国内七十一例目の脳死ドナーからの肺移植手術が三日、岡山大病院(岡山市鹿田町)で行われた。同病院の移植コーディネーターOさんは、日本臓器移植ネットワークから一報を受けた二日から、手術が無事終わりレシピエントの容体が安定した四日未明まで、帰宅する間もなく移植チームとの連絡調整やレシピエント家族への説明に追われた。
移植は一人の執刀医だけではできない。同病院で生体肝移植を受けた私は六月二十九日に退院したが、百日余りの間に医師や看護師、薬剤師、臨床検査技師ら少なくとも六、七十人のスタッフのお世話になった。肝移植担当のコーディネーターYさんは、Oさんと同じく看護師資格を持つ女性。チームの要として欠かせない存在だ。
手術が成功すればすぐに元気になり、走り回ることができると思われるかもしれない。だが、現実には新しい臓器がうまく働かなかったり、さまざまな感染症に苦しめられることが少なくない。
私の場合も肝臓が合成したタンパク質や尿素などを送り出す肝静脈が狭まって詰まりかけ、細い管を入れて広げる治療を受けた。経過は良好だが、まだ腹水が残っており、療養を続けている。想定外の事態に思い悩んだり、つらい治療にめいってしまいそうなとき、Yさんは心情を理解し、不安を和らげてくれる。
優しい顔だけでは務まらない。時には家族間のあつれきに巻き込まれ、どう喝を受けることもあるという。多くの人がかかわる社会的医療を支える彼女たちの活躍の場が広がり、充実することを願っている。(編集局・池本正人)