この記事を読む方におすすめの記事
今!気になるレビュー
国を相手に正義感貫いた遠藤誠弁護士を偲ぶ
【オトナの性・恋愛講座】
遠藤誠弁護士が亡くなって3年。先生を偲ぶ会に出席してきた。命日は1月22日。肺がんで亡くなった。まだ71歳だった。(2005.01.27掲載)
遠藤先生は「怪物弁護士」とも称されたが、その理由は豪放磊落な性格と昭和史に残る2つの大事件、帝銀事件と永山則夫事件の弁護を引き受けたこと、そして国を相手に徹底的に戦ったことに拠るものだ。
帝銀事件はいまだ多くの謎が残る事件だが、犯人とされた平沢貞通は無罪を主張。最高裁で死刑判決が出されたが冤罪事件であると主張し、平沢画伯が獄中死した後も最高裁に対して再審を求めて戦った。
連続射殺魔の永山則夫には、彼の更生を信じ、死刑判決を支持した最高裁に対して判決訂正の請求という手段で戦った。
現在の司法制度では最高裁判決は最終結論である。
しかし、最高裁判決が出た後もなお死後再審請求や判決訂正の請求という、ある意味では無茶な方法論で、諦めることなく戦い続けたのである。
また、暴対法成立の時にも、山口組の代理人弁護士として国を相手に戦っている。この時の論拠は、「暴対法は人権侵害で憲法違反である」というものだった。
相手がヤクザだろうが殺人者だろうが、自身の正義と法に照らして弁護すべきと思えば徹底して行う。損得勘定ではなく、弁護士としての正義を貫いた生き方はやはりカッコいいと思う。
ご本人はつねづね、「仏教家者が本当の職業、弁護士は趣味」と言っていた。
オウム真理教サリン事件では麻原彰晃からの弁護依頼を、麻原が真の仏教者ではない-という理由で断っている。
これは方便ではなく、仏教者を主張していた者に対して仏教者としての立場から対峙し結論づけたわけだが、当時、人権派弁護士の代表格のように見られていた遠藤先生にとって麻原の弁護を断るのは困難だったろうと思われる。受任すれば世間の非難を浴び、断れば人権派の非難を浴びる。逃げ道はないと思う時こそ、自分自身の原則にそった判断を下し行動する。それが大人の男のカッコ良さだ。
遠藤先生のような生き方は、弁護士としても得な生き方ではないかもしれないが、損得だけで生きていてはカッコいいオヤジにはなれない。どちらを選ぶかはあなたの自由だが。
------------------------------
●池内ひろみ
1961年生まれ。離婚、再婚を経験後、旧来のフェニズムとは異なる視点で、夫婦・家族問題コンサルタントとして活動。東京家族ラボ主宰。
関連記事
トラックバック
90年代後半から、一年に一度は 訳の分からない事件、のニュースを聞くようになり ...
「戦後日本システム崩壊の前兆(1)地下鉄サリン事件=霞ヶ関支配の終焉 2003.12.X 初出」の続きを読む
トラックバック時間: 2005年09月10日 16:54