訓令の原文発見/沖縄戦・組織的戦闘終了後の遊撃命令
沖縄戦で旧日本軍第三二軍を指揮した司令官・牛島満中将が終戦直前、鉄血勤皇隊で情報宣伝を担った千早隊の隊長に対し、軍の組織的戦闘が終了した後も沖縄本島で遊撃戦を続けるよう命じた訓令の原文がこのほど、米国立公文書館で見つかった。訓令の内容を英訳した米軍情報機関の資料は県立公文書館でも確認できるが、元千早隊員で大田平和総合研究所主宰の大田昌秀さんが原文の存在を突き止めた。
訓令は一九四五年六月十八日付。牛島司令官から千早隊隊長の益永董陸軍大尉あてに「貴官ハ千早隊ヲ指揮シ軍ノ組織的戦闘終了後ニ於ケル沖縄本島ノ遊撃戦に任スヘシ」と記している。
軍から解散命令が伝わったのは、その日付の前後。一方で、大田さんによると、千早隊員には同月十九日夜、糸満市の壕で益永大尉から「死なずに米軍の背後に回って地下工作をするように」と命じられた。当時は牛島司令官の命令とは知らされなかった。
実際に北部戦線を目指す参謀数人と、その案内役として四、五人の隊員が壕を出発。大田さんは軍服から、軍人には似つかわしくない住民の着物に着替えた参謀らを見送りながら、敗戦を実感したという。自らも敵陣を突破するため他の隊員と壕を出て、九月末ごろまで潜伏行動を続けた。
大田さんは今年四月下旬から五月中旬まで訪米し、米国立公文書館にある米第一〇軍の資料の中から原文を発見。「最高クラスの司令官が、わずか二十二人の千早隊員の行動について直接命令を下していたとは夢にも思わなかった。解散命令を出す一方で、最後まで戦えと命じる沖縄戦の矛盾を露骨に示した文書だ」と言う。
沖縄戦に詳しい関東学院大の林博史教授は「沖縄戦の終盤は口頭での命令が多く、この時期の原資料が残っているのは大変貴重だ。千早隊だけでなく、各部隊の責任者あてに訓令が出されていたこともあり得るのではないか」と指摘した。