2007年10月31日

反則っていけないことなの?

だんだん訳が分からなくなってきたので一旦整理して考えたい。

連日のように亀田潰しがTVで報道されているが、
あんなに言わなきゃいけないことなのか、と不思議に思う。
何も彼らは犯罪をしたわけではない。
確かに道義に反する行為ではあるだろうが、
スポーツをやっている人なら多少の反則くらいするし、
反則したくらいであそこまで徹底的に言われなければならないのか、と思う。

反則の内容はあまり褒められたものではない。
しかし真剣勝負の世界なのだから反則をしてでも勝ちたいという気持ちも分からないではない。
そのあたりをマスコミは、父親の勝つ事への執着心、と揶揄するが、
スポーツの世界は勝てば官軍なのである。
だって負けたらみんな怒るんでしょ。
サッカーチームが負けたら水もかけるし、
好きな野球チームが負けたら酒がまずくなる。
だったら、勝たなきゃしょうがないじゃない。


何度も書いているが、スポーツで精神が磨かれるわけではない(格闘技も含めて)。
スポーツの技術はあくまでスポーツの技術であって、精神とは関係がない。
もちろん、スポーツを行うことで、向上心を持ったり忍耐心を持ったりと
精神を磨いていく人はいる。
しかしそういう人はスポーツでなくても向上心を持って物事に取り組む人だ。
スポーツはあくまで一手段にすぎない。
スポーツだけではない。
世間知らずの作家もいるし、
茶の心を理解していない茶人だっているし、
ちっとも悟っていない糞坊主だっている。
もしスポーツをしている人が精神的に磨かれていると感じるならば、
それは、スポーツをして人間としての高みを目指しているのではなく、
日頃から高みを目指している人間がスポーツをやっているだけのことである。


プロレスなどではパイプ椅子で相手を殴る、などという行為も見たことがあるし
(考えてみればそれ以来格闘技は見なくなった)、
K−1でも反則ぎりぎりの行為をする人だっているだろう。

もっといえば、サッカーワールドカップの舞台で
点を入れられないためにレッドカード覚悟で相手を倒す、というラフプレイもある。
スポーツの場で頭突きや耳をかじったりするくらいだから、
相手を持ち上げるくらいなんて事無いような気がする。
むしろ、反則かどうか分からないぎりぎりのことをやるよりも、
明らかな反則行為をした方が男らしいと言えなくもない。

スポーツマンシップだとか、フェアプレイの精神とかって言うが、
アマや趣味でやっている人ならともかく、
勝たなければ次に進めないプロはきれい事など言っていられないのでは。
おバカな解説員が、子供も試合を見ているということを忘れないで欲しい、などといっていたが、
それなら試合前の、ゴキブリ発言やいじめっこ発言の方を問題視すべきだろう。
亀田兄弟にあこがれてボクシングを始めた子もいるかもしれない。
そんな子供達が今亀田バッシングの社会を見てどう思うだろうか。


大体、反則っていうのは、やる可能性があるから反則なのである。
勿論しないならしないにこしたことはないが、
バレなきゃいい、と考えている人も少なくないはずで、
私はバレないよう姑息な反則をする人間よりかは、
まだ吹っ切っておもいっきり反則する方が共感できる。
亀田家を擁護するようであまり気分は良くないが。


時に、この一連の騒動、
私はTBSが仕掛けているような気がしてならない。
亀田祭りで視聴率をとれないとにらんだTBSが、
中止させるために試合出場停止にしむけたのではないか。
今まで持ち上げてきた以上何事もなしでは中止にできず、
何か起きてくれれば安心してバッシングして中止に追い込める。
そんな意図があるのではないか、と勘ぐってしまうのだが、考え過ぎか。

もしそうだとしたら、完全に「虐め」の図式だよなぁ。。
  
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2007年10月30日

全国のおみやげを見直すべき時

各地でおみやげ食品の偽装が発覚しているが、
我々のどこかに
「きっとどこも同じなんでしょ。」
という思いがある。
色あせた包み紙、置かれたサンプル、
日に何個も売れないはずなのに
みやげ屋が何店も建ち並び、その彼処で山のように積まれるみやげ物。
どっかに違和感を覚えながら今まで来たに違いない。

大体、いい加減な名物品があふれたおかげで、
みやげを買う、という行為がある種の習慣化してしまい、
誰も口を挟めなかった。
しかし今こそそれを見直すべき時なのではないか。


どこの観光地に行ってもおいてあるのは似たような饅頭や煎餅。
古くさいプラスチックおもちゃに、ご当地キャラクターなど、いかにもセンスがない。
みやげってそんなものか。

その地方でしかとれないものを使ってこそみやげに価値があるのだし、
あえて食品である必要もない。
もし食品が名物品であるなら
自治体などが地産呼称制度を設けてはどうか。

外国などではよく聞くが、
たとえばチーズやハムなど、その地方独特の食品の場合、
きちんと国が管理し、この製法で作ったものしか認めない、という制度である
(パルミジャーノ・レッジャーノなど)。

製菓業者が勝手に名物品を名乗れないようにした上で、
きちんとした製法、手順を国なり業界が定め、
その製法に則ったもののみを流通させる。
勿論自治体なり業界はそれを監視しなければならないが、
罰則規定も設けやすいし、何より分かりやすい。
偽装が起きても何に違反していたのかすぐに分かる。


何より、外国から来た観光客に対して、
あんな同じような饅頭や煎餅を売るなど、恥だとは思わないか。
日本はもっと真剣に外国人観光客を呼び込む方法を考えなければならない。
日本古来の歴史的建造物の前でそれをかたどった饅頭を売るなど恥ずかしいと思わないか。


みやげの杜撰さは当事者のみの責任ではない。
観光商業としてもっと国民が真剣に考えなければならない議題である。
  
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2007年10月27日

ウソだらけの世の中に



先日テレビを見ていると、
学校で環境問題に関しての講演会が行われた、というニュースが流れていた。
このまま行くと地球の温度は100年で6.4度あがり、大変なことになる、
などと子供たちに教えていた。


私は吹き出すのをこらえるのに必死だった。
丁度上記の本
「環境問題はなぜウソがまかりとおるのか2(著・武田邦彦)」を読んだばかりだったからだ。
本の内容に関わることなのであまり多くは記さないが、
引用という体で話を紹介する。

国際的な温暖化調査機関IPCCの発表では地球の温度は6.4度も上昇しない。
6.4度というのはあくまで最悪のケースである。
そして、万が一6.4度あがることがあっても、
海面の上昇は59cm程度ということが記されている。

早い話が、温暖化自体ではそれほど大きな環境変化は招かない、
というのが本の結論だ。

勿論、環境のために何もしなくていい、とは述べてはいない。
何が環境のためになるか何が環境のためにならないかをきちんと考え、
蒙昧的にリサイクルを行うのではなく
意味のあることをしなければならない、と述べているのである。


前著ではいろんな意味で反対意見も多かったようだが、
今回の本ではそうした反論にも対処し、
また分かりやすいようにデータや項目も整理されている。
きちんとした反論をするために多少科学用語が増えているため、
理系でない方には些か読みにくいかもしれないが、
それ以外の社会構造の欠陥や教育問題にも触れているので、
文系の方でも楽しんでもらえると思う。


本を読んでいて感じたのは、文系の人にどれだけ伝わるか、ということだ。
特に科学項目に関しては、病的に毛嫌いする人も多いため伝わるかどうか疑問ではある。
当然それを理解できなければその意見に反論できないはずなのだが、
文系の人はそれで感情だけで反論してしまうのが困ったことである。
本を読めば、環境を破壊していいなどとは書いていないことが分かるはずなのに。

いずれにしても
前著を読んで反発心を感じた人でも
本著を読めば多少の理解は得られると思う。
正直、これを読んで分からないなら議論はできない。


盲目的にこの本を信用しろ、という意味ではない。
しかし、事実を元にかかれているこの本は
そんじょそこらのエコロジストの執筆よりもよほど信憑性がある。
むしろ、事実に基づいたこの本への反駁があれば是非とも読んでみたいものである。
  
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2007年10月22日

教育リテラシーの必要性を説く

NTV系「太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中。」
にて教育問題に関わる話になった。
マニフェストの内容とは直接関係がないのでここでは割愛する。

なかで太田総理がやたら強調していたのは、
「学校は勉強さえ教えてくれたらいい。」という考え方だ。
もう一つ気になったのが秋野暢子女史が
「(学校が勉強するところじゃないなら)どうするの、うちは塾にも行かせていないのに。」という発言。
私はどちらの意見もずれていると考える。

私は特に義務教育課程においては、学校は勉強する場所ではない、と考えている。
多少語弊があるが、具体的に言えば、
数学や歴史などの知識を詰め込まれるための場所ではない、のである。
では何をする場所かというと、二つある。
一つはいわゆる集団活動を身につける場所。この点についての議論はまた別の機会に譲る。
もう一つは、勉強の仕方を学ぶ場所、だということだ。

考えてみれば分かる話だが、学校で学ぶことは全てではない。
数学でも国語でも歴史でも科学でも、
いくらでも可能性が広がっているのであって、
たかだか学校で勉強したくらいで全てを知ってもらった気になっては困る。
必要なことは自分で調べ、自分で考える、
そうした知識との向き合い方、調べ方を学ぶ場所なのである。

それはもう一つの教育施設を考えてみればよく分かる。
それが塾や予備校である。
語弊をおそれずに言えば塾は必要ではない。
きちんと勉強との向き合い方が分かっている子供であれば、
家で勉強しても全く構わない。
勿論、学校では分からなかった、塾で先に勉強の仕方を覚えたい、
などの利用価値は当然あるが、それは教育の本質ではない。


逆に某女医が五教科以外必要ないと発言するが、
それでは知識でない実技科目に全く学ぶところが無いと言えるのか。
知識を詰め込むだけの学校ならば、
実験も必要ないし実演や実習も必要ない。
しかし、実際には学ぶところは多い。
こうすればけがをする、ああすれば失敗しやすい、など、
学問などにも通じる教訓はいくらでもある。


知識や勉強だけなら自分でいくらでもやればいいのである。
勝手に学校に頼って、勝手に学校を批判するな、と思う。
人は知識を得て何を考察するかが重要なのであって、
それを学ぶのが学校であり、それを教えるのが教育なのである。
勿論、考察の仕方は一つではない。
それを教えるのが教育者の役目であり、親の役目でもある。

そう考えるとむしろ学校は遊んだりしても良い。
勉強は家ですればよいのだから。
むしろ現代教育の問題点は学校よりも自宅で学習する時間が減っている、ということの方が大きい。
それはつまり親もそれを容認し、
また、家で勉強して頑張ろうという気概が子供にないということでもある。
単に五教科だけでなくとも、音楽でも絵でもゲームでも良い。
向上心を持って取り組む行動を家の中でさせるべきだ。
それを考慮せずただ学校批判を繰り返す教育パパママなどに教育を語る資格はない。


教育の仕方を論じる前に、
まず教育との向き合い方、知識との向き合い方を
大人たちが学ぶべし。それなしに教育は語れない。
ましてや大人の勝手な思いこみで子供の教育がむちゃくちゃになるなど言語道断である。
  
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2007年10月18日

過剰反応

亀田家の一連の騒動にちょっと反応しすぎではないか、と思う。

私はもともと高飛車な人間を好まないので
内藤vs亀田戦の結果は妥当だとは思った。
ボクシングの内情を知らないので何ともいえないが、
ランキング14位と現チャンピオンの試合の結果は見えている。

私ははじめ亀田選手の反則行為はある種のアリバイ工作だ、と考えた。
つまり実力が及ばなかったわけではなく、
その行為のせいで負けたのだ、という言い訳作りである。
しかし、世間の目がそれだけでは許さなかった。
結果下された処分。重いかどうかは知らないが、
まあ結構な処分なのだろうとは思う。

しかしこの問題は亀田家だけの問題ではない。
当然ずっと持ち上げ続けてきたTBSにも責任はあるし、
彼らが登場したときヒーローのように祭り上げた国民もいたではないか。
ヒーローだった存在がいつのまにかヒール(悪役)にかわり、
国民から総スカンを食うという構図は
安部総理の時と酷似している。
私はもともとどちらも支持していなかったが、
支持していた人間はいったいどう感じるのだろうか。


といった話はよく聞くが、
私はそもそも、この程度のことはトップニュースで扱うほどのことか、と思う。
たかだかスポーツの一種のある特定の選手が不正を働いた、という程度のことである。
トップアスリートであろうが、そうでなかろうが、結局はプロ選手である。
相撲のそれとは違い、ただ単なるスポーツ選手
(相撲はスポーツである以前に国技である)。
しかもこの場合はただの格闘家にすぎない。


些か話が逸れるが、私は格闘家に関しては椎名高志氏と同じ考えでいる。
格闘技に従事する以上精神が磨かれるはずがないのである。
だってもともと人を傷つけるための手段なのだから。
その上で元々ある人格だとか、通して得る価値観を元に悟る人間はいるだろうが、
あくまでそれはその人の人間性であって、
格闘技をやっているから精神が磨かれるということは決してない。

それを思えば、彼らの言動、行動、諸々含め、
今回のような事態は当然想定しうる事象であり何の不思議もない。
むしろ、これまで持ち上げ批判してこなかったことが、
今回のような事態を生み出したといってもいい。
亀田家の暴言を誰かが諫めていれば今回のようなことは起きなかったはずである。
それでいて事件が起きればとかげのしっぽきりのように即座に切り捨ててみせる
JBCの振る舞いこそ違和感を覚える。
時津風親方を解雇し現役力士を無理矢理引退させ親方に仕立て上げた相撲協会のように。


勿論、亀田家を弁護するつもりは全くない。一切ない。合切ない。
しかし、本当に悪いやつらが業界に居座っている限り、
こういった問題は解決しないのである。
その他のこともまた然り、である。
  
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2007年10月17日

ざるWinXPSP2

以前にもWinXPの不具合について述べたことがあるかと思う。

私のPCではWinXP(OEM)を使用している。
以前ServicePack2(以下SP2)をインストールしたときから挙動がおかしくなった。
よくわからないエクスプローラのエラーが連発するのである。
Shell32.dll、Kernel32.dll、ntdll.dll
といった、Windowsの根幹にあるファイルがたびたびエラーを起こすのである。
それ以外にもppsacvsd.axなどのファイルがエラーを起こしていたが、
それはCyberlink社PowerProducer系のファイルで、
アップデートしたら落ち着いた。
しかしShell32.dllなどのエラーがはそれでも起こるのである。

耐えかねてSP2をアンインストールしてみると、正常に動くのである。
もともとデスクトップテーマZUNEを入れたかっただけでSP2を入れたので、
このまま行こうかとも思ったのが、重要な問題が浮かび上がった。
MediaPlayer(以下WMP)のバージョンが8に戻ってしまうのである。
以前紹介したMySideBarではWMPの9のコンポーネントを使っており、
アンインストールしてしまうとMySideBarまで使えなくなってしまうのである。

SP2をインストールした後、再起動せずに別のWindowsUpdateをするとそういうエラーが起こるようになる、
という記事を読んだので、
SP2をインストールした後、きちんと再起動してみる。
が、変わらない。
頭にきてSP2をアンインストールし、
WindowsXPの上書きインストールを試みた時、事態は起こった。ここからが本題。


Windowsが起動しなくなったのである。
正確にはロゴ画面がでた後、画面がブラックアウトし、
画面中央にマウスカーソルが出た後再起動するのである。
何度か試したが状況は変わらなかった。


仕方なく別のHDDにWindowsXPをインストールする。
経験がある方ならわかるかと思うが、これはとってもめんどくさい。
だってソフトも全部入れ直さなければならないんだもの。
しかし細心の注意を払い、
再起動してくださいと言われれば素直に再起動し、
自動更新機能を使ってSP2まで入れてみた。


やはりエラーが起きるのである。
とくにntdll.dllのエラーがよく起こる。
このエラーが起きると、エクスプローラの強制終了を促され、
それを了承すると今度はエクスプローラを終了させるためのdrwtsn32.exeの強制終了を促される
って、依然と全く変わってない。

ちなみにこの作業のためにHDDを一台買い足している。
有意義な出費だったのかそうでないのかは今のところわからない。
が、一ついえることがある。

私にとってWinXPSP2はすくいようがない、ということだ。
  
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2007年10月09日

福田首相の『こどもを打ち止めにしろ発言』を野党は追及すべし。

テレビ朝日系列「たけしのTVタックル」は大抵毎回見ている。
面白い話も多いし、議論になったときに政治家の本質が見えるからだ。
そういえば昨日放送の読売系列「たかじんのそこまで言って委員会」での、
番組レギュラーと死刑廃止論者との論戦は非常に面白かった。

その中で印象的だったのが、
「論理のすり替え」という言葉。
死刑廃止論者が世界は死刑廃止に動いているのだから日本も死刑廃止すべきだ、と述べた。
我が敬愛する勝谷氏は
日本の平和憲法は世界でも希だが守っている、ならば世界の動きがどうであっても死刑を残すという考えもあるのではないかと返すと、
その死刑廃止論者は「それは論理のすり替えだ」という。
世界の動きに合わせろと言ったのはお前だろうが、と誰もがつっこんだろう。

自民党系議員の発言を見ていても本当にそう言うのが多い。いや、増えたのだ。
安倍政権と福田政権というある種の矛盾した考えを支持せざるを得ない場合、
論理はむちゃくちゃにならざるを得ない。
ある一点を見て「これはこうだから、あれはああだ。」と主張する。
野党が「ならば、それはそうなるがどうなのだ。」と質問をすると、
論理のすり替えだ、それは別問題だ、などと返す。
民主党が頼りないのは分かるが、
そうまでして国民が自民党を支持する理由が分からなくなってくる。


閑話休題。
今回のTVタックルスペシャルでは非常に興味深い映像があった。
若者が、50年後の日本をどのように考えているか、と聞いたときに、
「それはあなた方で考えてください。」というのも腹が立ったが(なら即刻政治家を辞めろと思う)、
それよりも腹立たしい発言があった。

私は初めて見たのだが、
自民党総裁選の最中に福田康夫氏が保育施設を訪ねたときの一コマ。
「最近は若いお母さんが多いね。若くない人も少しいるが。」といった。
まあ場合によってはセクハラにもなりかねないが、
リップサービスとしてまだギリセーフとしよう。
許せなかったのは次の発言だ。
一人の母親が、子供が好きだから4人目も作りたい、というと
「ああいいですね、がんばってがんばって。」といっておきながら、
でもお金がかかるんですよね(そういう保証を政府にして欲しい)というと、
「3人にしときなさい。」

はっきり言って柳沢前厚生労働大臣の生む機械発言よりも問題発言だと思う。
子供はその家族だけでない、日本国全員の宝である。
ただでさえ少子化の世の中で、
子供を産みたいという人間に対して
金がかかるからやめなさいなどと首相を目指す人間が発言して良い物か。
じじばばの医療費は負担を減らしておきながら、
子供に対する手当が明らかに足りていない現実を彼は全く理解していない。
というよりも、単純に興味がないのだ。自分が高齢者だから。
安倍首相以上に私は不的確だとおもう。
人としても生物としても(子孫を残すのが生物としての唯一最大の役割である)。

そうしてできあがった福田政権。
たしかに高齢者にしてみれば希望の星なのかも知れないが、
けつをふかされる若者にしてみればたまったもんではない。
未来に何のビジョンもなく、その場しのぎの調整をする人間が首相に相応しいと言えるのか。


もう一つ、番組を見ていて思ったのだが、
民主党原口議員が、なぐるだけなぐりつけておいて(強行採決)、
参議院が負けたからごめん話し合おう、はないのではないか、という発言をしていた。
それを聞いていて一つのイメージが思い浮かんだ。
今の自民党は離婚を迫られているDV夫(ひも)みたいだ、と。
「俺の意見が正しいんだ!」と殴って言うことを聞かせていたが、
奥さんが「もう別れましょう。」というと、
「なんで、とりあえずもう一度話し合おうよ。」などという。
彼はもう一度自分が優位に立てばまた同じことを繰り返すだろう。

福田首相は「話し合いで解決したい。」以外の発言、
具体的な筋道を一度でも提示したか?
自衛隊海外派遣でも年金問題でも拉致問題に関しても、
何も示していないではないか。
何も無いなら大問題だし、あっても出していないのだとしたら国民を馬鹿にしている。
野党はもっとそこのところを追及しなければならないはずだ。
  
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2007年10月04日

物価の上昇と黒船

物価が上がっている。
一時のデフレスパイラルからの逸脱ではなく、
単なる物価上昇である。
ガソリンはもちろんマヨネーズもカップラーメンもトイレットペーパーも、
私は経験していないが70年代のオイルショックよりもひどいのではないか、と思う。
根本的な原因は石油価格の上昇だろうが、
それと同時にバイオガソリンも大きく関係しているわけである。
アメリカがいかに自国の経済を優先しているかが見て取れる。
しかしそれは今に始まったことではないのである。

今から150年以上も前、黒船でやってきたペリーが
「ぺりーデェス、クニヲアケナサァーイ」とやってきたときも、
彼らの目的はそれだった。
今になって思えば、中高と歴史を学んで、
何のためにペリーがわざわざ開国を勧めにやってきたのか疑問に思わなかったことの方がおかしい。
日本が国際的に通用するよう、などというのは建前ですらない。

彼らの目的は当時主たる燃料として用いられていた鯨油だった。
燃料を多く確保したい彼らは、
捕鯨国である日本に市場の開放を迫ってきただけのことである。
しかし、やがて化石燃料が使われるようになると、
とっとと捕鯨を捨て去り、今度は反捕鯨運動までやる始末。
確かに日本はずっと鯨をとり続けてきたが、
19世紀中、欧米各国の捕鯨量はそれ以前に比べて著しく増えているのである。
日本は食料として無駄なくそれを消費していたが、
彼らは鯨油だけ摂って捨てていたのである。
どちらが鯨に悪影響を与えたか、言うまでもない。

日本がガソリンを使わずなるべく電気などでエコロジーに車を走らせようとしている時に、
アメリカはガソリンがなければバイオエタノールでいいもんね、と
より環境に悪い燃料を用い、それを世界中に広めようとしている。
もしバイオガソリンよりも有用な燃料や技術が見つかれば、
アメリカはあっさり農家を見殺しにしてそっちに移るだろう。
バイオガソリンのために必死に森を切り崩して作った農場が森に戻るまで一体何年かかるか、
アメリカはそんなの関係ねぇのである。


自国で石油が確保でき、大きな農場をもつアメリカにしてみれば、
石油の価格上昇も、小麦の価格上昇も全て自国の経済を潤すことになる。
イラク戦争は実質は燃料戦争であるし、
そうでないならば兵器を売り飛ばすための戦争だったともいえる。
経済至上主義アメリカは一体何度同じ過ちを繰り返すのか。
  
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2007年10月03日

やっぱり野球は嫌いだ

まじ意味わかんないんですけど。
21時30分から始まる番組を録画するつもりで、
さんま御殿を一通り見て、
21時30分にその番組のタイトルと提供が出たら、
そりゃその時間に始まると思うだろ。
そこまで確認して録画スイッチをおしてその場を離れたのに、
その直後に10分の特番を入れる、ってどういうことよ。
それでその番組は21時42分から、ってまじ意味わかんないんですけど。
それなら21時30分から始めろよ。
いったんタイトルを入れてから別の番組をやる、って何。
結局番組終わりの10分はビデオには残っていない。
尻切れトンボのミステリほど意味のないものはないだろ。

こういう
プロ野球は日本国民の最大関心事、みたいな態度をとられるのが一番腹が立つ。
どこが優勝しようが知ったことか。
いつまでもナベツネ体制から抜け出せず、
挙げ句の果てに三社談合するような新聞社に、
日本が牛耳られているのかと思うとげんなりする。
そりゃ、中日が優勝した翌年に政界再編が起こるわけだ。
  
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2007年10月02日

プロ選手の品格

アベが嫌いだ。
アベといっても阿部慎之助の方。
以前にも書いたことがあるが、発言に本当に品がない。

2007年ペナントレース巨人軍優勝
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071002-0000094...

どんどんプロ野球に興味がなくなっていくため、
優勝チームがどこかは私にとってあまり重要ではない。
買い物もあまりしないし。
でも、半年かけて戦ってきて1位が決まったときの喜びは分からないでもない。

優勝が決まった後の巨人軍選手の記者会見で、
試合前チームのみんなにどういう声をかけたか、という記者の質問に対し、
キャプテン阿部は、
「なんて言った?なんて言ったっけ?」などと周りの選手に聞いていた。
リップサービスのつもりか何か知らないが、
度が過ぎていやしないか。
キャプテンという役割を背負っているならば、
始めは茶化したとしてもきちんとしめるべきところでしめて欲しい。
チームに興味がないのか、とおもう。

ビールかけももはや恒例行事であるし、
優勝の喜びと酒が入ってテンションが高くなるのも良かろう。

しかしインタビュアーが来てカメラを向けられて、
「あーもうね、やっちゃえ、って感じでした。」
は無いだろ。


プロ選手、特にテレビに映される機会の多い選手は、
発言にも気を遣わなければならない。
そこらの芸人とは与える影響が違うのである
(芸人は笑うために見るが、野球選手は笑うために見るわけではない)。
当然言葉を知らなくては成らないし、品のない言葉を使うべきではない。
確かに何をもって品のあるなしを判断するのか、といわれるかも知れないが、
簡単に言えば、子供に聞かせたいか聞かせたくないか、だ。
少なくとも私は阿部の発言を子供に聞かせたくない。
覚えて子供が「やっちゃえってかんじ。」などといったらどうするのか。

発言はその人間を創る。
言葉によって人は発想を生むからである。
ましてや野球選手って影響力が大きいんでしょ?
子供達の憧れで夢なんでしょ?
電波に乗って物を語る、というのはそういうことである。
そんなことも分からない選手はプロとは言えない。
斎藤佑樹選手や石川遼選手の方がよほどプロ意識を持っている。
そこへいくと阿部選手は、そりゃ野球はうまいのか知らないが、
大人として大事な部分がかけていると私は思う。
  
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