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土井たか子http://www5.sdp.or.jp/ ←社会民主党Webサイト

19281130生まれ、同志社大学大学院修了後、同大学で憲法学の講師を務める。成田知巳日本社会党委員長(当時)の強い要請と恩師田畑忍同志社大学教授の推薦で、6912月の総選挙に初出馬、当選して以来、11回連続当選。86099107日本社会党中央執行委員長、また93089610憲政史上初の女性衆議院議長を務める。議員活動として公害問題に取り組み、外務委員会で理事を長く務め、内外に多くの友人をもつ・・・プロフィールより

土井たか子の学歴に対する疑問 その後の土たか子
土井たか子の『選挙のプロフィール』を見ると「兵庫県第三神戸高等学校(現・御影高校)卒業」、「同志社大学大学院法学科卒業」となっている。しかし・・・
1.兵庫県第三神戸高等学校(現・御影高校)卒業と言うが、当時は学制改革前であり、

   高等学校は現在の大学であり、「第三神戸高等学校」は存在しない。兵庫県立第三
   神戸中学校は現在の長田高校である。 → 長田高校の沿革
2.同志社大学への入学課程にも疑問がある。

3.同志社大学の卒業名簿に名前がない、大学も問い合わせに応じない。
4.同志社大学大学院を卒業(*修了)しているらしいが、学位論文が見つからない。
5.憲法学者と言うが、論文を全く書いていない。

経歴に嘘を書く、また「大学院卒」と書いているが、修士か博士か意識的に書かない、何か違和感を持つ経歴の書き方である。


土井たか子の自伝から私の京女研究資料-V
昭和20年3月の神戸大空襲の直後に京都女子専門学校に入学したこと、錦華寮の六畳間で上級生との二人部屋だった*戦争末期の食糧難の時代である)こと、女学校では髪の毛の長さからスカート丈まで規制されていたが女子専では自由だったこと、京女にきてはじめて勉強する楽しさを知ったこと、など女子専時代の思い出がいっぱいです。女子専を卒業された後、土井たか子さんは同志社大学の法学部に3年次編入するのですが「小学校6年間・卒業12才→男子は中学・女子は女学校へ→高等女学校5年間*4年間)・卒業17*16)→女子専門学校3年間・卒業20*19歳)」つまり当時の高等女学校が今の中学と高校、女子専が短大にあたるようです。土井たか子さんは現在の短大から四大に編入する道を進んだことになるようです。

京都女子大学:http://web.kyoto-inet.or.jp/org/kgs-j/History.htm
1910年−校名を京都高等女学校とする。
1920年−京都女子高等専門学校(京都女子大学の前身)を設置
1947年−京都女子中学校を設置。
1948年−京都女子高等学校を設置。
1949年−京都女子大学を設置。

同志社大学:http://www.doshisha.ac.jp/daigaku/ayumi/nenpyo.html
1948S23)年4月 新制大学開校。
1950S25)年4月 大学院修士課程、神・文・法・経済・商、研究科を開設した。
1953S28)年4月 大学院博士課程を設置した。

こう、並べてみると解るが、土井たか子が京都女子専門学校(京都女子大学の前身)を卒業した1948年は、1年だけ大学になる前の空白期間だった(*大学になっても京都女子大には法学部が無かった)訳である。新制大学になったばかりの同志社大学の3年に編入された。50年に卒業していれば、新設された大学院(修士課程)の1期生として入学できたはずだ。・・・しかし学位を得たのは卒後7年目の1957年、29歳の時である。


風の旅人 (日記030716) ←Lycos廃止により楽天」に移動
社民党・党首のプロフイールについて憶測が流れ、土井さん=在日朝鮮人説がネットで流れていますが、私が直近に入手した情報は下記の通りです。土井氏が卒業された「兵庫県の神戸第三高等女学校」の同窓生のお話では土井氏の父上は医師で、土井氏は神戸市(長田区)から女学校へ通っていたそうです。(*注:神戸市には「土井」医師が開いている医療施設は3軒、長田区に1軒ある→zeroからの病院・お医者さん探し土井氏の姉上が在日朝鮮人と結婚する際に父上が頑固に反対され、姉上は勘当された模様、結婚された姉上とその夫は北朝鮮へ帰還し、現在は平壌にお住まいです。

なお、公式経歴は第三高等学校卒(現・御影高校)ですが、正式名称は女学校です。そこから同志社
*大学)入学のようになっていますが、正しくは京都女子専門学校(現・京都女子大)を終えて、同志社に編入、そして法学部の法学研究科修士課程へ。修士は終了して「学位」も1957年に授与されているようです(同期の修士卒で、土井さんと学位を同時に授与された方の娘婿殿(某有名人)が、ある記事でそのことを記載しています)学位論文は存在しますが、原稿は不明です。同志社大学に勤務する関係者ならすぐに調べることは可能でしょう。なお、憲法学者として学会で発表した土井氏の単独執筆論文はありません。法学部の研究雑誌(同志社法学)に寄稿した論文が1本。これは憲法研究所(田畑忍創設)の研究員であった叔父に聞いた話。また、韓国の日韓キリスト教議員連盟の方の話では土井氏は敬虔なクリスチャンと紹介され「靖国反対」はこの関係もあるのかと。 (*この日記は消去↓された)

削除・・拝み倒され日記 03・07・20::ジョンイル系*総聯系のこと)の友人から某日の日記を「削除頼むわ恩に着るから」と拝み倒された。理由は書けないけど「ドイテ・タカ子」さんの悪口がどうも困るようだ。ずっと前の日記なのに*これは嘘、030716が欠番になっている)今さらどうしょうもないよ、広まってるよ*その通り、このように書かれてしまいました)・・・それでも「記者」に見られたくないらしい。まあ・・削除してもいいか、中学からの友達やし。しかし「セイシン」事情とはなあ・・・・失礼なのだが、余計な事を書くのが「おばはん」と言えるだろう、北朝鮮がらみで「セイシン」と言えば、google「北朝鮮*セイシン企業」しかない。しかし、どのような関係があるのか興味を引かれる。
 


土井たか子が通った高等女学校はどこにあったか?
土井たか子が卒業したのは、「兵庫県立第三神戸女学校」(現・御影高校)だと言う。長田区から東灘区まで通っていたのだろうか?→地図(長田区-灘区-東灘区)

調べると、兵庫県立第?神戸高等女学校は、3校あった事が解る。
兵庫県立第一神戸高等女学校(M33創立、現・神戸高校、神戸市灘区城ノ下通)、
兵庫県立第二神戸高等女学校(T14創立、現・夢野台高校、神戸市長田区房王寺町
兵庫県立第三神戸高等女学校(S16創立、現・御影高校、神戸市東灘区御影石町)

こう並べて見ると、土井が高等女学校に行く頃は「第一神戸」が最も歴史があり、地元長田区には「第二神戸」があるのに、なぜ、わざわざ灘区を通り抜け、東灘区にあるその年に新設されたばかりの「第三神戸」に通ったのだろうか?と言う疑問がわいてくる。

ここで『御影高等学校-沿革』を見ると「1941年(410206)兵庫県立第三神戸高等女学校設置410401仮校舎を兵庫県立神戸高等女学校内に置く19450115仮校舎を神戸市灘区神戸市立高羽国民学校に移す」*8月には終戦である)と書いてある。何の事はない、土井たか子は設立されたばかりの校舎も「第一神戸」の敷地内の仮校舎という「第三神戸」に入ったのである。彼女の学歴を地元で検証しても「第一女学校と第二女学校は知っているが、第三女学校があったかどうか解らない」と言う答えが返るのも、もっともなのである。

同じ場所に通うのなら、伝統のある「第一神戸」に行くし、それがだめなら地元長田区の「第二神戸」に行くだろうが、どちらも選択しなかった〜できなかった(*学力が足りなかった)と見るのが正しいだろう。

土井たか子は、この事に触れられたくないから「わざとプロフィールの学歴を誤記した」のだとも邪推したくなる。彼女は第三高等女学校(御影高校)の栄えある「第1回卒業生」であるが、同志社大学の会合などには出る(*アメリカまで講演に出かける→同志社校友会アメリカ西部支部Webサイト)が、御影高校の式典には参加しない*50周年式典には出なかった)ようだ。


土井たか子と北朝鮮土井たか子(本名:多賀子)は帰化した朝鮮人であり、帰化前の名前は「李高順、イ・コジュン」だった、そして親戚の多くが平壌に住んでいると言う話がnetにたくさんある。 参考:google「土井たか子*李高順」  しかし可能性は低い。

この話がnetで急速に広がったのは「國民新聞 03・06・25」(このnet版はUPが625よりかなり遅かった)が「土井たか子はやはり朝鮮人(李高順)だったのか」と言うタイトルで「兵庫県の西宮、芦屋界隈で、社民党の土井たか子党首は『朝鮮人・李高順』という噂が流れている」と報じた事からだと思うが、可能性としては上に紹介したように「姉が在日朝鮮人と結婚したあと平壌に移住した」と言うのが、正しいように見える。土井の住んでいた神戸市長田区は在日外国人の高齢化と社会福祉―神戸市長田区>に見られるように、当時から在日朝鮮人がたくさん住んでいた地域である。

土井たか子が北朝鮮を賛美したり擁護しているのは、その思想からなのか、姉の家族や親戚が平壌にいるからなのかは解らないが、日本から帰還した大部分の朝鮮人や日本人が差別的な扱いを受けているなかでの「特権階級」暮らしは、少なくとも北朝鮮が土井たか子の存在〜貢献を高く評価しているのは間違いなさそうであるし、土井たか子もそれに答えてきた。

土井たか子の両親は朝鮮人だった?土井たか子の両親が朝鮮人だったと言う内容の投稿も掲示板に見られるが、彼女の父親が医師だったとすると、父親、土井たか子ともに朝鮮人だったとは考え難い。京城帝国大学は1924T13)年に発足してはいるが、大阪帝国大学の設立が1931S06)年、名古屋帝国大学の設立が1939S14)年であり、どちらも医学部と理学部で発足している。このように(医学校は存在したが)医学部が少なかった(*)時期に、1930年代に医院を開業しているような早期(少なくとも20年代に医師免許を取る必要がある)に、朝鮮人が医師免許をとった可能性は非常に低いと考えるのが妥当だと思う。・・・父親が当時、若ければ軍医として召集されたであろうし、そうなれば生活は困窮しただろう、召集されていないのは年配だった可能性が高い。京都女子の先輩には山崎豊子がいるが、彼女の生家は船場で非常に裕福な商家だったと言うから、土井の家も裕福だったのだろう。食糧事情が悪化していた終戦の年(S20)に娘を(京都女子専門学校の)女子寮に入れる余裕があると言うのはかなりの経済力を要求されたはずである。

*大阪大学医学部の前身、府立大阪医学校は1880M130310に発足している(それまでにも医学教育は行われていた)が、その後、大阪医学校1888M210131などと名称や管轄の変遷を経ながら医学教育を行っていた。(詳しくは→阪大病院看護部沿革


官報に掲載されていない: 帰化が決定された場合には、官報に公告されるため、官報を検索すれば良いが、データーベースの『官報情報検索サービス』には「李高順」または「土井多賀子」の記載はないらしい。詳しくは、ここに投稿されている。

参考スレッド:土井たか子は朝鮮人か? 投稿-5
「官報情報検索サービス」を調べた結果(検索期間は1947050319691201)、
以下の条件ではヒットしなかった。
a)土井*帰化;20件→全て目検をしたが、名字のみ該当で名前違い、ほかは地名だった。
b)土井*多賀子*帰化;0件、
c)高順*帰化;11件→全て目検をしたが、姓は李ではない。
ちなみにキーワードに神戸市を入れると全て 0件になる。 *文章は改変した)

関西地方の医学部・医学校大阪医科大学の沿革1927S02)年2月本学の前身である財団法人大阪高等医学専門学校の設置が認可され、4月わが国最初の5年制医学専門学校が開校された→父親の年代ではない。関西医科大学の沿革1928S03)年6大阪女子高等医学専門学校を開校した→女子専、該当しない。可能性があるのは、1903(M36)6月、専門医学令による京都府立医学専門学校となり、1921T10)年10月、大学令による医科大学を設置、また同時に予科を開設した(京都府立医科大学の沿革京都府立医科大学程度である。もしかすると、父親が京都で学生時代を過ごしたため、娘を京都に行かせたのかも知れない。



土井たか子は「憲法学者」か? 論文や投稿がひとつもない
土井の論文を検索してくれた方がいた。それで発見できたのは『判例にあらわれた憲法第31条違反の問題点』これは『公法研究』という雑誌であるが、学会の抄録であろう。また『同志社法学』にあった『両議院の国政調査権に関する憲法論的一考察(その1)(資料)』これはその通り資料であろう。論文ではなく、しかも(その1)とあるが(その2)がないのである。

著書が3冊でてきたが、これはすべて田畑などとの共著である。だから土井の文章とは断定できない。私の探しているのは土井の修士論文である。今だ出てきていない。ちゃんとした論文が見られない以上、土井を「憲法学者」と定義するのは間違いだと思う。土井の文章は”世界”や”中央公論”また”文藝春秋”など、その手の雑誌にも見られない。その後の土井たか子


土井たか子は憲法を知らないvote.co.jp「田嶋陽子の辞職」投稿-91
田嶋議員は辞職する必要はない。土井たか子が主張する「田嶋議員の議席は社民党の議席である」とする説は憲法学者とは思えない暴論で、憲法無視も甚だしいと断ぜざるを得ない。憲法431項には「全国民を代表する選挙された議員」とあり、この趣旨は国会議員は一旦選挙で選出されたら全国民の代表であり一政党にも一団体にも拘束されないと言うものであり、全国民の立場に立って議員活動を行えるというものである。これは末広まきこ裁判の最高裁判決でも明らかである。

土井「9条」は朝日新聞の虚報國民新聞 01・07・14
ハーグ平和市民会議で、日本の「憲法九条」を見習えとする行動目標が決議されたと朝日新聞が報じたが、これに対してウェブマガジンが虚報であると朝日の失態を暴いた。99年5月、オランダ・ハーグで開かれ土井たか子・社民党党首、大田昌秀・前沖縄県知事ら日本から400人もの進歩的文化人が大挙押し掛けた平和市民会議で、朝日新聞は採択された「正義と平和のための基本十原則」で「各国は日本の憲法九条を見習え」との文言が盛り込まれたと報じ続けた。土井党首も「平和会議の最後に採択された『正義と平和のための基本十原則』のトップに『この憲法第九条を国際規範に』となったのです」と明言した。だが、ウェブマガジン「RABタイムリー」は朝日新聞が主張する「基本十原則」という文書そのものがないことをインターネット上で詳報した。・・・憲法「学者」が朝日新聞とグルになってこんな嘘を言ってはいけません。


社民党、北朝鮮外交の主張転換も、拉致被害家族に謝罪なし
http://news2.2ch.net/newsplus/kako/1032/10328/1032874098.html
投稿-600土井たか子の親戚の多くが朝鮮人で帰還船で北朝鮮に帰り、平壌で特権階級生活を しているのは有名。だから北に拉致された「被害者の会」が土井に協力を要請した ときも平然と「駄目なものはダメ!」とニベもなかった。このひとの「人権」ってのはそんなもの。自分の親族が粛清されないように北の「国益」の代弁者になっている。 (略)

社民党は売国奴でした 2002/04/29 [No.51]  20:32:47
http://www2u.biglobe.ne.jp/~kita-o/yamasita/index5.html
1987S62)年に土井たか子が北朝鮮を訪れた際に述べた言葉を引用してみましょう。この内容は当時の「月刊社会党」に載っています。(参考:週刊文春1113号)『私たち日本社会党は、金日成主席の懸命な指導のもとに、朝鮮民主主義人民共和国の人民が社会主義建設でおさめている輝かしい成果を評価します』

さらに、故・金日成主席との会見中に、金主席から「スケジュールはきつくありませんか。」とねぎらわれて、土井たか子は次のように言いました。『いいえ、自分の家に帰ったようです。』さすがは、社会党の党首、共産主義国が祖国だと発言しています。これが社交辞令ではなく、彼女の本心であるのが怖いと思います。


街頭演説で安倍官房副長官「土井氏は万死に値する」
産経新聞 03・05・11 http://www.sankei.co.jp/news/030511/0511sei069.htm
「万死に値する政治家だ−」。安倍晋三官房副長官は11日午後、徳島県知事選応援のため訪れた徳島市内で街頭演説し、北朝鮮による拉致事件への対応に絡めて社民党の土井たか子党首を厳しく批判した。 安倍氏は「拉致の被害者、家族は24年間、苦しい思いをしながら本当に頑張ってきた。彼らが『この政治家は許せない。こんな冷たい政治家はいない』と言っていたのが土井たか子さんだ」と指摘した。

1983年に失跡した元神戸外大生の有本恵子さん=当時(23)=の家族が土井氏に陳情した際の対応を念頭に置いた発言で、対立候補を応援する土井氏を、国民の関心が高い拉致問題でたたいた格好だ。 この後の同市内での講演でも、社民党について「最近まで、北朝鮮による拉致はない、工作船も違う、核保有もない、と言ってきた」と強く批判した。 安倍氏は、先に自民党推薦候補が当選した福井県知事選でも、対立候補を応援した田中康夫長野県知事を拉致問題に絡めて批判し、田中氏が反論し「場外乱闘」に発展したことがある。


社民党土井党首、有事法案「廃案にすべき」
http://news.tbs.co.jp/headline/tbs_headline746968.html
有事関連法案をめぐり、社民党の土井党首は自民党と修正協議を進めている民主党は野党の代表ではないとして、あくまで廃案を目指す考えを強調しました。

土井氏は「右代表で、野党第一党を送り出しているのではない」と述べ、民主党との違いを指摘した上で、有事法制は憲法が示す「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の三原則を踏みにじるものだとし、廃案にすべきだと強調しました。また、国民保護法制が後回しになっていると批判し、国民の権利の制限が今後の法律で次々拡大して、「日本全土に国民総動員を展開しているありさまになる」と警告しました。

土井氏はさらに、「備えあれば憂いなし」と小泉総理が主張したのに対して、「有事を作ってはならない。戦争してはならない。このために外交やNGOの活動がある」と反論しました。

社民土井氏「北朝鮮の現体制存続保証を」 日経 03・08・14
社民党の土井たか子党首は8月14日、都内でのシンポジウムで、北朝鮮の核開発に関する6カ国協議について「侵されるかもしれない、侵すかもしれないというままでは対話は難しい」と述べ、協議に際しては北朝鮮の現体制存続を保証するべきだとの考えを示した。



社民党の謝罪に有本さん母「何を今さら」ZAKZAK 02・10・08

83年7月、デンマークで失跡した元神戸市外大生の有本さん(*有本恵子さん)拉致から19年。 嘉代子さんは「何を今さら。謝罪されても遅すぎる」とこれまで抑えていた怒りを爆発させた。 80年5月、スペインで失跡した元日大生の石岡さんが札幌市内の家族に宛てた手紙によって、恵子さんら欧州で拉致された3人が北朝鮮にいることが判明したのは88年9月のこと。 石岡さんの家族から連絡を受けた嘉代子さんは、自宅の神戸市に近い兵庫県西宮市の土井事務所を訪ねたが、その後、連絡は何もなかった。・・・それどころか、この土井事務所への相談が「恵子さんらの『同時処刑』につながった」との見方もある。 当時、土井事務所は、朝鮮総連側にこの件の連絡を入れたとされる。 恵子さんら2人が死亡したとされるのは、手紙が届いてからわずか2カ月後の11月、日朝関係筋は「石岡さんらが内密に日本の家族へ手紙を送ったことが、朝鮮総連を通じて本国の知るところとなり『同時処刑』された可能性もある」とする。 石岡さんの家族も地元の社会党に相談した際、「口外しないように」とだけいわれたといい、土井党首の謝罪は、遅きに失した感は否めない。

社民党は旧・社会党時代の63年9月、訪朝団が北朝鮮を訪問して以来、朝鮮労働党との友好関係を築いてきた。北朝鮮工作員のテロが発生しても、党機関紙で「社会主義建設を進め、自主的平和統一を求める国には無縁の行為」(5810通称ラングーン爆破事件)「なぜ(北朝鮮や赤軍派による)テロ事件と断定できるのか」(6211の大韓航空機爆破事件)などと北朝鮮側を擁護する発言を繰り返してきた。

機関誌「月刊社会民主」の97年7月号では、社会科学研究所の北川広和・日韓分析編集が「拉致は新しく創作された事件というほかない」との見解を発表した。北川は、元北朝鮮工作員による克明な拉致の証言に対し「元工作員が本当に存在するのかさえ極めてあやしい」と指摘している。産経新聞が97年3月に報じた元工作員のインタビューにも「拉致疑惑事件が安企部(韓国・国家安全企画部)の脚本、産経の脚色によるデッチあげ事件との疑惑が浮かび上がる」との論調を堂々と展開していた。社民党はこの論文を金正日総書記が拉致を認めて謝罪した後も、インターネットのホームページ上に掲載し続けていた。
資料:北川論文「食料援助拒否する日本政府」


辻元清美http://www.kiyomi.gr.jp/

辻元清美に関しては、学生時代の生活ぶりなども含め、netで様々な噂が流されていたが、週刊誌とのタイアップ(netの情報と週刊誌の情報が相乗効果を発揮する)により、その姿が暴かれている。しかし、マスコミの辻元or過激派シンパ(久米宏、筑紫哲也、田原総一郎etc)の擁護も目立っており、攻防を観察していると面白い。
注目辻元清美議員-秘書給与詐欺疑惑関連-特設ページ

朝鮮労働党日本支部−社民党http://www.nsjap.com/seimei04.html
辻元は「ピースボート」を計画する傍ら、市民運動を装い、金儲けと左翼運動を行う営利団体・株式会社ピース・イン・ツアーを設立し、取締役に就任した。ピースボートは役員や会計の報告義務を回避するためNPO登録しておらず、潟Wャパングレースの事業である。辻元が主催していた頃の「ピースボート」船上では当局の目が届かないのをよい事に参加者間(漫画家の石坂啓ら)で公然とマリファナが吸引されていた。また、船室、ラウンジ、医務室、その他いたるところで知り合ったばかりの男女が性行為を行い、数日後には別れているという乱交状態で、とても「ピース(平和)」や研修といった言葉とはほど遠い実情であった。さながら船全体が「乱交パーティー」会場「売春宿」といった状態だったと参加者は語る。悪どい商法が各方面から大顰蹙を買っている「ピースボート」であるが、その実態は日本赤軍が国際的に作ろうとしている支援組織「ADEF(反戦民主戦線)」の表側の組織であり、北川明は日本赤軍が移動する際ピースボートに紛れ込んでいた。またピースボートは北川が経営する第三書館に数千万円を貸している。ピースボートは北朝鮮にもしばしば寄航しており、辻元がピースボート時代に北朝鮮に行くことができたのは日本赤軍関係者がいたからである。・・・過激な内容、写真はコラージュには見えないけれど、どうなのだろうか?
参考:辻元清美スレッド-辻元清美スレッド-


辻元の夫はテロリストだったhttp://www.h3.dion.ne.jp/~realrobo/go/tuji.htm
辻元清美の内縁の夫である北川明は、現在第三書館という出版社の社長です。北川は75年スウェーデンから強制送還され、旅券法違反で逮捕された日本赤軍のヨーロッパ担当兵でした。西ドイツの日本人商社員誘拐・身代金奪取作戦に参加予定だったのが未遂に終り、公安調査庁がずっと動向を調査してきた要注意人物でした。また北川明が経営する「第三書館」という出版社はマリファナや殺人、テロに関する詳しい書籍等の著しく反社会的な著作を多数出版しています。当然の事ながら彼女の著作5点は「第三書館」から刊行されています。また、辻元が主催していた頃の「ピースボート」船上では当局の目が届かないのを良い事に、参加者間(漫画家の石坂啓ら)で公然とマリファナが吸引 (誇らしげに石坂啓らが言い、雑誌等に記述されていた) されていました。「ピースボート」は日本赤軍が国際的に作ろうとしている支援組織「ADEF(反戦民主戦線)」の表側の組織である事は周知の事実です。北川は日本赤軍が移動する際にピースボードに紛れ込んで移動していたと言う事がその証拠と言えるでしょう。


リーダーな女たち イラク戦争反対を訴えハンスト 漫画家・石坂啓さん
毎日新聞 03・04・28 03年3月27日、「イラク戦争反対と表現の自由」を掲げて、東京都文京区の光源寺境内に設営した「ピース・テント」で白装束をまとってハンストをした。その後も戦争が終わるまで白米、パン、肉を断っている。・・・ほんとうにマスゴミ・毎日新聞はこう言う人物が好きなんですね。


辞職・辻元に日本赤軍メンバーの影 zakzak 02・03・27
多額の借金踏み倒し疑惑も週刊新潮報道:政策秘書給与ネコババ疑惑”を報じ、社民党の辻元清美前政審会長(41)を1週間で議員辞職に追い込んだ週刊新潮があす28日発売の第2弾記事で、辻元について「支援者の誠意を踏みにじった借金踏み倒し問題と日本赤軍の影」との前文を書いて、新たな疑惑に切り込んでいる。

まず記事では「巨額借金踏み倒し 日本赤軍の影」「特集 墜ちたヒロイン『辻元清美』の正体」の大見出しを掲げている。週刊新潮によると、辻元に巨額の借金を踏み倒されているのは、都内在住の田中明子さん(50、仮名)。辻元が早大に入学する前からの知人だという田中さんは資産家で、辻元氏の選挙資金として、98年9月から計6800万円を貸し付けた。そのうち、4500万円をいまだに返済して貰っていないとされる。

選挙資金を借りに来たのが、出版社「第三書館」の北川明社長(53)、辻元さんが予備校の代々木ゼミナールに通っているころ、田中さんと第三書館でテープ起こしのアルバイトをしていて知り合ったと報じている。田中さんは、北川が辻元に好意を寄せ、特別な関係になったと証言している。 辻元の政策をはじめ、“出世作”ともなったテレビ朝日系列の深夜の討論番組「朝まで生テレビ!」の原稿や討論内容、辻元氏を世に出した「ピースボート」の原案まで、実はすべてが北川によるものだと報じている。

週刊新潮は「彼女(辻元)は北川さんのあやつり人形なんです」とか「彼女は平気で人の誠意を踏みにじる人間です。国会であれだけ正義をふりかざして他人を追及しておきながら、陰では支援のためにお金を出した人間を平気で裏切っています」と、田中さんの証言を掲載している。

北川は98年9月、「担保は清美だ」と辻元の選挙資金を借りにきたが、当初はしぶっていた田中さんを「仮に落選しても、土井(たか子・社民党党首)さんが引退して、その地盤を引き継ぐことになっているから大丈夫だ」と説得し、結局、数回に分け計6800万円を借りた。北川は自らを振出人にし、辻元氏を連帯保証人にした約束手形を切ったが、返済は常に遅れ、2000万円ほど返ってきた後の、01年10月以降は連絡さえもとれなくなったという。週刊新潮は、この借金の時期と政策秘書給与のネコババの時期がほぼ重なっており、「よほど事務所の資金繰りに窮していたらしい」と皮肉っている。

約束手形は、支払期日が5回も延期され、最後には支払期日さえ記入されておらず、専門家は「返済の意思がないととられてもおかしくない」としている。 週刊新潮は北川氏を“ユニークな経歴”の人物だとして、朝日新聞の75年9月4日付を引用して、警視庁公安部がスウェーデンから強制送還された北川氏を旅券法違反の疑いで逮捕したとし、「日本赤軍のコマンド級の人物とみている」と朝日新聞の記事を紹介している。 9月11日の朝日新聞では「日本赤軍、誘拐計画全容わかる」の見出しを紹介して、週刊新潮は「(日本赤軍最高幹部の)重信房子被告らの顔写真とともに、北川氏の日本赤軍としての活動実態や顔写真が掲載されている」と報じている。

第三書館の閉鎖登記には、日本赤軍活動家と並んで辻元の名前が、役員欄に掲載されており、最近の北朝鮮の日本人拉致(らち)問題に絡む辻元の発言も、こうした経歴から「合点がいく」としている。


辻元清美北朝鮮ともまずは国交正常化を Girs be Political
Q:北朝鮮とも早期に国交正常化をするということでしょうか。拉致問題などもありますが?
A:やったほうがいいでしょう。力だけで押そうとしても解決しないと思うからです。まずは国交正常化して、正式な話し合いのチャンネルを作り、その中で解決していくほうが可能性は高いと思う。 拉致問題というのは、これまでにも世界のいろいろなところで起きてきているんです。日本人は、北朝鮮というと特殊な国と思ってしまうけれど、たとえば中南米などにも軍事独裁政権でもっとテロっぽい国家があったし、アフリカにも危険な軍事独裁政権はあった。そういうときに国際社会はどうしたかというと、その国家ときちんとコミュニケーションをとる中で包囲し、民主化を促し正していくことをやってきました。北朝鮮も、国際的に孤立させてはいけない。国際社会の一員にうまくインプットしていくことで、北朝鮮の社会をも変えながら拉致問題を解決していかないと。こういうことを弱腰だと言う人に言いたいのは、「声高に非難して帰ってくるんですか、道が開けるんですか?」ということ。国交正常化の中では、戦後補償が出てくるでしょう。日本は、かつて朝鮮半島を植民地にして言葉まで奪ったことに対して、北朝鮮には補償を何もしていないのだから、あたりまえの話です。そのこととセットにせずに「9人、10人返せ!」ばかり言ってもフェアじゃないと思います。
参考:この発言に対する議論 辻元-拉致問題非難はフェアじゃない


辻元清美は生贄の羊だった閉鎖されたサイトのログ
暴露手記の筆者は社民党関係者としか言えないが、長期間その内部で活動し、事情に精通している人物である。関係者氏曰く、今回の事件は、土井=五島や土井チルドレンに対する社民党反主流派の反乱だった。それに、公安の情報操作、野中広務の思惑が絡み、京都府知事選挙が引き金になった、と。あまりにも奇奇怪怪な事件の内幕。関係者だからこそわかる腐りきった社民の内幕。ついに25日と決定した辻元参考人招致を前にして、暴露手記をそのまま一挙にお届けする。

日本赤軍、驚愕の社民加入戦術を暴く!!  95年、社会党は分裂、このとき多くの職員が民主に移ったが、社民にも残った。その後、社民は選挙に負けて議員は減り、職員過剰となった。 そこで、ターゲットにされたのが若手を中心とした職員だった。労働組合をバックにした旧社会党・社会主義協会派の職員は議員回りを欠かさない、要領がいい。実務を担っているその他の職員は、仕事をキッチリやっているのに議員にはそれが見えない。それで党内で冷遇されたり、リストラの対象にされたりしたようです。これと並行し、社民党内部に赤軍人脈が浸透してきました。

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年頃にエコロジーとか、平和運動をやっている市民運動家たちが設立した「希望21」という市民団体があり、そこに赤軍人脈が潜り込み主導権を取った。「希望21」の関西は赤軍派人脈がトップです。そして「希望21」がとった手法は社民への加入戦術だった。これで赤軍人脈が間接的にだが、社民党に潜り込んだ。日本赤軍は社民党を利用して非合法路線から大衆化路線に方向転換した。また、赤軍派人脈はこれと同じ時期にNGOにも潜り込もうと画策、さらに、日本赤軍という名前さえも捨て「連帯」なる新しい党に模様替えしています。これらすべての動きは関西を拠点として起きています。


ガサ入れで衝天!! 社民の赤軍刈り  ともあれ、「希望21」の中での普通のメンバーは、自分たちの中に赤軍人脈が入り込んでいることに気がつきませんでした。彼らがやっと気がついたのは、ガサ入れがあってからでしょう。警察は、200011月8日、日本赤軍幹部の重信房子が大阪府高槻市内で逮捕した1ヶ月後「希望21」を日本赤軍の大衆組織として関係者全国20か所家宅捜索をおこなっています。このとき、一番、驚いたのは社民党です。「希望21」内部の市民運動家でさえ、赤軍人脈が入り込んでいたことに気がついていなかったのだから、社民党が気がつくはずがない。大騒ぎになりました。レットパージならぬレッドアーミーパージ。魔女狩りですね。今の赤軍人脈は、大衆路線を歩もうとしているし、辻元が危険な思想に染まっているとも思っていない。また、今の社民党は弱体化していて、特に関西ではいわゆる昔の「赤軍人脈」なしではとても選挙は戦えません。赤軍とちょっとでも関係ある人間をパージしつくしたら関西の社民党支部は崩壊します。


流域調整室便りhttp://homepage3.nifty.com/ryuiki-chosei-shitu/index.htm
社民党の実態は赤軍派と中核派辻元清美さんの政策秘書給与詐取・警察庁が立証!の裏に拉致・自爆テロを支えた赤軍週刊新潮には辻元さんの政策担当として北川明の名刺やツーショット写真もあり、秘書給与で食っていた一人が北川明と判明すればNPO非登録ピースボートの脱税容疑→万景峰号も使ったことのあるピースボートの工作船容疑となっていき、辻元清美さんの政界復帰はまず不可能になるだろう。辻元清美さんは、2000年の総選挙で赤軍系の病院や生協が再結集し、地元では共産党と言われているが実は中核派病院が擁立した市議と、阪急電車労組が協力して当選できた。1996年に連合系が殆ど民主党へ移籍してからの社民党は、土井たか子党首の側近秘書・五島昌子さんが赤軍派と中核派に頼って”市民派”候補を擁立してきたと言ってもよい。・・・辻元清美さんは元創価学会員であり、96年総選挙で創価学会に支援を頼みに行って断られたと白川新党で聞いた。0210月の大阪10区補選で当確かと思われた公明党公認候補は突然降ろされた。創価学会員の友人は「支援組織が共産党と競合する公明党は社民党を潰したくない」白川新党に参加した元毎日新聞記者の田中良太氏は「毎日新聞の大株主は創価学会である」と教えてくれた。


PEACEBOAT http://www.peaceboat.org/index_j.html
地雷廃絶キャンペーン600万個ともいわれる地雷が残されているカンボジアでは、地雷被害者が後を絶ちません。特に郊外の農村部では政府からの援助もなく地雷原に囲まれて生活をしています。首都プノンペンから190キロはなれたポーサット州プテアルング村は長年、ポルポト派の残党と政府軍との内戦が続き、多くの地雷が埋設された場所です。20025月、CMAC(カンボジア地雷行動センター)の協力により、このプテアルング村の地雷原に小学校が建設されました。その地雷原の地雷除去、学校建設にかかった費用は、すべてピースボートが日本全国で行った街頭募金によるものです。・・・評判の悪いピースボート(辻元)だが、カンボジアには小学校を建設している、このあたりが視察に行くだけの国会議員とは異なると言う意見もある。
参考MammoTV-(国会活動)、MammoTV-(生い立ち) インタビューに答える。


福島瑞穂http://www.mizuhoto.org/
参議院・プロフィール19551224日、宮崎県延岡市に生まれる、70年東京大学法学部卒、87年弁護士登録、第二東京弁護士会所属。日本弁護士連合会・両性の平等に関する委員会委員、川崎市男女平等推進協議会会長を歴任、現在学習院女子大学客員教授、アジアからの出稼ぎ女性の緊急避難所「女性の家HELP」協力弁護士。

國民新聞 02・10・25:東京・中野ゼロ西館美術ギャラリーで02年9月下旬「星野文昭絵画展」と「獄中者とその家族が子供を産み育てる権利を求める会」の集会が開かれた。星野文昭は中核派の元学生活動家で、1971年沖縄返還協定批准阻止闘争にデモ隊として参加した際、機動隊員を殴打、焼死させたとして無期懲役が確定している。その集会の司会を務めたのが海渡雄一・弁護士。社民党・福島瑞穂幹事長の夫でもある。
参考: 琉球新報ニュース 97・06・24星野文昭さんを取り戻そう全国再審連絡会議

独楽工房 opinion-18:福島瑞穂・海渡雄一夫妻は中核派のシンパであり、今も獄中にいる過激派「星野文昭受刑者」とその家族を支援している。私も昨年の週間新潮を見るまでは知らなかったが、なんと表現すればいいのか、その時の週刊新潮の写真が、どこかうつろで怠惰な表情に福島瑞穂幹事長の品性のなさが相まって、おぞましい夫婦の姿として印象に残った。夫である海渡弁護士は受刑者の妻達とある会に出席している写真がでていた。受刑者(中核派)の書いた絵をバックに訴えておられる内容がすごい。驚くなかれ星野受刑者と獄中結婚した女性が子供を欲しがっているから刑務所内でセックスさせろという意味のことを言っておられるのである。


中川智子http://www.nakagawa-tomoko.jp/home.htm
中川智子自身の紹介は『中川ともこプロフィール』にまかせ、netでは結構有名な『あいふる世相ダイアリー』の作者が書いた『巨泉辞任会見の後ろで騷いでいた役者は誰?』に書かれている中川智子の評は「黒服の女性 御存知・びっくり中川智子議員、御自身の初体験をHPにアップしたすごい人⇒詳細はこちら *本人が消去した)、小泉首相に「戦争は止めて〜」と詰め寄った実績もあるので、涙はこの人の「女の武器」であると推察されます。あまり効果はなさそうですが、愛嬌はあります」・・・「蓼食う虫も好きずき」と言うことわざを思い出し、調べてみると、万葉集「蓼を詠んだ歌」にあるように赤い花や、白い蓼の花もある。蓼食う虫はこう言う顔をしている。中川智子が初体験をのせたHPは週刊誌などで話題になり、さすがにまずいと思ったのだろう、消したが、親切な人がnetにはいるので、ミラーサイトができている。
ミラーサイト:http://www.geocities.com/bikkuritomoko/


今回は社民党の土井たか子党首、辻元清美、福島瑞穂などをとりあげたが、「社会党→社会民主党」だけでなく、「社会党→民主党」と移った議員の中にも(もちろん自民党にも)様々な疑惑を噂される人達がいる。今後、加筆して行くつもりである。現在の処、ネット発−声を挙げようと、その中にある 社民党Watching のページが「詳しいように思う。