やっぱイメトレは役に立つ♪

先日、なぜか運転免許証がなくなっているのに気が付きました。いつ、どこでなくしたのか、まったく思い出せません。あっちこっち探したけど出てこないので、東京・府中の運転免許試験場に再交付の手続きに行ってきました。。

で、申請が終わってから交付まで1時間くらいかかるとのこと。しかたなく外に出てみると、自動二輪の試験を行っていました。

私は、かつてこのコースで中型自動二輪と大型自動二輪(限定解除)の免許を取りました。今は、教習所で大型二輪の免許を取れますが、当時は試験場で一発試験に合格するしか方法がありませんでした。

で、その大型二輪の試験は、免許を与えるための試験ではなく、免許を取らせない、大型二輪に乗せないための試験と言われていました。そのため、非常に合格率が低く、全国平均で5%くらいだったと思います。中でも府中のコースは難関で、合格率が2~3%だったと聞いています。

何が、どんな風に難しいかというのはバイク乗りでないと理解できない話なので省略しますが、府中で限定解除する(大型二輪免許を取る)ための後略本が出るほどでした。そんなことを思い出しながら、懐かしく試験の様子を見ていたのですが、コースは今も変わっていなかったですね。

で、私が府中で大型二輪の免許を取るために最大限に活用したのがイメージトレーニングです。

最初に試験官から名前を呼ばれ、安全確認をしてバイクにまたがり、エンジンをかけてスタート。ウィンカーを出して最初の角を右に曲がって…。こうした一連の動作を完璧にアタマに叩き込んで、それを完璧にこなしている自分をイメージする。繰り返し、繰り返し。。

当時はまだ、「自分がアタマに思い描いたことが現実になる」という法則は知りませんでした。でも、スポーツ選手は試合の前に、自分が完璧にプレーしている姿を繰り返しイメージするということを何かで読んで「なるほど!」と思って真似をしました。

結果は、5回目で合格。(^_^)v

「なんだ、5回も受けたのか」と思わないでください。合格率2~3%の試験です。10回以内に受かればいいほうで、何十回も受けている人もいるんですから。(^^ゞ

ま、何にしても、自分が完璧にプレーしている姿をありありと想像するのは楽しいものですよ。何かに挑戦するときは、ぜひ試してみてください。

ただし、試験や試合の途中で、イメージした完璧な姿から外れてしまう、つまり失敗することも多々あります。そんなときは、そこで「ダメだ!」と思わずに、先のことだけ考えることが大事です。少なくとも、その試験や試合が終わるまでは。

よく、全日本バレーの選手が試合中に誰かがミスをすると「切り替え、切り替え」と言っていますが、まさにアレだと思います。即座に気持ちを切り換えて、次のプレーに集中することです。

ちなみに、私が大型二輪の試験に合格したときは、大きなミスを2つ犯しました。途中で「もうダメか」と思いましたが、次につなげるために最後まで気を抜かずに走ったら、なぜか合格でした。(^^♪

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100歳まで現役でいるために

自己啓発とか成功哲学の本を読むと、ほぼ必ず書いてあるのが「目標を設定しなさい」ということですよね。(^^ゞ

確かに、漠然とした“夢”を具体的な“目標”に変えて、そこに至るまでのステップを考えて実行するのが成功の王道です。

でも、みなさん意外に見落としているのが「自分の人生、いくつまで生きるのか」という発想と、それに則した計画です。

以前、ある人に言われて、妙に納得したことがありました。「人生は、鉄道の旅と同じ。自分が行こうと思ったところまで行ける。あなたは、どこまで切符を買っているか」

つまり、自分が何歳まで生きるつもりで、それまに何をするか計画を立てているか、という話です。

私は以前から、生涯現役、死ぬまで元気、を目標にしていたので、これは譲れません。てか、年金がほとんど当てに出来ないので、生きている限り収入を確保しないと…、という切実な事情もあります。www

でも、じゃあ何歳まで生きるかってことは考えていなかったので、あれこれ考えたんですが、最後はもう「ええぃ、面倒だ。キリのいいところで100歳!」と、100歳に決めました。実際、芸術家だと100歳まで現役の人もいるので、いいでしょう。(^^ゞ

100歳まで何らかのカタチで社会活動にかかわって、ある日突然、ぽっくり死ぬ。う~ん、いいなぁ。w

が、しかし、その考えを変えたくなる話を聞きました。それは、陸上短距離の100メートル走で記録を出す方法です。

100メートル先のゴールを目指して走ると、80メートルくらいで無意識のうちに失速するのだそうです。だから、100メートルを全力で走りきるには、120メートルくらい先にゴールがあると思って、そこまで走りきるつもりで臨まないといけないのだそうです。

そ、そうか。。

てことは、100歳まで現役で活躍するには、120歳くらいまで生きるつもりでいないとダメかも。w

と、思った瞬間、思い出した別の話。

人間は本来、120歳くらいまで生きる力を持っているのだそうです。しかし、食糧事情とか生活環境とかストレスとか、いろいろな要因で寿命が短くなっている。つまり、120歳から引き算で寿命が決まるワケですね。

そういえば癌も、今の医学では「癌になる」のではなく「誰もが持っている癌の要素を抑えられなくなると発症する」のだと聞いたことがあります。つまり、癌にならない生活習慣を心がけなさいと。

で、だから、100歳まで現役でガンバるつもりなら、120歳まで生きることを目標にした方がいいんじゃないかと思ったわけです。で、100歳を超えたら、すでにゴールテープを切っているので何歳で死んでもいいと。(^^ゞ だけど、レールは120歳まで敷いておくと。

最近、そんなことを考えておりました。。

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仕事の意味を知る感動ストーリー

↓のリンク先は、福島正伸さんという方の著書「どんな仕事も楽しくなる3つの物語」の告知サイトです。

http://www.entre.co.jp/newbook

この真ん中あたりに「人であふれた駐車場」という黒い画面があります。それをクリックすると、YouTubeでちょっと感動する話がみられます。

著者は、「駐車場のおじさんに仕事の意味を教えてもらった」という話で終わりにしています。そこが、この著者の奥ゆかしさなのかも知れません。

私はまだ、本を読んでいないので補足の言葉があるのか分かりませんが。。

ただひとつ確実なのは、このおじさんは“どこへ行っても幸せになれる人だ”ということだと思います。

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画家を目指しているキミへ

まずは、卒業おめでとう。(^^♪

いよいよ大好きな絵を描くことを生活の中心に据えることができるね。自分の経験を振り返っても、絵を描くことに最も時間を費やしたのは浪人時代の1年間だった。これからは毎日、充実した時間を過ごしてほしい。

さて、日本のピカソを目指しているキミに、本物の画家になるための秘訣を教えよう。これが私からの、卒業のお祝いです。

キミが本当に画家になりたいなら、その夢は今すぐ捨てなさい!

そして、今この瞬間から本物の画家として生きなさい。

自分は本物の画家だと信じて、画家にふさわしいことだけをしなさい。

本物の画家って何だろう?

美大を卒業したら画家になれるのかな。なれない人も、たくさんいるよね。美大へ行くことと画家になることは関係ない。池田満寿夫は3年続けて芸大に落ちた。そして彼は「自分のような才能のある人間を3回も落とすとは、芸大はなんと見る目がないんだろう」といって受験を止めてしまった。だけど、日本を代表する版画家になったよね。

個展を開いたら画家になれるのかな。学生でも、趣味で絵を描いている日曜画家でも、開こうと思えば個展を開けるよね。お金を払って会場を借りればいい。お金がなければ、知り合いの喫茶店に置いてもらえばいい。

絵が売れたら本物の画家なんだろうか。ゴッホが生きている間に売れた絵は1枚だけだった。

美大に入るとか、有名な展覧会で賞を取るとか、それはひとつの目標にはなるけど、これから一生、絵を描いていく上でただの通過点に過ぎない。

本物の画家というのは、自分の信念で、自分の表現を追及し続ける人だと思う。だから大事なのは、画家になることじゃなくて、画家として生きること。画家として活動を続けることなんだ。

これは、今すぐ始めることができる。

だけど、本物の画家だったら当然、それに見合うデッサン力が必要だよね。本物の画家だったら当然、それに見合う表現力が必要だよね。そして、それを育むには芸術に対する知識が深い方がいいし、もっと大事なのは人生観や経験だったりする。

そのために、同じ志をもつ仲間と大学で切磋琢磨するのはいい機会になる。だけど、今すぐ大学に行かないといけないワケじゃない。キミが本物の画家として生きていく中で、必要な時期に必要なだけ行けばいい。それは、来年かもしれないし、5年後かもしれないし、10年後かもしれない。

最後に、もうひとつ大事なこと。

キミのまわりにいる人が、どんなに堕落していても、どんなに無知でも、けして批判してはいけない。
キミのまわりにいる人が、どんなに才能があっても、どんなに恵まれていても、けして羨んではいけない。

そんなことは、キミが絵を描くことに何の関係もない。キミはキミが今いる環境で思い切り絵を描いて、本物の画家として生きればいい。それが、すべて。(^_^)v

Good Luck !

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あなたは、右回り? 左回り?

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3枚の写真は、私が風景写真に凝っていたころ撮影した青木ヶ原の樹海です。富士山麓に広がる広大な原生林ですね。Wikipediaによると、面積は約3000ヘクタールで山手線に囲まれた広さに匹敵するとか。。

一度迷い込むと出られなくなると言われていますが、実際に入ってみると理由が分かります。溶岩による凹凸があって周囲の様子が分からないし、真っ直ぐに進むこともできません。

ちなみに、上の写真は遊歩道として整備されている場所で撮りました。(^_^)v

さて、ジャングルや砂漠に迷い込んだとき、出られなくなって遭難するというのは、よく聞く話です。でも、ひたすら真っ直ぐ歩けば、いつかは端にたどり着くんじゃないか…。そう思いますよね。特に青木ヶ原は広いとはいえ、山手線と同じくらい。丸一日歩けばなんとかなりそうです。

ところが人間は、真っ直ぐ歩いているつもりでも、実は少しずつ曲がってしまい、大きな円を描いて元の場所に戻るのだそうです。一般に、右利きの人は右回り、左利きの人は左回りになると言われますが、この真偽は定かではありません。w

いずれにしても、同じ場所をグルグル回っているうちに遭難するわけですね。これを避けるには、やはり遠くの目標を見つけて、それに向かって歩くしかありません。たとえば大きな山とか。夜空の星とか。

これって以前書いた「一本橋の渡り方」と同じことですね。(^^ゞ

やはり人間は、大きな目標を目指さないと堂々巡りをしてしまう。気が付いたら10年経っても同じ場所にいた、なんてことになるんでしょう。

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テレビ>新聞>ネット>雑誌>ラジオ

2008年2月21日付け朝日新聞に、インターネット向けに出稿された広告の費用が、雑誌広告を抜いて第3位になったという記事がありました。ネタ元は、電通が20日に発表した2007年の国内広告費調査だそうです。

私が広告の勉強をした20年ほど前は、テレビ・新聞・雑誌・ラジオを広告の4大メディアといって、当時はまだインターネットはありませんでした。

インターネットは、1960年代の終わりにアメリカで軍事目的で開発されたコンピュータ・ネットワークが原点です。その後、政府機関や大学、研究機関に広がっていき、一般企業の商用利用が始まったのは1994年でした。

今、ほとんどの人がプロバイダーに加入していると思います。日本で最初の商用プロバイダーはIIJ(インターネットイニシアティブ)ですが、当時の日本のインターネット利用者は2000人程度だったそうです。しかし通信事業は設備投資が必要なので、その費用を借りるために銀行へ行って「10年後には、3000万人が利用する可能性があるサービスだ」と言ったら、銀行の幹部に大嘘つきだと言われたことがあるとか。w

その後、順調にユーザーは増え続けましたが、それでもインターネットに不信感を持ったり、認めようとしない人たちが少なからずいました。特に、インターネットはビジネスにならないと考える人が多かった。いや、そんなワケの分からないものに既存の枠組みを壊されては困ると恐れた人が多かったのかもしれません。

しかし、少しずつ広告によるウェブサイト運営に成功例が出てきて、4大メディアのうちラジオ広告の出稿費を抜いたのが2004年でした。そのとき私は、いずれ雑誌も抜くだろうと思ったのですが、その考えに異を唱える人もいましたね。

そして昨年、本当に雑誌を抜いてしまったようです。意外に早かったですね。インターネットの広告というと、mixiにも出ているバナー広告をイメージする人が多いと思います。しかし実際には、Googleの検索結果に出る連動型広告の伸びも大きいと思います。

ちなみに各メディアへの出稿料は、ざっくり言ってテレビが2兆円、新聞が1兆円、ネットが6000億円、雑誌が5000億円、ラジオが2000億円といったところ。やっぱ、テレビCMがダントツです。

さて、いずれはネット広告が新聞やテレビを抜く日が来るのか。

私は、新聞を抜く日は来ると思います。でも、テレビを抜く日が来るかどうかは分かりません。いや、それだけテレビが強力だという意味ではありません。

テレビとネットの広告費が拮抗するころには、テレビとネットが融合して境界がなくなっているのではないかと思うんです。以前から言われてきた、放送と通信の融合です。

従来、放送と通信は明確に区別されていて免許も別々でした。しかし今後、いよいよ本当に境目がなくなって来るでしょう。簡単に言えば、テレビ放送の電波を通じてインターネットのコンテンツが配信されたり、インターネット網を通じてテレビ放送を見られたり。そういうことがますます盛んになって両者を区別する意味がなくなるということです。

これは何年も前から言われていることで、実際に何度も実験的なサービスが提供されてきました。しかしこれといった成功例が出なくて、最近は少し沈静化している感がありますね。とはいえ、GyaoやYouTubeといったサービスは定着しているし、気がついたら実現していたという状況になるのは、そう遠い日じゃないだろうと踏んでいます。

えぇと、すっかりネット談義になってしまいましたが、この日記で言いたかったことは、“すべてのものは変化する”ということです。既得権の上に胡坐をかいて、運よく定年を迎える人も中に入るでしょうが、それは本当にラッキーなこと。いや、変化=進化と思えば、進化のチャンスに恵まれなかったのは、むしろ不運かな。(^^ゞ

いずれにしても世の中、何が起こるかわからない。「そんなの、絶対にありえないよ~」なんて頭ごなしに否定すると、後でとんだ恥をかくかも、てのが自戒を込めた結論です。

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幸せになれる漢字の本

mixiのコミュニティ「はぴはぴライフ研究所」でも紹介していますが、私の好きな本に、ひすいこたろう氏の「名言セラピー」シリーズががあります。

その、ひすい氏の新刊『漢字セラピー 五つ星のしあわせ』が発売されました。この漢字セラピーシリーズは、漢字が好きな人は楽しいと思うのですが、私自信は理屈っぽい感じがしてあまり好きではありません。

でも、ひすい氏のメルマガを愛読していて、その中に「ブログやmixiの日記をやっている人は紹介文をコピーしてほしい」と書かれていたので、該当部分をコピペします。

本を買うかどうかは皆さんの気持ちしだいですが、紹介文の中にある「幸せの定義」は、とてもいいと思います。読む価値があります。(^^)v

---------------(以下、ひすい氏のメルマガよりコピー)------------------

…―…―…―…―…―…―…―…―…―…―…―…―…―…―…―…―…―…―…
■ブログやmixi、メルマガをやってる皆さんへ。↓下記をコピーして紹介してくださるとベリーサンキューです!
…―…―…―…―…―…―…―…―…―…―…―…―…―…―…―…―…―…―…
                      ↓

………………………………………………………………………………………

■漢字には、幸せに生きる秘密が隠されていたんです!
………………………………………………………………………………………


実は、漢字を学ぶだけで幸せになれるってご存知でしたか?

漢字でアッサリ幸せになれます。

まずはお読み下さい。


「恋」という字は下に「心」があるから下心。
「愛」という字は真ん中に「心」があるから真心。「心」を「受け入れる」と書いて「愛」。
「成長」という字は「長所」に「成る」と書く。
「努力」という字は「女」の「又」の「力」と書く。
「想う」というのは「相手」の「心」と書く。
「鮨」というのは「魚」が「旨い」と書く。

漢字セラピスト集団、僕ら、漢字ぃ~ズは
漢字を自由に見た。見続けた。
すると、おもしろいことに、どんどん幸せになる法則が見えてみたのです。

その研究報告をまとめたのがこの本です。

「漢字セラピー 五つ星のしあわせ」(ソニーマガジンズ)
こちら→ http://amazon.co.jp/o/ASIN/4789732703/nicecopy-22

世界一おもしろい漢字本になったと思ってます。


*****


はじめまして。
コピーライターのひすいこたろうと申します。

僕とご縁をいただいてる方を通して
この漢字本のPRをさせてもらいに本日参上した次第です。


まずは、本のことを知ってもらう今日は特別に
前書きをご紹介させていただきます。

…………………………………………………………………………………
■この世に不幸はない?
…………………………………………………………………………………

先日、アフリカで数年暮らした女性のお話を聞きました。

その国は一夫多妻制。ですから女性同士でこんな会話があったりするそうです。

「うちのダンナは、すごい素敵だから嫁に来たほうがいいよ」と。

日本で生まれた僕らは、彼氏や彼女が浮気したら、
それこそ不幸だって感じますよね。

でも、その国では親友同士で

「私の彼は素晴らしいから、ぜひあなたも嫁になりなよ。彼は優しいし、
 これから隣の家に住んで、一緒にご飯つくって、
 一緒に子どもを育てることができるからね」
というような会話が普通に行われていたりするんです。

そう思うと、「不幸って、なに?」って思いませんか?

例えば僕らは目がふたつありますが、周りの人の目がみんなひとつだったら、
僕らは目がふたつあることで、一瞬にして不幸のドン底に落ちます。
“なんで俺は目がふたつもあるんだろう”って、嘆き悲しむと思います。

そう思うと、不幸って、なに? 
不幸って実はないんじゃないか?
不幸だと思う心があるだけなんじゃないか? 
という気がします。

漢字には反対の意味が必ずあります。
善→悪
吉→凶
生→死

では幸せ……幸の反対の言葉はなんでしょう?

不幸ですよね。

「不幸」って「幸せじゃない」って意味です。
じゃあ「不幸」を表す漢字一文字は?

答えは……。「不幸」って意味の漢字は存在しないことに、気づいたんです。
英語でもunhappyはあっても、不幸っていう単語自体は存在しない。

この世界に不幸はないのかもしれない。

つまり、こういうことです。あなたがいまどんな状況でも、
一瞬で幸せになることもできるということです。

不幸の「正体」は現象ではなく「考え方」なんですから。

考え方、見方を変えれば一瞬で幸せを感じることができるということです。

「見方」を変えれば一瞬で人生は「味方」になるのです。

一方、「幸せ」という漢字をひっくり返して見てみて下さい。

上から見ても、下から見ても「幸」は変わらず「幸」でしょ?
幸せって、逆さになっても転んでも、どうやったって変わらずに、いまここにあるものなんです。
人生の「当たり」は、「前」にあるんです。だから「当たり前」。

目が見える。友達とごはんが食べられる。
歩ける。仕事がある。家族がいる。そんな当たり前の中にこそ、幸せの本質があります。

いま一緒にいる、目の前にいる人のおかげで、すべての出来事は起こっています。
あなたの目の前にいる人。
すべてが、あなたの当たりなんです。

幸せは、なるものではなく感じるもの。

この本は、漢字から幸せに生きる法則を見出した世界一楽しい漢字本です。

漢字で幸せをカンジてください。

→ひすいこたろう&漢字ぃ~ズ

「漢字セラピー 五つ星のしあわせ」(ソニーマガジンズ)
こちら→ http://amazon.co.jp/o/ASIN/4789732703/nicecopy-22

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こんなトコロまで!

東京・新宿は、世界でも有数のデパート激戦区だと思います。新宿通りをはさんで、三越アルコットと伊勢丹がハス向かいに店を構えています。

で、三越のコンシェルジュに「カルティエの売り場はどこですか」と尋ねると、「あいにく、私どもの店では扱っておりません。しかし、お向かいの伊勢丹さんにあります」といって案内してくれるとか。

ちょっと前までは、ライバル店の案内をするなんて、ありえないことだったでしょう。でも今は、そこまで客に親切にする、そして「あの店は、感じがいい」と思ってもらう、それによって長期的なイメージアップとかブランド作りをしているわけですね。

実は、三越と伊勢丹は今年の4月に経営統合します。だから、今はライバルでも、春からは仲間になるという事情もあるのかも知れません。

だけど、高級品を扱う店では当たり前のサービスになっているようです。実際、私も、表参道にあるディオールの店で「この通りにグッチの店があったと思うのですが…」と聞いたことがあるのですが、入口付近にいた若い男性の店員さんが、わざわざ店の外まで出て、「こっちの方、ずっと先にあったと思います」と教えてくれました。

あ、ディオールの店では何も買っていません。(^^ゞ グッチの場所を聞くだけのために、店に入ったのです。実は、グッチの店にも行っていません。グッチの裏にある、別の店に行きたかったんです。ww

さて、私の地元の駅前に、Sパークという駐車場があります。駅に近くて商店街の真ん中にあるので、いつも繁盛しているようです。とはいえ、立体にはなっているものの、けして大きな駐車場ではなく、運営者は、おそらく家族経営+アルバイトの小企業だと思います。

あるとき、その前を通りかかると、珍しく閉まっていました。そのとき、ちょうどSパークに入ろうとした車がありました。するとアルバイト風の若い女性が、その車に走り寄って道路の反対側に誘導しました。

そして「すみません、今日は機械の点検のためにお休みしています」と事情を説明している様子。確かに、駐車場の入口に張り紙があります。張り紙をしておくだけでも、客は「今日は閉まっている」と分かるのに、わざわざ人件費を使って、入ろうとした客にお詫びをしている。これだけでも、立派なものだと思いました。

ところが、もっとスゴイ!と思ったのは、その後でした。アルバイト風の女性は、チラシのようなものを運転手に渡して、「このあたりで他の駐車場だと、こことここがあります」と案内を始めたのです。

行った先の駐車場の方が利用しやすければ、次からはそっちへ行ってしまうかもしれない(実は、Sパークはちょっと狭くて入れにくい)。それでも、そこまでサービスする。家族経営の小企業でも。

それが、当たり前の時代になったんだな、と思いました。その分、思い上がった客が増えているのも事実だとは思いますが。。

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藤原紀香×見城徹

だいぶ前に買って放置していた『紀香魂』(幻冬舎刊)を読みました。

藤原紀香さんは、外見も内面も素敵な人だと思いますが、私は特に彼女のファンではありません。本の内容も、特に感心することはありませんでした。(^^ゞ

ただ「あとがき」に、幻冬舎の社長である見城徹さんと校了間近に交わしたエピソードが書かれていて、その中の2人の言葉には大いに納得できるものがありました。

『紀香魂』は、紀香さんと陣内智則さんの結婚式の日に発売されることが決まっていました。ただでさえ忙しい結婚前に原稿を仕上げるのがどんなに大変か、見城社長はそれを分かっていて「大変だけど頑張ってくれ」と激励に来たわけです。

で、「果てしない努力が実を結ぶ。それが上手く行ったとき、人からは運が良かったとしか言われなくても、努力を続けるのだ」といった話をしたそうで。さらに「運がいいと言われる人が本当に努力している人なんだ」と。

これに対して紀香さんも、「運は絶対、自分で呼び込むものだと思っている」と返しています。

実際には、あまり努力しなくても“運よく”上手く行くことはあると思います。逆に、ものすごく努力しても、なかなか上手く行かないこともあるでしょう。だけど、それはほんの一部。大部分は、本当に頑張って努力した結果、上手くいくものだと私も思います。

ずっと努力してきた、その努力を止めなかった、だから目標を達成できた。これが真実。だけど他人は、その人がしてきた努力には目を向けないで結果だけ見る。そして「あの人は運が良かった」という。これも真実ではないでしょうか。

ちなみに見城社長は、角川書店で大活躍した伝説の編集者です。そして、1993年に独立して株式会社幻冬舎(げんとうしゃ)を設立しました。その後、十数年間に10冊以上のミリオンセラーを出しています。

ミリオンセラーというのは販売部数100万部(以上)のことで、普通の出版社だったら10年に1度出れば大成功だと言われています。それを、社員約60名の新興出版社が年に約1冊のペースで出しているわけで、出版界では奇跡だとも言われています。

たとえば、幻冬舎のミリオンセラーには、郷ひろみの『ダディ』、石原慎太郎の『弟』、村上龍の『13歳のハローワーク』などがあります。話題の人に、最高のタイミングで、これかしかないというテーマの本を書かせる、その才能と実行力が見城さんのスゴイところです。というわけで出版界では今、幻冬舎と見城社長の名を知らなかったらモグリだといっても過言ではありません。w

一方の紀香さんも、人気が出るまで下積みの時代があったそうです。もちろん、陣内さんも。特に陣内さんは、ピン芸人になる前は「リミテッド」というコンビで活動したものの、「リミテッドを見ると不幸になる」とまで言われて、まったく売れなかったとか。

まぁ、見城さん、紀香さん、陣内さんのレベルまで「運がいい」と言われるのは大変でしょう。だけど、せめて私も他人から「あいつは“ちょっとばかし”運がいい」と言われるくらいには努力を続けたいと思います。(^_^)v

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下りエスカレーターの時代

毎週土曜日に折り込まれる朝日新聞の別刷り「be」の1月12日版に、会計本を中心にビジネス本が売れている、という記事がありました。

その中で紹介されていた、ある団体職員のカッコつき引用が、とても的確だと思ったので紹介します。

「淘汰の激しい社会は下りのエスカレーターに乗っているようなもの。自分の足で上がっていって、やっと現状維持。(後略)」

私もズッと同じことを考えていたのですが、うまく言い表す言葉が見つからずにいました。でも、この『下りエスカレーター』という表現を見て、スッキリしました。まさに、的を射た表現ですね。

日本が高度成長していた時代は、みんなが上りエスカレーターに乗っていたようなものだったと思います。日本という国全体が上昇していたので、特に努力しなくても無難に生きていれば生活水準が上がっていった。

しかし今、日本は明らかに下っています。景気拡大が続いているといっても、それは統計上の話で、利益を出しているのは一部の大企業だけ。その影では、派遣などの非正社員の増加や、数少ない正社員のハードワークが日常化しているわけで。

日本の状況を見ても、少子高齢化、返せるあてのない膨大な借金。そしてODAなどの実績も下がって、金中心の海外支援で保ってきた国際社会での面目が失われつつあります。

日本全体が沈下している時代、現状維持するには下りエスカレーターを上に向かって歩き続けるような努力が必要ってことですね。さらに、今より上に行こうと思ったら、下るより速く駆け上らないといけない。

いや、だからといって、どうしようといった話はないんです。少なくとも、今の自分に日本の下降を止める力なんてないし。

だけど、そういう時代なんだと意識することが大事で、それを考えると今の時代に合ったビジネス手法があるんじゃないかと思ったりします。

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