これを書くかどうかかなり悩んだが、やはり本当のことだと思うので厳しいことだが書いておく。
ウィルスは自身の細胞を持たず、生き物の細胞に寄生して自分を増やす。そのプロセスは「吸着」「侵入」「脱殻」「ウィルスの増殖」「脱出」と呼ばれる。
受動型ASは「自分」を持たず、依存しか出来ない点でウィルスに似ている。受動型ASはジャイアンと接する際に、最初は表面上優しく、断定的な表面上は確信に満ちたような表現をする。表面的で浅はかなジャイアンはその見掛けだけのもっともらしさに引っかかる。(吸着)。
次に受動型ASは引っかかったジャイアンを「誉め殺し」にして共依存に引っ張り込む。誉められたジャイアンはいい気になって、「あなたが必要」と依存する。(侵入)。
(ウィルスにとって浅はかなジャイアンは表面的でだまされやすく、簡単に引っかかる良いカモである)。
「あなたが必要」と言われた瞬間から受動型ASは態度を一変させ、自分の依存を顕にする。驚くほどの誇大的で自己中心的な要求をし続け、今度は言葉で罵倒して共依存のジャイアンを疲弊させる。(脱殻)。
ジャイアンは依存する楽さ(自己突っ込みから開放されるため)に味をしめ、再び自立することの不安のために罵倒されても逃げ切れない。結果、身体症状や抑うつが悪化して、病気になる。(病原性の発揮)。
病気になったジャイアンは治療の中で自分の依存性への「直面化」を行い、結局依存から自立し、身体症状や抑うつからやっとのことで回復する。(免疫と回復)。
私の理解する限り、受動型ASは「依存」「共依存」以外に他の人と関わる方法を持たないので、結局「ジャイアンに感染して病気にするしかない」ということになる。
そういう意味では、最悪の相性だ。
このことが分かっているのは大事なことだと私は思う。
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この通りでした・・・最初はすごく優しくて、なんでも聞いてくれて、途中から態度が一変して、専制のかたまり・・・私の言う事は、全部「意味がない」「癇にさわる」と罵倒する・・・だけど、彼の専制におぶさっているのが楽だから、「共依存」から逃げられない(この頃から、尋常でない頭痛が始まりました。)
結果的には、ドクターが彼を首にしちゃったのでよかったんですけど、頭痛は今も続いています。(あと抑うつ状態・・・)最悪の相性だったと認めざるを得ません。
もう、連絡先も分からない状態なので、ある意味楽ですけど、半同棲に近い生活だったのでやはり辛いです。
依存のプロセスは、本当にその通りだと思います。
免疫をつけて回復するプロセスも、まったくその通りです。
私はAS、多数派、同類、そしてお酒や薬物にも依存して生きてきました。
ほんの数ヶ月前まで、私にとっては「全ての快楽が依存物質に思えた」ほどでした。
私のたどった道が、ジャイアンにとっての「幸せに続く道」かどうかはわかりません。あくまで私個人の感じた、前向きな意見を書かせていただきます。
寄生されてしまうまえに、こっちがもっと強いウイルスになって、相手を食ってしまう、というのが今の私のやり方です。
例えは悪いですが、相手が自分に好意を持っているなら、欲しいものを買ってもらったり、自分の苦にならない程度の付き合いをすればいい。
お酒や薬物などの依存物質についても、(賛否両論を承知で書きます)「自分が気持ちよくなれる量」でやめればいい。
自分が体を壊さない量を覚えればいい(自分が長生きしたいから)と思います。
ことASとの付き合いに関しては、かなり苦しんだ時期もありましたが、今はものすごく自分中心に考えるようにしています。
「あなたが机上の空論を唱える前に、私は行動します」が大原則です。相手の理論的な言葉は、すべて右の耳から左の耳です。ほめ言葉は、気持ちいいから聞きます。
それでも相手がついてくるなら、ウイルスにやられているのは相手の方です。私は何も変わらないし、いやな思いもしません。
このスタンスで生きるようになってから、やっと楽になれました。
身体的にも大きく影響しました。ジョギングをしているのですが、「肩の力を抜いて走る」ということができるようになったのは、本当にここ最近のことです。
今までどれだけ、肩に力を入れて生きてきたのか、自分でも自分の変わりように驚いています。
自分の送ってきた人生が思い出され、とても苦しく辛いです。
私は確かに旦那を『好き』だと思った過去がありました。
それは、
>最初は表面上優しく、断定的な表面上は確信に満ちたような表現をする。~その見掛けだけのもっともらしさに引っかかる。
・・・といった表現がぴったりな『好き』であったのでしょう、
結婚式の頃には、もうすでに、旦那を『優しい人』とは認識できないくらい、病状が進行していたのか、
式の司会の方に「どこが好きですか?」と問われた私は、真面目に、旦那のどこが好きで、なぜ結婚したいのか、全く分からず、返答に困ったことを、鮮明に覚えています。
出会ってからあっという間に、病状は「吸着」「侵入」「脱殻」まで進み、
楽しいはずの結婚生活のスタート時点では、
>依存する楽さに味をしめ、再び自立することの不安のために罵倒されても逃げ切れない。
・・・という状態であったように思います。そして、
>結果、身体症状や抑うつが悪化して、病気になる。
・・・という20年間でした。
本当に、苦しかったです。
悔やんでも悔やみきれない、
かなり落ちています。辛い。
多数派夫婦のように、暗黙の了解・対等・臨機応変・お互い様…そんなことができる関係にはなれなかった自分を責めてしまいます。そんな相手を『好き』な人として選べない自分を恨みます。
娘達もまた、母親と同じような感覚で、『最悪の相性』の相手に惹かれてしまい、
母親と同じような結末になるのではないかと思うと、やり切れない気持ちでいっぱいになります。
こんな言い方、申し訳ありませんが、
離婚した後のAS夫さんの元妻に対する発言は、決して誰に向けたものでなくとも、私はハラワタが煮え返る思いでいっぱいです。
私の『利用』は決して相手を鬱状態にさせるようなものではありません。本当にドライな『利用』ですから・・・言い換えれば、私からの依存であって、相手からの依存は全く求めていませんから…
しかし、ASの『利用』(共依存)は、私自身を苦しめる。自分が依存するだけでは飽き足らず、私にまで依存することを要求する。私が他事を考えるスキを与えない。
忘れることの出来ない、苦痛の数々でいっぱいです。
そうだとすれば,受動型ASを隔離して“感染”しないように心がけるほかないということになりますが。
それとも,受動型ASがジャイアンにとって病原化する特定の条件のようなものが考えられるのでしょうか。
メカニズムを知っていれば、”もしや!”と気づいて手を打つ事ができますね。
僕も男女の付き合いでは途中から性格が変わる方ですが、それは一緒にいる事の疲労から抜け出して、なんとか自分の仕事をしたいからです。結局、独りにならねば遂げられないことなので別れてしまうのですが。
常にこのパターンなので、もう”つき合う”という”疲労”事態を避けています。
強いですね
見習いたいです
ただ受動ASは利用するとあとで
お前が〜と言ったからわざわざしてやったのに〜、、、と暴言はくのであんまり利用したくありません。
父が言うんですよ
家建ててやった
コンサート行ってやった
etc
うんざり。
家に関して言えば私がほしいと言ったわけでなく
父自身が持ち家がほしいから、父の憧れる間取りで使い勝手の悪い家を不便な土地に建て、それで威張られてもはぁ?という感じです。
コンサートに関しては、
そんなこと言うならこないでと言ったらこなくなりました。今は祖父祖母の送り迎え係りをやってもらうことにしています。
これなら
お前が言ったから
にはならない。
あとはASは良く知ってるね
と誉めておだてて教えてほしいことができたら教えてもらう。
用がすんだらさようなら。
しかしASの
わざわざ〜してやった
という文法は何を意味しているんでしょうね?
お礼が欲しいのかしら?
多数派はそういわれればジャイアンと違って
あぁ、そうでしたか、それはすいません、ありがとう
と言いそうだし。
机上の空論の前に行動
良い言葉だわ
頑張ろ。
ASの方、「毒」なんて表現をして、ごめんなさい!!
「外的刺激」というのか・・。
そこに「まんまと引っ掛かる」というのであれば、同類のもの(かたちは違えども)が、内に潜んでいるわけで・・・でないと反応しないはずだし・・。
回復の過程での直面化・・・も、1回目の直面化は、そのカップルが成立した瞬間で、何回か経験されてる方は、そのときすでに、自分の依存性には、気づいているようですし。
結局、自分の依存体質と正面きって向き合って、どっちの方向へ進むのかは、本人次第なんでしょうけど・・。
やはり、ASが『オレ様の原理で世の中を語ってやるぜ!』という中心思考に、ジャイアンが中心志向でふらふらついていくのが、一番よくないです・・・
そういう場合、最初はこいつは(ジャイアンは)「オレ様の話を(いや教えを)聞いてくれる」と思うから、ASは優しげなんですよね・・・あとはほとんど確信犯、というか・・・
世の中に、万人に通用する原理なんてないと思うんですよ。それは各々が決めることで。
今、一番辛いのは(何でもAS彼のせいにしたくありませんが)創作活動がスランプなことですね。AS彼、「僕は芸術家なんて知りません」とまで言っていた。正直なのかアホなのか・・・。芸術は、独りでやるもんだと思う今日この頃です。
AS彼は、私の回りでは「正義の味方」扱いでした。あとで、クライアントを次々依存に引っ張るとんでもねい野郎だと分かって、皆もある程度納得でしたが。
あまりmarioさん、個人攻撃したくありませんが、普通多数派であれば、科学であれ神学であれ、「オレ様が”発見した”原理」とまではせめて言っても、「オレ様”の”原理」とは言わないのでは??だって、万人に通用する原理であればある程、それが個人の所有物じゃない筈でしょ。その辺謙虚になれないから、ジャイアンをつい傲慢に引っ張ってしまったりする傾向がASにはあるんじゃないかと思うんですが・・・
PS;でも、marioさんは自覚あるだけまだましだと思う。わらひのAS彼には、その辺の区別すらつかなかった・・・(フォローになってるんでしょうか?)
ASの元彼(受動型?奇異型?)とは書かれているプロセス通りに落ちていって、どっぷり共依存を堪能させていただいて、精神的に瀕死の状態にもなりました。
そしてそれ以来、人にどっぷり依存するのだけはやめよう、と心に決めました。何者にもわたしを満たすことはできない、そして同様に自分も無力であると確信したからです。
以前「今の彼は受動ASだ」というようなことを書きましたが、多数派に近いのかもしれません。もうちょっと観察してみます・・・。紛らわしくてすいません。
(AS的な思考回路や愛着はあるのですが、それを自分でセーブできているからなのか、わたしが巻き込まれたりしないのは確かです。イマイチよくわかりません。。。)
別れていた期間はありますがもう5年以上の付き合いで、お互いそれほど干渉せずにやってきました。
ただ、一つの責任を二人で負う、ということは避けるべきかな、とは思っています。(結婚、妊娠など)そうなるとまた関係性が変わってくるかもしれないので、そのへんは慎重に考えていきたいです。
わたしが依存体質であることは変わりないので、最近ではヨガや気功などを続けることで、自分に依存して極力自分で満たすようにしています。Tamaさんもジョギングをされていると書かれていましたが、スポーツはいいですよね。
私の場合、二次障害で心身が分裂して体の存在が希薄になっていた状態が続いて、とても不安定な状態でした。けど、自分の体に依存してじっくりと手を掛けてあげることによって、精神的にも以前のようなタフさが戻り、対人恐怖もかなり改善され、何より思考や欲求がとてもシンプルになりました。
自分に依存する、というのも一つの手かなーと思っています。
ただ違いは、『オレ様の原理であって他者様の原理ではない』と知っている所でしょうか。
なので結果的に、
『これがオレ様なんだよ、いいだろ?』
「うん、いいんじゃない。私は違うけど」
で普通に分かり合って違う物同士楽しくやります。
やはり、思うのですが、
『少数派だから○○な性格』ではなく、
『少数派で、かつ○や▽な性格』なのではないかと。
少数派の脳故に多数派に比べると性格の欠点(対人関係で問題となる要素)を認識・矯正する力が弱いだけで、
認知療法で対人関係は相当改善可能なのではないかと思います。
と、多数派は思うわけですが、
この考え方自体が「多数派は理解しようとしない」ということに繋がるのかもしれませんね。
>結局、自分の依存体質と正面きって向き合って、どっちの方向へ進むのかは、本人次第なんでしょうけど・・。
本当にその通りだと思いました。
自分を認識し他者と区別し、『境界線』を良好なコミュニケーションを使って侵さない・侵させないことができないと、対等な『相互依存』の関係が築けないのは多数派でも同じです。
(私のジャイアン性やASの『オレ様』性は、「本人次第」というレベルの問題じゃありません。)
発達障害を抱えて、”どう生きるか”は本人次第です。しかし、脳の障害を抱えた上で”どういう性格であるか”は、本人次第の問題じゃないレベルの話だから、ここにこれだけの人が集まっているのです・・・
発達障害の人間に対して、「性格の欠点を治す力が弱い」という言い方は、(繰り返しになりますが)同性愛者に「普通の人もそういう行為をすることはあるけど、あなた方は特にその中で、道徳を守る力が弱い」と言ってるのと同じです。それは、”差別”というものです。
お間違いなきよう。
>『少数派だから○○な性格』ではなく、
『少数派で、かつ○や▽な性格』なのではないかと。
少数派の脳故に多数派に比べると性格の欠点(対人関係で問題となる要素)を認識・矯正する力が弱いだけで、
この言われようは、ちょっとあんまりだと思います・・・「少数派の脳故」という表現、本当に分かって使ってらっしゃいますか?
この言われ方だと、「小数派でかつ性格の欠点が大きく、それを矯正する力の弱い人間たち」と認識されたようで、非常に不愉快かつ残念です。
多数派の、「オレ様」の性格とASのそれとの違いくらい、よく分かっています。分かっているけど、ASジャイアンカップルと言うのは出来てしまうので、それは何でかを論じ合っているのです。
あなたの言われようだと、(例えはなんですが)性同一性障害の人間に、「同性に引かれる衝動を矯正する力が弱い」と説教しているような印象を受けます。(私は異性愛者ですが・・・)だから、「認知療法を受けろ」と。・・・それは、”無理な言い草”とゆうものだと思います。認知療法で、発達障害の脳の構造が変わるのなら、誰も苦労しません。(この辺りは、YANBARU先生の専門で、私ごとき素人には分かりかねる面もありますが。)
>自分を認識し他者と区別し、『境界線』を良好なコミュニケーションを使って侵さない・侵させないことができないと、対等な『相互依存』の関係が築けない
そんなこと分かってます。理解してます。理解してなおかつ、そういう教科書どおりの事が出来ないから、悩んでいるのです・・・どうか、多数派から少数派を見下すような発言は、やめて頂きたいです。
ここでの発言は控えようと、責任のとれる自分のブログで「持論を展開」することにした、積極奇異ASふぇありーですが・・
たしかに、「少数派の脳故に・・云々」は私たち発達障害者にはキツイ表現ですね。
これは、ジャイアンだけでなく、その他の少数派も同じく受け取るかと思います。
「認知療法」も言葉の使い方の誤りだと思います。
私は、現実的に自分がいっぱいいっぱいで、この多数派の社会の中でどうやって折り合いをつけて生きていこうかと(そうするしかないのです)約3年、このブログを通しながら現実でもコーチングを受けてきて、随分と自分が変わったと最近自覚しています。
「認知療法」は流しませんか。
ここに集まる皆さんは、一体自分が何者なのか、若しくは家族や関わる人たちが何者なのかを理解したい。
そして、意味不明さがどんな事から起こっているのかを模索しにいらしているかと、勝手に思っています。
つまり、現在は「ジャイアンの本音を出せる場」でもありますが、基本は自己や他者探求だと思います。
「自分のためのコーチング」と捉えれば、わずかずつですが、私たち少数派も変われると最近思っています。
もちろん、マイノリティーを通して生きてゆかれるのもその方その方の自由な選択です。
私は、あまりにも社会の不合理に耐えられず、感情に走ってしまい、反って事を厄介な状況にしてしまうので、自分を知り、折り合いの付け方を学んでいます。
勿論、それが根本的に出来ない脳なので、身体症状は頻繁に出ますし、苦しい思いばかりしますが、とにかく前進したいという思いで、必死になっています。
先生の過去のスレッドを再度読み直されたら、また新しい気付きがあるのではないかと思います。
そんなこと承知で、既にやっておられるという事でしたら、余計な口出しをしてしまいまして、申し訳ありません。
>むーんさん、
すみません、私の書き方が悪かったですね。
ASやADHDが、性同一性障害が道徳教育で治らないのと同じ様に、認知療法では治らないという事は理解しています。
『脳は◇※★で、性格は○▲□』と書けば良かったです。
(言いたかったのは、『○な性格だから、脳は●だ』という判断はできないのではという事でした)
また、○▲□の部分に入る物を「欠点」に限定してはいません。
もし『○▲□』の部分に欠点と言える物やAC・ボーダー等の言葉が入った場合は、
その部分は認知療法で良くなると考えています。
そして、「ジャイアン性」や「オレ様性」というのも、○▲□の一つと考える事ができるんじゃないかと思ったのです。
ただ、○▲□の認知療法には多数派の脳に合わせた教科書で対応していることが多いため、
◇※★に入る物によってはその教科書が合わず、効果が同じ様に得られない。ということがあるのかもなと。
不愉快な思いをさせてごめんなさい。決して見下してるのではありません。
どこまでが脳の範囲で、どこからが性格の(療法可能な)範囲なのかをできるだけ理解し、
関わり合う中ですれ違いが生じた場合の良い解決方法を見つけたいのです。
(同じ脳同士なら単純に『その性格どうにかならないの?(治してよ)』で済みます)
「分かっていてもできない」・・・これは、多数派でもあります。でも、多数派のそれと、発達障害の場合とでは違うんですよね。
その違いのヒントをもらったのが、以前、まりさん宛のコメントに書いた、ASの方の行動パターン「真夜中にお風呂そうじetc」を読んだ時だったんです。
前回書く時も迷ったんですが、その方から許可を頂いているわけではないですし、ネットで(こういうサイトでの)ルールなどもわからないし、なにより知らないところで、自分の話をされて、その方が不快に思われるのでは・・・と詳細は控えたのですが。
私が一番、衝撃を受けたのは、一連のその行動が、服を着ていない状態で行っていた・・・という部分でした。
以下、少し以前より詳細に書きますが、不適切であれば、その部分のみズッポリ削除して下さい。
*すぐにお風呂に入るつもりで、トイレにはって、ズボンを脱いだ(パンツははいている)・・・、その後、トイレの掃除をしようと思ったら、洗剤がなく、ストック場所へ取りに行き、そこで在庫が気になり在庫リストを制作し、在庫に台所用漂白剤があったので、食器を漂白し・・・・という具合につづいていくんです。そして、寒いと思ったら、パンツ1枚だった、と。
途中、何度か自分が服を着ていないことに気づきそうな場面もあるように(一般的に)見えても、意識が向く先が違うんですね。なので、結果的に全裸に近い状態・・・まぁ、自宅で真夜中で、まして1人なら、それでもいいんですけど(笑)。*
つづく・・
マイノリティーをそのままに出して行きたいと言うのが、私の最近の願いです。過去1年間ほど、いわゆる自助グループに通って、「折り合い」とか「気付き」を学ぼうとしましたが、頭痛が酷くなって、幼少期のどもりも見事に復活するし、寝たきり状態になり現在に至ります・・・
もちろん、社会で多数派と上手く生きていこうとしたら、それしかないんですけど、最近多少さみしくても、理解してくれる友人や知り合い(多数派含む)をもっと大事にして、いっそのこと、(ここで悪口ばかり言っている)ASの方々との交流を深めたい。と、思うようになりました。身体症状が酷すぎてそうしないと駄目なんです。(ロキソニン60mgを毎日2回飲んでます。が、効きません。)
そういう状態なので、つい攻撃的になってすみませんでした。自分にとっての「前進」とは何か、考えているところです。
時にアドバイスなどももらい、
本人はもとより、周り(家族など)も、ストレスの少ない生活をしていきましょう・・というスタンスだろうと思います。
「矯正」とか、「修正」とかではなく~それだと何か、「正しくない」ものがあって、それを「正す」みたいなニュアンスなので、私は以前、先生が、「上書き」という言葉を使っていて、なるほどいいなぁ、と思いました。
多数派の方々で、ここを読まれ、なおかつコメントを送信されている場合、書き込みの内容が誹謗や中傷なら別ですが、基本的に「見下す」「差別」ということは、それほどないように思うのです。
表現や言葉の使い方で非言語的なものを感じ取る能力が高い部分(自分もそういうところ、やや有りですが)、個人的には、先生が「発達障害のくせに・・」と記事内で書いておられて、それを読んだときのほうが、痛かったです。(luneさんのように)。
己が何者であるかが、よくわかっていない私にとっては、いろいろな方がいてくれたほうが、より「個」としての輪郭を見つけやすくて助かりますが、
すでに何者かがわかってきていたら、かえっていろいろな人がいると、キツク感じるのかもしれませんね。
その辺りもやっぱりまだ、よく分からないです・・。
過去ログを読んでいる最中なので、よく分からなくなってきましたが、私の知っているのがいわゆる「認知療法」なら、家の母(ボーダーでした)の性格や、AS彼の(オレ様でした)の性格が、あれでよくなるとはちょっと思えないんですけど・・・一種の(こういう言い方したくありませんが、自分のジャイアン性もあえて含めて書きます)異常性格ですから。
結局、どちらともドクターに接触自体を禁じられて現在に至る状態を、ご理解いただきたいです・・・
AS父の場合は、徹底的に「不合理」な環境で育ったがゆえに、逆に合理的思考がかなり身についていますが、それでも世間から見るとかなりの変人です。私も(父との相互理解は)あきらめています。
多数派の『その性格どうにかならないの?』ですむところは、ある意味非常に羨ましいのですが、ボーダーの母とは40年間これをやって、時間の無駄を悟りました。かなりの経済的無理をしつつ、別居を敢行しています。
>「分かっていてもできない」・・・これは、多数派でもあります。でも、多数派のそれと、発達障害の場合とでは違うんですよね。
そうなんです・・・わたくし最初アスペを疑われまして、AS関連の基礎的な本をかなり読んだのですが、そのなかの一つの例として、4才で大人向けの活字の細かい本を読んでいたのに、幼稚園での社会生活が全然出来ないと言うんですね・・・(私もそうでした。)
頭の中では、成人した大人の恋愛の行動様式まで理解しているのに、実際には幼稚園での集団生活が出来ない。これが、わたしの「分かっていてもできない」なんです。
ここ1年、努力の甲斐あって8~12才向けのトレーニングの本は理解できるようになりましたが、今は、正直そこが限度限界です。
ここのところ、連投していたので、頭で分かってふざけているように見えたかも知れませんが・・・。違います。現在は、創作活動以外では社会となるべく接点を持たないで、暮らしていける道を模索している最中です。嫁はあきらめました。なにかとんでもないことになりそうなので。
そこに激しい自己突っ込みが入り、むーんさんと同じく身体症状に常にさらされ、引きこもりを起し、自分自身にも居留守を使います。
私の場合は、子供3名という家族がいて、親として同じマイノリティーを抱えた子供たちを支え、社会で生きる術を教えなければという責任があるので、我が道を行く事が出来ません。
これが、状況が違っていれば、私もとことんマイノリティーを追求していたかと思います。
むーんさんの身体症状が少しでも改善されて、ご自分の生きる道を見つけられ、成功に向かわれる歩みをまたお聞かせいただけたら、子供たちにも参考になります。
先生、スレッドの内容からかなり一脱しましたこと、申し訳ありません。
理由は、うちの子ジャイアンの子育ての大変さ、親子の相性、自分自身の困難な部分を説明して分析できる場所が、私にとっては唯一YANBARU先生のこのブログだけだからです。いろいろな書物、カウンセリングに助けを求めましたが結局言葉は素通りするだけでした。
ご自身がジャイアンである先生の言葉だからでしょうか、不思議なほど頭に入るし納得できる、脳の中心までしっかり届くのです。目指す方向も見えてくる。
同じくみなさんのコメントや意見のやりとりも私にはとても参考になります。
私にはジャイアンの言葉と世界のみ共感、理解できないのかもしれません。
だから、一般の認知療法なるもので改善できる(対人関係は重要な問題点なのです)と簡単に言われてしまうと、「わかっていないのに言わないでほしい」という思いと、多数派の人にはおそらく、発達障害の抱える困難はどう説明されても、意味不明で理解困難なのだろうな・・だからそう思われても仕方がないとも・・
ふぇありーさんのコメントは、むーんさんの気持ちを汲んでいないと思うし、ジャイアンからみるとどうしても一段高いところからジャイアンの常識を問われているようで、結果的に気持ちを「逆撫で」または「火に油」というふうに感じてしまいます。
(私も含めて)「物申す」状態のジャイアンは抑えたりすることなく自分の意見を言わせてほしい(特にこの場では)と思います。
私自身は、(まりさんへの嫌味では決してありません)多数派の医師やカウンセラーに相談するのは無意味なことなのだ、と改めて確信しました。
前回の私のコメントは「場違い」かもしれません。
スレッドの内容から逸脱するかも知れませんが、喫茶店でかろうじて珈琲1杯1日に飲める程度のロー有閑階級がいないと、その国の文化は成熟しない、と言うんですね。で、ASとの付き合いをそれなりにエンジョイしつつ、そういう立場におさまるのも一興かとも思います。
ただ、ここではやっぱり言いたいことは確かに言いたいですね。
AS彼に、「気づき」を強制されたのは、何度も書いてますが、屈辱以外の何物でもありませんでした。それは確かに火に油だったと思います。
でも、ここでAS&ジャイアンの方々と話すのはいろいろあれ個人的には楽しいです。
多数派医師&カウンセラーがあんまりあてにならないのは本当のことですね。薬の処方はともかくとして・・・
YANBARU先生の作られたこの場所が、突然なくなったりしない事を切に願っています。
>『脳は◇※★で、性格は○▲□
>もし『○▲□』の部分に欠点と言える物やAC・ボーダー等の言葉が入った場合は、
その部分は認知療法で良くなると考えています。
そして、「ジャイアン性」や「オレ様性」というのも、○▲□の一つと考える事ができるんじゃないかと思ったのです。
ただ、○▲□の認知療法には多数派の脳に合わせた教科書で対応していることが多いため、
◇※★に入る物によってはその教科書が合わず、効果が同じ様に得られない。ということがあるのかもなと。
仰る通り、性格と定義されている(私的に性格の定義は妥当ではない、と感じますが)○▲□にAC・ボーダー等の言葉が入った場合、脳がADHDであると、多数派と違う教科書を用いなければ治るどころかかえって混乱をきたすこともあります。
そしてこれはYANBARU先生のサイトにもあります。
ADHDであるのにそのことに気付いていないACの人の場合には「ADHDのAC」だということを本人に告げることが認知療法のようなものとなり、ACが緩和されることもあります。わたしはこのページを見てACが緩和されてきました。
http://www.geocities.jp/yanbaru5555/acwithadhd.htm
つづきます・・・
そして、性格に「ジャイアン性」や「オレ様性」が含まれるようですが、多数派にしてみればそれは性格に属するのでしょうが、少数派の脳にしてみると性格ではなく脳に属すると考えたほうが、「認知療法」に着目した場合は適切ではないでしょうか。
「ジャイアン性」や「オレ様性」を性格にカテゴライズして認知療法で修正したり適応させたりするのは、多数派であればできると思います。
しかし、少数派がそこを修正しようとすると、うつになったり二次障害を引き起こす場合があります。なので、少数派の場合は、「ジャイアン性」や「オレ様性」は性格(○▲□)ではなく脳(○▲□)に組み込まないと「認知療法」に着目されたこのロジックは成立しないのではないか、と思います。
なので、少数派は「修正する」ではなく、「折り合いをつける」・・・というかんじになるのだと思います。
>(言いたかったのは、『○な性格だから、脳は●だ』という判断はできないのではという事でした)
とありますが、性格と定義されているところにAC、ボーダーなども入るようなので、その場合でしたら当然『○な性格だから、脳は●だ』とは判断できません。
ただ、性格的な特徴のようなものから憶測できることはあります。
このエントリーは受動型ASとジャイアンは結果的に最悪になってしまうにもかかわらず、惹かれあうことがあるので、それを回避するためにも、「ASだから○○な性格特徴があるのではないか?」と考えたり、コメントの一部にあらわれていてもおかしくないと思います。
ここのところの理解が進むと、発達障害に対する感じ方に、かなりの変化が生じてくるように思えます。
そして、この部分が日々の生活を困難にしている大きな要因にもなっているわけですよね。
ここを読まれている多数派の方々も、私がヒントをもらえたように、今まで書かれていた思考面の部分と共に、行動面についても(なかなか難しいことかもしれませんが)、
説明してもらえると、そこからなにかしら見えてくるものがたくさんありそうに思います。
が、ここは、そういうことを目的にしている場所というわけではないことも、承知しています。
>成人した大人の恋愛の行動様式まで理解している
という部分と
>幼稚園の集団生活が出来ない
という部分で言う、ここで読む内容は主に前半部分が多いので、その両方を1人の人間が抱えて日々、苦悩して生活しているとは気付きにくいと思います。
つづく・・
まず、心理士さんが「発達障害あり」、と認識しているかどうかで、セッションの内容が違ってくると思います。
でもこれも、「普通の範囲内」の記事のコメントで、ゆうさんが書かれているように、Dr.が告知をしないような軽度な場合だと、難しいのかもしれません。
そして次に、心理士さんがどれくらいこちらのニーズ(そのセッションでなにを望んでいるのか)を汲み取れているのか否か、にかかってくるのでは、と。
療法云々というより、そこで交わされるやり取りに意義を見出せなければ、何の進展も発展もないように思うので。
多数派、少数派にかかわらず、こういう療法がカウンセリングルームの現場では、「修正」するための手段として行われている、というのが現状なのかもしれません。
結果的に本人の中のどこかの過程において、「修正」がなされた・・・ということはあるかと思いますが、それを目的にして圧力が外部から掛かれば、身体的にも精神的に辛くなるでしょう・・・。
そういえば、少し、私、変わったかも??・・・というくらいで、それくらい緩やかなペースでいいのかもしれませんが、ちょっとやってられない!!って気分になりそうですしね。
「軽い」=「軽度」とは、何かと良いイメージがありますが、かえって対処しにくい、ということもあるものなんですね。
という部分と
>幼稚園の集団生活が出来ない
という部分で言う、ここで読む内容は主に前半部分が多いので、その両方を1人の人間が抱えて日々、苦悩して生活しているとは気付きにくいと思います
そうなんです・・・だから、リアルで会える友人で、比較的多数派に近く、かつ私の創作活動の内容を知っている人はもう財産ですね。
私は、過去スレッドを読むとどうもACジャイアン以外に思えないんですが、「書ける」という事にだけ関しては、幼少期から異常なほど自己評価が高かったです。AS父は、一貫して私に無関心そのものなので、いわゆるASをコントロールする器量はないです。ただ、4才位から様々な症状で色々なカウンセラーに預けられていたので、AS援助職相手には、この限りではないですが。
(話を戻します・・・)援助職の彼と別れて、2週間になりますが、肉体的には非常に惹かれていたものの、精神的にどうしても生理的嫌悪感があって、(彼がAC告知を無理やり行なってトラウマになっているからです)今は”よかった”としか思えません。結婚していたらどうなっていたか、果たして「ちりとてちん」のように行っていたかはちょっと興味があるんですけど。
認知療法ですが、一つには、あれでやろうとすると正直お金がかかりすぎると率直な話、思います。もう一つは、4才から世間的には非常に高度なドクターショッピングを繰り返してきて、「大体レベルはこの程度か」と思っちゃってるからかも知れません・・・(大変相すみません。ちなみに、ここのレベルは先生&患者さん共に尋常じゃないと思います。)
これからもどうかよろしく。
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