2007年08月29日
本編1-2 天皇陛下マンセー!
コレは見物しないテはない。
学校としても「できるだけ子供たちと参加してください。」ということだったので、俺は担任していた6年生クラスの子供たちを引率し、堂々と国道沿いのベストポジションに陣取った。
ちなみに、俺のクラスの子供たちは(毎年)ノリがいい。
今時の教師には有り得ねえほど猛厳しい指導方針の俺だったが、同時になぜか子供たちはのびのびと育ってくれた。「厳しいから萎縮する。甘やかすからのびのびする」なんて単純なモノではないのだ。やりようによっては、俺のような恐怖のオーラを発する教師のもとでも、子供たちは自由に自分を表現し、力強く成長するモノなのだ。
現に、この日の子供たちは沿道の笑いを誘った。
通りかかる全ての車に旗を振り、手を振り、声をかけた。
「お前らいい加減にしろよ。」
笑いながら俺が言っても、子供たちは楽しそうに国道を走る車に声をかけた。俺たちのポジションは、信号のすぐ脇だったので、停車した車の運転手と話になることもしばしばだった。あるトラックの運転手は、
「お前たちなにやってんだ?」
と話しかけてきた。子供たちは、
「天皇陛下を待ってるんです!」
と元気に返事をしている。こいつら、一応当初の目的は見失っていないようだ。ま、その辺がさすが俺の教え子よ。
「天皇陛下ぁ!?バカ言ってんじゃねえよ。こんなとこ天皇が通るわけないだろ。」
そう言って笑う運ちゃんに、子供たちは日の丸の旗を振って、
「嘘じゃないよ。この旗が証拠だよ。もうすぐ公民館から走り出すって。昨日なんか河口のトイレ見に来てたんだよ。」
と説明する。
「あぁ、そういや昨日のニュースでそんな話ししてたなあ。じゃホントに天皇通るんか?」
「うん!」
信号待ちの運ちゃんと普通に会話する小学生。今なら、「生きる力だ」とか言って感心する大人もいることだろうな。
「じゃ、がんばれよ。」
何をがんばるのかわからんが、運ちゃんは激励の言葉を残して走り去った。
その後、外人の車が信号で止まった。欧米人3人組のその車は、沿道の人々に手を振りながら走っている、ノリ抜群の連中だった。むう、嫌な予感がする。
「うおお!外人だ!」
ある男子が無意味に盛り上がる。
「ハロー!」
別の子が3人組に声をかける。
あーあ、もうこうなったら止まらない。
子供たちに気づいた3人は、車から身を乗り出すような勢いでこちらに手を振り、声をかける。子供たちは大喜びで日の丸をふり、拍手と歓声があたりに響く。
つーかよ、日の丸振られて喜ぶ外人もどうかと思うぞ。
「nanisiterunndai?」
「テンノウ!カム、カム」
「OH!テンノウ!?」
おいおい……会話成立してるよ。こりゃホントに生きる力になってんなあ……。ま、子供に本物のバイタリティーをってのは、俺の教育目標の一つだから、よしとするか。
「イエーイ!」
「OH!イエーイ」
信号が変わり、車は走り去った。ノリの悪いN町の住民の中で、このガキどもだけは3人組に負けないテンションだった。なんという恐ろしい連中を育ててしまったのだ、俺は……。
そして、いよいよ天皇陛下を乗せた車がやってきた。
窓から手を振る陛下は、さすがなれた手つきである。素人にはとてもまねできない手の動きだ。そう、あの動きは……トキ。激流を制する静水のごとく、穏やかなお手振りだった。うっかり棍棒なんかで殴りかかったら「こんなんやだ!」なんてことになりそうだぜ。天皇恐るべし。
が、子供たちはようやくお目当てのものが現れたと一気に盛り上がり、「ギブ・ミー・チョコレート」と言わんばかりに旗を振る。頼むからお前ら、陛下の前でN町と俺の恥を晒さないでくれ。
わずか30分ほどの間に、数々のエピソードを生んで、「天皇陛下見学会」は終了した。改めて感じたが、思い出なんてモノは作る気になればいくらでも作れる。逆に、感動する心のない連中など、一生涯生きても、人に語れるような思い出は一つも作れない。
「ノリがいい」とは、「感動する心を持っている」ということなのだ。
俺は、子供たちになによりもこの「感動する心」を持ってほしいと願い、日々教育に当たっていた。毎年毎年、俺のクラスの子供たちは確実にその心をもって進級、卒業してくれていた。現に、この日通りかかる車に強烈な印象を植え付けた6年生たちは、中学校進学後数々の改革を行い、中学校の教師たちに「こんな子供たちは初めてだ」とまで言わしめたのである。
夜の職員室で、俺は一人、安らいでいた。子供たちの成長に、感動していたのだ。
しかし、この話にはさらにオチが待っていた。
突然、電話が鳴った。職員室には俺一人だったので、俺が受話器を上げた。
「はい、H小学校です。」
「飛鳥先生はいますか?」
なんや名乗りもせずにぶっきらぼうな声だ。歳は40くらいの、男の声。ま、どうせまた細かいことに突っ込むのが趣味の、暇な父親あたりだろう。「お前、取引先にもそういう態度で電話すんのか」と思いつつ、俺は応対した。
「私が飛鳥ですが、どちら様ですか。」
「どちら様でもいいよ。あんた今日、子供たち連れて天皇陛下見に行ったんだってな。なんでそんな勝手なことするんだ。だいたい天皇なんて存在はな……。」
ああ五月蠅い。天皇制反対は結構だが、こちらはそんな脳みそ偏った連中とまともに話してる時間がもったいないのだ。せっかくのいい気分を害された俺は一気にぶち切れた。
「あぁ!?それがどうした!だいたい名乗りもしねえで失礼だとはおもわねえのか貴様!天皇見に行ったのが気にいらねえってか?珍しいモンが来れば見に行きてぇと思うのがフツーだろが!!動物園に珍獣が来たらみんな見に行くだろが!それと同じだ!文句あるならテメエがどこの誰か名乗ってかけ直しやがれ!!」
職員室に俺の声が響く。というか、確実に外にも漏れていただろう。おそらくこんな音量で怒鳴られるのは初めてであろう電話の向こうの坊や(いや、大人の男だったがね)は、一言も返せずにいた。もはや抵抗のオーラは感じない。
言うだけ言って、俺は電話を切った。二度と、かかってこなかった。
完全勝利である。
つくづく、俺は教師ではないな。天皇陛下を珍獣に喩えるなんて、右翼連中が聞いたらこれまたぶち切れそうだが、そういう台詞が電話でさらりと出るのが俺なのだ。
子供たちは、様々な体験をするべきだ。トラウマになるようなものはまずいが、感性を育てたり、知識を広げるような活動は、少々授業をぶっ潰してでも味わうべきなのである。それこそが、本物の「生きる力」を育てるのだということを、今も昔も教師は知らなすぎる。そうは思わないかい?みなさん。
子供たちの「体験のチャンス」を潰すような先のクレームは、決してまともにとりあってはならない。俺は、クビになるまでこのスタンスを貫き、幾度となく石頭の親連中とケンカすることとなった。
それも、免職の一つの原因かもしれない。
1-3 「用務員の涙」に続く
2007年08月28日
本編第一章 1-1新任教師
第一章 教師・飛鳥エイジ
俺は、かつて教師だった。
自分の教師時代を思い出すのはもはや苦痛だが、今の自分を語るためには避けて通れぬ試練といったところか。 しかし、その内容は決して苦痛に見えるものではない。むしろ、輝かしい過去、ぶっちゃけ、自慢話に聞こえるものになるだろう。それほど、俺の教師時代は日々充実したものだった。
しかも、それは決して自己満足の範囲にとどまるものではなく、子供たちの思いや成長に支えられた厳然たる事実である。
平成14年5月。俺は停職処分を受けたが、そのきっかけになる出来事を語る前に、少しだけ俺の教師時代の思い出を語ろう。「教師」という職業に就く者は多いが、俺のような思いが出来ている教師はどれほどいるものだろうか?星の数ほど転がっている俺の教師時代のメモリーから、いくつかを知ってもらおう。 教師・飛鳥エイジを理解するための第一の手がかりとして。
1-1 新任教師
平成2年4月1日。 俺は、M県N町(現在は隣の町と合併してH市)の、「H小学校」に赴任した。
しかしどうでもいいことだが、イニシャル化というのは鬱陶しいものだな。地名や人名を解説すると何がなんだかわからんわコレ。
とにかく俺は、新任教師としての第一歩をこのH小学校で踏み出すことになった。 教師時代について長く語るつもりはないので、脳の片隅で積み上げられ、発酵しているメモリーの中から数編を語るだけにしよう。リクエストがあれば、あらためて語ることもあるかもしれない。 初めて担任したのは3年生。1学年1クラスしかない、いわゆる小規模校だったH小学校なので、新人だろうがなんだろうが3年生は俺が預からなくてはならなかった。 身長176センチメートル、体重77キログラムと、まあ体格的にはがっちりした方だったおかげで、初日から男子たちがスポーツマンと勘違いしてよってきた。しかし、残念だったな少年たちよ。俺はスポーツはさっぱりなのだ。俺が得意な「運動」といえば……そうだな、無理矢理分類すれば格闘技かな。なぜ無理矢理なのかは、この後子供たちは身をもって知ることになっていく。
俺の正体が初めてちょっとバレたのは、5月の運動会の時だった。
担任していた3年生たちが徒競走の入場をするときのことだった。入場曲が校庭中に鳴り響く中、俺はマイクを握り、入場の号令をかけようとした。しかし、「マーフィーの法則」にもあるように、大事なものは本番にこそ壊れる。突然マイクが故障し、うんともすんとも言わなくなってしまったのだ。だが、子供たちはもう入場体勢になり、いつでも動き出せる状態になっている。
さあどうするか。 そこらの教師さんたちなら、一旦入場をやめて機材をチェックするなどの対応をとるんだろう。が、俺はマイクを下ろし、指揮台の上で一歩踏み出した。そして、くいと顔を上げ、久しぶりに腹筋を全開にして横隔膜を動かした。
「駆け足よおーい!」
マイクを通さない肉声が、BGMを切り裂いて入場門の子供たちに突き刺さる。会場は一瞬静まりかえり、「ウチの子の出番じゃないから~」と弁当中の親たちまでが指揮台に注目する。指導の中で俺の声になれていた3年生の子供たちも、これまでとレベルの違う「声」に驚いているようだ。
俺は、声がでかい。生まれつきのものもあろうが、3年間声を出すことが目的の部活に所属していたので、俺の発声は常人離れしたものになっていた。入場曲が少々流れていようが関係ない。俺の指示は確実に子供たちの脳に届き、競技は滞りなく終わった。 この出来事で、保護者や来賓としてきていた学校関係者たちは、俺のことを「ただ者ではない」と勘違いしてくれたようだった。その後も学校内外で「教師とはお上品」という(勝手な)先入観をぶっ壊し続ける俺は、新しモノ好きの人々からは篤く支持され、逆に保守的だったり、権利意識の強いオバ様たちからは忌み嫌われる教師となっていった。
では、子供たちからはどう見られていたか? 好かれていたかどうかは知らんが、次々と新しいことをやらかし、子供たちの自由な発想を常に実現させてやろうという俺の想いはそれなりに伝わっていたようだ。
新任の年、教師として迎えた初めての誕生日、10月27日に、子供たちから手作りのケーキやプレゼントをもらった。 その後、教師をクビになるまで(いや、正確にはクビになった後もだが)毎年バースディには子供たちと楽しく過ごすことができた。 親たちが俺という存在を掴みかねてあたふたする中、子供たちは俺がどんな教師なのか、肌で感じ取っていてくれたのだろう。
そうそう、親(保護者)を困らせたといえば、こんな馬鹿話もある。
1-2「天皇陛下マンセー!」に続く
転落教師の独り言 本館もよろしく
2007年08月28日
本編開始「転落教師の独り言~プロローグ」
嘘をついた者と
嘘をつかれた者
「転落教師の独り言」
取り扱い説明書
これは、一人の「元小学校教師」が、前科者にまで堕ちていく過程をぐだぐだと愚痴ったものである。よって、読後にさわやかさや教訓が残ることはないので悪しからず。ただ、「学校」という異常な世界の内幕や、公務員の腐れ具合は詳しく知ることができるし、終盤にはあなたが警察のやっかいになったときに確実に役立つ情報が得られることは保証する。
登場する人物、地名は仮名やイニシャル表記とする。登場人物の多くは未成年者であるため、それらについては全員仮名とする。また、公務員については職務上の事実を公開されても名誉毀損とは認められないとあるが、ここではイニシャル名としておく。将来必要に応じて実名を公開する可能性もあるが、まだその時ではないと判断したためである。
俺自身の実名はすでに全国に公開されているので仮名にするだけ無駄なことだが、このブログ上から場所や人物が確実に特定されるような事態は避けなくてはならないので、敢えて俺自身も仮名で登場する。面倒臭いが。
俺の名「飛鳥(あすか)エイジ」は仮名だが、かなり本名にかすっている。なお、「アルバトロ・ナル・エイジ・アスカ」とは無関係である。いや、厳密に言うと無関係ではないかも……。
本文中には、かなりどぎつい表現や、「そこまで言わなくても……」と眉をひそめたくなるような悪口雑言もしばしば用いられるが、それは俺の怒り故のものであるため、どうか宥恕願いたい。俺とて出来れば人の悪口など言いたくはないのだ。もう一つ心配なのは、最終章のちょっと手前が、18禁小説になってしまうかもしれないということである。まあ、それもありのままの事実だからやむなし、か。
プロローグ
まず、平成16年12月中旬の新聞記事を見てもらおう。
★脅迫100件、昔の教え子に交際迫り…元教諭を逮捕
教え子だった女性に執拗(しつよう)に交際を迫るメールなどを送り脅したとして、M県警S署は16日までに、脅迫の疑いでS市、元小学校教諭で会社員、飛鳥エイジ容疑者(38)を逮捕した。
調べだと、飛鳥容疑者は7-10月の間、小学校時代に担任していたアルバイトの女性(17)に交際を迫ったが断られたため、女性の携帯電話に「ただではおかない」「家族の命も危ないぞ」などとメールや伝言メモを送り脅した疑い。
一時は女性の勤め先まで押しかけ、1日100件以上の脅迫メールが届く日もあったという。
飛鳥容疑者は、教え子の小学生の女子児童2人を自宅に泊めて性的嫌がらせを行い、その後もつきまとったため、懲戒免職となっていた。
まあ、新聞がでたらめを書いて平然としているのは今も昔も変わらない。この記事もどこが事実と違うのか説明するのも面倒臭い。
今から始まる俺のつぶやきを、暇つぶしに読んでいけば、マスコミというヤツがどんなに阿呆な連中かということがよく理解できるだろう。なお、俺が話すことは全て事実であるが、その多くは証明する映像・資料等客観的な証拠が存在する。もちろん、この駄文中でも必要に応じて紹介していく予定であるし、別途公開することも考えている。
この記事を紹介したのは、たかだか数百、数千文字の記事によって全てを知ったような勘違いをし、好き勝手放言しまくった連中に対して一言いっておくためだ。
真実は、そんな容量では語れない。
例えばだ、キミのここ数年の人生を詳しく語れと言われたら、キミは一体どれほどの言葉を、文字を費やすのかな?それを思うだけで、「真実」OR「事実」を人に理解してもらうのにどれだけ時間と言葉が必要か理解できるだろう。
マスコミは、限られた時間やスペースで事柄を伝えなくてはならないという制約に縛られた時点で、もはや真実を語るものではあり得ないという宿命を背負っているわけだ。にも関わらず、マスコミによって全てを知ったつもりになってしまう短絡低脳どもの多いこと多いこと。
俺は、最終的にマスコミや警察・検察、教育委員会によって背負わされた汚名を洗い流すことを目的としているが、そのためにはあらゆる手段を用いるつもりであるし、同時にこの命をかける覚悟である。法を盾にヤクザよりあくどいまねを平然と実行する公機関が、俺の語りを邪魔するときは、死をもって抗議する。もちろんその際には、公開が憚られるものまであらゆる手段を用い一人でも多くの人々に届けることになるだろう。俺の死後のことになるであろうが。
なお、公開するモノの多くは「映像」になる。そこには、警察・検察を驚愕させ、俺を「強姦」で立件することをあきらめさせた決定的な証拠も存在する。多くの例が示すように、警察は「強姦」にねらいを定めて逮捕に踏み切った場合、ありとあらゆる手段を用いて被疑者を強姦犯に「作り上げる」。(実際、留置場内でも目の当たりにしたし)しかし、俺に対してはそれが出来なかった。
なぜか?
簡単なことだ。強姦では立件できない決定的な証拠があったからだ。俺の部屋から、押収班がご丁寧に署名捺印付きのリストを残して奪っていったブツ。通常は被疑者を追いつめるために役立つはずのそれら押収品の中から、俺を追いつめるモノはただの一つも見つからなかった。(無いのだから当然だが)逆に、「被害者」の少女の供述が虚偽である「決定的な証拠」が次々と見つかったのだから、警察も狼狽したことだろう。
後に詳しく語ることになるが、俺は「脅迫」と、「青少年保護条例違反」で取り調べを受けた。当初は強姦で立件されるはずだったにもかかわらず、だ。
逮捕から数日後、担当の刑事が俺に向かってこう言った。
「すみません飛鳥さん。あなたの言うとおりでした。この件は、強姦ではとても立件できません。」
俺は、この語りを誰にも邪魔させない。「完」の文字を付し、真実の全てを白日の下にさらすまで、俺はこの文を綴り続ける。
「被害者」の女(当時17歳)は、最悪の場合俺を殺しにかかるかもしれない。そういった知り合いも多いからだ。それでも俺は止まらない。あらゆる「方面」に資料のバックアップを行っているし、俺からの連絡が途絶えた場合(その原因が俺の死でも逮捕でも)一定期間後に関係者及び「不特定多数の世界中の友人たち」に資料が公開されることになる。裁判所が、俺の弁護士に対して『複写は絶対にしないでください!』と目をつり上げた資料(画像)の全てが公開されることになるだろう。もちろん、それは俺に「予定外のアクシデント」が起こった場合のことであり、俺自らがそれらを修正無しで公開することはあり得ない。
もっとも、普通のやり方で俺を殺すのがどれほど困難なことかは、あの女が一番よく解っているだろうが。今現在その女が付き合っている彼氏など、俺とガチンコしたら数秒で絶命である。たとえ武器や防具を持ったとしても、だ。これが大げさやはったりでないことは、俺をよく知る人間ほど理解できることだろう。
「元教師」を、安全パイばかりだと思うな。中には俺のように、極めて危険な人物も存在する。ちなみに、俺がケンカで一度に相手にして勝利を収めたことのある最大人数は、20人だ。まあ、40歳の今は、その時ほどの戦闘力はないがね。さらにもう一つだけ語ると、「留置場の雑居房は快適だった」よ。ヤクザや悪者は、おぼっちゃま教師どもよりずっと「力関係」に敏感なのだ。だから、「快適だった」のだよ。
俺が雑居房や取調室で散々な目にあったことを期待していた能なし力なしどもよ、残念だったな。俺が苦しいのは、俺を陥れた連中がのうのうと生きているという現実を思うときだけだ。
さあ、長い長い、「真実の記録」を書き始めよう。
新聞記事程度の短文しか読めない阿呆は最後まで付き合いきれないだろう。
一人の人間が完全に壊れるまでの記録。
全てが、この国の、M県で起こった事実である。
あ、一つ言い忘れたが、「いや、一人の人間の身の上に、こんなにたくさんの出来事が襲いかかるわけないよ」という感想を持つ人がいるであろうが、俺の人生にはそれが起こったのだ。
たまに、いるんだよ。「波乱」に魅入られてしまった人間てのは、な。
2007年08月28日
本編アップしていきます
いやいや、たまたまなんだけど、今、「独眼竜政宗」のビデオみてましたわ。しかも、放映当時録画したヤツ!あの頃は大学生で、肺気胸で入院してる最中に始まったんですよ、政宗。
それが今、自分がこんな事になっていようとは、ね。
あの頃、自分が「前科者」になるなんて予想もしなかったですよ。自分は正義に生きる者だと確信してましたしね。
人生なんてわからないモンです。飛鳥の中には今も正義がありますが、それが「警察・検察」という、本来正義を掲げるべき連中の「悪事」によって歪められるとはね。
正義を貫こうとしていた一教師を、復讐鬼にしてしまったのは、M県教育委員会と、S台地方検察庁の暴挙である。
抑えがたい殺意
激烈な怒り。
最後まで、語り尽くして、後は天命を待つさ。
天など信じてもいないがね。
転落教師の独り言 本館もよろしく。
さて、こちらにも本編を紹介していきましょう。
2007年08月27日
宮城別館開設☆
さて、こちらに「転落教師の独り言」別館を開設させて頂きました。
少しでも多くの人々に飛鳥エイジの声を届けるために活動中です。よろしくお願いします。
転落教師の独り言本館
目次もありますので、そちらで事件の概要などチェックしてみて下さい。
こちらにも記事や更新情報を載せていきます。