30年の間、自分たちが守ってきた栗駒山(1627メートル)の緑を傷つけたのは自然の力だった。「これも地球の息づかいだ」。あきらめにも似た気持ちがわいた。
震源に近い栗駒山の保全活動を続ける市民団体「栗駒の自然を守る会」会長の佐藤光雄さん(73)=栗原市栗駒稲屋敷。かつて、国が進める原生林伐採反対を訴える運動の先頭に立ってきた。
肺がんを告知されたのは06年5月。「最悪の場合、半年もつかどうか分からない」。医師の言葉は「後頭部をハンマーで殴りつけられたような衝撃だった」。2カ月後に受けた手術は成功、克服できたと思ったが、転移が分かった。
これ以上の転移を防ぐため、抗がん剤治療を受けることを決意。地震は入院して10日目だった。病室のテレビに映る栗駒山は無残だった。緑の原生林は土砂崩れで茶色い山肌がむき出しになり、沢は崩れた土砂で埋まっていた。
父親は全国を渡り歩いた鉱山労働者。小学生のころ、移り住んだ細倉鉱山(旧鶯沢町)近くの山の美しさに魅了され、週末は毎週のように登った。「マタギ」だった祖父の血が流れている影響だと思う。トラック運転手を経て細倉鉱山に勤め、定年まで勤め上げた。
70~80年代、国は山の原生林の一部の伐採を進めた。大雨でもないのに水害が起きるなど異変が目立った。原生林と水源を守ろうと83年、守る会を設立し、後に会長になった。伐採反対の署名を集め、90年代後半に伐採の流れは止まった。その後も地元の小学生を招いての観察会や植林に力を入れ、1年の3分の1は山で過ごした。
知人は「誰よりも山を歩き、生態系や植物分布に精通していた」と語るが、がんにかかり足が遠のいた。最後に登ったのはまだ雪深い3月。以前のように速くは歩けなくなったが、子供に雪げたのはき方や虫や木の種類を教えた。
地震のつめ跡が残ったままの山。「どんな被害を受けたのか、自分の足で歩いて確かめたい」。その一心でがんと闘う。【山本太一】
毎日新聞 2008年7月7日 22時49分(最終更新 7月7日 22時57分)