海上自衛隊の潜水艦「なだしお」と釣り船「第一富士丸」が東京湾で衝突した事故から二十年。亡くなった第一富士丸の乗客ら三十人の慰霊祭が、先日、神奈川県横須賀市の海自観音崎警備所で行われた。
一九九一年に慰霊碑が建立されて以来、遺族会が毎年事故が起きた七月二十三日を前に行っている。事故現場を望んで立つ碑に遺族や自衛官が花をささげ犠牲者の冥福を祈った。
この事故で四十六歳で亡くなった岡山市出身男性の葬儀を取材した日が思い出される。葬儀は都内の自宅で営まれた。事故がなければ、釣果に楽しい会話が弾んだことだろう。読経が流れる中、力なく遺影を見詰める妻子の姿が痛々しかった。
岡山の実家から駆け付けた父親は、参列者に向かい「悲しい最期で思い切れません」と悔しさをにじませた。そして整列した白い制服姿の自衛官らに「二度と繰り返さないことが故人が浮かばれるせめてもの道」と涙ながらに訴えた。
「なだしお」事故では安全運航の欠如、通報の遅れ、情報隠しなどが判明した。二十年目の今年、海自のイージス艦が漁船と衝突事故を起こし、漁船の父子が犠牲になった。「なだしお」の教訓が生かされない。
海自は、ことあるごとに再発防止や意識改革を誓ったのに。悲しみの繰り返しが腹立たしい。