前回、Microsoftが企業(向けの)マインドなのではないか、ということを述べた。が、創業時から企業マインドの会社、というわけではなかったと思う。もともと、Microsoftはハーバード大学を中退したBill Gatesと、ワシントン州立大学を中退したPaul Allenが創立したベンチャー企業であり、企業マインドとはほど遠い会社だったハズだ。 だからといって、初期のMicrosoftがコンシューママインド(あるいはパーソナルマインド)だったわけでもないだろう。コンシューママインドを持つ代表的な企業の1つはソニーだと思っているが、ソニーの主要製品がまさにコンシューマ向けであるのに対し、Microsoftの製品は必ずしもコンシューマ向けとは言えない。 企業マインドの価値観が、安定、確実、信頼といった言葉で表されるとしたら、コンシューママインドの価値観は、興奮、楽しさ、飛躍といった言葉で表されるのではないかと思う。この2つの相対する価値観は、老舗大企業と若いベンチャー企業という対立軸にもあてはまりそうだ。つまりかつてのMicrosoftは、その若さゆえにコンシューママインドに近い立ち位置だったのだと思っている。 ●企業向けに舵を切ったMicrosoft
しかし、企業が存続し、成長を続けていく課程において成熟は不可避だ。若いMicrosoftが大人の会社になる際、彼らは企業マインドの会社となることを選び取った。それを象徴するのが、'99年12月にBusiness and Enterprise Division(Windows NTおよびBackofficeの事業部)が、Consumer Windows Division(Windows 9xの事業部)を吸収した組織改革だろう。 この'99年は、Windows 98 SEがリリースされた年であり、Consumer Windows Divisionの売り上げは悪くなかったハズだ。技術的優位性がWindows NTにあるのは明らかだったが、売り上げ規模の大きなConsumer Windows DivisionがWindows NTを育てることになってもおかしくはなかった。今の形になったのは、そういう判断をした、ということであり、その後の成長を考えれば、企業の判断としてそれは間違いではなかったとも言えるだろう。 ここで1つ補足しておくと、最後のWindows 9xとなるWindows Meがリリースされたのは2000年の9月である。つまりConsumer Windows Divisionが吸収された後のことであり、Windows Meは「後妻の連れ子」的な存在だったわけだ。一部にWindows VistaをWindows Meになぞらえる人もいるようだが、VistaはWindows XPの嫡子として6年近い歳月を投じられたOSであり、本来Windows Meと比べられるような存在ではないのである(だからこそ、その不人気が一層問題となるわけだが)。 ●ソニーとAppleの立ち位置 '90年代の半ば、MicrosoftのWindowsは、IBMのOS/2と対立した。この時の立ち位置は、Microsoftが、若い、挑戦者、楽しさ、パーソナルだったとすれば、IBMは大人、大企業、確実、といったものだったと思う。今のMicrosoftの立ち位置は、かつてのIBMのものであり、かつてのMicrosoftの立ち位置にある企業は見あたらない。 現在のMicrosoftが抱える大きな矛盾は、企業マインドの会社でありながら、なおコンシューマ事業を手がけようとしていることだ。もしコンシューマ事業を成功させたいのであれば、極力Microsoft本体から遠く離れた場所に置くことが必要だと思う。 もちろんコンシューママインドであることは、必ずしも良いことばかりではない。上述したソニー、それからAppleはコンシューママインドあるいはパーソナルマインドの会社だと思うが、企業が大量導入するPCにソニーのVAIOを選んだという例はあまり聞かない。 最近、好調だと言われるMacにしても、需要の中心は個人、あとは教育機関というところで、大企業にはなかなか入り込めない。入ったとしてもデザイン関連など、限られた部門であることが大半だ。奇しくも先日のWWDCでAppleは、Exchangeクライアント機能を次期OS(10.6 Snow Leopard)における唯一のユーザー向け新機能であると紹介した。が、基調講演会場に大きな歓声はなかった。MacがExchangeのクライアントになることで、企業がMacを導入する敷居は下がるかもしれないが、だからといって積極的に導入するかと言われると疑問に感じる。それは技術や機能の問題と言うより、マインドの問題だと思うからだ。
●Googleは脱皮するか 現在、企業コンピューティングの世界で喧伝されている言葉に、Cloud Computingがある。アプリケーションがサービスとして、ネットワークの向こうから提供される、といった意味だ。Cloud(雲)と言われるのは、ネットワークの向こうのサーバーやストレージなどを意識する必要がない、言い換えれば雲の向こうで見えなくても構わない、ということからきているとも言われる。
アプリケーションをネットワーク経由のサービスとして提供するという点で、この分野のリーダーの1つがGoogleであることは言うまでもない。だが、Googleが提供するサービスを、大企業が本格的に利用するようになるかと言われると、それほど単純ではない気がしている。その大きな理由は、Googleが企業マインドの会社ではない点にある。たとえばミッションクリティカル、あるいは勘定系にも利用できる高信頼性、といった言葉はGoogleにはあまり似合わない。むしろ挑戦や冒険といった言葉の方が似合うと思うし、“as is”とか“best effort”の方が似合うと思っている。 もちろんGoogleも若い企業だから、若さ故の特性ということもあるだろう。が、Googleは本質的に企業マインドの会社ではないと感じている。かといってコンシューママインドでもなく、強いて言えばアカデミックマインドあるいはデベロッパマインドみたいな会社ではなかろうか。 たとえば大企業、それも勘定系で採用されるには、限りなく100%に近い信頼性が求められる。それを可能にするのは、気の遠くなるような地道な作業だ。少なくとも現在のGoogleは、提供するサービスの信頼性を限りなく100%に近づけるために作業を積み重ねるより、たとえば90%の信頼性に達したら、次の新しいこと、次のチャレンジに取り組もうとする企業文化ではないかと思う。しかもそれが、市場で受ける受けないという評価軸ではなく、自らの探求心や好奇心にドライブされているという点で、アカデミックマインドという言葉を使った。非常にユニークだが、企業システムと馴染みの良い企業文化だとは思えない。Googleが切り拓いた技術や概念を利用して、他の企業マインドな会社が果実を摘み取る、ということになるのかもしれない。 もちろんかつてMicrosoftも、大企業には入れない、入ったとしても情報系で、勘定系にはとても、と言われていた時期があった。それを覆すためにも、Microsoftは企業マインドを持った大人の会社になるしかなかったのだと思う。同様にGoogleも大企業にサービスを提供する大人の会社に脱皮する可能性もなくはないが、そうすると全世界から研究者や開発者を引きつけるパワーは失われてしまうだろう。それが幸せなことなのかどうか、筆者には良く分からない。 □関連記事 (2008年7月9日) [Reported by 元麻布春男]
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