に北朝鮮だけじゃありません。南の韓国もそうだし、台湾など50年、北朝鮮以上に長いこと日本の植民地でしたし、中国や他の東南アジア諸国しても日本とはいろいろありますが、だからといって政治・軍事と無関係な一般人を国家ぐるみで誘拐なぞしてません。

 大体、そんな論法がまかり通ったら、例えばインド人はイギリス人に何をしても良いとなりますし、世界中テロだらけです。
 さらに被害者にしても日本人だけではなく、韓国人の被害者数は日本以上だし、レバノン人も被害に遭っているし、脱出した拉致被害者の目撃談によればフランス人、オランダ人、マカオ、タイ等などほとんど世界中からさらってるとしか思えません。これからも叩けばいくらでもホコリが出そうな感じです。一体、レバノンやタイに北朝鮮は何の恨みがあるというのでしょうか?
 どう考えても崇高な理念とか歴史とは無関係な単なるテロ行為です。本当にどうしてそんなにしてまでテロを正当化したがるのか全然わかりません。

 一般社会ではこういう左翼系文化人は急速に影響力を失ってますが、日本のキリスト教の世界ではまだまだこういった(左翼的言動が正義と思っている)人々が幅を利かせているというか、声が大きそうで、これからこの世界に関わっていく者としては憂鬱ですね。
 

資料です  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年 7月12日(土)07時21分18秒    編集済
  http://nyt.trycomp.com/hokan/0025.html
これは永久保存物ですね。
この中に名を連ねる某政党副代表は、
「日朝国交正常化推進議連」
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/05/0805j0526-00001.htm
にも参加しています。目覚めない人種です。

社民党の証拠書類は消される寸前に私がPDFファイルで保存しました。
http://www.nomusan.com/~essay/syakaiminsyu-rachi.pdf
PDF作成日が02/10/02となっています。
金正日が拉致をゲロッたのが02/09/17です。
つまり犯人が白状した後も、でっちあげと言っていた訳です。お前の脳味噌がでっち上げではないか。

神奈川県議会に拉致問題解決の為に活動する超党派の議員連盟があり、共産党も含めほぼすべての政党議員が参加協力していますが、社民党だけはそっぽを向いています。

色々書きたいことはあるのですが、こんなのも参考になればと思います。
http://www.nomusan.com/~essay/essay_vatican_15.html

なお、加藤紘一という、上記「日朝国交正常化推進議連」の世話役で、かつて金に米50万トンを貢いだ男が、最近何か言って叩かれていますが、根本的に分かっとらんのは、
「拉致問題は、外交“交渉”でない」
ということです。
交渉でなく、要求、なのです。
 

1992年の聖金曜日の夜、中国で起こったこと  投稿者:Pas  投稿日:2008年 7月12日(土)04時16分35秒    編集済
  1992年4月16日夜、その日は聖金曜日だったので、中国のあるカトリック教会では信者たちが集まって、静かに祈りを捧げていた。そこへ人民解放軍と軍事警察の車両が威嚇するようにやってきた。信者たちの間に緊張が走ったが、やがて車両は引きあげていったらしく、静かになった。
信者たちが外に出てみると、教会の入口のところに大きなビニール袋が置かれていた。先ほどの車両が捨てていったようだった。恐る恐る信徒たちが袋を開けて中をのぞいてみると、冷たくなった老人が入っていた。一年以上前から行方不明になっていた、河北省保定教区のペトロ・ヨゼフ范学淹司教の遺体であった! ショックで信者たちはただただ号泣した。遺体の額には傷があったが、左のすねの骨は明らかに折れていた。
范学淹司教は、「愛国会」に参加せず、常に批判的であったので、たびたび逮捕され、長い獄中生活を送っていた。

http://www.cardinalkungfoundation.org/articles/newsletter/let02jul.htm
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/library/book/hand2007/china.htm
http://www.gcatholic.com/dioceses/diocese/paot0.htm(「範學淹」と表記されています)
http://www.china21.org/simpChinese/docs/sim_china_status_report_2001_.htm
 

武者小路公秀  投稿者:おつる  投稿日:2008年 7月12日(土)00時14分19秒
  彦左衛門さま

朝鮮新報 中央大会
「安倍政権が「拉致問題」を新たに作り出したことは、陥っている苦しい立場からなんとか逃げようとしていることを意味する。

 6者会談が進展する中で、安倍政権はますます立場がなくなっている。「拉致」を深刻化することで問題解決の先延ばしを図っている。」

●拉致を深刻化しちゃいけない 拉致で大騒ぎするな 拉致よりも友好が大事と
言ってますhttp://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/02/0702j0509-00002.htm

***************************************************************

「拉致疑惑」は政治的な工作/日本の学者らが学習会

 国際紛争予防研究機構(会長=武者小路公秀・明治学院大教授)主催の学習会「岐路に立つ日本外交」が5月27日、東京・文京区の学士会館分館で開かれ、市民ら約160人が参加した。

 パネラーの吉田康彦・埼玉大教授は「少女拉致疑惑」について、「疑惑発覚のタイミングがあまりにも絶妙で、正体不明の亡命工作員の証言なども信ぴょう性に乏しくいい加減だ。きわめて政治的な色合いの濃い仕掛け爆弾、政治工作だと考えられる」と述べた。武者小路教授は「様々な事件や疑惑をつなぎ合わせて危機感をあおり、日本を守るためにも有事立法が必要なのだという論理につなげようとしている」と指摘した。

●拉致被害者の家族の気持ちなど念頭になく
拉致よりも 友好 拉致よりも 日朝国交と繰り返し続ける
キムジョンイル賛美の 武者小路公秀

武者小路氏と 国連と 部落解放同盟、大韓民国民潭、朝鮮総連、創価学会の関係
http://heart.jinkenhou.com/wake/05.html
 

迷える大羊さんへ  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年 7月11日(金)23時59分5秒
  旧社会党党首たちは、どうしたのでしょう。
マスゲームを見て、喜ばし組の接待を受けて、ヘラヘラ喜んでいた人たちは?
「オタカさん」と一世を風靡した猛女は、
自分のお膝元の県連が、有本さんご両親から相談を受けながら、ご丁寧にも総連に、
石岡さんから日本の家族に便りが届いたことをご報告するという愚行をし、
その後も知らん顔。
いえ、それどころか有本さんご両親をウソつき呼ばわりしてたんです。
そうして、北朝鮮の良き理解者、支援者となっていました。
自分の地元の女性が北朝鮮から返してもらえないなら、自分が仲良しの北朝鮮に行って、
返してくれるまで帰国せず、「ダメなものはダメ!」と頑張ってきたら良いのに、
正式に釈明しているのも謝罪しているのも、聞いたことがありません。
その他大勢の議員たちと一緒に、金正日が拉致を認めて初めて、
衝撃を受けたと自分たちが被害者のように誤魔化しました。
あの人たちは被害者側ではなく、加害者側のすぐ近くにいて、
援助してきたのだから共犯者です。加害者だったのです。
今、社民党の女性議員たち、福島瑞穂さん、辻元清美さんを筆頭に
何をしているのでしょうか。どういう姿勢をとっているのでしょうか。
辻本さんはピースボートで、北朝鮮とは仲良しではないですか。
国民を守ろうという志も持てない人間は国会議員になる資格などないのです。
有本さんのご両親の話を伺ってから、
土井たか子さんに対して嫌悪感しか抱けなくなりました。
貧しい北朝鮮から、金の延べ棒をプレゼントされて金庫にしまっていた金丸信氏。
金の亡者、権力の亡者は与野党にウジャウジャ。
本当に嘆かわしいですね。
 

カトリックも同じです。  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年 7月11日(金)23時24分50秒    編集済
  迷える大羊 さんへ、

 まことに、まことにおっしゃる通りです。日本の政府、政治家、マスコミはこれまで北朝鮮の犯罪に眼を瞑り、その被害者である自国民を見殺しにしてきました。

 そして日本のキリスト教会、カトリックも同じです。

カトリックの司教、正平協たちは、戦後60年、北朝鮮で進行していた、世界最悪の共産主義による、信仰迫害、人権無視否定、他国民誘拐、などの犯罪と非違について、いかなる憂慮も批判も示したことはありません。

 小生彦左衛門も長い間、その懈怠に気がつきませんでした。しかし数年前から、自己反省を含めて、司教や、正平協に問題を突きつけているのですが、彼らがそれに誠実に対応している徴は全くありません。
  彦左衛門などより数等立派な、ノムさんや、頬白親父さん、おつるさん、その他の方々の真摯な問いかけにも、彼らは、全く誠実な対応を示していません。

それどころか、今回の洞爺湖サミットについて、司教団としても批判的申し入れをす
るために、北朝鮮の体制と思想の賛美者である、武者小路公秀をわざわざ招いてその意見と指導を受けています。

 それは世界最悪の共産主義に肩入れしていることではないですか。

  それは、この悪魔的体制の下での無数の同信の殉教者をあらためて背後から刺し貫くということではないでしょうか。

 また国連推定によれば、20万とも言われるアウシュビッツ宜しくの『政治犯』収容所で苦しんでいる、生き残り信徒を含む罪なき人々への裏切りではないでしょうか。

 彦左衛門は、もし今の時間が現代でなく、百五十年遡り、彦自身、もう50歳若ければ、家伝の小野派一刀流、破邪顕正、必殺の剣を振るって、これら人類と教会に大害をなす連中を悉く抹殺していたでしょう。
 

彦さま  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年 7月11日(金)22時20分24秒    編集済
  天からの 賜物なれど 自覚なく
   背きし赤の 実果得るならん

祈りせぬ うつけ牧者ら 壇上で
     虚言妄言 宣べ伝えたり

(こんなで良いのかしらん?)
 

Re:難波の赤潮  投稿者:サボテン  投稿日:2008年 7月11日(金)22時15分55秒
  彦左衛門さん、 脱帽 です!  

Re:日本海側住民の恐怖・・・  投稿者:迷える大羊  投稿日:2008年 7月11日(金)21時20分10秒
   初めまして。ワケあってキリスト教、教会に関わりを持つようになりまして。その過程で「キリスト教とかクリスチャンというのは左翼支持でないといかん、ってお約束事でもあんのか?」と疑問に思っていたところ、こちらのホームページを知りました。

 拉致事件については、自分でいうのもなんですが、今のように大々的な社会問題になる前から関心がありましたし、被害者の集会をのぞいたこともありました。

 拉致事件に関して北朝鮮が一番酷いのはいうまでもないですが、日本のマスコミもひどいです。昨日今日の話ではなく、70年代から北朝鮮の拉致行為は工作員の協力者が逮捕されたり(1977年、三鷹市のガードマン久米さん拉致)、関係者には散々疑惑を持たれていたのに大手新聞、テレビは揃って見て見ぬフリしてましたよね。

 呆れてものがいえないのは大阪でコックをしていた原タダアキさんの拉致事件。韓国警察に主犯の辛ガンスが逮捕され、協力者や拉致の過程はもちろん、打ち合わせに使った喫茶店まで明らかになったのに一部の週刊誌が騒いだだけ。これも最近の話でもなんでもなくて1985年、今から23年も前、大韓航空機事件の2年前にすでに北朝鮮が日本で人さらいを大々的に行っていることははっきりとした形で明らかになっていたのに・・・。

 さらに1988年、当時、朝鮮労働党と仲が悪かった日本共産党の橋本議員が国会で当時の警察庁長官に1978年のアベック連続失踪(蓮池さん夫妻他)と北朝鮮の関係について質問していたのですが、この件に関して当時の新聞の扱いはうっかりすると見逃しそうなベタ記事扱いです。
 拉致そのものも確かに怖いのですが、こんな事件を見て見ぬフリ、「なかったこと」にしたがったかつての大マスコミの姿勢も「裏にどんな闇の力が働いていたのか?」ということを考えると慄然とします。
 政治家や北朝鮮以上にこういう大マスコミの姿勢、責任も追及されるべきでは?と思うのは私だけでしょうか?

 当時はキリスト教会とは関わりがなかったので、わかりませんが、キリスト教会の姿勢はどうだったんでしょうか?(聞くだけ無駄な気もしますが)。被害者の横田めぐみさんの母上がプロテスタント福音派系のクリスチャンである関係で、福音派の一部の教会が関心を持ってはいるようですが・・・。
 韓国民主化支援の運動家には多くのキリスト教会の関係者がいたような気がしますが、北朝鮮の民主化に情熱を燃やす日本のキリスト教関係者っているんでしょうか?
 どうも、拉致問題に関しては北朝鮮以上に日本国内の事情にも納得のいかないことが多すぎますね。
 

難波の赤潮  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年 7月11日(金)20時31分26秒
  たんぼさん:
>カトリック狂歌・狂句(川柳)集』 編集できますね!

 ヒコザ:

  難波潟哀れ赤潮ひた寄せて漁夫(あま)が心も色染まりたり
 

愛の秘跡より  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年 7月11日(金)13時12分37秒
  「使徒的勧告 愛の秘跡」
聖歌
42 「祭儀の法」において聖歌は際立った位置を占めます。聖アウグスチヌスは有名な説教の中で適切にもこういいます。「新しい人は新しい歌を歌います。歌は喜びの表現です。よく考えるならば、歌は愛の表現です」。典礼を行うために集まった神の民は、神への賛美を歌います。教会は2千年の歴史を通して音楽と歌を作ってきましたし、今も作り続けています。これらの音楽と歌は、信仰と愛の豊かな遺産をなしています。この遺産を失ってはなりません。まことに、典礼においてはどの歌も同じようによいとはいえません。このため、漠然とした即興や典礼の意味を尊重しない音楽の種類を導入することは避けるべきです。歌は典礼の構成要素として、祭儀全体に組み込まなければなりません。したがって、歌詞も旋律も演奏も含めて、すべてが、祝おうとする神秘の意味と、祭儀の構造と、典礼の季節に即したものであるべきです。最後に、さまざまな様式と大いにほむべきさまざまな伝統を尊重しながらも、わたしはシノドス参加司教の要請に従って、グレゴリオ聖歌を適切なしかたで評価して用いることを望みます。グレゴリオ聖歌はローマ典礼固有の聖歌だからです。

************************************************************************
やはり、教皇様は素晴らしいです。
ここに教会音楽に対する姿勢が、現在問題になっていることすべてにおいて、指示されています。
まぁ、うちの司祭のように、バチカンの言うとおりにはしないと明言している司祭は問題外ですが。
 

彦左衛門 様  投稿者:サボテン  投稿日:2008年 7月11日(金)10時20分26秒    編集済
  絶佳ですね!
『カトリック狂歌・狂句(川柳)集』 編集できますね!

第一部  「司教」
第二部  「正平協」
第三部  「大阪教区」
第四部  「さいたま教区」
第五部  「道を外れた司祭」
第六部  「道を外れた修道者」
       ・・・・・
 

(無題)  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年 7月11日(金)08時02分51秒
  サボテンさんへ:

>昨日(2008.7.6〜7.7.)の皆様の作品、絶佳ですね。
 大二・・大事、道に外れたミカエル、己の力を信じる祈りを忘れた神父、カトリック新聞に投稿されては・・

  彦左衛門:狂歌をもう一つ

 することが他に(たに)ないのかね七福神題字(だいじ)も抜きでポスター飾り
 

くいだおれ太郎 じゃないけれど  投稿者:Pas  投稿日:2008年 7月11日(金)01時36分32秒
  わて、旅に出まんねん  

サボテンさんへ  投稿者:おつる  投稿日:2008年 7月10日(木)23時43分32秒
  とっても 参考になります。
有難うございます

>クラッシックの和声(和音の進行と音の配置)で、9の和音(9th)、11の和音(11th)、7sus4、aug、dim、など、ほとんどのコードは処理できるのに・・・。(呼び方はまったく違いますが・・)

9の和音(9th)、11の和音(11th)、7sus4、aug、dim
私は ジャズの勉強でやりましたが 使うだけで かっこいいーーーーくなりますね

いつも 典礼聖歌のT氏などの作ったもともとの伴奏譜も あまりに 単純で
つまんないし 美しくなかったりするので
聖歌隊が混乱しない程度に 自分で 微妙に アレンジしています。

うちの教会のオルガンは エレクトーンで 足ペダルの音が コントラバスとか
ベースギターみたいな種類の音しかなくて まったく雰囲気にあわないので
足ペダルを使えないので 左手で できるだけ バスの雰囲気を出すよう工夫します。
苦労してます。 その場合 典礼聖歌集伴奏譜のまま弾いていると限界があります。

とにかく 心をこめて 祈りながら 荘厳な雰囲気をと・・・・ 知識がないながらも
一生懸命 オルガンを弾いています。

大阪教区の典礼Q&A 読みました。

「すべての祭儀に歌が大切にされるべきであるならば、子どもとともにささげるミサでは、音楽を好む子どもの性質にかんがみ、その国独自の文化と子どもたちの実力を考慮した上で、大いに歌を取り入れなければならない」

その国独自の文化・・・ビリーブとか 世界はひとつー♪とかは
日本独自の文化じゃないしー。
子供たちの実力を 低くみてはいけないですよね
リズム感や感性なんかは とうてい大人はかないませんし
ラテン語聖歌や グレゴリオ聖歌でも たぶん大人より子供のほうが習得は早いかもです

うちの神父様は ラテン語がお話できる方ですし ラテン語聖歌も大事にされる方です。
子供ミサの歌なども 少しづつ いい音楽に変わるようになると思います。

いろいろ貴重な情報ありがとうございました。
 

Re:典礼音楽について  投稿者:サボテン  投稿日:2008年 7月10日(木)17時40分44秒
   教会内でさまざまな考え方があります。何を規範にものを考え、判断すればいいのか、迷うことはありますね。

 確実なよりどころは、教義(=信ずべき信仰内容)、ミサについてであれば『憲章』、『総則第3版』、『指針』、その他の教会文書。

 確実な文書と、教区の指導にずれがある場合、積極的に質問していいと思っています。『典礼憲章』にも、『総則』にもラテン語聖歌についての位置づけは、はっきり示されているわけですし、最近では『愛の秘跡』(サクラメントゥム・カリターティス)の62項か63項に、国際ミサにおけるラテン語の使用についての肯定的アドヴァイスがあったように思います。(今、手元にないのですが・・・)

 まあ、けんかしないように、いろいろ、ざっくばらんに、話をする間に、小教区レベルでは、かなりの改革は可能であることは実感しています。信徒の方の耳と、歌い祈る充実感を信頼すれば、孤軍奮闘しなくても、流れを変えることは可能なようです。うちは、高齢の外国人修道司祭ですから、神父様自身が、伝統的なカトリック的なものを大切にされていることは、プラスにはたらいています。

 ラテン語聖歌は全員で歌いますし、天使ミサも、平日、毎週歌っていたこともあります。オルガンがなくても歌われます。平日の入祭、閉祭は、カトリック聖歌集からでした。

 教皇様が代わられ、昨年2007年7月7日の自発教令が「文書」で出されたことは、心強いです。中央協議会が翻訳し、今もHPに存在することは、心強いです。

 大阪教区のアドヴァイスは、最近の文書は、まったく視野にないようですね。無視なのかもしれませんが・・。司教協議会が監修して、中央協議会が出版している文書は、よりどころにすべきだという雰囲気を育てることができればいいですね!
 

Re:教会音楽について  投稿者:サボテン  投稿日:2008年 7月10日(木)16時37分25秒    編集済
  >伴奏が ズンチャッ ズンチャッとか 単調なアルペジオとかで・・・

 それは、ひどいというか、論外ですね! おそらく、クラッシックの「和声学」と「対位法」を、しっかりと勉強していない方なのでしょう。幼児教育の「簡易伴奏譜」のようなイメージしか、メロディーに対して発想できないのでしょうね。

 クラッシックの和声(和音の進行と音の配置)で、9の和音(9th)、11の和音(11th)、7sus4、aug、dim、など、ほとんどのコードは処理できるのに・・・。(呼び方はまったく違いますが・・)


 私の場合は、「メロディーに伴奏をつける」という発想はあまりなくて、メロディーを「ソプラノ」の旋律ととらえ、4声のオルガン曲に仕上げ、展開させます。バス(足鍵盤)をつければ、5声になります。バスの動きを、特に大切にかきます。最低音は、オルガンをささえる命(?)ですから。アルトとテナー(内声)も充実させます。

 また、ピアノと違い、「音が減衰しないで持続し続ける」オルガンの特性を、十二分に生かします。その点、カトリック聖歌集のグレゴリアンの伴奏譜から、学ぶべき点は多いと思います。

 どんな風に弾いているの?と質問されれば、教会のためなので、自分がかいたものは、誰にでも渡します。批判的に考察してくださればいいと思って・・・。『典礼聖歌』でも『カトリック聖歌集』でも、手の内はなんでも披露しています。カトリック教会全体のレベルの向上が目的・・・。

 ただ、元のメロディーが稚拙なものは、苦しいですね!

 フォーク調の楽譜のコード進行、確かにメチャクチャです。乱暴すぎ。もっと繊細な和声進行が望ましいと思います。

 おつるさん、相方さんと仲良く、がんばってくださいね!!
 

典礼音楽について  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年 7月10日(木)15時54分16秒
  http://www.osaka.catholic.jp/liturgy/QA/qa3.shtml
大阪教区では、有り難くも、上記のHPにて典礼に対しての質疑応答を載せてくださっています。
しかし、何となく迷走の感が強く、特に典礼音楽については、意義あり!と言いたくなる箇所があります。

例えば、下記のページでは
http://www.osaka.catholic.jp/liturgy/QA/qa3_001.shtml
「『入祭の歌』の目的は会衆が心を合わせてミサを始めることを意識することにあり、『奉納の歌』『拝領の歌』も会衆の行動的参加を表すものですから、それぞれの場面にふさわしく、皆が声を合わせて元気よく歌えるなら、詩編でも賛歌でもいいでしょう。
派遣の祝福の後は歌わないで解散することもできますので、『閉祭の歌』は自由に選ぶことができます。
いただいた恵みを感謝したり派遣された喜びや新たな決意を表明したりする内容なら、聖歌以外の歌を使用する可能性もあります。 」

と、書いておられながら、下記のページでは、カトリック聖歌集聖歌について
http://www.osaka.catholic.jp/liturgy/QA/qa3_006.shtml
「なつかしい、といわれる方もありましょう。
しかし、収録されている曲のほとんどはミサや教会の祈りの典礼に、文字通り、対応できるのは限られています。
そのような訳で、現行のカトリック聖歌集の中から典礼的と思われるならば使うことは可能です。
私見では336番<主われにさせり>マニフィカトや441番詩編128番(デ・プロフンディス)をお奨めします。
この他の日本語の歌は一般聖歌として、たとえばミサの終わりに、「われ神をほめ」を感謝の歌として歌ってはどうでしょうか。」

と、カトリック聖歌集の聖歌について、かくも評価は低いのです。
元気よく歌えと仰るなら、高齢者はカトリック聖歌なら元気よく歌えますが・・・。
対象に、高齢者は入っておられないのでしょうか?
そう言えば、子供のための典礼には力を入れていらっしゃるのに、
高齢者に対しては冷たいですね。
忍耐せよと?
しかし高齢者、特に独居の方は、いかにミサを頼りにして教会に来ておられるか。
この方たちは、小さな人たちのうちに入らないのでしょうか?

そして、信徒を見くびり、次のようにラテン語について仰っています。

http://www.osaka.catholic.jp/liturgy/QA/qa3_002.shtml
「たとえば、ラテン語が『高貴な文章語、文学語であり行政言語』であったがために、やがて貧しい市井の人びとが典礼に参加する『助け』とはならなくなったことがあげられます。
この言語でささげられる典礼が神秘的で荘厳な雰囲気を醸し出しこそすれ、『参加するもの』というよりも『眺める(ための)もの』になってしまったというのは、人びとにとって自然なことであったといえるでしょう。
ラテン語だけの世界では、人々はどうしても、「無言の傍観者」・・・」

本当にそうでしょうか?
日本においては、昔と違い、教育も行き渡り、ラテン語と日本語を併記さえすれば、意味もわかった上で歌えるはずです。
実際に、合同ミサなどにおいては、スペイン語(又はポルトガル語)、ベトナム語の聖歌まで、日本人に歌えるように練習しなさいと仰っているではありませんか。
英語、スペイン語とは比べ物にならないくらい、ベトナム語は歌いづらいのに・・・

「普通の教会で、毎日曜日のミサや大祝日で全会衆がラテン語で歌うことなど不可能です。」

天使ミサ曲くらいは、不可能ではないはずです。
大祝日だからこそ、「神秘的に」「荘厳に」祝うべきでは有りませんか?
ミサを軽んじ、こうまで崩れた典礼にしてしまった現在、カンフルとして、ラテン語聖歌(特にミサ曲)を復活させることが、最も有効な手段だと思います。
 

典礼に使用される音楽について・・・  投稿者:サボテン  投稿日:2008年 7月10日(木)09時46分31秒    編集済
   この話題になると、熱中して、過剰に反応するので、自粛しつつ・・・。(無理ですね!)

 フォーク調の『典礼聖歌』にのっていないもの(素人の作品)を、使わないようにするにはどうすればいいか、私なりに考え、一応の成果が見えてきたことはあります。それに代わる、よりいいものを、自然なかたちで、紹介することです。

 『典礼聖歌』に収録されていても、つまり、司教協議会が典礼に使用できると認めたものであっても、ある曲を選択するかしないかの自由が今は信徒に任されているところが多いですから、いいもののみを選択していくことは大切だと思います。

 子どもは本物を求めている、ということを、積極的に発言しています。子どもに安っぽい物を与えるのは間違っているということを、実際の体験をふまえながら話していくと、通じます。(私の熱意に圧倒されておられるのかも・・・?)

 ある曲は、聖歌であってもなくても、ひとつの作品ですから、批判に耐えるべきだと思います。ある曲を冷静に分析して、ふさわしいかふさわしくないか評価をすることは、作曲者に対して失礼にはなりません。そうして、曲は淘汰されていくのです。駄作を残す(保存する)必要はありません、伝統聖歌にすばらしいものがたくさんあるのですから。「教会の遺産」として・・・。

 (また、私事ですが、今は器楽曲しかかきませんが、私は自分の勉強のために手厳しい批判を受けることは、むしろ喜びです。自分の作品を深く聴いてくださったことに感謝するからです。作曲をする人は、レッスンでいつも「ここはダメだ、ダメだ、ダメだ、かき直し!」と言われ続けてきた人なので、そんなことで、気を悪くすることはありません。「これは、ダメですね!」と言われて、心がざわつくようでは、修行が足りないし、おかきにならなければいいのです。皆に使用してもらうことは、大変なことです。駄作を歌わされる者の気持ちがわからない人は、作曲などに手を染めるべきではありません。)

 おつるさん、私も教会では、こんなに過激ではないのですよ。何を言われても、けんかはしないように、忍耐に忍耐を重ね(???)、「これもいいですけれど、こういうのは、いかがですか?弾いてみましょうか?」と、やっています。神様は、すべてご存じ・・・。
 

日本海側住民の恐怖・・  投稿者:サボテン  投稿日:2008年 7月10日(木)08時54分13秒    編集済
   私も1987年から1990年まで北陸地方日本海側沿岸に住んでいました。子どもが生まれるまで、日本海の深い色の海岸沿いをドライブしたり、海水浴シーズンが終わったあとの松林の美しい砂浜海岸を夕暮れ散歩したりしたものです。

 波打ち際には、ハングルの書かれたプラスティック洗剤容器やビニール製品が流れ着いていました。旧ソヴィエトの貨物船が近くに入港していたので、そちらの国の人らしい体格のいい男性もよく見かけました。飲食店には、日本語とロシア語が併記してあるところもありました。

 海岸の松林の夕暮れがきれいだ、と社宅の人に話すと、
「そんなところで二人でいると、小舟が来てどこかに連れて行かれるよ。」
と言われました。
「今どき、まさか。連れて行く人も相手を選ぶでしょう?」
とかわすと、
「北の新潟でも福井の小浜でも、いなくなった人はいるのよ。」
と言われました。ありがたい忠告でした。

 とはいうものの、当時は半信半疑だったことが、後に現実の国家的犯罪であったことを知り、本当に驚きました。

 めぐみさんのご両親の苦しみは想像を超えます。もちろん、めぐみさん自身が受けられた、言葉に言い尽くせない過酷な情況も・・・。

 生ぬるいやり方ではなく、不謹慎な言い方ですが、空飛ぶじゅうたんで(超スピードで)、かぐや姫を何が何でも月に返させたように(悪者には容赦なく、力ずくで)、救出して欲しいと、切望します。
 

司教のメールアドレス  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年 7月 9日(水)23時54分7秒
    司教さん方のメールアドレスです。どうか、どしどし、要望、期待、批判、ご注意、などのために利用ください。

司教 糸永 師
電子メール アドレス :
  itonaga@po5.synapse.ne.jp

司教 鹿児島
電子メール アドレス :
  pken9808@ybb.ne.jp

司教 札幌 地主敏夫
電子メール アドレス :
  dio-office@csd.or.jp

司教 中央協議会
電子メール アドレス :
  info@cbcj.catholic.jp

司教 新潟 菊地 功師
電子メール アドレス :
  isaoymk@nifty.com

司教 広島
電子メール アドレス :
  info@hiroshima.catholic.jp

司教館  高松
電子メール アドレス :
  tkcuria@mixi.netwave.or.jp

司教館 京都
電子メール アドレス :
  homep@kyoto.catholic.jp

司教館 埼玉
電子メール アドレス :
  Saitama-kyoku@mbm.nifty.com

司教館 仙台
電子メール アドレス :
  kyoku-office@Sendai.catholic.jp

司教館 東京
電子メール アドレス :
  info@tokyo.catholic.jp

司教館 長崎
電子メール アドレス :
  cnkh211@nagasaki.catholic.jp

司教館 名古屋
電子メール アドレス :
  curia@nagoya.catholic.or.jp

司教館 那覇
電子メール アドレス :
  BishopNaha@aol.com

司教館 東京 幸田司教
電子メール アドレス :
  koda@tokyo.catholic.jp
 

SHKが地獄に堕ちないように  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年 7月 9日(水)23時12分23秒
  おつるさんの『中国 キリスト教徒 年間2千人 逮捕・監禁・拷問 』を読んで、まっとうなカトリック信者なら、正平協や、一部カトリック司教のダブルスタンダードを怒らない者があろうか。

  彦左衛門は彼らが地獄に堕ちないよう、日夜祈ってはいるが。
 

中国 キリスト教徒 年間2千人 逮捕・監禁・拷問  投稿者:おつる  投稿日:2008年 7月 9日(水)22時08分58秒    編集済
  中国: 家庭教会の信者、死刑を科せられる 2006年--------------------------------------------------------------------------------
中共政権は5日、キリスト教家庭教会(「地下教会」とも称する) 「三班僕人」教派の主要関係者に、殺人罪などの罪で死刑判決などを言渡した。判決には物的証拠が乏しく、被告人たちの自供が断罪の決め手となっているが、被告人たちは法廷で、警察による拷問に耐え切れず自供してしまったと主張している。

 自由アジアラジオ(RFA)の報道によると、「三班僕人」というキリスト教家庭教会には、約100万人の信者がおり、中国家庭教会の1つの教派である。その指導者の徐双富氏(男性60歳)は、14歳からカトリック教を信仰し始め、これまでに「反革命」や、「社会治安を騒乱する」などの罪で、2回にわたり有期懲役を科せられ、投獄されていた。また、伝教活動が違法行為と指摘され、幾度も強制労働収容所に監禁されていた。徐双富氏は1990年代初めに、「三班僕人」を結成した。

 同教会の紹介資料では、「我々がある特殊な環境で生きている。政権者が公に無神論を宣し、最終的に宗教を消滅しようとしている。民衆に宗教の自由を与えるとしているが、キリスト教徒は、当局が管理している三自協会の宗教活動に参加することしか許されず、当局にコントロールされない一切の家庭教会は非合法とされ取締られている。我々は政権者を反するのではなく、我々の敵はサタンである」と書かれ、教会の信仰趣旨と組織構成など明確に紹介している。

 当局の起訴状によると、2004年4月に徐双富氏と16名の「三班僕人」メンバーが、「東方閃電」という教派の信者20人を殺した。決め手となる証拠は、被告人たちの自供であるという。

 一方、徐氏の娘によると、今年3月黒竜江省双鴨山市中級人民法院(日本の地方裁判所に相当する)での一審の審理をする際に、徐双富氏などの被告人は法廷で、警察が凄まじい拷問を強い、自白を強要したと明かし、拷問に耐え切れなくなった状況の中で罪状を認めたと主張し、一切の告発を否定した。1人の被告人はその場でズボンを下ろし、拷問の傷跡を開示した。法廷側は被告人たちの主張を完全無視した。

 情報筋によると、被告人の一名は2004年4月27日、拷問により死亡した。

 今月5日の判決結果では、徐双富氏とその他の2人の主犯格となれる信者は、「故意殺人罪」で死刑判決を言渡され、全財産も没収される。その他の3人には死刑の執行猶予が下され、ほかに11人はそれぞれ3年から15年の有期懲役を言渡された。

 近年、中共政権によるキリスト教家庭教会への取締りが益々厳しくなり、米国にある「対華援助協会」の統計によると、最近の12ヶ月間、わかっただけで、計2千人以上の信者が逮捕や、監禁され、厳しい拷問など受けたという。今年5月11日ブッシュ大統領は、米国に訪れた3人の家庭教会の信者と会談し、中共政権によるキリスト教への打圧の状況を調べた。その3人は中国に帰国後、中共の脅迫や、騒乱などを受けた。

 「対華援助協会」の主席、中国家庭協会牧師フ希秋によると、中共当局は近年宗教迫害で使われる方法は宗教問題を刑事化する傾向が見え、刑事の罪名で異なる信仰団体を取り締まる目的であるという。

 注:家庭教会、「地下教会」ともいう。個人の家などで小規模な信仰活動を行う「家庭教会」や、バチカンに追従する「地下教会」と呼ばれるカトリック教会など、官製側の正式な認可を受けていない非公認の教会を指す。中国の現行の法律では、宗教活動は政府部門の宗教局が指定した場所と時間に、宗教局が認定した聖職者によって行なわなければならない(略して「三定」という)。その「三定」に違反する活動はすべて邪教と見なされ、厳しく取り締まられている。家庭教会はこのような状況で生まれた秘密教会のことだが、通う人数はカトリックが1000万人,プロテスタントは約6000万人で、概算すると約7000万人以上とも言われている。家庭教会に対する当局の弾圧は、人権を著しく侵害するものであると国際社会に批判されており、その撤廃を求められている
*************************************************************************

カトリック正平協は 人権・非暴力がほんとに 大事なら 中国に抗議せよ!

そして 拉致被害者のために北朝鮮に 抗議せよ!

非暴力が大切なら 洞爺湖で警察官に暴力行為をした ピースウォークに抗議せよ!
 

教会音楽について  投稿者:おつる  投稿日:2008年 7月 9日(水)21時46分52秒
  私は 教会の音楽については 素人ですが
しかし 音楽を愛するものとして、ダンボさんやサボテンさんのお話
悲しくなります。 どうして大切な 教会の音楽の選曲や作曲や編曲を 専門家に
依頼しないのでしょうか。

司教団は 政治・社会構造の専門家でないのに でしゃばるし
音楽の専門家でないのに 教会音楽作ったり 選んだり・・・・
こういうところは やはり 専門家の信徒にまかせるべきですね。


サボテンさんやダンボさんのようなお詳しい方ならなおさら 悲しい気持ちになるでしょう
赤羽根さんに依頼したら素敵なのになぁ。

私もうちの教会の子供ミサの曲集のコード進行が めちゃくちゃなので
いつも即興で 自分で伴奏つくって 演奏していますが
メロディーが 演歌・軍歌・動揺・ポピュラーなので 教会にそぐわないので ひと苦労。

それと 子供ミサの曲は団塊フォークの時代の曲なので 50代 60代
(松浦補佐司教世代)に一番あう曲ですが
今どきの子供のリズム感覚とは違います。
そして 20代 30代 40代も もちろん違います。
音楽に詳しい方は 嫌っています。
70代 80代のひとにも あいません。 いったい誰のための 子供ミサの曲なんだろう

それと ポピュラー演奏を勉強していない クラッシックのオルガニストさんが
伴奏をすると こういう曲って ますます とんでもないことになるのです。
伴奏が ズンチャッ ズンチャッとか 単調なアルペジオとかで・・・

http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/

 

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天におられる私たちの父よ
御名が聖とされますように
御国がきますように
御心が天に行われるとおり地にも行われますように
私たちの日ごとの糧を今日もお与えください
私たちの罪をお許しください
私たちも人を許します
私たちを誘惑に陥らせず
悪からお救いください
 アーメン


   
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