記憶力や思考力の考察から鍛え方まで「脳ブーム」は、手を替え品を替えますます過熱している。そこで引っ張りだこになっているのが、若き脳科学者や精神医学者たちだ。「大脳生理学では」などと言われると思考が停止してしまうのか、ついつい“ご託宣”に引き込まれてしまう。
そんな気鋭の科学者らを向こうに回して、「記憶」ではなく「忘却」の大切さを説いた著作が根強い人気を集めている。一九二三年生まれの英文学者外山滋比古氏が、二十二年前に著した「思考の整理学」(ちくま文庫)だ。
「忘れられるのは、さほど価値のないことがらである。いかに些細(ささい)なことでも、興味、関心のあることは決して忘れたりはしない」「頭の中で、古典的で不動の考えを早くつくり上げるには、忘却がなによりも大切」
本紙地方経済面の連載「人生を語る」の取材で、ナカシマプロペラ(岡山市)の中島保名誉会長から、町工場を世界トップの船舶用プロペラメーカーに育て上げた波乱万丈の道のりをじっくりと聞かせていただいた。
貴重なお話はメモにも録音にも取っているが、残念ながら記憶の方は日々薄れていく。忘却のプロセスから逃れることはできない。だが、最後まで決して忘れることのできないものがあるはずで、それこそが外山氏が説く価値あるものだ。それは何かというと、中島氏が何度も繰り返されたこの言葉ではないかと思う。
「まじめに、誠実に、仲良く」そして「負けてたまるか」
(特別編集委員・佐々木善久)