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2008-07-09 -(Wednesday)-
■生物学を専攻する大学院進学における研究室選択
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修士課程への進学時にいまの研究室*1に入門した。それから4年目だ。そのあいだに修士号を取得した。修士論文の一部は共同研究者との協力もあって、米国遺伝学会誌Geneticsでの出版にこぎつけることもできた。現在は、さらに発展したかたちの研究を着々と進めている……実際、着々と進みすぎていて自分の脳みそが追いついていないほどである、というのは半分冗談だけれども。
私がいまの研究室への参画を決めたのは、だからちょうど4年前、2004年のこの季節だったかと思う。理系の大学院はこの時期に願書の出願を締め切るのだ。そういう意味で、いまどこかの研究室の門を叩こうとする誰かの参考になるかもしれないと思い、ここに私自身の経験と感想を記しておくことにした。以下、参考にすると幸せになれるかもしれないポイントをいくつか挙げておこう。
研究室を選ぶポイント
ほかの何をもさしおいて、論文出版数こそ重要である。論文の数が研究室の獲得できる競争的資金=予算の多寡を決定する。博士号が得られるかどうかも決まる。その次の職も決まる。研究室のOBで、現在は東京で助教の職にある先輩は、こう言ったという:「博士課程で出した論文は1本100万円の価値がある」。これは当然ながらレトリックだから100万円が統計学的に算出された数値であるわけではないが、それだけ論文の数が博士号取得後のキャリア形成に影響するということを象徴的に示しているのでもある。だから、門を叩く受験者たちはすべからくこの点を確認するのがよい。
研究室全体の論文出版数は、研究室そのものの風土を示す。メンバーが論文を出すことにアクティブである、つまりアウトプット・オリエンティド(業績志向)な空気は、活気もあって、刺激も強い。私のいる研究室は幸いなことに、PDを含む先輩たちが、毎週のセミナーで自分自身の姿勢を示してくれていた。こうした現状を肌で感じるにはセミナーに参加するのがよい。研究室の中には、受験者のセミナー聴講を受け入れているところもある。もちろんそうでない研究室もあるので確認が必要である。いずれにせよ、Don’t be shy.
指導教官と自分との相性ということは当然ながら重要である。学術研究にせよ何にせよ、当然すぎて忘れられがちなことに「所詮は人の業」、つまり人間がやっているので、すべて人間関係が絡んでくる。生産性の高い指導教官のスタイルというのもいろいろある。多くの教授たちは、かつては有能な実験家であったに違いない(と信じたい)が、諸々の用務に忙殺されて自分では手を動かさなくなってしまっている人もいるようである。それは一概に悪いというわけではない。資金集めに奔走して研究室を運営し、その傘の下で若手が自ら育つのを助けるというのは1つのスタイルでもある。この点に関連して、それゆえ私はすべての教授たちが任期付きになるべきであるという意見を明確に排除する。そうした高みからしか見えない地平、包括的なプロジェクトというのが存在する。一方で、研究生活30年(具体的には50歳前後)というベテランでありながらアクティブな現役で、毎年原著論文を筆頭著者として執筆する人もいる。それがまさに私の指導教官である。*2これらの点において、私が抱く師への尊敬は不動のものである。どちらがよいというものでもないし、どちらが自分にあっているかは学部生ぐらいではなかなかわからないだろうけれど、こうした区分が存在することは頭の片隅に置きながら研究室を訪問してみるとよいかと思う。
大学は、ブランドは重要だと思う、というか、私は東大以外を知らないが、とてもいい大学だと思っている*3。みんなクソマジメで刺激になるし、金もじゃんじゃん投入されている。すばらしい。修士で就職する際も強みになることはある(例外は当然存在する)と聞く。その意味で、修士進学は他大学を第一志望にすべし - 落ち着きのない三十路(数えで)という意見に私は加担しない。ただ、選択肢の幅は広く取っていい。
そうしてその次に研究テーマが来るような気がする。修士の2年間で「自分自身のテーマをやるんだ」というのは天才かバカであり、天才はきわめて少なくバカは非常に多い。私などは特にやりたい研究というのは無かった。ただ、進化生物学という、生物の来歴を問う分野に強い興味は抱いていた。それ以上の細分化は考えていなかった……ということはなく、ほんとうはちょっと「先生これやってみたいんですけど……」と持っていったテーマはある。だが、具体的なアプローチを私は知らなかった。それで、指導教官とのディスカッションを通じて、最終的にOTOKOGIとして発表されることになる研究に後続するテーマをすることが決定した。お蔵入りテーマは今でも頭の片隅で眠っている。大切なことなので、ここには書かない。大切なのは、どこが譲歩できてどこが固守したいことなのかを素直に感じることだと思う。そういう意味で、現実的には「絶対にやりたくないこと」を避けるぐらいではないだろうか。「オリジナルな研究テーマを作らなければ」という強迫観念は有害ではないか。海の向こうでは「大学院生が自分自身で打ち出したテーマを遂行することはありえず、PIから与えられたテーマを粛々とするものである」という考えもあるとどこかで読んだ。日本でもそれはあるかと思う。私が固守したかったのは、一言で「進化生物学的分析」ということになる*4し、その周辺であればどこでもよかったし、私は今後植物学に残るかもしれないし、神経科学に飛ぶかもしれない*5が、進化生物学的アプローチは固守するつもりである。
言い訳
この感想は当然私自身の意見であって、私自身の価値観と経験に大きく依存している。私は博士号取得を目指していて、その後は基本的に学界でのキャリアを希望している。「基本的に」と書いたのは、私自身の希望キャリアを損なわない形での学外活動には積極的でありたいと思っているからだ。具体的には、ブログ・書籍……どういう形でかはわからないが、諸々の執筆活動であるし、特許の取得あるいはベンチャーの起業という選択肢も常に頭の片隅には置いておきたいと思う。
*1:大学院理学系研究科・生物科学専攻・進化多様性生物学大講座・多様性起源学研究室
*2:師の業績一覧は、現時点で103本。先生が研究を開始した1978年度(当時学部四年生)から30年間だから、平均すると1年に3報のペースだ。当然、共同研究の一環として名を連ねるものもある。その中での最たるものは2004年の第74報目、Nature誌に掲載された原始紅藻ゲノムの解読だろう。この仕事でも、実地の配列解読作業中に立ちはだかった困難を先生が切り拓いていったと伝え聞く。先生自身が筆頭著者となった研究で最近少しニュースになったのが、藻類の雄を決める因子、”OTOKOGI”の発見google:OTOKOGIである。先生は藻類の形態学・分類学から研究をスタートした。学部卒業後は神奈川県の私立K高校に生物科の教師として所属しながら、藻類の野外採集と培養株の確立、光学顕微鏡観察を重ねて地道に毎年1本ずつのペースで論文を書いていった。80年代の論文群がそれだ。やがて先生は、他の研究者との共同研究で電子顕微鏡による観察を積み、それが博士号につながる(論文博士)。この気合たるや、並々ならぬものがある。
*4:説明は省略する
- 2008-07-08 とある阪大生の奮闘記 3/28 10%
- 2008-07-09 Days of Nonequilibrium Physics: Fracture, Plasticity, and Rheology of Random Media 3/37 8%